まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

迷い道秋の日暮れの速いこと

2020年11月30日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、気圧の谷の影響で概ね曇っていた。気温は8.5度から13.0度、湿度は78%から58%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。明日の12月1日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 117/54/84 36.5c-98% 61.8Kg 14.6c-52%-1028hPa 体調に変化はない。

 

 霜月(11月)も今日でおしまい、明日からは師走(12月)になる。あっという間の一年だった。前半は入院と退院の繰り返しだった。だから今年は半分しかなかったような気分にもなった。

 

 さてだ。明日の観光ガイド大窪寺班の勉強会の資料作りをまだやっている。朝の間はこの英文による観光ガイド用マニュアルの作成やら、それの印刷やら・・・。

 

 この期に及んで、英文の追加作業もやったりするからちぐはぐなことになってしまう。

 

 ところが、そうしたときに肝心の「トナー切れ」が起きてしまって印刷できない。仕方がないので、プリンターで8人分の資料を印刷しないといけなくなった。コピーした方が早いのだが、急ぐときには間に合わない。

 

 で、部数をそろえて確認作業。

 

 で、8人分の資料ができあがった。

 

 今日も朝食なしのお昼はところてんだけ・・・。それでも少しも体重が減らない。それに少しでも食べるとおなかが張って苦しくなってしまうのだから困ってしまう。

 

 で、唐突に、明日の勉強会用のスライドを作ることにした。明日、時間があればプレゼンできるのだが。これは大窪寺の門前にある「八十八庵(やそばあん)」というお土産屋さん兼うどん屋さん。

 

 ここに、「団蔵うどん」というザルうどんがある。冷やだから夏場がおいしいが、これで730円。このうどんのいわれと、市川團蔵のお話である。

 

 この「団蔵うどん」、市川団蔵さんが四国遍路を終えた結願後に八十八庵に立ち寄り、「時間がないので早くできるうどんを」と注文されたことから生まれたもの。短時間で茹で上がるように初代店主がうどんを細切りにして出したところ、「とても喉ごしがよくて美味しい」と好評だったのだとか。その数日後…瀬戸内海で団蔵さんは姿を消してしまうのであった…。そこで、店主が團蔵さんを偲んで「団蔵うどん」と命名したのである。

 

 なぜ、市川團蔵さんは瀬戸内海の船上から消えてしまったのか。なぜ、そうしなければならなかったのか・・・というお話である。

 

 案外と、大窪寺そのものの縁起や歴史などについては多く語られるが、この市川團蔵さんが語られることはまずない。そして旅の途中に「我死なば 香典受けな 通夜もせず 迷惑かけず さらば地獄へ」と詠んだことも話しにはのぼらない。そんな團蔵さんの鎮魂のお話である。

 

 今日の掲示板はこれ。「どうせするなら気分よく 重い荷物も軽くなる」というもの。ぶつぶつと不満を言いながら不機嫌に仕事をしている人を見るのは気分が良くない。それが身近な者であればなおさらである。嫌々やっているようでは仕事の能率も上がるはずがない。どうせやるなら、何事も前向きに嬉々としてやろうではないか。上機嫌で仕事をする者の周りには自ずと支援者や協力者が集まってくるに違いない。私自身に言い聞かせたい言葉を選んでみた。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


枯れ落葉舞散らかせて宅配便

2020年11月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇っていた。気温は7.0度から15.2度、湿度は74%から64%、風は1mから6mの西南西の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 105/51/78 36.1c-97% 61.6Kg 16.5c-54%-1023hPa 体調に変化はない。昨年の今頃の数字は、「117/78/62 36.3c-96% 69.6Kg 1016hPa,12c,45% 体調に変化は無い」だった。あの頃はおなかが張って体重が増加し続けていた頃だった。

 

 暑い暑いと言いながら、それでも静かに冬の足音が聞こえてくる。風の音も枯れ葉の音もそれらしくなってきた。

 

 12月の1日が第一火曜日ということになるので、例の観光ガイド大窪寺班の定例会が迫ってきている。その勉強会の資料を作っておかねばならないのだ。

 

 会議資料、その1はできた。

 

 今年の事業報告書の原案もできた。今年は感染症対策のために行事らしい行事は何もできなかった。イベントも観光ガイドも遍路文化伝承もできなかった。

 

 ま、こういう英文ガイド作成やら、

 

 こういう英単語帳やらを準備して家庭学習や自主学習をしてもらった程度になってしまった。

 

 で、来月の勉強会では、こうしたお勉強をする。「讃岐三盆糖由来と四国遍路の功績」というお話である。

 

 病気で行き倒れになっていたお遍路さんを助けたことから、香川県東部に砂糖の製法が伝えられて「讃岐の三盆糖」が生まれ、そのことから讃岐国が救われた・・・というお話である。

 

 それを講演用ノートPCに、増設用画面をつないでの試験もやっておいた。これで、12月の勉強会の準備はできたと思う・・・。多分、きっと。

 

 昨日が旧暦の親鸞忌(弘長2年(1262)11月28日、90年の生涯を閉じ、京都の大谷の地に埋葬され、ここに廟堂が建てられ、これが現在の真宗本廟)だった。だいぶ前に、私が「親鸞忌」と書いたら、あちらこちらから「親鸞忌とは何という無礼な言葉を使うのか」と叱られたことがある。それ以降、私は仏教の話はしないことにした。「親鸞忌」は季語として歳時記にも記載されているのに、なんという視野の狭い人たちが多いことか。

 

 今日の掲示板はこれ。「ゴミ箱とお仏壇を見ると その家がわかる」というもの。いつもの赤松先生の文字らしい。最近のおうちではゴミ箱を家の外に置いてあるのは見なくなったが、お坊さんはおうちの中にまで入っていくし、お仏壇にもお参りするからよくわかる。まさか、今の時期に、お正月の松がそのまま・・・というおうちはないだろうが、茶色になったお花は、わが家ではしょっちゅうある。特に母がいなくなってからは、そのまんまのことが多い。案外と、紺屋の白袴、医者の不養生、坊主の不信心、医者の若死に、出家の地獄、易者身の上知らず、学者の不身持ち、駕籠かき駕籠に乗らず、鍛冶屋の竹火箸、紙漉きの手鼻、髪結いの乱れ髪、紺屋の白足袋、左官の荒壁、儒者の不身持ち、大工の掘っ立て、椀作りの欠け椀 ・・・などというのは有名なことば。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


