まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

黙々と 一年の行く 大晦日

2015年12月31日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、はじめ晴れていたが、昼過ぎからは気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすくなってきた。気温は3度から12度、湿度は70%から54%、風は1mから5mの西北西の風が一時は強くて、電線が音を立ててうなりを上げていた。明日の1月1日は、寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 天気はいいが、空気が冷たいなぁと感じる朝になった。今日はまるきり、何の御用もすることもない。テレビやラジオは年末休暇の録画・録音ばかりの退屈な番組ばかり。

 

 で、恒例の納め札のデータ整備でも・・・と、パソコン三昧の午前中。今日は、でかい仕事はやりたくないし、新しいことを始める日でもない。

 

 納め札に記入された都道府県別の集計である。これは田淵家にあった「俵札」のデーターであるが、寒川家にあった俵札や飯田家にあった俵札も集計してみたが、比率はまるきり違う。同じ遍路道沿いにある三軒の家で、その比率や数字がまるで違う・・・というのはどういうことなのか・・・。

 

 この比率も、田淵家と飯田家や寒川家ではまるきり順番が違っている。県とか場所が大きく違うと、そんなこともあり得るが、同じ市内なのに、同じ道筋にあるのに、なんで、そんなに違いが出るのかなぁと思案していたことだった。

 

 讃岐の大晦日は「年越しうどん」。けいこばぁ作になるおうどんである。ま、マンネリと言えばマンネリだが、忙しいのだから仕方がない。

 

 午後からは、気分を変えて、ドローンの制作にあたっていた。近年のドローン騒動で、売れ行きを心配したものか、1ヶ月分を2ヶ月から3ヶ月分をまとめて、しかも二週間ごとに送って来るようになった。だから、1ヶ月に8ヶ月分を送ってくる勘定になる。

 

 それが溜まってきたので、できる所までやってみようと取りかかったという訳。これは二つの部品を組み合わせているが、最初は取り付ける方向が違っていてやりなおしたもの。詳しい説明はなくて、「写真の方向に間違えないように」という説明になっている。こういう場面が多い。

 

 このプロペラガードの赤と黒・・・、取り付け方向が違っている。何度やり直してもうまく方向が合わない。

 

 この前の赤いガードは正しい方向に付いているが、後ろの黒は、左右ともバラバラ・・・。何度やってもいい方向に向かないので、今日はここまで。小さな部品が多いので、ものすごくストレスが溜まる。楽しい筈の工作が、ストレスの原因になっては何にもならない。

 

 奥方のけいこばぁは、朝からずっと、おせち料理作りに励んでいる。いつもは、正月二日に「正月礼」という会を催すのだが、二日の朝から、孫たちと台湾旅行に出かけるので、明日の元日に繰り上げることになった。

 

 これは昨年の「正月礼」の画像・・・。娘家族4人+二男家族が5人、三男家族が5人、うちの夫婦で16人・・・か。今年もそんなものだろうか。

 

 このあたりが、けいこばぁの作品のおせち料理。目新しい物はない。

 

 ま、今日は嵐の前の静けさ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「年は唯 黙々として行くのみぞ」という高浜虚子の俳句から。虚子の擬人化表現を用いて、去る年を表現しているのが特色といえるだろう。太陽と月は宇宙の旅人で、太陽は日没とともに闇の世界にこもり、日の出とともに新たな生命を受ける。月も終わりの闇夜を「月隠(つごもり)」とか「晦日(みそか)」といい、新しい出発を「月立ち」とか「朔日(ついたち)」といった。太陽と月は「死」と「再生」をくり返して大晦日となる。年も古い生命を葬り、新たに生まれて新年となる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


餅撞いて 今年の予定の 幕を引く

2015年12月30日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は1度から10度、湿度は70%から53%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の31日は、午前中は晴れるけれど、午後は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨日のドタバタが効いたのか、連日の疲れが出てきたものか、今朝は7時半過ぎになって起こされた。いつもは5時半頃に起きるのに・・・。

 

 起きると、簡単な朝食を食べて、餅つきが始まった。今年は娘家族もやって来ないし、三男坊の弟の姿も見えない。そこで、二人だけでの餅つきになった。

 

 餅つきたって、臼や杵でペッタンペッタン・・と撞く訳やない。こんな機械でこね回す・・・という具合。ところが、最初は要領が分からず、機械を回しすぎたらしくて柔らかくなりすぎて、手に指にくっついてしまってお餅にならない・・。ま、どうにか、一臼分はお餅になった。

 

 そこへ、三男坊の弟がやってきて、三人での餅つきになった。これを三回、繰り返して、三臼分になった。

 

 ご存じだと思うが、讃岐のお雑煮は、「あん入り丸餅白味噌仕立て」。

 

 だから、一臼分はあんこ入りの丸餅になる。餅を丸めるなんていうのは、子供の時以来・・・。いつもは娘や孫や母である「さっちゃん」らの役目だった。でも、やってみれば、身体がおぼえているのか、自然に丸められてお餅になった。

 

 子供の頃は、食べるものがなかったから、学校から帰るとお餅を焼いて食べたもの。ところが、二十才台の後半ごろ、会社で鏡開きがあって、そのときに競争みたいにして、あん餅を焼いてぜんざいにして20数個食べて胸焼けになって、それ以降、お餅を食べることができなくなった。だから、今は全く、お餅も雑煮も食べてはいない。

 

 これらのお餅は、娘んちや二男の弟んちや三男の弟んちに配ってしまって、後は奥方のけいこばぁが何ヶ月もかかって食べることになる。

 

 その後は、仏間のお掃除・・・。

 

 で、ののさまにもお餅をお供えして、お花も入れ替えて、迎春準備もおしまいに。

 

 昼からは、弟と一緒に、庭木の剪定作業。家の裏手に、母や奥方らが植えたケヤキだのミモザだのなんだかんだの植木がある。植えたら植えっぱなしだったので、思い切り、切って切って、切り倒していった。これは剪定ではなくて伐採やなぁ・・などと言いながら・・。

 

 施工前の画像がないので比較ができないが、ずいぶんとさっぱりとした裏庭になった。これも十年ぶりの・・・というか、初めての庭仕事になった。

 

