まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

山桜 こころのひだを 知らされる

2014年03月31日 | ふるさと散歩

さぬき市地方は高気圧に概ね覆われて晴れていたが、午後からは曇ってきた。気温は11度から18度、湿度は76%から44%。風は5mから2mの西北西の風だった。本日、松気象台が松のサクラ(ソメイヨシノ)が満開になったと発表した。平年よりか5日早く、昨年より1日遅いということだ。明日の4月1日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 ということで、ここにやってきた。東かがわ市丹生(にぶ)という所にある「小砂(こざれ)説教所跡」。この二十七段余の石段を登り切ると広場に出る。ここが「小砂(こざれ)説教所跡」で、この地区の真宗の道場であり、昔の集会所であった。ここが、今では「正真講本部」となっていて、庄松同行の情報発信源ともなっている。ここのサクラは六分咲きほどだろうか。

 

 庄松(しょうま、寛政11年(1799) - 明治4年(1871)3月4日)は、浄土真宗の信仰に生きた市井の人で、その言行から妙好人として有名である。讃岐の庄松と呼ばれることが多い。妙好人庄松同行は、鈴木大拙によって世に紹介された。大拙は「浄土系信者の中で特に信仰に厚く徳行に富んでいる」(『日本的霊性』)と、庄松の言行を評価し、以後、現代に至るまで浄土真宗の門徒を中心に広く知られている。

 

 庄松は、讃岐国大内郡土居村(現 香川県東かがわ市土居)の、谷口清七の子として生まれた。小作農の家であったので貧しく、縄ないや草履づくりなどをし、その間にも子守や寺男としても働いていたと伝えられる。生涯独身を通し、僅かな田畑を耕して生涯を終えた。庄松の性格は直情径行であったので、さまざまな苦悩があったようであるが、檀那寺である三本松の勝覚寺住職の融海がわが子のように可愛がったり、役僧の周天によって導かれて、次第にその信仰を深めていったといわれる。

 

 檀那寺である勝覚寺の住職融海和上は学徳優れた僧で、寺男としての庄松を時にはわが子のように可愛がっていた。檀家の仏事には寺から檀家に着くまでの道中、三部経典を口ずさんでいく住職の後にお経や衣を包んだ荷物をかついで歩く庄松にとってはこよなくありがたい仏縁の場であったに違いない。庄松の正しい信心へのめざめは、直接的には寺の役僧周天によって導かれたものであったが、こうした自然に織りなされた強縁によって、み仏にまかせきった任運自適の人生の大道を歩む庄松が生まれたのであった。

 

 迷犬ごんのドッグ・フードが残り少なくなったので・・とホームセンターに寄ったが、消費税アップ前の駆け込み需要というのか、まとめ買いというのか、カートに山盛りのトイレットペーパーやら飲料水やらの行列・・・。こりゃぁ、だめだ・・と諦めた。私は気が短いから行列するのは願い下げ。全く、運の悪い日に来たものだ。

 

 では、ここのサクラはどのくらい咲いているかなぁとやって来たのはさぬき市長尾東にある「亀鶴(きかく)公園」。亀鶴公園は東讃地域(香川県東部地域)の名勝としても知られており、「宇佐神社」と「宮池」を中心にして面積18.98ヘクタールに及ぶ公園だ。 公園の西方には鶴が飛ぶ姿に見える「鶴ガ山」があり、池に浮かぶ「亀島」が亀に見えることから、「亀鶴公園」と名付けられた。 また公園周辺の丘陵地を含めると面積約33ヘクタールにも及ぶ。

 

 敷地には「さくら並木」や「ハナショウブ園」をはじめ、300本を超える樹木が確認された自然林が豊かな「亀島」などがある。東讃地方きっての桜の名所で、とくに亀島側と宇佐神社側を結ぶ堤参道は幅20m、長さ300mに渡り、両側にサクラ(ソメイヨシノ)約300本が植樹されており、大勢の花見客で賑わうところとなっている。 とりわけ花の季節には亀島側と長尾総合公園を結ぶ「さくら橋」がライトアップされたり、噴水が稼働する。

 

 少し前までは、ここでゴサや食器なども貸し出して花見の宴が盛大に行われていたが、最近はそういう話を聞かなくなった。最近はみんな、マイカーなどに積み込んでやって来る人が多くなったせいかも知れない。それだし、少し前のように盛大に「花見の宴」をするスタイルが減ったように思う。

 

 午後からは、またも集落内一周の一時間コースの散歩をしてきた。今日はさすがに汗が流れたほどに気温が上がったように思った。すっかりと初夏のような雰囲気だった。

 

 最近、おうどんが出て来ないとご不審の方もいるかも知れないが、確かにおうどんを食べたくないというか、食欲がないというか・・・。朝ご飯は食べるようになって、ついつい、おうどんはどうでもよくなって。また、来週あたりには気分が変わるのかも知れないのだが・・・。

 

 ということで、昨日に引き続いて、「妙好人めぐりの旅」を読み終えてファイル化が終わった。パワーポイントでの法話の話題に、「小林一茶」「良寛さん」「林芙美子」が加わるのはおもしろいかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間の一生って短いもんですよ。だからこそ自分で選んだ道は一途に進め」という、落語家・桂歌丸さんの言葉。私も65年間生きてきて、あたりを見回すと・・・年長者が少なくなった。親戚筋あたりではわたしよか上の人は片手で足りるようになった。本当に、人間の一生って短いもので、私だって、明日にはどうにかなるのかも知れない。「だからこそ、自分で選んだ道は一途に進め」と、言われる言葉だし、そうであらねばと思いつつ・・思いつつ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春雨に 小林一茶を 読んでいる

2014年03月30日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は前線を伴った低気圧の影響で雲が広がり、雨が降ったり止んだり強い風が吹いたりと落ち着かない天候になった。気温は14度から20度、湿度は95%から44%。風は1mから7mの西北西の風が吹いたりやんだり・・・。明日の31日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 昨日はしっかりと歩いたものだから、今日は犬の散歩に行っただけで、デスクワーク三昧になった。昼前には空も明るくなったので少しだけ散歩に行ったが、またしても小雨が降ってきて、大急ぎで戻って来てしまった。

 

 我が家のチューリップも小振りながらどうにか花が咲くようになった。いよいよ来週からは四月になる。四月になるからと云ってうきうきするような出来事は待っていそうにはない。

 

 昨日の続きで「妙好人の旅」という本を読んでいた。三河のお園さんは御殿医の奥方になった人というから苦労も人一倍あって、これまた地獄をかいま見た人生を過ごした人。その後に、これまで「妙好人伝」には出て来なかった人が並んでいる。

 

 それが小林一茶に良寛さん、そして林芙美子。妙好人と云うのは真宗の篤信者で、信心の喜びと絶妙さに触れた人をたたえた言葉である。その意味では学問の有無、知識、教養人の区別はなく、仏の慈悲に会うことを喜んだり、お念仏を喜んだりする信心の人びとである。そして、江戸時代末期から明治の初めごろに選ばれた人たちだった。

 

 子供らとマリで遊んだ良寛さんは十八歳の時、曹洞宗の光照寺で出家した。その後、転々として、良寛さんの墓は浄土真宗本願寺派隆泉寺(新潟県長岡市=旧三島郡和島村)にあって、銅像もある。この隆泉寺の総代・木村家と良寛さんは縁が深かった。木村家の一室を借り、貞心尼らと歌会をしていた。六十九歳ごろから周囲の人のすすめで木村家に移り住んだという。老いてゆく良寛さんはおそらく一人暮らしが厳しくなったのであろう。ここが良寛さんの終のすみかとなった。しかしのかかし、お坊さんが「妙好人」というのはこれまで聞いたことがない。

 