山茶花は勇気凜々今を咲く

2020年11月28日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夕方からは気圧の谷の影響で曇ってきたし、雨も降ってきた。気温は11度から15.3度、湿度は70%から56%、風は5mから2mの西北西の風が少しばかり。いよいよと冬の景色になってきた。明日の29日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 111/58/80 36.5c-94%% 61.4Kg 14.4c-54%-1020hPa 体調に変化はない。昨夜から今朝にかけては1時間ごとにトイレに起きるのが不思議なくらい。同じような生活をしているのに・・・。だからか、体重は1Kgほど減ったように思う。

 

 朝方は気持ちの良いすっきりとした朝になった。体感的には冷たい空気になったけれど。

 

 だから、二階部分には掃除機を掛けてすっきりとした。身体が軽いと気分まで軽くなってくる。

 

 でも、今日も明日も安静日、休養日ということでおとなしくしておこうと、年賀状印刷にかかってみた。と言うても、あと2日で12月、師走になるという時期である。明日のことはわからんのことだから、今日にできることは今日にやっておきたいものだということで。

 

 で、先日にデータの追加や修正をやってあるので、そのデータで、年賀状の宛名書きから始めて見た。

 

 毎年毎年、年賀状の枚数も減ってきて、今年は私が46枚、奥方が36枚の82枚になった。親戚も減り、友人も減っていくのだから仕方がない。

 

 で、私の親戚用、友人用、奥方の親戚用、友人用に分けて、裏面の通信欄をそれぞれに印刷することにした。

 

 私の年賀状というのは、いつごろからか、こうしたパターンになってしまっている。ま、毎年、ああだこうだと考えるのが面倒になってきたのかも知れない。横着になってきたということかも・・・。

 

 今年は坊さん用とか観光ガイド用とかがなくなった。そういう活動ができなかったせいもあるのかも知れない。ま、前半は入院や病院通いが続いたこともあったのだし。

 

 そんなことで、今日もデスクワークばかりで1日が終わる。

 

 やはり、島の軽トラのタイヤはパンクではなくて空気漏れだったようで、

 

 空気圧ゲージで測定しても変化はなかった。少しばかり早とちりしてしまったようだ。

 

 夕方には冷たい雨が降り出したが、本降りにはならなかったみたい。

 

 今日の掲示板はこれ。「またひとつしくじった しくじるたびに目があいて 世の中少し広くなる」という榎本栄一さんの言葉から。生きていれば必ず過ちを犯すもの。言ってはいけないことを言ったり、やってはいけないことをやったり、間違ったり失敗することもたくさんあった。問題はそのあとで、そのあやまちをどう受けとめるのかである。居直ったり、ふてくされたり、他人のせいにしたり、責任転嫁したりして事実から眼を背けるのが普通のありかた。だれを恨むことはないのだし、身から出た錆なのだとあきらめるしかない。現実を引き受けたところにしか真実はありえない。過ちを通して学ぶこと、気づくこと、目覚めることは多いもの。あやまちを通して人間は成長するもの。一つのあやまちによって、人生が大きく変わることもあるだろうし、出世コースからはずれることもあるだろうし、失脚してしまうこともあるけれど、しかし世間の評価とか、社会的地位の高いのが良い人生ではない筈。どう、いのちを輝かせて生きるか、悔いない人生を生き切るかである。あやまちは人間を、人生を決めない。あやまちのあとが人間を、人生を決めるもの。仕事で失敗したことは、とり返しのつかない嫌な気分に陥るもの。しかし、そのことによって自分というものが照らされ、気づかされて、自分中心の狭い世界が破られてゆくならば、この失敗でこんなことが教えられ、学ぶことができ、却って人生の味わいが深まり、世界が広くなったと気づかされて、そこに少しだけ広がった世界が見えてくるというもの。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


舞い落ちる落葉そのままなすがまま

2020年11月27日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。昼過ぎからは気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夜は雨の降る所がある見込みだとか。気温は11.0度から18.1度、湿度は84%から58%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込み。

 

 118/63/79 36.4c-93% 62.8Kg 18.6c-55%-1023hPa 体調は安定している。島の家では腕の痛みなどで熟睡できなかったせいなのか、昨夜はぐっすりと寝て、夜中のトイレも午前4時の一回のみ。で、午前7時まで寝てしまっていた。今朝も朝食はない。

 

 今日は安静日、休養日と決めていたのでぐうたらをするつもり。この一週間分の買い物のレシートから家計簿への記入をやっておく。これも枚数が多くなると面倒になるからだ。

 

 アプリは「ウキウキ家計簿」というのだが、そんなにウキウキとはやってられない。とにかく奥方の買い物は品数が多いから面倒くさい。

 

 そうそう、さぬきには「くわる」という言葉がある。「腹がくわる」とか「腕がくわる」とかと使うのだが、「痛い」という意味である。島の家の庭木の剪定をやったから、肩や腕が「くわる」のが辛い。ところが、「頭がくわる」とか「歯がくわる」とは言わないのだ。ここらへんが不思議なところだ。「胃がくわる」とか「ヘソがくわる」というのも聞かない。

 

 で、島の軽トラのタイヤだが、こんな風になると「パンクをした」と言うはずで、これを車屋さんに持って行こうとして、「ちょっとお待ちよ車屋さん・・」と思考停止。確かにこの車に乗って港から島の家までやってきた。その時にはパンクなぞしていなかったのだ。

 

 そこで、今度の愛車「タント」の「タイヤパンク応急修理キット」というものを取り出してきた。これを使うのは初めてだ。

 

 裏側に電源コードやタイヤ用のチューブが入っている。これを組み立てると・・・。

 

 こんな具合になる。で、太い方をタイヤに接続してネジをしっかりと締めておく。もう一方はアクセサリー電源(昔のシガーライター)に差し込む。

 

 こんな具合になる。で、キーを差し込んでエンジンを始動してから、このコンプレッサーの電源を入れる。

 

 すると、タイヤはパンパンに空気で膨れ上がった。

 

 ゲージで確認しておく。これで様子を見て、明日になって再度空気圧を確認すると、パンクかどうかは確認できる。多分大丈夫なような気がする。問題は、あの島の自転車用の空気入れだと思う。あれで空気を入れようとするとぺっちゃんこになってしまったのだから。

 

