まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

のし掛かる 暑さ逃れて 風を待つ

2015年07月31日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は26度から34度、湿度は81%から63%、風は2mの北東の風が少しばかり。気象台から「高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みです。暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとってください。」という呼びかけが出されている。明日の8月1日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

  

 ということで、今日は4時半起きの5時にわが家を出て、さぬき市志度にある「サンマリエフジイ」という会場にやってきた。会場に着いたのは5時半少し前。

 

 今日は、ここで「さぬき市倫理法人会」のモーニングセミナーが行われる。今日は、その講師にお招きを頂いたと言う訳。早速に、ノートPCとプロジェクターの接続とその試験。ものの10分ほどで作業は終わった。

 

 会長さんの挨拶だのがあって、6時15分からが私の講義になる。

 

 ご案内の通り、今日は、「讃岐三盆糖由来と四国遍路の功績」という演題で、およそ35分のお話になった。

 

 その後、朝食会ということで、有志の方とライスカレーでの朝食会になった。皆さん、子供の頃に「さとうきび」をかじった・・・という思い出話に花が咲いた。

 

 7時半に皆さんとお別れをして、そのまま国道11号線を走って丸亀港へ。港に着いたのは9時前だった。そのまま、9時25分のフェリーボートに乗れば良かったのに、「やれ、缶ビールを買わなくちゃ♪」、「やれ、うなぎの蒲焼きも買わなくちゃ♪♪」などと買い物をしてしまった。

 

 ところが、この頃から気温がぐんぐんとい上昇してきて、暑い!!暑い!!。徒歩15分の「無料駐車場」まで歩くのがイヤになってきて、すぐ近くにある市営の有料駐車場に車を止めた。ここは案外とお安くない。それだし、明日の8月1日は親父の命日ではないか。弟たちもお参りに来るのに、私一人が島の家で泊まるのはいかがなものか・・・などと考えていて。

 

 ふと、海面を見てびっくら仰天!!。「な、な、なんじゃ、これは・・・・」。こどものおもちゃにしてはリアル過ぎる・・・。どっちが頭でどっちがしっぽなんじゃろうかと、数人でわぁわぁ・・と言うてたら、地元のおじさんが一言。「カメじゃがな・・・」。「か・・・か・・・亀・・・・」。亀にしてはおなかの甲羅が見えないのだけれど・・・・。

 

 やってきたのは、「ホワイトスター」という客船。聞けば、「ニュービサン2」は、エンジン故障でドック入りしていて、その代船運行らしい・・・。

 

 11時10分発、11時32分に江ノ浦港着。とにかくあつい・・・。このあつさはどうしたん・・・。

 

 とにかく、ひとまず、わが家に飛び込んで急速冷房・・・。簡単な昼食を食べて一休みして。13時過ぎに、丸亀市広島支所にお邪魔して、プロジェクターと私のノートPCとの接続試験。広い会議室なもので、冷房を入れてもなかなかに冷えない。とにかく暑いので、早々に勘弁してもらって帰宅した。

 

 家に帰ってから、ふと、名刺入れがないことに気が付いた。確か、モーニングセミナーの会場で名刺交換をした記憶があるし、市営駐車場の駐車券を、名刺ケースの中に挟んだ記憶がある。私の名刺はパソコンで幾らでも作れるが、市営駐車場の駐車券がないと帰れなくなる・・・・。車の中からバッグの中から、ズボンを逆さにし、ワイシャツを振り回ったが見つからない・・・。

 

 パソコンケースから薬袋から、病院バッグまでひっくり返して探していたら、玄関の下駄箱の上にちょこんと乗っているのを見つけたが、果たしてどうして、こんな場所に置いたものやら・・・。つくづく認知症が進んでいるのではないのかしらんと思うばかりであった・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分自身すら自分の思うようにはならない。まして他人を自分の思うようにしようなんて無理な注文である」というもの。誰の言葉かはわからないが、この私、自分自身すら思うようにならないのだから、全くの他人さまをどうこうしようなんて、はなから無理な注文である。でも、そうしたがるのが、この私ではあるまいか。後頭部を殴られたような衝撃的な言葉ではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


堂々と 悩んで生き抜く 百日紅

2015年07月30日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26度から33度、湿度は86%から63%、風は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の31日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 昨夜のお月さん、トイレに起きたとき、あまりにも外が明るいで満月かなぁと思って撮ったけれど、明日が満月らしい。

 

 さて、来る8月1日が親父の命日になる。1970年、大阪万博のあった年の8月1日だった。私がまだ22歳、二男が20歳、三男が18歳の高校生だった。その頃、昭和は45年だったと記憶している。親父は46歳、母が45歳という若さだった。

 

 これが、そのときの写真である。野辺位牌を持っているのが私、写真を持っているのが二男、三男は就職試験のために不在だった。骨壺を持っているのが母のさっちゃんである。この日も暑い暑い8月1日であった。

 

 ということで、お墓の草刈り。若い頃には「墓参休暇」という「特別休暇」があって、お休みをしてお墓の草刈りをしたことがあった。そういうお休みもいつしか有名無実になって消えてしまったけれど。明日には島の家に出かけてしまうので、草刈りやお墓掃除は今日一日だけしかない。

 

 朝の涼しい間にと思って、5時半から出かけて草を刈ったけれど、そういう時期には「ブヨ」がいっぱい・・・。目の前をウンカのように盛り上がって集まってきて、目から鼻から口からと攻撃してくる。だから、見えるところ、邪魔になる所だけを刈り払って草刈りからは撤退した。ブヨは日が昇らない時に飛び回り、日光が強くなると木陰に隠れてしまうのだとか。でも、そうなったら、今度は私が熱中症で倒れてしまう・・・。

 

 右足は、ご覧のようにほぼ完治した。階段の上下も普段通りに痛みもなくできるようになった。だから、草刈りも普段通りに痛みもかゆみもなくできてしまった。なんとも不思議な右足であることか。やっぱり、想定通りに、「五日目」であった。

 

 6時半に帰宅して、シャワーを浴びて着替えをして朝食を食べて一休みした後、町内にある「さぬき市歴史民俗資料館」に行ってみた。今日から「夏季企画展」ということで、「守る・攻める 城と館」展をやっているというのでのぞいてみた。

 

 さぬき市内にある城跡を紹介したパネルを展示し、長宗我部氏の讃岐侵攻から豊臣氏の讃岐支配時期のさぬき市の状況を分かりやすく説明する・・・と、上の看板には書いてあるが・・・

 

 石垣や石積みなどの写真やパネルばかりで、ちっとも頭には入らない。

 

 興味のある人にはそれなりに価値のある展示なんだろうけれど、私にすれば「ネコに小判」「子供に金の延べ棒」・・・。少しもありがたくはない。

 

 近くの産直市場で仏花を買って、お墓に挿しておしまい。

 

 その後は、明日のモーニング・セミナーの準備とリハーサル、明後日の、中学生歴史講座の準備とリハーサル・・・。ああだ、こうだといいながら、とうとう、今日だけになってしまった。早めに準備をして、荷物をまとめておいて、明日は4時半起きの5時出発の5時半会場到着してパソコンのセットなんぞの準備。

 

 午前6時開会の6時15分から講演。6時50分にはおしまいにして、片付けをして朝食会。それが終われば、すぐさま、丸亀に向かう・・。忘れ物のないようにしておかねば・・・。そういうものの、毎回、あれだこれだと忘れ物ばかり・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は、近くで見ると悲劇だが、遠くで見ると喜劇である」という、喜劇王・チャップリンの言葉からである。自分の不幸は自分にとっては悲劇だが、他人から見れば、それは喜劇にも見える。他人の不幸は蜜の味。落ち込んでいてばかりではつまらない。明日になれば、きっと、喜劇のように大笑いできるかも知れない・・・。

