まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

報恩講 庭にもみじは 遠慮なく

2015年11月30日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて、概ね晴れていたが、夜は寒気の影響で雲が広がるらしい。気温は6度から16度、湿度は82%から52%、風は1mから4mの南南西の風が少しばかり。小春日和の一日になった。明日の12月1日は、寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 朝靄というのだろうか、地面からモヤがわき上がっている。太陽が昇ってきて、冷えた地面から水蒸気が立ち上っている。

 

 もう、大窪寺の紅葉は散ってしまっただろう・・と出かけてみたら、まだまだ、紅葉は残っていた。さすがに、一眼レフのカメラを提げた人はいなかった。昨日、一昨日あたりが最後だったかも知れない。

 

 今日はきれいな青空で、空気も冷え込んでいたので、残った紅葉も輝いて見えた。通りすがりのお遍路さんが、「まぁ、きれいな紅葉・・・」と驚いていたが、この晴れ間がなければただのもみじでしかない。光があるから輝いて見えるのだ。

 

 最近、ノルディック・ウォークというものが流行っていて、お遍路さんの中には、ノルディックウォークのストックを持った方や、金剛杖を2本持っている方が増えてきた。

 

 副住職さんに梵鐘の打ち方についてのお作法を教わった。山門で一礼して入り、手水を使い、その後、梵鐘を打つのだが、強く打つのか、軽く打つのか、一回打つのか、二回打つのか・・・見ていると、さまざま・・。普通は、お寺へのご挨拶だから、軽く一回打つ・・・とされているが、ものの本には「二回」と書いてあることもたまにはある。

 

 家の近くまで帰ると・・・、いるわいるわ・・。20頭ほどのサルの群れが落ち穂を拾って食べている。

 

 私がいても平気の平左で走り回って遊んでいる。今日はひなたぼっこにはちょうどいい日和だ。

 

 この子がボスザルだろうか。平然とあたりを見回して高見の見物。もう、人間なんぞ恐ろしくはない。人間がここまで来られないことを知っているのだ。ここは稲の収穫が終わったので、電気柵の電流は止めてある。

 

 帰ってみれば、キンカンの実を食べ散らかしてあるし、隣のユズの実も食べ散らかしてあった。でも、おいしくないのか、かじったまんまだ。

 

 まだ少しばかり熟すには速かったみたい・・・。

 

 「でも、ユズは収穫しておいて・・・」と言われていたのを思い出して、バケツ一杯のゆずを収穫した。今年はこれだけ採れたら充分だ。昨年なんかは皆無だったのだから・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「高い山はゆっくり登れ」というもの。私はものすごく短気なのである。じっとしているのが嫌い。ぼんやりしているいのが嫌い。待っているのが嫌い。それで、イライラしてついつい焦ってしまう。焦って滑って転んで痛い目を見る。早く結果を見たい、早く結果を知りたい・・・そんなこんなで急いでしまう。急いで転んで痛い目を見て反省しても、後悔先に立たずである。今日も、そんな一日であったような気がする。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


無骨さを そのままにして 寒椿

2015年11月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で、雲が広がっていた。気温は4度から12度、湿度は76%から58%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の30日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は恒例の、所属寺院の報恩講の日。(この写真は過去の物。懐かしい先生の名前が・・)ところが、今年は12月の1日になっている。そういうことで、今日はぽっかりと予定が空いてしまった。

 

 そこで、ダイアリーの準備やら引き継ぎやらをやってみた。12月はすぐそこだし、来年も身近になってきたし。

 

 同じものなのに、一年も使えば、下のように厚くなる。上が来年用の未使用の予定表。

 

 来年用の年賀状も作ってみた。あまり、変わり映えはしないのだけれど。変わりがないって事は大きな変化がないってことだ。

 

 明日は、お隣の町のお寺さんでの報恩講。法話のおさらいを少しばかりやっておく。どうにも、まちぶら探検隊のガイド口調に戻ってしまう。そうそう、「まちぶら事務局」から「活動成果」と言うことで、写真がどっさりと送られてきた。

 

 報恩講が伸びたので、代わりに・・と言ってはなんだが、小砂説教所跡にお参りしてきた。庄松同行は、1798?~1871年の人。讃岐(香川県)大川郡(東かがわ市)丹生村土居で農業を手伝い、明治4年73歳で死去した。『庄松ありのままの記』によれば、「庄松はつねに縄を編み、あるいは草履を作りなど致し居て、ふと、阿弥陀仏のお慈悲のことを思い出すと、所作を抛(なげう)ち、座上に飛び上がり立ちながら、仏壇の障子を押し開き、御本尊(阿弥陀仏)に向かって、曰く『バーアバーア』」。これは、無学な貧乏人であった庄松が、子どもが親に甘えるように御本尊に甘えている姿であると言わている。

 

 庄松が臨終の床についた時、生涯独身であったため、一人で寝ていた。そこへ同行の市蔵が見舞いにやってきて、市蔵は庄松に「同行らと相談したんだが、お前が死んだら、墓を建ててやるから、あとのことは心配するなよ」と言った。すると庄松は、「おらは石の下にはおらんぞ」と答えたと言う。既に阿弥陀仏の本願に救われている身なので、墓石の中ではなく、浄土に生まれることを確信する中から発せられた言葉だと言えよう。

 

 しかし、現実にはこんなお墓が建っている。これは「報恩感謝」のお墓なのである。御恩報謝の念仏と同じである。供養のためではない。石碑には「庄松同行の墓」とあり、「釈正真信士墓」と刻まれている。 没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。

 

 絶対の慈悲に浴して、大信をさずかった者には、墓も卒都娑も いらぬ、追善、供養、施餓鬼一切無用である。追善供養は悪道に堕ちた者へする仕業である。庄松は極楽往生は治定の身であるからである。“親鸞上人は、自分 のなきがらは加茂川の魚に与えよ”と仰せられたではないか。「庄松は墓石の下にはいないぞ」である。

 

 正面の建物は四間に三間半の木造平屋建て本瓦葺きの建物で、建物内の梁や桁材に墨書された奉納者の記載などから明治初期の建物だと思われる。戸帖の奥には正面に阿弥陀立像や庄松同行の絵像や人形、掛け軸などが安置されている。

 

 字の読めない庄松が「聖人一流章」を逆に読んでいる場面。庄松同行に関する資料がこうして奉納・安置・展示してある。

 

 いよいよと、季節は晩秋から冬へと進んでいく。冬支度の準備もしっかりとやっておかなくては・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「庄松いわく また生えにゃよいがのう 角があるまんまと聞こえなんだか」という、小砂説教所跡にあったお皿の言葉から。京都から名僧と評判の御使僧が来られたので、庄松さんもお参りしていた。すると、お説教を聞いていた隣の人が、涙を流して「いやぁ、今日のお説教はありが たかった。おかげで日頃の邪見の角が折れたわいなぁ・・」とつぶやきながらお念仏するのを、そばで聞いていた庄松さんの一言。「また、生えにゃよいが のぉ。わしは角があるままのお助けと聞いたがのぁ」と・・。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」という他力の大悲におまかせしてみると、悪業煩悩の角があるま まお助けに預かっている悦びがある。凡夫のままに救われていく世界を庄松さんは感得されていたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