 もし、空気圧が下がれば、空気漏れの箇所を探してパンク修理キットで穴をふさげばいいし、大丈夫ならば、そのまま、島の家に持って行けばいい。それだし、このコンプレッサーを持って行けば、島の軽トラも動くに違いない。このコンプレッサーは小さくて軽いのに十分な働きをすることがわかった。ちなみに、私の車に応急用のテンポラリータイヤや予備タイヤはついていない。

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日履いても落ち葉が溜まる。これが取りも直さず人生である」という小説家・田山花袋(たやま・かたい)の言葉からである。この時期、庭にはいろいろな樹木や草花が元気よく成長している。庭には常緑樹もあり、一年中、緑の葉を楽しませてくれている。一年中、青々としているといっても永久に葉が散らないということではない。季節により多かれ少なかれ葉は落ちる。庭の掃除だって休むわけにはいかない。昔は「どこまで続く ぬかるみぞ」という歌謡曲もあったが、何事についても終わりが知れないというものは辛いものがある。鬱に陥った方の無間地獄のような苦しみは想像するに余りあるものだろう。田山さんの言葉のように「取りも直さずこれが人生である」と悟れれば良いのだけれど。ただただ、その日一日を耐えるだけの日々。一緒に枯葉を掃いてあげよう、という無条件のやさしさが必要なのかも。時間はかかるけれど。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


青空に皇帝ダリアがお辞儀する

2020年11月26日 | 時には日々是日

 丸亀地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で昼過ぎから次第に曇ってきた。気温は8.0度から17.7度、湿度は86%から62%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の27日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇るらしい。

 

 113/58/78 36.6c-95% 63.4Kg 18.2c-56%-1024hPa 夜中中、肩や腕の痛み、手首の痛みなどで熟睡はできなかった。いきなりの3時間もの剪定作業は右腕に相当な負担になったみたい。当分、この痛みは続きそう・・・。

 

 でも、こんなだった島の家の庭先が、

 

 こんな具合にさっぱりとしたし、

 

 こういう庭木が、

 

 こんなにさっぱりとした。これで来年の春先までは大丈夫だろうと思う。

 

 でも、このケヤキの木の背丈が高いので、またの機会にすることになった。バックにあるのが広島の最高峰「王頭山(312m)」である。

 

 でも、この右手前に盛り上げている切った庭木の枝先を、来月半ばごろに焼却するために再度、帰る必要ができた。

 

 それと、パンクしたタイヤの修理やら、

 

 空気圧の減ったタイヤをどうするかの問題もある。

 

 島の家の空気入れも20年も放っておけば、空気漏れができて使い物にならなくなった。車用の電動コンプレッサーの動作試験もやっておきたいところ。20年もすれば、あちらこちらでガタが来てしまうのは仕方がないが。

 

 で、少し予定を早めて、10時45分発の客船「ニュービサン」で帰ることにした。島の軽トラの空気圧が減ったために、歩いて乗り場まで戻って来た。

 

 で、定刻通りに10:45分発で江の浦港を出港した。海上20分。11:05分に丸亀港に着いた。その後、弟宅まで送り届けてから山の家に向かって走り出した。

 

 途中、綾川町山田にある「味覚苑」というセルフのお店で昼食にした。ちょうど、お昼時期になったので、お店が広く、駐車場も広い、このお店に決めた。昼間はこのうどん屋さんで、お昼が過ぎると、すぐ横が焼き肉店になる。「味覚苑」というのは、その焼き肉店の名前らしい。

 

 で、「温玉ぶっかけ小の温いの」で280円だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「どのような道を どのように歩くとも いのちいっぱい 生きればいいぞ」という相田みつをさんの『にんげんだもの』より。「いのち」の尊さを見つめ続け、その生き方を、自分の書、自分の言葉で、温かく、そして優しく語りかけた相田みつをさんの「子供へ一首」と題したことばである。私たちは、面子(めんつ)や体裁、カッコよさなど、みんなまわりを気にして、いろんなことにとらわれて生きている。しかし、みつをさんは、そんなことにとらわれて生きる生き方よりも、体裁が悪くても、カッコよくなくても「充実感のある生き方」をしたらいいんだよと、語りかけているのである。それが「いのちいっぱい 生きる」ということだと・・・。「いのち」を受け継ぎ、その尊い「いのち」に生かされて生きる私たち、その「いのち」をいっぱい生きているだろうか。明治期の哲学者であり、宗教者であった清沢満之先生は「生かされて生きる」ことの自覚にたった人間の生き方を、「天命に安んじて 人事を尽くす」と表している。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


降る落葉戻らぬ過去の愛おしさ

2020年11月25日 | 時には日々是日

 丸亀市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は8.7度から16.1度、湿度は80%から62%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の26日の丸亀市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 114/66/78 36.2c-97% 62.2Kg 18.6c-52%-1023hPa 体調に異常はない。今日は丸亀市沖にある「しわく広島」に帰って、庭の草刈りや庭木の剪定をしようと考えている。

 

 山の家を7時過ぎに出て、8時過ぎに丸亀市綾歌町の弟んちに寄り、弟を乗せて丸亀港には9時前に着いた。途中、三度ほどのトイレタイムがあった。で、フェリーボート「しわく丸」は9時25分に出港する。

 

 しわく丸というのは、こういう船である。この船を造った石田造船というのは、だいぶ前に「瀧本美織」がヒロインになった「てっぱん」という朝ドラの舞台となった造船所だった。

 

 当時は、こんな娘だった。最近は「妻はくノ一」で大活躍した。

 

 あ、どうでもいい話をしてしまった。

 

 海上45分。しわく丸は広島の江の浦港に着く。10時10分。そこから島の自家用車で島の家「暁光庵」に着く。

 

 これが、「暁光庵」の扁額である。文字は、奥方の親父さんで、元日蓮宗のお坊さんである。寒い時期の「水行」という水をかぶるのがいやで逃げ出したらしいと噂だった。本人の名誉のために言うておくが、本当は好きな人がいたためにお寺を捨てたということらしい。文字を刻んだのは、千葉の電気屋さんである。

 

 草刈りは今年の七月、夏休み前だったが、剪定は一年に一度で一年ぶりである。

 

 で、早速に弟(三人兄弟の三男)のたっくんが草刈りをやってくれている間に、私が庭木の剪定をやっていた。ま、大きな物は弟がやってくれたのだけれど。

 

 で、すっきりとした島の家になった。

 

 島の家の夕食は簡単におでんになった。ま、これだけではないのだけれど。

 