 

じゃぁ、また、明日。会えればいいね。


夏の日は 壊れた記憶を 結い直す

2015年07月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨の所があるらしい。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みともいう。気温は24度から32度、湿度は94%から60%、風は2mから4mの北西の風が少しばかり。明日の30日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みとか。

 

 さて、右足のことだが、膝の痛みはずいぶんと安らいで、平坦地ならばどんどんと歩けるようになった。ただ、まだ、階段の上下には違和感があるし、痛みも少しばかり残っている。

 

 まだ、少しばかり赤みは残ってはいるが、ずいぶんと落ち着いてきたように思う。でも、膝の曲げ伸ばしには、もう少し時間が必要かも。

 

 さて、なんだかんだと言うてる間に、この金曜日にはモーニング・セミナー、土曜日には中学生歴史講座が迫ってきた。いつも、ギリギリにならないとテンションが揚がらないのだが、今回は準備期間が永かったせいか、最近は飽きてきた感じ・・・。それじゃ、ダメじゃん、春風亭昇太。

 

 と言うことで、気分転換に周辺機器の点検。これは、「フィンガー・プレゼンター」というもの。パワーポイントによるスライドの画面切換などをする装置。これの電池が行方不明・・・。そのあたりを探してみるが見つからない。掃除をした時に掃除機で呑み込んでしまったのだろうか・・・。

 

 ということで、近くの量販店まで(車で)走って行って電池を買った。この時にも、ポイントカードは持参していたが、財布がない・・・。ポケットを探って探って、ようやく145円を見つけて支払った。前回も財布を忘れて、銀行で預金を下ろしてきて支払った経緯がある。

 

 で、わが家に戻ってみると、なんと、電池が一緒に出てきたではないか・・・。これはいったい、どうした訳なんだろうか。キツネにつままれたような感じ。あれだけ探して探して見つからなかったものが、ちゃんと、そこにあるのだからして・・・。

 

 で、電池を入れてセットしても、画面は少しも動かない。「あれ、電池を間違えたかな・・」と、何度も何度も入れ替えてみるが、動かない・・。操作マニュアルなんて、とうの昔に捨ててしまっている。いろいろとやっている間に、角度が違っていたようで、どうにか動き始めてくれたと思ったら・・・。

 

 今度はレーザー・ポインターが動かない。調べてみると、単四乾電池が弱っているみたい。交換しようとしたが、あいにくと「単四乾電池」がない。またしても電気屋さんまで走ることに・・・。全く、ドジなことだ・・・。

 

 プロジェクターは、両会場とも会場側で用意してくださるとのことで、今回は私の者は予備機として用意しておくだけ。一応の動作確認だけをしておく。

 

 しばらくそのままにしておくと、何をどうするのだったかが分からなくなる。「完熟飛行」ならぬ「完熟運用」も時にはやっておかなければいかんなぁと思ったことだった。

 

 道ばたでセミの死骸を見るようになった。最近は、ミンミンゼミとかツクツクボウシとかも啼くようになった。ヒグラシは朝の4時頃から鳴き出して起こされてしまうようになった。わが家の当たりには、シャンシャンというクマゼミは聞こえない。気温によるものなんだろうか。

 

 でも、今日はレーザーポインターとかフィンガー・プレゼンターとかを点検しておいて良かった。当日にこれが動かないとなると焦ってしまう。ま、これらがなければないで、マウスでどうにか対応できるのだけれど・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の瞬だけを、強く生きねばならない。」というもの。

まだこない未来にあこがれて、とりこし苦労をしたり、過ぎ去った日の影を追って悔いていれば、刈り取られた葦(あし)のように痩(や)せしぼむ。

過ぎ去った日のことは悔いず、まだこない未来にはあこがれず、とりこし苦労をせず、現在を大切にふみしめてゆけば、身も心も健やかになる。

過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。

今日すべきことは明日に延ばさず、確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である。

                         (仏教伝道協会編『仏教聖典』より)

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


ようやくに つくつく法師の お説教

2015年07月28日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がりやすく、夜のはじめ頃まで雨の降る所があるらしい。気象庁では「高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意してください。」と呼びかけている。気温は23度から33度、湿度は80%から63%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の29日は、湿った空気の影響で朝まで雲が広がり雨の降る所があるらしいが、高気圧に覆われ昼前からは晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は、リビングの、この畳の間で寝た。ここだと、寝転ぶにも起き上がるにも便利で、ベッドのないわが家では、ここが一番良い場所だった。島の家では、ソファーで寝泊まりをしていた。右足が曲げられないから、横になるのもきついし、寝た姿から立ち上がるのが痛かったからである。

 

 ま、そういう姿だから、今日は「外出禁止」。先の11号台風の後だったかに、送水管が壊れてお隣の佐柳(さなぎ)島は断水状態だった。それがようやくに復旧したらしいが、飲み水や風呂水には使用できないらしい。本格的な全面復旧ではないようだ。

 

 わが家の裏庭で採れた「茗荷」である。この土地を売ってくれた地主さんが栽培して市場に出していたらしい。その、「茗荷畑」の上に、わが家を建てたので、ずいぶんと面積は減ったが、毎年、二人で食べきれないほどの茗荷が生えてくる。

 

 今週末の中学生歴史講座の準備。「英国士官レキの墓」について、私が作って配った資料らしいが、私のパソコンのどこにも原本がない。そこで、配った先からファックスで送ってもらったものを、OCR(光学読み取り機)で読み取って、ワード文書に変換する作業をやっていた。これだけのHDD(磁気記憶媒体)があるのだから、どこかに残っている筈なのに見つからないので奥の手を使った・・・。

 

 今日は火曜日だから、「俵札調査」の日だが、ずる休みをした。痛い足を引きずって行くほどの大切なお仕事でもないし、たまにはお休みも必要だと思ったし・・・。

 

 三日三晩の土用干し・・・。今年は梅の収穫が少なかったが、昨年はこれの倍も漬けたのだから、二人家族だから十分だろうとは思うのだけれど。

 

 思い出したように、暑中見舞いを書いてみた。今年はわずかに5枚だけ。いただいた方だけにしか出すことはない。あんまり、遅くなってもいけないし。

 

 朝方、奥方のけいこばぁが、「水中ポンプの水が揚がらないの・・」と言うていたが、こんな痛む足ではどうにもならん・・・。すると、自分で川の中まで下りていって、台風で流されていた水中ポンプを探し出してきて、ちゃんと自分でポンプアップして野菜に水やりが終わったと大喜びをしていていた。これでわが家も安泰だ。水中ポンプも奥方の担当に委したぞ。

 

 さて、私の体調は一進一退。そんなに簡単に治る筈はない。が、今日いちにち、わが家でゴロゴロしていれば、少しは体力の回復にはなったかも知れない。眼の疲れとか肩こりとか・・・。

 

 そうそう、お寺の内陣作法とかで、階段状の所は、「左」「右」、「左」「右」と、左足を上げ、右足を揃え、さらに、一段上に「左足、右足」と、揃えるようにして上下するが、まるきり、そういう状態。ただし、下りるときは、「右」「左」と逆になるのがおかしい・・。あいかわらず、おとぼけ生活の連日なこと。

 