 長野県上水内郡信濃町相原という地には、幾多の苦難に遭遇しながら阿弥陀仏にすべてを任せたような境涯を送った俳人がいた。それが小林一茶だった。一茶晩年の旬に「弥陀仏のみやげに年を拾うかな」や「ともかくもあなた任せの年の暮れ」がある。この旬には、一茶の弥陀の本願に任せつつ生きた念仏者の法楽的生き方を感じられる。「涼しさや弥陀成仏のこのかたに」などは親鸞聖人の和讃の一部だという。一茶の菩提寺は相原の明専寺にあって、浄土真宗本願寺派のお寺だそうだ。

 

 でも、小林一茶が「妙好人」」だった・・・というのは初耳だった。

 

 さて、昨日の歯の痛みは肩こりと同様に嘘のように消えていた。やはり、睡眠こそが妙薬なのかも知れない。昨夜も食べ放題、飲み放題でBS放送なんぞを楽しんで、ぐっすりと寝てしまって、夜中に一回も起きることなく朝を迎えた。眼が覚めたのも七時を大きく回っていた。まさに「春眠あかつきを覚えず」という気分だった。

 

 さて、数年来の「英国士官レキの墓研究」も一段落して、今年の梅雨時に資料を整理して論文にまとめて仕上げたら、これで一件落着にしたい。これ以上の資料が出てくるとも思えない。その後が問題だ。何の勉強をするのか、何の調査をやるのか、何の研究を始めるのか・・・。

 

 「四国遍路の影の部分」については継続してゆきたいのだが、「四国遍路と真宗門徒」というのもおもしろいかな・・・とも思ったり。でも、塩飽諸島での何かを忘れてもいけないし・・・。

 

 ま、とりあえずは、本山へ提出する課題レポートの仕上げと送付が先決問題。四月中旬には片付けてしまいところ。それが終われば五月いっぱいまでは自由研究のし放題。何をやるかが問題だけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんな小さい花でもいい 誰のものでもない独自の花を咲かせることだ」というもの。これは、坂村真民さんの「悟り」という詩の中にあることば。「悟りとは 自分の花を咲かせることだ どんな小さい花でもいい 誰のものでもない 独自の花を咲かせることだ」ということばから。

 

 坂村真民さんは熊本県荒尾生まれ。8歳で父を失った。神宮皇學館を卒業後、25歳で朝鮮に赴いて教職についた。36歳で終戦。帰国後、愛媛県で高校教師をつとめ、65歳で新田高校を退職。以後、詩作に専念した。四国に移住後、一遍上人の信仰に随順し、仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。41歳で個人詩誌「ペルソナ」創刊。1937年、53歳月刊個人詩誌「詩国」を創刊、森信三と出会った。71歳のとき、正力松太郎賞。80歳のとき、NHK「念ずれば花ひらく」が放映された。95歳のとき、「詩国」500号にて終刊。2006年、96歳にて往生した。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


生まれても 散っても無常 藪つばき

2014年03月29日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていた。夜には雨が降るらしい。気温は9度から20度、湿度は78%から56%。風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の30日は、前線を伴った低気圧が四国付近を通過するため、昼前にかけて雨が降り、雷を伴う所がある見込みとか。

 

 昨夜、体重計に乗ったらば、65Kgになっていたので、今日も調子に乗って、またも歩くことにした。

 

 我が家から北に進んで、道の駅みろくやみろく自然公園を歩いてから、今度は南に下って我が家に戻るという8Kmコース。これはすこしばかり足の裏が痛くなった。

 

 みろく自然公園の桜は五分咲き程度、日当たりがいいのかも知れない。さっそくにお弁当持参でお花見をやっている家族連れが何組か。気が早いことだ。

 

 あいにくとお天気は悪いが寒くもないし、暑くもないし。女性陣は日焼けの心配もない。

 

 ここには、こんな椿もあった。我が町の花は「サザンカ」だと思ったが、ここにはさまざまな椿が植えられている。

 

 公園の花は少しばかり気が早いのかもしれない。肥やしがよく効いているのだろうか。

 

 昨日のダム周回コースの後だから、今日はすこしばかり足が重い。途中で休みながらの散歩になった。しかしのかかし、最近の気温の上昇で一気にあちらこちらでいろんな花が咲き始めてきた。

 

 春一番と呼ばれる「レンギョウ」もこれこの通り。昨日、重いデジタル一眼を左肩にかついで歩いたからか、お勉強のしすぎなのか、今朝は左肩が痛くて、虫歯なのか下の歯が一本痛くて痛くて・・・。だから、今日はデジイチはお休み。肩を大きく回しながらの散歩になった。

 

 赤芽吹き・・・。木々の若芽も伸び出してきた。すっかりと春になった。

 

 今日も明日も奥方は帰らないという。奥方は「介護サービス」のお仕事なんだが、「介護」にもいろんなお仕事があって、奥方は「食事」の担当のようで、家政婦のようだけれど家政婦ではないという。そのお仕事が一日に三軒ほど、その前後に娘の家で三食の食事・・・。「飯炊きばあさんだわ・・・」と、言いつつ、今日は「お芝居見物」も入っているとのこと。

 

 今日は、こういう本を読んでいた。「六連島のお軽さん」、「讃岐の庄松さん」、「浅原才市さん」、「有福の善太郎さん」まで読んだ。みんな苦労の中から阿弥陀さんにすがっていたんだなぁと、改めて観じた。今の人は、そんな苦労が少ないから信仰心も薄くなるのかなぁと思った。この世の地獄みたいな生活の中から掴んだ信仰なんだなぁとしみじみ・・・。

 

 この人、浅原才市さん。この銅像を見て、「この人は、何歳からツノが生えたんですか?」と質問する観光気分のおまいりの人が来るらしい。邪険の角、妄念、怒りのツノである。

 

 我が家の周りでも、そろりそろりとタラの芽が伸び出してきた。来週あたりには食べられるようになっているだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「弱いから強くなれる 持っていないから何でも持てる」と言う「城(じょう)たいが」さんの言葉。パワーが弱いから力がたまる。何もないから何でも入る。バッグいっぱいの荷物には、それ以上は入らないが、空っぽの袋ならいくらでも入る。乾いた砂が水を吸い込むように、乾いたこころには何でも入る。いつもこころをからっぽにしていたいものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


咲いてきた サクラの土手を 何度でも

2014年03月28日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は6度から20度、湿度は88%から52%。風は1mから3mの東の風。まるで初夏のような気候になったが、明日の29日は、気圧の谷の接近で雲が広がり、夜は雨となる見込なのであるらしい・・・。

 

 こういう日には散歩だな・・・と言うことで、我が家の上流にある県営大川ダム周回2時間コースを歩いてみた。と言うのも、先日(3/24)の予約診察で、体重が70Kgにもなっていたのでびっくり仰天。私の体重最高値。我が家で計ったら・・・66Kgしかなかったのだけれど。たぶん、携帯電話とか冬物の重い服とか硬貨ばかりのお財布がはいっていたせいかもしれない。

 

 青い②の横から下(南)に下がって、大川ダムを一周して、さらに北上して、鮎帰り橋から引き返して我が家に戻るという2時間コース。9時半に我が家を出て、戻って来たのは11時半だった。

 

 こういう階段を昇ってダムの堰堤上に登る。つまり、ダムの下部から上端部への階段というわけだ。この階段に限って、「立ち入り禁止」とか鎖とかがなくて、自由に登ることができる。

 

 そこから先は「保守用道路」ということで、こういう舗装された道路があって、一部、土砂崩れとか竹が倒れていたりするが、歩く分には問題ない。軽トラ以上はおそらく無理かも。

 

 時期的に、こういう「ヘラブナ釣り」のおじさんたちがいる。釣れるのかどうかは知らない。見ている間に魚は釣れなかったが、じっと我慢の釣り人だった。私なら、イライラして30分でやめてしまうことだろう・・・。