 で、後は恒例のカラオケタイムである。なにせ、何もない島のことである。釣りをしてもふぐばかりだし、行くところも見るところもない。島に住んで25年にもなれば珍しいものは何もない。だから、唯一の楽しみがカラオケである。

 

 今日の掲示板はこれ。「次の世に 願い託して 枯れ葉散る」という町内の善楽寺さんの掲示板にあった言葉である。次に生まれる若芽にいのちを託して、古い葉は散っていく。しかも散りぎわに、『裏をみせ表を見せて散る紅葉』と永遠の生命の縦承のために静かに散り、譲り受けた生命は大地に立って長い冬の寒さを忍びながら、新たな春の新芽となっていく。ただ人間のみが、散る葉の桂に戻らない嘆きを思い切れず愚痴っているのである。思うままにならない人生であり、予期せぬことに出合って戸惑い、うちひしがれていくこともあり、辛い道のりだけれども、たしかな人生を強く歩めたら、そしておのずから自分の生き方に信念がもてたら、と秋の日差しの中で自らの人生と重ねて見るところに郷愁の紅葉が慕われる想いに打たれるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山茶花がひっそりと咲く路地の隅

2020年11月24日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.5度から15.0度、湿度は78%から62%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の25日の丸亀市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 116/70/79 36.3c-98% 62.6Kg 20.6c-56%-1025hPa 体調に異常はない。今日は奥方がお休みの日だもので、私の買い物のついでに一緒に行くと言うのである。私は明日からしわく広島に帰って庭木の剪定をするのだが、その食材を買うつもり。

 

 で、家を出たとたんに、「私、明日が給料日なの。お金を頂戴」と言うではないか。そこで、郵便局の通帳を差し出すと、それで、お金を引き出してきたみたい。

 

 で、今度は、義兄の用事で介護施設に寄って欲しいという。

 

 で、義兄(奥方のお兄ちゃん)用の薬を処方してもらうので、さぬき市役所のある「志度」という町に行けという。そこで薬を受け取ると、今度は国道11号線を走って高松市の「ユニクロ高松屋島店」に寄って欲しいという。

 

 すると、開店は11時からだというのであきらめて、今度は高松市多肥下町にある「ふーずらんど高松店」に行きたいという。一ヶ月分の食材を買うのだという。

 

 ここは業務用の食材を売るお店だが、一般の人たちも多い。お値段が安いのだという。しばらく、ここに来ていなかったので忘れていたのかと思ったが、やはり、しっかりと覚えていた様子。

 

 まぁ、こういうものとかが並んでいる訳だ。私がトイレに三度も行ったのに(30分ごと)まだ買い物をしている。そのうちに私はめまいがしてきた。ストレスが溜ると血圧が上がるからかめまい状態になることがある。

 

 1万数千円の買い物をしたら、今度は、「あそこにあるユニクロに行って見るだけだから・・・」というので、ユニクロ太田下町店に寄ることにした。そこで何点かの衣料を買ったらしい。

 

 すると、今度は、「香川大学工学部前のうどん屋に寄ってお昼にしたい・・」という。高松市林町にある「たも屋林店」である。

 

 で、私は「ひやかけ小」とエビ天にした。そのままのうどんの麺につめたいお出汁をかけただけのもの。トッピングはフリーである。

 

 奥方はいつだって「かけうどんの小」である。それに天ぷら物が二点らしい。その後、最初の義兄の施設に寄って処方された薬を渡してくる・・と言う。さすがの私もプッツンと切れた。「そういうことなら、自分でやればいいじゃないか」。ついで、ついでといいながら、私の用事なんぞはできていないじゃないか。私の明日からの食材なんぞ買う暇もないじゃないか。

 

 今日の掲示板はこれ。本文とは全く関係ないが、「人生は、いつもいつも第一志望ばかり歩けるものでない。そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、自分にとって最良と言えないことだってあるのだ。」という渡辺和子さんの言葉から。第一志望を歩けなかった私である。これまでの私の道がベストなのかどうかはわからない。あれこれとさまよいながら、それでもやりたいことをやってきたような気もしないでもない。体が動くのであれば、これからもなお、あれこれと手探りながら、試行錯誤しながら年齢を重ねた方が返っていいことなのだと考えてもいる。だから、日々勉強だと思っている。色々な人に出逢い、いろいろな風景に出逢い、その時々を見ていきたいと考えている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


緋のもみじ陽だまり自慢の阿弥陀堂

2020年11月23日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は14.5度から18.3度、湿度は82%から50%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 117/63/78 36.5c-98% 62.7Kg 21.6c-58%-1016hPa 体調に変化はない。今の状況は尿がよく出るか出ないかにかかっていると言っても過言ではない。それで体調が決まるようだが、なぜ、そうなるのかはわからない。

 

 11月23日は「勤労感謝の日」。「勤労感謝の日」とは、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨で制定された国民の祝日だが、今までそんなことを感謝したりされたりすることは一度もなかった。単なるお休みというだけだし、退職をしてしまうと、そういう概念すら忘れてしまっている。

 

 この三連休は外出自粛でひきこもり状態。ときおり自治会の会員さんが、氏神さんのおふだの注文用紙と現金を持ってきたりする程度。宅配便屋さんも郵便屋さんも姿を見せない。皆さん、勤労感謝の日でお休みなんだろうか。

 

 そこで、年賀状データーの整理をやってみた。と言うのも、今年春の入院中に私のマシン室の全パソコンが動かなくなってしまったのである。そこで、新しいPCにしたのだが、その時にアプリが入れ替えになってしまったのである。

 

 で、この筆ぐるめというアプリにしたら、今までの古い年賀状データが使えなくなってしまい、読み込むこともできなくなってしまったのだ。そこで、少しずつ、必要なところから再入力してきたのだが、その確認作業でもあった。

 

 保険屋さんとか庭師さんとか、こちらから出さなくてもいいものは省いて、奥方用と私用にも分類していった。住所録には150件ほどのデータがあるが、年賀状を出すのは、その半分程度。私の親戚筋もめっきりと減ったし、お友達もぐんと減った。そういうお年頃なのかも知れない。

 

 奥方はまだまだお仕事をやっているので、お友達や仕事仲間も多いらしい。

 

 今年の二月には「死亡宣告」を受けて、エンディングノートを書かされて死の準備もしたが、どうやら閻魔さんに嫌われたようで生き延びている。今のところ、どこにも痛みも苦痛もないみたいなので、早くも来年の準備を始めようとしている。

