まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

蓮咲いて蜘蛛の糸張る午後の庭

2021年07月31日 | 時には日々是日

 31日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。香川県では、31日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごすうよう呼びかけている。気温は24.7度から33.8度、湿度は86%から66%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の8月1日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるが、湿った空気や日射の影響で昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 圧縮時106 解放時65 脈拍79 体温35.9c 酸素濃度97% 体重 60.4Kg 室温 23.3c 室内湿度73% 気圧計1002hPa 体調に変化はない。一昨夜の騒動が嘘のよう。陰嚢の出血は止まっている。

 

 今日も暑そうだけれど、涼しい間に夏休みの宿題を片付けておきたいものだと、7時半過ぎに我が家を出た。

 

 結願所(ゴールみたいなお寺)にお参りを済ませたら、普通はそこでおしまいになるはず。でも、そこからまたも歩き出して三番の金泉寺(こんせんじ)や一番の「霊山寺(りょうぜんじ)に向かうというのである。だが、多くのお遍路さんの旅はそこで終わってしまうか、この総奥の院とされる「与田寺」さんにお参りして記録が終わるか、

 

 「西のこんぴらさん」「東のしろとりさん」にお参りして記録が終わる。そこから昔は船で阿波や高松や京阪神に渡ったものらしい。でも、今はそんな船はない。お遍路さんはそこからどこに行ったのか・・・と考えてみた。この「しろとりさん」の前には昔の国道が走っていた。路線バスも走っていた。そんな子どもの頃の記憶を頼りに旧国道を走ってみた。

 

 これが「讃岐街道」と呼ばれた昔の道であったらしい。

 

 すると、やはり、こういう道標が立っている。中務茂兵衛の道標で165回目のお遍路をした祈念碑でもある。明治30年11月、53歳の時のもの。ここが昔の遍路道で会ったことを証明している。

 

 さらに町の中を進んだ交差点脇にも道標がある。ここでお遍路さんは方向変換ですよと教えている。お遍路さんは右ですよ。こんぴらさんへは左ですよ教えているわけだ。つまりは、昔の遍路道であったことがわかるわけだ。

 

 そうこうしていたらば、大坂峠までやってきた。ここからは遍路道と四国のみちとが自動車道(県道1号線)とは別ルートになり、何回か本道と交差する。

 

 このあたりだと、まだ遍路道と車道はなかよく並んでいる。

 

 不思議に思うのは、旧遍路道に合せて「四国のみち」が整備されたのか。たまたま同じようなルートになったのか。遍路道ばかりかというと全く見当外れの方へ行ったりするから複雑だ。

 

 この道標なんぞは新しい最近のものでる。昔の山道、遍路道はこうしたものだったらしい。

 

 で、四国のみちは、JR阿波大宮駅で終わる。上の図の少し上がった場所に「大阪峠御番所跡」というものがある。そこを探して行ってみた。

 

 普通の民家のようだが、ここが「大阪口番所跡」で、ここが関所になっていて、「入り邪宗門」「出百姓」を取り締まっていたという。阿波の国の百姓が逃げ出さないように見張りながら、キリシタンが入ってくるのを取り締まっていたらしい。

 

 これが「踏み絵石」で、これを踏ませてキリスタンかどうかを見定めたというが、これは何の絵じゃろうかと考え込んでしまうが、説明によると「宣教師」が十字架に拝礼している姿らしい。こんなもので本当に取り締まりができたのか、それともパフォーマンスだけだったのかも知れない。

 

 大坂峠の入り口に、「右 おおさかごへ 一ばん四り半 三ばんより逆に」「左 うたつごへ 一ばんへ三り余 大麻宮をへて」と刻まれている。大坂越えはわかるとしても、「うたつごへ」というのは始めて見る言葉である。調べてみたら、鳴門市の折野というところから「卯辰峠」を越えて大麻神社経由で一番さんに向かうコースらしい。それを逆にして戻って来た。こちらには遍路道らしい痕跡も道標もないし丁石もなかった。

 

 今日もまた、「スペシャルうどん」+野菜サラダである。つめたいうどんに冷たい出汁。そこへイワシの味噌煮、カニカマ、大根おろし、天かすをトッピングしたもの。

 

 これが暑い時には気持ちのいい味になる。それにパワーもつきそうだし。普通の「ぶっかけうどん用出汁」と「味噌煮」のタレが混じって甘くておいしかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「出発は足下からなのに ひとはすぐ頭で歩こうとする」という平野修先生のことば。私達はものごとを起こすとき、ああだこうだと理由やら事実を並べ上げてからでないと行動を起こしたがらない。よく言えば堅実型というか理論武装型というか。悪く言えば、単なる「あたまでっかち」なのかも知れない。本当に歩き出すのは足の筋肉からなのだが、そのことには気づいていなくて・・・頭が先に行動してしまう。平野先生は、1943年(昭和18年)石川県に生まれる。大谷大学大学院博士課程修了。九州大谷短期大学教授。石川県松任市(現白山市) 真宗大谷派明証寺住職。1995年9月27日示寂。著書に 『浄土の問題ー世界と聚りー』(金沢教区教化委員会)、 『鬼神からの解放ー化身土巻ー』(上・下)(難波別院)、 『浄土論註講義ー論註の基礎ー』(一・二)(六道会)、 『民衆の中の親鸞』(東本願寺)『教行信証に学ぶ』(東本願寺)など多数がある。

  

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


風連れて暑中見舞いがまたひとつ

2021年07月30日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 30日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。香川県では、30日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごしてください・・と案内している。気温は24.6度から33.9度、湿度は86%から56%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の31日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 圧縮時105 解放時57 脈拍79 体温36.6c 酸素濃度97% 体重 60.8Kg 室温 24.9c 室内湿度76% 気圧計1002hPa 体調に変化はないが、昨夜は一騒動あった。「世の中、何が起こるかわからんですなぁ・・」というのが感想。

 

 昨日は奥方が休みだったので、久々に散髪をしてもらった。人に会ったり、どこかの会合に出掛けると言うことがなくなったものだから髪も伸び放題になっていた。奥方の休みのたんびに「髪を切ろうよ」「髪を切ろうよ」というていたのだが、肝心の時間になると奥方は畑に出向いて切ってくれない。

 

 ようやくに奥方に頼み込んで、電機バリカンで髪を切ってくれたので頭を洗い、身体も洗った。今の時期だから浴槽ではなくて、シャワーだけのお風呂になっている。二人だけだからお湯がもったいない・・という理由からである。今の時期、シャワーだけで十分である。

 

 で、シャワーで頭を洗い、髪を洗い、身体を洗っていると、男性の急所にかさぶたのようなものがある。痛くも痒くもないのだが、何気なく石けんで洗ったらなくなった。ふむ、何かのゴミだったのかなぁと思ったのだが・・・。

 

 「なんじゃこりゃ~!!」ということで、股間から鮮血がこぼれ落ちている。しばらくティッシュで圧迫していたのだが止まらない・・・。そこで、すばやく着替えて自室で安静にしていたのだが、下着もジャージも真っ赤に染まってくる。奥方はまだ、畑で農作業をやっている。

 

 二時間ほど、股間を圧迫していたのだが鮮血の止まる様子はない。これではどうしようもないし、寝るということもできないなぁと、ようやくに奥方に連絡をして、県立病院の応急処理室へ頼み込んで診てもらった。このあたりで救急車で運ばれるのは私・・・と決まっていたので、今回はどうしても奥方に送ってもらった。救急車に乗り慣れているというのは自慢できることではない。

 

