まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ひんやりと 桃の風なり 手まり唄

2009年03月31日 | 自然
 さて・・・三月の31日になった・・・。

 本来ならば・・・会社に出向いて・・皆さんにお別れをいうべき日なんだろうけれど、体調が思わしくないので・・・お別れはしないままに・・・会社を去ろうと思った・・・。

 本来だと・・・ワイシャツにネクタイ姿で・・各職場を・・・ぞろぞろと・・・あいさつ回りをするのだろうけれど、送別会も休んだし、退職式も欠席したのだし、まだ・・診断書の期限内でもあるし・・・。

 それだし・・、まだまだ・・身体が本調子ではないのだから・・無理して挨拶まわりでもないし・・・、そんなにお世話になったという仲間も多くはないのだし・・・。

 

 薬を受け取って自宅に戻ると・・・花束が届いていた。ブログのお友達からの花束だった・・・。

 「まほろばさんへ

   これからの日々が まほろばさんにとって、良き日となりますように」

 そうだ・・、これからが新しい人生になるんだなぁと思った・・。第二の人生なのか、第三の人生になるのかはわからないが・・、ま、これまでの会社中心の生活から・・・好きなように生きられる人生になるんだなぁと思った・・。

 

 四月のカレンダーには・・

 「仕切りなおして・・・初心にかえる・」と印刷してあった・・・。人生の仕切り直しなのかなぁと思った・・・。なかなかに・・・初心には戻れないのだとは思うのだが・・・。

 ともかくに・・、この身体をどうにか元通りにしないと・・何をするにも元気が湧いてこないものだから・・・。それには・・・気候が暖かくならないと、外にも出られないのでは・・・何をするにも動きようがない・・・。

 

 ともかく・・・この日。42年間のサラリマン生活が終わったのだなぁとぼんやりと思った・・・。ちゃんとしたけじめのないままの今日だから・・、確かな実感というものは湧かないけれど・・・、「とうとう・・終わったんだなぁ・・」という思いだけは感じられたように思う・・・。

 

 会社からの感謝状には・・・「勇退」という言葉が書いてあるが・・、「そうなんか・・・勇退なんか・・・」と、妙な重みを感じた・・・。勇退というほどの勇ましさはないが・・・終わったんだなぁ・・というイメージだけは感じたことだった・・。

じゃぁ、また。

春色に 時とまりけり チューリップ

2009年03月30日 | 自然
 朝から・・・子供たちは元気だし・・けいこばぁは・・・食事の世話なんぞに追われっぱなし・・・・。私も遠くから・・・こどもたちを眺めてばかり・・。

 全くの・・・おじいさんの風情になった・・・。まだ・・、そんなに老け込む年代ではないのだけれど・・・。

 

 山には・・・やまつつじがかれんに花を咲かせている・・。そんな山道を散歩したりしながら・・足腰の鍛錬からだ・・・。でも・・少し歩けば・・・疲れがどっとでてくる・・。

 私の体に・・・何が起こったのか・・・?という疑問ばかりが湧いてくる。長年の疲れが出たようにも思えないし・・・、食べ物が変わったわけでもない。そんなに・・ストレスがたまった風でもないし、何かのウイルスに感染したということでもない・・。

 単に・・・風邪をこじらせたということだけのようなものだけれど、それにしてはしつこいではないか・・・。

 一月の中旬から・・・三月の終わりまで・・というのは・・・永すぎると思うのだけれど・・。

 

 こどもたちは・・・魚釣りを楽しんだり・・・海ではしゃいだりと元気そのもの。島の中学校の体育館を借りて・・・バレーボールを楽しんだり・・校庭で野球をしたりと・・・はしゃぎまわっている・・・。

 この日・・・けいこばぁはお仕事のために山の家に戻り・・・夕方は・・こどもらがバーベキューをしてにぎやかに島の春を楽しんでいる様子だった・・。

 