 

 この調子だと、来年のお正月は迎えられそうな気がする。昨年の今頃は、「121/80/60 36.3c-97% 69.6Kg 1022hPa,16c,62% どうにも身体が重い。アルコールも控えているし、塩分も控えているのに体調は改善されていない。」と書いているが、おなかが張って苦しくて、あえぎあえぎしながら生きていたような日記であった。

 

 それが、今年は痛みもなくておなかの張りもない。普通の生活(どこまでが普通かわからんけれど)はできている感じ。今年(2020)のカレンダーには、オリンピック開会式とかパラリンピック開会式とかと書いてあったが、来年(2021)のカレンダーにはそれがない。

 

 それでも自然は平気で移り変わるようで、二十四節気は、ほぼ例年通りみたいだ。

 

 あたりはすっかりと晩秋の候。風も空気も冷たくなってきた。明日はしわく広島へ帰る準備。食材とかを調達しておかねば。

 

 今日の掲示板はこれ。「黒い土に根を張り どぶ水を吸って、なぜ、きれいに咲けるのだろう。私は大勢の愛の中にいて、なぜみにくいことばかり考えているのだろう。」という星野富弘さんの言葉から。先日、ハスとスイレンの違いは何ですか?と尋ねられたが、蓮も睡蓮もともに泥の中で育ち、泥水を吸って育つが、少しも汚れることなく染まることなく花びらを開く。だのに、私たちはきれいな洋服に身を包み、清浄でおいしい食べ物を食べて、きれいであたたかなお布団にくるまれて寝るのに、苦しみに染まり、悪心に汚れ、悩みやそねみにまみれて育つ。こころという感情のなせる業である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


小雪に仕舞忘れた扇風機

2020年11月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、前線や湿った空気の影響で昼過ぎから曇り、夜のはじめ頃は雨が降る予想。気温は7.5度から18.0度、湿度は92%から62%、風は1mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇る見込みなのだとか。天気変化等の留意点は22日は特にない。

 

 117/50/78 35.7c-97% 62.6Kg 14.5c-57%-1023hpa 体調に変化はない。

 

 今日はさぬき市多和地区にある旧へんろみちを歩いてみようと考えていたのだが、奥方から「連休中は誰が来るかわからんからお留守番をしておいて・・・」と言われたのでさみしくお留守番。

 

 朝の間は、観光ガイド大窪寺班用のガイドブックを英訳する作業をやっていた。

 

 無機質に英単語や文章を並べても前期高齢者のガイドたちにはおつむには入らない。そこで、実際のガイドブックを、そのまま英訳してしまおうということになった。

 

 英訳・・・というと、さも私が英訳をしているかのように思うかもしれないが、相棒はこの「Google翻訳」である。

 

 それを二台のPCを使って翻訳していくわけだ。人の名前とか地名なんかは適当に修正していく。例えば「密純」という先々代の名前を英語では「Dense」と翻訳した。ここは「Mitujyun」と修正しておく。こうした作業を学びながらやっていくわけだ。

 

 このジャケット、先の旅行の時に着ていたものだが、袖先が汚れていたので洗濯をしておいてとお願いしたのに、二週間を過ぎてなお、そのまんまで置いたきりだった。

 

 函館は寒いからと着ていったのだが、南国鹿児島では暑くて困って奥方に持たせたときのものである。その袖先に石鹸を付けて揉み洗いして洗濯機で洗ってみた。

 

 袖先の黒ずみや汚れはきれいに落ちた。茶色く見えるのは光線の加減の影である。私にすれば、ようやくにフルムーン旅行が終わったなぁという感じになった。

 

 これが江戸時代に描かれた私の所属寺院の「勝覚寺」である。本の名前は度忘れして喉まで出ているのだが出てこない。「讃岐国名勝図絵」みたいな本だった。ここの右端中央に四角いお堂が描かれている。表門の上である。

 

 それが、この亨保五年(1720)に建立された、外部全面塗り込めの宝形造りの三間の経蔵で、堂前に「毘盧蔵」の扁額が掲げられ、内部に同時代作の八角輪蔵が置かれて、その中に鉄眼和上訳の黃檗山版の一切経が納められている。

 

 この八角輪蔵は六千五百余巻の一切経を蔵する回転式輪蔵で、五世紀初頭に中国の南梁の傳大氏・名を傳翕(ふきゅう)(497-569)傳大士とも双林大士、東陽大士とも呼ばれる人が考案した回転式の書架で、字の読めないものでも、この輪蔵の扉を押して回すだけで読経と同じ功徳があるとされているものである。回転式の本棚というわけである。

 

 これが、鉄眼和上訳の黃檗山版の国訳一切経である。時に虫干しが行われていたのだが、最近はそのような話を聞かない。

 

 今日のお昼は珍しく天ぷらうどんになった。

 

 で、今日のおやつはこれにした。朝食は抜きだが少しも痩せないのはこういう食べ物のせいかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「捨てるほどのものにかこまれて ほんとに欲しいものがみえない 」というもの。歌手・加藤登紀子さんが作詞作曲した歌「Revolution」の歌詞から。作詞:加藤登紀子 作曲:加藤登紀子 「 碧い海に かこまれた小さな国に 生まれふりそそぐ光の ぬくもりの中で平和な時代に育った  愛をはばむ 戦争もなく飢えて死ぬ人もいない 捨てるほどのものにかこまれて ほんとに欲しいものがみえない」 これはまさに私たちの心の叫びだろうと思う。右を見ても左を見ても、上を見ても下を見ても捨てるほどのものに囲まれて、欲しいと思うものは自由に手に入って、食べたいと思うものは好きなだけ食べられて・・・。でも、本当に必要なもの、本当に欲しいもは見えては来ないし、手にも入らない・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山茶花にまとめきれない予定表

2020年11月21日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14.5度から17.2度、湿度は70%から48%、風は1mから4mの北西の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方からは曇り、夜は雨の降る所がある見込み。

 

  115/69/79 36.4c-97% 62.8Kg 22.7c-60%-1020hPa 体調に変化はない。やはり肩のこりと歯茎の痛みは柔らかくなってくれない。

 

 今日もやまどりが遊びに来ていた。牡らしく尻尾が長いように見える。「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」は万葉集の柿本人麻呂の歌。

 