 だとしたら、「マダニかも知れないですね。一針縫って様子を見ましょうか」ということで、局所麻酔をして縫合手術になった。おかげで大きな出血は止まったが、今度は局所麻酔の針の穴から血がにじんで止まらない・・・。陰嚢部分は血管が密集していて、あそこが温度センサーみたいな役割で体温を調整する部分だから止血が難しいと仰る。

 

 あなたの部屋が汚いからよ。掃除機できちんとお布団からベッドから机の下から、全部をきれいにしなさいよ」と奥方に叱られて、着ていて血まみれになった下着やズボンやタオルからパジャマからをみんな洗濯して干した。お布団もみんな干した。

 

 今日になって、ようやくに落ち着いたけれど、でも、なんだかすっきりしない。今度の月曜日に「抜糸」をするらしい。するとまた出血するかも知れないという。大事なところで、微妙なところだから、包帯を巻くわけにも絆創膏を貼ってもすぐにはがれるし・・ということで手当の方法がないと言う。

 

 それはそれとして、この日曜日が親父の命日である。もう、53回忌くらいになるのだろうか。そこで、お仏壇にお花をお供えしたり、親父の好きだったお酒をお供えしておいた。明日の土曜日に、弟たちはお参りしないのだろうか。

 

 「今日もまたうなぎでも食べておいてね」と奥方は出て行った。昨夜は股間を押さえながら食べたので、味も形も覚えていないが、今日はゆっくりと食事をすることができた。

 

 「うなぎとスイカは食べ合わせでおなかが痛くならないの?」と、奥方は言うが、食べ過ぎると良くないらしいが少しならば大丈夫。本当の食べ合わせは「スイカと天ぷら」「うなぎと梅干し」らしい。私が子どもの頃には、台所に、そういう食べ合わせ表が張ってあったが、いつからか、そういう表も姿を消した。

 

 今日の掲示板はこれ。「どっちみち百年も経てば誰もいない。私も貴方もあの人も。」というもの。江國 香織さんの『すみれの花の砂糖づけ』に収録されている「無題」という言葉集から。江國 香織(えくに かおり、1964年3月21日 - )は、日本の小説家、児童文学作家、翻訳家で詩人。1987年の『草之丞の話』で童話作家として出発、『きらきらひかる』『落下する夕方』『神様のボート』などの小説作品で人気を得る。2004年、『号泣する準備はできていた』で直木賞受賞。詩作のほか、海外の絵本の翻訳も多数。父はエッセイストの江國滋。そうなんだ、悩んでも苦しんでも悲しんでも、どっちみち百年も経てば誰もいないのだ。そんなにたいしたできごとではないではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

 


あれこれと暑中見舞いの夏が来る

2021年07月29日 | 時には日々是日

 29日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、午後からは雲が広がってきた。香川県では、「29日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごしてください」と呼びかけている。気温は24.5度から33.5度、湿度は88%から68%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 118/74/78 36.2度-97% 61.4Kg 24.7c-78%-1002hPa 体調に変化はない。

 

 昨夜は初めての熱帯夜みたいだった。だからエアコンを掛けて寝たが22時過ぎにはそれも消して寝た。夜中にトイレに起きたらお茶をひとくち飲んで寝るようにした。水分補給も必要みたいだが、そのかねあいが難しい。

 

 今日は奥方がお休みの日なので、早くから野菜畑で草引きなんぞをやっている。熱中症にならねばいいのだがと思っていると、もう、シャワーを浴びてしゃーしゃーとしている。やはり、暑くてどうにもならなかったみたい。

 

 で、毎月恒例の高額医療費の請求である。病院代や薬代金が限度額を超えたときには、いくらかがバックされるみたい。ま、金額は少ないが、それだけ医療費も少なかったというわけだ。最近は入院も手術も一切ないのだからして。

 

 で、毎月、おんなじことを書くのである。そんなに個人情報が変わることはない。

 

 で、奥方が食材を買いに出た間に役所に行って手続きをしてきた。毎月のことだで、担当者も慣れたものだから、ささっと目を通してOKになった。全くの拍子抜けみたい。

 

 で、朝の間は、先日に行って来た旧へんろ道のデーター整理や文章の打ちお越しなんぞをやっていた。早くに書き残しておかないと忘れてしまうと言うお年頃なのである。

 

 こういう画像なんぞでも、「ここはどこじゃっただろうかねぇ・・」と、思い出すのにしばらくかかる。

 

 これは、ここの神さんが乗ってきた船だという。確かに船の姿はしているが、このままではたちどころに沈んでしまいそうなものだが、さすが、神さんが乗ると浮いて走ってきたものらしい。昔からそうだと言うのだから、そういうことにしておこう。

 

 「お買い物が遅くなるから、おそうめんでも食べておいてね」と、言い残して出掛けて行ったので、おそうめんを二束ゆがいてみた。奥方の分を考えてのこと。それでも、ゆがいてみたらば量が少ない。

 

 だから、二束分をぺろりと食べて済んだ。でも、きっと、「私の分もあるわよねぇ・・」と言うに違いないと、再び、二束分を湯がいておいた。お出汁もちゃんと準備しておいた。案の定、戻るなりに、「私の分もあるわねぇ・・」と言うので、「はい、ご用意いたしております」と言うと黙って食べてしまったようだった。「作ってくれるものは、なんでもおいしいの」と言うはずである。

 

 午後からは、整理できた文章にデーターや画像を貼り込んでいく。

 

 そうこうしていたら、あっという間に日が暮れる。今日の高松の気温34度だとパソコンが教えてくれる。我が家は27度の50%。涼しくしながら、今日の出来事が積み上がる。

 

 今日の掲示板はこれ。「大切なのはかつてでもなくこれからでもない 一呼吸一呼吸の今である」という坂村真民さんの「花ひらく 心ひらく 道ひらく」という詩集の中の言葉から。

 坂村真民 「花ひらく 心ひらく 道ひらく」
 過去や未来にとらわれている人は、今を大切にしていない
 いちばん大切なのは、今この瞬間(の心)である
 

 幸せのヒント 「今を大切に生きる」
 『今を生きなさい――今日は、ここにしかない。大事なときは今なのだ。
 過去は私たちのもとから永久に去っていき、未来にはまだ手が届かない。
 現在だけが私たちのものだ』 エルバート・ハバード

 『現実と呼べるのは、「今」だけです。
 過去と未来は、幻のようなものです』 ジェームズ・アレン

 『一度だけの人生だ。
 だから今この時だけを考えろ。
 過去は及ばず、未来は知れず。
 死んでからのことは宗教にまかせろ』 中村天風

 「過去」「未来」より「今」が大事。
 『幸福になる本当のコツ、それは、現在に生きることです。
 いつまでも過去のことを悔やんだり、
 未来を思いわずらったりしていないで
 今、この瞬間から、最大限度の喜びを探しだすことです』 ジーン・ウェブスター

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


借り物のいのち尊し蝉の声

2021年07月28日 | 時には日々是日

 28日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れる見込み。気温は25度から33度、湿度は88%から66%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の29日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 102/59/79 36.5c-98% 61.3Kg 25c-33%-1003hPa 体調に変化はない。

 

 朝の間は「旧へんろ道」の確認と調査。その資料作りやら下調べやら。分厚い白鳥(しろとり)町史をスキャナーで読み込んだり取り込んだり・・。

 

 昨日の「下星越峠」には、出店というか店屋さんや宿屋まであったらしい。それだし、福栄地区の出征兵士たちもこの峠で壮行会や祝賀会をして送り出した所という。あれから80年、新しい道路が開通してからすっかりと、その面影は消えてしまった。