 私の気分は少しずつほぐれてきたようには思うのだけれど・・・、なぜか・・身体全体が筋肉痛のようなイメージ。少しばかり・・・歩き疲れたものなんだろうか。

 こどもたちとは別行動で・・・早くから眠ってしまった私だった・・・。

じゃぁ、また。

春めいて 芽吹きの桃や 瀬戸の風

2009年03月29日 | 自然
 今日は奥方のけいこばぁが・・島にやってくる日・・・。

 念入りに・・お部屋のお掃除をやっておく。誰も島にはいないのに・・なぜだか・・埃が舞い落ちてくる・・。それだし・・、小さな砂が・・・どこからか舞い込んでくる。だから・・、お掃除してもお掃除しても・・きれいにはならない・・。

 

 本当は・・・雑草もきれいに刈り取っておかないといかんのだけれど、病み上がりの状態では・・・草刈どころか・・・お庭の散歩もおぼつかない・・・。

 しかしのかかし・・、この時期にきて・・・何がどうなったというんだろうか。腕にも脚にも力が入らない・・・。

 しばらく・・浜辺に降りて・・・砂浜を歩いてみるが・・・なんと頼りのない歩き方だとか・・・。さすがに杖までは必要ないが・・・。

 

 昼過ぎのフェリーで・・けいこばぁやら・・神戸の親戚の子供らがやってきた・・。

 これで・・・少し・・・元気が出てきたようで・・少しばかり笑顔が戻ってきた様子・・・。

 子どもたちは・・・中学校のグランドで野球をやったりして元気そのもの・・。

 私はそれを遠くから眺めているばかり・・。まだ・・、そんなに老け込む年でもないんだが・・・。

 でも・・・子供たちの活発に走り回っている姿を見ているだけでも・・元気がうまれてきそうな気がするのだけれど・・。

 

 でも・・、まったくの予定外の年度末になってしまい・・、なんだか・・申し訳ない気持ちにはなる・・。お仕事も中途半端で終わってしまったし、一応・・引き継ぎ事項は伝えたし・・・やるべきことは・・引き継いではおいたのだけれど、さぁ、これからが本番の引き継ぎを・・・と思っていた矢先の入院になったものだから、業者さんへのあいさつ回りとか・・・これまでのお礼だとか・・・。

 まぁ・・仕方がないと言えば仕方がないのだし・・。それも仕方がないなぁと妙に納得するしかないのだけれど・・。

じゃぁ、また。

新しい 旅立ちの朝 桃の花

2009年03月28日 | 自然
 ようやくに春めいたとはいうものの・・、依然として風は冷たい・・・。

 マスクをかけて・・ウインドブレーカという重装備で少しばかりお出かけをする。まだ・・、足もとがふらつくような感じがする・・。二週間ほど・・・ベッドの上で寝てばかりいたからか・・足に力が戻ってこない・・・。

 隣町のスーパーでお買い物をやら飲み物を準備して・・・。

 

 途中・・・会社に寄って・・・私物やら・・やり残した書類やらを片付けて、机の中をお片付けしておく・・。もう・・、会社に立ち寄ることもないのだからして・・。

 勤務変更して・・・お仕事をやってる同僚もいたが・・・あんまり・・心配はしていない様子・・・。そんなものかも知れないね・・・。長年・・一緒にいたといっても、個人的なお付き合いは全くないのだからして・・。

 それだし・・数年しか同じ商場にいただけの同僚なんて、入院したことも退院したことも・・感知していない様子・・。お別れの言葉一つかけてはくれないのだからして・・。

 

 転地療養・・・なんて言葉は死語になったのかも知れない・・。ま・・、気分転換という意味もあって・・・。

 そうそう・・・さぬき広島の・・・お風呂用の灯油も3缶・・60リットルに、お船の軽油が4缶、80リットル、それに草刈り用の混合油が10リットル、敬トラ用のガソリンを20リットルを積み込んで・・・島に渡ろうとしていた。

 ほかに・・缶ビールが3箱、焼酎が2本などなど・・。エネルギー源が満載だ。他に野菜とかの生活資材も満載にして・・・。

 普段には・・・車を乗り入れることはなくて・・、港まで荷物を運んで・・島では・・敬トラに荷物を移し替えて運び込むのだが・・・、今回は・・・どっさりと荷物を満載にしての島入りだった・・。