 近くの田んぼでは稲が実ってきている。お盆前になると稲刈りが始まるのかも知れない。このあたりでは、多くが月遅れのお盆明けの20日過ぎから稲刈りが始まる。早くも稲刈りかぁ・・という季節になってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「よく噛んでみるとはじめてその味がわかる でも、その味は人それぞれ 学びとはそんな食べ物です」というもの。これまた、どこの誰の言葉かわからない。ただ、学びに限らず、肉だって魚だって、米だってうどんだって、よく噛んでみると、初めてその味が分かることが多い。噛みしめてみて、「ああ、こういうことだったのか・・」と思うことはいくらもある。でも、その味の感じ方は千差万別で、人の感覚次第、感じ方次第。同じ店の同じうどんでも、「旨い」という人もいれば「こんなまずいものを」という人がいる。別に「学び」に限ったことでもないと思うのだが・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


むくげ咲く 庭の静けさ 日の永さ

2015年07月26日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は26度から30度、湿度は84%から70%、風は2mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の28日は、湿った空気の影響で雲が広がりやすく、昼前から雨の降る所がある見込みらしい。

  

 台風12号は熱帯性低気圧になってしまったし、体調が思わしくないので帰ることにした。帰ると言っても、今週末にはまたもやってくるのだから、片付けも戸締まりも大まかで良い。

 

 朝の5時半に起きて、片付けや掃除をやって、7時半から8時までの間、島を一周してきたが、そんなに変わった風景も見えなかった。で、8時35分のフェリーボート「しわく丸」に乗って帰ることになった。車数台に乗客は18名、のどかな島の朝である。

  

 足は相変わらず痛むけれど、歩き出したらそんなでもない。立ち上がるとき、座るとき、寝転ぶときが痛いだけだ。いったい、これはどうした訳なんだろうか。

 

 膝の部分が桃のように赤い。その下の部分、ふくらはぎも少しばかり赤くなってきた。動き出すときには、相変わらず激痛が走る。膝の前の部分が痛い。

 

 丸亀港には9時10分に着く。そこから歩いて駐車場までおよそ15分。右足を引きずりながら歩いた。歩き出すと、そんなに痛みもなくてゆっくりと歩いた。そのまま、突っ走って病院に行きたかったが、病院セット(診察カード・保険証などの入ったバッグ)を持っていないので自宅に戻ってからになった。だから、病院に着いたのは11時前だった。

 

 ところが、今日は月曜日。整形外科は大混雑だという。3時頃(15時ごろ)に再度おいで下さいと言う。一旦、わが家に戻って、食事をして・・・。で、出直して、3時頃に病院に戻ったのだが・・・。

 

  16時を過ぎても、16時半を過ぎても・・・患者さんは減らない。

 

 結局の薬局で、診察になったのは17時半過ぎ・・・。奥方からは「入院させてもらいなさい」のメールが届く。

 

 しかしのかかし、「皮膚炎ですね・・・」の一言でおしまい。鎮痛剤と消炎剤を頂いて帰宅したのは18時半。永い一日になったことだった。

 

 「ばい菌が入ったんでしょう」とはいうものの、どんなばい菌がいつ入ったのかはわからない・・・。だから、ばい菌がいなくなるまでの我慢と言うことになるのだろうか・・。なんだかわからんことではあるばかり。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は学校である。そこでは幸福より不幸の方が良い教師である。」というもの。フリーチェというロアシアの文学者の言葉である。幸せになるためには、何を学ぶのがいいのだろうか。人生には、幸せなこともあれば、不幸なこともいっぱいある。不幸なことも「良い教師」と考えることができれば、今後の幸せのために活かすことができるのかもしれない。「人生に無駄なことはない」「すべてのことはいい経験」のように考えることもできるのではないだろうか。

 

じゃあ、また、明日、会えるといいね。


台風の それて時間を 持てあます

2015年07月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 丸亀市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は26度から35度(今季初)、湿度は85%から56%、風は1mから4mの南南西の風が少しばかり。気象台では、高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みなので、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとって欲しいと呼びかけている。明日の27日は、台風第12号から変わった低気圧が山陰沖を東に進むため雲が広がり、昼過ぎから断続的に雨が降る見込みらしい。

 

 外は暑いけれどからりとしていて、風が吹くと気持ちがいい。けれど、そう、長くは外にはいられない。

  

 さて、この右足の痛みだけれど、そんなにも変化がない。この黒いものはほくろ状のもので虫の咬んだ跡ではない。だから、外傷は全くない。半月板あたりが痛むようだ。でも、病院に行くと、「異常はありません」とか「お年ですから」と言われておしまいになりそう。WEBで、膝の痛みを調べてみたら山のようにさまざまなものがあふれ出してくる。こりゃぁ、だめだとあきらめた。五日もすればなんともないように歩けるようになるのだから。

 

 朝の間、前のおうちの草を刈ってくれた。その向こうの防風林が低ければ、海が見えるのに・・・。最初はここからでも潮の音や潮の香りが感じられたのだけれど、感性がずれたのか、全く、潮の音も香りもしなくなった。

 

 午前中の涼しい間にお勉強。咸臨丸が浦賀を出て、サンフランシスコまでの難航の様子はしっかりと書いてあるのに、帰りのことはほとんど書いてない。書いてあっても、ホノルルに滞在したときのことばかりだ。塩飽の水夫がきびきびと働いた様子は書かれていない。それが当たり前と言えば当たり前のことなんだけれど。

 

 たった一人きりでは海に行ってもおもしろくない。海に入るのはいいのだけれど、海からあがった後が面倒になる。プライベート・ビーチにはシャワーなんぞないから、そのまんま、わが家に戻ってきて、シャワーを浴びて風呂で洗って着替えて・・・と。一人きりではなんとも空しい。この島にきた当時は、それが珍しかったのだけど。

 

 10時過ぎからは島一周のドライブに出た。室内ばかりにいると、余計に膝小僧が痛くなる。冷やしすぎるのがよくないのかも・・・と考えたからである。中古の軽トラにはエアコンなんぞない。窓を全開にして自然の空気を満喫して走る・・・。

 

 今日はジェットバイクの音もにぎやかな若者の声も聞こえない。それでも20人ばかりの海水浴客が海に入っている。

 

 ここの海は遠浅だから100mほどは、こうして歩いて行ける。だから、この時間帯には泳げない。潮が満ちてくると、そこは深い海の底になる。3mから4mほどの高低差がある。

 

 この島の産業は石材採石である。少し前までは、カンカンと「石切り丁場」の音が響いていたが、近年は石屋さんも週休二日になったのか、丁場からも工場からも音は全く聞こえなくなった。石材屋さんで働く若者たちも、丸亀などから通勤でやってくる時代になった。島にはお嫁さんが来ないからである。

 

 今日の高見島である。

 

 こちらは断水事故で揺れている佐柳島である。まだまだ、当分は断水状態が続くらしい。フェリーボートに給水車を積み込んで給水しているらしい。だから、お風呂には入れないとニュースでは報じていた。

 

 こちらは、丸亀市広島町に属する「小手島(おてしま)」である。山の上にあるのが「小手島小中学校」である。小学生が一人いると聞いたけれど・・・。

 

 この島の「広島小中学校」が休校になって久しい。島をぐるっと回ってみたけれど、元気なのは竹と雑草とアブラゼミ。特に竹の勢いはすさまじい。半年、見ない間に、民家がすっかりと呑み込まれていたりする。

 

 今日のお客さんはこちら。昼間は静かなんだけれど、夜になって泣き出すと困るなぁと思いつつ眺めているのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「確かな一歩の積み重ねでしか遠くへは行けない」という、「イチロー選手」の言葉からである。何事においても、一歩、一歩、また一歩。亀のように、その歩みはのろくとも、大地を踏みしめ、確実に前に進んでいけば、いつかは必ず頂上にたどり着くことができるし、確実に前に進んでいけば、いつかは目標にたどり着くことができる。目標に向かって進んでいくプロセスと、人生を歩んでいく過程とは同じだと感じたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