 

 航空写真で見ると、峠道らしき痕跡が見えてくる。戦後になってから、新しい国道が出来てからはバタリと客筋、遍路客が激減して峠道はあっという間に草や雑木や竹藪に呑み込まれてしまったらしい。この下側にある「鞍谷大師堂」の反対側には「聖天神社」があったらしい。

 

 しかしのかかし、この近くに「聖天神社」というものがあるはずだけれど、こんな大きなものが見つからない。こんな建物ならば見逃すはずはないのだけれど。

 

 だから、聖天神社を探しにでたのだけれど、途中で気が変わって、「相生駅直行道」を探しに出たのである。紫色が昨日のコース。赤が今日のコースだけれど、途中からへんろ道らしくないコースに進んでしまった。「四国のみち」に沿って走ったのだけれど、全く、へんろ道にはふさわしくないような道になったし、高速道路の工事でさっぱりと見事に整備されてしまっていた。これはアカンでぇ・・と、途中でやめて戻って来た。

 

 どうせならば、この緑のように歩けばもっと楽に歩けるのになぁと思ったが、それは事情を知らぬ者のたわごとかも知れない。

 

 途中にこんな標識があるので、これらを見逃さぬようには走ったのだけれど、車だから、いくつかは見逃して走ったかも知れない。

 

 途中には、このような荒寺や廃寺が何カ所かあった。この四国のみちは、こうした景色も見せているのかも知れない。

 

 この向こうにもお堂のようなものが見えているが、イノシシよけの電気柵で囲ってあって迂闊には入れないようになっていた。

 

 「今日のお昼はおそうめんね」と言って奥方は出掛けたが、ありきたりのそうめんでは面白くないと、野菜サラダ風イワシの味噌煮そうめんにしてみた。それに野菜サラダ付きである。これで栄養満点のパワー充填。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の背中は見えても自分の背中は見えない」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。他人の欠点はよく目につくものだが、自分の欠点となると、なかなか自分では気づかない。それが証拠に、他人の欠点を指摘する人はかなりいるが、自分の欠点に気づいている人は多くない。昔から「人のふり見てわがふり直せ」とよく言われるが、なかなか実行できないのが現実のようである。それにしても、他人の欠点を見つけ、指摘したがる人は随分といるものだ。その場にいない人を話のタネにするのがよほど楽しいのか、何人か集まると必ずと言っていいほど、欠席裁判が始まる。特に政治家や有名人をこけにしたがる輩は多い。こうして、次から次へと他人の欠点ばかりを並べていくのである。こういうタイプの人に限って、自分の欠点には目を向けようともしない。自分の欠点は棚に上げておいて、人のアラ探しをして、それを口に出して共感を呼ぼうと必死になるのだ。そうして自分のプライドを守ろうとしているのに違いない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


愚痴もあり言い訳もある大暑かな

2021年07月27日 | 時には日々是日

 27日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は23.5度から33.3度、湿度は94%から64%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇るらしい。

 

 111/64/78 36.2c-99% 61.2Kg 24.8c-72%-1005hPa 体調はすこぶる良い。身体も軽いし便通もいい。食欲もあるし食事もおいしい。

 

 とかく歴史マニアや歴史家は「答えは一つ」「真実は一つ」という主義主張が強いことが多い。確かに時によってはそれが正解の場合もあるが、時代が移れば答えは違ったものになってくる。だから、ガイドはその正解を知らないし言うことはできない。大窪寺は誰が建てたのか。行基菩薩が開いた、弘法大師が創建した、住職誰それの時代に再建した、いや、建てたのは大工である・・・とかなんとかかんとか。

 

 これは東かがわ市入野山という所にある「馬越」の三叉路である。一般的に大窪寺を打ち終えたら(おまいりが済めば)一番の「霊山寺(りょうぜんじ)」に御礼参りをするのだという。そういうルールはないのだが、口コミでそうなっている。そのためには三番の「金泉寺」経由で一番さんに向かうのが便利だった。

 

 だから、ここには、白鳥神社(経由)金泉寺直行・・・と書いてある。もちろん、これが正解ではない。

 

 いろんなルートで一番さんに向かうのだが、その一つとして讃岐の「しろとりさん」(東の白鳥さん、西の金比羅さんみたいな感じ)にお参りしてから阿波国に向かったという。そのルートを探してみた。

 

 途中、「あやめ橋」やら「馬蹄石」というものがある。このあたりに「アヤメ」の名所があるわけではない。このあたりから「菖蒲石」という葉っぱの化石が発見されたからである。

 

 一方、馬蹄石というのは貝(牡蠣らしい)の化石らしきものがあるからである。いずれも、このあたりが昔は海底であったことをうかがわせるものである。

 

 ま、町おこしの一環としての看板であるが、わざわざ、これを見に来る人もあるまいになぁと思ったことだった。

 

 で、前々から疑問であった「下星越峠」という峠があったらしい。長さは「二丁」というから220mくらいな峠らしい。そこで、ようやくに見つけたのが、この峠である。民家の上の少しばかりくぼんだところ。今はもう竹藪に覆われて通ることはできなくなっている。

 

 調べてみたらば、「藤井古墳」という古墳が、この峠近くにあったのだ。このあたりで、お遍路さんにお接待をしたり、お遍路時期になると出店までできていたというところである。

 

 で、なんだかんだとあって、ようやく「しろとり」の町までやってきた。この左の句碑も有名なものらしいし、この右手には「日本三薬師」の一つ、「田ノ口薬師」というお寺がある。後は海に向かって一直線に進めば「しろとり宮」である。

 

 今日の朝ドライブはここまで。ここで10時過ぎ。ぐんぐんと暑さが増してきたので引き返して我が家に戻ってきた。ここまでを記録にまとめるには数日は必要なほど。

 

 今日のお昼は天ぷらぶっかけうどんの冷やと野菜サラダである。これらを一気に食べて終わった。やはり、運動不足もあったのかなぁ。

 

 今日の掲示板はこれ。「一生懸命だと、智恵が出る 中途半端だと、愚痴が出る いい加減だと、言い訳が出る」という武田信玄のことばらしい。内容としては、いいなぁと感じたけれど、今一つ、すっきりしない。武田信玄作とされる言葉で有名なものには、武田節の中にも取り入れられた、「人は城 人は石垣、人は堀 なさけは味方 あだは敵なり」。江戸時代に武田信玄の功績をまとめた「甲陽軍鑑」の中に、信玄の歌として紹介されているが、ただ確証はないようである。ただ、個人的に、「一生懸命」を武田信玄が使ったとは思われず、信玄公は「一所懸命」で、自分の領地に命を懸けたのが正解だと思う。自分の一生に命を懸けて働いたら、それこそ疲れ果てて倒れてしまう。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。

 


夏空に沸き立つ雲に風の音

2021年07月26日 | 時には日々是日

 26日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は23.7度から32度、湿度は80%から60%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の27日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込み。

 

 108/53/79 35.7c-98% 61.4Kg 23.9c-68%-1005hPa 体調に全く変化はない。

 

 ようやくに奥方が出勤していったので、燃えるゴミを片付けていたらば布団カバーやら玄関マットやらくたびれたスリッパなどと大混雑。燃えるゴミには違いないけどもなぁと分別収集。空き缶やペットボトルなんぞも片付けておいた。奥方の前でこれをやると「当てつけなの・」と叱られる。

 

 で、今日は約二ヶ月に一度の予約診察日。お薬を処方してもらうための診察みたいなもの。

 