 

 島もまた・・春めいてはいるのだけれど・・風がなぜか・・冷たい。

 島の家のお掃除だけをきっちりとやって・・、安静第一ということで・・早くから寝てしまった・・。

じゃぁ、また。

ようやくに 春来たりなば 桜かな

2009年03月27日 | 日常
 三月27日(金曜日)

 予定通りに・・・退院となった・・・。少しばかり・・・私のわがままと強引さがあったのかも知れないのだけれど・・。

 とにかく・・・三月31日で・・健康保険証の期間が切れるので、そこで・・処置を一旦・・・切って欲しいという言い分だった・・。

 今までの健康保険証が・・・いつまで有効なのかは知らないのだが、とりあえずは・・・3月31日に、今までの健康保険証は返納しなければならないのは事実。

 そういうことで・・・会社宛への・・診断書とかも書いてもらったし、これまでの支払い処理も済ませておいた。

 ただ・・、右の胸には・・・まだ・・・肺炎の陰は残ったまんまだ・・。

 

 ともかく・・・点滴も終わったし、酸素マスクも外れたし、吸入処置も終わったのだから・・・、後は・・・投薬処置しかないではないか・・・。

 それならば・・・このまま・・自宅で過ごせばいいではないか・・という話になる。

 そんなで・・・、今日・・・退院をさせてもらった・・。

 時期的には・・・暑くも寒くもない時期だけあって、汗まみれにはならなかったけれど、やはり・・二週間もお風呂に入らないと・・・体中がかゆく思える。第一・・・頭がかゆい・・・。

 外泊をお願いしたが・・、それならばということで・・退院となった。まだまだ・・無理はできないけれど・・・、しばらくは・・・自宅療養ということになった。


じゃぁ、また。


退職の 時計重たき 春の午後

2009年03月26日 | 日常
 三月26日(木曜日)

 晴れてはいるが少し肌寒いような朝になった・・・。

 朝起きての洗面でも・・・例の血痰は見えなくなり、白くてやわらかな液体になっていた・・・。

 体重は62.5Kg 少しばかりやせたような気がする・・・。

 隣のベッドの吉田さんが退院した・・。ペースメーカーの電池交換手術だった。だから・・この病室では携帯電話が禁止されていた・・。その吉田さんの退院で・・・みんなが少し・・・ほっとした・・・。

 

 言うと言わないと・・・すぐそばに・・ペースメーカを抱えた人がいるいと・・さすがに・・緊張はするし、気も遣うではないか・・・。部屋には・・・「携帯電話使用禁止」の張り紙があるし・・・さすがに・・・携帯電話の電源を切ってしまった・・・。

 一階の売店で・・・親戚のおばさんが買い物をしていてて・・・大慌てで・・病室に舞い戻った・・・。それからはマスク姿にサングラス姿になった。それこそ・・・怪しく見えるスタイルではないか・・。

 

 これが・・、その・・退職記念の腕時計だそうだ。今はやりの・・電波時計で、梱包をあけた瞬間に・・・長針と短針が動き回って・・・最新の時刻を表示してくれた・・・。

 感謝状は・・・追って、額にでも入れて・・どこかに飾ることになるだろう・・。退職式に参加できないと言うことで・・・、会社から自宅に届けてくれた物らしい。それをまごのなぎちゃんやはやてちゃんやらが・・・わざわざ・・病室までに届けけてくれたもの。

 午後から・・・胸部X線の撮影が行われて・・・退院か外泊かの判定が行われたようで・・・、「まだまだ・・肺炎の兆候は残っているが・・・」

 期待を残して・・・時間が流れ去ったような気がした・・・。

じゃぁ、また。

退職の 夢ものぞみも 消えて春

2009年03月25日 | 日常
 三月25日(水曜日)。

 退職式の予定の朝だった・・・。無念の思いがつらかった・・・。

 42年という・・・永きにわたって通信を守り続けてきた自負と責任と・・。
その・・・最後のセレモニーを迎えることができなかった悔しさは重かった。

 けれど・・25年、30年という・・順調な節目を押さえてきたから・・・、この・・42年という節目には・・・あまり期待感がなかったというのが事実かもしれない。おまけの・・42年だったのかもしれない。