迷い道 秋の日暮れの 速いこと

2015年11月28日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 高松市地方は寒気の影響で西部や瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は7度から13度、湿度は74%から56%、風は1mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の29日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がる見込みなのだとか。

 

 今日は孫のなぎちゃんのテニスの試合だというので、朝の5時起きの6時出発で、屋島のなぎちゃんちに7時前に着いた。最近の6時というと、まだ真っ暗・・・。

 

 高松市亀水(たるみ)町にある「亀水運動公園」に着いたのは7時半。少しばかり早かったが、混雑せずに渋滞もなく到着した。大会は8時半だと言うことだったが早いことにこしたことはない。で、終わるのはお昼過ぎの2時か3時だというので、そんなには待っていられない。

 

 そこで、四国霊場82番札所の根香(ねごろ)寺に寄ってみた。でも、紅葉は散ってしまった後・・・。三脚を抱えたおじさんが一人、紅葉を探してカメラを向けていたが、そんなにいい絵が撮れたとは思えない。

 

 もみじの散った後は無残なものだ。人に踏まれ、風に流されて大地に帰るばかり。気温が下がってきたからか、お遍路さんの姿も三人、四人・・・。

 

 この真ん中の「斉籐一人」さんというのは、あの、実業家、「銀座まるかん」の創業者、観音信仰と経営体験に基づいた独自の人生観を持ち、それらを論じた人生訓・自己啓発に関する関連書籍などを出版している人だろうか・・・。

 

 それでは・・・ということで、81番札所の白峯(しらみね)寺に行って来た。これは、崇徳天皇の御廟の頓証寺殿。頓証寺殿は鼓岡の御所(木の丸殿)を移築したものといわれている。崇徳上皇崩御後、たびたび都で変事が続いた。そこで、上皇の霊を祀る御廟所が建てられ、速やかに迷いを断ち悟りを開く供養を行うところから「頓証寺」と追号されたという。江戸時代に入って、延宝八年(1680年)に高松藩主松平頼重、頼常公が大願主となって頓証寺殿、勅額門の再建が行われた。

 

 ここでは、イチョウの紅葉やもみじの紅葉などが見られたが、さすがにカメラマンの姿はなかった。やはり、「三脚はご遠慮ください」、「駐車は30分以内」の看板が立てられていた。ま、一般の方の目からすれば、「お寺は公共のもの」という意識があるように思う。だから、おへんろつかさのガイドでは、必ず、「お寺は檀家さんのもの、第二に住職さんのもの、第三にお遍路さんのもの、第四に私ら一般のもの・・・」とお話をしてから山門をくぐるようにしている。決して、お寺はテーマパークではないのである。

 

 こういう看板があっても、カメラマンは全く頓着しない。身障者用駐車スペースに堂々と車を停めたり、点字ブロックの上に平気で商品を並べたりするようなもの。若い頃には正義漢ぶって注意をしたが、もぐら叩きみたいなもので人が入れ替わるのだからどうしようもない。

  

 ここでも、西の風を受けて、ハラハラとイチョウの葉っぱが舞い散っていた。

 

 お弁当を食べる場所を探してあちこちしていて、ここでトイレ休憩になった。言うてはなんだが、ここのトイレは空いていて、きれいに掃除してあって使いやすいのだ。

 

 すると、「西日本の背負い運搬具コレクション展」という企画展をやっていた。私も一時期、こういうものを何個か集めたことがあった。

 

 しわく広島の背負子は、この右端のようにツノ(荷物を載せる爪)が長いのが印象的だった。わが家あたりの背負子はツノが30センチくらいなものだった。背負う物によっての違いなのだろうか。

 

 同じ背負子でも土地によってさまざまな形や工夫があって興味深い。これらは農具だが、お坊さんの背負子となると、これまた千差万別。

 

 五色台という山をウロウロしたけれど、もう行くところがない。弁当を食べ終わって、13時からはテニスコートを眺めていたが、風が冷たくなってきて、車で暖を取りとり・・・試合観戦。結局、17時までの待機になった。

 

 早くも水仙が咲いているのには驚いた。結局の薬局で、朝の6時にわが家を出て、夕方の18時にわが家に戻ったのだから12時間勤務か・・・。気分的に疲れた一日に成った。

今日の掲示板はこれ。「幸せになりたいならば、「あの時ああしていれば」と言う代わりに、「この次はこうしよう」と言うことだ。」という、スマイリー・ブラントンの言葉から。過去の失敗を悔いても現実は変わらないし、落ち込むことで行動ができない方がよほど問題である。気分を切り替えるために、冒頭のスマイリー・ブラントンの言葉を読んでみた。後悔するより、この次はこうしようと思うことで自分をポジティブに変えられるというものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ミカン売る 店先にいる 白い猫

2015年11月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は寒気の影響で山地を中心に雲が広がり、雨や雪の降っている所があった。午後からは晴れていた。気温は5度から12度、湿度は71%から56%、風は3mから6mの西北西の風が冷たく吹き荒れていた。明日の28日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方、みぞれが降ったんだろうか、雪が降って凍ったんだろうか。とにかく、今期初めての冷え込みになった。でも、このあたりでは雪の気配は見えなかった。

 

 やはり、奥方の激怒はものすごく、「ちゃんとサルの番ぐらいやっといてよ~」と仰るのだが、24時間、サルの監視はできっこない。で、この、ロケット花火を買ってきた。買ってきたが、私が気づけば撃退もできるが、留守の間にやってきたのでは、こういうものではどうにもならん・・・。

 

 今日も紅葉を探して走っていたのだが、きれいな紅葉を見つけたときにはバッテリーがない。で、バッテリーを入れ替えたら、良い紅葉には出会わない。まったく、今日も「へとちまとち」なことだった。

 

 「今日はウロウロせずに、全部のお部屋に掃除機を掛けておいてよ」と仰るのだが、奥方が土曜か日曜かに掃除すればいいのだが、「あんたにはお仕事がないんだから、掃除くらいやっといてよ~」というのだから仕方がない。

 

 ここが奥方の「アトリエ」。ここで、洋裁をやったり、パッチワークをやったりする部屋。元は母の「さっちゃん」のお部屋だった。

 

 一階南部は、こういう間取り・・・。ここを念入りに掃除機を掛ける。「丸く掃除しないで、隅っこ、角っこもきれいにするのよ」と、まるで子供に言うように命令するのだからたまったものではない。

 

 それが終われば、一階の北側部分。こちらが少し面倒・・・。

 

 ご覧のように、ピアノ・エレクトーン・クラビノーバの三台が並んでいるので、掃除がしにくい。それに囲炉裏があったり、オルゴールがあったりと、掃除機が通りにくい。正面がリビングで右手前が台所で、左側が和室だが、三室がフリーになって一つの部屋になっている。

