まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

こだまして やまほととぎす ばらのはな

2010年05月31日 | 自然
 今日も朝方は肌寒い四月上旬のような気候だったもので、冬衣装気味で出かけたのだけれど、日中は晴れて暑くなった・・。五月下旬の気温なのだとかと言うておった。当たり前やんか、五月の下旬なんだもの・・。

 さて、孫のはやてちゃんたちが、昨日の日曜日に「ほたるまつり」をやったらしい。もちろん、学校行事でだ。その振り替え休日ということで、今日が休暇になった。そこで、パスポート申請に必要な書類を善通寺市まで取りに行ってきたというわけだ。
 
 

 パスポート申請には・・本籍地というものが必要ならしい。私も「本籍地」というのは知ってるが、そこがどこにあるのかは知らない・・。もう、竹藪になってるものか、雑草に覆われているか・・・。本籍なんて・・・あってないようなものだなぁと思う。戸籍上は重要なものなんだろうとは思うのだけれど・・。

 孫のはやてちゃんの場合には・・「善通寺市内」なんだと・・。そこで、平日にお休みになったもので、はやてちゃんに手続きをしてもらうことにした。もちろん、私は運転手なだけだ・・。「じぃじ」なんだけれど、本当の意味の「じぃじ」にはならない。嫁いだ娘の子供だから・・・。

 

 で、手続きを終えて・・市役所の駐車場に戻ると、こんな建物が見えた。玄関の正面には「日本陸軍」の☆のマークがある・・。これが「偕行社(かいこうしゃ)」で、この市の「国指定重要文化財」で、平成20年に修復されたものらしい・・。ま、昔の陸軍将校たちの社交場だった建物で、今は結婚式とかに使われているらしいし、普段には「カフェ」として使われているらしい・・。

 今日のメインのお仕事は・・まごのはやてちゃんの「戸籍抄本」をとることだけ。あとは・・、孫のおもり・・・。孫のお守りたって、どこで何をすればいいものか・・・。

 

 丸亀のトイザラスで時間をつぶし、途中のコンビニでお弁当を買って、宇多津の臨海公園でお弁当を食べてお昼にし・・・。久しぶりに・・「世界のガラス館」に行った。こことか、ゴールドタワーができて大騒ぎをしたのは、瀬戸大橋ブームのころだったんだろうか。もう、瀬戸大橋がいつごろできたのかも記憶にないが、昭和63年ごろだったのかな・・。

 

 このガラス館も、当時は大賑わいをしたのだけれど、今日は平日ともあってか・・人影はまばら・・。お隣のゴールドタワーも似たようなもの。でも、小さなこどもを連れた親子連れがけっこう大勢いたように思う。

 

 はやてちゃん、なぎちゃんと私の三人はエレベータで最上階へ上がったけれどなんじゃこれは・・・みたいな雰囲気。無人の展望台・・・。愛想もくそもない・・。完成当時は喫茶だレストランだで大賑わいして・・行列をしたものだけれど、閑散として、「勝手に遊んでちょうだい・・」みたいな感じ・・・。

 

 早々にそこを出て・・・。でも、行くあてもないし、午後三時にならないと娘が家には戻らないもので、それまでの間、何をするか・・・みたいなことで時間つぶし・・。

 途中、五色台の下にある・・高松市亀水町(たるみちょう)のバラ園にトイレ休憩を兼ねて寄った。

 

 

 

 ということで、八月末のサンフランシスコ行きの準備が少しずつ・・少しずつ進んでいるところ。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 

きまぐれに さぬきうどんの あたたかさ

2010年05月30日 | 自然
 今日もいい天気になって、我が家でいるのがもったいないような一日。今日も目が覚めたのは朝の五時過ぎだった。やはり、老人になると早起きなんだろうか・・。

 さて、今日はサンポートへ掃海母艦が来て、一般公開があるとか、海上自衛隊音楽隊の演奏会があるのを見学に行く予定であったのだけれど、急遽、所属寺院から「世話人会をするのでお願いしまぁす!」と電話が入った・・。坊守さん(奥様)・・というのは社長夫人というよりも、皇后陛下みたいなお方だから、命令一過、全ての予約をキャンセルして仰せに従うしかない・・(そんな、大げさなものやないのだけれど・・{微笑})。

 

 ま、檀那寺を護持して行く・・。つまり、自分のお寺を守っていく・・ってことなんだけれど、そのためには・・「年会費」というか、「護持費」とか「檀家負担金」とかいうものを集めないといけない。そのために、地区ごとに「世話人さん」という人がいるみたい・・。今日は、そういう人に集まってもらって、ま、集金のお願いだな。私もそういうことはわからんのだけれど。

 

 それと・・、お寺が傷んでいる。壊れてきているのを・・その目で確認してもらうみたいなことで・・。いや、そんだけの話・・。庄松同業の銅像もなんとかしてもらいたし・・。台座がひびわれしてきてるしね・・。あちらこちらが・・傷んできているのは事実・・。そういうことも知っておいてほしいみたいなことで・・。

 

 私らは・・「衆徒」という・・お寺の従業員みたいなもので、その・・受付とか、資料を配付したりする係・・。ま、裏方というか「寺務員」みたいなものか・・。ま、世話人会がうまくいくように準備をする役目みたいなもんだ・・。

 

 この世話人さんたちが集めてきた・・檀家会費・・・みたいなもので、お寺が運営されていくみたい・・。あんまり・・深くは寺院経営には触れないのだけれど・・。だから、この世話人さんのおもてなしは大切なことらしい・・・。

 あと・・総代さんあたりの有志で・・いろんなお話し合いをしたり、意見交換をしたり・・。次回の会合をいつにするかとか・・。

 

 なかなかに・・お寺の運営っていうか、「寺院経営」もたいへんみたい・・。私ら・・・「衆徒」という寺務員には・・うかがい知れないことがたくさんとあるみたい・・。

 
 
 で、今日のお昼は・・・東かがわ市三本松の「大浜」という一般店になった。というよりも、たまたま、ここのお店の駐車場ががらがらだったというせいもあって。さすがに・・東讃のうどんはおいしいところがないとは言うものの、お昼時にはどこもいっぱいになるもの。でも、たまたま・・本当にたまたま・・、ここの駐車場があいていた。

 

 で。「ラッキー!」とばかりに、車を止めたらば、その後は次から次へとお客がやってきて、あっという間にお店はいっぱいになった。不思議なもんだね・・。

 で、ここでは・・「かきあげうどん」というメニューを選んだ。これという理由もなかったんだけれど・・。だとぉぉ・・。

 
 
 「な、なにぃぃ・・。」と思わずにうなった・・、このおうどん・野菜のかき揚げ天ぷらのでかいこと、でかいこと。おうどんの姿が見えないほど・・。これで460円だったと思う・・。480円だったかも・・・。これをどうやって食べればいいのさ・・・みたいな・・。へたにいじると・・天かすが・・テーブル上にこぼれて散って・・・、まるでこどものお食事会みたになってしまう・・。

 

 ま、麺やらお出しはおいしかったが、最後の方になると、天ぷらのころもが溶けて・・小麦粉どんぶりのようにどろどろになってしまう・・。これが少し・・気分的に重くなって残してしまった。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 

