まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

秋雨に濡れてコスモス立ち尽くす

2020年10月23日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、低気圧や湿った空気の影響で朝まで雨が降り、未明には雷を伴う雨が降っていた。午後は高気圧に覆われて次第に晴れてきた。気温は17.0度から22.2度、湿度は94%から52%、風は1mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 112/55/77 36.5c-98% 63.2Kg 21.4c-67%-1014hPa 体調的には変化はないが、やや、体重が増加傾向にあって尿の量が少ないようには思う昨今。

 

 昨夜は激しい雨だったし、すぐ横を流れる津田川の水音もすごかった。まるで台風でもやってきたかのような水音だった。

 

 だから、朝が来るのも遅かった。ようやくに明るくなった6時半ごろになると雨の量も少なくなった。さりとて、散歩に出掛けられるような雨ではない。

 

 だから、朝の間は「白衣研究」の続きをやっていた。しかしのかかし、「白衣(はくい)」と言ってもさまざまな「はくい」がある。先日の「医療用白衣」もその一つだったし、今日の「僧侶用白衣」とか「神官用白衣」というのも「はくい」の一つ。一方で、違う意味の「はくい」がある。好いこと、美しいことに云ふ。又客種のよいこと、入場客の多い景気のよいことに云ふ。「セコイ」の反対。〔隠〕①芸人仲間で客種の善いこと、又は入場客の多いこと。②すべて景気のよいこと。③香具師間の言葉、上等品の事。金満家・別嬪。芸人仲間では客種のよいこと。又入場者の多いこと。香具師仲間では上等品のことをいふ。とあるが、これは別物。

 

 神職や巫女、皇族などが儀式を行う時などに、また、僧侶も法衣の下に白衣を着用する。この白衣は絹、綿、麻製などで、着物状であり、その下には白襦袢を着る。また白衣には白帯を用いる。これらは夏用と合用がある。なお、白衣は「はくえ」、「びゃくい」、「びゃくえ」などと読む場合もある。(『神祭具便覧39巻』)

 

 白衣とは、①白い衣服。はくい。②白小袖に指貫さしぬき・袴はかまなどを着ただけの装束。③武士が袴をつけていなかったりすること。僧が黒衣を着けずに白い下着だけでいること。非礼なこととされた。 ④〔墨染めの衣を着ていないのでいう〕 僧侶になっていない俗人。在家。(出典 三省堂大辞林 第三版)

 

 白衣 白衣(びゃくえ)は、霊場巡礼の際に着用する白い上着である。法被と同じように袖の着いたものが普通であるが、ベストのような袖なしのものもある。元来は笈摺(おいづる)といって、昔は巡礼の際に観音像を背負って歩いたが着物が観音様が直に触れてはいけないとして、白い布を間に当てたのが起源となる。白は穢れなき心を表し、様々な悩み、迷い、汚れを落とすという意味も持つとされた。

 

 1200年の長い歴史のあるお遍路で、白衣はどのくらい歴史があるのだろうか。実は白衣の歴史は浅く、お遍路に定着したのは昭和初期ではないかと考えられている。弘法大師・空海が生きた時代は八十八ヶ所の札所は指定されておらず、お遍路の概念もなかった。自然豊かな環境で精神を鍛えることが目的で修行僧は四国へ来たと考えられている。後に、弘法大師を信仰する人々が、彼の足跡をたどるように巡礼を開始した。また、江戸時代になってからは弘法大師信仰に加えて観光目的のお遍路さんも増えたと言われている。

 

しかし、江戸時代のお遍路さんには決まった服装はなく、白衣とは限らなかった。これは「近世風俗志」という書物に記載されている。

 

 我が国において仏式で葬式を行う際、故人は白装束を着せられて棺桶に納められることがある。同様に木製の杖や菅笠も棺桶に入れられた。お遍路さんの着る白衣も死装束としての意味が込められているとされている。それは、険しい遍路道の道中で息絶えても成仏できるように死装束を着ているというのである。また、死装束で巡礼するお遍路さんは浄土(聖なる世界)へ歩いていることを示しているとも言う。現在のお遍路では旅の途中で息絶えるような危険性は少なくなったのだが、現世において功徳を積み重ねてご利益を得ようとする人は修行者の正装として白衣を着ているのだという。

 

 午後からは晴れてきた。昨夜の雨がまるでウソのように晴れ渡ってきた。

 

 だから、今日も少しばかり集落内を歩いてみた。だが、やはり本調子ではないのか足がひきつるようでうまく歩けない。昨日の草刈りがこたえたのだろうか。なんともだらしなくなったものである。

 

 昨日の草刈りの後である。昨夜の大雨で刈り払った草などが流されてさっぱりとしたかと思ったが、なんら変わるところはなかったみたい。あの雨は音ばっかりだったのか。

 

 今日の掲示板はこれ。「普通の人は普通に生きているのがいちばん幸せです しかし 何事もなく普通に生きていくのがいちばん難しい」という、荒了寛さんの言葉から。ありのまま」に受け入れることができれば「幸せ」で、人はそれがなかなかできないから「幸せ」に気づかない。つまり、いつでも「いま」を「ありのままに受け入れる「自分」がいれば「幸せ」だと、解釈できるのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


もういいと歩き疲れて秋の雨

2020年10月22日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、低気圧や湿った空気の影響で雨が降り、夜は雷を伴う所がある見込み。気温は20.0度から21.5度、湿度は84%から74%、風は3mから6mの東の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、低気圧や湿った空気の影響で朝まで雨が降り、未明は雷を伴う所がある見込み。午後は高気圧に覆われて次第に晴れるらしい。

 

 115/55/77 36.2c-97% 63.8Kg 24.1c-60%-1017hPa 体調に変化はないが、やや、体重が増加気味だし、尿の量が少ない感じ。おなかが張るという感じはまだない。

 

 今日は奥方がお休みなもので、「来月には旅行が控えているのに、手術にでもなったらキャンセル料が戻らないのよ」などと小うるさい。

 

 そこで、しぶしぶと県立病院に行ってきた。確かに、朝方には64Kgくらいあっても、夕方の17時前くらいになると61.2Kgくらいにはなっていたのに、昨日、おとといあたりは62.2Kgと若干増えてきている。

 

 そこで、7ヶ月ぶりに泌尿器科の診察を受けてきたが、検査をしてみなければわからないとおっしゃって、来週月曜日の午後15時の検査予約になった。若干は膀胱に残尿があるとはわかるらしいが、詳しいことは見えないからわからないみたい。

 

 今までのデータを見てみると、9月までは60Kg台以下だったのに、10月に入ると、61,62,63Kgと、少しずつ体重が増えたり減ったりしながら微増している。だからと言って、食べ過ぎたり飲み過ぎたりもしていない。水分が体内に残るようになってきたのかも知れない。

 

 帰ると作業服に着替えて、昨日の草刈りの続きになった。庭木の枝を剪定した残りを、無造作に投げ捨ててあったのを、ノコや鎌で片付けながらの草刈りになった。

 

 昨日はここまででパワー切れになったので、今日は、その続きである。

 