 

 そうそう、散歩の間にこんなものを見つけた。「山つつじ」というものだろう。「あ、つつじだ・・・」と思った。この・・・紫色がたまらない・・・。それに、萌え出たばかりのあざやかな黄緑いろの若芽。

 

 なんだかんだのと言いながら、植物たちはけなげだ。ちゃんと、時期を見極めて、自分の仕事をきちんとこなしている。サボっているのは私たち人間だけだ・・・。

 

 我が家のチューリップがようやくに咲いた。咲いたがとても小さい。10センチ、あるかないかのミニサイズ。聞けば、チューリップは花を咲かせるたんびに小さくなるのだとか。オランダあたりでは花を咲かせずに球根だけを太らせて出荷するのだとか・・・。へぇ~、そういうものなのか。

 

 自然界にあって、自然の中で育つものはしっかりと大きく育ってゆくものなのに・・・。人工的に育てられたものは、それ以上には大きくなれないというか、体力がないのかも知れないな。

 

 この子たちはたくましい。つい先日まで子猫みたいにおかあさんの背中に乗っていたのに、今ではすっかりと大きくなって我が物顔でふんぞり返っている。コンビニも食堂もないのに、よくそれだけ大きく育つものだ。人間の若者に講演会でもやってもらいたいものだ。

 

 先日の自治会総会で、「資源ゴミ回収置き場のネットが破れている」と指摘されたので、このネットを張り替えることにした。プラスチックゴミの日は、カラスとかネコとかサルとかがゴミを荒らすので、私がこのカバーを作ったのだが、8年もすれば、網戸を張り替えたゴミ用のネットを活用しているのだけれど、いかんせん、年月が過ぎれば壊れてしまう。

 

 私が作ったものだからと、右半分の網戸を張り替えておいた。当分、これで役立つことだろうと思う。お金を出せばいくらでもいいものはある。安い防護用の網もある。でも、限界集落に近い小さな集落なのだから、できることからこつこつと・・・。

 

 今日も我が家は「独居老人」。自由で気楽な「華金」。「飲み放題」の「食べ放題」の夜が来る。

 

 今日の掲示板はこれ。「冬があり夏があり 昼と夜があり 晴れた日と雨があって 一つの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私が私になってゆく」という、星野富弘さんの言葉。桜の木は花が咲いてこそ桜らしくなるものだが、それには桜にふさわしいだけの雨や厳しい冬が必要だという。私たちの人生にも、私が私らしくなるために春を待ちながら耐える冬があるのだと思う。一輪の小さな花が咲くために、昼と夜が必要なように、寒さも暖かさも必要なように、自然は時を定め、良き計らいを立てて、私たちの人生に必要なすべてを備えてくださっているのである。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ゆきやなぎ 今日もあたふた 日が暮れる

2014年03月27日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は瀬戸内側では寒気の影響で雲の広がっていたが、夕方からは高気圧に覆われて概ね晴れている。気温は15度から17度。湿度は93%から57%。風は2mから5mの北西の風が吹いていた。明日の28日は、高気圧に覆われて晴れる見込みだし、気温も上がって五月並みのあたたかさになるらしい。ところが週末は雨になるのだとか。

 

 三月も残り少なくなってきたので、提出用のレポートの清書をやってみた。原稿は早くにネットで調べたことなどをファイルにしてあったのだが、なぜだか「市販の原稿用紙」とか、指定された用紙でも提出になる。そこで、市販の原稿用紙に鉛筆で清書をするもの。

 

 で、五本のレポートの内の三本を片づけた。あとは、法話用の原稿で10分ものが二本。これも、原稿はできているのだが、どういうお話にまとめるのはこれから・・・。四月末の提出だからじっくりと構成のしなおしも・・・。

 

 で、近くのダムの桜の花を見てきた。気象台では、標本木に5輪以上咲いていれば「開花」を宣言するらしいので、数えてみたら、どの木にも7輪から10輪ほど咲いている。ここでも開花だなぁと思ったが、こんなところで「開花宣言」してみても全く意味はない。それに数輪では咲いたとは全く思えない。

 

 昨夜、自治会の総会が行われて会計報告だの役員改選が行われた。世の中は「年度替わり」なんだなぁと思った。会社とか学校とかでは、3月31日でお仕事や会計が終わって、4月1日で新しいお仕事が始まって、お財布が新しくなる。我が家では全く、関係がないことだけれど。

 

 気分転換で東かがわ市松原に行ってきた。ここでなければいけないと云うことでは全くない。ただ単にここに寄った・・・というだけ。「手打ち陣内うどん」と書いてあるのだろうか。ここは一般店。

 

 店に入って、空いている席に座って待っていればおねえさんが注文を聞きに来る。そこで好きなメニューを言えばいい。しばらく待たされるが、席までおうどんを運んで来てくれる。その分、人件費がかかるからか、少しばかりお値段が高い。

 

 今日は「野菜うどん」というものを注文した。決して「八宝菜」ではない。これで490円だったか・・。ま、野菜も煮込んであるので食べやすかった。

 

 話はコロコロと変わって申し訳ないのだが、火曜日から金曜日まで、奥方のけいこばぁがいない。孫のお守りのために屋島に行っているのだが、昨夜のことだ。夜中の2時過ぎに、「バタン・バタン」と云う音がする。この家には私一人しかいないのに・・・。

 

 しかしのかかし、我が家はほとんどが引き戸。なんで、バタン~バターンと云うんだろ・・。眠気も吹っ飛んで、木刀を構えて・・・そろり・そろりと廊下を行けば・・・。

 

 なんだ、なんだ・・・。トイレのドアが風で揺れていただけだった。トイレの窓は換気のために半開き。昨夜は風が強かったみたい・・・。おかげで今日は少しばかりまぶたが重い。

 

 我が家の梅の花はほとんどが散ってしまった。昨夜の風と雨の影響みたい。でも、花びらは用事が終われば散るのであって、子孫を残すまでは決して散らない。桜の花だって同じようなものだ。「花に嵐の例えもあるさ さよならだけが人生だ」などというけれど、役目の終わった花びらは散って行くしかないものだ。

 

 木瓜(ぼけ)の花も今が盛り。あの異常な赤さも、虫たちを呼び集める精一杯のお化粧なんだなぁと思いながらシャッターを押したことだった。

 

今日の掲示板はこれ。「衆生の一切の苦しみのもとは欲と怒りにある」という「蓬茨 祖運(ほうし そうん)」さんの言葉。私たちの苦しみの根源は、「どうにかしたい」と言う欲望と、「どうにもならなかった」という怒りであった。私たちはそれを止めることができない。だから、私たちは苦しみ続けねばならないのである。私たちは生きている以上、欲と怒りをこの胸に抱きながら、苦しみ続けて行く生き物なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


紫木蓮 別れの時期を 編み上げる

2014年03月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨が降っている。気温は11度から15度、湿度は98%から86%。風は1mから2mの南風が少し。今日、松の栗林公園でヨメイヨシノが開花したらしい。平年より2日早く、昨年より4日遅いとのこと。明日の27日は、気圧の谷や寒気の影響で朝にかけて雲が広がり、明け方まで雨の降る所があるが、昼前からは高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 雨では仕方がないと、今日は香川県立図書館に行ってきた。この前に借りた写真集の返却のためだった。

 

 開館直後と雨天ということもあって、駐車場は空いていたし、館内も静けさそのものだった。

 

 最近、目がかすむようで、じっくりと本を読もうという気力も萎えてきたように思うし、当面、やらねばならないような勉強もないので、どの本を開いても読もうという気力が湧いてこない。

 

 結局の薬局で、思いつくまま手にした本を借りてきたが、何度も借りている本ばかりだった。中を開いてパラパラとページを繰っていたら、読んだことのある話ばかりだった。

 