 最初は採血と採尿。とりあえずは採尿だけを先に済ませておく。その後、ゆっくりと採血の順番待ち。それでも10分ほどで採血も終了。

 

 ここは、とりあえずは「採血から」みたいなもので、ほとんどの人が採血・採尿をやらされる。だから、ここだけは戦争みたいなものだ。「まだ・・ですか・・」「あ、すみません、お呼びしますからお待ちください」の連続・・。「すみません、まだですか・・」「あ、すみません。座ってお待ちください」・・・。

 

 採血が終われば、今日はそのまま泌尿器科へ。心電図もレントゲン撮影もなかった。

 

 泌尿器科では「残尿検査」というものがある。ぼうこうにいくらの尿が残っているかを調べるもので、尿検査のあと、二回もトイレに行って来た。結果は「尿量240」ということでOK.一回分ぐらいがまだ残っている。

 

 でも、最近は尿は困ることがないくらいには排出できている。それだからおなかの張りも足のむくみもない。

 

 その後、内科での診察が本番。でも、ここでも3分間診察みたいで、胸の音を聞いて血圧を測っておしまい。

 

 「おや、体重、どうしましたか」というので、「ええ、6月末におしっこの栓が抜けたみたいで、こうなりました」と言っても返事もない。「で、次回ですが、8週間後だと9月の20日の敬老の日になりますので、22日の水曜日に・・・」ということでおしまい。泌尿器科も22日に合わせてもらった。

 

 今日のお昼はまたしても「うな丼」である。真空パックに入ったうなぎを湯煎してご飯の上に並べて食べるというもの。やわらかくて骨がなくてパクパクと食べてしまった。多分、タレがおいしかったんだろうなぁとは思う。

 

 お昼からは遍路研究者の先生がおいでになって、貴重な写真や資料をいただいてしまった。おまけに「遍路墓」の資料まで。これでは「来年の夏休みの自由研究」ができそうなほどの資料である。

 

 お昼からはいつのも調剤薬局で処方薬を調合してもらってきた。病院からファックスをしておいたものである。私の場合、薬の量が多いのでゆっくりと時間をおいてから受け取りに行く。

 

 これが二ヶ月分58日分である。これで限度額一杯の18,000円。うーむ・・とうなるほどのお薬である。

 

 今日の掲示板はこれ。「確かな一歩の積み重ねでしか 遠くへは行けない」というもの。メジャーリーガーのイチローこと[鈴木一朗]さんの言葉である。一歩、一歩、また一歩。亀のようにその歩みは遅くても、大地を踏みしめて、確実に前に進んでいけば、いつかは必ず頂上にたどり着くことができる。昨日の言葉の続きのようだけれど、目標に向かって進んでいくプロセスと、人生を歩んでいく過程とは同じだと感じたことだった。考えてみればくだらなような作業だけれど、今はただ、この作業をコツコツと丹念にやっていくしかない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えると、いいね。


ここそこと探し歩いて夏日陰

2021年07月25日 | 時には日々是日

 25日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は23.9度から32.7度、湿度は84%から70%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 101/54/79 35.9c-98% 61.2Kg 26.3c-64%-1014hPa 体調に変化は全くない。足の腫れもむくみもないし、おなかが張ることもない。ただ、少し動くと動悸が激しくて歩けなくなる。じっとしていれば全くの普通人である。

  

 今日も気温は高いが暑くはない。空気がさっぱりとしているし風があると気持ちのいい暑さ。一階部分にはエアコンはいらない感じだが、さすがに二階は温室効果でエアコンなしでは干物になりそう。

 

 で、朝の涼しい間にはお勉強の時間だと小学校の夏休みの時にはやかましく言われていたが、今の年になっても夏場の涼しい間にはお勉強タイムである。単に横着になっただけのことかもしれない。

 

 で、会長からのダメだしが届いた。市役所も働き方改革なのだかなんだか難しくなってきた。私は働いていないので働き方改革なんぞ無用のお話だけれど。

 

それなのに、まだまだ、こんな調査票が届く。何回も「働いておりません」と回答するのに、何度も何度も届く。聞けば、これが最終回だという。

 

 お役所は、こういう数字でお国を運営するんだなぁとぼんやりと眺めていた。

 

 そろそろインターネット回答をしておくことにしようか。

 

 それに文章の番号、項番もややこしい。こういうのもちゃんとした規則があるのか。適当に、Ⅰ、Ⅱとかとやっていたが、それはどのあたりで使うものだろうか。

 

 今日も奥方はお休みらしく、朝から畑仕事をやっているらしい。好きこそ物の上手なれ・・である。

 

 で、今日の大窪寺である。四連休だからきっとお遍路さんもいるはずだろうとやってきたが、相変わらず人影はない。それでも、門前のお店は平常営業をやっている。

 

 我が家では全く蝉の声を聞かない。聞こえるのは朝夕のヒグラシばかり。だと、セミはいないのだろうかと裏山をのぞいてみたらば、セミの抜け殻はたんとある。セミはいるのにセミが鳴かない。おそらく気温の高さに関係するのだと思っているが。

 

 セミが鳴かない割に、元気なのがスズメの夫婦である。この巣箱に出たり入ったりするが、ここで子育てする気はないようで、あたり一面を飛び回ってうるさいこと、うるさいこと。

 

 で、奥方が畑仕事で汗まみれになったからと、冷たいそうめんになったが、私的にはなんだか物足りないそうめんである。白いカップは漢方薬の煎じ薬。奥のグラスは梅シロップである。なんだか、とんちんかんな取り合わせ。あ、そうそう、それにおいなりさんだ。もっと、新鮮なお野菜がどんとほしいところ。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当に自分を知るには やはり人という鏡がなくてはならない」というもの。昔からのことわざ、「人の振り見て我が振り直せ」ということか。自分だけでは傲慢になり、居丈高になり、井の中の蛙になってしまう。やはり、「人」という鏡がなくてはならないのである。高光大船師は、浄土真宗の僧侶。 石川県石川郡北間の富豪高木家に生まれ、檀那寺の真宗大谷派専称寺に養子として入りのち住職。1908年真宗大学卒。七尾で刑務所の教戒師を務め、清沢満之に師事。1916年藤原鉄乗、暁烏敏と金沢に愚禿社を設立し、雑誌『氾濫』を刊行。加賀の三羽烏と呼ばれた。そういえば感染症問題が騒がしくなってきてから、人と会話することも人に会うこともなくなってしまった。鏡をなくしてわがままが横行しているのかと思う昨今である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蝉の声過疎の里にはちょうどいい

2021年07月24日 | 時には日々是日

 24日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は24.2度から32.2度、湿度は80%から66%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 102/62/79 36.0c-99% 61.4Kg 26.0c-67%-1010hPa 体調に全くの変化はない。

 

 あさっての7月26日が内科や泌尿器科の定期検診・予約診察日だが、当日の体重ばかりが気になるところ。朝方は体内に水分が溜っていて63Kgあたりになる。お昼前には62Kgになり、夕方のお風呂時期には61Kg台になるのだが。

 

 で、最近の宿題はこれ。観光ガイド用の防災マニュアル「安心安全ブック」の作成である。普通は地震・津波・火災なんぞの「防災マニュアル」になるのだが、観光ガイドには火災や津波はあり得ない。たまに雨や雷・崖崩れがある程度。

 

 だとしたら、私たちは安心安全かというとそうでもない。イノシシやサル、アシナガバチやらアブやブト、ハゼの葉っぱや水仙やらと、気がつけば周りは危険がいっぱい。それらを整理している。

 

 そうこうしていたら朝ドラタイムだが、今日は土曜日と言うことで朝ドラがない。

 