 

 トイレや浴室も掃除をしたら、今度は二階部分、二階も8畳の洋間と和室、けいこばぁの事務所が3畳、それにトイレと廊下・・・。これで2時間ちょっと。寒い寒いと言いながらも、少しばかり汗がにじんだ。

 

 しかしのかかし、サルを待っているときにはサルはやって来ない。サルも私がいるのを監視しとるんだろうか。で、私が出かけると、そのスキをねらってやってくるんだろうか。敵もサルものだ。今日は全く、サルの鳴き声も聞こえないし、サルの姿もない。

 

 お掃除が終わったので大窪寺周辺をドライブしてきたが、すっかりと紅葉もあせてしまい、もう、冬のお山に塗り変わっていた。それに急に風が冷たくなって、お遍路さんも寒そうに歩いていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「反省も後悔も一度すれば充分」という中山庸子さんの言葉から。物事を自分の責任として捉えて、自分を責めることもまあ必要なことなのだが、それが度を過ぎてしまえばただの自虐になる。「自分が悪いので・・・」と卑屈になり、ネガティブな考えに引き込まれ、閉じこもってしまうと、これまた困る。自分の責任として捉えることはいい考え方であるのに、「どうせ自分が悪いんだ」なんていじけていたら好転するものも好転しない。かといって、反省や後悔をしないと課題も見つけられない。だからこそ、「反省や後悔は一回に留めた方がいい。過ぎたるは及ばざるがごとし。(中山庸子さんはイラストレータ・エッセイスト)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋雨は 十八番の歌も 口に出ず

2015年11月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、昼前にかけて雨が降っていた。夜遅くは雷を伴う所がある見込みらしい。気温は8度から13度、湿度は92%から53%、風は2mから5mの西の風が強かった。明日の27日は、冬型の気圧配置となり、雲が広がり雨の降る所があるらしい。山沿いでは雪の混じる所がある見込みとか。また、雷を伴う所があるらしい。

 

 朝から小雨が降ったり止んだり・・。だから、空き瓶回収の日だっていうことを忘れてしまっていた。ま、今の時期、空き瓶は数本しかないので、来月でもまぁいいか・・・。

 

 雨の日では仕方がない・・。図書館も開店休業だし、紅葉も散ってしまうだろうし、雨の日の紅葉はいい絵にならないし・・・。

 

 今月末の報恩講さんに呼ばれているので、法話のおさらい。講演会やまちなみ探検隊のガイドをやっていて、法話の雰囲気を忘れかけている。歎異抄の第二条をいかなる切り口でお話しすればいいものやら・・・。

 

 ああだこうだと、過去の資料を開いたり閉じたり・・・。

 

 雨が降っている最中、ギフトのお店に行って来た。お歳暮というほどのものではないけれど、ここのおうどんがおいしいという方のために・・・。

 

 で、奥方に頼まれている食材の購入とか・・・。

 

 で、帰ってみたら、私が留守の間にサルの軍団が十数頭・・・。

 

 けいこばぁの野菜畑はこの通り・・・。ダイコンを引き抜いてかじって捨てて・・・。

 

 私も24時間、お猿の番をしている訳にはいかないのだ。わが家の番犬の「ごん」は、縁の下で「あっしには、関わりのないことでござんす・・」と見て見ぬフリ・・・。晩飯、ヌキにしますぞえ~。何のための番犬なんだか・・・。

 

 15時あたりになると、空も晴れてきて初冬らしい風景に戻ったけれど、夕方になると、再び雲が空を覆ってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日はよく働いたと夕方になって考えることほど、私にとって大きな楽しみはなかった」という、大倉喜八郎先生の言葉から。「今日はよく働いたと夕方になって考えることほど、私にとって大きな楽しみはなかった。楽隠居の考えを止め、勇気をおこし、家のため、国のため努力するこそ人間の本分なり。遊ぶも働くも月日は流る、奮闘に興味を持つこと。何事も魂を込めて誠心誠意働け。という名言を残している。

 

 【大倉喜八郎 おおくら・きはちろう】日本の実業家。日本の15財閥の一つ大倉財閥の設立者。 明治・大正期の実業界の雄である。男爵。越後国新発田(現新潟県新発田市)出身。 18歳で上京、かつお節屋で丁稚奉公し商売について学ぶ。3年の修行ののち乾物屋で独立。その後慶応元年(1865)大倉屋銃砲店を開業、戊辰戦争に際し 官軍御用をつとめて巨利を得る。戦争の度に肥え太った「死の商 人」という評もある。明治6年(1873)大倉組商会を設立し、貿易業に着手。晩年は稼いだ財産を公共事業や教育事業に惜しみなく投じた。大成建設、千代 田火災海上(現:あいおい損保)、日清製油、東海パルプ、サッポロビール、日本無線、富士銀行など現在でも続く企業の創設にかかわった。 鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを渋沢栄一らと共に、設立したことでも有名。現東京経済大学の前身である大倉商業学校の創設者でもある。 狂歌が好きで、大倉鶴彦という名前で狂歌集を出している。 

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋雨が 子猿の群れを 連れて来る

2015年11月25日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は12度から12度・・・。湿度は78%から72%、風は3mから1mの北北東の風が少しばかり。ずいぶんと冷え込んできたし、曇っているから日差しがなくてなおさら寒い・・・。明日の26日も、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、朝を中心に雨が降る見込みらしい。

 

 奥方が、午前6時半から出勤して行ったもので、私も7時過ぎにわが家を出た。で、丸亀港に着いたのは9時10分。通勤ラッシュに遭遇したようで、2時間余りもかかってしまった。

 

 で、滑り込みセーフ!・・・ということで、9時25分発のフェリーボート「しわく丸」に乗り込んだ。

 

 今回の島の家への帰宅の理由は・・・。

 

 11月8日の日のお弁当のお寿司。お昼のバザーで頂いたものを、冷蔵庫に忘れて帰ったのである。冷蔵庫の中でばい菌が増殖したらどうしよう・・と心配だった。

 

 それと、島用のノートPC。当分、島に帰ることもないので、一時、引き上げて、おこた用に使おうかと考えた。なければないでもいいのだが、あればあったで便利だと。

 

 それと、島用に運んだ掃除機だが、これも当分、島の家で使うこともないし、古い掃除機もあることだし・・・。

 

 島の家の冷蔵庫も、冷凍庫も、しばらくは必要ない食材を引き上げて来た。どうせ、島に入るときには、それなりに食材は持ってくるし、誰がいつ持って来た物かわからないものは食べようとはしないものだし。

 

 それをコンパクトにまとめてみた。フェリー乗り場の駐車場から、丸亀市の駐車場までのわずかな距離を、これで運ぶのである。

 