 世の中は、来年がサル年だとにぎやかだけれど、このあたりでは、毎年がサル年だし、イノシシ年であって、なぁんにもめでたくも嬉しくもないと言うもんだ。来年は、サルが去る年にでもなれば、みんなで盛大にお祝いしたいものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「夢は見るものではなく 叶えるもの 何をするにしても壁はある 壁にぶつかるからこそ人は頑張るんだと思う」という、沢穂希さんの言葉から。『夢は見るものではなく叶えるもの』を座右の銘とするキャプテンの澤穂希(さわ・ほまれ)さんは著書の中で、こう述べている。「苦しい思いをすると、同時 にもっとやれる自分が見えてくる。」「何をやるにしても壁はある。壁にぶつかるからこそ、人はがんばれるんだと思う。」「夢を抱くのに年齢もキャリアも関 係ない。シンプルな習慣を少しプラスするだけで、あなたの夢がグッと近づく。」と語ってくれている。そして、「発明王」トーマス・エジソンは「我々の最も 大きな弱点は、諦めることにある。成功するための最も確かな方法は、常にもう一度だけ挑戦してみることだ。」という名言を残している。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


行く今日を 追いかけもせず やぶ椿

2015年12月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は4度から9度どまり。湿度は68%から58%、空気が乾燥している。風は1mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の30日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、雲が広がりやすい見込みなのだとか。

 

 今日は全くの予定がなかったもので、どこへ出かけようかと考えていたらば、奥方が何やらを持って来た。貯金通帳とメモ用紙。「①餅米を精米すること。②魚屋さんでカキとナマコを買うこと。③郵便局で15万円を引き出すこと。④自動車学校で2100円の香川県証紙を買うこと。⑤お買い物としてお好み焼きソースとパン粉を買うこと。⑥玄関にセンサーライトを取り付けること。⑦酒屋さんで濃い口醤油を買うこと。」

 

 ホイホイ・・・と聞いておいて、お店が開くまでに・・・お掃除でもと掃除に掛かったら・・・。正面の棚が気になった。本当はテレビ台なのだが、テレビは島の家に運んでしまって、今はお花の台になっているが・・。

 

 ふと見れば・・・ものすごいホコリ・・・。下の布にも多量のホコリが・・・。

 

 弦で編んだカゴかと思ったら、ゴシゴシと洗ったら陶器のお皿だった。中にあるのは普通の石。ここを建ててから10年間、溜まりに溜まった埃だったんだろう。カバーの布は洗濯した。

 

 ついでに、お布団も干した・・・。

 

 さて、10時になったのでお買い物。お好み焼きソースにホテルパンに、飲み会用のおつまみ類を十数種類(これは私の好み)。その横にある100円ショップで、雑巾やらハタキやら掃除用のブラシなんぞを買った。

 

 この「香川県証紙、2100円分」が問題となった。市内の自動車学校に行くと「年末休暇」の張り紙が・・・。仕方がないので、ふと思い出した、高松東警察署の隣のコンビニ。そこに「県証紙」の張り紙があった筈。

 

 そこに行ったら、「県証紙の販売は中止となりました」の張り紙が・・・。それでは・・・と、讃岐警察署長尾交番横にある「県証紙売り捌き所」があった場所に行くと・・「年末年始はお休みします」の張り紙が・・・。その長尾交番のおまわりさんに尋ねると、「さぬき警察署で聞いてください」とのこと。

 

 とりあえあず、餅米を精米しないと、明日のお餅つきができない。

 

 奥方の台湾旅行のお小遣いの15万円を引き出して、濃い口醤油を買って・・・と、ふと、メモ用紙を見ると・・・。「パン粉」の文字が・・・。「あれ?ホテルパンという食パンではなくて、パン粉か・・・」ということで、またもや、スーパーに飛んで戻ってお買い物・・・。

 

 用意されたお昼ご飯を食べて・・・、ネットで「香川県証紙販売店一覧」を検索すると・・・。さぬき警察署で聞いたのはスポーツ店だということだったが、隣の文房具店になっていた。Facebookのお友達のお店だった。

 

 こうして、あちらこちらと走り回ったけれど、ようやく、2100円の香川県証紙を買うことができた。お正月明け早々の7日の日に、ケアマネの研修会があるのだと・・・。その時に使う物らしい。

 

 その後、ホームセンターで、またしてもジェット花火を買った。サル避けの花火である。

 

 買い物が終わるとすぐに帰宅して、洗濯物やお布団を取り込んで片付けて・・・。夕方になると、魚屋さんに行かねばならない・・・。これで、今日のお使いは全て終わったんだろうか・・・。慌ただしく走り回った一日になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「この一年 悔いなしと散る 落ち葉かな」というもの。花には花の役割があり、葉っぱには葉っぱの役目がある。冬が近くなると、広葉樹などは広い葉っぱでは水分を発散させるので木が弱るために葉っぱを切り落と す。また、光合成能力の落ちてきた葉っぱでも植物は弱る。そこで葉っぱを捨ててしまう。紅葉はその前段階で変色するものらしい・・・。紅葉も落葉もお仕事 を終えた葉っぱを切り離すことでおきる自然現象。これを悲しいと見るか、寂しいと見るかは人間様のこころのありようだけ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


年の瀬や 庭木鋏の 音がする

2015年12月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5度から12度、湿度は82%から52%。風は2mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の29日は引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日も良い天気になったので、この前(今月20日)のリベンジ・・・ということで、高松市塩江町戸石地区に向かうことにした。あの、廃校探しの旅の続きである。「三本松 メガネのカワイ店長ブログ」に紹介されていた、あの戸石分校跡・・・である。

http://kawaimegane.blog40.fc2.com/blog-entry-2572.html

 

 このマップを見ても場所が分かる人は少ない筈。高松市・・・・とは名ばかりの山奥の一集落にある小さな学校跡・・・。

 

 私は、この石碑を見て、ようやくに思い出したが、こんな所に学校があったということは記憶にない。

 

 私は、この電柱を見て、「あ・・・、来たことがある・・」と思った。

 

 これが、その、塩江町立安原小学校戸石分校・・・跡である。左から便所、音楽室(3-4年生)と教室(1年生)。アコーディオンカーテンを開くと体育館にもなったらしい。白い建物が職員室と二階が会議室。フェンスの切れ間から入ると玄関があり、その奥に5-6年生の教室があり、最後の年の生徒数は5名だったそうだ。

 

 その続きに「教員宿舎」があるが、近年はここで宿泊する先生はいなかったらしい。本校の安原小学校はおよそ7Km余り、車で15分程度の距離らしいが、私には遠いなぁと思った。

 

 これは職員室側から見た教室と廊下。この学校は明治16(1883)年に開校し、平成13(2001)年に閉校し、118年の歴史を終えたそうだ。

 

 塩江町役場(現高松市塩江支所)から南西部に細い山道のような市道をくねくねと上ってきた谷間の集落である。およそ、20世帯50人余りが住んでいる集落で、農業や林業などで生活しているらしい。

 

 そうそう、この狛犬を調査に来たことがあるという訳だ。それも十数年昔の話である。学校のことなんぞは記憶の彼方であった。

 