 お昼前には雨も上がって太陽が輝きだした。そのまま、晴れるのかなぁと思ったが、そうは問屋がおろさない。で、今日のお昼はここになった。お昼と云うてもまだ、10時半なんだけれど。

 

 ここは、「手織りうどん滝音」というプチセルフのお店で、お昼前になると道路にまで車があふれ出すようになる。だから少し早めが落ち着いて食べられる。

 

 で、今日はこれ。「肉ぶっかけうどん温いので小」。これで370円。安くて早くてうまい。

 

 我が家に戻ったら、やっぱり雨・・・。ハクモクレンが一気に開花しはじめてきた。

 

 雨に濡れたサンシュユはすっかりと春めいて見える。そうそう、島の浄化槽だが、管理業者さんに連絡したら、4月上旬に「高圧洗浄車」を持ち込んで強制高圧洗浄をしてくれることになった。ただ、市道の下で配水管が裂けていたりすると、市道を破壊する恐れがあるとか・・。ぜひとも立ち会いたいのだけれど・・・。

 

 雨は降ったりやんだりしているものだから、その合間に集落内一周の1時間コースの散歩をしてきた。パソコンをやっていると目が乾いて痛いし、左手の指先がしびれてくるし・・。だからと云って、歩いてばかりもいられないのだけれど。

 

 松の栗林公園ではサクラが開花したそうだが、我が家近くの大川ダムではまだまだ。この週末にはちらほらと開花するかもしれない。我が家での「花見の会」は再来週の4月6日だそうだ。

 

 孫たちが春休みになったからということで、けいこばぁは屋島のおうちに泊まり込み。おかげで、昨日・今日・明日と、私は山の家でお留守番。聞こえはいいが、「独居老人」である。犬がいるのと、今日は自治会の総会。役員改選の時期になっている。明日は空き瓶の回収日。ということで、私は家を明けられない。

 

 今日の掲示板はこれ。「地獄も極楽も その舌がつくる」という、荒了寛さんの言葉。口に関する「ことわざ」が頭の中に二つ浮かんできた。「口は禍の門(口は災いの元)」は、「不用意に発した言葉がよくない結果をまねく事態に・・・」。「口八丁手八丁」は、「すべてが達者」とか「要領が良い人(世渡り上手)」とかの意味。そうそう、「口の右側に+(プラス)と-(マイナス)」を書くと、【吐く】と云う漢字になる。人間の口からは、悪口や弱音だったり-(マイナス)になる言葉が出てくる。反対に、人を褒めたり相手を思いやることで+(プラス)の言葉が自然に出る。 何気ない言葉のやり取りで、そんなつもりが無くても相手の機嫌を損ねたり、言わなくてもいい嫌味を言ったことで気になってしまい気分が落ち込んだり心配したり・・・。相手あっての会話。相手の事も考えて自己満足なしゃべりにならないよう心掛けたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


毎日が 生きる命の 野辺の花

2014年03月25日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていて、夜遅くには雨が降る予報。気温は10度から20度、湿度は78%から46%。風は1mから2mの北北東の風。今日は暖房は全くいらなかった。明日の26日は、西日本を通過する前線の影響で夕方にかけて雨が降り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけては雷を伴う所がある見込みとか。

 

 我が家の庭のハクモクレンも一斉に花を開き始めた。いよいよ春本番みたいだけれど・・・。

 

 と云うことで、今日は少し足を伸ばしての散歩になった。同じ町内なんだけれど、北に向かって進んで町境の山に登ってきた。

 

 さぬき市大川町富田東という所に、真言宗の西教寺というお寺がある。そこまでがおよそ4キロ、その途中にこんなものがある。

 

 西教寺より下方左側には、西教寺六面石憧(せきどう)が有る。『県指定有形文化財:昭和51年6月29日指定・二基』で、石憧は笠(屋根)や憧身(屋根から下の部位)が六面或いは八面をした石造物で、供養や経塚の標識として造立されている。西教寺六面石憧は、南北朝時代の代表作で、凝灰岩が用いられている。石憧は東西に二基並んでいて、『讃岐名勝図絵』には、この付近に西教寺山門が有った事が記述されている。東塔=憧身は高さ約1.4m幅約42cm一面の幅は約28cmで正六角形で、一面に「永和2年3月24日(1376年)と刻まれている。

 

 近くの民家にはミモザの花が咲き誇っている。さすがに、このあたりまで来ると休みながらの散歩になる。

 

 こういう登山道をおっちらおっちらと登って行く。今日は暑いくらいになってきて汗が流れ始める。だから、木陰で一休み・二休みしながら登って行く。

 

 西教寺から800m位登った火山の中腹に「穴薬師」(梅が谷)がある。堂内には高さ約90cm薄肉彫りの磨崖仏厄除薬師如来像が岩崖内の壁面に刻まれている。薬師如来像の右側には、高さ約1mの十二神将一体が厚肉彫りで刻まれ、その他に浮き彫り線刻等の手法による小像や丸彫りの像が安置されている。

 

 堂外の岩壁には、頭部の長さ約70cm、胸部までを肉厚彫りにした半身の巨大な薬師如来像磨崖仏がある。『西教寺の磨崖仏 「彫刻」大川町指定文化財(現さぬき市)(昭和43年5月1日指定)』伝空海作。 更に、この像の上方約50mの所に、線刻の近い薄肉彫りによる高さ90cmとその両脇に高さ約50cmの不動明王の像がある

  

 さらに150mほど進むと、こんな水たまりがある。これを「鬢盥:びんたらい」と云う。その昔、土佐の長宗我部軍が雨滝城を攻めた時、戦い終わった兵士たちがここで髪を洗ったという伝説が残っている。山の頂上に、こんな水たまりがあるのも不思議なことだ。

 

 そこから降りてユーターン。今度はみろく自然公園に向かうのだが、その途中で昼食。

 

 今日はさぬき市大川町富田中にある「杉本うどん」に寄ってみた。おなじみのプチセルフのお店だ。

 

 で、今日は「かけうどん小180円+揚げ100円で280円。それだけ歩くと(約7Km)、さすがにおいしいと思った。ここからまた、3Kmほど歩いて我が家に戻った。少しは体重が減っただろうと思うのだけれど・・。

 

 今日の掲示板はこれ。。「生きることに満足せずして何に満足するのか」というもの。人間の根本的なことは「生きる」ということ。それには「食べる」ということが必要になり、「生き抜く」という力が求められ、そこから更に「学習」だの「経済」だの「文化」だの」「宗教」だのが求められる。この地上にあるすべての生き物は、「生きる」と言うことに「満足しなくては」次のステップが踏み出せない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


野に里に 黄色の春が 目を覚ます

2014年03月24日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は5度から18度、湿度は71%から42%。風は2mから3mの南風が少し。明日の25日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前からは雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝の犬の散歩でもすっかりと春の光の中で気持ち良く歩くことができた。もう、すっかりと春になったなぁと思った。朝方は5度と少しばかり気温は低かったが、空気が暖かく感じたし、太陽の光が全く違ってきたなぁと実感した。

 

 で、今日は月に一度の予約診察日。ま、一応、薬を処方してもうために行くようなもので、どこがどうだから行くというようなものではない。本当はしばらく休んでもいいようなものだが、もし、何かあったときにドクターに叱られそうな気がするし・・・。

 

 今日は血液検査と胸部X線検査が予定されていた。先月に肺に水が貯まっている・・というので、今月も肺の検査だったが、どうもないと云うので一安心。最近、妙な咳やタンが出るもので、「肺結核かなぁ・・」と思っていたのだけれど。しかしのかかし、肺に水が貯まるって、それって大変なことだと思うのだけれど。

 