 ヤマドリの尾は長いものの枕詞になっているらしい。この頃の奈良や後の京都は周辺に山があり、ヤマドリがすんでいたことがわかる。山にすむ鳥の総称としての山鳥ではなく、ある種の固有名詞としてヤマドリと呼んでいるというこである。なお、このヤマドリの生体や肉、タマゴの売買は法律で禁止されれているのだとか。

 

 今日も肩こりや腕のしびれなどで安静日に勝手に決めている。でも、土曜日だからか、来客があって、のんびりとはしていられない。

 

 境目の大イチョウは香川県東かがわ市と徳島県阿波市市場町の境目近くにあるが、れっきとした徳島県側にある。

 

 だが、このように案内看板には香川県の文字もある。お互いが「境目」を主張しているみたいな「大いちょうさん」である。子どもの頃には「いちょうさん」と言えば、このいちょうのことをさしていた。

 

 地上3m程で9本の枝に分かれて気根が無数に垂下し、ビロードシダが付着生息している。分岐付近に気根(乳)を垂らしていることから、乳神さんとしても古くから信仰をあつめてきていて、イチョウの前には小さな祠があり、お乳の出が良くなる乳神さんとして古くから信仰されていたという。

 

 幹囲約7.82m、高さは約25mもあり、この大イチョウを北に越えると香川県へ入るため、県境の目印となっている。

 

 気がつけば、いつの間にか冬めいてきている。朝方には冷たい風が北から吹いてきて、いよいよ冬の到来かと身構えたが、昼前になると風も止んで静かな晩秋の風景になってきた。

 

 例のフルムーン日本縦断新幹線旅行から二週間が過ぎたので感染症の安静期間は過ぎたようだが、この三連休は外出自粛でおとなしくしておきたいものだ。で、連休明けの25日と26日には島の家の庭木の剪定に行く予定。早くしないと寒くなってきたら身動きできなくなってしまう。

 

 それはそうと、先日の瀬戸内海での修学旅行生を乗せた船の沈没事故には背筋が凍り付く思いがした。もう十年も前のことだが、この海域を「マイボートあかつき丸」でよく走ったことがある。マリーナから島の別荘の往復やら、島々の狛犬探しや咸臨丸乗組員のお墓探しなどで、走り回っていたが、

 

 こんなところに、こんな浅瀬というか岩があるなんて想像だにしなかった。それを知らずに走り回っていたように思う。今から思えばぞっとする海域である。

 

 今日のお昼はこれ。久々に白くまくんデザートである。冷凍庫の奥からひょっこりと出てきたもの。ま、冷たいなぁと思って食べただけだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「むかしまいた小さな種が わすれたころにぼつぼつみのる」という榎本栄一さんの言葉。思い出せないような若い日に蒔いた種。それが忘れた頃にぼつぼつと成果と成って実ってくる。いい種だといいのだけれど、若い頃に冒険した些細なことが、歳をとってからじわじわと実って来ると少しばかりこわい・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


もみじ葉は自分の時間を生きている

2020年11月20日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、朝方は雨、その後高気圧に覆われて晴れていたが、午後からは雨になった。気温は19.0度から23.0度、湿度は94%から58%、風は0mから6mの西の風が一時は強かった。明日の21日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 86/51/78 36.5c-91% 63.2Kg 24.4c-65%-1013hPa 体調に変化はない。

 

 今日はさぬき市の広報なんぞを配布する日なんだが、今朝になって郵便受けを見て驚いた。

 

 氏神さんから新年用の「お札」を頒布するから取りに来るようにというお達しであった。もちろん、タダではないのだから、それをとりまとめなければならんわけだ。で、集めたお金を持って受け取りに行くことになる。その申込用紙を作ったり、その集計表を作る必要があった。

 

 まさに泥縄(泥棒を捕らえてから縄をなう)で、申込用紙を広報と一緒に袋に詰めて宅配することになった。うちの集落では「宗教上」からお札をいらないというおうちが三軒ある。みんな真宗だからいらないと思うのだが、9軒中3軒だけがお断りしている。もちろん、我が家には神棚がないので不要。

 

 この時期、我が家の前だけが、こんな状態になる。左手の山からの落葉が異様に多いのだ。

 

 こんな風に、次から次へと落葉が降ってくる。この木を切って欲しいとお願いするのだが、誰かがケガでもしないと切ってはもらえないのだと思う。

 

 我が家の玄関だってこんな風に落葉だらけになる。それを奥方は一枚一枚、手で拾う。私が勇気を出して切り払ってしまいたいのだが、それは無理。プロの方でも難しいという大きな木になってしまっているのだ。下手をすれば我が家が壊れてしまう怖れもあるし・・・。

 

 毎年毎年、この時期になると憂鬱になる落葉の枯れ葉だ。我が家を過ぎたら落葉はない。

 

 昼からはJAさんに行って、自治会会計の通帳記載をやっておく。これも定期的なお仕事の一つ。

 

 最近は物忘れがひどくなったので、少しずつ少しずつ、できることからコツコツと。

 

 今夜はおでんにしようかと準備をしている。

 

 今日の掲示板はこれ。「形見とて何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」という良寛さんの言葉から。「私の形見に何か残しましょう。春は桜が満開になったらそれは私です。夏にほととぎすが渡ってきて鳴いたらそれが私です。秋になってもみじが美しく色づいたらそこに私の心があります。みなさん、それらを私の形見にいたしましょう。 」というところだろうか。実はこの歌は、道元の以下の歌を想定して詠んだものとされている。「春は花 夏ほとときす 秋は月 冬雪さへて冷しかりけり」また、晩年の次のような歌も残されている。「良寬が 辞世を何と 人問はば 死にたくないと いうたとしてくれ」。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


もみじ葉に託す辞世のうらおもて

2020年11月19日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方からは次第に曇り、夜遅くは雨や雷雨となる見込み。夜遅くには、落雷、突風、急な強い雨の可能性があるらしい。気温は14.5度から27.4度、湿度は96%から62%、風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で朝まで雨や雷雨となる見込み。午後からは高気圧に覆われるため、次第に晴れてくるらしい。

 

 112/60/79 36.2c-96% 62.4Kg 22.3c-59%-1027hPa 体調に変化はない。かと言って心臓病は治らないから健康体であるとは言えない。

 

 ほとんど陳腐化しているポータルサイトの更新を少しばかりやっていた。増築・改築ばかりをやってきて、今は訳の分からないホームページになっていて、毎月の行事予定だけを更新している状態。私の備忘録みたいなものだ。

 