 

 私たちの場合・・・勤続永年表彰というのは・・「30周年」と言われてきた。その・・・感謝状も・・・記念の置き時計も・・・先の台風で流されてしまった。

 でも・・それはそれで・・・良かったのかも知れない。

 今回の・・・42年周年という表彰状は・・・全くのおまけでしかないように思えた。

 法衣を着ようか・・お袈裟を着ようか・・・。タクシーで式場に向かおうか・・・どこに車を止めようかなどと・・さんざん・・考え抜いたけれど・・、こんな・・・病気で・・・話にもならずに終わってしまったことが情けない・・。

 

 ともかくに・・・点滴は終了した。腕に差し込まれた針も抜かれた。酸素マスクも外された・・・。吸入の装置も外された・・・。

 会社の・・・退職式には出られなかったけれど・・・、点滴の卒業式には立ち会えたではないか。酸素マスクの卒業式にも出られたではないか・・・。

 痰は白く柔らかくなったではないか・・・。

 食事は完食となり・・・病院からの食事が全て食べられるようにもなった・・・。

じゃぁ、また。

再入院 妻の笑顔が 取り柄なり

2009年03月24日 | 日常
 三月24日(火曜日)。

 朝起きての洗面でも・・・血痰がきれいさっぱりと消えた・・・。普通の白い痰になった・・。

 俗に言う・・「日にち薬」なんだなぁと思った・・・。今日で・・・2週間になるんだなぁと思った・・。それまでは・・なんだかんだと堪え忍ばねばならないのだと思った・・。時期がくれば・・・病気は治るんだなぁとも思った・・・。「自然治癒力」なんだなぁと改めて思った・・・。

 この日も・・WBC・センバツ・大相撲で暮れた・・・。なかなかにお仕事に追われていると・・こういうものを見る機会はないと思うが・・・思えば・・・ラッキーなのかもしれなかった。ベッドの上で・・・すきな体勢で・・・すきなようにして・・・野球を見る・・。相撲を見る・・・。優雅なものなんだなぁと思った。

 今日は火曜日・・。院長回診・内科医長回診があった・・。診断書を書いて欲しい・・、外泊許可をお願いしたい・・・、三月末日で退院させて欲しい・・と、いくつものお願いをしておいた。

 

 点滴は朝夕の二回。吸入も朝昼晩の三回・・・。決められたことをそのままに過ごしすことしかない・・。

 夕方・・・呼吸器のドクターが回診にきて・・・4月9日に外来予約したとの連絡あり。酸素マスクの圧力が・・3から2に変更・・・。

 会社の課長からの連絡で・・・「退職予定者にも・・診断書の提出が必要とのこと」何の意味があるんじゃろうか・・・。ま、ドクターには診断書はお願いしてあるので・・・どうにかなるのだが・・。

 六人部屋の部屋から・・・眼科の患者さん、心臓病の患者さんが帰ってしまい・・、わずかに三人になってしまった・・・。

 

 私も帰らねばならない・・という思いがひしひしと重くなってきた・・・。

 なんで・・、いまごろに、こんな場所でふさぎ込んでいるのか・・・という無念な思いが降り注いでくるように思うからだった・・・。

じゃぁ、また。

 

病窓に 白く淡くなり 山桜

2009年03月23日 | 日常
 三月23日(月曜日)は晴れていい気候になった・・。

 朝のニュースでいきなり・・中国からの貨物機が成田で着陸失敗による火災炎上の悲報が飛び込んできた・・・。

 これにかぎらず・・・全世界のありとあらゆるニュースが・・・瞬時に私たちの目前に見えるようになった・・・。世界の小ささが実感できる・・・。

 血痰の鮮やかさは・・・変わることがない。いつになれば・・落ち着くものやらだ・・。

 

 十時過ぎに胸部レントゲン撮影が行われたし、採血も行われた。この二つで・・・私の症状が把握できるらしい・・・。しかしのかかし・・、「少し良くなった・・」という程度らしくて・・退院とかの段階ではないらしい・・。