NEW![船の祭典2010]・公開討論会・IN 塩飽本島

2010年05月29日 | 自然
あめふりくまのこ


 

 マイボート「あかつきⅡ」のバッテリーエラーでエンジンが始動しないもので、昨日は本島行きがダメになった。だから、今日も・・本島行きは不可能になった。それじゃ、ダメじゃん・・・。

 だから・・午前10時45分の高速艇で島を出て丸亀港に向かうまでの間、周囲の草刈りやら、前の岡さんの土地の草刈りをやって・・。まだ、今は草が柔らかいものでバサバサと刈り取って・・刈り取って・・。

 

 で、草刈りが終わればシャワーを浴びて・・着替えをして・・高速艇に乗って丸亀港に着いて・・。少し早いけれど・・昼食を食べて・・。

 

 丸亀港近くの一般店「太助」が近くて、安くて、安心なお店。フェリー乗り場が近いだけにゆっくりてても十分に間に合うし。で、「かけうどん」を注文した。朝ご飯とか、残り物をしっかりと片付けてきたものだからね。そのまんまだと・・270円。一般店でもそんなにはお高くはないお値段・・。

 

 で、高速艇に乗って、牛島経由で塩飽本島へ・・・。ところが、ひょっこりと隣に乗り合わせたのが・・・広島・茂浦の森虎吉さんの子孫の「木林さん」・・。いろんなことを話しながら・・本島・泊港へ・・。

 

 塩飽史談会の方々と出会ったり、子孫の会の方々とお話ししたりして、ま、有意義に一日になったように思う・・。ま、お話的には・・目新しいことなくて・・復習みたいなことなんだけれど、真宗のご法話みたいに・・「聞いて聞いて・・のご聴聞・・」みたいなものか。

 でも、来月の・・14日っていうのは、二週間ちょっとで、今度は、塩飽史談会のそうそうたる先生方の前で・・・この、私が・・「咸臨丸と塩飽諸島」について講演をしなくちゃならないのだ・・。さて、どういう切り口で、どういう味付けで・・お話しすればいいものだろうかと・・。

 

 こういう・・先生の前で、「講釈師 見てきたように・・なんとやら・・」お話をするんだから大変だ・・。

 最近は・・歴女とか・・幕末歴史家とかがずいぶんと多くなったものだから・・お話しする方も大変だ・・。

 

 これが・・、うちの・・教授陣だ・・。こういう人の前で・・何を話せばいいものかと・・二週間ばかりは胃が痛む思いかもね・・。

 ま、船が動かないって言うのは・・想定外だったけれど、まぁ、それなりの成果はあったように思うので・・ま、いっか・・。

 

じゃぁ、また、明日に会えるといいね。

NEW!草創の会・さぬき広島探訪の旅・・・

2010年05月28日 | 自然
かえるの合唱


 連日の不安定な天候で心配されたものだけれど、今日は久々に・・さわやかで穏やかな初夏の日になった。今日は・・高松から「草創の会」のメンバーが塩飽諸島の取材においでになるというので、広島に戻ってきている・・・。

 で、朝の五時半から起きて、部屋の片付けをし、朝食をしっかりと食べて、家の周囲の、しかも見える部分だけ・・草刈りをやっておく。あまりにも草ぼうぼうではだらしないし、我が家が貧相に見えるような気がして・・・。

 

 丸亀発九時半、広島の江の浦港には十時過ぎに着く。一行は三人だった。その三人のお客さんを軽トラの荷台に載せて、まずは、立石浦の「旧尾上(おのえ)邸」に行った。広島と言えばここは外せない。

 

 ここの内部を見たかったらしいが、管理人が不在でどうにもならない・・。周囲は地区の人たちがボランティアで草刈りをしているものか、さっぱりとしていたので歩きやすかった。

 ついで、その尾上家の檀那寺の「神光寺:しんこうじ」に案内した。ここの梵鐘が比較的に有名なのと、咸臨丸乗組員のお墓があるということも有名なもので。

 

 その後、レキの墓ほか見たあと、島を一周し、神社やお寺などを案内した。すると、「せっかくだから、青木石の採石場が見たい・・」という要望が出て・・。いつもお世話になっている「三野石材」さんの丁場に案内した。こういう現場は一応「部外者立ち入り禁止」になっている。危険防止のためらしい。

 

 でも、三野さんは親切丁寧に・・石材の切り離しから、バーナーの入れ方、切り出し方、石の性質、石の特徴・・などをこと細かく説明してくれた。一行はことのほか喜んでくれて。

 

 そのあたりでお昼になったので、三野さんにお礼を言ってお別れし、我が家で昼食を食べて、午後の部の本島探訪の作戦を立てて、いざ、出発しようとしたら・・・。

 わが愛艇「あかつきⅡ」のエンジンがかからない・・。バッテリーが上がったものか、セルモーターがきりきりというばかり・・・。船が動かないのでは仕方がない。せっかくのお楽しみだったのに・・。

 

 船にはようやく間に合わせたばかりの幕府海軍旗「中黒長旗」の吹き流しが取り付けられたばかりなのに・・。くやしいね。これで本島や佐柳島にも乗り付けようと思っていたのにねぇ・・。

 仕方がないので、今度は逆方向に島を一周してきて、二時十五分のフェリーに乗ってお帰りになった・・。申し訳ないね・・・。五月の連休には順調に走り回ったのに、その後、何かあったんやろうかね・・。その後は誰も乗ってはいないと思うのだけれど。メインスイッチほかもちゃんと切れていたのだし・・。何があって放電してしまったのだろうか・・。

 そこへ、自治会長さんが戻ってきたので、船を結んで、ブースターケーブルでバッテリーをつなぎ、エンジンを始動したらエンジンは回ってくれたが、今度は「ドライブ:スクリュー部分」からかすかにオイルが漏れだしている・・・。で、潮が引いてきたので危険防止のためにエンジンをとめると、もう、動かない。

 

 六月に入って、天候のいい日を選んで、多度津の西部ヤンマーさんへ修理のために乗っていくことになった。もちろん、「よこせⅡ」の誘導によってだ・・・。一難去ってまた一難。軽トラの修理が終わったと思ったら、こんどは・・マイボートだ・・。

 だから・・、六月あたまの、本山での「安吾」は急遽・・中止ということになった。船の修理費もばかにならんものね。それだし、早くに直しておかないとね・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

雨蛙 中黒長旗の 旅したく

2010年05月27日 | 自然
 初夏らしい朝になったかなぁと思ったら・・、またも雲が多くなった。暑いのかと思うと寒くなるし、晴れたと思ったら雨になるし、最近の天候は安定しない・・。いつもだと・・もう、蛍が飛び交う頃なのに、この寒さでは蛍も出てこられないのかも知れない・・。

 

 そうはいうものの・・、あたりでは新しい命がむくむくと動き始めていて・・。

 

 メダカを飼ってる水槽に、小さな睡蓮の花が咲いた。睡蓮の花の時期って、いつごろなのか知らないのだけれど、もう、そういう時期になったのだろうか・・。でも、近所の池には・・まだ、つぼみすら見えないのだけれど・・。

 それだし・・、今までは褐色の枯れたような水草たちが、少しずつ少しずつ・・緑色を増してきている。

 