 で、今日はようやくに12月分の更新をやってみた。12月も特に変化のない月になりそう。恒例の内科検診があるくらいなものだ。あとは年末の迎春準備とか餅つきとかくらいなものになった。

 

 さて、いつまでも引っ張るのだが、この楡の木。最初はこの場所には生えていなかったことは証明できた。では、いつ頃から、この木が生えてきたのかというと定かなことではない。

 

 で、何気なく見つけてきたこの写真。10年前の平成22年(2010)の夏の写真である。だから新築して4年後ということになる。わずか4年であれだけ大きくなっているのに驚いたと同時に、それには少しも気づかない私がいたことも驚きだった。手前の植物群は奥方が植えたもの。

 

 で、恒例となった「我が家の十大ニュース」である。①香川医大救命救急センターに救急搬送される ②香川医大付属病院で血液透析を受ける ③香川医大付属病院でCRT・ペースメーカー増強植え込み手術を受ける ④香川医大付属病院で死亡宣告を受ける ⑤食べ物アレルギーで蕁麻疹発症・救急搬送三度(カレイのタマゴ・牛肉・生ハム)⑥尿道閉塞開削手術 ⑦白内障右目手術 ⑧臍帯ヘルニア手術 ⑨介護認定・要介護2指定 ⑩フルムーン日本縦断新幹線旅行と言った具合。順序は難しいところ。

 

 観光ガイド大窪寺班の今年の活動報告書も作っておいた。

 

 こうしていると、一日中、パソコン作業ばかりに見えるかも知れないが、そんなことはなくて、洗濯物を干したり、集落内を散歩したり、スーパーでお買い物をしたりと、結構、あれこれとやっているのだけれど。

 

 今朝は霜にならずに露になっていたようで、朝日にしずくが輝いて夏のようだなぁと思ったことだった。

 

 で、今日は19日と言うことで、さぬき市の広報の配布準備である。今月は感染症対策の関係か配布する資料が少ない。どこも事業を休んだりやめたりしているのだろう。

  

 これがさぬき市の広報「さぬき」である。これを明日の20日に各戸に配布して回ることになる。

 

 今日の掲示板はこれ。この時期には決まって出てくる言葉。「裏をみせ おもてをみせて 散るもみじ」という良寛さんの言葉とされている。良寛の晩年の楽しみは、彼を師と慕う貞心尼との歌のやりとりだったという。良寛危篤の知らせを受けた貞心尼は急ぎ駆けつける。臨終までの一週間、心を尽くして良寛の世話をした。その間、二人は歌を詠み交わした。貞心尼が、高齢となり死期の迫ってきた良寛さんのもとに駆けつけると、良寛さんは辛い体を起こされ貞心尼の手をとり「いついつと まちにし人は きたりけり いまはあいみて 何か思わん」と詠まれた。そして最後に貞心尼の耳元で「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」とつぶやかれてお亡くなりになったという。この歌には「あなたには自分の悪い面も良い面も全てさらけ出しました。その上であなたはそれを受け止めてくれましたね。そんなあなたに看取られながら旅立つことができます」という貞心尼に対する深い愛情と感謝の念が込められているのだといわれている。この最後の「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」について、貞心尼は「この歌は良寛さんご自身の歌ではないが、師のお心にかなうものでとても尊いものだ」おっしゃっている。良寛さんの着飾らなく真摯な人柄に触れ、心が和み、幸せな気持ちになる、そんな歌ではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


行く今日を追いかけもせず枯れ落葉

2020年11月18日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は11度から20.5度、湿度は96%から76%、風は2mから1mの南東の風が少しばかり。明日の19日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、午後からは気圧の谷や湿った空気の影響で次第に曇り、夜遅くには雨が降る所がある見込み。19日の最高気温は、平年より高くなり夏日となる見込みらしい。

 

 122/66/79 36.5c-95% 62.6Kg 17.8c-59%-1028hPa 体調に変化はない。昨夜も2時間半ごとにトイレに起きたし、今朝は3時過ぎから眠られなくなって妙な夢ばかりを見ていたような。

 

 さて、唐突に奥方が「島の柿を取りに行きたい」と言い出して丸亀港までやってきた。6時起きの7時出発。丸亀港には8時半過ぎには着いた。

 

 丸亀港発のフェリーボートしわく丸は9時25分出港。海上45分でしわく広島の江ノ浦港に着く。

 

 4ヶ月ぶりのフェリーボートだが、久しく乗ったことがないような気がした。夏休み前に草刈りや大掃除をするために帰ったのだが、あれからいろんなことがありすぎたのかも知れない。

 

 島の家の草丈はさほどでもないが、庭木の枝がぼうぼうである。近く剪定作業に帰る必要があるなぁと思ったことだった。向こうに見えるのが「王頭山」で標高約312m。王頭山は、塩飽諸島の最高峰である。また、弥生時代の遺跡がある心経山は、空海(弘法大師)が四国巡錫の際に、山に登り堂を建て、修行を行ったと伝えられている。

 

 裏庭には、イノシシがミミズを探して掘って荒らした跡がそこかしこにある。一説にはおとなりの「塩飽本島(ほんじま)」から泳いできたということで、島の裏側(北側)の茂浦地区が荒らされたという話は早くから聞いていたが、とうとう我が屋敷までやってきたのか。

 

 今年は時期が少し遅れたからか、柿の実の数は少ない。裏作だったのかも知れない。

 

 それでも、小型クーラーいっぱいの収穫になった。丸亀までのガソリン代とフェリーの運賃を考えれば買ったほうが安上がりだったかも知れないが、奥方のストレス発散だったのかも知れない。

 

 来週あたりには、この庭木の剪定作業というか、枝の切り落としをやらないといけない。その時には二泊三日くらいの時間は欲しいところ。そういう予定を考えている。

 

 で、お昼にはラーメンを作って食べて、12時50分のしわく丸に乗って島の家を後にした。今回は柿の収穫だけが目的だった。

 

 そのまま、我が家に帰るのかと思えば、五色台のおみかんを買って、それを高松の孫のなぎちゃんちに届けて帰ると言い出した。イノシシ年の奥方は言い出したらきかない。私が「忖度(そんたく)」するよりほかない。

 