海にいて 海を見ている 浜ぼうふ

2015年07月25日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 丸亀市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は24度から32度、湿度は85%から61%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の26日は、高気圧に覆われて晴れるらしい。台風が来るというので、ボートの係留に来たのだが、全く、そういう気配はない。

 

 昨日はなんともなかったのに、今日は右足の膝小僧が痛んで歩けない。打ったとか転んだとかムカデに刺されたとかの記憶は全くないし、傷跡もない。ただ、膝全体が赤くなっている。少しばかり熱もあるようだけれど。この島には薬局も病院もない。島の診療所があるが、休日はお休み。本当の急病ならば、漁船をチャーターして丸亀本土の病院に行くか、防災ヘリでも呼ぶかだが、そこまでの大げさな痛みでもない。たかが、足の痛みだけだ。

 

 そんな足を引きずりながら、家の周囲の草刈りをやった。こうして、歩き出すと歩けるのだが、立ち止まって歩こうとすると激痛が走る。朝の間の涼しいうちにと思ったが、8時過ぎからだとクラクラするような暑さになった。

 

 家の表の見えるところだけを刈った。家の裏側は、来週でもいいじゃないか。

 

 とにかく、見えるところだけでも刈っておけば気分がいい。

 

 島の歴史講座のお世話役の「みちこ先生」からの年表修正の原稿を受け取るために、船の待合所にやってきた。すると、こんなのぼりが揚がっている。「島歩き案内所」だって・・・。

 

 フェリー客の待合所の奥に、こんなコーナーが出来ていて、観光案内所のようになっているが、詳しいことはわからない。

 

 で、みちこ先生からの修正原稿を頂いて、できることからこつこつと。中学生の歴史の教科書に出て来るような事柄だけを残して、島の小さな歴史やシルビア号などの関係の無い事項は削除することになった。ただ、先生が夢中になっている「花燃ゆ」に関係する事項は追加する。「吉田松陰処刑」なんか、中学生には必要ないのだけれど・・・。

 

 「薩長同盟は必須だわ・・・」と仰るが、それも関係ないと思うのだが、いろいろと調べて追加することになった。新撰組の近藤勇は登場するが土方歳三さんは無視されている。

 

 歴史講座まで、あと一週間。はてさて、どうなることやらではある。

 

 今日は土曜日ということもあって、島には子供たちの声が響いている。マイ・ボートでやってきた本土からのお客さんである。

 

 かつては賑わった「江の浦海水浴場」で泳いでいるのは数人だけ。それでも。沖には監視船が二隻。島の漁師さんが雇われているのだろうけれど、その舟の中で何をしているんだろう・・・。昼寝をしていたら監視にはならないだろうし、かと言って、サメがやってくるのを見張っているふうでもない。

 

 気分は海にでも入りたいような暑さだけれど、この膝の痛みでは海に入ったら溺れてしまいそう。かといって、海を見ているだけでも暑くてたまらない。

 

 島で見かけた奇妙なキノコ。先日の雨の後に生えてきたものらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「誰でも口からプラスのこともマイナスのことも吐く。だから【吐】という字は「口」と「+」と「-」でできている。マイナスのことを言わなくなると「-」が消えて【叶】という字になる。」というもの。お寺の「お説教」でよく聞くことば。それはそうだと納得しながら、「でもな、マイナスだって必要なんだぜ」と、ふんぞり返っている私がいる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


蝉時雨 過疎の島には ちょうどいい

2015年07月24日 | 自然ありのままに

 丸亀地方は高気圧に覆われて、概ね晴れている。気温は23度から32度、湿度は84%から55%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。四国地方は午前10時に梅雨明けした模様だと報じていたが、さっぱりとしたいい天気になったなぁと実感した。暑いことは暑いのだが、汗が噴き出さない気持ち良さがあった。明日の25日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 台風12号が連続してやって来るというので、食材とかを冷蔵庫に残したまんまになっていたし、8月1日の中学生相手の歴史講座に使う手元資料の打ち合わせも兼ねて、またしても、丸亀港にやってきた。今日は9時25分発のフェリーボート・しわく丸に乗る予定。

 

 余裕を持って、朝の7時前にわが家を出たのに、丸亀港に着いたのは9時前だった。実に2時間も掛かってしまった。やはり、朝の通勤時間帯は、どうしても渋滞になるし、混雑もする。土日の1時間半コースばかりではないのであるなぁと、慌てたことだった。

 

 島の家は前回に草刈りをしなかったので、そのまんまの草だらけだが、草刈りが必要な長さでもない。ここが思案のしどころだ。明日の朝にでも、草刈りをするべきか、次回の8月2日でも我慢ができるのか・・・。

 

 今回に草を刈っても、来月中旬の月遅れのお盆や、その後の京都からのお客さんが来る頃にはどうなっているのか・・・。草刈りばかりが気になる島の家である。

 

 島の家に着いたのは10時20分。雨戸を開けて換気をしたり、室内の空気を入れ換えたりする。今回は食材は何も持ってきていない。冷蔵庫に残っているもので数日を過ごすことになる。卵と漬け物と米があれば、なんとかなるだろう・・・という大胆さである。島の生活は、そんなサバイバルも楽しい。

 

 この、「塩飽幕末年表」を、今回のお世話役のみちこ先生に届けたら、「中学生には難し過ぎる・・・」と、全面改定を言い渡された。校正原稿は、明日、届けられるそうだ。教育という世界は、私には計り知れないものがあるのだなぁと感じたことだった。

 

 それでいて、来週に迫った中学生歴史講座の根底を流れる教育理念・・・というのは一本、筋の通ったもの。過疎の島の児童を活性化させるために、どういう表現方法があるのか・・。どうすれば、過疎の島の子供たちが明るい表情になれるのか・・・。そういうことに情熱を燃やした先生と、少しばかり発達の遅れた子供たちが島にやって来る。その子供たちに、このしわく広島の良さを理解してもらうのだという。

 

 島をぐるりと一周してきたが、人影は見えない。ま、この暑いさなかに歩き回る必要も無いが、島に帰るたんびに人が少なくなるような印象を受ける。こうした、石切り場や採石場、石切り丁場からも音は聞こえない。

 

 この島は「引き算の島」だという。子供の数、男性の数、女性の数、世帯数・・・。それら全てが「引き算」なのである。決して足し算にはならない島の現実。それでは、お墓の数が足し算になるかと言えば、それがそうでもない。個人のお墓がまとめられて家のお墓に合葬される。便利な町の墓地に移転される。お墓ですら「引き算」になる。

 

 今日の掲示板はこれ。「ひと夏のいのちかぎりとセミが啼く」というもの。八月は「死」が身近な季節である。原爆記念日や終戦記念日、月遅れのお盆が八月であるからという以上の、死を身近に感じる季節である。この、生命の峻烈ともいえる季節に、ひときわ蝉たちは声高に啼き尽くし、叫び続けて死んでゆく。仲間たちはまだ梢にあるというのに、あるものは地面に落ち、狂ったようにもだえたかと思うとまた飛び立ち、再び地面に落下して死んでゆく。生命の烈しい燃焼と死の充実。あるいは生と死の落差にあらためて驚くということ。
それを短い期間で気づかせてくれるということ。われわれが耳にする死の情報は抽象的なもの、頭の中だけの理解であることがしばしばである。けれども、蝉たちは身をもって教え示してくれている。これが現実であると・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あれこれと 悩みそのまま 大暑越す

2015年07月23日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がり、夕方まで雨が降る所がある見込みらしい。気温は24度から28度、降雨量は1mm/hから3mm/hと少なめ。風は1mから3mの南南東の風が少しばかり。明日の24日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

  