 9時25分発しわく丸は10時10分に江ノ浦港に着き、10時45分発の高速艇「ニュービサン」は11時06分に丸亀港に着く。しわく広島にいたのは20分間だけだったことになる。で、わが家に着いたのは12時30分。帰路は1時間24分。朝は時間が掛かったなぁ・・。

 

 奥方が11月から正社員になったからと、社会保険に加入したので、今までの国民保険証を返してきて・・・と言われていたので役所に行って来た。すると、「新しい保険証を見せてください」という。「それは預かっていませんが・・」と言うと、国民保険の契約を切らないと二重に保険金を掛けることになりますよ」と言う・・。

 

 で、家まで戻って、新しい保険証を持って役所に戻ったら、「印鑑も必要です」というので、いつもの手提げ袋を探したら・・・印鑑がない!。またもや、家に戻って印鑑を探して一件落着したのだが、昨日に続いて、今日も「へとちまとち」。

 

 おこた用のパソコンも接続できて、今日もめでたし、めでたし。

 

 今日の掲示板はこれ。「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間生まれてきたかいがないじゃないか。」という山本有三さんのことばから。地球では五十億余もいる人間の中で、あなたも、わたしも、たった独りではないか。そして二度と再びこの姿で、この世に生れることは出来ないのだ。そう思うと、せっかくの人生を、「ほんとうに生かす」とは、どういうことなのだろうか。いや、私もそうなのだが、人間なんてそんな大事な事を真面目に考えようともせず、うかうか過ごしてしまうもの。私もアッと言う間の60年だった。これから先、幾つまで生かされるのか、ほんとうは明日の日もわからぬこのいのち。だからこそ、あなたも私もともに、今生かされていることをよろこんで、たった一度しかない人生を、 くよくよせず明るく精一杯、感謝の日々を送りたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雨の中 落ち葉踏みしめ 来る遍路

2015年11月24日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は寒気や湿った空気の影響で、瀬戸内側を中心に雲が広がっていた。気温は15度から17度、湿度は90%から68%、風は2mから4mの北西の風が少しばかり。明日の25日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎから雨が降る見込みらしい。今週はずっと、そのような天気が続くらしい。

 

 さて、昨年の今頃は京都の本山での報恩講に代表出勤していた頃。白内障で左目がほとんど見えなくなり、さらに左足首を傷めての出勤だった。五日目かにとうとう歩けなくなって帰って来た・・・ということだった。

 

 しばらく図書館は休館になっていたが、今日から開館するとのことだったので、借りていた本を返却しておかねばと・・・。

 

 ということで、児童資料コーナーや新聞コーナーは閲覧できるが、殆どの資料は来年2月中旬までは見られない・・・というのだ。それじゃ、ダメじゃん、春風亭昇太。三ヶ月近くも本を借りられないなんて・・・。

 

 昨晩、頼まれていた、「彫像会」の集合写真を印刷してみたら、元の写真も悪いが、プリンターが古くなったせいもあって、黒い写真ばかりになってしまう。

 

 そこで、写真屋さんにプリントをお願いしようとやってきたら、財布を持っていないことに気が付いた。おまけにキャッシュカードも奥方に貸したまんまになっていた。仕方がないからわが家に戻って財布を持って、この機械で注文して、わが家で確認したら、最悪の写真を選んでいた・・・。

 

 仕方がないから、プリンターをだましだまし、使っていたら、とうとう・・・インク切れが相次いで、おまけにプリンターが暴走してしまって、途中で印刷を打ち切ってしまうようになった。用紙の無駄とインクの無駄遣い・・・。

 

 今度は違うお店の違う写真屋さんに出向いて・・・

 

 プリントアウトしてもらったが、これが案外とお値段する。そんなこんなで、30枚のプリントのうちの9枚しか印刷できなかった。2L版はインクも多量に消費するようだ。全く、「へとちまとち」。「へとちまとち」というのは、思うようにならないというか、やろうとするのだけれど、どうにもうまくいかず、全く、意図しない結果になるみたいなことを言う、讃岐弁である。

 

 奥方の分の年賀状の試作品ができたが、一部、修正が入った。全く、へとちまとち・・。

 

 これからは寒くなるというので、ファンヒーターを出したら、あいにくと灯油がない。灯油を買いに行こうとすると、ポリタンクがない。

 

 ポリタンクに灯油を買ってきたら・・・

 

 給油用のポンプがない・・・。全くの「へよちまとち」だ・・・。

 

 こころの中にも木枯らしが吹く・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「形見とて 何か残さん 春は花 夏ほとぎす 秋はもみじ葉」という良寛さんの歌からである。道元禅師は、「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり」と詠んだ。 良寛さんの歌は、その道元禅師の焼き直しのようでもあるけれど、実はこの歌は良寛さんの辞世の歌とされている。良寛さんは、「死んで後に残すものは何もありません。春には花を、夏にはほととぎすを、秋には満山の紅葉を残しておきますから、どうか良寛の遺品だと思ってかわいがってやってください」というわけであろうか。自然がそのまま良寛さんであり、良寛さんがそのまま自然であったであろうか、この不二の心境を体得することが仏法というものだろうか・・・と思える昨今である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


緋のもみじ 南無阿弥陀仏を 包み込み

2015年11月23日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、朝から雨が降っていた。気温は11度から17度、湿度は91%から81%、風は0mm/hから1mm/h程度の小雨だった。明日の24日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、明け方まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨年の今頃は左目が白内障で車の運転ができずに悶々としていた時期。今年は目がよく見えるために、11月はなんだかんだと走り回っていたような気がする。でも、大きな峠は越えたようで一安心。今日は気が抜けたような放心状態。

 

 歴史研究会での講演やら法話会、まちぶら探検隊におへんろつかさの会のお手伝いやお寺の観光ガイドと慌ただしい11月だった。今月末のうちのお寺の報恩講が終われば、今年は終わったも同然。あとは年賀状だの年末準備・お正月の準備などで12月は終わりそう。

 

 お昼前になって、「お歳暮を送るので一緒に行ってちょうだい」と、車の運転手役を頼まれた。今日は勤労感謝の日でもある。勤労をしていない私は勤労をしている奥方に感謝しなければならないのだと・・・。はいはい、運転手をやりますです・・・・。

 

 この民家の台所のようなお店が、このあたりでは超有名な「かまぼこ屋」さんらしい。次から次からとお客さんがやって来る。奥方はここから「お歳暮」を送ってもらうのだそうだ。

 

 これは、ここの息子さんが書いたポスターらしい。ほほえましい、かわいい絵である。

 

 揚げたばかりの丸てん・・・。

 

 こちらは「細てん」・・・である。「じょうてん、ください」とお客さん、「あら、もう、終わったんですが・・」。「じょうてん、ください」「すみません、もう、出てしまったんですが・・」の連続。このあたりの人は、この竹内の天ぷらで生きているみたい・・・。もちろん、このあたりのスーパーや道の駅でも売っているらしい・・・。お店は、高松市牟礼町原・・・という所。必要な方は検索で調べてみるといい。