 そういうことで、昔の「旧松尾村」の「村道」部分の草刈りは終わった。今は、「大川町道」から「さぬき市道」に格上げになって、この上の電柱の建っているあたりを通っていて、ここは払い下げになっているらしい。でも、こんな部分まで我が家の固定資産になって税金を取られたのではたまったもんやない。

 

 地図は上が北だから、現場とは反対になるが、この赤線部分が旧道。我が家の西の黒い線部分がさぬき市道である。細い水色は水路で、東側の幅の広いものが二級河川の「津田川」である。この緑の区間の草を刈ったということである。長さは100mくらいだろうか。

 

 今年中には、この電柱横の雑木を切り倒したいのだが、これはちょっとしたパワーが必要になる。ハシゴを掛けて上の枝部分を切り落としてから、チェーンソーで根元から切り倒したものだが。

 

 今日は食欲もないので、それだしお米のライスだから昼食はパスした。どうにもご飯は喉を通らない。で、いつもの集落内の散歩をしてきた。その途中にある休耕田を利用したコスモス畑である。

 

 散歩から戻って来たら、タイミング良く雨になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「散ると見えるは凡夫の眼 木の葉は大地に還るなり」というもの。落ち葉の季節だが、落ち葉はどう見ても「散っていく」としか見えない。しかし、大地へ帰っていくのだと見る世界がある。人も「死んでいく」「亡くなった」としか見えないが、「いのちの世界に帰っていく」「私を照らす大きな世界に帰っていく」というふうに受け止めてきた歴史があることを忘れないでいたい。これからは紅葉して落ち葉が舞い落ちる時期。「あ、枯れ葉が散って行くなぁ・・」と見えるのは私ら凡夫の眼なんだよ。木の葉は大地に還って行くのだよ・・。みんな、そうして還っていくんだよ・・・といただきたい。大地に還り、栄養となって、また、新たないのちを生まれさせ、育てていく。そういうことなんやね。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


あれこれと思案ばかりの神無月

2020年10月21日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で曇ってきた。気温は13.0度から22.6度、湿度は92%から60%、風は1mから4mの東南東の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方は、低気圧や湿った空気の影響で雨となり、夕方からは雷を伴う所がある見込み。

 

 102/50/78 36.3c-99% 62.8Kg 21.6c-60%-1026hPa 体調の変化はない。

 

 年末までに片付けておきたいことが幾つかあるが、雨かなぁとか、まだ暑そうだなぁとかで延び延びになっていることもある。で、今日は格別の予定もないので、作業服に着替えてみた。

 

 この画像の左側が田んぼの畦にあたる部分。ここは元は水田の跡地。平成16年の台風の後、この田んぼを譲ってもらって、ここを宅地にしたもの。その畦の高さは2mか3mほど。その下には昔の町道があったが、そこは我が家の土地になっているそうな。

 

 そこの草刈りである。正式には二級河川津田川の堰堤部分にあたるのだろうが、今は誰も管理をしていない。だから、我が家が草刈りをすることになる。で、充電式の電池の草刈り機である。私はペースメーカーを植え込んであるので、エンジン式の草刈り機は使えない。ガソリンエンジンの点火プラグの火花がいけないそうだ。

 

 最初のうちは、こういう短い草ばかりで楽だったのだが、途中からは草が変わって背丈の長い草になる。そうなると休む休みの作業になってくる。

 

 それに春先に梅の木などの庭木を剪定した枝などを無造作に投げ込んであったので、それが邪魔になって進めない。そこで、この枝の処理からやることになったが、このあたりでパワーが切れた。

 

 ということで、あと30mを残してギブアップ。明日の午前中は雨は降らないみたいだから、1時間もあれば片付くはず。明日に残しておいた。

 

 草刈りが終わってからは、草刈り機の「替え刃」を買うためにホームセンターに行ってきた。そのついでに文具屋さんにも寄ってきた。だから、今日は簡素に「富山の氷見うどん」の細麺にした。

 

 お昼からは、我が家から南に走って、東かがわ市五名(ごみょう)地区の、旧五名小学校跡地のイチョウを見てきた。ほんのりと黄色くなってきている。

 

 そして、88番札所大窪寺の大イチョウである。ここもようやくに色づいてきた。足下にはひらひらと黄色い落葉が舞い落ちるようになっている。

 

 このおねえさん、小さな人形に「大窪寺」と書いた単語帳を並べての記念撮影。ようやくにお遍路さんの姿が戻って来た。私の居る間に二台の大型観光バスがお遍路さんを乗せてやってきた。

 

 でも、まだまだ、静かな大窪寺の境内である。

 

 本坊境内の庭園では、紅葉が始まっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は もう戻れない昨日と まだ知らない明日の間に生きている」というもの。これまた、どこの誰の言葉かはわからない。私たちは、昨日という過ぎ去ってしまった昨日と、まだやってこない明日という、まだ知らない世界の間に生きている。と言うことは、昨日のことは考えても仕方がないしどうしようもない。そしてまた、掴みようのない明日という日を、あれこれ考えても仕方がないということになる。それでも、私たちは昨日のことをあれこれと考え続け、明日のことをあれこれと思案してみたくなるのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


草刈って蜘蛛が迷子になっている

2020年10月20日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は12.5度から22.5度、湿度は82%から54%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から雲が広がり、夜遅くには雨の降る所がある見込み。

 

 98/49/82 36.2c-95% 62.8Kg 20.2c-64%-1024hPa 体調に変化はない。

 

 昨日、届くはずの荷物がまだ届かない。それで荷物待ちの一日になった。

 

 そうは言っても終日、家で待機していることもできないからと、いつもの集落内パトロールに出た。少しは歩かないと内臓脂肪がたまる一方らしい。

 

 これはお隣の集落にある田んぼの風景だが、このあたりでは見かけないものである。数年前ごろから植え付けれれているが、なんだろうと気にはなっていた。

 

 すると、これを作っているおじさん(と言うても私よか数年年下だが)が、「これはマコモダケというものじゃ。天ぷらにするとうまいぞ」と、数本の草の茎をくれた。

  

 その後、さぬき市の広報なんぞを配達してきた。集落内だからと歩いていこうかと歩き出したが、朝の散歩のすぐ後だから足が動かない。仕方がないので、車で配達をしてきた。根性なしではあると思った。

 

 で、先日にメインマシンが壊れたと書いた。メインPCが壊れては大変と、すぐさまに、今度は違うメーカーのデスクトップPCにした。その直後で、「せらい子」のようにメインPCが復活した。復活したけれど、災害用にと。このDELL社のマシンにした。

 

 そのPCの設定も終わった。やはり、メイン画面はガンダムである。

 

 で、今日は”台風記念日”である。今から16年前の平成16年(2004)10月20日のお昼ごろ、台風23号が西日本・東日本を縦断し、死者・行方不明者98人、浸水家屋が50,000棟を上回る甚大な被害をもたらし、平成期では最悪の台風災害の1つとなった。

 

 我が家には母と奥方がいたが、この崩れかけた旧宅に逃れて無事だった。私は急遽、会社から戻ったが、途中で道路が流され、土砂で埋まって帰ることができなかった。ゲリラ豪雨で土石流があちらこちらで発生したためだった。