 台風12号の動きが心配なのだけれど、「台風なんかメじゃないよ。」とか「反れてる反れてる」とかと言うのだけれど、天気予報ではこんなだけれど、さぬき市の今週・来週は見事な晴れの連続になっている。台風12号はどうなるのじゃろうか。してまた、私はどうすればいいのじゃろうか。

 

 さて、恒例の香川県立図書館。車から降りたとたんに、ものすごいクマゼミの「シャンシャンシャン」という鳴き声シャワーが襲いかかってきた。まさにのしかかるようなセミノ声・・・。子供らが蝉を追いかけて走り回っている。

 

 ここのアキニレの木には、このようなセミの抜け殻がいっぱいだし、足下の地面には蝉が這い出てきた穴ぼこがいっぱい・・・。ここの蝉は年々、多くなる一方だと思う。

 

 この子、死んだクマゼミを撫でたりさすったりして生き返らそうとしているが、死んだものは生き返らない。生きたセミが欲しいんだろうね。この子の虫かごの中は、セミノ抜け殻ばかりが十数匹。声を掛けていいものかどうかしばらく悩んだ。ヘタに声を掛けて「不審者」扱いされても迷惑だし・・・。生きた蝉なんぞ、いくらもいくらも頭の上を飛び回っているのに、捕まえられないんだろうか・・・。

 

 さすがに、夏休みに入った図書館には子供の姿や親子連れ、家族連れが多い。

 

 さて、私の所属している「おへんろつかさの会」の今年のお勉強は、「小豆島八十八ヶ所霊場巡り」なんだそうである。小豆島霊場は、大型バスの入らない路地の奥や民家の中や、細い谷道や石段をくねくねと登った先にあることが多い。だから、徒歩が主流になるらしい。その下見に、会長ほかが土曜日に行くそうだが天候がどんなだろうか。

 

  私は心臓が悪いので、今年の小豆島研修はやめにした。秋の資料展くらいはのぞきに行ってもいいかなぁとは思っている。ま、それに合わせて、小豆島ミニ島四国を別の視点から考えてみようかと、これらの本を借りてきた。若い頃に、小豆島で三ヶ月ほど工事で暮らしたことがあるので、地理的なことは分かっているし、札所がどこにあるかも覚えているし・・・。

 

 こういう地図を懐かしく眺めてみたことだった。

 

 それはそうと、今日、丸亀市広島支所から連絡があって、「8月1日に使用するプロジェクターと、私のパソコンとの接続実験をやっておきたい・・」という話しだった。昨年に何度もやっているのだけれど、今度の支所長さんは初めてなので不安なんだそうだ。お役人というのは慎重なんだか心配性なんだか・・。でも、そんなに心配ならば・・・ということで、明日から島に行って来る。

 

 「配布資料があれば印刷しておきますので・・・」とも言ってくださるのだが、中学生相手に、どんな資料を作ればいいものかと・・・思案投げ首。そんな心配よりも、夜の打ち上げ会とか反省会とか懇談会とかの心配でもしていただいたほうがうれしいのだけれど、お仕事が終われば早々にフェリーに乗ってお帰りになってしまうに違いない。

 

 と、なんだかんだと言いながら、7月31日のモーニング・セミナーも、あと、一週間、そして、8月1日の中学生歴史講座も迫ってきた。概ね、準備はできてはいるのだけれど・・・。それまでの体調維持とかがやや心配。肩こりと歯痛が少しばかり気に掛かる・・・。今朝など、気が付けば7時前。モーニング・セミナーなど終わっている時間だ。

 

 そうそう、今日は大暑(たいしょ)。大暑は、二十四節気の第12。六月中(通常旧暦6月内)。 ... の節気の立秋前日までである。 小暑と大暑の一か月間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送るらしい。わが家にも十数通の暑中見舞いのお葉書をいただいているが、お返しの出来ぬ間に大暑が来てしまった。

 

 で、暑中見舞いはいつ出すのか・・と調べてみたら、「梅雨明け後、夏の土用の期間(立秋前の18または19日間)に届けます」とあったが、四国はまだ、梅雨明けをしとらん・・・。立秋(8/8)の19日前というと、過ぎてしもうとる・・・。今年は暑中見舞いが出せないないではないか。ということで、更に調べてみた。

夏の土用(立秋前、約18日)~立秋の前日(8月7日)
夏の土用、立秋などは年によって違いますが、
2015年は7月20日~8月7日です。

小暑(7月7日)~立秋の前日(8月7日)

梅雨明け~立秋の前日(8月7日)

 以上3つが一般的に定められています・・・ということで、8月7日までがOKだということらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「くらやみの中で 宝があっても つまずくだけだ」というもの。前川五郎松という人の、阿呆堕落偈(あほだらけ) から。闇と光について、いつかこんな言葉をお師匠様から聞いたことがある。「暗闇の中で宝があっても、つまづくだけや」と。燈明(あかり)をつけてもらうだけや、何にも変らぬ、見える見える、見えると安心や。と。暗闇の中では、宝物もご馳走も有り難い仏様も見えぬ。仏法を知らぬ者には経典も仏像も何も見えぬ。光という智恵を頂いてこそ、宝物やご馳走が見えるというものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


明け切らぬ 梅雨を明日も 持てあます

2015年07月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がり、雨が降りやすく夜のはじめ頃まで雷を伴う所があるらしい。気温は24度から27度、湿度は94%から91%、降雨量は3mm/hと多くはないが降ったり止んだりを繰り返していた。明日の23日は、引き続き湿った空気の影響で雲が広がり、雨が降りやすい見込みなんだそうである。

 

 暑かったり涼しくなったり、蒸し暑かったり、そうでもなかったりで、エアコンを冷房にしたり、ドライにしたり、窓を開けたり閉めたりと忙しい今日このごろである。肩こりがすると「あ、熱中症かな」と思ったり、足がつったりすると、「あ、熱中症かな」と思ったり、水を飲んだり、薬を飲んだり、お茶を飲んだりと忙しい・・・。

  

 この本は・・・昨年の今頃に作ったものだっただろうか。この本を見て、「さぬき市のまち歩き」の事務局さんから電話があって、「ぜひともご教授ください」というので出かけてきた。

 

 うどん屋さんは得意だけれど、こうしたお店はどうにも苦手。「まち歩き」という言葉は聞いたことがあるのだが、参加したこともないし、どういう趣旨なんだかもわからない。町の観光とか町おこしとかなのか、単なる町の観光なのか、それともお勉強なのかも知らない。パンフレットらしきものを見れば、「うまいもの食べ歩き」みたいな雰囲気も感じられたりする、

 

 今年のさぬき市の「まち歩き」は、この津田の松原の「棟方志功先生絶賛の銘木」が案外と知られていないのと・・・・

 

 平山郁夫先生が写生した津田の松原をメインにし、あと、二ヶ所ほどを追加したいとおっしゃる。で、下見を兼ねたリハーサルをやって、パンフレットを作成するのだそうだ。その案内をやって欲しいと仰る。ま、9月上旬だというので承っておいた。

 

 さぬき市と言っても、見るべき所は、そう、多くはない。あそこも行った、ここも見た・・・ということで、事務局も資料探しに奔走しとるに違いない。そこで、私の書いた本が、どこかで目に留まったに違いない。

 

 この棟方志功さんが、さぬき市においでになった・・・という話は、ごく一部の人しか知らないに違いない。で、この方が腰掛けた松の木が、どこのどの松なのかなんて知るよしもないはず。そういう場所をご案内して欲しいとおっしゃるのだ。

 