 25日の退職式には欠席せざるを得なくなった。もちろん・・27日の送別会にも参加できる見通しはなくなった・・・。この時期に来て・・・予定が木っ端みじんに壊れてはじけた・・・・。

 「肺病」などという・・・前近代的な症状で・・・これまで一度して長期入院なんぞしなかった私が・・・、この場に及んで・・・こんなぶざまな姿をさらしているなどということには・・・なんぞ、言うことべき言葉があるだろうか・・・。

 

 少しばかりの気休めは・・・WBCの侍ジャパンとUSAの戦いであっただろうか・・・。

 娘とまごのなぎちゃんとがお見舞いにやってきてくれた・・・。

 ようやくに・・・血痰が少なくなってきた。ようやくに・・・喉の痛みも終息期を迎えたのだろうか・・・。

 地域病院の特性上・・、親戚のおばさんやら・・親戚筋にあたる人たちが病室あたりをうろつくものだから・・・私もマスク姿に眼鏡をかけて・・・素知らぬ顔で通り過ぎたりする・・・。

 もちろん・・・個人情報は非公開だから、受付で聞こうと、病室で聞こうと・・・私が入院しているという事実は公表されないし、病室の名札にも表示はされていない・・・。

 

 じゃぁ、また。

あれこれと 思案ばかりの 春の雨

2009年03月22日 | 日常
 三月の22日(日曜日)。

 病院の三連休では何もできない。新聞紙もないし、乾電池もない。週刊誌もないし、カップラーメンもない。

 誰かにケータイで応援を求めればいいのだろうけれど、隣のベッドのおじさんが・・「ペースメーカー」の電池交換手術。携帯電話の電源を切らねばならない・・・。ケータイがないと・・時計の機能すらなくなってしまう・・。

 テレビでは・・「旧吉田邸」の炎上を報じている・・・。確かにそれも尊いのだろうが・・、私のおなかのすき具合が・・・今は・・・このうえもなく貴重なこと。

 

 昼前に・・・けいこばぁが血圧計用の乾電池やらポケットラジオを届けてくれた。着替えとかも・・・。

 NHKののど自慢とか・・、なんでも鑑定団を見た後は・・・することもなく・・・お昼寝・・・。

 動物園のライオンはなぜ・・寝てばかりいるのか・・・という、夏休みこども電話相談があったが・・、人間も同じことで・・・食欲が満足すれば・・・寝ているだけしか用事はなくなるというものだ・・。

 酸素マスクの酸素圧力が・・・5から4に、さらに・・4から3に下げられた。

 血痰は・・・鮮血から・・赤黒い血痰になってきた・・・。

 

 この日は・・・雨らしい雨にはならなかったが、甲子園では選抜が順延になっていた。それだからか・・・、永い・・永い・・・一日になったような気がした・・・。

じゃぁ、また。


 

球春を 病床で見る ふがいなさ

2009年03月21日 | 日常
 三月21日(土曜日)。病院は三連休で開店休業状態・・・。

 呼吸困難感はなくなった・・・。胸の重みも苦しさもない・・。何のために・・・酸素マスクをかけて・・・胸の吸入をやっているんだろうか・・・みたいな気持ち。

 しかしのかかし・・喉からは・・・真っ赤な血痰が出てくる・・・。私の身体のどこが壊れたんだろうか・・・みたいな不安感・・・。

 さすがに・・・食事を残すと・・・おなかがすいてきて・・・どうしようもなくなるほどにおなかがすく・・・。病院の売店もお休み・・・。

 だから・・・朝の食事も・・・お昼の食事も完食してしまい、それでもまだ・・何かが欲しくなるような異変・・・。

 

 血圧とか体温とかは全く・・・正常。

 弟のよっくんは・・・私が病院にいる間に・・・さぬき広島で魚を釣り上げて・・・けいこばぁらと・・お刺身にして食べたとか・・。なんと・・・運のない私であることか・・。