 この、ホテイアオイだって、枯れてしまったのをそのままにしておいたら、いつのまにか、こんな姿で生まれ変わってきているように思う・・。それが自然だと思えば・・それは当然なのだろうけれども、思わず・・「へぇ~・・」って、思ってしまう。

 

 こういう・・バラだって、葉っぱもなにもないところから、いつの間にか葉っぱが伸び出して、つぼみをつけて、こうした花を咲かせてくれるのだから不思議といえば不思議な話だ。

 

 さてだ、今日のお昼はここになった。丸亀市土器町西の「斉賀製麺所」だ。あたりは鉄筋コンクリート建ての住宅が建ち並ぶ中にあって、ここも、その住宅の一階部分にあるようなお店。

 ここもセルフのお店で、うどんの種類と玉数を言って注文し、どんぶりに入った麺を受け取って、天ぷらなどのサイドメニューを選びながら進んで、出汁をかけて、代金を払う。

 ここでは、かけ小を頼んで、ナンキンの天ぷらと揚げを載せて・・360円。うどんが180円だから・・、天ぷらと揚げが・・90円ずつかな。

 

 麺はおいしいと思った。さすが、製麺所なのかなぁと思った。天ぷらは余分だったかも。少ししたら、前の会社の若者が数人・・、続々とやってきた。ま、私の顔を知ってる若者はいないらしい・・。早々に店を出た・・・。

 

 さて、明日、草創の会の人が塩飽諸島を取材して回るのだそうで、その道案内を頼まれたので、夕方から・・広島に行ってきますね。マイボート「あかつきⅡ」に、燃料も入れておきたいし・・。

 

 そんなんで、しばらく、お休みしますけれど、今回は予約投稿は準備していないけれど、元気に島を走り回っていますので、安心していてくださいな。

 ちなみに、

 28日:さぬき広島一巡して、塩飽本島を一巡して、夕方に丸亀まで送ってお別れ。

 29日:船の祭典2010関連の講演会のため、塩飽本島へ。

 30日:余裕と天候が良ければ、佐柳島の講演会に少しだけ参加、聴講。そして帰宅。

 という、おおまかなスケジュール。

じゃぁ、また、来週に会えるといいね。

身の丈の 生でありたし ほたる草

2010年05月26日 | 自然
 今日も朝から・・ファンヒーターを動かせた。なにせ、肌寒いのと、早くに灯油を使い切っておかないと、来年というか、今年の秋からの寒さの時に、ファンヒーターが動かなくなるもので・・。越年灯油は厳禁・・と、何度も注意されてきたのだからして。

 

 でも・・、時期的に言うと、暖房なんてする時期ではないから、たちまちにして室内は高温のビニール・ハウスみたいになってしまう・・。蒸し暑くて・・たまらない・・。

 で、だ。例の・・・というてもここでは公開していないのだけれど、アメリカに持って行く・・「ブツ」を・・丸亀の石材屋さんに運んで処理を依頼した。この時点では・・、まだ、その「ブツ」が何かは公表されていない・・。「知ってる人は知ってるが、知らない人は知らない・・」というのが、有名(?)な「まほろばの公式:しらない編」だ。

 

 つまり・・昔の中国の「論語」みたいに・・、「師、のたまわく、知ってる人は知っているが、知らない人は知ってる人の半分も知らない・・」みたいなものだ。(なんじゃ、それ・・)

 で、話は・・唐突に変わる。

 

 今日は・・丸亀にご用があって、その途中で、少し前に話題になったうどん屋さんに寄ってみた。「麺豪:山下うどん」という・・剣豪みたいなりりしいお店だと思って乗り込んだ訳だ・・。でも、これが・・、まぁ、普通のお店みたいで・・少々・・テンションがぐらついた。

 

 ここでは・・「肉ぶっかけうどん小・冷や」を注文したのだけれど、これで400円だった。いや、お金の問題ではないのだけれど。少しばかり出汁が辛かったかな・・。それだし、お肉の量も少なかった・・。これで・・セルフで・・400円かぁ・・。世の中さまざまだわねぇ・・。ただ・・、麺はしっかりとしていて、冷やで食べると・・なかなかに手強い。さすが・・「麺豪」かも知れない・・。

 

 これが・・、このお店の代名詞みたいになっている看板だ。ということで、とりあえず、新店探訪完了ってことだ・・。遅まきながら・・。

 午後からは・・今日のメインのお話の石材屋さんとのご相談。石の加工に関して技術的な相談ですわ・・。ご存じ・・「しわく」さんの「塩飽石材」さんだ。「~お墓づくりは幸せづくり~」がテーマの石材屋さん・・。

 いや、私のお墓づくりの相談やないのですよ~。私には墓はいらない・・。私はお墓の石の下にはいられないのだから・・。なにせ、閉所恐怖症なのだから・・(そういう問題ではないってか)。

 

 でも、そこの石材屋の奥さんがね、「お役目があるんですよ~」という言葉が気になってねぇ~。お役目かぁ・・って。私たちが行かされているってこと、私が生きているってことは、とりもなおさず、「お役目を背負わされて生かされている」ってことなんかなぁと。

 でも、でもだ・・。早世したというか、志半ばで旅立った人は・・、そこでお役目が終わったってことなんやろうか・・。そこまでのお役目だったんだろうか・・と考えると・・少しばかり・・ハードルが高くなったかなぁとは思った。

 ♪ 「運がいいとか・・悪いとか・・ひとはときどき・・口にするけど・・」さだまさしさんの歌だったかなぁ・・。

 ♪ 「確かにあると・・あなたをみてて・・そう、思う・・」だったかな・・。

 その楽曲を・・思い出すままに調べてみて、ようやくにこの歌にたどりついた。さだまさしの「無縁坂」だった・・。

 そうそう・・「無縁坂」を(さだまさし/グレープ)を唄っていましたよね。


 運がいいとか悪いとかと・・言うべきではないのだけれど、物事をみていると、、確かにそういうことってあるなぁと・・、私も思う・・。

 あの咸臨丸もそうだ。最初は「朝陽丸」が候補になり準備が進んだ。しかし、「あれでは小さいから」ということで「観光丸」に変更された。しかし、あんな古い船では・・ということで、たまたま・・長崎から戻ってきた「咸臨丸」に決定された。運とはそういうものらしい。

 この石にしてもだ。どうして、私の所にやってきて、どうして、この石材屋さんの手にかかって・・やがてには・・どこかに送られてしまう。それは運がいいことなのか、悪いことなのか・・・。

 

 幸いなことなのかどうかはわからないが、いま、私は、なんか、すごくいい運の元に座っているように思える今日この頃である。やることなすことが順調すぎるほどに進みすぎるし・・・。それも「お役目なんよ~」と言われると、そうなのかも知れないのかなぁと思う。

 先の「まほろばの公式:セミ編」「セミは目の前に見えることしか考えないが、明日には大変なことが起きることを知らない」

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

さざなみを 残して白鳥は 夢を追う

2010年05月25日 | 今日はすっかりとアートの世界
 今日も朝からどんよりとして曇った空で・・今にも雨が落ちてきそうな天候だった。

 けいこばぁは・・若い頃から「商船大学生」にあこがれていたようで、なんとしても、「登檣礼(とうしょうれい)」を見たかったらしい・・。しかしのかかし、こうした船は・・月曜とか火曜日に出港し、金曜日か土曜日に入港するもので、普通の人は目にする機会がない・・。ところが、今日はうまくお休みになったもので、高松・サンポートにいそいそと出かけた・・。