 私はそれよりもなによりも、8月1日の中学生相手のお勉強会が気に掛かる。スライド用のパワーポイントはできているのだけれど、咸臨丸は咸臨丸、英国士官レキのお話はそれとして。時代が交錯するけれど、それぞれ、別々にしてお話したほうがわかりやすいかなぁと思い直して・・・。

 

 年表に沿って、時代順にお話しすれば時間的な流れはわかりやすいが、咸臨丸の話からいきなり英国軍艦の話になったり、また元の咸臨丸のお話に戻れば、ややこしくなって、話が混戦してしまいそう・・。そうなると、また、スライドを作り直さないといけなくなって・・・。

 

 その確認用の年表を見ようとしたら、レーザープリンターから「トナー用意!」のエラーメッセージが・・・・。

 

 ここには、レーザープリンターは置いていない(販売していない)のだけれど、なぜだか、トナーは置いてある。だから、2ヶ月に一度はここでトナーを買っている。

 

 ま、XPマシンかVistaマシンが壊れるまでは、当分、このレーザープリンターで動かすことにした。なにせ、少しも儲けにならないのだから、出費は極力抑えねばならないし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「私が後悔することは、しなかったことであり、できなかったことではない」という、イングリッド・バーグマンの言葉からである。ハリウッド女優、イングリッド・バーグマンの名言。私が中学だか高校だかの頃に勧められて見た、「誰がために鐘は鳴る」の主演女優さんだった・・・くらいかと。しかも内容は良く分からんと来ている。映画好きのひとには怒られそうな無知っぷりである。

 

 名言のほうは、実に素直で好感の持てる言葉である。できるできないは二の次で、とりあえずやってみて・・・、という前向きな姿勢が伺える。ただまぁ、普通のひとであれば、やってみたけどできなかったこと、というのも後悔の対象になるんじゃなかろうかと。そこを後悔せずに進んでゆこうとするところが、彼女の偉人たるところであり、この言葉の名言たるところなんじゃないかなぁと、思うわけなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ひまわりに 明日は東だと 教えられ

2015年07月21日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がりやすく、昼過ぎからは雨の降る所がある見込みらしい。気温は25度から31度、湿度は88%から66%、風は5mから7mの南東の風が強かった。今日は高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みとかで、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるように呼びかけている。明日の22日は、引き続き湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎまで雨が降りやすい予報らしい。

 

 今日も朝方はいい天気で夏休みの朝らしいすがすがしい朝になった。火曜日の午前中はここに来ることになっている。さぬき市前山という所にある「おへんろ交流サロン」である。

 

 今日も暑い中、若者が一人で歩いてここまでやってきた。大窪寺を経て大滝山にお参りするのだそうだ。その前にここで休憩らしい。

 

 今日もいつものメンバーで「俵札」の調査。さぬき市志度という地区にある「寒川家」の屋根裏にあった「俵」から出てきた納め札などを整理している最中。先週で一段落したと思ったら、前のチームが整理した納め札などのファイルが見つかったというので、それをファイリングしてゆく作業になった。

 

 納札一枚、愛媛県北宇知郡???・・・。地名辞典を開いて、これは「北宇和郡日吉村」だと判明した。この時代は日にちを書かなかったようで、年月日のないものが多い。年月の分からないものは、地方別に分類する。

 

 こういうことを二時間余りにわたってやっていた訳だ。

 

 とにかく、先のチームと今回のチームとは考え方が違うようで、せっかく、きれいにファイルしてあるものを、全て取り出して、今度は一枚ずつファイリングしていく。

 

 その間に役員さんたちは、近く行われる「倭琴(わごん)」のライブ、「歌の寺子屋」のパンフレットの原稿作り。藍川由美(あいかわ ゆみ、1956年2月2日 -)は、香川県綾歌郡宇多津町生まれで東京芸術大学出身の声楽家。1985年、ニューヨークのカーネギ・ホールにおける歌唱で評価される。1986年大学院博士後期課程を修了し、翌1987年学術博士号取得。博士論文は「演奏家としての立場における『山田耕筰歌曲の楽譜に関する研究』」。1992年「藍川由美リサイタル」の成果によって文化庁芸術祭賞を受賞した。そのコンサートを、志度寺の書院で行う計画である。

 

 一方、来月8月2日から開講する、「27年度おへんろつかさ養成講座9期生募集案内」についても議論が行われた。講座の内容に変更が生じたために案内パンフレットや告知が遅れて、今期は受講生がめっきりと少ないらしい。募集案内は以下の通り。

http://www.my-kagawa.jp/event/event.php?id=368

 

 http://ohenrotukasa.com/access2.html

 私の作ったホームページでもご案内をしているので、興味のある方はぜひ、どうぞ。香川県外でも可能ということになっているが、月に一度の講座に参加するのだから遠隔地はしんどいかも。それでも、大阪から毎月受講された方もおいでになるので、要はやる気と向学心かも知れない。

 

 午後からは、8月1日の中学生用の歴史講座のパワポ資料の追加作業。このお墓の竿石に何カ所も傷があるのが見えると思う。先の第二次世界大戦の時、血気にはやった村の若者たちが、「鬼畜米英、何するものぞ!」と、この英国士官の墓を、近くの江の浦川に投げ込んだ時の傷である。

 

 この手前の川の中へ・・である。ところが、敗戦となると、「GHQが攻めて来て、墓を壊した者は処罰されるぞ・・・」という噂が流れて、村の若者は大慌てで、お墓を元のように修復したというのである。墓石を切り出す作業をやっている島の若者にすれば、お墓を元通りに組み直すのはお手の物であったに違いない。

 

 一方、こちらは咸臨丸に乗り組んでいたうちの三人である。これは琴平町の「海の科学館」に展示してあった資料からである。上のひげのおじさんは、咸臨丸を操船していたアメリカ人の「ブルック大佐」、中程はご存じ福沢諭吉。下のおじさんは誰だろうと考えていたが、どうやら「通弁」の中浜万次郎」らしい。そうだな、ジョン・万次郎がいなければ咸臨丸は動かなかったなぁということで、急遽、資料に追加した。

 

 今日の掲示板はこれ。「5分間なら5分間でできる仕事がある。「これだけの時間がなきゃ、できません」なんていうことでは死ぬまで待ってもできない」という平山郁夫先生の言葉から。要は「やる気の問題」ではなかろうか。やりたくない人間は、「時間が無い」「暇が無い」「忙しい」とかのやりたくない理由ばかりを並べたがる。やろうとすれば時間なんぞ問題ではない。自分が釣りに行こうとしたら、どんな仕事だってやりとげて明日に備えるに違いない。自分がゴルフに行こうと考えたら、30分の仕事だって数分で片付けてしまうことだろう。とは言いつつ、「暑いなぁ・・」を連発しながら動こうとしない私がいるのだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨明けが近い 野の花のつぶやき

2015年07月20日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所がある見込みらしい。気温は25度から33度、湿度は88%から66%、風は4mから6mの南南東の風がやや強かった。昨日には関東甲信地方が、今日には中国・近畿・東海が梅雨明けしたらしいが、九州南部と四国がお預けを食っているみたい。明日の21日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 朝方は湿度も低く気温も高くなくて、さわやかな夏の朝になった。まるで、子供の頃の夏休みの朝を思い出して懐かしくなった。しかしのかかし、朝の4時過ぎから、「カナカナカナ・・・」というヒグラシの音はどうにかならないか。あの声は、夏休みの終わりを告げるもの悲しい鳴き声だったのに・・・。

 

 ともかく、夏らしい朝になったので、「暑中お見舞い申し上げます」のご挨拶をば。その、朝の涼しい間にと、今日はここにやってきた。

 