 先日に、目的地・ゴールであるはずの88番大窪寺にゴールインしたらお遍路は終わるはずなのに、なんで、切幡寺(四国霊場10番札所)や白鳥(しろとり)という集落に向かうのか・・・というようなお話をした。

 

 これが、そのお遍路の概略図である。オレンジ色や黄色が「白鳥道」というもので、88番札所総奥の院の「與田寺」や「白鳥神社」経由で四国霊場3番札所「金泉寺(こんせんじ)」に向かうコース。一方、緑のラインが10番札所「切幡寺」から9番、8番、7番、6番と逆打ちしながら3番金泉寺(こんせんじ)経由で1番札所の「霊山寺(りょうぜんじ)」に御礼参りするのだという話だった。なんで、わざわざ10番に行くのか・・という疑問が残った。

 

 実は・・・である。女体山にある88番大窪寺から進んで白鳥道を行くと水主神社・與田寺・田の口薬師・東海寺あたりは平坦地だが、大坂峠という魔の山がある。

 

 昔の山越えの狭くて急な坂道を登ることになる。ここを越えなければ阿波国の「番所」にいけない。そこを通過しないと阿波国には入れない。そういう関所があった訳だ。

 

 一方、緑のラインだと、ほぼ平坦地を歩いて、しかもここは阿波国に入っている。だから楽々と3番金泉寺までたどり着けたのである。そういうことで、大窪寺からは10番さん、切幡寺を目指したお遍路さんが多かったわけだ。

 

 とにかく、昔はというか戦後までは、多くの人々がこうした遍路道を歩いて旅をしたということである。

 

 今日は奥方がお休みなので、すごくおとなしいかき揚げ天うどんになった。

 

 時には、こうしたオーソドックスなおうどんもいいものだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「ひと夏のいのちかぎりとセミが啼く」というもの。八月は「死」が身近な季節である。原爆記念日や終戦記念日、月遅れのお盆が八月であるからという以上の、死を身近に感じる季節である。この、生命の峻烈ともいえる季節に、ひときわ蝉たちは声高に啼き尽くし、叫び続けて死んでゆく。仲間たちはまだ梢にあるというのに、あるものは地面に落ち、狂ったようにもだえたかと思うとまた飛び立ち、再び地面に落下して死んでゆく。生命の烈しい燃焼と死の充実。あるいは生と死の落差にあらためて驚くということ。それを短い期間で気づかせてくれるということ。われわれが耳にする死の情報は抽象的なもの、頭の中だけの理解であることがしばしばである。けれども、蝉たちは身をもって教え示してくれている。これが現実であるのだと・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


突き抜けてヒマワリのある日記帳

2021年07月23日 | 時には日々是日

 23日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は24度から32.6度、湿度は86%から68%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 104/54/78 36.2c-97%-61.6Kg 36.2c-61.6%-1013hPa 体調に変化はない。

 

 で、今朝も4時半には起きてしまった。で、朝の間は防災マニュアルの作成という夏休みの宿題みたいなもの。

 

 私たちの場合、「防災」なんて大袈裟なことではないので、「安心安全マニュアル」ということにしているが、中身は一緒みたいなものだ。「安全安心・・」というほうが落ち着くだろうか。ま、どっちだっていいのだけれど。

 

 で、「危険な動物七種」というと、最初には「クマ」が来る。クマ、ヘビ、サル、イノシシ、シカ・・・と並ぶのだけれど、「クマ」の話なんぞ聞いたことがない。少なくとも「さぬき市」にはクマなんぞいないし、四国にだってクマなんぞ居るはずがないじゃないかと思っていたのだが・・・。

 

 お遍路さんの持ち物の一つにこれがある。正式には「持鈴(じれい)」といって、お経を読むときにこれを打ち振って調子を合わせる楽器である。しかし、山中においては「クマ避け鈴」として使われる。つまり、クマ避けベルである。これをチリンチリンと鳴らしながら歩くとクマが逃げていくというのである。つまりは、四国の山中にはクマが居るということになる。

 

 で調べてみたら、「ツキノワグマ」というクマがいるというではないか。

 

 つまり、徳島県と高知県の間の「剣山(つるぎさん)」山系にはツキノワグマがある頭数が生息しているのが確認されたというのである。

 

 それも一頭や二頭ではないらしい。やがてのことには、徳島県の山を越えて、大窪寺周辺にまで出没してくるかも知れない。そこで急遽、クマの情報も盛り込んでおいた。

 

 今日も天気がいいので、燃えるゴミを片付けたり、空き缶やペットボトルを整理しておいたり、私のパジャマなんぞを洗濯していたりすると・・・、

 

 ゴーゴーという音とともに重機や草刈り機を抱いた作業員が道ばたの草刈りをやっているではないか。毎年、道路月間に合せて、全ての道路の草刈りをするのだそうな。我が家あたりは、毎年、今日あたりに草刈りをやってくれる。

 

 おかげで道路周り、我が家の玄関あたりはさっぱりとしてすっきりとした。

 

 そういえば、昨日が「大暑」だったらしい。大暑(たいしょ)とは暑さが最も厳しくなる頃。 快晴が続き気温が上がり続ける時期で、まさに盛夏・ 大暑とは二十四節気のひとつで、 暑さが最も厳しくなる頃であるらしい。 江戸時代の暦の解説書『暦便欄』では、「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されている。 快晴が続き気温が上がり続ける時期で、まさに盛夏の候であるらしい。

 

 今日のお昼はあっさりそうめんにしてみた。暑い時にてんこ盛りになったトッピングもいいのだが、あっさりとさっぱりと食べるのもいいではないか。

 

 今日の掲示板はこれ。「斯(こ)う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」という小林一茶の俳句である。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。文化七年、48歳の頃、「七番日記」執筆開始。帰郷して遺産交渉するも不調。11月、成美宅に滞在中、金子を紛失し、5日間足止め。「大江戸や芸無し猿も花の春」「故郷やよるも障るも 茨(ばら)の花」遺産相続で疲れた。故郷の人々は茨の花のように棘を刺す。「蝶飛んで我が身も塵のたぐひ哉」一茶は蝶に我が身を重ねることが多い。塵のようなつまらない人生だったか。「斯(か)う居るも皆骸骨ぞ夕涼み」こうやって生きてはいるが、死ねばみな骸骨だ。「ちる花や已(すで)におのれも下り阪」散る花のように、人生50を前に、何もなしえていないのにすでに下り坂か・・・。反省ばかりの一茶であった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


晴れきった夏の昼間を持て余す

2021年07月22日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は23.4度から32.6度、湿度は84%から68%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 105/57/79 36.2c-97% 61.6Kg 26.1c-67%-1014hPa 体調に変化はない。数字的に問題はないが、やはり心臓は劣化しとるようで少し動けば苦しくなるから、健康になったとは言えない。ただ、安定しているという状態か。

 

 ま、奥方やヘルパーさんの手も借りずに、自分のことは自分でできるし、普通の日常生活には問題ない。

 

 で、今日は朝の5時過ぎまで寝て居た。それから朝ドラタイムまでは朝のお勉強の時間。観光ガイド用の「防災マニュアル」の下書き整理やら重複箇所の修正やら・・・。大筋の背骨は見えてきたように思う。ダラダラダラ・・とメモ書きの連続が、あらかたの流れが見えてきて骨格が現れてきた・・・というような感じ。肉付けやら枝葉末節はおいおいにまとめていく。

 