 帰り道、白鳥町立五名(ごみょう)小学校・幼稚園長野分校分園跡にも寄ってみた。犬が激しく吠え立てたので、分校跡にどなたか入居しているらしかった。ときたま、洗濯物を干してあることもある。

 

 これが、その、記念碑である。

 

 さらに進むと、徳島県に入り、阿波市市場町境目にあった、市場町立大影小学校・大影幼稚園跡である。ここは2000年に、市場町立大俣小学校に統合され廃校になった。

 

 私が子供のころには、ここを通るたびに、「大影の学校はボロ学校ぉぉ~」と、大声でからかいながら走って通ったが、その頃は、木造の古い校舎だった。

 

 隣接して、立派な体育館も残されているが、使用されている形跡はなかった。その後、白鳥町立五名小学校跡、五名小学校・五名幼稚園 鈴竹分校分園跡を見学して帰途についた。

 

 今日の掲示板はこれ。「手を合わせ 今日もいのちをいただく」というもの。町内の下津先生のお寺にあったもの。私達は生きていくために、日常的に生き物の命を奪って食べている。切り分けられ、綺麗にならんだスーパーの鮮魚・精肉コーナーには、そこに命が宿っていたことを 忘れてしまいそうな程に、「命をいただく」というイメージから遠くなっている。そしてその結果、食べ物が粗末に扱われ、日本での1年間の食べ残し食品は、 発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといわれているそうだ。ご飯を食べる時、手を合わせて、『いただきます』と言いうけれど、これ は生き物達への『命をいただきます』ということ。感謝のこころを失いたくないものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


枯れすすむ 山里に聞く 風の音

2015年12月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっており、晴れている所が多くなっているが、寒気の影響で山沿いでは雲が広がってきている。気温は8度から12度、湿度は72%から58%、風は2mから5mの北西の風が一時は冷たかった。明日の28日は、高気圧に緩やかに覆われて、概ね晴れるらしい。

 

 今日は日曜日らしいが、やはり、5時起きになった。外は7時過ぎまでは真っ暗だった。奥方は日曜日だというのでゆっくりと6時過ぎまで寝ていたが、8時過ぎには、「やっぱり、行ってくるわ・・・」と、施設に出かけて行った。昨日、奥方の名札を見たら、「介護支援専門員」ということらしい。一般的には「ケアマネさん」と言うているのだけれど・・。

 

 で、やり残していた250件ほどのデータ入力をやっていた。「A-001~2101」というデータの後ろに、「B-001~250」というデータが隠されていたのに気が付いたのだ。

 

 だいたい、この頃の時期には、お墓掃除をするようになっている。この近くの墓地でも数人が入れ替わり立ち替わり、お墓の掃除をやっている。わが家の旧宅前にある、このお墓は、父が亡くなって後に、その頃に、このあたりで一斉にお墓を建てるのが流行して母が建てたもの。

 

 父は、高松の仏生山法然寺に納骨したので、ずいぶんと空っぽのままだった。その後、祖母が亡くなって、初めて、ここに納骨された。そして母も、ここに納骨した。それまで、このあたりではお墓を作ることはしなかったようで、昭和の40年代頃から、一斉にお墓を建てることが流行した。

 

 山にはエサがなくなってきたものか、ひなたぼっこのつもりなのか、山からサルが下りてきて、わが家の周辺でたむろしている。ジェット花火で追い返しても追い返しても、向こうさんもおなかが空いてはじっとしていられないようだ。波状攻撃を繰り返して来る。

 

 モグラ叩きゲームみたいなものだ。あちらを追い返せば、こちらが出て来る。こちらを追い返せば、あちらから出て来る・・・。わが家の玄関先にもサルの排泄物がいくらも転がっている。

 

 来年のお正月の2日から、奥方のけいこばぁと孫二人は台湾旅行に出かけるのだという。だから、奥方は土曜も日曜もなく出勤しているということらしい。私と娘はお留守番。どうにも外国旅行は面倒になってきたのである。それだし、台湾には興味もないし、食べ物も好みには合わないし。

 

 今年も残すところ4日。今夜から、もう、五つ寝たらお正月だが、子供の頃のようなわくわく感はないし、会社員時代のウキウキ感もない。毎日がお正月みたいなものだから、なんともない。テレビやラジオあたりは、「もうすぐお正月ですね」とか「押し迫りましたね」とか言っているが、それで世の中ががらりと変わる訳でもないし、舞台が反転する訳でもない。

 

 昨日のこと、見慣れぬ若い衆が、お隣さんちの山に入って、ナンテンの木を切り出して、トラックに積んでいるのを不審に思ってカメラで撮った。すると、数分後には、その兄貴分らしい猟師さんが飛んでやってきて、「あれは、わしの知り合いや。あのことは心配せんでもいいから・・」と、断りに来た・・・。心配はしとらんのだけれど・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に定年はない 老後も余生もない 死をむかえるその一瞬まで現役 人生の現役とは自らの人生を悔いなく生きる人のことです」というもの。道元禅師からのメッセージからの一節。

安身立命(人生に定年はない)
人生に定年はありません
老後も 余生も ないのです
死を迎える その一瞬までは
人生の現役です
人生の現役とは
自らの人生を悔いなく生き切る人のことです
そこには「老い」や「死」への恐れはなく
「尊く美しい老い」と「安らかな死」があるばかりです

 http://tokunoshima.jpn.org/nanten/dougen.html

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


追いついて 追い抜いていく 冬の風

2015年12月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、寒気や湿った空気の影響で夕方から雲が広がってきた。気温は6度から13度、湿度は64%から49%、風は2mから5mの西北西の風が少しばかり冷たかった。明日の27日は、寒気や湿った空気の影響で、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 昨年のブログを見ると、早くもお正月準備を始めていた。それならば・・・ということで、来年も今年並みに・・・ということで、玄関飾りから・・・。

 

 100円ショップで買った門松やら獅子舞やらコマやらを並べてみた。要は気分の問題だ。

 

 玄関も100円ショップで買った注連飾りを二個連結して吊り下げた。要は気分の問題だ。

 

 玄関を入った上には和タコを・・・。普段は裏返してあるだけで、お正月が来れば、ひっくり返すだけのこと。要は気分の問題だ。

 

 それに飽きたら、今度はまたも納め札のデータ整備。要は気分転換だ。

 

 お昼休みに奥方が戻ってきて、「これから、お正月の買い物に行くよ。明日になったら混雑するから・・」と言うので、運転手兼荷物運びを命じられた。今日はまだまだ空いていた。

 

 で、てきぱきと買い物をして、13時前に奥方の勤務先まで送り届けてきた。どうしても、年末、28日迄に処理しておかねばならない利用者さんがいるとのこと・・・。慌ただしいことだ。