 

 翌日には母親と奥方を救出して丸亀市沖の別荘に逃れ、私たちは高松市内の会社の寮に入って一時しのぎをしたことだった。この台風で、私たちは多くのものを失ったが、平成18年には現在のこの地に土地を求め、家を建てて復活した。あれから16年になるのか・・・。

 

 この時に、ボランティアの子供たちが救出した、この食器棚は、現在の台所で再生されて使われているし、お仏壇も救出されて再生されている。

 

 その後、河川などは復旧されたが、この元屋敷は草まみれになったままだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「くらべて喜ぶ人は また くらべて泣く人である」というもの。人は他人と自分を比べて生きている。人は全ての物事を相対性で選択しているのである。相対性なんていうと難しく感じるが、人は自分と誰かを比べているものである。無意識のうちにも自分の持っている物と人の持っている物を比べていたりする。若い頃にはライターがあった。ジッポーがいいとか、ダンヒルがいいとかと競争したし、時計もロンジンがいいとかダンヒルがいいとかロレックスがいいとか・・。車だって、「いつかはクラウン・・」と言うていたが、今はレクサスがいいとかなんとか・・。考えようによっては「どんぐりの背比べ」みたいなものだったのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


花つくる人もまばらに菊花展

2020年10月18日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は今季最低の11.5度から21.1度、湿度は86%から56%、風は1mから0mの東の風が少しばかり。明日の19日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夕方にかけて雨の降る所がある見込み。

 

 112/60/78 35.9c-96% 62.4Kg 17.2c-59%-1022hPa 体調に変化はない。夜間のトイレ回数は5回、尿は少しばかりで変わりはない。

 

 昨日の夕方に新しいパソコンが届いた。最近はamazonさんの仕事が多くて夜中になってしまうと宅配便のお兄ちゃんがぼやいていたが、「なんなの?また、パソコンを買ったの?パソコンばかりをどうするの!」と奥方の声が大きかった。いつもは昼間だから目立たないのに・・・。

 

 「だから、壊れたんだって・・・」と言っても奥方はパソコンが壊れたことなんぞ知らないのだ。だから、そういうことを言うのだけれど、大事なメインPCが壊れたまんまでは落ち着いてやっていられない。

 

 ま、左のサブマシンでなんとかやってはいるものの、正面の真ん中が真っ黒では落ち着かないではないか。

 

 で、昨夜からマシン室を整理しなおしていたわけである。これで画面もすっきりとした整列になった。医者に「風前の灯火だ」といわれた命である。思うように好きなままに生きていくつもりだ。

 

 まだ、左端の画面が小さいので、25インチくらいの画面にしておきたいものである。

 

 で、おとといのキノコだが、今日はこんな風になっていた。やはり、「コトヒタシロテングダケ(琴平白天狗茸)」らしい。なお、この名は、香川県琴平町の琴平山で採取されたからこの名があるということだ。なお、毒性は検証されていないが、有毒だと思って食べない方が良いらしいが、こんな奇妙なものははなから食べたくないというものだ。

 

 で、今日の散歩は、少し足を延ばして県営大川ダムを一周してきた。最初は大丈夫かなぁと思ったのだけれど、最初のこの階段さえ登り切ればなんとかなると思い込んで少しずつ登ってみた。だめなら階段を下りてくればいい。

 

 100何段かの階段を登りきると堰堤(えんてい)に出る。あとは平たんな舗装路である。

 

 で、ダムの左岸(川の下流に向かって左側)を南に進んで水源に向かう。

 

 水源からは県道2号線を北上する。こうした平たんな道ならばいくらでも歩ける。でも、右肺には「胸水」という体液が溜まっているものだから、階段や登坂になると呼吸が苦しくなる。そこを通り過ごせばなんとかなる。

 

 今日は肌寒い気温だから、海老天うどんの温いのを作ってみた。野菜サラダ付きである。今のところ野菜のアレルギーはないみたい。

 

 具は多く乗っているが、うどんの麺は少量である。

 

 今日の掲示板はこれ。「なんでもない仕事、それが最も大切なのです。何か人の目を驚かす、というようなものでなくてもよいのです。」という鈴木大拙さんの言葉である。「一歩一歩歩けば何でもないぞ。一歩一歩努力すれば、いつの間にか高いところでも上がっている」「なんでもない仕事、それが最も大切なのです。何かの目を驚かす、というようなものでなくてよいのです」そういう「一日一言集」からの言葉である。人目を引く様な派手な仕事でなくて、何でもない仕事を地道に務めることにこそ奥深い意義があるというもの。吉川英治の「菊作り 菊見るときは 陰の人」、同じく「菊根分けあとは自分の土で咲け」「いくたびもお手間かかりし菊の花」の句を思い起こしていたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


雨上がりまだまだ蕾の菊花展

2020年10月17日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っていた。気温は14.5度から16.1度、湿度は92%から78%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の18日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇るけれど、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 97/49/79 36.0c-97% 62.8Kg 20.0c-59%-1020hPa 体調に変化はない。昨夜のトイレ回数は5回、尿は多くない。

 

 体重も64.2Kgあたりから夕方には61.4Kgあたりまで下がるので、そんなに心配はしていないし、大急ぎで泌尿器科に行くような事態でもないと思っている。

 

 さて、今日は終日の雨。昨日は9800歩ほど歩いたので、今日も・・・と身構えていたけれど、この雨ではどうしようもない。雨具を着てまでの散歩もどうかなぁと思うし。

 

 さて、「白衣史」ということになると、どうしても「医療用白衣」にも触れなければならないし、僧侶や神官の白衣にも触れないといけなくなった。主に白衣は医療従事者や衛生、調理従事者、実験従事者等が着用する。学校の給食配膳などの場面では児童・生徒も着用する。白衣の着用には、衛生、災害予防、制服としての機能があって、主に汚れや洗濯に丈夫なポリエステル製の白衣が多いが、薬品や火傷や火に耐えるよう綿で作られているものもあるらしい。

 

 そこで、気分を一新して、「看護師さんの白衣はなぜ白いのか」ということでリフレッシュしてみた。9世紀の西洋の医師は、もっぱら黒いコートを着用していたという。黒は礼服の色であり、神聖なる医療の現場にもふさわしい色である、と考えられていたためであった。衛生管理よりも儀礼的な慣習が優先された結果とも考えられる。

 

 フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)は1854年に勃発したクリミア戦争に看護婦として従軍し、2年後に帰国すると統計学的根拠を基に医療現場に衛生改革をもたらした。そして初めての宗教系ではない看護学校、ナイチンゲール看護学校を設立した。ナイチンゲールの時代の看護婦はワンピースに白いエプロン、そしてナースキャップという服装であった。のちに女性看護士が白いワンピースを着るようになったのは白いエプロン+ワンピースという組み合わせの影響もあるかもしれないという。

 

 明治時代の1886年に日本赤十字社が博愛社病院を設立。看護婦の育成が始まると同時に、看護服が誕生した。大正時代になると、純白の看護服が看護婦の制服に。白衣がナースの象徴になっている。

 

 こうした日本赤十字社の制服が一般化するようになる。

 