 この日・・、選抜高等学校野球大会が開会し・・・若者たちの熱戦が始まった。若いころには甲子園球場で応援をしたのに・・・、今年は・・病院のベッドの上で静かに眺めているばかり・・。

 60歳という年齢は・・・それなりになったのかなぁ・・なんてね。

  

 右手には・・点滴のホース。左手には血圧計がセットされていて・・、テレビのチャンネル変更すらあぶなかしいばかり・・。

 でも・・、この病室には・・こういう方々ばかり。トイレにも行けず、お食事すら・・点滴で済ませてしまうような・・・。私も・・そういう・・・年代に組み入れられてしまうのかもなぁと思ったりして・・。

 

 そうしないと・・、お浄土には行けない世の中になってしまうのかな・・なんて。

 

 元気なはずのわたしが・・、少しばっかり・・・気弱な私になっていたりして・・。

じゃぁ、また。

世の中は 連休となり 春の宵

2009年03月20日 | 日常
 三月の二十日・・・。春分の日。春のお彼岸の中日ではありませんか・・。

 希望と期待に燃えていた春休み・・・。それがまぁ・・、なんと・・病院のベッドでビニールホースにつながれたまんま・・・とは。なんとも情けないことではありますことよ・・。

 高松の栗林公園では・・桜の花が開花したとか・・。弟のよっくんは・・山の家でタケノコをどっさりと彫り上げて・・・我が家に持ってきてくれたとか・・・。

 

 そうそう・・・ETCのサービスも開始されたとか。身体がうじうじと・・じっとしていられませんぜ・・。

 病院も外来とか・・病棟とかでは・・開店休業状態・・。最低の人員とか配置されてませんから・・・、患者側では・・なすすべもなく・・・トドが寝っ転がっている状態・・・。

 ま・・、WBCとか・・・お相撲とかで・・・なんとなく・・・一日を終えてしまう感じ・・・。

 点滴とか・・吸入とかは・・平日のそれと全く同じメニュー・・。

 呼吸困難状態からは脱したけれど、血痰は相変わらず・・・吹き出すし、点滴の本数も変わりはないし・・・。

 とにかく・・三連休の間には・・・ただ・・耐えるしかないのだなぁと・・。

じゃぁ、また。

着替えても 気分ほぐれぬ 花便り

2009年03月19日 | 日常
 三月19日。晴れのち曇り・・・。

 朝食も食欲がなく・・半分程度・・・。「心臓食」という・・減塩食だし、味が全くない・・・。そこに・・・運動不足だし・・。

 でも・・、看護師さんには・・「完食」「全て食べました」と言わないと・・・退院はさせてもらえないらしい・・・。だから・・ほかの患者さんの食事と入れ違えたり・・わからなくさせたり・・・。

 お昼前に・・採血と・・胸部X線撮影・・・。少しは改善されたようだけれど・・本当のところは・・・全く・・変化なし・・・みたいな状況。まだ・・一週間だものね・・・。

 

 パジャマの着替えが支給されて・・・少しはさっぱりしたか。でも・・お風呂もシャワーもないものだから、体中がいやな雰囲気。蒸しタオルをナースセンターでいただいてきて、体中を拭いたりするのだけれど、それも・・・気分的には落ち着かない・・・。

 シャワーが許可されるのは・・点滴が終わってから・・・。当分・・当分・・・無理みたい・・・。

 しかしのかかし・・。これまで・・・大病というような大病はせずにきたのに・・、この退職前になっての君子豹変は・・・どうしてなんだろうか・・。

 病気休暇をとる・・・なんて・・・、そんなことは夢にでも考えたことがないし、病気を取るっていう人は・・・よほどの人なんだなぁと思っていたのに・・、今年になって・・・30日と2週間もの長期休暇でお休みするなんて・・・と。

 

 淡い期待で・・・採血と・・・胸部X線撮影は・・・三連休という・・病院の線表の間に埋もれて・・・。なしのつぶて状態で・・・すっかりと忘れ去られた状況に陥ってしまったのでありました・・。