 登檣礼(とうしょうれい、Manning the yards)とは帆船の出航時に船員が帆桁(ヤード)などに配置し、見送りに来た来客に対する謝礼を意味する儀式のこと。なお一般の艦船の場合は「登舷礼(とうげんれい、Manning the rail)」が行われる。

 

 日本国内では現在、独立行政法人航海訓練所が所有する帆船「日本丸」「海王丸」が訓練航海の為に出航する際に訓練生による登檣礼が実施される。また大阪市が所有する帆船「あこがれ」による大阪市消防出初式において登檣礼を見ることができるらしい。

 13時から体操やミーティングがあって、13時半に、「出港準備!」の命令が出た。各種ロープが解かれたり、タグボートがエンジンの回転数を上げて作業を開始した。13時55分から実習生が用意を始めた。

 

 「のぼれ!」の号令で、実習生がマストに昇り始め、

 

 

 次々とヤードにたどり着く。そこでいったん待機。全員の足並みがそろったところで、「わたれ」の号令で、ヤード(帆桁)のフートロープを渡って待機・・・。

 

 バウスプリットという船首から前方に突き出たマストの最前部にいるリーダーの相図で、全員が一斉に行動を起こす。姿勢を正し、ヘルメットを胸に当て、それから大きくヘルメットを振って「ごきげんよおぉぉっ・・・!」を三回、繰り返す・・・。

  

 登檣礼(とうしょうれい)のはっきりとした起源は明らかではないが、16世紀イギリス海軍の記録に見られると言うことなのでかなり古い歴史があるということになる。当時は皇族らの送迎、司令官や艦長の交代の際や、出征、遠洋航海など壮途に就く船に敬意を表する礼式だったそうで、現代の登舷礼は登檣礼の名残である。

 日本人がはじめて見た登檣礼は、 1860年(万延元年)遣米使節として、正使 新見豊前守正興、副使 村垣淡路守範正、 目付 小栗豊後守忠順らが米国軍艦ポウハタン号でアメリカに渡る途中、ハワイに寄港 した時のようである。王様が来訪した際の様子を、村垣淡路守範正の「遣米使日記」では、

 「船中奇麗にして胡楽を奏し、水夫は帆桁毎に数百人立ち並て 祝砲二十一発二度打たり--国君を祝すは此数成よし、水夫帆桁に登るも重き禮なるよし--」 と記録している。

 

 日本で最初に登檣礼が採用されたのは昭和28年に、日本丸が帆装復帰し、はじめての遠洋航海が企画されたとき日本丸船内で規律のあり方が問題となった。何せ戦後はじめての遠洋航海だったからだ。結局、各国の海軍礼式令や国際的慣習を調べ、これに準拠して再編成され、このときはじめて登檣礼も採用されそのまま日本丸、海王丸での慣例となったということである。しかし、安全を考えて、やり方を少し変え、ヤード上に立つ方式からフートロープに立つ方式に変えたそうだ。

 

登檣礼は各ヤード(帆桁)に人員を配して行う帆船で最高の礼である。日本丸では、バウスプリット、各マストのヤード及びジガーマストのトップ台に実習生を配し、職員は登舷礼の配置に立ち、笛の合図でヤード上の実習生は岸壁側に注目、士官は敬礼をする。

 敬礼が終わるとバウスプリットの先端に立つ実習生が後ろを向き、「脱帽」、「ごきげんよう」の号令に合わせ、全員で「ごきげんよう」と発声しながら帽子を振りこれを3回繰り返し、「着帽」してマストから降りてきて礼を終わる。

 

 外国の海軍所属の帆船では、ヤードの上に立つ昔からの方式をとっているところがほとんどらしい・・・。日本の練習帆船では、安全を考えてフートロープに立つ方式をとっている。

 一方、【登舷礼(とうげんれい) 】とは、 海軍礼式の一つで、乗組員全員を上甲板の両舷に整列させて、船外の相手に敬意を表すもの。貴人の送迎や特別の出入港に際し行うもの。登舷礼式ともいう。

 
 

 だから、この日本丸でも、一般の職員や乗組員は甲板上に整列、岸壁上に注目して、この登舷礼を行っていた。

 大型の空母の場合と、小さな潜水艦の場合も参考に調べてみた。

 
 

 ここでも、何度も書いているが、船は必要に応じて、信号旗(国際信号旗)を掲揚する。主なものに、アルファベットのAからZまでの26個の1字信号と、二つのアルファべットを組み合わせた2字信号がある。この2字信号のうち、UとWを組み合わせたUWは、「ご安航を祈る」即ち「安全なる航海を祈る」という意味である。

 

 で、これは岸壁に立てられた「UW」旗。有志がが立てたものらしい。また、家族からは、小旗の「UW旗」が打ち振られていた。

 

 船にとって最大の災難は荒天だ。この荒天に見舞われないように、平穏で安全な航海を続けることは、船の最大の念願である。大海原で2隻の船がすれちがったとき、お互いに相手の船の安全を願って「UW」つまり「ご安航を祈る」の信号旗を掲揚するのが慣習となっている。

 

 なお、UW旗の横の青地に白四角旗は「出港準備中」赤と白の旗は「水先人乗船」の印。UW旗の下にあるものは日章旗に似た「1旗」で、岸壁のUW旗に答礼する「UW1」。「ご協力に感謝する。安全な航海を祈る」という。「ありがとう!」という意味らしい。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ふきの葉の おもしろそうに 雨の中

2010年05月24日 | 自然
 今日も朝から雨だった・・・。だから・・昨日届いた本を読んだり・・書類の整理をやってみた・・。

 本というのもだ・・。あまり気乗りがしないので読む気にもならなかった本なのだが、その後半というか、末尾に・・とでもいうか、おまけみたいについている部分の・・「咸臨丸のかたりべ」というのが気になって購入したもの・・。

 

 作者は・・「植松三十里」さん・・。前に・・「桑港にて」という単行本を出したのだが、そのタイトルが読めない・・・とかで、それを「咸臨丸、サンフランシスコにて」という題名で書き直したものかな・・。私はまだ、読んでないのだけれど。

 そこにくっついている・・後半部分の・・文倉平次郎・・という男が、咸臨丸という船に賭けた情熱・・・みたいなものを書いた小説が「咸臨丸のかたりべ」だ・・。

 

 そのことを・・子孫の会の藤本幹事から漏れ聞いて・・・、それならば読んでおかねば・・と思ってAmazonで購入したもの・・。内容は・・ま、その通りだなぁと思ったくらいなものか。「サンフランシスコにて・・」というのは、」また、時間があれば読んでみたいけれど・・。

 その文倉平次郎が書いた・・・生涯で一冊の本・・。それが・・この「幕末軍艦咸臨丸」という800ページにも及ぶ大作だったらしい・・。今はこうした文庫本で読める程度になったのだけれど・・。それでも、上・下巻を合わせると一千ページにもなる大作である。