 これは戦地での看護服である。

 

 さらに時代が進むと下はモンペ姿という看護服にもなっている。

 

 昭和の戦後になると看護服もより清潔になり、保健衛生法・環境衛生法により「清潔なナース服」の着用が義務化。綿100%のワンピース型白衣がナース服として定着した。

 

 その後、こうした「白衣」という名称の示す通り、その多くは白色であるが、必ずしも厳密に色が白に限定されるわけではない。手術時や研究者やエンジニアが着る物には青や緑の白衣も存在し、色が付いていても「白衣」と呼ぶようになった。

 

 ところが、昨今の医療現場では白以外の色の白衣を着た医療従事者を多く見かける。衛生を象徴する白が一部姿を消したのは、決して衛生管理が軽視された結果ではない。現在、医師や看護士が手術着に白い白衣を選ぶことはまずない。これは「補色残像」への配慮が理由。補色とは、色相環で反対の位置にある色のことで、緑色の補色は赤紫色で、青なら黄色、赤なら青緑色が相当する。

 

 上のブドウをじーっと見つめた後で、右の白い画面に目を移すと、どんな色のブドウが見えてくるだろうか。答えは、黄緑の心理補色である紫のぶどうが見える。つまり、マスカットが巨峰に見えるというわけである。紫に色づけしてある葉の部分は、逆に黄緑に見えるはず。

 

 手術の際は血液のあざやかな赤色を長く見続けるため、視線を動かすと赤の補色である緑色の残像が現わる。手術中も手術後も、医師の目から血液の赤色の補色残像が消えず、業務に支障をきたすことが問題になった。そこで赤の補色である青や緑色をあらかじめ周囲に配したところ、補色残像の緩和が確認できたため、手術室の壁やカーテン、そして手術着にも緑色や青色が積極的に採用されるようになり、こうして、ほとんどの手術室から白い白衣が姿を消すことになった。

 

 現在、医療現場では(手術室以外でも)真っ白ではない白衣が増えている。衛生管理の必要性から白い白衣が医療現場に定着したのだが、現代は白にこだわらずとも衛生管理は可能になった。だから、医療関係では、赤でも青でも緑でもグレーでも黒でも、依然として「白衣」と呼んでいる。「はくい」である。

 

 今日の掲示板はこれ。「亀は亀のままでいい 兎にならなくていいのだよ」というもの。相田みつをさんの詩に、「トマトがトマトであるかぎりそれはほんもの トマトをメロンに見せようとするからにせものとなる」とある様に、亀は本物の亀であるのに、亀がウサギになろうとしても偽物のウサギにしかなれない。亀は亀のままで本物、ウサギはウサギのままで本物。あなたはあなたのままで本物。私は私のままで本物。私が私のままでいられる世界に出遇うことが大切なこと。そのままでいいという世界に安心させられる。亀は亀のままでいるしかないし、うさぎはウサギでいるしかない。私は私でしかないし、私はキムタクにはなれないのだが、キムタクもまた私にはなれない。だから、「私は私のまま」でいいのだし、「あなたはあなたのままでいい」のだし。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


また一つ十月桜の荷が増えた

2020年10月15日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇っていたが、夕方からは高気圧に覆われて晴れてき始めた。気温は16.0度から21.3度、湿度は78%から60%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市地方は、はじめは高気圧に覆われて晴れているが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から雲が広がり、夜遅くには雨の降る所がある見込み。

 

  111/54/78  36.5c-97% 62.6Kg 21.6c-63%-1020hPa 昨夜もトイレに起きたのは2回だけで尿はほとんど出なかった。奥方は病院へ行けというのだが、昼間は少しも問題がないので様子見状態。夜間にトイレに起きないというのはいいことのような気がするのだが。

 

 奥方はお休みだが、職場仲間とランチ会だのなんだのと出かけてしまった。

 

 その職場の仲間の一人のおばさまが、私のパソコンの待ち受け画面にガンダムがあったのを見ていて・・・、

 

 「主人が少し前に買ったものの、面倒になってやめたのがあった・・」と、持って来てくれたのである。箱が相当に痛んでいるのでだいぶ前のものらしい。RX-78-2 とあるから、バージョン2だろうか。

 

 調べてみると、こういう完成形になるらしい。まさしくガンダムの初期バージョンみたいだ。

 

 ついでに・・・ということで、ガンダムの新型バージョンの「ユニコーン」もおまけにいただいた。でも、プラモデルを組み立てていて、肩凝りから歯が浮いて固いものが食べられなくなっていて、今は少しばかり休養中。寒くなったら再チャレンジしてみようか。

 

 これは大正時代のお遍路さんの姿らしい。このころは誰も「白衣」を着ていないし、「輪袈裟」も「菅笠」もない。杖も持ってはいるが「竹」のような気がするが詳細はわからない。

 

 これは、昭和の30年代ごろの写真らしい。胸にあるのは「遺骨」だろうか。お杖は確実に「金剛杖」になっている。前の男性は「皮カバン」だろうかを掛けているし、足元は靴になっている。

 

 そうこうしている間に、メインのPCが突然に動かなくなった。まだ、購入してから8か月しか使っていないのに。でも、データーはクラウド上にあるので、何ら支障はない。すぐに左のサブマシンが同じようにお仕事をしてくれている。

 

 メインPCは、こういう富士通のマシンだったのだが、はてさて、後継機をどうするかだ。いつまでもぐずぐずとはしていられない。

 

 サブマシンからでも、観光ガイドの公式ホームページの更新もできたし、

  

 私のポータルサイトの更新もできるのを確認した。プリンター接続もメインPC同様にできている。

 

 先のおばさまは「待ち受け画面」という表現をしたが、私のこれは「壁紙」と呼んでいる。これが、私のすべての端末に入っているという寸法である。

 

 

今日の掲示板はこれ。「いくら長生きしても幸せのド真ん中に居ても おかげさまが見えなけりゃ一生不幸」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。

夏がきたら 冬がええといい
冬になりゃ 夏がええという
太りゃ やせたいといい
やせりゃ 太りたいという
忙しけりゃ 暇になりたいといい
暇になりゃ 忙しい方がええという
かりた傘も 雨があがればじゃま
金を持ったら 古びた女房もじゃま
所帯もったら 親さえじゃま
義理も 人情も 愛情も 両親も
肉親の情も あればこその 世の中となる
誰も彼も どこもかしこも
かさかさ かわききった あじけない このころ
衣食住は昔に比べりゃ 天国やが
上を見ては 不平不満のあけくれ
隣を眺めては グチばっかり
なんで 自分を 見つめないのか
静かに 考えてみるがええ
一体 自分てなんやろうか
親のおかげ 先生のおかげ 世間のおかげ
おかげの固まりが 自分やないか
いくら長ごう生きても
幸せのド真ん中に居ても
おかげさまが 見えなけりゃ
一生 不幸

 「おかげさま」
         (かみどころ・じゅうすけ)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


晴れて見る十月桜の背の荷物

2020年10月13日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18.5度から26.0度、湿度は88%から54%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 106/59/79 36.2c-97% 63.2Kg 20.2c-68%-1014hPa 昨夜はほぼ1時間くらいおきにトイレに起きた。でも、尿の量が少ないのか体重が増えるばかり。だから、いつもの寝不足気味。