 で、それを娘の家まで届けると、今度は、「一週間分の食材を買うからスーパーに寄って」と言い出した。おまけに「お財布も貸して頂戴」と言うのだからたまらない。そんなこんなで、我が家に着いたら17時過ぎだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「この一年 悔いなしと散る 落ち葉かな」というもの。花には花の役割があり、葉っぱには葉っぱの役目がある。冬が近くなると、広葉樹などは広い葉っぱでは水分を発散させるので木が弱るために葉っぱを切り落とす。また、光合成能力の落ちてきた葉っぱでも植物は弱る。そこで葉っぱを捨ててしまう。紅葉はその前段階で変色するものらしい・・・。紅葉も落葉もお仕事を終えた葉っぱを切り離すことでおきる自然現象。これを悲しいと見るか、寂しいと見るかは人間様のこころのありようだけ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


漫然と秋を見送る漆の葉

2020年11月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は13.5度から20.1度、湿度は88%から64%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の18日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 110/58/79 36.4c-96% 62.2Kg 18.6c-59%-1028hPa 体調に変化はない。昨夜から今朝にかけては1時間半ごとにトイレに起きて、今朝は5時には起きてしまった。けれども少しも眠たくはない。おかしなものだ。

 

 いよいよと落葉の季節になってきた。山からの落葉が我が家に降り注いでくる。

 

 山には、こうした大きな木があって、これが落葉となって降り注ぐのだからたまらない。これは個人の山で、勝手には切ることはできないし、木が大きくなりすぎて、普通の人では切れないのだという。困ったものだ。

 

 今日はお天気もいいことだしとお布団を干してみた。それで二階部分には掃除機をかけておいた。相変わらず何をする気にもならず、肩こりや歯茎の腫れも治まらない。

 

 そこで、近くの県営大川ダムの周辺を歩くことにした。お隣の門入ダムには周囲を歩く人が多いし、キャンプでテントを張る人も多いが、こちらには人影が全くない。

 

 だから、管理道も荒れ放題。車は通行禁止だし、歩く人も誰一人としていない。

 

 路面はコンクリート舗装されているが、その上に落葉が落ちてそのまんまだ。やがてに枯れ葉となって風がお掃除してくれるだけだ。時々、イノシシが掘った跡が残っているが、イノシシの姿は見かけたことがない。

 

 大川ダムは香川県営工事として、治水ならびに灌漑用水補給の多目的をもって、昭和35年12月に着工し39年3月に完工した直線重力式コンク リートダムであり、堤高36m堤長125.60m貯水量760,000m3である。小学校6年生の頃に着工して中学3年生の頃に完成したと記憶している。

 

 こういうコースで1時間半ほどの散歩になった。これだけ歩いただけで足がくたくたになっている。三年前には平気の平左(へいざ)で歩けたのに、今はまるで歩けなくなっている。

 

 午後からは観光ガイド大窪寺班の今年一年の活動記録をまとめていた。本来ならば、この頃には来年度の活動計画を企画立案する時期なのだが、今年は感染症対策などから活動が制限され、イベントが軒並み中止になった。

 

 だから、来年度の活動も見通せないでいる。でもまぁ、今年一年の勉強会や活動してきたことは記録として残しておきたいものだということで。

 

 しかしのかかし、何が肩の上に乗っているものか肩が重いし、腕に力が入らない。歯茎が腫れて食事が満足にできない。耳が聞こえにくくなったし足もしびれているみたいで歩けない。かといって昨年のようなおなかの張りはないし、足のむくみもない。町医者のドクターに「お歳ですから・・」と言われそうな症状かも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「葉を落とし 凛と冬待つ 桜かな」というもので、坂出市内のお寺さんの掲示板から。私には落とす物もなく捨てる物もなく、煩悩や欲望を抱えたまんまで漫然と冬を待っている。秋が過ぎるなら過ぎるでいい。冬が来るなら来るでいい。桜のように生きられないのは覚悟の上だ。「煩悩で漫然と冬待つ我が身かな・暁光」

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


緋の紅葉地蔵の肩に弥陀の手に

2020年11月16日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は11.0度から21.1度、湿度は94%から70%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の17日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で夜は曇る見込み。

 

 116/70/79 36.3c-98% 61.8Kg 18.4c-56%-1024hPa 体調に変化はないが、やたらと身体がだるい。21時に寝て6時に起きたら9時間も寝ている計算になるが、それでもまだまだ眠たい。寝過ぎなんじゃないだろうか。

 

 朝方は来年の年賀状の準備をやっていた。奥方用1、親戚用。

 

 奥方用2、お友達用。

 

 私の親戚用。自分の写真はほとんどないものだから、どうしようかと思案中。

 

 今日も何もやりたくないものだから、ドライブに出た。

 

 もう、この頃になるとカメラマンの数も減ってきたし、今日は月曜日だからか紅葉見物の人も少なくなった。

 

 大窪寺の大イチョウもほぼ散ってしまったような感じがするが、境内の反対側はまだまだ黄色い葉っぱがたくさん見えている。この向背のない二体の石仏はお地蔵さんだろうか。持っていたはずの錫杖は見えない。

 

 こちらの二体は錫杖を持っていたのか剣を持っていたのだろうか。時期的に落ちた銀杏の葉っぱを差し込んであった。毎年毎年、考えることが同じなんだろうか、今年もやはりイチョウの葉っぱを持たせている。

 

 ここは東かがわ市にある「三寶(さんぼう)寺」さん。ここの秋も毎年毎年、変わらない。左手前にあるロープを引っ張ると、頭上にある梵鐘が鳴る。

 

 山門兼鐘楼門を入ると、こういう景色。ここは浄土真宗本願寺派のお寺さんである。ここの左手には古い菩提樹の木がある。ここには県天然記念物(昭和42年指定)の菩提樹があって、高さは11m、太さは2mあまり。

 

 今は枝が折れるとかで立ち入り禁止になっている。

 

 香川県下では最大の菩提樹とされているそうな。

 

 こちらはいつもお世話になっている真宗興正派の正行寺さん。赤松先生のお寺さんである。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に失敗がないと人生を失敗する」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。「モタさん」の愛称で知られる精神科医の斎藤茂太氏の言葉である。90歳で亡くなった彼は随筆家でもあったことから、晩年は作家活動に多くの時間を費やしていたという。「“失敗”と書いて“経験”と読む」誰かがそう言っていたことを思い出した。マザーテレサはこう言った。「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することだけを望んでいるだけです。」成功と失敗は、勝ち負けとは違う。成功も失敗も、チャレンジという意味ではどちらも同じ。失敗も成功も単なる言葉の違いと運の違いにすぎない。経験したから失敗も成功もあるのだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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