 

 奥方が、「今からだと、こがね製麺所やね・・」というので久しぶりにここにやってきた。さぬき市志度にある、「こがね製麺所志度店」である。

 

 11時半前だったが、次から次へとお客さんが入ってくる。人が途切れた瞬間の画像。

 

 久しぶりの「肉うどん」。小の一玉で420円。ずいぶんと高くなったものだ。私のキャッシュカードで奥方のおごり・・・。今日は休日と言うことで家族連れが多い。奥様がお休みしたいときには讃岐ではうどん屋さんが繁盛する。

 

 午後からは、おへんろつかさの会ホームページの更新作業と、私のホームページの更新作業。行事やイベントが終われば「終了」とか「済み」とかの表示を貼り付ける。で、12月が間近になったので、来年1月の行事予定表を作成したが、さすがに来年の予定はまだ何も入っていない・・・。

 

 秋の日はつるべ落とし。曇っていて雨が降れば、あっという間に日が暮れる。

 

 今日の掲示板はこれ。「黒い土に根を張り どぶ水を吸って、なぜ、きれいに咲けるのだろう。私は大勢の愛の中にいて、なぜみにくいことばかり考えているのだろう。」という星野富弘さんの言葉から。先日、ハスとスイレンの違いは何ですか?と尋ねられたが、蓮も睡蓮もともに泥の中で育ち、泥水を吸って育つが、少しも汚れることなく染まることなく花びらを開く。だのに、私たちはきれいな洋服に身を包み、清浄でおいしい食べ物を食べて、きれいであたたかなお布団にくるまれて寝るのに、苦しみに染まり、悪心に汚れ、悩みやそねみにまみれて育つ。こころという感情のなせる業である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

 


見上げれば 皇帝ダリアの 昼寝顔

2015年11月22日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていた。気温は11度から17度、湿度は86%から58%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の23日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎから雨が降りやすい見込みらしい。

 

 今日は、おへんろつかさの会主催の彫像会の日。京都から仏師の冨田睦海師をお招きして、四国霊場86番札所の志度寺の書院をお借りしての「わらべ地蔵」を彫るという行事である。今日の私のお仕事はカメラマンということでのお手伝い。

 

 これが書院から見える「無染庭」という枯山水のお庭。重森三玲さんの作である。重森さんは、旧戸籍名は重森計夫、(1896年8月20日~1975年3月12日)は、昭和期の日本の作庭家・日本庭園史の研究家。このお庭が作られたのは昭和37年とのことである。

 

 この彫像会に参加したのは14名、それに会員からの参加者が9名、合計23名。それを指導する仏師さんは3名。1人の仏師さんがサポートできるのは5名まで・・ということで、14名になっている。あとの会員さんはサポート役兼お勉強。

 

 この方が仏師の「冨田睦海」師で、1978年生まれ。高校卒業後、家業である仏像彫刻に従事するため父親に師事。その後、兄と共に独立し、数々の寺院彫 刻や仏像修復、皇室位牌修復などを手がけ、 2010年、その彫刻技術を生かしたシルバージュエリーブランド「睦海」を立ち上げた。現在、若手職人が育つ環境が成り立っていないという現状。海外製造 など、流通の変化などにより衰退傾向にある工芸会を目指すこれからの人たちに伝えたい。手に技術を付けた時、やる気さえあればそこからの能性は無限大だよ と。

 

 最初は、こういう木材が用意されている。木曽ヒノキでにおいがいいし、木目が安定しているので彫りやすいのだそうだ。

 

 これを、9時から15時までの5時間ほどで右端くらいの形に彫り上げる。あとは自宅で仕上げることになる。

 

 この人が、今回の発案者の長尾さん。もう、この彫像会も4回目になるそうだ。今回の会費は4500円、材料込み、彫刻刀貸与、昼食やお茶は自己解決。この近くには食堂やコンビニもないのでお弁当持参。掘り上げたお地蔵さんは持ち帰ることができる。

 

 みんな真剣な目つきで黙々と彫り進めている。

 

 指導してくれる仏師さんの手元を見つめる顔は真剣そのもの。

 

 使用する彫刻刀は平刀、角刀、平刀の大の三本。安全のために手袋を貸していただける。

 

 この方も仏師で、皆さんの指導役。こういうイベントではひっぱりだこみたい。

 

 仏師さんのお手伝いを受けながらの半日になった。

 

 私のお仕事は、この記念写真なのだが、これでは後ろの人がよく見えないし、前のお地蔵さんが見えていない・・・。それじゃぁ、ダメじゃん、春風亭昇太。

 

 今日の掲示板はこれ。「「思えば叶う」そうなりたい。そうなると信じる。そのように努力する。そうすればそうなる。」という、高橋福八さんの言葉から。そうなりたいと願い=願と、そのように努力する=行とが揃えば、「願行具足」ということで、ものごとは成就する。願いだけでは物事は叶わない。努力ばかり でも物事は叶わない。そうなりたいという願望と、そうしたいという行為があってこそ、物事が叶うのだと、高橋さんは言うているのである。でも、そうならない場合もあるなぁと、思った今日であった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋澄めば 日差し選んで 柿干され

2015年11月21日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、お昼からは気圧の谷や寒気の影響で雲の広がっている所があった。気温は14度から18度、湿度は85%から64%、風は1mから3mの北北東の風がすこしばかり。明日の22日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方からは雨の降る所がある見込みらしい。

 

 さて、例の「まちぶら探検隊」の最終回。いつものコトデン志度駅前に9時過ぎに集合。9時半に出発。今回は14名の参加者に、事務局が3名と私と市の職員の19名での探検隊である。

 

 マイクロバスで津田の松原に移動して、およそ1時間で松原内を歩いて回る。ここには、こうした「根上がり松」があちらこちらにあるので有名。有名と言っても、最近はあんまり知る人もいなくなった。趣味の多様化とか遊びの変化とかで、海水浴場での海水浴というのも減った。それも、7月の10日から8月の15日の一ヶ月間だけだから、この松原の中を歩く人は地元の人くらいなもの。昭和中期、戦中戦後から30年40年代が最盛期だったような気がする。

 

 で、今回は用意したこのパンフレットをお渡しした。

 

 今回は女性の方が多く、リピーターさんが多いのだという。つまりは、「まちぶら探検隊」の常連さんらしい。

 

 今回は、この大社(おおこそ)さんのお話も加えたので、松原探検が時間ぎりぎりになって、津田八幡宮のガイドが中途半端になってしまった。

 

 次の大川町の「みろく石穴」も、もっと、ロマンとか情熱とかをお話したかったのだが、なんとなく、事実の説明になってしまったのが惜しかった。お昼時間が妙に頭をよぎるからだった。

 

 今日もお昼は、さぬき市末という地区にある「田舎カフェ樹樹」。あの「ベーハ小屋」をリニューアルしたカフェである。

 

 で、お昼は「スペシャル・メニュー」とのこと。ここのオムライスもおいしい。

 