 でもまぁ、何度も経験してるのだけれど、レントゲン写真で肺の状態を見ると、肺の半分から下が白くなっていたりする。これが「水が貯まっている」というのらしい。これが肺全体に広がると「心不全」になって危なくなる。そういうのは何度か経験したが、でも、肺に異物が入ったりすると死亡するとよく聞く話なんだけれど・・・。食べ物が喉に詰まっただけでも大騒ぎになるのに・・・。

 

 ものはついでだからと、東かがわ市の白鳥(しろとり)という地区の「湊川(みなとがわ」という川の堤防に「河津桜」が80本近く植えてあるのを見てきた。これが満開状態を少し過ぎたところ。もう、先の方は緑の葉っぱが出始めている。それに花びらの先が弱ってきている。

 

 今日は十数人の人が携帯電話をかざしたり、カメラを向けたり、車の中でお食事をしている人たちもいたし・・・。あさってあたりの雨で散るのかも知れない・・・。

 

 さて、これからどこへ行こうか・・と考えながら走ったのだが、とりたてて行きたい所もないし、見たい場所もない。そこで目に着いたここに入った。さぬき市津田という町にある「道の駅・津田の松原」。その構内にある「松原うどん」というプチセルフのお店。

 

 で、ここのお勧めだという「肉うどん小」をお願いした。400円。ま、一般店のようにおいしくはないが、早くて安くてうまい・・・という、おうどんである。肉もたっぷりと入っていて、そう、硬くはない。

 

 その後、我が家の上流にある県営大川ダムに寄ってみた。ここには桜の木がたくさん植えてあって、昔は「花見の宴」で流行ったところ。一時はカラオケに発電機でバーベキューを食べながらということでにぎやかにやったものだが、最近はそういうものは姿を消した。

 

 ようやく先端が色づいてきて開花の準備が始まっている。この週末が楽しみだ。しかしのかかし、「サクラ」「さくら」と、桜の開花が話題になるけれど、「桃の花」とか「梅の花」などは少しも話題にならないし、「桃の開花宣言」なんてものは相手にもされないのはなんでだろ。サクラばかりがもてはやされて、花が散るだけでも話題になったりする。

 

 午後からは集落内の1時間コースの散歩をしながら地元の春を探してきた。さすがに今日は汗が流れた・・・。もう、初夏のような気温になった。

 

 田んぼの畦にはたんぽぽが花を咲かせているし、雑草も緑の葉っぱを出してきた。

 

 農家の畑ではキンセンカが花を咲かせている。自然たちはいつも真剣で真面目だ。時期がきたら律儀に花を咲かせ、実を付けて子孫を残して命をつないでゆく。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日というのは残りの人生の最初の日」というもの。英語では Today is the first day of the rest of your life. と云うらしい。映画「アメリカン・ビューティー」でも使われた言葉で、米国の薬物中毒患者救済機関の設立者、チャールズ・ディードリッヒの言葉である。

 人は常に死に向かって生きていて、人生の残りは減っていく一方で増えることは決してない。それでも、その残りいくばくか、自分自身には知る術のない残りの時間だったとしても、今日という日がそのスタートなのだ。どれくらい生きられるかわからないと嘆くよりも、今日からすべてが新しく始まるんだと思って生きて行く言葉だ。

 辛いことがあったとき、苦しいことがあったとき、もう、そこですべてが終わってしまったような気持ちで落ち込んでしまう人が多いのも事実。気持ちの切り替えなんてそう簡単にできるものではない。しかしのかかし、今日は昨日とは違う一日で、最初の一日であるということが頭にあるだけで、気持ちを明るく持っていられる気がするものだ。いつまでもくよくよしてはいられない。残りを精一杯、できれば楽しく過ごしたいと、この言葉は気付かせてくれるのではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


片付けは もう少し先 彼岸過ぎ

2014年03月23日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3度から20度、湿度は76%から35%。風は1mから3mの北北西の風が・・・。全くの春の天候になってきた。明日の24日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷が接近するために夜は雲が広がる見込みらしい。

 

 朝方は気温も低く、風も冷たく感じられたけれど日差しはまさに春の陽光うららか・・・。そこで、今日の散歩は北方面の1時間コースになった。たまには見慣れた光景から違った風景にも出会わないと・・・。

 

 我が家から北に進んで鮎帰(あゆかえり)を経て松尾小学校を過ぎて県道まで出て・・・。みろく自然公園経由で戻って来るというコース。散歩するにはいい時候になった。

 

 小鳥の声もにぎやかになったし、ウグイスの声も上手になった。だんだんと花をつける植物も増えてきた。

 

 10時過ぎに我が家に戻ってきて、それから二階のバルコニーに布団を干した。前回は私のお布団だけを干して、奥方に叱られたもので、今日は奥方の布団も干しておいた。「当たり前でしょ!」と云われてしまった・・・。

 

 今日もお客さんが来るかも知れないということで自宅待機になった。でも、母がいなくなってからは、来客もすっかりと減った。だから、この三連休はどこにも出掛けずに居た・・・という、おもしろくない三連休になった。

 

 と云うことで、今日も論文の修正や追加、レポートの推敲やら確認作業・・・。今日もドライ・アイで目が痛い・・・。天気がいいのにね。

 

 で、今日は「歎異抄」のお勉強。『歎異抄』(たんにしょう)は、鎌倉時代後期に書かれた仏教書であって、作者は、親鸞聖人のお弟子である唯円坊とされている。その内容が親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった異義・異端を嘆いたものであるので、「歎異抄」という書名になっている。

 

 最近は解説書やコミックスも出ていてずいぶんと親しみやすくはなった。この本もまた、聖書同様に隠れたベストセラーになっているらしい。だから書店に行けばずらりと「歎異抄」関連の本が並んでいる。

 

 でも、なかなかに難しいお話だから、すんなりとは頭には入らない。だから、これを読んで感想を述べよと云われても、どこからどぅやって感想を引き出せばいいのかもわからない・・・。ま、優等生並の感想を書き並べるしかないのでは・・と。

 

 そそ、明日は早くも県立病院の予約診察日。明日も「血液検査」と、胸部レントゲンの一般撮影とドクターの診察。これで午前中はつぶれてしまう。明日のお昼はおうどんになりそう。

 

 で、一週間は何もない予定。お天気次第でどこかにお出かけしたいものである。

 

  今日の掲示板はこれ。「一生懸命 一度きりの人生だから その夢に懸けてみて・・・。幸せな運命がそこで待っているから。」と云うもの。幸人遊名オリジナルポストカードにある言葉で、作家が「一生懸命」を使って詩を創りあげたというもの。前半は納得できるのだが、後半はやや疑問。一生懸命に努力をしたからと云って、必ずしも幸せな結果が待っているとは限らない。ソチのオリンピックを思い出してみても、結果は幸せだったとは思えない。だからと云って、一生懸命に生きると云うことは大切なことだとは思っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春の夜は 静かに暮れて ゆくばかり

2014年03月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3度から12度、湿度は68%から43%。風は1mから6mの北北西の風。すっかりと春の天気になってきた。明日の23日は、引き続き高気圧に覆われて晴れて、気温も上昇する見込みらしい。

 

 今日は風もおだやかでいい天候になったのだけれど、奥方が娘家族のおうちのお手伝いに出掛けたもので、一人ぼっちでお留守番。お彼岸のお仏壇参り・お墓参りのお客さんが来るといけないというので外出禁止令・・・。

 

 ということで、今日もホームページの更新作業。レキの墓関連の記事の修正と追加。あとは、論文の修正と印刷・製本作業だが、これは梅雨時のデスクワーク用ということでしばらく保留。

http://www3.ocn.ne.jp/~h-kimm/

 

 その後、本山での研修のレポート作成。「タマシイはあるのかないのか」という奇妙な課題を、しかも400字程度にまとめなさい・・というもの。短いのは苦手だ。簡潔に、「タマシイはあるのか、ないのか」というのは難しい。あるような、ないような、あると云えばお馬鹿さんみたいだし、ないと云えば現代過ぎて・・・。どういう視点でタマシイを見るのか・・・ってことだ。