 

 最近は涼しくなったので、水分はそんなに飲んでいないはず。またもや尿道が詰まり始めているんだろうか。それにしてもおなかの張りは全くない。

 

 奥方が通勤に使っているアトレーの車検がもうすぐ切れる。そこで、今度は同じくダイハツの「タント」に決めた。色はシルバーにした。で、奥方は新しい機能の車には乗れないというので、私のムーブで通勤し、私がタントに乗ることにした。”たんと”走れることだろう。

 

 で、車屋さんに契約書を届けてきた。車の交換はこの月末近くになりそうだという。

 

 で、その足で先週だかに診てもらった皮膚科に行ってきた。蕁麻疹が出るのは、何のアレルギーによるものかの血液検査してもらったのだ。

 

 その結果である。やはり「牛肉」「豚肉」「ミルク」があかんらしい。それに、「犬」と「ネコ」だ。これは大嫌いだ。犬や猫をみただけで鳥肌が立つ。しかしのかかし、バナナやミルクがあかんとは・・。そんなに気にもしていなかったのだが。ここにはないが、やはり「カレイのタマゴ」はあかんらしい。救急搬送されたのがいずれも「カレイの煮物の”たまご”」と「肉うどんの牛肉」と「生ハム」だった。生ハムは「豚肉」だったのか。豚肉だったとは、”とん”と気づかなかった。

 

 それはそれとして、「エンディングノート」、「闘病記」に続く「自由研究」としての「白衣史」だが、その原稿がない。パソコンを入れ替えたり並べ替えたりしたもので、どこのフォルダーに、何という名前で保存したかの記憶がまるでない。この論文のタイトルは、”「なぜ、四国遍路は白い服を着るのか」に関する社会民俗学的一考察”という長い題名であるが、そんな名前では保存できない。何か短い言葉で保存したはずである。

 

 これをスキャナーで読み込み直そうとすると、どうにもスキャナーの調子が悪い。あれこれと機器を入れ換えても調子は戻らない。私の注文を機器は”聞き”いれない。かといって、これを手入力では無理というもの。そういうことで、これまた波瀾万丈の幕開けけとなった。讃岐弁では、「じょんならん」という。

 

 今日のお昼もダイエット食。十数年間だったかに、ワイドショーで「心太(ところてん)を食べれば痩せられる」と、みのもんたが紹介するという話題が出てから、数年間はところてんが店頭から消えてしまったことがあった。そこで、私は徳島の山間の町のスーパーでところてんを買って食べた何年かがあった。法事の席にも「ところてん」持参だった。

 

 我が家のホテイアオイはいつまでも花をつけている。

 

 そろそろとイチョウの紅葉の時期かなぁと大窪寺を目指す途中の、旧五名(ごみょう)小学校跡地に残るイチョウの木。少しばかり黄色くなっている。

 

 途中の阿波と讃岐の県境の「境目(さかいめ)」のイチョウはまだまだ緑のママ。この大窪寺の大銀杏も紅葉はまだまだだ。そこから下った、「旧多和小学校跡地」のイチョウも緑のまんまだった。今年はまだまだ温かいのだろうと思う。

 

 今日もお遍路さんはちらほら・・・。こういう大窪寺も珍しい。それも山仲間の山越え歩き遍路らしい。”やましい”ことのないすがすがしそうなお遍路さんだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「悟ってみれば 仏も下駄も同じ木の片である」という一休さんの言葉らしい。別に悟らなくても、仏像も下駄も同じようなただの木片に過ぎない。大事なことは、「仏像も下駄と一緒か」ではなくて、「下駄も仏像と同じように大切にしていこう」ということらしい。仏像ばかり崇めていて、普段お世話になっている下駄をないがしろにしてはいけないと教えてくれているように思うのだ。物事の本質を見ていくと、ハッとする気付きがあるもの。四つ葉のクローバーを一生懸命探すあまり、近くにある三つ葉のクローバーを踏みにじっていないだろうか。自分が誰かに褒められたとき、褒められなかった人の気持ちを考えた発言や行動をしていただろうか。勝負に勝って喜びを爆発させるのも良いけど、その裏には負けた相手が涙を流していることを忘れてはいないだろうか。遠くの国の貧しい人の支援もしたいけれど、そのまえに身近な家族を幸せにしようと努めているか。物事の本質は、至ってシンプルなこと。「我」をなくしたところに「本質」が隠れている。自分自身で「我」ばかりを見ていると、「本質」は見えてはこない。仏像は人にあがめられるが、下駄は人の足に敷かれる。けれども、元を正せば、どちらもただの木片に過ぎない。物事の本質を捉えれば、つまらない事にこだわらずに生きてゆくことも可能だ。そうすれば、本当に大事なことが見えてくる。少しずつでも、つまらないこだわりは、捨ててゆきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


コスモスに今日の荷物は渡せない

2020年10月12日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。気温は18度から25.8度、湿度は90%から68%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で朝まで曇るが、その後は高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 96/44/80 36.4c-98% 62.8Kg 25.6c-61%-1018hPa 昨夜から尿の出が悪いように思うがおなかが張ったという感じはない。まだ、病院へ行くレベルではないように思う。

 

 夜中に何度もトイレに起きるものだから寝不足気味で、今日は奥方がお休みだというので、7時まで寝ていたし、朝食は7時半からになった。

 

 朝ドラを見ながら、プラモ作りをしながら、テレビを見ながらのながら族。だから、ドラマの内容なんぞは覚えて「ないよう」・・・。

 

 で、朝ドラが終われば作業着に着替えて、水路周りの草刈り作業の続き。右側の50mは先日に刈っておいたもの。今日はその反対の50mの草刈りで、鎌を使っての手刈りである。数年前までは草刈り機で刈ったのだが、最近は、この50cmほどの高さの上を刈るのがしんどくなってきた。草刈り機が重いように感じて動けないのだ。草刈りするのに「真っ青」になったりする。

 

 こういうカヤなどを鎌で刈り進めて行くわけだ。小学生の頃には草刈りをやらされたものだが、中学生以降は草刈りなんぞやったことがない。会社員時代にはガソリンエンジン付きの刈り払い機が登場したので、手刈りなんぞやらなくなった。だから、「手軽に」手刈りもできなくなった。

 

 これだけ刈るのに2時間も掛かってしまった。全く、パワーがなくなったことだ。肉も魚もアレルギーでダメ、お酒やビールもダメとなると、パワーがつくはずもない。

 

 で、それが終わると今度は北側の市道部分の草刈りになる。こういう場合、どこからどこまでが水路で、どこからが市道なのかの「指導」がないので分からない。ま、要するにきれいになればいいだけのことだ。

 

 こちらは30分ばかりで草刈りは終わった。奥方はお兄ちゃんが施設に入っているのだが、なんだかんだと問題があるようで、その説明を聞きに出掛けて行った。その留守に自動車屋さんが来たが、奥方がいないので出直してくるとのことだった。

 