 

 で、買ってきた品物を、2階の冷凍庫用、2階の冷蔵庫用、台所の冷凍庫用、冷蔵庫用、野菜室用・・・と分別して収納する。

 

 お内仏用の仏花を買ったり、松も探して来た。

 

 竹や樒や榊も探してきた。慌ただしいことだ。迷犬ごんは、「遊んで、遊んで」「暇ぁぁぁぁ・・」を連発するが、今日はそれどころではない。

 

 明日はお墓の掃除にでも行ってくるとしようか。

 

 今日の掲示板はこれ。「何千のろうそくは一本のろうそくで灯すことができる。 それでろうそくの命が短くなることはない。 幸福も分かち合って減ることはない。」という仏陀の言葉からである。何千ものろうそくも、一本のろうそくより火を得ることができる。それでいて、最初のろうそくの命が短くなることはない。(厳密にはそのろうそくが働いている間、ろうそくは短くなっているのだけれど)。幸福は共有して分け合っても、その幸福が損なわれることはない・・・と言うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あとかたも 残らず炎 落ち葉焚き

2015年12月25日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲の広がっていた。気温は10度から12度、湿度は88%から53%、風は1mから5mの北西の風が少しばかり。明日の26日は、高気圧に覆われて午前中は晴れるが、午後からは寒気や湿った空気の影響で雲の広がる時があるらしい。

 

 空は雲が多かったが、気温は暖かく、風もないので気持ちのいい朝だった。庭木の剪定が残っていたが、今朝方の雨でしっとりとぬれていて、剪定をしたら、全身、濡れ鼠になりそうなのでやめた・・・。

 

 で、またしてもここにやってきた。高松市亀水(たるみ)町にある、瀬戸内海歴史民俗資料館、通称「歴民:れきみん」である。瀬戸内海を俯瞰する五色台の小高い丘に向かう稜線に、石積みと打ち放しコンクリートで構築された秘密基地のような山本忠司氏によるこの作品 は、香川でアトリエを持つことになる芸術家イサム・ノグチ氏とのインド旅行でその原型が誕生した。

 

 城壁のように積まれた外壁の安山岩は整地のために掘り起こした石を積上げ、中庭を囲む階段で結ばれた回廊式の展示場には、中庭や壁面上部の窓からの自然光が差し込んでいる。石工事を担当 したのは、後にイサム・ノグチ氏のパートナーとして活躍する和泉正敏氏。昭和49年度日本建築学会賞(作品賞)、第1回公共建築賞優秀賞を受賞し、公共建築百選にも選定されている。

 

 今回は、今月22日から展示が始まった、「小豆島霊場資料展」を見学にきたのである。2月6日には、おへんろつかさの会で、「れきみん講座」に参加をするのだが、一足先にやってきたもの。

 

 これは小豆島霊場を巡拝した女性が記録した「入用帳」で、支払った代金などをこと細かく記録したものである。これは天保15年(1844)に記録されている。この小豆島霊場は江戸時代中期の貞享3年(1686)の創設と言われている。

 

 こうした納経帳や観光絵はがき、案内地図帳なども展示されている。

 

  島四国の里程図である。これを見ると、土淵海峡が、まさに海峡であることがわかる。世界一狭い海峡である。これは大正7年に作られたもので村ごとに色分けされ、札所番号や道筋、札所間の距離などが示されていて、巡拝が大衆化してきたことがわかる資料である。

 

 これは第42番札所の西ノ滝で、奥の岩場が修行の場となっている。

 

 この写真は昭和9年の島四国巡拝の様子で、子供連れで歩いている。

 

 昨年は、空海さんが四国霊場を開創して1200年にあたるとされるなど、四国遍路が改めて注目されている。この四国遍路と同じく、霊場巡拝の場として、全行程およそ150キロメートルの小豆島霊場がある。小豆島霊場での巡拝は、江戸時代中期より盛んになり、現在まで続いてきた。この展示では、香川県立ミュージアムと「れきみん」に収蔵されている、古文書、絵図や絵葉書などの小豆島霊場についての資料を展示するとともに、現在、「れきみん」が行っている小豆島霊場の石碑調査の成果についても、その一端を紹介するとしている。

 

 この展示会では、「納め札」が一枚も展示されていなかった。私たちの「俵札調査」では、「小豆島霊場」の納め札が数枚、発見されているので、小豆島霊場で納め札がつかわれていなかった訳ではない。

 

 こういうものが見られなかったのが少し残念だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間とタバコは煙になって 初めて、その値打ちがわかる」という、いつもの赤松先生の所にあったもの。映画「春を背負って」の中のセリフである。山小屋の外で、亨と悟郎がくつろいでいる。悟郎がたばこを吸いながら、亨に語りかける。
悟郎:「亨ちゃん、人間とたばこの共通点って知ってるかい。」
亨:「・・・・・・・」
悟郎:「タバコも人間も煙になって初めて本当の価値がわかるんだよ。」

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


一つずつ 答えの見える 冬晴れ間

2015年12月24日 | 自然ありのままに

 

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雲が広がっている所があったらしい。気温は10度から16度、11月中旬頃の気温だという。湿度は90%から63%、風は朝から3mの風が吹いたり止んだりして北西の風。明日の25日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、明け方にかけて雨の降る所がある見込みなのだとか。

 

 奥方が起きるのが早いもので、最近は5時起きが普通になっているが、最近の5時起きは真っ暗なもので、体内時計がなかなかに動かない。で、例のデータ整備とデータ工作。今朝は、郡別、町村別にソートして、件数把握なんぞをやっていた。

 

 今日は今年最後の空き瓶回収日。迷犬ごんの散歩後、30本ばかりの空き瓶を回収場へ運んでから、さぬき市立図書館にやってきた。香川県立図書館が工事中のため利用出来ないので、ここにやってきたのである。

 

 おじさんたちは、10時開館を待ちかねてやってきては新聞を広げている。おじさんたちは新聞好きだなぁと思うことである。会社時代でも、おじさんたちは早くから会社にやってきては、新聞を奪い合いするようにして新聞を読んでいた。若い衆は、パソコンを叩いて電子ニュースを読んでいた。

 

 開館直後なのか、人影はまばら。明日が返却期限の本を5冊返却して、新たにまた、5冊を借りて来た。

 

 こういう本と・・・・

 

 中身を見ずに借りて来たが、よくよく見たら、持っている本だった・・・。こういうことはよくある話。食材を買ってきたら、同じものが冷蔵庫にもあった・・・みたいなことだ。老化による健忘症・・・ということにしておこう。

 