 で、ケーキとホットコーヒー。お飲み物は紅茶とかジュースとか・・。ちょうど、1時間のランチタイム。

 

 今回は、参加者の皆さんと一緒のお食事になった。

  

 食後は「気分がいいから・・」ということで、歩いて10分ほどの所にある「霊芝寺」へ。

 

 これが、高松松平藩第二代目藩主、常公の墓所。ここは撮影禁止というか、撮影許可を取っていないため、ネット画像から。頼常の墓碑銘は「故四位少将南嶺源節公之墓」、頼恕の墓碑銘は「故正四位下中将南溟源愨公之墓」と刻まれている。

 

 ま、こういう雰囲気での拝観になる。ここは普段は施錠されていて立ち入ることはできないところである。

 

 これが、その霊芝寺さんである。宗派は高野山真言宗。山号は日内山(ひうちざん)。本尊は十一面観世音菩薩。さぬき三十三観音霊場第十番札所でもある。

 

 最後は、さぬき市立神前(かんざき)小学校での「真嶋正市先生」のお勉強。予定通り、5時間のまちぶら探検隊は終わって、私のお役目もおしまい。

 

 今日の掲示板はこれ。「歩き続けていれば、思いもよらぬときに蹴つまずくものだ。歩かずにじっと座ったままで蹴つまずいた人を見たことがない。」というチャールズ・ケタリング」さんの言葉から。チャールズ・フランクリン・ケタリングCharles Franklin Kettering は、アメリカ合衆国オハイオ州、ラウドンビル生まれの、農民、教員、メカニック、エンジニア、科学者、発明家、社会哲学家である。今日も松原の中で松の根につまずいた人がいたが、歩いて居れば、生きていれば、思いもよらぬときに蹴つまずくものだ。蹴つまずいたら起き上がればいいだけのこと。蹴つまずくのを恐れてじっと座ったままでは生きていけない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


もみじ葉に 小径巡りの 日が暮れる

2015年11月20日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は11度から18度、湿度は86%から64%、風は1mから3mの南西の風が少しばかり。日中の日差しは暑いくらいだった。明日の21日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がる見込みなのだとか。「まちぶら探検隊」には、暑くなくていいのかも。

 

 久々にいい天気になった。空の青さがまぶしいばかりだ。

 

 さて、我が町のケーブルテレビで、先週の「偉人めぐり」の様子が放映されていた。

 

 これは、霊芝寺(れいしじ)さんの「松平家墓地」を見学して戻るところ。この墓地の中は「撮影許可」をもらっていないためにカメラは入れなかったため。

 

 ま、こういう風にしてお話をしたわけ。

 

 皆さん、しずかに聞いていただけたのでガイドもしやすかった。で、この参加者の方から、「津田の松原は、嵐寛寿郎とか高橋英樹とかという聞いたことのない人よりも、夏菜とか吉田羊とか戸田恵子とか森昌子とかが来ているでしょ」と言われた。そんな話は聞いたことがなかったのが本音。

 

 たまたま、昨日、津田公民館に津田町史を借りに行ったときに、無造作につかんで帰った資料の中に、こんなものが混じっていた。「恋とオンチの方程式??」・・・。

 

 で、早速、これをググッてみたら・・・。このバスガイドさんが、「夏菜」さんらしい。下の赤い洋服の方が戸田恵子さん、お遍路姿の女性が森昌子さん??

 

 なんとまぁ・・「津田の松原」でロケをやっていたじゃないか・・。一昨年のことらしい。12月の撮影は寒くて寒くて・・・と、お手伝いをした方が話してくれた。

 

 おお、棟方志功先生の松の木も撮影に使われたらしい・・。願い橋叶え橋や洗心亭も撮影に使われている・・。

 

 そこで、また、公民館で、どっさりと資料を頂いてきた。明日は、これを参加者さんに配る事にするが、今回の「まちぶら探検隊」は、「さぬき市の偉人たち」がテーマだから、話題に軽く触れる程度になりそう・・・。

 

 今日は久々にいい天気だからと、いつもの「大窪寺」を歩いてみた。さすがにこの頃になるとやたらとカメラマンが多い。この三連休がおしまいだろうか。楓の落ち葉が多量に積み込まれていた。

 

 そそ。日本ハム・ファイターズがさぬき市津田の法道寺に来たという昨日の話。当然、ダルビッシュ有投手も、SHINJYO外野手も、大社元オーナーのお墓参りには来ていたそうだ。新庄剛志か・・・、懐かしいな。あれこれと、あったけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は、いつもいつも第一志望ばかり歩けるものではない。そして必ずしも第一志望の道を歩くことだけが、自分にとって最良といえないことだってあるのだ。」という渡辺和子さんのことばから。第一志望を歩けなかった私である。これまでの私の道がベストなのかどうかはわからない。あれこれとさまよいながら、それでもやりたいことをやってきたような気もしないでもない。体が動くのであれば、これからもなお、あれこれと手探りながら、試行錯誤しながら年齢を重ねた方が返っていいことなのだと考えてもいる。だから、日々勉強だと思っている。色々な人に出逢い、いろいろな風景に出逢い、その時々を見ていきたいと思っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


大輪の 菊にも飽きて 寺を出る

2015年11月19日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がっていた。気温は15度から18度、湿度は82%から61%、風は2mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の20日は高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 先週の「まちぶら探検隊」のとき、幹事の岡さんが、「津田・・と言えば、ダルビッシュさんも来たわね~」と言い出したが、誰もそんなことは知らなかったし、私はプロ野球のことはまるきり知らなかった。それじゃぁ、ダメじゃん、春風亭昇太。

 

 そこで、隣町の「津田町民体育館」兼公民館に行って、「津田町史」を借りて来た。あいにくと、香川県立図書館は来週まで防災工事で休館中なのである。

 

 ついでに、津田の松原についても調べておきたかったものだし・・・。

 

 で、調べてみた。 2007年3月8日のことである。「昨季、44年ぶりにプロ野球日本一に輝いた日本ハムファイターズの監督や選手らが8日、香川県さぬき市津田の法道寺(近藤元継住職)を訪問。大社義規初代オーナーの墓前に日本一を報告し、今季のV2を誓った。」という新聞記事である。ここにはダルビッシュ有選手がいたかどうかは書いていない。

 

 日本ハムは7日、高松市生島町のオリーブスタジアムで楽天イーグルスと対戦。法道寺には、次の試合が行われる神戸へ移動する途中に立ち寄ったという。午前10時半、監督や選手、コーチら約50人がユニフォーム姿で到着。本堂の脇にある大社前オーナーの墓に、日本シリーズの優勝ペナントを見せながら一人ずつが焼香した。と、ある。(四国新聞ニュース)

 