 出掛けた奥方が戻ってこないので、先におうどんを食べておいた。私が遅くなるとなんだかんだと叱られるのだが、自分が遅れるのは問題ないみたい。この家は奥方中心に動いているみたい。表札では私が主人公のはずだけれども。

 

 食後の休憩をしながら、またしてもプラモ作り。もう、組立も大詰めにきている状態。奥方が戻ってきて食事が済むとお昼寝タイム。よく寝る人だ。

 

 奥方が乗っている「アトレー」はブレーキ周りが傷んでいるので、車検をやめて乗り換えることにしたらしい。その契約をするのだが、今度は自動車屋さんが来ない・・・。

 

 私はその合間に郵便局で書籍を送ったり、観光ガイド仲間に資料を郵送したりのお仕事を済ませ、車検用の代車に燃料を満タンにして自動車屋さんを待っているが、これまた、待つとなると時間が遠い。急ぐときには時間が足りないのに、なんという不公平な時間だことか。

 

 その合間に、「増産型ザク」が組み上がった。奥方も昼寝が終わって畑仕事をやっている。なんだか、「いんぐりもんぐり」な時間。この言葉にはさまざまな解釈があるが、ここいらでは、「ちぐはぐな」という意味。奥方がいるときには自動車屋さんがいないくて、奥方のいない時間には自動車屋さんが来る・・というようなちぐはぐ感。あらら、今日は私の散髪の日なのに。

 

 今日の掲示板はこれ。「時代遅れという非難もあるが 時代がいつも正しいとは限らない」。出典はわからないが、「昔にはこうしていた。」「昔にはおばあちゃんがこう言うていた・・」そのことを守り続けようとすると、そんな時代遅れと言われかねない。「新聞に載っていた、雑誌に載っていた、テレビで言うてた・・。」そういうことが必ずしも正しいとも限らないのである。和服姿のお坊さんが意味不明のお経を延々と読み続ける姿は、一面、時代遅れの時代錯誤だと思われるかも知れない。しかしのかかし、ジーンズ姿でギターを抱えてお葬式の導師をやっていたら、ちっとも尊厳も威厳も荘重さもないことだろう・・・。時代がいつも正しいとは限らないし、時代にあった姿が正しいとも限らないのである。今日のお仕事とは全く関係ないのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


伸び出したススキの穂だって人生だ

2020年10月11日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は20.0度から26.1度、湿度は84%から64%、風は2mから1mの北西の風が少しばかり。明日の12日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 93/54/78 36.2c-94% 61.6Kg 24.6c-62%-1013hPa 体調に変化はない。

 

 さて、奥方が乗って通勤しているアトレーだが、バッテリーがあがって動かなくなり、ついでに車検をお願いしたのだけれど、ブレーキ周りの損傷が激しくて17万ほど修理に掛かるという。奥方に相談したら乗り換えるということで、これまた難しくなってきた。新しい車はイヤだというので、私のムーブに乗っていくという。だとしたら、身障者用の書届やドライブレコーダーの交換やらと面倒なことになる。

 

 それに野菜畑に何者かが侵入して苗物を踏み荒らしていると騒いでいる。この荒し方だと「ウリボウ」の可能性がある。侵入口を塞げという。

 

 それに、法名碑の追加彫りが終わったので、代金を大至急、施設の方へ届けて欲しいという。奥方はお仕事かも知れないけれど、世の中は日曜日なのである。

 

 郵便局は午前九時にならないと開かないのか閉じられたまま。こんな日に、そういう相談を受け付けないでほしいものだし、私がいるのだから自宅へ集金に来てもらえばいいものを・・・。

 

 銀行が8時45分に開くのを待ちかねてお金を引き出して、奥方の施設まで超特急。

 

 奥方の職場まで20Kmの20分。日曜日なので道路は空いていたからどんどんと走って届けてきた。とにかく言い出したら後へは引かない奥方である。さらに、「利用者さんが”鬼滅の刃”に感動したので、私にも買って欲しい」と言う。amazonさんで調べたら全巻揃うと1万円以上にもなるらしい。さすがに、そんなバカな話は聞き流した。

 

 で、昨日買ったプラモデルに塗装をしていたら、市内の養護施設に入れてある義兄が何やら問題を起こしたという電話が・・・。もう、いい加減にしておくれでないかい・・・。

 

 心を「無」にして、プラモデルに塗装を続けることにした。若い頃に、「素材に色が付いているのに、なんでわざわざ、色を塗るの?」と聞かれたことがある。「レディーはすっぴんでは歩けないでしょ」と言った記憶がある。じゃぁ、ガンダムはレディーなのかと言われたら返事のしようがないのは事実。

 

 今日も静かにダイエット食のお昼。もう、しっぽくうどんの時期になったような。

 

 今日もあたふたとするばかりで一日が暮れる。

 

 今日はここまでしか組み上げられなかった。

 

 今日の掲示板。「今を生きて咲き、今を生きて散る花たち 今を忘れて生き、今を忘れて過ごす人間たち。ああ、花に恥ずかしい」は「坂村真民」さんの詩集から。

今を生きて咲き 
今を生きて散る花たち 
今を忘れて生き 
今を忘れて過ごす人間たち 
ああ花に恥ずかしい 
心いたむ日々

 私たちの日常は、様々な駆け引きの中にある。誰かがこう言うだろうなぁとか、明日は相手がどう出てくるだろうかとか、他人に自分はどう見られているのだろうかとか、そういう思惑の中で、毎日を過ごしている。しかしのかかし、その反面、自分の生のことについては、全くといっていいほど意識はしてはいない。そんな私たちだからこそ、自分の生に意味を見出して、その生を思いっきり全うしていこうと決意することだ。そうでもしなければ、花のようには生きられないだろう。無心には生きられないだろう。ただただ生きてみよう。自分として生きていこう。そうすれば、私たちも花のようになれるはずだ。花に教えられてばかりの私たちだ・・・。 

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


草も伸び我が家の庭は虫の宿

2020年10月10日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨が降ったりやんだりを繰り返していた。気温は20度から24.2度、湿度は90%から72%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇るが、夕方からは高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 113/54/78 36.3c-96% 62.8Kg 25.3c-64%-1016hPa 体調に変化はない。すっきりとした秋晴れの空が恋しいと思う今日この頃。

 

 今朝も4時半に起きたものの、また寝てしまって起きたのが5時半。奥方が出勤する少し前。慌てて食事をして奥方を見送った。今日も私の愛車に乗って出かけてしまった。

 

 このプラモデル。箱の図体はでかいのに、組み上げてみたら本体自体は小さなもの。だから組み立てにもピンセットを使ったりする。それも拡大鏡を装着しての組み立てである。

 

 だから、道具だってそれなりのものを用意しないといけない。プラモデルが子供のおもちゃの時代は終わったみたい。それだし、最近の子供はスマホやテレビゲームに夢中で、こんな辛気臭い遊びはやらないように思う。

 

 で、例のスーパーガンダムは組みあがった。これらをフル装備するのは面倒だからと、このままにしておくことにした。

 

 で、いつもの棚に並べてみた。

 

 これまでの「ガンプラ:ガンダムシリーズのプラモデル」が並んでいる。と言っても最近のものばかり。古いものは台風で流されてしまったり、こどもにあげてしまった。この右端のピンクの機体が「シャー専用ザク:シャーザク」である。