 昨日、奥方がこのスーパーに寄ろうとしたら、ものすごい人出だったので諦めたという。それで、私に買い物当番が回ってきた。今日は平日だからか、そんなに多い人でもなかった。

 

 私たちが呑むビールと、お正月用のビールとで、500ml缶を1カートン、350ml缶を4カートン、清酒1.8Lビンを1本、麦焼酎を2本・・・。液体ものは重い・・・。

 

 こちらのスーパーで、食パンとか食材を少々・・・。奥方の勤める施設で、3人居たケアマネが次々と辞めて行って、奥方一人になって、仕事量が3倍になった・・・とかで、まるきり家事が私に降り掛かって来るようになった。

 

 世の中はクリスマス・イブだとかで、テレビもラジオも賑やかだが、田舎の一軒家ではまるきり関係がない。この集落は真宗ばかりだし、子供の声なんぞ聞こえないから、「お正月」という声さえも聞こえない。私らが子供の頃には、「今日はケーキを食べる日やぞ・・」と言うていたが、前期高齢者・後期高齢者ばかりの集落では、ケーキを食べる家もなくなった筈。

 

 今日は天気もいいし、風も強くないので、久々に、東かがわ市にある「引田(ひけた)城跡」に寄ってみた。引田城は667年に瀬戸内海を見張る拠点として造られたといわれている。1504年、四宮右近が大改修し、城下町を整備した。1587年、赤穂から 豊臣秀吉の命を受け、生駒親正が引田城に入っが、一国一城令により、1615年に廃城となる。現在は石垣が残されているばかり。山の高さは82m。頂上からは引田の町並みや瀬戸内海が眺められる。

 

 引田城跡は、高松城跡、丸亀城跡と並ぶ、総石垣城跡とされていて、石垣は標高82mの城山の尾根を囲むように築かれているが、とくに北櫓とよばれる曲輪(くるわ)の西側にある高石垣はよく知られている。城山は現在、引田の町並みと陸続きになっているが、古くは間に海が入り、城山の西側のみが陸に通じる状況であった。海岸からは急峻な崖となっているところが多く、自然の要害となっている。また、城山尾根上につくられた曲輪からは、引田の町並みや瀬戸内海がよく見渡せる。

 

 生駒さんは、最初、ここの城に入ったが、あまりにも東端すぎて、讃岐がよく見えない・・・ということで、宇多津にあった「聖通寺城」に入ったが、ここは西よりになるということで、現在の高松城を作って、そこに入ったとされている。その城ができるまでは、少し東にある高松城(喜岡城)という場所に居たとも言われている。そこで、その高松という地名ごと新しい城に移して「高松城」と命名し、元の喜岡城あたりを「古高松」と呼ぶようになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「どう もがいてもダメなときがある 手を合わせるしか 方法がないときがある 本当の目が開くのは そのときである」という相田みつをさんの言葉からである。讃岐の二十四輩さんを尋ねたとき、どうしても見つけられなかった場所がある。法然上人の足跡を探したとき、どうやってもたどり着けなかった場所がある。山頭火の句碑探しのとき、幾ら探しても見つからなかった場所がある。どう、もがいてみてもダメなときがあった。そんなときは一度立ち止まって手を合わせてみる。静かなこころで思い直してみる。答えは思わぬ所から飛び出してきたものだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


冬戯れて 身動きもせず 雨を見る

2015年12月23日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、午後からは雨が降っている。気温は7度から13度、湿度は86%から96%、風は1mから4mの南東の風がすこしばかり。降雨量は1mm/hから3mm/hでの小雨。明日の24日は、寒気の影響で雲が広がりやすく、未明には雨が降る見込みらしい。

 

 今日は奥方がゆっくりと寝ているなぁと思ったら、今日は天皇誕生日の国民の休日であるらしい。でも、私には毎日が日曜日だから休日だからといってうれしいこともない。だから、いつものように5時半に目が覚めた。

 

 で、いつものようにデータ整備。香川県大分郡大分町・・・なんていうものがあった。香川県には、そういう場所はないので修正したりする。何人もの手が加わっているので、ミスが重複があったりする。それをチェックしているのである。

 

 今日は公的なお仕事の最後の行事、おへんろつかさの会の役員会である。当面する行事の確認事項と、春先の「総会」と来年度行事の計画などの打合せである。

 

 1月には、養成講座の閉講式と志度寺のガイド。2月には瀬戸内海歴史民俗資料館での「小豆島霊場展」見学や、3月からの「俵札調査結果の展示会」への準備や展示方法の検討などがある。

 

 で、4月下旬には「総会」を予定しており、その前に、活動予定を練り上げておかねばならない。来年は閏年になるので、おへんろの「逆打ち」が行われているという。逆打ちというのは、88番札所から87、86、85、84・・・と、逆回りにおへんろするというもの。

 

 だから、それに関連するイベントも考えられているらしい。

 

 家に帰ると奥方がいない・・・。孫のなぎちゃんを屋島まで送っていったらしい。天気も良くないので、ホームページの更新をやってみる。今年の行事予定は全て完了して、来年の行事予定を作成した。

 

 ま、あくまでも予定は予定。明日への向かう方向を定めただけ。歩き出す方向が定まらないと、その一歩が踏み出せない。

 

 これが、今回調査した納め札の県別集計と比率である。これらの納め札に残された県名は34県で、北海道から鹿児島まであるが、東日本、いわゆる東北方面が見えないなぁと思った。

 

 また、四国四県を見てみると、高知県が以外と少ない。これは江戸時代から明治時代の俵札だから、土佐藩は「遍路禁止令」があった影響が残っているのかも知れない。

 

 午後からは雨が降り出してきた。明日は曇りの一日になるらしい。明日も、パソコン三昧になるのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「失敗して利口になる 挫折して強くなる 人生に無駄はないんだな」という、久々の荒了寛さんの言葉から。確かに了寛さんの言葉には「もっとも」と想うこともあるし、「なるほどなぁ・・」と想うときもある。でも、失敗しても利口にはなれないときもあるし、挫折 して弱くなって寝込んでしまうときだってある。人生は無駄だらけだと想うときがどっさりとある。それが無駄だったのか、無駄でなかったのは、後になってみ なければわかないのだぞ・・・と私は想う。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


振り向けば ダムの朝日に 冬椿

2015年12月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は6度から13度、湿度は88%から64%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の23日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎからは雨となる見込みらしい。

 

 今日は全国的に火曜日だということで、例の通り、例のごとく、さぬき市前山にあるおへんろ交流サロンにやってきた。今日からはお休みの筈が、熱心な方がおいでて、パソコンの操作方法を教えて欲しい・・というので、特別に男性陣が集まることになっていた。

 