じゃぁ、また。

永き日や 点滴ホースに 春の色

2009年03月18日 | 日常
 三月18日。この頃になると・・ようやくに胸の呼吸が普通になる・・。

 この前の入院とは違うことは・・・体温計が全く変わらないこと・・。前回は・・38度・39度という高熱が出たが・・・今回は・・・36度代から・・35度代・・。発熱は全くないということ・・。

 肺の動きや・・心臓の動きは全く・・・変わらないような状態なのに・・・、喉の痛みが激しくて・・・血痰が激しく出る・・・。

 「私の身体に何が起こったのか・・・」という疑問がわき出してくる・・・。

 真っ赤な痰が・・・はき出してもはき出しても吹き出してくる・・・。

 

 痰を止める薬、喉の炎症を抑える薬・・・。朝夕には・・こんなにも多くの薬を飲むはめになった・・・。薬でおなかが大きくなる・・・というたとえのように・・、薬ばかりの食後はうれしくない・・。

 喉の炎症がピークに達したものか・・、吸入のガスを吸っても喉が痛むし、血痰が激しくなるばかり・・。

 このころには・・・食事にも意欲がなくなるし、おなかの膨満感も顕著になった・・・。

 症状は・・・ピークに達したのだろうか・・。

 

 とにかく・・・点滴注射と、投薬治療・・吸入治療に・・・酸素吸入・・。

 腕に三本のビニール・ホース。鼻に酸素マスク用のビニールホース。それに・・テレビ用のイヤホーンコード。コードまみれになって・・・寝ている私がいる。

 私は・・・何のために・・・有給休暇を取って・・こんな病院に縛り付けられているのだろうか・・・。こんなことのために、有意義な有給休暇を計画したつもりではなかったのだけれど・・・。

 トイレに立つと・・・鮮血の血痰が吹き出してくる・・・。

 私の身体に・・・何が起きたのか・・・と、自分ながらに自分の身体を疑ってみるこの頃であった・・・。

じゃぁ、また。

春休み 酸素マスクの 無念なり

2009年03月17日 | 日常
 三月十七日・・。暑い一日になったように思う・・・。下界の様子は定かではないが・・病室では・・・蒸し暑い一日になったように思う・・・。

 松山では桜の花が開花したとテレビでは報道していたように思う・・。

 とにかく・・ベッドの上で過ごすばかりだから・・・世の中の情報はテレビしかない・・。それも・・イヤホーンで・・それぞれの患者さんが、それぞれのチャンネルを見たり・・聞いたり・・・傍観していたり・・。

 寝たきりだから・・新聞は見ないし、雑誌などはほとんど見かけない。ラジオを聞いている人も全く見かけない・・・。

 点滴の針が・・・右手の甲の神経に触れたものか・・、右手の感覚がおかしくなって、食事のお箸やスプーンがいうことを聞かない・・・。それだから・・食事もままならなくなって・・・食べ残しが多くなる。

 

 病院では・・・食事を食べ残すと・・誰が何を食べ残したのかを管理しているし、なんで食べなかったのかを調べている・・・。

 私の場合は・・「心臓食」というものらしくて、塩分や醤油やソースなどがほとんどかけられていない食事・・・。味もないし、食欲も全くわいてこない食事だ。

 とくに野菜や・・・お魚は・・・平常でも食べないものだから・・・半分以上が残ってしまう・・。

 しかしのかかし・・、病院では・・それ以上の食べ物はないのだから・・今度はおなかがすいてすいて・・・。

 

 呼吸器科のドクターがやってきて・・・。

 「この前と同じ症状になったのはなぜか?」と・・質問してきた。それは・・こちらからの質問事項だ。なんで・・私が・・このような肺炎にならねばならないのか。原因はなぜなのか???

 院長の回診もあったが、それは・・心臓カテーテルの手術の話だった。それはこれから先の話になることだ・・。

 肺への吸引が・・一日三回。点滴が・・・朝昼夕の三回、酸素マスクのレベルは「5」・・・。

 かろうじて・・・トイレには自分の力で行くことができるが、階下の診察には・・車いすでないと移動はできないことになっていた・・。

 

 世の中は・・・春だというのに・・私は・・いったい・・、どうしてしまったのか・・。

じゃぁ、また。

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