 

 それだし、最近は身体の調子が思わしくなくてプラモデルどころではなかったこともあったし。

 

 台風だ、台風だと言うた割に雨も風もたいしたことなくて、満開の金木犀の花びらも散らなかったみたい。

 

 今日も静かにダイエット食を食べていた。

 

 で、お昼からはまたしてもプラモデルを買いに行ってきた。すると、私みたいなおじいさんがガンプラを幾つも買っているではないか。ああ、そういうおじいさんも外出自粛でプラモデル作りなのかと妙に納得した。

 

 で、今回の”ZAKUⅡ”(ザク2)は量産型らしい。ま、そうは言うても、ガンダムシリーズについては詳しくもないしオタクでもない。一種の暇つぶしである。身体の不調が相次いで、我が家の土地明細や土地台帳をまとめ、「遺産相続用の資料やエンディングノートも書き終えた。その一部始終を書き留めた「闘病記」もまとめて済んだ。さて、次は何をしようかなぁと思案中。その合間の暇つぶし。

 

 ま、こういう未来のロボットみたいなものであるらしい。そのリーダーの乗る「シャー専用ザク:シャーザク」は作って済んだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「何もできない自分がダメなのではない 何もできないと思ってしまう自分がダメなのである」というもの。京都府福知山市にある丹波あじさい寺・観音寺の住職「小籔実英」さんの言葉がとても温かく心安らぐ。人生で少し疲れた時、悩みや迷いがある時、悲しい時、辛い時、そんな時にぜひ思い出してほしい言葉である。五月初めの藤、梅雨の時期にはあじさい、晩秋には紅葉、立春の頃には蝋梅…と、一年を通じて花や古木、紅葉が境内を美しく彩るという。花が満開になる時期には特にご参拝の方が多く、はるか遠方からもお参りがあるという。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


音も無く金木犀を濡らす雨

2020年10月09日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、台風第14号からの湿った空気の影響で雨が降っている。気温は18.5度から19.8度、湿度は96%から82%、風は4mから7mの東北東の風が一時は強かった。現在、強風・波浪の注意報が発令されている。明日の10日のさぬき市地方は、台風第14号の影響で未明まで雨が降る見込み。

 

 114/62/80 35.9c-98% 62.8Kg 20.9c-63%-1020hPa 運動不足なのか体重が微増しているが、おなかの張りや呼吸苦はない。食べ過ぎたということもなく、水分を摂り過ぎたという感触もない。

 

 今日も朝から終日の雨である。風は今のところ感じない。颱風という印象はなくて、今年の梅雨は永いなぁ・・というような気分。

 

 颱風は四国沖を静かに通過中だというのだが、そういう気配もない。

 

 さて、朝の6時前から奥方が大声で叫んでいるが、またしても、車のバッテリーがあがって動かないからと「車屋さんに連絡して、車検も一緒にお願いね」と言い残して私の車で出掛けて行った。いつもこうなんだ・・・。 

 

 雨は降るし、車はなくなったし、まだ、車屋さんはお仕事をしていないし・・・と、本箱あたりをゴソゴソやっていると、こんなものが見つかった。「スーパー・ガンダム」というプラモデルだが、部品が小さくて面倒だからと、途中で飽きて投げ込んであったものらしい。

 

 朝からこんなものを見たならば卒倒しそうなプラモデルの原型・・・。でも、することもないし、自動車屋さんが開くまではと挑戦してみた。

 

 プラモデルの部品には、一応、基礎塗装はしてある。それを切り離して組み立てていくのだが、部材が小さいのと細かいので簡単には組み立てられない。最近は接着時は使わずに、部品同士を組み合わせて接合していくようになっている。

 

 で、午前6時から始めて9時過ぎまでには、こうした「ディフェンダー」という部材まで組み上がった。これが、あのガンダムに変身するらしい。

 

 これが完成予想図らしい。なんとも重装備のガンダムではないか。目的地がはるかに遠いように感じたことだった。

 

 9時になったので、自動車屋さんに連絡して、車検も一緒にお願いしたが、なかなかに忙しいようで、その後の連絡はない。その間に、市役所の危機管理課の担当者が防災無線設備の工事の打ち合わせに来たり、県道工事の着手届の挨拶に来たりと、台風接近中でも自分たちのお仕事をやっているらしい。

 

 昨日の郵便物である。この迷犬ゴンは昨年の8月19日に老衰のために亡くなっているのだが、私自身の体調が悪かったためにそのままになっていた。そこで、遅まきながら市役所の方に「死亡届」を出しておいた。

 

 10時過ぎからはまた、今度はガンダム本体の組立になった。まるで、立体パズルみたいなものだ。小さな部品をどの方向にどう組み立てていけばいいのかがはっきりとは書いていない。ただ、矢印で「あっち」と書いてあるだけ。

  

 昼食もそこそこに、組立作業は続く。部品を切り出しては、バリという余分な部分を切り取ったり削ったりしながら、組み立てては、さらにヤスリがけをしながら整形をしてく。気の遠くなるような作業の連続。

 

 この頭の部分の組立だけでも30分も掛かってしまった。部品が小さいから、どの方向から、どういう向きで組み立てるのかを試行錯誤しながらの組立になる。確かに指先と脳トレにはなるのかなぁと思ったことだった。

 

 で、午後14時過ぎにが胴体部分がほぼ組み上がった。まだ仮接合である。で、肝心の頭部がどうしても接続できない。部品のどれかを忘れているらしい。そんなこんなで、今日はここまで。

 

 相変わらず、雨は降り続いている。自動車屋さんはまだ来ないし、市役所の担当者も、その後の報告がない。

 

 きょうの掲示板はこれ。「いつの間にか生だけがいのちと思っていた 生老病死 まるごと全てがわたしののいのちであるのに」というもの。どこのどなたの言葉かは分からなかった。確かに、命というと、生か死か・・みたいなことや、生きている間だけが「いのち」であると考えていたが、このわたしのまるごと全てが、わたしの命であることに気づかされて、その重さや尊さにうなだれたことがある。花だって動物だって同じことで、「生まれた、咲いた、枯れた、死んだ」だけではないいのちがある。悩みや苦しみや、病気やケガや、怖れもあるし、涙もあった。そんなあらゆること全てが、みんな私のいのちなんだ。あなたのいのちなのだと気づかされたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。

 

 


金木犀見果てぬ夢のその中に

2020年10月08日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っている。気温は16.5度から18.7度、湿度は92%から70%、風は3mから5mの東北東の風が少しばかり。明日の9日のさぬき市地方は、前線や台風第14号の影響で朝から雨が降り、夜は激しく降る所がある見込みらしい。

 

 108/58/78 36.1c-96% 62.4Kg 20.1c-61%-1022hPa 昨日はなぜか身体が重く、尿も便も少ないなぁと思っていたら、夕方には63.8Kgまでになり、今朝方は64.8Kg にもなった。でも、今日は尿も便もしっかりと出て62.4Kg まで落ち着いた。デリケートな身体になったことだ。

 