 

 10時過ぎに弟の「たっくん」がやってきて、お墓参りに出掛けてすぐに、叔父さん(父の弟)夫婦がお仏壇参りにやってきた。けいこばぁがいないと、お茶も出せず・・そのまま帰ってしまった。弟は昼前に戻ってきて、「うどんに行こうぜ」と云うので二人でうどん屋に向かった。

 

 で、最近はここが多くなった。さぬき市造田宮西にある「さぬきうどん溜(たまり)」というプチセルフのお店。相変わらず駐車場はいっぱいだったが、難なく駐車できたし、お店にも行列はできていなかった。

 

 ここに来たらこれだろうと、二人とも「たまりうどん小」を注文した。350円だった。おうどんにとろろを乗せて削り節と大きな梅干しが載っている。ここに醤油をふりかけて食べるもの。これがあっさりとしていておいしいのだ。梅干しをからめると少しすっぱくて、なお、おいしくなってくる。

 

 食後はドライブしながら帰るということで、さぬき市志度という町を経由して、大串半島の大串公園を回ってみることにした。私にしたら珍しくはないが、弟にすれば久しぶりの場所になるらしい。

 

 瀬戸内海に大きく突き出した大串半島には、総面積100ヘクタールに及ぶ大串自然公園が広がっている。公園内には特産のぶどうを加工するワイナリーやテニスコート、野外音楽広場、サッカー場やらオートキャンプ場など多彩な施設が整備されて、しばらくは家族連れなどで賑わったが、今では大串温泉も休館となり、野外音楽広場も閑古鳥が鳴いている。

 

 こちらはさぬきワイナリー。ここでは、デラウェアやベリーAなど種類も豊富で、県内有数の生産高を誇るさぬき市のぶどう栽培を背景に、県内産初の本格的なワイン「さぬきワイン」を醸造・販売している。ワイナリーの工場見学は入場無料で自由に見学でき、試飲や直販も隣接しているさぬき市物産センターでできるようになっている。

 

 大串半島からは海岸近くの道路を東進して、さぬき市小田、さぬき市津田を経由して戻ってきた。我が家では春一番の強風で倒れた庭木を片づけたりしたあと、午後一時過ぎに弟も帰って行った。

 

 午後からは、「タマシイはあるかないか」のレポートを書き上げ、二本目の「本山史」の課題で、「何の知識も持っていないご門徒さんに、本山興正寺を紹介する文章を書きなさい」と云うもの。これまた、無理難題を・・・。なんとかかんとか、1000字近い文章にはまとめあげたけれど。要推敲。

 

 昨年は、「前期高齢者の仲間入り」の65歳と云うことで、気分的にも乗っていたし、やる気十分だったのだが、今年はそのような高揚感もないし、体力的にも精神的にも疲れが見えてきた。レポートの課題を見ただけで気分が滅入る。さすがに熱しやすく冷めやすい性格だなぁと再確認したところ。

 

 とは云うものの、まだまだ人生の到達点は先の先。こんなところでしょぼくれていてもつまらない。とりあえず、今年の七月一杯までは予定が目白押し。当面、そこまでは歩き続けてゆかないと・・・。

 

 今日もどうしたのか、荒了寛さんの言葉の掲示板。「執らわれると目が狂ってくる 欲が出ると耳が聞こえなくなる」というもの。あることに執着すると、そのことしか見えていないことが多くある。幾度もある。咸臨丸だったら咸臨丸のことばかり。レキの墓だったら、そのことばかり。周りのことなど見えてはいない。欲が出ると、そのことしか考えずにいて、他人の忠告なんぞまるで受け付けない。そういうことって、いくらもあることだ。それが私たちなのである。そのことに気づくことがまずもって先決問題なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


我がこころ 白一色に 染める梅

2014年03月21日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、寒気の影響で瀬戸内側や山地を中心に雲が広がり、雨や雪の降っている所があった。気温は6度から10度、湿度は84%から46%。風は4mから6mの北西の冷たい風が吹き荒れていた。三寒四温だか知らないが冬に逆戻りしたような冷たさだった。明日の22日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 今日はお彼岸の中日、春分の日と云うことで、予定の行事はてんこ盛りにあったのだが、空気が冷たいので肺炎になったら命取り・・・ということで外出は禁止。ということで、今日も「引き籠もり状態」のパソコン三昧。またまた、目が乾いて痛い・・・。

 

 そろそろと、「英国士官レキ研究」もおしまいにしないといけないぞ・・ということで、今日はホームページの更新作業。今までの調査研究で見つけたことを、ホームページに反映しておかねば・・ということだ。

 

 これが、発端になった「シルビア号ジョン艦長からの感謝状」。この一枚が歴史をゆがめてしまうことになったのは皮肉なこと。この手紙があることで、「1866年」「HMSシルビア号」「ジョン艦長」が垣根を作ってしまって、「英国士官レキの墓」の真実を覆い隠してしまった。

 

 つまりは、ジョン艦長の思い込み、勘違いから歴史が曲がってしまったと云うことになる。そういうことって、あちらこちらにあるように思う。書いた文書がある。書いたものがあるということで歴史を信じてしまいそうだけれど、それだって危ないってことだ。所詮、人間のすることなのだから。

 

 この看板を書き換えるとすれば、「明治元年(1868)英国の軍艦マニラ号が瀬戸内海の燈台用地調査中、士官のレイクが死亡した。そこで近くの広島に着け遺骸を江の浦の西のはずれの人里離れたところに葬り十字架の墓標を建てて去った。明治四年(1872)に江の浦の医師の岡良伯という人らが英国士官の霊を悼んで長谷川三郎兵衛という会計官の指示によって墓碑を建てて菩提を弔うようにした。後に英国より感謝状が送られて来た。」と云うことになる。

 

 これは、しわく広島にある「羽節岩灯標」(明治28年1月25日初点灯)の灯油倉庫。今は太陽蓄電池で点灯されており、この建物には村役場の古い資料が入っているだけ。なんとか活用できないものか。本来ならば、海上保安庁のものになっているはずが、保安庁は「そんなものはない」と云うのだそうだ。仕方なく、廣島村から丸亀市の所有ということになるらしい・・。

 

 ということで、今日は町内のここでお昼になった。我が家から車で数分の所にある「手打ちうどん・まるたけ」というセミ・セルフのお店。ここだと、時間帯を少しずらすだけで並ばなくとも食べられる。ここもさすがに12時を過ぎたら行列ができる。それでも十分も待てば充分に食べられる。

 

 最近はこういうパターンも多い、わかめうどんの280円。さっぱりとして気分がいい。麺もまろやかですっきりと食べられる。お出汁も濃くなくてあっさり系。

 

 最近はすっかりと横着になったものだと思う。新しいうどん店が開店したと云えばどこまでも出掛けて行ったし、話題のお店だと云えば何を置いても出掛けたものだが、近頃は手近なお店で、「おなかがおきればそれでいい」みたいな気分になってきた。さすがにおうどんにも飽きが来たのかも知れない。

 

 午後からも似たような作業が続いた。「レキ墓研究」を今月末で片づけてしまいたいと思う気持ちが強くなってきた。私は若い頃から「熱しやすく冷めやすい性格」だなぁと思ってきた。それが、三年も続いてきたのだから、そろそろ潮時だなぁとは思っている。

 

 今日はお彼岸の中日だから、親戚のものがお墓参りやお仏壇参りに来るから・・・ということもあって、自宅待機をけいこばぁに云われていたのだけれど、とうとう、誰もお参りに来ることはなかった。人生、死ねばおしまいなのかなぁとも思ったことだった。母が居なくなると、お墓参りやお仏壇参りがあるかなぁと思ったのだけれど。