 で、引きこもってのデスクワークばかりでは「うつ病」になるとかで、気分転換に「朝のドライブ」という「朝ドラ」に行って来た。四国遍路のゴールである「八十八番」を踏みしめた歩き遍路の多くが「一番さん」の霊山寺に向かわずに「十番さん」の切幡寺に向かう。なんでだろう・・。

 

 すると、おやおや・・・お遍路さんがいる。昨日の大窪寺にはお遍路さんの車などなかったのに、ここには何台もの乗用車が。しかも鹿児島県とか廿日市市とか岩手県とか・・。

 

 おやおや、お遍路さんの姿なんぞ久方ぶりではないか・・。徳島にはお遍路さんがいて、なんで香川県にはお遍路さんが居ないのか。

 

 ここは遍路用品を売る有名なお店。「すもとり屋」という名前のお店である。ここのご主人に聞いてみたら、「ああ、昨日までは車なんぞ来なかったんですよ。連休になったからでしょうかねぇ・・」と、これまた不信顔。ああ、人によれば四連休になるそうな。それで遠くまでお遍路に来たのか。初日の昨日は一番さんから打ち始めて、今日は十番まで来たってことか。

 

 お愛想で、歩き遍路用の地図を買った。宮崎さんという方が歩き遍路で迷ったからと言うことで、自分一人で歩き遍路用の地図を作ったり案内板や標識を立てて歩いた人。その人が心血注いで書き上げた本である。

 

 その「スモトリ屋」の前にある「案山子(かかし)」である。でも、ここらあたりでは、かかしとは言わずに「やねこじき」というのだそうだ。江戸時代、阿波藩主蜂須賀様が、作物がとれず貧しい農民の救済のため租税を免除した際、農民たちはそのお礼として、手作りの人形を飾り、巡視に訪れた藩主を歓迎したことが始まりと言われている。「やねこじき」という伝統行事が続いてきた背景には、蜂須賀様の「御判物」に助けられ、自分たちで開墾し市を開き、にぎわいのある市場町に発展していった誇り、感謝の気持ち、おもてなしの心が強く地域に根付いている賜物だとされているそうな。

 

 今日の朝ドラのコースである。我が家を8時40分に出て、戻って来たのが10時半。二時間ちょっとだから、20Kmくらいなものだっただろうか。

 

 「今日はネギトロ丼ね」と言って奥方は出て行ったけれど、「それもなぁ」ということで、「ねぎとろうどん」にすることにした。

 

 で、レシピを参考にしながらやってみた。本当は用意してくれている具材を、炊き上がったご飯の上に載せればいいように、そのまま、うどんの上に載せればいいのに、あれやこれやと満載にしてみた。

 

 ところが・・・である。お湯の温度が高すぎたものか、温泉卵にならずにゆで卵になってしまった。

 

 でもまぁ、野菜たっぷりなネギトロうどんになって栄養たっぷり。

 

 おまけにスイカのデザート付きである。

 

 今日の掲示板はこれ。「私が後悔することは、しなかったことであり、できなかったことではない。」という、イングリッド・バーグマンのことばから。ハリ ウッド女優、イングリッド・バーグマンの名言。やろうとしないで諦めてしまったこと。その時はやらないもっともらしい言い訳がたくさんあったとしても、それってごまかしでしかなかったのだ。うまく出来ないかもしれないけど、それでもチャレンジしてみれば、少なくともチャレンジした自分を誇らしく思えたものを。私が中学だか高校だかの頃に勧められて見た、「誰がために鐘は鳴る」の主演女優さんだったイングリッド・バーグマンが、当時の私には輝いて見える娘さんだった・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蓮の花風揺れもせず人も来ず

2021年07月21日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は23度から32.5度、湿度は82%から66%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 圧縮時血圧111、解放時血圧64、脈拍79。体温36.1度-酸素濃度98%、体重61.6Kg 室温23.8度、湿度72%、気圧計1015hPa。体調に変化はない。

 

 今朝も3時半に起きてしまった。横になってもすぐに眠れる場合と寝られない場合がある。寝られないときには起きてしまうことにしている。横になっても眠れないのではいらいらとするばかりだ。

 

 で、今度は「安心安全マニュアル」の執筆中。観光ガイド中でも自然災害はやってくる。雨だって降るし雷だって鳴る。スズメバチだって飛び回っているし、草むらにはヘビや山ヒルだっている。いくら安全に注意していても事故は起こる。

 

 そうしたことに対する準備と心づもりをまとめたマニュアルにしようとしている。だから、イノシシからサルからヘビからハゼの葉っぱまで、さらには毒キノコの分類法までまとめようとしている。

 

 安全に「完璧」はない。安心に「100%」はない。

 

 今日の大窪寺の門前である。お遍路さんはおろか観光客の姿もない。それでもお寺も門前の三軒のうどん屋さんも普通営業を続けている。いったい、お遍路さんはどこに消えてしまったのだろうか。

 

 ここが大窪寺の第一駐車場である。隅っこに一台の車が止まっているだけで全くの人影がない。さて、この駐車場のここが「臨時ヘリポート」になるところ。

 

 災害時や非常時には、この駐車場が臨時ヘリポートに使用される。ここから救急車やマイカーで病院に行くとしても距離が遠いから時間も掛かる。災害時には道路も寸断されるかも知れない。そのための「臨時ヘリポート」である。

 

 AED(自動体外式除細動器)の設置場所も確認してきたし、緊急避難場所も確認してきた。ここ以外にも設置場所はあるのだけれど、土日はお休みという役所や施設があって休日には使えないという場所もある。

 

 AED設置場所を確認してきた。それだし、その下にある「お遍路トイレ」の場所も確認しておかねば。山道での急なトイレには困ってしまう。伴走用の車に乗せて「お遍路トイレ」までの送迎も大事なお仕事になる。

 

 AEDの使用方法は何度も訓練しているのでおそらく大丈夫。でも、イザとなったら自信のほどはいかばかりか。

 

 今日のお昼は「うな丼」になった。うな丼たって、真空パックに入っているうなぎ(?)を湯煎してご飯の上に載せるだけである。

 

 これがうなぎなのかアナゴなのかはわからない。わからないが一応「うなぎ」と印刷してあるので信用しよう。やわらかくてダシがこってりと効いていて、パクパクと一気に食べてしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人が人生の最後に後悔するのは やってみて失敗したことより やりたかったのにやらなかったこと。」というもの。どこのどなたの言葉かはわからない。書道教室の書いた文字らしい。

 コーネル大学の新しい研究で、人が最も後悔し苦しむのは、義務や責任に関してではないことがわかったという。米誌『Emotion』に掲載された「The Ideal Road Not Taken」の筆頭筆者で心理学者のTom Gilovich氏によると、私たちがを最も苦しめる後悔は、「理想の自己」として生きることができなかった後悔なのだそうである。つまり、間違いをおかしたことや、すべきことをしなかったことは、本当になりたかった自分になれなかったことほどは、心を悩ませはしないということ。Gilovichは次のように説明している。
 私たちは自分の人生を評価するとき、理想の自己に向かって歩んでいるか、なりたい人間になりつつあるか、を考える。こうした問題に関する後悔は、いつまでも心を離れることがない。人生という旅路で、いつも前方に見据えていたのが、そうした風景だからである。一方、「義務」の後悔は、道路にできたくぼみのようなもの。たしかに問題ではあるけれど、通り過ぎてしまえばそれまでのこと。後悔という点でいえば、義務自己に関する失敗は「もっとうまくできたかもしれない」という後悔につながるけれど、理想自己に関する失敗は「なりたかった自分になれなかった」という後悔につながるのだという。
 