 作家の司馬遼太郎さんが、「ある情熱」という短編を書いている。

 「文倉平次郎というう人物の名は、百科事典にも人名辞典にものっていない。生涯でただ一冊の本を書いたひとが、その立場を表現する肩書きとしては古河鉱業の社員というにすぎず、学者でも文筆家でもない。」という書き出しである。

 この一文こそ・・「私にもできる」と、私を咸臨丸研究にのめり込ませている原典である。

 

 つまりだ・・。サンフランシスコで雑用みたいなことをやっていた男がだ・・。ある日、偶然に、新聞記事の中から・・幕末軍艦咸臨丸に乗ってやってきた日本人のお墓が二つではなくて三つ・・あったことに気づく・・。そこで、もう一つある筈のお墓を探して探して・・・。やがてには墓地の管理人のボーイにまでなって・・三人目のお墓、「青木の源之助」のお墓を見つけて掘り出すことに成功した。

 その後・・平次郎は・・日本にもどり・・一介のサラリマン「古河鉱業社員」となって、咸臨丸研究に没頭し、退職金をはたいて・・生涯で一冊きりの本を出して、この世を去った。平次郎は歴史学者でも文学者でもない。一般の人名辞典にも名前が出ないような男が、その生涯をかけて書いた咸臨丸研究の原典にもなった本。それが・・幕末軍艦咸臨丸だ。

 

 植松三十里さんは、その情熱を書こうとしたらしいが、うーん・・。どうだったんだろうか・・。少なくなくとも・・・私は・・平次郎の情熱には遠く及ばなかったような気がした。

 私もまた・・咸臨丸に乗り組んだ水夫のお墓を探し歩いて・・今もなお・・咸臨丸を追いかけている最中なんだけれども・・・平次郎の気持ちにははるかに遠いものかも知れないと思ったりする・。でも・・平次郎には負けないぞ・・という思いも強い・・。



 それはさておき、今日は・・「友、遠方より来たる。また、たのしからずや・・」だった。タイランド・・。タイという国のチェンマイ・・というところから、はるばると・・我が家を訪問してくれた人がいる。彼に言わせれば・・「日本なんてすぐそこの国」らしい・・。そうはいうても・・私はタイがどこにあるかさえわかってはいない・・。

 

 このおじさん・・「クニ・サン」というのだけれど、NTTをやめて、英語・ドイツ語・フランス語を勉強し、タイ語、ビルマ語・ヒンディ語・ヘブライ語・アルメニア語・・・なんぞを勉強して、今はタイのチェンマイにいるんだそうだ。そこで、ポン菓子を作ったり、折り紙を教えたりして・・シニアフリーターなんだそうだ。

 で、どこからか、私の動きを知って・・「タイに来ないか・・」というてきたのだ。けいこばぁは乗り気で・・「行く行く・・行きますよ~」というのだが、私は・・どうもね。小乗仏教・上座部仏教というのは相容れないし、そういう道では、私は救われないし、私もまた人を救いようがない・・。「クニ・サン」は、「大丈夫よ・・」というけれど・・。根本が違うのだからね。けいこばぁが65歳になったらタイに行くというてるけれど・・。どうなるんじゃろうか。

 

 とりあえずは・・「咸臨丸と塩飽諸島の本が二冊欲しい。それにあなたのサインも欲しい・・」という・・。おかしな客だが・・振り込め詐欺でもないらしいし・・けいこばぁも知り合いみたいだし・・。そりゃそうだ、昔の私の上司だったんだから・・・。

 

 私には・・現地のお土産らしい名刺入れを、けいこばぁは・・織物やら・・民芸調の布やらをいただいてほくほく・・・。けっこう・・クニ・サンと気があっていた様子。

 そんなこんなで、今日の・・うどんレポートはスペースがなくなった・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

雨や雨 田んぼの草も 野放図に

2010年05月23日 | 自然
 非情なもので、朝から雨になった・・・。それも激しい雨になって、まるで嵐のように風までが吹き荒れて・・。まさに・・メイ・ストーム・・五月の嵐じゃなぁ・・。

 これでは・・・日本丸の一般公開は中止やね・・。こんな雨ではどうにもならん・・。はやてちゃんが、インターネットのHP上でのイベント中止を見つけて・・・残念そうに唇をかみしめた。

 

 娘家族は神戸へお買い物に出かけ、私とはやてちゃんが高松の日本丸見学に行く予定。だから、けいこばぁが・・親戚のご法事に出かけたのだが、それが雨では・・私ら二人は行くところがない・・・。

 山の旧宅・・「きむら株式会社」に出かけてみたが、雨が降っていてはどうにもならん・・。

 

 孫のはやてちゃんが・・なにやら勇ましげな旗を作っていたので、私もその残り布をもらって旗を作ることにした・・。これじゃ、お葬式用の「くじら幕」みたいだけれど、どんな風になるのじゃろうか・・。

 今は縦になっているが、これを横にして・・両端を縫い合わせて筒状にする。で、吹き流しのようにしっぽ部分を切り裂いて切り口をうまくまとめると・・。

 幕府軍艦旗・・。「中黒長旗」になる予定・・・。これを・・マイボート「あかつきⅡ」に掲げてみようと思う・・・。どんな具合になるのかねぇ・・。

 まだ、ミシン操作がうまくいかないもので・・明日か明後日、けいこばぁがお休みの日に・・少しばかり・・ご教授願おうかと・・。

 で、今日ははやてちゃんと二人でおうどんを食べに行った。さぬき市津田の「羽立:はりゅう」という一般店。

 

 日曜日の・・十二時を少し過ぎた時間だから・・大混雑だろうとおそるおそる行ってみると・・・、車が一台・・・ぽつんととまっているだけ。「これはやばいなぁ・・。味が落ちたのかなぁ・・」と思った。讃岐のうどん屋で、お昼時にお客のいない店なんて信じられない・・・。

 「今日は雨でねぇ・・。いつもはこんなことないのに・・。田植え時期でもないのにね・・」と、おかみさんのお言葉。

 私は・・ちくわ天ぶっかけ・・450円と、はやてちゃんが・・きつねうどんの350円。合計で800円だ。

 

 これがきつねうどん・・。はやてちゃんは・・おなかがすかない・・というのに、ぺろりと食べてしまって・・「おいしかったぁぁ・・」と満足そうに。

 

 これが、私の・・ちくわ天ぶっかけ・温いん小。まずもって、麺がおいしいと思った。そこいらの東讃地方のやわらかいおうどんではないと思った。しっかりとしたコシがあって、しかも固くはない・・。お出汁もおいしかった・・。それに何より、揚げたばかりのちくわの天ぷらがおいしい・・。

 二人は・・今日初めての・・大満足・・・。

 おなかのおきたはやてちゃんは・・お昼寝モード。私はその合間に・・咸臨丸子孫の会の藤本幹事から依頼のあった・・「塩飽本島ジオラマ作り」の基礎データ収集をやっておく。これも・・「密書」として・・・陸路を運ぶ予定が・・どのようになるんだろうか。

 

 佐柳や長崎からは・・・「ブツ」が届いたし、忘れたように注文しておいた・・「幕末軍艦咸臨丸(上)(下)二巻やら・・植松三十里さんの「咸臨丸サンフランシスコにて」という文庫本も届いた・・。にわかに賑やかになってきた今日この頃だ。