 香川県中部、仲多度郡まんのう町にある「満濃池」である。この池は、日本最大の灌漑用のため池で、空海さんが改修したとも言われる池で、周囲約20km、貯水量1,540万tである。先日の台風の影響か、満水状態になっている。

 

 でも、ここの池の水が、遠く瀬戸内海の海底を通って、しわく広島のわが家にまで届いている・・・というのは夢のような話で、讃岐各地が水不足で断水だの給水制限だのと大騒ぎになっても、島の家で水道が使えなかった・・・というのは一度も無い。全く、ありがたい、この池のおかげである。

 

 この池の水門は閉じられているようで、わずかしか放流されていないが、この茶色い水はどこから流れてきているものだろうか。周囲の谷水が流されているのだろうか。

 

 アイスクリームだかアイスクリーン売りだかのおじさんはヒマそうに昼寝をしている。

 

 ものはついでだからと、旧仲南町帆の山地区のひまわり畑に行ってみた。先日の台風で、これ、この通り・・・。

 

 全てのひまわりが倒れてしまっている姿は哀れを誘う・・・。

 

 本来ならば、このようになっている筈なのに・・・。おかげで先日の「ひまわりまつり」は中止になってしまったのだとか。この状態では仕方が無いというものだ。

 

 さて、今日は「海の日」という休日になっていて、世の中は三連休になっているらしい。私も会社員の頃には大喜びでこの日を待ったものだった。ただ、あの頃は、単に「7月20日」が海の日という休日だけであったように思う。

 

 海の日はもともと、『海の記念日』という民間の記念日であった。この海の記念日というのは明治天皇が明治9年に船によって東北地方をご巡幸(天皇が各地を回られること)された事に由来したもの。それまで軍艦によるご巡幸はあったのだが、軍艦以外の船にお乗りになるのはこの時が初めてで、蒸気船である『明治丸』で海をお渡りになって、7月20日に横浜港にご帰着された。そのことから昭和16年、この日を記念して『海の記念日』としたのだという。ちなみにこの明治丸は、灯台の点検などを行なうための船として日本政府がイギリスに発注したもので、現在でも東京海洋大学に保存されているそうである。

 

 ところが、この海の記念日は当初は一般市民にはあまり知られておらず、海の仕事に従事する人々の間で行事が行なわれるぐらいのものでしかなかったらしい。しかし、そういった海運関係者による海の記念日を国民の祝日にしようとする運動や、そして何よりも皇室を由来にしたものであったことが理由で、1996年に『海の日』として国民の祝日に制定される事になったのである。その趣旨は「海の恩恵に感謝し、海洋国家日本の繁栄を祝う」というものであった。

 

 この海の日は制定された1996年から2002年までは、定められた本来の日付である7月20日に祝われていた。ところが、2003年からは『ハッピーマンデー』という訳の分らない制度のため、海の日は7月の第3月曜日となってしまったのである。本当は、三連休になって大喜びしたのが本音ではあったのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日の成果は、過去の努力の成果であり、未来はこれからの努力で決まる。」という稲森和夫氏の言葉からである。今やっていることの結果が、何ヵ月後、何年後に表れてくる。未来を自分の描いたようにしたいと思うのなら、今そのための種まきや行動をしていなくてはいけない。過去の教訓を未来に生かしていきたいものである。そうは言いつつも、「今日の成果は過去の怠惰の結果であり、明日はいつも通りの怠惰で決まる」という結果になりそうな気がしてならない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


宅配便 暑い暑いと 言うばかり

2015年07月19日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がり、朝方は雨が降っていた。気温は23度から31度、湿度は90%から64%、風は2mから6mの南南東の風が少しばかり。明日の20日は、引き続き、湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

  

 折角の三連休の中日だというのに(私が言っても無意味だけれど)、小雨の降る湿気の多い日には出かけたくても出かけられない。それよりも、今日は休養日に宛てたいと思うような朝になった。

 

 朝の犬の散歩で気づいたのだが、わが家の周囲でも木の枝が折れたり、飛び込んだりと結構な強風が吹き荒れたみたい。よそさんの畑の杉の木も根元から折れているし・・・。

 

 散歩から戻ると、それを待っていたかのように激しい雨が降り出してきた。この雨で落ち葉や木の枝を洗い流してくれるといいのだけれど、そんなに多くは降らない様子。

 

 わが家の玄関周りの落ち葉は大きなものだけ片付けておいた。小さな落ち葉は刈れて吹かれて消えてなくなる。

 

 さて、例の「夏休み幕末歴史講演会」のパワーポイント資料の整理に入った。塩飽の幕末から明治の歴史年表を元に、咸臨丸水夫の徴用から咸臨丸渡米、小笠原探検、として鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争。古川庄八らのオランダ留学と開陽丸での帰還。その間に、英国軍艦による塩飽海域の水路調査、灯台敷地調査、そして英国士官レキの死亡と埋葬。戊辰戦争の勃発から榎本軍の北海道への脱出。開陽丸の沈没や咸臨丸の沈没・・・。結構な情報量になってしまう。

 

 それに、「おもしろおかしく」という課題が重い・・・。

 

 だからということで、大幅にシートを非表示にしたら、今度は時間が半分の30分になってしまった。慌てて、非表示を少しずつ表示指定に戻しながらの時間調整。概ね、45分ほどまでには回復した。古川阪次郎や山口嘉次郎らをどこまでお話するかにかかってきた。

 

 奥方が娘の家から戻ってきて、「倒れたキュウリの枝を元に戻すので手伝って欲しい」とか、「落ち葉を片付けて欲しい」とか言うので、ホイホイと片付けてきたが、たいした被害ではなかった。あとは、川の中に垂らしてある「水中ポンプ」が流されていないかどうかの確認をやっておかねば。前回にはうっかりと流されて探し回ったもので、今回はしっかりとロープで結んではあったのだけれど。

 

 あれ、台風12号は熱帯性低気圧になってしまったのか・・・。てっきり、同じコースをたどると思って、22日から島の家に帰る予定にしてあったのに・・・。これまた、作戦変更を余儀なくされた。ともかく、しわく年表と予定原稿を届けに島に帰ろうか・・・。

 

 天候としては、明日の午後からは晴れてきそう。高校野球県大会も順調に進むだろうし、梅雨明けもするような天候になってきた。今年の梅雨明けは、18日ごろが平年で、昨年は7月の20日ごろだった。今年もそれぐらいになりそうかな。

 

 アブラゼミはなぜアブラゼミというのか・・という質問を毎年聞くのだけれど、最近のこどもは自分で本とか参考書とか、Googleとかで調べないんだろうか。山とかで実物を見ればすぐにわかるんだけれど、なかなか山とかの自然は遠くなってしまったし。その答えは、鳴き声がジー、ジリジリジリ…と、油で揚げものをする音ににているから、アブラゼミと名づけられたという説と、羽が透き通っておらず、油紙のように油がしみた感じだからだ、という説があるようだからと言われて居る。

 

 その反面、クマゼミはなぜクマゼミというのか・・という質問は見かけない。なんでだろ・・。こういう質問があってもいいと思うのだけれど、いくら探しても見つからない。

 

 今日の掲示板はこれ。「多くの人が忘れているようだけれど、誰の命にも必ず終わりがある。その間に何をするかが大事なのです。」という「道場六三郎」さんの言葉からである。別に忘れている訳ではないのだけれど、「考えたくないようにしている」のかも知れない。明日には死ぬとか、7時間後には死ぬかも・・と考えていると生きていけないではないか。いつかは死ぬのだろうとは漠然とは思うのだけれど、突き詰めて、それがいつだろうか・・と考えていれば、オツムがおかしくなってしまいそうだ。ま、その間に何かをしなければなぁと思いつつ、生きているような気もする昨今である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