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

青空に雲一つなく鹿の子百合

2021年07月20日 | 時には日々是日

 20日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は23.2度から32.4度、今日も真夏日になった。湿度は82%から70%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 圧縮時108/解放時60/脈拍78 体温36.0度-酸素濃度98% 体重61.4Kg、室温23.2度-室内湿度72%-気圧計1016hPa 体調に変化はない。

 

 今日から夏休みになるらしい。そこで、しばらくここも夏休みモードにしてみた。このブログも絵日記と言えば絵日記みたいなものである。

 

 だいたい、私の毎日はこんなもの。朝の涼しいうちはお勉強の時間である。今朝はなぜだか3時半に目が覚めて寝られなくなった。だから、今日の起床は3時半だが、子供用の予定表には、そんな時間帯はない。

 

 で、今日は、「観光ガイドによる観光ガイドのための観光ガイドブック」の記事の追加や文章の整理なんぞをやっていた。先の第一版に、第二版として危機管理項目を追加したものである。

 

 私たちの観光ガイド養成講座でも、「観光ガイドの仕方」という講義は一コマしかない。後は四国遍路の歴史とかその意義とかを大学の教授に学ぶものだった。そのために、「観光ガイドの心得」とか「ガイドのこつ」とかという「ガイド学」をまとめたものである。

 

 で、試作版を作ってみて、OKだったので本ちゃん用を何冊か作ってみた。全ページカラー版とか全ページモノクロ版とか・・。

 

 朝ドラが終わるまでには、なんとか形になった。いや、朝ドラなんかは全く見ていないのだが、そういう時間帯にはなんとかなった。

 

 こういう形で、早くも夏休みの宿題の何分の一かは形になった。

 

 で、今日はケアマネさんと介護用品屋さんとの「サービス担当者会議」である。ちゃんと、奥方のお休みの日に合わせて設定されているらしい。で、介護ベッドの点検やら昇降用手すりや入浴用手すり、歩行用杖なんぞのチェックも合せて実施された。

 

 大切なことは、この七月になって送られて来た「介護認定証」である。介護認定の度数によって介護ケアプランや介護用品のランクが変わるのである。だから、その認定は大事な証拠になるが、今回も「要介護2」という判定、そのままであった。これで、今まで通りのサービスが受けられるわけである。要介護2は、家事や買い物など日常の動作に加え、食事や排泄など身の回りのことにも部分的な介護が必要な状態である。要介護1と比べて自力でできないことが増えるため、見守りや手助けが必要となる。

 

 要介護2の場合、「歩行補助杖」、「手すり」、「介護ベッド」などが必要な福祉用具になる。これらを今は使っているが、ランクが下がれば返納か交換になる。一時間ほどの会議が終われば、奥方から全員に冷やし中華がサービスされた。奥方にすれば、この認定でまた一年間、安心してお仕事が出来るわけだから大サービスである。

 

 今日の掲示板はこれ。「傲慢になったり卑屈になったり 一喜一憂している我が人生」というもの。いつもお世話になっている町内の善楽寺さんの掲示板にあったことばから。あの人の奥さんはきれいで優しそうだから幸せな家庭だろうなぁと、うらやんでみたり、あの人は大きな会社の社長さんだから優雅な生活をしているんだろうなぁと考えてみたりするけれど、他人より優れている人が幸せか・・・というとそうでもない。その人たちも自分と同じで、傲慢になったり卑屈になったり一喜一憂してるのである。世の中に幸せだけの人なんていないのだし、不幸だけの人もまたいないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


梅雨開けて確かな明日が見えてくる

2021年07月19日 | 時には日々是日

 9日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。香川県では、19日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごしてください・・と案内している。気温は25度から32.8度、今季初めての真夏日になった。湿度は88%から66%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 104/50/79 36.5c-97% 61.2Kg 26c-79%-1015hPa 体調に変化はない。

 

 いよいよ、夏になったなぁと思う朝。早朝からヒグラシがカナカナ・・・と賑やかに鳴いていた。

 

 さて、この時期、忘れてはならない手続きがある。ご本山に対して、「私は法務などのお仕事ができません」という申立書である。つまり、休職申請みたいなものである。お寺さんというのは、法事奉賛がメインのお仕事。それを、医者の診断書を添えて、「すみませんが、お休みさせてくださいませ」というお願いである。

 

 ここが私の職場である勝覚寺というお寺。私はここに在籍している非常勤のお坊さんである。で、ここの社長である「住職さん」の許可をいただいて、本社宛に、「休職届」を出す訳である。

 

 この人が大先輩の「庄松」さんである。

 

 この扁額を簡単に読める人はいないが、「海暁閣」と書いてあるそうな。普通、お寺さんは「○○山XX院△△寺」と言う。ところが、このお寺は「海暁山海暁閣勝覚寺」と言うのである。このあたりでは、「閣号」というのは見たことも聞いたこともない。ま、そういう由緒あるお寺ということらしい。

 

 で、昨日で、旧遍路道シリーズは完結して封印をしたので、これからは「夏休みの自由研究」ということで、観光ガイド用の「安心安全マニュアル」を作っていくことにした。「たかが、観光ガイドくらいで安全マニュアルなんてしゃらくさい」と言われるかも知れないが、歩くだけでも気分が悪くなったり、転倒して歩けなくなったり、蜂やアブ、サルやイノシシにだって出会うのだ。

 

 どこに居たって安全な場所はない。こんな普通の石段でさえ転んで足をくじいて歩けなくなったりするのである。いくら弘法大師と一緒だからと言って、全てが全てお大師さんのご加護があると思ったら大間違い。その多くが高齢者だから、何をしていても危険がいっぱい。

 

 今日のニュースはこれが一番かも知れない。「ついに四国も梅雨明け」。梅雨が明けようと明けまいと、そんなに生活が変わるわけではない。でもまぁ、一種の節目みたいなものだろうか。時候の挨拶には便利かも知れない。

 

 ということで、梅雨のない北海道を除いて、日本全土で梅雨明けしたということらしい。そうして、本格的な夏になる。

 

 今日のお昼はこれ。「梅雨明けそば」である。どこが梅雨明けなんじゃい・・と言われそうだが、今日、梅雨が明けたから「梅雨明け・そば」ということだけだ。深い意味はない。

 

 左のカップは漢方薬の煎じ薬である。そんなに苦くはない。でも、おいしい飲み物でもないとは思う。

 

 三時のおやつはかき氷である。パソコン前にある温度計は28.7度を指しているが、エアコンが動いているので、そんなにもは暑くない。

 

 この書斎の気圧計(バロ・メータ)では、気温25度、湿度54%、気圧1015hPaを示している。

 

 今日の掲示板はこれ。「明日死ぬかのように生きよ 永遠に生きるかのように学べ」というマハトマ・ガンジーさんの言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。マハトマ・ガンジー[Mohandas Karamchand Gandhi] (インドの政治家・民族運動指導者・宗教家、1869~1948) 。
 原文はこうである。
Live as if you were to die tomorrow.
Learn as if you were to live forever.