 そうそう・・今回の「船の祭典2010」の・・企画をやってる大林成行さんの友人だということで、若い頃に電電公社でお世話になった元上司が・・我が家を訪問したいと連絡してきた・・・。どこにどんなご縁があるかわからない・・・。それもこれも・・、咸臨丸のおかげ、船の祭典のおかげやね・・。

 そうそう・・25日には・・日本丸が高松を離れるので、「登しょう礼」という儀式を行う・・。それを・・けいこばぁが見たいというので、天候が良ければ・・見られると思うのだけれど。

 

 そうそう・・八月下旬のアメリカ・サンフランシスコ行きのための諸準備も着々と進んでいる。パスポート申請のための書類の準備やら、成田までの航空券やら帰りの航空券の予約なんぞも・・・。県立病院の担当ドクターからの旅行OKの許可ももらったし・・。

 

 そう、それにだ、この週末には、高松の「草創の会」の塩飽訪問取材の旅も予定されているし、土曜日は・・塩飽本島での討論会。入江先生の講義を聴いておきたいなぁと思うし。

 30日の佐柳の講演も聴きたいが、翌月曜の31日には・・まごのはやてちゃんのパスポート申請のための書類を善通寺まで受け取りにいかないといけない・・。佐柳の講演は無理かなぁ・・。

 そんなこんなで・・今月も・・目いっぱいだね。で、来月一日からは・・京都の本山でのお勉強会。坊さん用語で「安吾」っていうんだけれど・・。古代インドの雨期には托鉢もままならないし、虫を踏みつぶしてはならないので、お寺に籠もってお勉強したそのが発端らしい・・。それが・・四日まで。戻ると・・しんかい6500ほかが高松にやってくる。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
 

若人らに 麦わら帽子を 振り続け

2010年05月22日 | 自然
 お昼を過ぎると・・お客さんがぞろぞろと集まってきた。突堤周辺には人の波ができるようになった。ベンチなぞがある場所は人で埋まっている。

 こうした場合の船でも・・しっかりと時間が決まっていて、当直があって、しっかりと働いている。昼食が12時から12時45分。13時からが午後の課業。後部甲板に整列して体操をし、作業の内容の説明があって各班に分かれて位置に着く。

 

 日本丸には四本のマストがあり、前からフォアマスト、メインマスト、ミズンマスト、ジガーマストと呼ばれ、そのマストごとに「マスト・オフィサー」という士官がいて指示をする。

 まずは、ロープ類を所定の保管位置から甲板上に整理した後、それぞれのマストのヤード(横桁)に巻き付けあるロープを解いて帆を下ろす準備をする。これを「解帆:かいはん作業」という。

 

 

 マスト上で作業することを「しょう上作業」といい、素足でフット・ロープという足場ロープに足を載せただけで作業をする。そのため、「わたるぞ~」「わたるぞ~」と声をかけながら移動する。左右の者にロープの揺れが影響するからだ。作業が終われば「もどるぞ~」「もどるぞ~」と一歩ずつ声をかけながら移動する。

 

 全てのロープが解放されると作業員は甲板上に降りる。すぐ横の海にはタグボートが待機している。帆を張ったとたんに強風が吹けば帆船のロープが切れて暴走するからだ。その対策のためにタグボートが待機をしている。

 まずは、マスト間にある縦帆(じゅうはん)があげられる。船体から前に突き出した「バウスプリット」と呼ばれるマストからも三角の帆が上げられる。これで船体を安定させるため。

 

 その後、各マストの下から二番目の帆、トップスルーが引き上げられる。ついで三番目のトップゲルンがヤードごと上に引き上げられる。四番目のロイヤルは下に引き下げられ、最上位のスカイセルが引き下げられ、さらにヤードが上に引き上げられて帆が展帆される。

 

 

 それでほぼ全ての帆が展開されたことになる。この場合、一番下のコースセイルはまだ開かれていない。これは、船尾に船長がいて舵輪を操作するので、見通しがいいようにと、風の流れや強さを把握するために最後まであげない。その安全を確認して、船長の命令で,
コースセイルが引き下げられて展帆(てんぱん)作業は終了する。総枚数は36枚だとか。

 これが太平洋の白鳥・・と呼ばれる日本丸の勇姿である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

指先の 覚えていたり 夏の歌

2010年05月22日 | 自然
 朝方はいい天気だったもので、早めに我が家を出て・・高松のサンポートに向かった。今日から・・「船の祭典2010」が開幕する・・・。この祭典は・・直接・・咸臨丸とは関係ないが・・・乗りかかった船だし・・、前後左右で・・塩飽とか帆船とかに関係するもので、身体の自由がきくのだから・・乗ってみよう・・沿ってみよう・・みたいなことで。

 

 サンポートっていうのは・・昔の国鉄(これも古い話やなぁ・・)の連絡船の着いていた場所とか操車場とかのあった場所なんぞを埋め立てたあたりをいうのだろうか・・・。そういう時代が思い出せないのだけれど・・。

 私は・・警備員の「誘導されるままに・・地下の駐車場に送り込まれて・・・。ま、そのほうが安全だし、安心だけれど・・案外と・・これが駐車場料金が高い・・。それは仕方がないか・・。

 

 ま、そのあたりは・・模擬店だの・・ステージだのと・・にぎやかではなやか・・。ま、イベントの学習も・・数年先の「レキまつり」の下調べにもなるし・・。ああすればいい、こういうのも楽しいなんぞと・・。レキ・・のゆるキャラも考えないとだな・・。

 

 こういう音楽隊の演奏は・・自衛隊の12師団の善通寺からお願いしたらいいね・・などと。なかなかに目の付け所が違うでしょ・・。

 で、少し早いけれど・・お昼のおうどんは・・「元匠:げんしょう」さんのかけうどん小で250円。

 

 ま、おなかがすいていると・・なんでもおいしいんだけれど・・。こういう場所で食べるといかにもおいしいと思えるんだなぁ・・。

 会場に着いたのが・・10時過ぎだったんだけれど、セイルドリルは13時だから・・時間が余る・・余る・・。そのあたりを歩いても歩いても時間は進まない・・。

 

 こういうキャラクターと遊んだり、トイレに行ったり・・おうどんを食べたり・・。今日は暑くもないし、寒くもないしで・・楽だったし・・。

 

 この・・サンポートにも少しばかりのバラ園があって、時間つぶしにバラの花を観賞した。

 
 

 そして・・これが・・「日本丸:にっぽんまる」だ・・。



じゃぁ、次に続くね・・。

忙しく 燕飛び交う 棚田あり

2010年05月21日 | 自然
 で、書き切れないので・・二分割にした。横着というか・・・サービス超過というか。

 今日のお昼は・・さぬき市志度にオープンした・・「根っこ志度店」になった。マルナカ志度店の少し西側にできたこのお店・・。高松市三谷町の「根っこ・三谷店」に似てるなぁと思うけれど・・確かな証拠はない・・。

 

 で、注文したのは・・「温泉玉子ぶっかけ冷やの小」で・・300円。まずまず・・おいしいと思った・・。さすが・・「根っこ」だ・・。ここで、さすが・・というほどのものでもないのだが・・。