 

 今日はセンバツ高校野球が始まったらしいが、そういうことも眼中になくなって、大相撲も優勝争いが熾烈になってきているらしいが、そういうものも眼中にはない。そういうものに夢中になれない、無気力・無感動の私になっているのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「外灯というのは人のためにつけるんだよな 私はどれだけ外灯をつけられるだろうか」と言う相田みつをさんの言葉。私が現役のころ、ある時期に、当社所有の電柱に街灯などを設置する許可を認可する担当になったことがある。あの頃によく聞いた言葉に、「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう...心の灯(ともしび)と言う、たぶんほとんど人が耳覚えのあるカトリック系のラジオ番組での一節が耳の奥底まで鳴り響いていた。社会を明るくする運動・・・ということで、街灯を多くした時期もあった。そういう「外灯・街灯」ではなくして、こころの「外灯」をいかに多くつけられるだろうか・・・と、相田さんは云うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


何色と 問えば黄色の 春の里

2014年03月20日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は前線を伴った低気圧の影響で雨が降っていた。夕方には少し明るくなってきたけれど、気温は9度から12度、湿度は87%から76%。風は1mから2mの西北西の風が少し。明日の21日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、明け方には雷を伴って雨が降る見込みとか。

 

 丸亀市広島町の朝は小雨・・・。たいした雨ではないが雨・・・。ノートパソコンの入ったバッグを何重にもゴミ袋で包んで防水処理。なんだのかんだのと云うてる間に、もう、草が伸び出してきている。

 

 特に、浄化槽の周囲はあふれた汚水の養分を吸って勢いよく雑草が伸びている。だんだんと状況は悪くなる一方・・・。

 

 8時35分発のしわく丸に乗ってしわく広島を出る。此岸も浮き世、彼岸も浮き世。こちらにはこちらの楽しみと苦労があって、向こうにはむこうにも楽しみと苦労が待っている・・・。

 

 昨夜は「レキ研究会」の会長さんと反省会。四月からの活動をどうするべ・・という話になった。来年度も活動をやっても、もう、新しい事実は出てきそうにもないし、福武財団の援助は受けられそうにもないし・・・。中井初次郎の件も、紙屋仁蔵の件も進展しそうにもないし・・・。

 

 四月からは気分を入れ替えて、新しいことでも見つけるとしようか。でも、その前に宿題を幾つも片づけておかねばならない。そう思うと、こころ重たい木曜日・・・。

 

 丸亀市に戻ると雨足は激しくなってきた。そんな中、幾つかのホームセンターを回ってきた。

 

 トイレのロータンクのボールタップ装置。レバーを回して排水し、トイレを洗浄した後、プラスチックのボールが上昇して水道の栓を閉めてロータンクに入る水を遮断する部分だが、その遮断する部分のパッキングが緩くなって、そこから日常的に漏水して水道費が異常に高くなっている・・・。どこのどういうものが使えそうで、安く仕上がるか・・・という計算をしながら・・・。

 

 お値段をするものを買っても、うまく接合できなければ無駄遣いになってしまうし。A社は安いけれど、こんなんでつながるんだろうか・・・とかと。本土だと、ちょいと水道屋さん、見てくださいな・・と、言えるんだけれど、「島は勘弁してくださいよ~」というお店が多いし・・・。

 

 それと、これ。「洗濯機パン」と云うもの。水道の水圧の関係か、洗濯機が傷んだものか、注水時に水道水が本体内側にこぼれてしまう。量は多くはないのだが、洗濯物が多くなるとバスタオル二枚がずぶずぶになるほど。私一人分だと全く関係ないくらいの少量。だからこれで受けて、排水溝に流すようにする・・・。洗濯機を交換して、それで解決するとは思えない・・・。

  

  と云うことで、今日のお昼はここになった。綾歌郡綾川町羽床(はゆか)にある「本格手打ちうどんセルフ はゆか」というセルフのお店。

 

 朝昼兼用ということで、今日は「肉うどん小」にした。400円。ここも県外ナンバーの車が目立つ。それも若い女性がスマホ片手にうどん談義をやっている・・・。

 

 私にすれば、うどんは日常なんだけれど、県外からのお客様には異次元的な空間なのかもしれない。それは、私らが「あべのハルカス」に行ったり、「スカイツリー」に行くようなものかもしれない。

 

 我が家に戻ると、昨年秋に届いた、浄化槽保守業者さんから届いている検査報告書を探したが、これが案外と見つからない。大事なものだからと、パソコンの周辺に置いたのだが、探すとなると見つからない。そこいらじゅうの書類やファイルや手紙類をひっくり返して探してみても見つからない。

 

 業者さんの名前や住所や、検査結果を見ないと、どこの誰に文句を言うのかがわからない・・・。困った困った・コマ撮りしまい(最近の辞書はこんな変換をする)。「こまどり姉妹」じゃないか。

 

 あれこれ探してお手紙書いて、写真も五枚も添付して、香川県浄化槽協会からの検査結果と所見および留意事項らのコピーを添えて、文句をいぃぃの、お願いをしぃいのぉ・・のお願いをすることにした。が、時期が悪くて、明日からは三連休・・・。

 

 今日もまたまた、荒了寛先生のお言葉の掲示板。「だまされて人間がわかる 失敗して世間がわかる 悲しんで幸せがわかる」と云うもの。先日には東日本大震災から三年になった。悲しんで幸せがわかった人も多いはず。人にだまされ、事業に失敗し、多くの人々の悲しみに触れて、「三千大世界」が見渡せるようになってくる。まだまだ・・・そういう世界にはたどり着けない私たちである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春の日は あっという間に 暮れ過ぎる

2014年03月19日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夜には雲が広がるらしい。気温は8度から13度、湿度は84%から46%。風は2mから4mの北北東の風が少し。今日、高松でつばめを観測したらしい。平年並みで昨年より6日早いのだそうだ。明日の20日は、前線を伴った低気圧が四国の南岸を通過するため、午前中を中心に雨が降る見込みらしい。

  

 我が家の桜は満開状態。サクランボの木だと言われて居るが、確かに赤い実はつくのだが食べたことはない。市販されているようには大きくもない。なんという桜なんだろうか。この島ではあちらこちらで咲いている。

 

 朝の間、浄化槽の排水路の調査をしたら、こんな道路の真ん中で何かが詰まっているらしい。だから、側溝に排水できていないらしい。こんなところで何が詰まっているのだろうか。茶色い物体が詰まっているらしい。

 

 まさか、道路を掘るわけにもいかないぞ。困った・困った・こまどり姉妹。それだし、トイレのタンクでも漏水しているし。島では誰に相談すればいいのかもわからないし・・・。

 

 朝の散歩は「江の浦集落」一巡の1時間コース。ここは真言宗の「地福寺」さん。今日も住職さんは不在だった。普段には法務もないので善通寺のほうにお帰りらしい・・・。

 

 島ではまだまだ水仙がいっぱい。朝の間は風も冷たかったが、昼前になると汗が流れるほどに温かくなった。

 

 今日は、「イギリス士官レキ研究報告会」の日。今日は研究会の女性部が、お昼をサービスしてくれるというので、お昼前に出かけて行った。

 

 わかめうどんにおにぎり二個、おつけもの付きの大サービス。いつもだったら食べきれないのだが、今日は片付けに困るらしいので、全部いただいて完食した。夕食が入らないと思う・・・。

 

 ここを何と呼べばいいのかわからない。石碑には「広島公民館」と刻まれているが、「広島市民センター」と呼ぶ人もいるし、「広島コミュニティーセンター」と云う人もいる。単に「広島支所」と云う人もいる。

 

 ここの会議室で、その報告会は始まった。始まったのだが、「英国士官レキの墓」のお話は、全く、生活には必要ではないこと。それだし、歴史のお話はあんまり好きでもないようで参加者が思ったほど集まらない。