 ところが、孫のなぎちゃんが熱を出して学校をお休みしてしまった。昨日は、奥方のけいこばぁがお休みを取って屋島の家で看病したが、今日はどうしてもお休みできないというので、わが家に送り届けられてきた。だから、要点だけをコーチして、私は早めに帰ることになった。

 

 これが、例の「俵」である。大きさは米俵のように大きくはない。30センチ弱くらいだろうか。この中に、お接待で頂いた納め札や護符、伊勢暦など雑種多様な紙類を詰め込んである。

 

 これを屋根裏に吊り下げておくと火事にならないとかと言われてきた。昔から、お遍路さんは、お大師さんと同じだと尊崇されて、その納め札にも霊力があると信じられてきたものだろう。

 

 で、その俵の中から取りだしたものを分類することから始めた。右から二人目の白髪頭のおじさんが私である。隣が会長さん。雑種多様な紙くず(失礼)の中から、納め札や護符などを拾い出す作業である。

 

 丸められたり押し込まれた紙くずを、丁寧に伸ばして読み取って分類して、ファイリンしていく。根気のいる作業だった。

 

 それを、この先生が解読して、年代、都道府県、住所などを読み取って整理カードに記入してファイルに納める。

 

 それを一枚ずつデジタルカメラで撮影して画像データを作る。

 

 その画像データーを見ながら、エクセル・シートに入力していくという流れ・・・。そして、このお休みの間に、このデーターから、県別集計値、年代別集計値を求めるという作業に入る。今日は、そのソートをする手法をコーチするための会合だった。

 

 こういう風に県別に集計できれば、グラフ化はすぐできる。

 

  これは、四国四県のおへんろさんの比率である。あくまで、これは、今、調査しているおうちにあった、遍路札の集計値であって、おへんろさん全体の比率ではない。

 

 ま、こういうことが私のお仕事である。今は、その基礎データーの確認とデータ整備をやっているところ。記入漏れはないか、年数が間違っていないか・・・などの点検中。1800件のデータの1500までが完了した。

 

 なぎちゃんの熱もおさまって回復傾向にあるらしいので一安心。明日は休日でお休み、明後日は終業式。25日からは冬休みに入るらしい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は正しい 自分は賢い というところに立っている これが人間の迷いのもとです」という、赤松先生のお寺にあった言葉から。私たちは「迷い」と聞くと、右に行ったら良いのか、左に行ったら良いのかと迷っている様をイメージしがち。しかし、仏教における「迷い」とは、「こうに違 いない」「こうあるべきだ」という「思いこみ」のことを指すのである。思いこんでいる時に、その思いこみに気付くことはないし、気付かないからこそ「思い こむ」というのであろう。その思い込みをやめることはできない私たちだが、そのことに気づくことが大切だというているのである。迷いを断ち切ったりはでき ないが、その迷いに気づくことが大切だというのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


生あくび 呑み込むばかりの 冬の雨

2015年12月21日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っていたが、夕方からは曇り空になった。気温は8度から13度、湿度は96%から80%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の22日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝から細かな雨が降っていて、今日はぽちの散歩はお休み。奥方は、孫のなぎちゃんが熱を出した・・・というので、お守り役でお仕事を休んで出かけて行った。

 

 私は、することもないし、行くところもないので、相も変わらず、データの整理をしていた。で、ふと、気が付いたのだけれど・・・。

 

 この納め札には、「美馬郡三島村大字小嶋村」と、書いてある。こういう場合、どう読むのだろうか。「みしまむら・おおあざ・こじまむら」と読むのは不自然・・・。隣町に、「津田町伊勢町」というのがある。この場合には、「つだちょう・いせまち」と読むのだと教えられた。

 

 だとしたら、「みしまソン・おおあざ・こじまムラ」と読むように思うが、その反対に、「みしまムラ・おおあざ・こしまソン」と読んでもおかしくない。果たして、どうなんだろうか。こういうのが徳島県には多い。

 

 私の町では、平成の合併前までは、「大川町(おおかわちょう)」だったが、合併後は、「大川町(おおかわまち)と呼ぶようになった。隣の「寒川町」でも同じ。ところが、同じさぬき市でも、志度町志度は、「志度町」が消えて、「さぬき市志度」とか「さぬき市小田」と呼ぶようになった。どういう基準なんだろうかね・・・。そんなことを、条例で決めているんだろうか。

 

 今日も、一台のノートPCはナツメロ音楽専用になっていて、800曲を、順次、演奏してくれている。専用のスピーカーを増設していて、低音で、邪魔にならない音量に設定してある。

 

 最近のNHKも、ラジオでもテレビでも賑やかになりすぎているような気がする。だから、夜のテレビでも、歌番組を聞くでもなく見るでもなく流している。今夜は「フォレスタ」の歌があるのかな。

 

 昼前に、おへんろつかさの会長さんが、納め札のデータを持って来てくれた。昨夜の「下町ロケット」でも、情報漏洩はこのUSBメモリーで行われていたが、このメモリには「ファイル・ロック」という暗号化ツールが内蔵されている。

 

 ま、私らの場合、暗号化するような情報も持ち合わせていないのだけれど。

 

 今年も残すところ10日。そうは言っても、10日でこの世が終わる訳でもないので、どうということもないが、いつも、この時期になると、何か忘れ物をしているような気になるもの。請け負ったもので、竣工していないものはないか、成果物は提出したか・・。そういう習性が動き出す。

 

 ホームページも来年用に更新しておかねばならない時期にもなった。来週には迎春準備をやらねばならんな・・と、ぼんやりと考えている今日であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない」という、ハイデッガーの言葉から。「ハイデッガー【Martin Heidegger】」[1889~1976]はドイツの哲学者。キルケゴール、ディルタイの解釈学の影響のもとに、フッサールの現象学を発展させた。哲学の対象である存在は、実存を通してのみ理解可能であるとする、基礎的存在論としての実在哲学を形成した。その後、1930年代以後の思索は、存在そのものの解明に向かった。著「存在と時間」「形而上学とは何か」など。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ぼんやりを たたき起こして 霜の朝

2015年12月20日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の接近で夕方から雲が広がり、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は今期最低の2度から11土、湿度は78%から62%、風は2mから3mの南南東の風が少しばかり。明日の21日は、気圧の谷の通過や湿った空気の影響で雲が広がり、朝にかけて雨が降る見込みらしい。

 

 今日は、孫のなぎちゃんのテニスの試合があるというので、またも5時起きの6時20分出発。まだ、あたりは真っ暗・・・。7時に屋島に着いて、そこから、高松市牟礼町にある「牟礼中央公園運動センター」へ。

 

 今朝はそのあたりが白い・・・と思えば、大霜の朝になっていた。

 