蝉の声 聞いて予定が 積み上がる

2015年07月18日 | 時にはぼぉっ~とする時

 丸亀地方は、湿った空気の影響で雲が広がっていたが、夕方からは高気圧に覆われて晴れてきた。夜には湿った空気の影響で雲が広がりやすいらしい。気温は21度から28度、湿度は92%から64%、風は4mから1mの北の風が少しばかり。明日の19日は、湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎから夕方にかけて雨の降る所がある見込み。

 

 朝方、島を一周してきた。これは佐柳島。海上に船の姿も見えてくるようになった。

 

 昨夜の台風で、枝の折れた樹木や竹などが道を塞いでいる所もあったが、目立っての崖崩れや家屋の損傷などは目に付かなかった。

 

 で、みちこ先生のお宅にお伺いして、8月1日の講演会の希望を聞いてきた。やはり、みちこ先生は「年表」にこだわっていた。近藤勇や吉田松陰、井伊直弼や坂本龍馬、アーネスト・サトウらを年表に入れて欲しい・・・と仰る。

 

 これは、19年前、まだ、広島に中学校があった頃の文化祭の台本である。この台本を作った先生が、今年の夏に広島にやって来るというのである。その先生や生徒たちに、「英国士官レキ」のお話を聞かせて欲しい・・・という注文である。当然、咸臨丸や、この英国士官レキのお話も交えてお話して欲しい・・・というのである。時間は一時間。

 

 この三連休(と言っても、私には全く関係ないのだが)の間に、ストーリーを練り直して、パワーポイントのシートを入れ替え、並べ直して省力化を図る積もり。なんだかんだと言っても、もう、あと、二週間を切ってしまったのである。

 

 これまでは、「英国士官レキの墓」と「咸臨丸」とは、別々にそれぞれにお話してきたのだが、今回は、それをごっちゃにしてお話することになる。その間に、灯台の話しも入るだろうし、塩飽の歴史も入るだろうし・・・。

 

 台風情報では、来週半ば頃に、台風がやってきそうだというので、簡単に戸締まりをして、草刈りは来週に回して、早々に帰ることにした。

 

 ということで、12時50分の「しわく丸」に乗って島を出ることにした。来週にも台風12号がやってきそうなので、ひとまず山の家の片付けをしたり、迷犬ごんの散歩もやっておかないと、奥方は忙しくて手が回らないのだそうだし。

 

 島の唯一の「香川旅館」には海水浴客が数人見えた。来週には、うちのプライベートビーチでも泳げるかも知れない。台風の進路次第なのだけれど。

 

 ということで、台風の収まった瀬戸内海を渡って山の家に戻ってきた。

 

 ま、大きな被害はないけれど、こうした、落ち葉や木の枝、竹の枝なんぞがわが家の周辺一帯に散乱している。奥方は、これを片付けておいてちょうだい・・・というのだけれど、数日もすれば、風が吹いてどうにか片付けてくれそうだと思うのだけれど。

 

 私が海の家から山の家に戻ってきたのを確認して、奥方は娘の家にお泊まりに出かけてしまった。で、落ち葉を片付けておけというのだから、なんともひどい話ではないか。東京都知事の桝添さんが怒るようなもんだ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きている時間は現在しか無い。だから、いま、最高の生き方をしていれば、過去も全部良かったことになる」という芳村思風さんの言葉から。最高の一日、最高の一日を連続していったら、それを繋げてできあがった過去は、最高のものになることになる。板画家の棟方志功も、「一大事とは、今、ここのことにて候」と、生きている時間は、いま現在しかないと言った。だから、いま、自分が最高の生き方をしていれば過去も全部よかったということになるというのである。なんか、うまく、言いくるめられているような気もしないではないが、ひとまず、そういうことにしておきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えればいいね。


台風の 過ぎて一人を もてあます

2015年07月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 丸亀地方は、台風第11号が中国地方をゆっくり北上するため、小雨が降ったり止んだりを繰り返していた。気温は23度から26度、湿度は88%から81%、降雨量は17mm/hから3mm/h、風は9mから3mの南西の風が吹き荒れていた。明日の18日は、日本海を北上する台風第11号や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、朝まで雨の降る所があるらしい。

 

 昨夜は台風の進路を見守っていたこともあってか、それとも、雨戸を厳重に閉めて寝たからか、目が覚めたのはなんと、午前7時半過ぎだった・・・。いつもは、午前5時過ぎには起きてしまう毎日なのに・・・。

 

 普通ならば、「台風一過」ということでさわやかな朝になっている筈なのに、今日は終日、風雨が止むことはなかった。明日もまだ、こんな天気が続くのだという。

 

 で、自治会長さんとの懇談の中で、8月1日の中学生相手の講演会の中身について確認したのだけれど、日時が8月1日(土曜日)の午後1時からで、場所は香川旅館のお部屋。お話する相手は中学生20名を含む25名。そこまでは決まっているのだけれど、時間とか内容は全てお任せ・・・と云われても・・・。

 

 英国士官レキのお話が優先なのか咸臨丸のお話が優先なのか、それらをひっくるめてお話するものなのか・・・。中学生相手に二時間のお話は飽きるだろうに・・・。お話の概要が決められない・・・。

 

 お昼過ぎには台風は過ぎてしまったのに、雨は降るし、風だって強い。遊びにいきたし傘はなし。ヘタに出かけて事故や遭難には会いたくないし。

 

 わが家のプライベートビーチは静かになったし、浮遊物は見えないけれど、少し先の海面は山からの濁流で濁っている。

 

 天候が悪いので海面がはっきりしないけれど、茶色い山からの濁流が流れ込んでいるし、堤防上には浮遊物がいっぱい・・・・。

 

 わが家のマイボート、「あかつきⅡ」もなんともない様子。明日の午前中に係留ロープを外したら帰れるのだけれど、明日の朝の天候も悪そう・・・。

 

 島の西側に回ると風はまだまだ残っていて、激しい波飛沫が岩に打ち付けている。

 

 海面には白波が立っている。この波を、このあたりでは「しろうまが飛ぶ」と云うのだけれど、関東の人たちは太平洋を見慣れているので、「野ウサギが跳ぶ」とか「うさぎが飛ぶ」なんぞと云うのである。

 

 午後からは7月31日の講演会用のスライドのチェック。ストップ・ウォッチを片手に時間を計りながらのチェックである。こういうことは、わが家ではなかなかできにくい。途中で郵便屋さんが来たり、来客があったり、犬が吠えたり、奥方が「なんか言った??」などと雑音が入るからである。ここだと、まる一日練習しても誰も何も言わないから安心なのである。

 

 概ね、35分ほどでのお話にまとまりそうである。ただ、最後の締めが少し甘いから、そこはなんとか考えないと・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「不安がない人生は楽しいかもしれません。しかし、不安があるから喜びも大きくなる」という長倉洋海さんの言葉からである。1952年、北海道釧路市生まれ。京都での大学生時代は探検部に所属し、手製筏による日本海漂流やアフガン遊牧民接触などの探検行をする。1980年、勤めていた通信社を辞め、フリーの写真家となる。以降、世界の紛争地を精力的に取材する。中でも,アフガニスタン抵抗運動の指導者マスードやエルサルバドルの難民キャンプの少女へスースを長いスパンで撮影し続ける。戦争の表層よりも、そこに生きる人間そのものを捉えようとするカメラアイは写真集「マスード 愛しの大地アフガン」「獅子よ瞑れ」や「サルバドル 救世主の国」「ヘスースとフランシスコ エルサルバドル内戦を生き抜いて」などに結実し、第12回土門拳賞、日本写真協会年度賞、講談社出版文化賞などを受賞した。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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