 

 今日は「移動販売」のバスがやって来る日・・・ということで、生活用品や食料品を買う人が多くて、集まったのは20人ほど。よっぽどの歴史好きな人ばかり・・・。報告会が決まったあとで、バスの移動販売日が決まった・・・というのだから仕方がない・・・。

 

 ま、それはそれとして会は会として進めなければ・・・ということで、会長さんの挨拶などから始まって、終わった。これでお役目が一つ終わった。あとは、本山のレポート5本を書き上げて送らねば・・・。期限は四月末日。約40日の大きな峠。

 

 今夜も島で泊まって、明日の朝に島を出るつもり・・・。浄化槽の手当とトイレの水漏れ、洗濯機の水漏れも気に掛かるし・・・。ここのテレビも20年を過ぎたから、Eテレしか映らなくなった。Eテレは子供にはいいかもしれないがおじおさんにはちと退屈・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「思った通りにはならないが やったとおりにはなる」と云うもの。天台宗の大僧正である荒了寛さんという方の言葉である。多くの方が経験することだが、人の行動は決して思いどおりにはならない。それは人が思ったとおりには行動しないからである。人は、いつも自分が思った通りに行動しているものと思い違いをしているもの。でも、実際は、思った事をやらなかったり、思ったことを先延ばしにしたり、時には思った事と全く逆のことをやったりしていることもある。もし、思った通りのことをやりたいのならば、今、自分がやっておいることは、本当に自分のやりたいことなのか、今、やっていることを続ければどうなるのか・・・・ということに気がついている必要があるように思う・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


日脚伸び 今日の散歩は やや遠く

2014年03月18日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 香川県地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていた。気温は9度から16度、湿度は78%から85%。風は1mから3mだが、今日、四国地方に「春一番」が吹いたと発表した。昨年より17日遅いのだという。春一番らしい風が吹いたのは16日だったのだけれど・・・。明日の19日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 我が家の梅は満開状態。となりの「サンシュゥユ」も満開状態。このまま春になるといいのだけれど。

 

 いよいよ、報告会が明日に迫って、発表用パワーポイント資料の最終チェック。いまさら、じたばたしたって仕方がないのだけれど・・・。念には念を入れて・・・。ときに、大事なポカを見逃していて大慌てするものだから・・・。

 

 奥方のけいこばぁは八時半になったらお仕事に出かけて行った。今夜はお泊まり勤務。

 

 だから・・・と云う訳でもないが、今日のお昼はこのリンゴと野菜ジュース。ダイエットだというのだけれど・・・。

 

 その間に、今夜からの「島帰り」のための食材とビールの買い出し、マイカーの給油をやっておく。それと、今日の「地神(じじん)さん」のお供えの買い物も・・・。

 

 「地神さん」というのは、春の農作業の前に、土地の神様に豊作をお願いするおまつりだと思う。地神塔の芯石は五角形で、①天照大御神(あまてらすおおみかみ) 農業の大祖神。② 大己貴命(おおなむちのみこと)大国主命のこと。畜産業を教え、医療の法、禁厭の法を伝え、鳥獣昆虫の災危をはらう神。③ 少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命を助けて国造りに功あり。畜産のため療病法を創め、鳥獣昆虫に対する禁厭の法、温泉の神、酒の神。④ 倉稲魂命(うけのみたまのみこと)、 食物の神。⑤ 埴安媛命(はにやすひめのみこと)、土壌を司る神。の五つの神様をおまつりする。だから、五本ののぼりばたが立っている。

 

 で、15時からは「直来(なおらい)」が行われて、集会場でお供え物のお下がりをいただいて世間話やら情報交換。今はさぬき市の光化工事のなんだかんだ・・・。私はお式が終わったら一目散に丸亀に向かった・・・。

 

 これは桜なんだが、山桜でもないし、何という桜なんだろうか、あちらこちらで見かけるけれど、一足早い桜のようだ。

 

 17時30分丸亀港発の高速艇に乗って、予定通り18時前に島の家に着いた。今日の乗客は7人だけだった・・・。

  

 早速に風呂の準備をして食事も済ませた・・・。とにかく、島に帰っていると、明日の講演会はなんとかなる。

 

 我が家のサクランボの桜が満開だった。ということは、朝の桜も「サクランボ」の桜なんだろうか・・・。いや、確かに我が家の桜が「サクランボ」だという保証はないのだけれど・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「いい仕事をしている人はいい顔をしています 仕事を楽しんでいる人の顔は輝いています」という「荒了寛」さんの言葉。私もそうだと思う。いやな仕事をしていると顔つきもいやな顔になっていたりするし、仕事を楽しんでいない人の顔は楽しそうではないと思う。私も半分半分だったかなぁと思ってみたりする。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


のそのそと 散歩の主婦の 手に椿

2014年03月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は7度から16度、湿度は85%から58%。風は2mから3mの東南東の風が少し。これが意外と冷たかった。今日、松でたんぽぽの開花が観測されたそうで、平年より30日遅く、昨年より2日早いのだそうだ。明日の18日は、気圧の谷の影響で雲が広がり、昼前から雨の降る所がある見込みとか。

 

 今日3月17日は「望」ということで「満月」だそうだ。正確には今朝の2時というから昨夜ってことになる。これがその満月・・・。

 

 最近は目が弱くなったせいか、月も星も見ることはなくなったのだが、昨夜、トイレに起きたら、あんまりにも明るいので何ごとが起こったのかとバルコニーに出てみて気が付いた。で、慌ててカメラを持ち出しての撮影、モードを切り替えてやみくもに撮った中の1枚。

 

 今朝もいつも通りの迷犬ごんの散歩、集落内ぐるりと散歩1時間コース。しかしのかかし、体重は65Kgからは下がらない。まだまだ運動量が足りないし、汗をかくこともないからか・・・。

 

 散歩から戻ると、報告会の配布用資料の修正版を事務局宛にメール送信。英国士官レキの墓に関係した人々の一覧表。日本人11人、英国人11人計22名と艦船5隻のリストである。

 

 今日は奥方の希望でここでのお昼になった。さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店。けいこばぁ御用達のお店である。

 

 で、「天ぷらうどん並」で700円。けいこばぁはいつでも「かけうどん」とおでん二品目。

 

 今の時期に松茸があるのかいな・・・。冷凍松茸ってあるのだろうか。缶詰入り松茸とか・・・。

 

 その後、髪を切ってもらってさっぱりとして19日の報告会に臨もうと・・・。でも、明日の15時から、自治会の「地神(じじん)さん」の春の例祭があるので、しわく広島には19日の9時30分の「しわく丸」に乗らなければならない・・・。今回は当番で、けいこばぁはお仕事でお泊まり勤務になっているから仕方がない。

 

 午後からは「リハーサル」をしようと思ったが、さすがに連日ともなると飽きてしまう。で、やる気が出なくなったので今日はやめにした。あとは当日にぶっつけ本番で行く方がパワーが出そうだ。

 

 と言うことで、昼からは山の旧宅に行ってお墓のお花を入れ替えてきた。明日が「彼岸の入り」ということなので、お花を新しくしておこうと云うことで。掃除もしようかと思ったが、まだ冬のせいか草も伸びていないし・・・。まわりのゴミを拾っておしまい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「やってやれないことはない やらずにできるわけがない」という「斎藤一人」さんの言葉。やってやれないことはないのだと、最近、そう、感じることが多くなった。かと云って、空を飛びたいとか世界一のエンジニアになりたいとか、そういうことではなくて、やりたいと願っていれば叶うものだと思うようになったし、夢中になってやっていればどぅにかなるものだと思ってみたり。ただ、やれないと諦めて、やらなければ絶対にできる訳がないのも道理であるし・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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