 今日が人生最後の日だったとしたら、どうやって過ごすだろう。悔いが残らぬように一日一日を精一杯生きる!今という時間を精一杯に生ききる。学ぶ事には、これでいいということはない。最後の瞬間まで、学ぶ姿勢が大事だ。『富嶽三十六景』で有名な浮世絵師・葛飾北斎は享年90歳と長命だった。死を前にした北斎は、「せめてもう10年、いや、あと5年でもいい、生きることができたら、わたしは本当の絵を描くことができるのだが」と嘆いた。この偉大な絵師は、最後の最後まで修業をし、学び続けていたのだという。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


捨てられる色衣とりどり立葵

2021年07月18日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降っている時間帯があった。気温は25.5度から29度、湿度は80%から88%、風は2mから5mの東の風が少しばかり。明日の19日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 112/53/79 36.6度-97% 61.4kg 27.9c-75%-1015hPa 体調に変化はない。

 

 突然に娘が衣装箱を持ってきた。桐で作られた衣装箱だという。さて・・・と、我が家を見回してみると・・・。

 

 私の袈裟衣を追い出して、ここに置くらしい。というか、ここしか置く場所がないのである。我が家も広いと言えば広いのだが、不要なスペースはほとんどない。箪笥というものを置かないし、押し入れやクローゼットは布団ばかりが占領している。

 

 私も病気になってからは衣装、衣体をつけることもなくなって、これらはやがて廃棄処分にされてしまう。棺桶に入れて欲しいとお願いをしたが、そんなにたくさんは入らないという。

 

 で、お衣装を片付けてしまって、

 

 孫の衣装箱が居座ってしまうことになった。孫も来年は成人式だろうか。その準備をやっているのだろうか。それはそれで仕方のないことだ。

 

 で、私はホームセンターで印刷用紙を買ってきた。ひと箱500枚一包が5包みで2500枚か。これが一か月を待たずしてなくなってしまうのだからたまったもんやない。

 

 で、旧遍路道調査のレポートをまとめて印刷した。これは誰も予約しないと思うので、図書館行きになる予定。それと私用の6冊にした。

 

 発行部数が少ないしページ数も少ないので、全編、カラー印刷にしておいた。

 

 ♪あなた変わりはないですか
  日ごと暑さがつのります
  読んでもらえぬレポートを
  暑さこらえて書いてます
  ガイドごころの未練でしょう
  へんろいとしや古い道~♪

 

 今日は珍しくカレーうどんになった。それに残り野菜の野菜サラダにしてみた。

 

 最近は、かけうどんとか天ぷらうどんというものが姿を消した。食物アレルギーから肉うどんもなくなった。もっぱら、精進料理みたいな食生活の連続である。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるということは 思い通りにならないということが はっきりとわかることです」というもの。真宗大谷派の「祖父江文宏」先生のことばである。この言葉を残された祖父江文宏さんは、長年、児童養護施設「暁学園」の園長を勤められた方だという。祖父江さんは子供を尊重し、「子供」と言わず、「小さい人」と呼んでおられたそうで、体を張って虐待をうける子供を保護してこられた、その姿勢は子供たちに伝わり、子供たちから親しみをこめて「園長すけ」と呼ばれていたとも聞いている。この掲示板の言葉は、その祖父江さんの姿勢をつらぬく芯のようなものではないかと思っている。この思い通りにならないからこそ、人は苦しみ、悩み、怒り、泣き、わめいて、暮らすのだ。それが「生きること」だからである。そのことをはっきりとわかれば、悩みも怒りも悲しみもそねみもやわらかくなるというのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


夏に居て一人の午後の百合の赤

2021年07月17日 | 時には日々是日

 7日のさぬき市地方は、上空の寒気や湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所があった。気温は23.9度から30.2度、湿度は84%から72%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の18日のさぬき市地方は、引き続き上空の寒気や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎまで断続的に雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 99/60/78 35.9c-97% 61.5Kg 25.4c-84%-1017hPa 体調に変わりがないが、眠たいばかりでどうにもならぬ。夜中に1時間ごとにトイレに起きるのだから寝不足にはなるが、それで体内の水分量が軽減できれば実にありがたいことだが。

 

 ドクターは、こういう数字しかみないから、腹が張るとか呼吸が苦しいとかと言っても聞く耳を持たない。専門外のことには口出ししないし、感情的、感性的なものは理解できないのだと思う。ま、別に今は問題ないとは思うが、決して健康体ではないことだけは確か。

 

 さて、朝方だかに、「みなさんにいただいたレポートを整理してまとめなさいよ」とかと言われて、朝早くに起きてパソコン内を探し回ったけれど、皆さんから頂いたというレポートは見つからない。あれはやはり夢だったのかい。

 

 でも、この「白鳥(しろとり)道」という、旧遍路道を早めに片付けないと、後の防災マニュアルに手が付けられない。このルートは、結願寺の大窪寺を出て、総奥の院である「譽田寺」に参拝後、白鳥神社にお参りしてから船で関西に帰る者、陸路で高松に向かう者、、ここから大坂峠を越えて三番札所の「金泉寺(こんせんじ)」にお参り後、一番札所の霊山寺に御礼参りする者などと分れて行った場所。

 

 観光ガイドの養成コースでも習わなかったルートである。

 

 そうした旧遍路道を、新しい地図上にプロットしていくのは難しいお仕事。地形的にどこがどこやら見当がつかなくなってしまっている。頼りになるのは国交省の「四国のみち」だけになる。でも、その四国のみちを外れたら、もう、わからなくなってしまう。現地と合わそうとしても無駄な抵抗になる。

 

 で、ある程度の資料が集まったので「プロトタイプ」を作ってみることにした。試作品である。

 

 中身はカラー版両面印刷長編綴じでやってみた。

 

 うむ、まずまずの出来映えではないかと自画自賛。

 

 しかしのかかし、お地蔵さんに子どもの「よだれかけ」を掛けるのは、早くになくなった赤ん坊の匂いをお地蔵さんに覚えてもらうためだと学習したけれど、お寺さんによれば、観音さまにも、お不動様にもよだれかけを奉納しているが、どういう訳なんだろうか。ましてや、このお大師さんの足首や錫杖(お杖)の下に、幾重にも幾重にも巻き付けてあるのは、どういう信仰なんだろうか。まるで、お大師さんがほうきを持っているように見えるのは私だけなんだろうか。

 

 「今日はうな丼だから、温めて食べておいてね」というメモ書きがあった。おお、久しぶりのお米のご飯に出会ったものだ。

 

 それだし、「うなぎ」なんて数年ぶりに食べるというものだ。本物のうなぎの味を知らないけれど、柔らかくて骨がなくて、さくさくと食べてしまった。

 

 午後からは、久しぶりに青空が見えたけれど、しばらくするとまた、重い雲間に隠れてしまった。それにしても、七月中旬を過ぎても蝉の声が全く聞こえないというのも珍しいものだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「不安がない人生は楽しいかもしれません。しかし、不安があるから喜びも大きくなる」という長倉洋海さんの言葉からである。みんなは天国や極楽浄土を目指したがるが、そこは安穏ではあるけれど、不安も恐怖も妬みも憎しみもないという。しかしのかかし、それでは退屈するだろうしけんかもできないではないか。この言葉のように、不安や恐怖や妬みや憎しみがあってこそ、喜びも大きくなると言うものだ。長倉洋海は1952年、北海道釧路市生まれ。京都での大学生時代は探検部に所属し、手製筏による日本海漂流やアフガン遊牧民接触などの探検行をする。1980年、勤めていた通信社を辞め、フリーの写真家となる。以降、世界の紛争地を精力的に取材する。中でも,アフガニスタン抵抗運動の指導者マスードやエルサルバドルの難民キャンプの少女へスースを長いスパンで撮影し続ける。戦争の表層よりも、そこに生きる人間そのものを捉えようとするカメラアイは写真集「マスード 愛しの大地アフガン」「獅子よ瞑れ」や「サルバドル 救世主の国」「ヘスースとフランシスコ エルサルバドル内戦を生き抜いて」などに結実し、第12回土門拳賞、日本写真協会年度賞、講談社出版文化賞などを受賞した。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。 


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