 8時前になると、みんな、続々とやってきたので、私はお役目解放。帰りはお母さんがお迎えに来るというので、さぁ、今日はどこに向かって走ろうか・・と、思案して。

 

 それでは、三本松メガネのカワイ店長ブログにあった、「塩江町立安原小学校戸石分校」に行ってみようと考えて、まずは、「柏原渓谷」から入ろうと考えた。

 

 柏原渓谷は綾歌郡綾川町枌所東という山の奥にある。夏場は家族連れで賑わう場所だが、いかんせん、道路幅が狭い。対向車に二度会ったが、しばらくバックしてもらって、ようやく対向できたというヒヤヒヤものの田舎道である。

 

 夏にはいい所だが、冬場はどうにも・・・。山の樹木や電線についた霜が朝日に溶けて、雨のように降ってくる山道をくねくねと進むと・・・。

 

 こういう学校跡が見えてきたが、ここにはフェンスがないから、ここじゃない。でも、まぁ、ついでだからと、ここにも寄ってみた。

 

これは、まさしく学校の跡らしい・・。

 

 跳び箱とか掛け図とかも見える。ここは、「綾上町立枌所(そぎしょ)小学校柏原分校」で、昭和23年に開校し、昭和63年に廃校となった。

 

 手洗い場・・・である。この真ん前に、マウンテンドームというキャンプ施設がある。今の時期には誰もいなかった。あぶない目をしてまでやってきたのに、肝心の「戸石地区」に入る道を見過ごしてしまって、戸石分校にはたどり着けなかった。それじゃ、ダメじゃん、春風亭昇太。

 

  で、お昼からは、ここに行った。東かがわ市引田にある「翼山温泉」である。東かがわ市の温泉施設は、「株式会社創裕」という会社が運営している。そういうこともあってか、ここの料金は400円である。

 

お風呂はこういう感じである。

 

 ここが休憩室で、マッサージ器もあって、今日も肩や背中をマッサージした。ま、気分なおしみたいなものだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「私たちが命をいただいて存在しているということは、本当に奇跡としか言いようがありません。だとしたら、自分の命が大切であるように、他の人の命も大切にしなくてはいけない」という柳沢桂子さんのことばから。「人間のDNAをいじって、人受戒量をしようなどというようなことは人としての正義に反するし、ましてや戦争などとんでもないことです。私自身、10年以上闘病生活を続けてきて、さまざまな困難を乗り越える中で、奇跡的なこの命の大切さを感じてきました。また、それは病気が私に示してくれた大切な教えなのだとも思っています。」「人間という奇跡を生きる」より。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


枯れ葉降る 猫の背中に 犬の尾に

2015年12月19日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5度から9度、湿度は74%から58%、風は3mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の20日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、夜には気圧の谷が接近するため雲が広がる見込みということらしい。

 

 さて、ずっと愛用だった富士通のFMV(DeskPower)というデスクトップが動かなくなった。新しくすると、Windowes8 とか、Windowes10 になってしまう。そこで、amazon で、中古の、富士通のFMV ESPRIMO というのを格安で買った。Windowes7 のマシンを選んだ。これが私には使いやすい。

 

 ところが、いくらやっても、このロゴマークから進まない。これは不良品のクジを引いたかなぁ・・・と、暗澹たる気持ちに落ち込んでいたが、いくら何でも、そんなあこぎな商売はせんやろ・・・と、マウスとキーボードだけをつないでやってみたら、ちゃんと、動くではないか。古いHDDか、MOドライブかが邪魔をしていたのかも知れない。

 

  現在、ノートPCが4台稼働しているが、デスクトップが必要かと言われたら、必要でもないのだけれど、何か机の上が淋しい・・・という気分だけで、デスクトップを置いてみた。

 

 で、早速に、プリンターとか、ホームページ・ビルダーなんぞをインストールしてみた。

 

 インターネット用のブラウザとかメーラーとかのセットアップも手慣れたものでテキパキと進む。

 

 で、いつものように、納め札のデータ確認をやってみた。順調に動くようになってきた。

 

 昨日、私が温泉に行って来た・・・と言うと、「また、勝手に行ってはダメでしょ」と叱られて、今日は市内にある「春日温泉」に行くことになった。「さぬき市寒川町神前(かんざき)」という所にある。かつては町営のお風呂だったが、今は第三セクターの運営だとか聞いた。

 

 ちょうど、昼食時間帯だったのか、師走だからなのか、更衣室にも浴室にも誰もいなかった。まるで貸し切りみたいなものだった。

 

 ここは七十歳以上だと410円になるとかで、お年寄り達がいつもいるのだけれど、今日は誰もいない・・・。

 

 お風呂に入って、マッサージ器で背中や肩や首筋を揉んでもらった。15分間で100円だった。

 

 で、奥方のおごりで、生ビールにおでんに・・・

 

 うどん定食・・・。そんなには入らない・・・。これで、夕食も入らないかも・・・。

 

 食堂も貸し切り状態・・・。奥方は交代で、お風呂に入りに行った。

 

 浴室や食堂からは、この中庭の浮島が見える。マシン室勤務時代には、肩こりを治すために毎日、通ったものだが、最近はとんとご無沙汰してしまっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は、一つのことで明るくもなれば暗くもなる。大切なのは、あなたがどちらを選択するかである」という、ジョセフ・マーフィーの言葉からである。たとえ一緒に同じ景色を見ていたとしても、実は人によって見ているものは違う筈。自分がなにを意識しているかで、景色はまったく違うものになるし、何もフォーカスして生きるか、で人生は良くも悪くもなる。選んでいるのはいつも自分。人生、毎日、いろいろあるけれど・・・。できれば、人の優しさや、あたたかいこころ、自然の美しさ、きれいな音楽・・・。自分が心地よく、幸せだと感じる物に焦点を合わせて、生きて行きたいものである。

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


枯れ落ち葉 今日の思いを 締めくくる

2015年12月18日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3度から8度、湿度は75%から62%、風は2mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の19日は高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 一昨年から始まった防災工事が一段落したと思ったら、今度は、その続きでまたも工事が始まっている。このカーブがきついから、ゆるめにするんだろうか・・・。ともかく、賑やかなことだ。

 

 高松では、梅の花が咲いたというし、椿も開花したというし、昨日はタンポポが咲いたというていたが、わが家では今期初めての霜の朝になっていた。まだ、氷が張るところまでには至っていない。

 

 山からの落ち葉がハラハラと落ちてくる。奥方が拾っても拾っても落ちてくる。放っておけば風のブロアできれいにしてくれそうなのに。

 