 で、これが・・その・・うどんだなぁ・・。

 

 いかにも・・おいしいから・・食べてくれんかなぁ・・というとるようなおうどんだ。誰も・・そんなことを言うとらんてかぁ・・。そら、そうかもしれん・・・。さぬきうどんは・・シャイで内気で・・・控えめじゃけんなぁ・・。

 

 で、午後からは高松港に・・練習船「日本丸」が入港した・・。

 日本丸(にっぽんまる)は、日本の航海練習船で大型練習帆船。1930年(昭和5年)に進水した初代の日本丸は約半世紀にわたり活躍し、1984年(昭和59年)に引退した。航海練習船としての役割は日本丸II世が引き継いだ。姉妹船として海王丸がある。

 

主要諸元
船種(帆装型式) - 4檣バーク型帆船
総トン数 - 2278トン
全長 - 97 m
全幅 - 13 m
メインマスト高 - 46 m(水面からの高さ)
吃水 - 5.3 m(平均)
総帆数 - 29枚
定員 - 138名
他 - ディーゼル機関による機走可能
日本丸II世

 

 

 日本丸II世の船首像「藍青」は日本丸の後継として、1984年(昭和59年)に日本丸II世が就航した。日本丸II世は帆装艤装設計から製作まで、すべて日本国内で行われた初の大型帆船である。住友重機械工業浦賀工場で建造された。

 

 なお、日本丸II世と姉妹船の海王丸II世(1989年就航)を見分けるための大きな違いは、舳先にある船首像である。日本丸II世の船首像は手を合わせて祈る女性の姿をしており、「藍青(らんじょう)」と名付けられている。海王丸II世の船首像は横笛を吹く女性で、「紺青(こんじょう)」と名付けられている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ゆったりと 空に羽ばたく 夢一話

2010年05月21日 | 自然
 先日の18日に打ち上げ予定であった「金星探査衛星・あかつき」が、今朝の七時前だかに打ち上げられた・・・。

 宇宙航空研究開発機構と三菱重工業は21日午前6時58分、日本初の金星探査機「あかつき」などを載せたH2Aロケット17号機を、鹿児島県南種子町の種子島宇宙センターから打ち上げた。あかつきは太陽を周回しながら金星へ近づく軌道に入り、打ち上げは成功した。

 

  あかつきは約4億キロを航行し、12月7日に金星を周回する軌道に達する予定。

 

 金星は二酸化炭素の濃い大気と硫酸の雲に覆われ、「スーパーローテーション」と呼ばれる秒速100メートルの風が吹く。あかつきは約2年かけ、風が起きる原理や雲ができる仕組みを解析する。日本の惑星探査機打ち上げは、12年ぶり2度目。前回の火星探査機「のぞみ」は、故障などのため火星の軌道に到達できなかった。

 

 金星探査機は、最近では2005年11月に打ち上げられた欧州宇宙機関の「ビーナス・エクスプレス」が、金星の雲に含まれる物質の分析などを行っている。あかつきと共同観測も行う。

 

 17号機には世界初の宇宙ヨット「イカロス」、鹿児島大の大気水蒸気観測衛星「KSAT」など5基の実験機や衛星も搭載され、すべて予定の軌道に投入された。イカロスは、太陽からの光を帆に受け、そのエネルギーで進む。宇宙機構は将来の木星探査機に、この新技術の活用を目指ざす。

 

 

 これが・・金星探査衛星「あかつき」の搭乗券で、ここに私らのメッセージを詰め込んで金星に送ろうというものだったんだけれど、私は・・なんて書いたのか、どんなことを書いたのか・・まるで記憶にない・・。PCの中にも全く・・記録されていないのだ。だから、お友達の「乗船券」をコピーさせてもらった・・。

  


じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

山あいに 色まだらなり 麦の秋

2010年05月20日 | 自然
 何の加減なのか・・、今朝方は胸が重くて息苦しくて・・・。気圧の関係なんだろうかね・・。心臓の手術とは関係がないとは思うのだけれど・・詳しいことはわからない・・。でも、咳が出るし、タンが絡むのだから・・やはり・・病院からの風邪が響いているのだろうか・・。

 

 血圧計とか体温計とかには異常がないから・・あんまり心配はしていないのだけれど・・。やはり、気圧の関係かも知れないね・・。なんだか、梅雨みたいな天候になってしまっていたから・・。

 さて・・、午前中は・・けいこばぁのお友達のお見舞いに・・高松市内の中央病院に行ってきた。自転車に乗っていて・溝に落ちて・・首を痛めたのだとか・・。災難はどこにでもあるもんだね・・。

 

 それから戻ると・・、今度は東かがわ市に走って・・、東讃免許センターでの私の運転免許証の更新手続きだ。18歳から62歳までというと・・44年間。3年ごとの更新だとすると・・実に14回目の更新になるらしい・・。中には・・ゴールド免許の時も何回かあったけれど・・。

 

 ま、会社に就職をする時に「運転免許は必須だから・・」ということで、運転免許は持ってきて欲しいと言われて・・運転免許をとったのだけれど。間に合わなかった人は・・仕事を終わってから自動車学校に行った人もけっこういたように思う・・。だから・・更新費用は会社持ちだったけれど・・・それはそれでまた、領収書だ証拠書類だと面倒だった記憶がある・・。だから・・ある時期から・・・内緒で更新したこともあった・・。

 でも・・あれから・・44年間か・・。いったい・・、どのくらいの距離を走ったんやろうかねぇ・・。

 

 山道を走ったら・・、こんな田植えの風景を見た・・。いまだにこういう田植えをやってるところもあるんだ・・みたいなことでシャッターを押した。山の中の棚田だったら、機械化ができないから・・、こうするしかないのやろうね・・。

 さて・・、いよいよ・・明日には、高松サンポートの二万トンバースに・・帆船「日本丸」がやって来るらしい・・。だから・・土曜日・日曜日は日本丸見学の予定。お天気がどんなだろうかね。

 

 いよいよ・・「船の祭典2010」が始まる・・・。今週末は「日本丸」。来週末には塩飽本島・佐柳島での公開討論会が行われる・・・。またまた・・忙しくなりそうな気配がする・・・。風邪なんかで伏せっていてはいられない・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


心房粗動アブレーション エピソード4 オペレーション

2010年05月20日 | 日常
 二日目の朝は五時半過ぎに起きた。病院の夜は遅く・・、病院の朝は早い・・。つまりは・・病院は眠らないってことで、大声を出す患者さんもいれば、訳のわからない機械音が鳴ったり止まったり、廊下を歩きまわるスリッパの音やワゴンの走る音がやむことがない。だから・・・眠ったものが勝ちなのだが、眠りからさめてしまうと・・、もう、朝でしかない・・・。

 だから・・朝からラジオを聞いたり、テレビを見て所在ない時間を過ごす・・。朝食は朝の八時・・。それまでは全くの用事も予定もない・・。

 