 さぬき市津田町、街の中心に法道寺がある。石の山門の前に「當山一建立」の石碑があって、この寺には日本ハムの創業者で日本ハムファイターズの設立者でもあった、 故大社義規さんをはじめ、大社一族がまつられている。故義規さんは大社家10代目の当主に当たる。法道寺は7代目勘七さんの時代に、大社家の菩提寺として建 てられた。創建は1885年。檀家さんは、この大社一族だけだという。

 

 この本堂には日本ハムがチャンピオンシップを取った2006年に、当時のヒルマン監督をはじめ選手や球団関係が、優勝報告に来た時の写真や新聞記事、選手のサインが飾られているて、まるでファイターズのミュージアムのようらしい。また、仏前には1日遅れで届く北海道のスポーツ新聞が供えられるのだとか・・・。

 

 これが、その大社元オーナーのお墓であるが、「院殿大居士号」がついている。ご承知の通り、院殿号・・というのは、「戒名における院殿号のはじまりは足利尊氏に はじまるといわれている。上皇や女院など皇族に相当する院号を避けて等持院殿という諡号を用いたことから、院殿号が戒名の一種として用いられるようになっ た。院号が皇族以外の身分の者にも比較的広く用いられるようになったのに対し、院殿号は歴代将軍をはじめ大名に限られ用いられるようになったことで、希少性の点から逆転し、いつしか最高位の戒名として認識されるようになってきた。今日、院殿号は内閣総理大臣経験者をはじめとする政治家、指導的役割を果たす職業、地域の名家や功労者などに対し贈られるとされる。

 

 戒名の謝礼の相場としても、院号が20万円から100万円程度といわれるが、院殿号は500万円ほどであるといわれている。戒名としては法号最高位の院殿号と位号最高位の大居士(男性の場合、女性は大姉)と合わせて諡されることが最も格式高いとされることから、院殿大居士と俗称されることも多い。また、院殿号を受けた場合にも位号が居士号となる場合もあり、法号位号ともに最高位を占める院殿大居士が貴重とされる。」(Wikipediaより)

 

 午後からは小雨が降り出してきたのでデスクワーク。この土曜日の「まちぶら探検隊」パートⅡの写真の追加や資料の準備などを・・・。

 

 法話研修でも言われたことなんだけれど、「荷物をどっさりと用意しておいて、ゆったりと自信を持ってお話すればいい」のだけれど、その荷物に何が入っていたのかを忘れてしまうのだからいけない・・・。あれも、これもと用意しすぎて、当日は、その荷物を背負ったまんまで取り出すことを忘れてみたり・・・。

 

 ま、法話にしても講演会にしても、こうした観光ガイドでも、原稿を書いても覚えられないし、原稿通りに話そうとすると話題がこんがらがったり、頭が真っ白になったりする。だから、材料だけをしっかりと用意しておいて、「御讃題」やテーマだけをしっかりと頭に置いて、それに向かってお話するようにしている。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去や未来に生きることより 二度と帰らぬ今を生きたい」という松山千春松さんの「今を生きたい」という歌詞の一節である。

 なみだがほおをひとつこぼれて
 どうしてこんなにかなしいんだろう
 つぶやくたびに心がすこし
 やさしくなれるとおもえるといい

   こんなじだいと そらをあおげば
   しろくうかんだ くもはながれる

 過去や未来に 生きることより
 二度と帰らぬ 今を生きたい

 というもの。(作詞作曲:松山千春) そうだね・・・というしかないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


イチョウ散る 外国遍路の 手にスマホ

2015年11月18日 | 今日もなんだかなぁぁ・・・だった日。

 さぬき市地方は前線や低気圧の影響で雨が降っていた。気温は16度から18度、湿度は96%から92%、降雨量は0mm/hから4mm/h、小雨が一日中降っていたという印象。風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の19日は寒気の影響で雲が広がり、未明にかけて雨の降る所があるけれど、昼前からは高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 朝の間は市内を一巡するかたちでドライブをしてきたが、雨ではいい絵が撮れそうもなかった。やはり、紅葉には青空が似合う。

 

 「境目のいちょうさん」も、この雨ではらはらと落ち葉が舞い落ちていた。この道は香川県と徳島県との境目を走っている県道だけれど、何人かの外国人のお遍路さんが歩いて居た。大窪寺から10番の切幡寺に向かうのか、それとも1番の霊山寺に向かうのか・・。それとも迷って違う道を歩いているのか・・。でも、スマホ片手に歩いて居るのだから目的地に向かっているのだろうけれど。

 

 それにしても、最近は外国人の歩き遍路さんが目立つ。日曜日にも数人がいたし、月曜日にも3人ほど見かけたし、昨日のおへんろ交流サロンには8人ほどの外国人が休憩をしていたし、今日は4人の歩きさんを見た。普段にはそんなに外国人は見かけないのだけれど。ブームにでもなっているんだろうか。

 

 これが過日の「境目のいちょうさん」。徳島県と香川県の県境に位置する大イチョウで、地上3m程で9本の枝に分岐しており、分岐付近に乳とよばれる気根を垂らしている。

 

 伝承では、戦国時代、大坂夏の陣を戦った生駒讃岐守の弟・甚助正信は、徳川方の豊臣残党狩りを逃れてこの地に隠れ住んだが、発見されてこの大銀杏の下で切腹して果てたと、この案内看板には書かれている。イチョウの前には小祠が作られており、乳神さんとして古くから祀られており、樹齢は600年といわれているが、イチョウの木は、そんなに長生きしないという人もいる。

 

 雨が降っては行くところもないし、今週は香川県立図書館が防災工事のためにお休みしているし・・・ということで、わが家でのお仕事になった。

 

 昨日のクラウド、Dropboxから引き出したデータを県別にソートして並べ替えてみた。

 

 で、県別のグラフにしてみた。このデータでは、新潟・石川から関東一円~鹿児島の納め札があった。トップは徳島県、二番目が香川県、三番目は愛媛県・・・。

 

 案外と、高知県は20人と少なく、歴史的にも高知の人のお遍路さんは少なかったみたい。江戸時代には、土佐藩ではお遍路を禁止していたし、お遍路の入国を認めなかった経緯もあった。だから、四国三国参り・・ということで、土佐を省いていた時代もあった。

 

 この納め札調査では江戸時代後半から明治大正昭和の初めまでの納め札が確認されたが、この香川県分では、大川郡は近いという理由もあろうが、三豊郡とか仲多度郡では、瀬戸内海の粟島、佐柳島、広島からのお遍路さんのお札が目立った。しかし、塩飽島(本島)や高見島、志々島などからの納め札は一枚もなかったのが印象的だった。

 

 それと、女性の名前が多かったこと。年齢までは分からないが、伊吹島の娘遍路のような団体がやってきた時代であったのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。いつもの赤松先生のお寺にあったもの。「交差点で信号が黄色にかわった ブレーキを踏みながらチクショーと舌打ちした。あさましや 畜生は車の中にいた」というもの。最近の人たちは、黄色でも赤になっても平気で交差点を走り抜けるようになった。おじいさんはもとより、若い娘さんでもおばちゃんでも、平気で走り抜ける。スマホ見ながら交差点に入るのだから、まさに狂気の沙汰だ。一方、青になっても、スマホや化粧に夢中な運転手もまた恐ろしい。まさしくまさしく、畜生は車の中に陣取っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