 胆振(いぶり)という国があったらしい。胆振国は、戊辰戦争(函館戦争)終結直後に制定された日本の地方区分の国の一つであるらしい。制定当初は膽振國とも表記された。国名の由来は、斉明天皇のころ阿倍臣が胆振鉏(いぶりさえ)の蝦夷(えみし)たちを饗応したという故事にちなむ。道南から道央にかけての地域に位置し、現在の胆振総合振興局管内の全域、渡島総合振興局管内の長万部と八雲町のうち旧熊石町を除く部分、後志総合振興局管内の虻田郡、石狩振興局管内の千歳市、恵庭市、上川総合振興局管内の占冠村にあたるという。そういう所からも四国遍路に来ていたものらしい。

 

 北海道には、北の護りのために、讃岐各地から二男三男たちが移住したという。そのために、お寺の二男三男たちも移住して開教したという苦難の歴史も学んだことだった。その時の常備薬がこれだった。

 

 

 ロシアを征伐するという勇ましい名前の薬だった。

 

 平和な時代になると、「征」の字が「正」に代わったけれど、当時の進軍ラッパはそのまま残されている。ま、そういうこともあってか、北海道からも四国遍路にやってきたし、近年には「北海道八十八ヶ所」が造られているそうな。

 

 これはさすがに「歩き遍路」はできんじゃろ・・・。

 

 さすがに肩が張ってきたようなので、今日は温泉に浸かってきた。東かがわ市入野山という山中にある温泉である。ときおり、お遍路さんも入るというが、お客さんの中には、阿波弁の方が多いのも特徴かも。

 

 お風呂に浸かって、マッサージ機で肩や背中をマッサージしてもらった。どうにも左肩や左腕が重く感じる。目も疲れているみたい。ま、ここんところ、パソコン三昧だということもある。

 

 ここの温泉(冷泉)は、このあたりではわりと有名で、お遍路さんにお接待するのに、桶で、この冷泉を汲んで運んで、お風呂に入れたという。でも、まぁ、一回や二回では、簡単には肩こりは治らない。

 

 「前門の虎、後門の狼」という言葉があるが、昨日は家の前側で野菜をサルの軍団に食べられたが、今日は家の裏側で、カラスが生ゴミ置き場をひっくり返して、あたりは生ゴミのオンパレード・・・。その片付けで30分ほどもかかってしまった。前の猿も追わないといけないし、裏側のカラス退治もしないといけない・・。あら、ややこしや、ややこしや・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「徒(いたず)らに 過ぎし月日の しのばれて 殊更をしき 年の暮かな」という、新渡戸稲造先生の言葉から。いよいよ今年も終わろうとしているが、過ぎ去ったこの一年に何をすることができたかと静かに振り返ってみると、昨年と同じく、やはり後悔すべきことが多い のではないだろうか。しかし、悔いることは改めることのはじめなので、来年の暮れには、まさか同じ後悔をすることはないとは思うのだけれど、極悪非道のこ の身であるから、来年も又、同じような後悔をしているのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


冬めいて 部屋の掃除を 二度三度

2015年12月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置が続くため雲が広がりやすく、夜のはじめ頃は雨や雪が降る見込みらしい。気温は6度から8度、湿度は78%から52%、風は4mの西北西の風が吹き荒れていた。一時は電線がピューピューと音を立てていて、すっかりと冬らしくなったことだった。明日の18日は、寒気の影響で雲が広がりやすいのだとか。

 

 ということで、今日は日がな一日デスクワークになった。例の「俵札:納め札」のデーター確認作業である。

 

 で、毎年、恒例となっている「私の十大ニュース」。今年は、入退院とか手術とかという、そういうビッグ・ニュースがなくて、単なる「活動報告」になってしまった。今年の私のできごと総集編。

①    母の三回忌法要

 

 今年は雪もなく、混乱もなく、粛々とお勤めができた。

 ② 開創1200年 高野山バス研修

 

 高野山には行く機会がないので、おへんろつかさの会のバス研修で連れて行ってもらった。

 ③ 本山興正学会で、「法然上人讃岐の足跡発表」

 

 讃岐各地に残る法然上人の遺跡を調査して、その結果や感想などを論文としてまとめたものを発表した。

 ④ 甥の圭吾君・幸司君 結婚式相次ぐ

 

  

 私にすれば結婚式というのは娘の結婚式以来ではないかと思うような久々の結婚式だった。

 ⑤ 倫理法人会モーニングセミナー 2回

 

 さぬき市倫理法人会と東かがわ市倫理法人会の二ヶ所で、「讃岐三盆糖由来と四国遍路の功績 」ということでお話をさせていただいた。

 ⑥ 善通寺中学生夏休み講演会や丸亀歴史研究会で「英国士官レキ講演会」

 

 しわく広島の歴史紹介ということで、中学生とその先生達に、やさしい歴史講座と、丸亀市歴史研究会の方々にも似たような、英国士官レキの墓とそれをとりまく歴史などをお話した。

 ⑦ 高松興正寺別院などで法話会 全8回

 

 夏場から秋にかけてのご法話。汗が目に入って困ったことだった。

 ⑧ おへんろつかさ養成講座サポート 5回と大窪寺案内ボランティア  2回

 

 観光ボランティアを目指す人たちに、実技指導をする研修である。また、一般の方に、大窪寺のガイドもやってみた。

 ⑨ 俵札・遍路札調査とおへんろつかさの会HP立ち上げと更新担当

 

 

 これは今も継続中・・・。

 ⑩ さぬき市・町ぶら探検隊ガイド役担当 2回

 

 ふだん、身近にありながら、知らなかったお話などを、人数の関係で二回に分けて案内した。

 

 今日の掲示板はこれ。「進んで持てば重荷も軽い いやいや持てば半紙も重い」という中村天風さんの言葉から。積極的な気持ちでできるかどうかは、その結果に大きく影響する。嫌なことをどうすれば積極的にできるかを考えるよりも、自分が積極的にできる分野をみつけて、そこで最大限の能力を発揮することを考えてみたいもの。中村天風師は明治、大正、昭和に生きた日本の風雲児。公務員というより元武士(柳川藩)の家に生まれ、藩校であった修猷館中学で教育を受けるも、柔道の試合で負けた熊本の学生に襲われ、正当防衛で相手を刺し殺したことで退学になり、当時の国粋主義者であった、頭山満翁のところでお世話になるという、波乱万丈の人生の幕開けをした。そして、16歳で日露戦争のための軍事探偵となり満州へ派遣され、当時から「人斬り天風」として恐れられていたとのこと。天井裏に飲まず喰わずで一週間も潜んでいたこともあったという。その軍事探偵に派遣されたのは113名であったが、生還出来たのは9名だったというから、壮絶な体験をされたものと思われる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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