 この日の昼食はないので、じっくりと味わって食べるが、心臓食というか病院食だから塩気がまるでない・・。でも、これしか食べるものがないので仕方がない・・。一階の売店で野菜ジュースやらトマトジュースのパックを買って飲んだ。まさか、あんパンやお菓子を食べる訳にもおにぎりを買って食べる訳にもいかない。ほぼ・・1日はトイレにはいけないのだ。食事が終われば戦闘準備・・・。食後のはみがきが終われば入れ歯を外し、指輪を外し、めがねを外し・・、薬を飲んで左手に点滴開始・・・。

 その後は・・・テレビを見ながら時間待ち。12時前頃からオペの直前準備。下着などを脱いで素肌となり手術着に着替え、足の付け根、そけい部といわれる部分の除毛。電機バリカンで除毛してガムテープで清掃・・。足の動脈にマーキング、尿管を挿入・・。血栓防止のストッキング装着など・・。

 

 12時半に点滴台ともにベッドごと移動・・。エレベーターで一階へ移動し、血液造影室に向かうが、看護師二人とも場所を知らない・・。ようやくに造影室に到着・・。ベッドから手術台へ移動。これは腰をずらし、足をずらして自分で移動・・・。手術台の上には黒い大型のCRTが三台ずつ二列に六台が並んでいる。私の手術が第一号らしくてメーカーの若い技術者が二人・・・かいがいしく準備している。体格の立派な人が教授だろうか、きびきびと指揮をしている。その人と担当のドクターが入ってきて、手術の準備が進められる。不思議と恐怖心とか緊張感は全くない。内視鏡の場合とまるで同じ・・・。室内にはメーカーの機械技師が二人と、教授と担当医師、それに担当看護師の五人。

 これらの大型ディスプレーは、血管の中を見るために、造影剤を静脈中に混入させて、その中を動くカテーテルという機材の影をディスプレーに映し出して制御しようとするもの。それを複数の位置から映していて三次元から監視しているみたい・・。さらにそれらは映像処理されて録画される。

 

 担当ドクターが右足の付け根部分を消毒して局部麻酔注射。ついで、右首にも消毒・局部麻酔・・・。こうした様子はモニター室で病院長や研修医、麻酔医師などが監視をしていて、不測の事態に備えている。当然、血圧・脈拍なども担当の看護師が監視をしている。

 13時過ぎ・・。準備ができたところで、睡眠導入剤の注射・・・。これは必要がないものだが、私が特にお願いしたもの。胃カメラ検査の時にもこれでお願いしている。二・三回ほど呼吸をすれば・・・もう・・あとは夢の世界だ。なにをされているのかさえわからない。絵本に出てくるようなかわいいおうちがあって、きれいなお花が咲き乱れている夢と、その下側に闇の世界があって、そこからは不気味な音が響いてくる・・。それが身体を通じて感じる現実の世界なんだろうと思う・・・。

 この下の図では左肩からカテーテルを挿入しているが、私の場合は右肩からとなっている。

 

 ただ・・心臓をもまれているような重苦しさは何度か感じられたが、それも夢であったのかもわからない・・。ただ・・暗号のような・・・25ワット・・・30ワット・・・というような声が聞こえていたかも知れない。「25ワット・・6秒間、50度・・かな・・。もっとあげようか・・・。あ、切れた・・。」みたいな声・・・。

 「もう、終わるかな・・・」という担当ドクターの声と「もしもし、わかりますか?もうすぐ、終わりますからね・・」という声で・・・夢から覚めたら・・、もう、おしまい。

 不整脈を正しい脈拍に直すために、電気パッドで左右の胸に電極を当て、高電位をかけて心臓にショックを与え、脈拍を正常にして置いて、漏電をしている箇所を破壊して筋肉のダムを作って電気の漏電を遮断させるもの。これで電気漏れが遮断されたら手術はおしまい。手術は13時過ぎに始まり、14時半には終わったからほぼ一時間あまり・・。

 今度は数人でベッドに移されて、あとは病棟看護師二人によって元の病室へ。その前に心電図測定と心臓エコー検査・・。異常のないことが確認できたらOKだ。

 

 しかし、問題はそれから後・・・。治療後は静脈を使った場合は3時間、動脈を使った場合は6時間絶対安静だ。絶対安静とは、仰向けのままにじっとしておくこと。これはこたえる。寝返りをうちたいが、それが出来ない。ぴくりとも動くことができないように砂袋が載せられていて動くに動かせない。身体を動かせば血管が裂けてしまうらしい・・。

 一時間を経過すれば水やお茶は飲んでもいいが、頭を動かせない。だから、寝呑みという・・・長い口の着いた容器でお茶を飲むが、これが案外と呑みにくい・・。介護をやってるけいこばぁのはずだが、こぼしてしまう。夕食はおにぎりとミンチボールの串刺しで、寝ていても食べられるようになっているが、こういうものはおいしくない。六割ほどしか食べられない。食べたら食べたで歯磨きをしないといけないし、トイレのことも気にかかる。それだし、寝たまま・・食事をした経験がないから、どうやれば咀嚼(そしゃく)できるのか、飲み込めるのかがわからない・・。



 左足や上半身は動かしてもいいと言われたのが、午後6時前であった。約3時間の同じ態勢で寝ていた。だが、まだ、右足は曲げてはいけない。もう起き上がろうとしても起き上がれない。どうも、ぎっくり腰になったみたいだ。六時間後の18時過ぎには横向きになってもいいと言われたが、尿管や点滴コード、心電図モニターコードがからまって動けないし、手術着のマジックテープがからまって身動きできない。だから・・上半身は裸同然・・・。ふとんが外れてもなおせない。これで・・翌朝まで・・半裸状態で寝ていたのだから・・今度は風邪気味になってしまう・・・。

 まだ、左手には点滴があるし、尿管は接続されたままだからトイレにはいけない。歯磨きにもいけない・・・。

 安静解除が出たのは三日目の朝の九時過ぎ・・。担当ドクターが忘れていたのだろうか。そのままでは朝食が食べられない・・・。ようやくに各種の保護テープが外され、安静解除。尿管も外されたが、まだ点滴コードが残るが、これは点滴台を押してでも移動できる。ようやくに上体を起こしてもらって朝食の味噌汁が飲めた・・・。

 洋式トイレに座り込むのも苦しいし、身体を運動させても腰や肩が痛いし、足も痛い。何度も屈伸運動をするものの快方に向わない。ベドから起き上がる・・、上体を起こすだけに10分はかかる・・・。それでも安定しない・・。

 朝食が終わると看護師さんが身体や手術中に飛びついた血の飛沫などを引き取ってくれ、絆創膏やらテープ類をはがし、尿管を引き抜き、手術着を外し、下着を着せてくれて、入院着に着替えさせてくれた。これで一段落・・・。ようやくに生きた心地に戻ったものだ。

 

 これでやれやれと思った矢先・・・。連日の温寒の温度差やら、はだかで寝たことや、手術中に大汗を流したことなどが影響したものか、退院直前になって体温がぐんぐんと上昇をはじめ、四日目の夜中には・・38度九分まで上がって大騒ぎ・・。急遽、氷で冷やしてもらったりして風邪騒動に発展してしまった。

 なお、気になることは医療費だろうと思うが、。今回は手術費等はくわしく知らないが、入院費用、差額ベット代を含めての医療費であったし、もちろん、3割自己負担だから、本人支払額は約12万円となった。思ったよりも安かったように思う・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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