秋雨を 見ている青い目の遍路

2015年11月17日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で、雨が降っていたし、夜は雷を伴う所があるらしい。気温は15度から19度、湿度は80%から96%、降雨量は0mm/hから2mm/hの小雨状態。風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の18日は、前線の影響で雨が降りやすく、明け方にかけては雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 今日から金曜日までは雨らしい・・・。で、今日は火曜日ということでルーティーンワークの「納め札調査」の日。作業も大詰めになってきたところで、来年の準備もしておかねば・・・。

 

 ここは、おへんろ資料館の奥にある展示室で、中国の青竜寺の模型なんぞが置いて有る部屋。来年は、この部屋一杯に、私たちが調べた「納め札」や「護符」などの「俵札」を展示する予定。ここに、どのように展示をするのかなんぞを考えてみた。

 

 それと、こういう俵が五つもここには展示してあるが、この中身も調べたいが、「また、元通りに復元することが条件」だと言う・・。こういう古い物は、開けたら最後、バラバラになってしまう。そのあたりも検討が必要・・・。

 

 さて、今までは、このように渡邊会長のノートPC、2台を並べて、一方は画像を、一方でデータ投入を行ってきたが、この画像を複数の目で確認しないと間違ったまんまで記録してしまう・・・という意見が出て、今日はノートPCが2台追加されて4台にもなってしまった。

 

 これでは作業性も悪い・・ということで、パソコンのプロが家族にいるから・・ということで、副会長の弟さんが呼ばれてやってきた。なんとかというソフト屋さんにお勤めなんだそうだ。

 

 今は休暇で四国にいるが、パソコンがあれば東京でのお仕事もこなせるとか・・・。と、言うことで、「Dropbox」というクラウドみたいなソフトを設定してくれた。

 

 つまり、web上のサーバーにデータを置いておけば、どこからでもデータを参照し、更新できるということらしい。だから、このおじさんは、これのプロ仕様のサーバーを使って会社のお仕事をしているとのこと。

 

 なるほど・・・。こうしておけば、いつでもどこでも、お仕事が可能だし、仲間は何人だってかまわない。これなら、インターネットのできる端末ならば、スマホでもタブレット端末でも可能である。

 

 早速、家に帰って接続してみたら、なるほど、なるほど・・。わが家でデーターを更新したら、会長のパソコンのデータが更新される・・・というのだから、これはありがたい。

 

 これだと、私は「おへんろ交流サロン」まで出かけなくても、自宅で作業ができるということになる。

 

 わが家のデスクトップ端末に、この画像を表示させて、

 

 私のノートPCでデータ投入すればいいことになる。で、旧国名データベースに、もう1台のノートPCを使えばいい。なるほど、そういうことなのか・・・。

 

 その後、この日曜日に志度寺で行う「彫像会」の準備を少しばかりやっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「卵は割らないと目玉焼きはできない」というもの。元の言葉は、「卵を割らなければ、オムレツは作れない。」という、ドイツの軍人、へルマン・ゲーリングの残した言葉。この言葉は、映画、『オール・ザ・キングスメン』の中にも引用されていて、「何事も行動を起こさなければ前には進めない」という意味でもあれば、「自分の殻を割ることで しか得られない何かがある」という意味にもとれる。勇気を起こさせてくれる名言である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


赤のまま 今日を終えたり 山もみじ

2015年11月16日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の接近で夕方から雲が広がる見込みらしい。気温は12度から19度、湿度は84%から69%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の17日は、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎから雨が降りやすくなる見込みなのだとか。

 

 そろそろ、五色台の紅葉も始まったかなぁ・・と、四国霊場82番札所の根香(ねごろ)寺に向かっていたら、下笠居小学校を上がったところで止められた。ここから先は通行止めだと言うではないか。聞けば、今日から工事にかかるのだそうだ。それじゃダメじゃん春風亭昇太。

 

 仕方がないから、坂出市側の大崎が鼻から五色台に入り、瀬戸内海歴史民俗資料館経由で根香寺までやってきた。ずいぶんと大回りのめっちゃ遠いコース。お遍路さんだか紅葉見物の人だかの車の列も続いている。

 

 山門にはこんな看板が・・・。今週末の連休には大勢のカメラマンが集まるのを予想しての看板らしい。ここも紅葉の名所だから、お遍路さんよりもカメラマンが多かったりする。それだし、ここの駐車場は狭い。ま、日曜・休日には通行止めは解除されるらしいが。

 

 今日の根香寺の紅葉はこのあたりだけ。この週末でも紅葉はあんまり進まないと思う。

 

 再度、通行止めのお知らせを掲載しておく。

 

 それでは・・・ということで、81番札所の白峯寺にやってきたら・・・。ここにも、こんな看板が。確かにここも駐車場が狭い。それに境内も狭いので、大きな三脚を開かれたらお遍路さんには迷惑だ。だから、ここにお邪魔するのは諦めた。

 

 でも、せっかく、ここまで来たのだからと、この「崇徳天皇陵」でも・・・と、脇道に入った。

 

 これが、保元の乱に敗れて讃岐に流された崇徳上皇のお墓(稜)である。このお話は土曜日の渡邊会長の講義で聴いたばかり・・。天皇でありながら火葬にされたというお話である。それほどに都では恐れられたのであろう。

 

 このあたりは広葉樹が少ないからか紅葉も見えない。

 

 天皇陵から白峯寺に入ってくると、少しばかり紅葉が見られた。ああいう看板を立ててあっても、カメラの三脚を立てて堂々と写真を撮っている中年のおやじさんが何組もいる。図々しいというか、厚かましいというか・・。マナーが悪いというか、ルールを守れないというか・・・。

 

 で、何日ぶりかで、88番札所の大窪寺にやってきた。ここもすごいカメラの放列・・・。お遍路さんの姿も多くなったが、紅葉見物の人も多い。最近のお遍路さんもスマホをかざしている。

 

 こうして見るとすぐに分かるが、白衣を着ておられるお遍路さんはバスツアーの方。手前の白衣を着ていないお遍路さんは家族連れのマイカーでのお参り。中にはマイカーでも白衣をちゃんと着ておられる方もいるけれど、おおよそは、そういうことらしい。

 

 空が曇ってきたので大慌てでわが家に向かった。お布団や洗濯物を取り込まなければ・・・。雨に濡らしたら面倒なことになる。

 

 今日、坂出で見つけた掲示板がこれ。「葉を落とし 凛と冬待つ 桜かな」というもの。私には落とす物もなく捨てる物もなく、煩悩や欲望を抱えたまんまで漫然と冬を待っている。秋が過ぎるなら過ぎるでいい。冬が来るなら来るでいい。桜のように生きられないのは覚悟の上だ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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