 で、今日は終日の雨。奥方は、この雨でも畑仕事をやっていたが、お昼からは寝てしまった。寝込んだ訳ではなくて、恒例の昼寝である。

 

 今朝もパンがないのか、あんまんと肉まんと熟し柿である。いや、豚まんと肉まんの違いも分からないのだが。(参考:肉まん :近畿以外での「豚肉を具材とした中華まん」の呼称. 豚まん :近畿地方での「豚肉を具材とした中華まん」の呼称. 「肉まん」と「豚まん」は、「豚肉を具材とした中華まん」という点においては同じ。 そのため、同じ食べ物の別の呼び方、と言ってしまっても間違いではない。. しかし、お店ごとにこだわりを持って「肉まん」や「豚まん」をつくっている場合もあるらしい。)

 

 いよいよ、朝夕は涼しくなったので(寒いとはまだ言わない)、ガスストーブを物置から出してきた。でもまだ、ストーブを使うほどでもない。

 

 まだ、旅行社から正式の文書は来ないが、「たぶん、こうだろう劇場」みたいなことで、プランを眺めていた。青ラインが第一日目。高松を7時に出発して岡山駅で新幹線に乗り換え、新大阪で添乗員と合流して一路北海道を目指す。新函館北斗から電車で函館駅へ。そこから湯の川温泉へ。

 

 で、特上のスイートルームの温泉付きで一泊。目の前が函館湾らしい。

 

 二泊目は打って変わって山の中のでっかいホテル。函館からユーターンして東北新幹線はやぶさ号で大宮駅まで。そこからは北陸新幹線あさま号で軽井沢駅へ。ホテル軽井沢1130という、このホテルに一泊。ここもゴージャスなところ。

 

 三日目は移動距離は短いが、軽井沢から富山駅に出て、そこからワイドビューひだ号で下呂駅へ。その日は下呂温泉水明館。

 

 とにかく、温泉は広く、お部屋もでっかいスイートルームばかり。私は心臓手術で、胸に大きな20センチばかりの手術痕があるので公衆浴場や温泉には入れないのだが、お部屋にも大きな内風呂というか展望風呂があるので安心して入ることができる。

 

 四日目は、ワイドビューひだで下呂温泉から名古屋駅に出て、そこから東海道新幹線ひかりで新大阪まで。新大阪からは九州新幹線さくらで鹿児島中央駅まで一気に走る。そこから電車で指宿温泉へ。

 

 これが指宿いわさきホテル。大きなプールもあるし、ご存じ砂蒸し風呂もあるらしい。ま、やらんけど。けど、四泊とも会議室みたいな広いスイートルームに、豪華ダブルベッドを一人で使ってのツインルーム。お金持ちでもないと泊まれないようなお部屋だが、こういう時期だから空いているんやろうね。

 

 私は足が悪いから車椅子を借りてはあるけど、外に出て散歩とかという時間はあまりないみたいで、ホテルにつくと温泉に入って、夕食を食べて寝る・・というだけになりそう。

 

 そういうプランを前にして、今日も富山の氷見うどん細麺をいただいていた。乗っているのはネギととろろ。あんまり彩りはよくないけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「よかよか あんたはあんた そのままでよかばい くよくよしよるあんたも好いとるばい」というもの。「スミレとぉちゃんのメッセージはがき ばぁばシリーズ」からの言葉である。あるがまま、持ったまま、煩悩のままにすくわれる。それでいいのだと、このおばあさんは言うとるわけだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


コスモスや札所を目指す杖がある

2020年10月07日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で次第に曇り、夜遅くには雨が降る見込み。今日の気温は17度から22.9度、湿度は78%から53%、風は1mから5mの北東の風が少しばかり。明日の
8日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降る見込み。

 

 118/63/77 36.4c-98% 62.4Kg 20.4c-59%-1018hPa 今日はなんだか身体が重いが、別に食べ過ぎでも水分の飲み過ぎでもない。

 

 今朝は食パンがなくなったとかでおにぎりになった。別にご飯でもパンでも問題はない。

 

 我が家のキンモクセイが満開状態になってきた。香りがわかればいいのだろうが、わたしには少しも匂わない。それは子どもの頃かららしい。

 

 少し体重が増加気味なもので、少しは運動でもと、今日はこの水路周りの草刈りをすることにした。こうしてみると、我が家の草のように見えるのだが、この水路周りは「水利組合」のもの。我が家の土地ではない。ブロック塀は我が家のものだが、その外側は「泥揚場(どろあげば)」というもので、よそさまの土地である。

 

 ここの草刈りや掃除は年に二回か三回程度。そうそうは草刈りなどやってはくれない。だから、自然と私が刈ってしまうほかないのだ。で、草刈りをしたからと言って一升瓶が届くわけでも、金一封が届くわけでもない。だから、いい加減にやっておけばいいものらしい。

 

 水利組合だって、水路周りに草が生えていようといまいと水量には関係ないらしく、さほど気にもしていない様子。でも、我が家からすれば草まみれではみっともない感じがする。このあたりの言葉では「ふ が悪い」という。みっともない。世間様から見て恥ずかしいというような意味である。”風体が悪い”というような意味合いだったのかも。

 

 それだし、「ぞろげな」と言われかねない。不潔な様子、整理整頓が出来ていない様子などを言う場合に使う。だから、適当な時期に草刈りもやっておかないといけない。

 

 北側の15mくらいの水路周りが終わると、今度は南側の50mくらいの水路周りに掛かった。ところがこちらがわは、ごらんのように草丈が長いし太い。まるで木になったようなものまであった。

 

 数年前までは草刈り機で刈ったものだが、今はもう、そのパワーがない。平地ならばなんとか草刈りもできるのだが、こうした斜面になると重たくてどうにもならなくなった。だから、こうした長短の鎌を使っての「手刈り」になってしまう。

 

 で、これが旧道にかかっていた橋である。いつもはここまでを刈り払っている。これから先はよそさまの土地になるので入れない。ここでユータンして、今日はここまで。

 

 ふと、帽子になにかがしがみついて動いているので、帽子を取ると、大きなムカデが・・・。長さ15Cm くらいはあろうかというもの。さすがに帽子を水路に投げ込んで、鎌や足で踏み潰してみた。尻尾は残っていたが、頭や胴体が見当たらない。いくら探しても見つからないのであきらめた。

 

 お昼からは、共同募金で集めたお金を「社協:社会福祉協議会」へ納めてきた。いつまでも他人さまのお金を預かっているのは気分が重い。

 

 今日の掲示板はこれ。「心は見えないが、心くばりは見える。思いは見えないが、思いやりは見える」。というもの。

「心」は誰にも見えない。
 けれど「心遣い」は見える。
「思い」は誰にも見えない。
 けれど「思いやり」は見える。
 あたたかい心も、
 やさしい思いも、
 行いによってはじめてみえる。
           ~宮澤章二(詩人・作詞家)~

 この詩は、震災後のAC広告「思いは見えないけれど、思いやりは見える」のフレーズでご存知の方も多いと思う。詩の作者である宮澤章二(1919~2005)は、埼玉県羽生市出身の詩人・作詞家である。彼は、同じ埼玉県の(現)加須市出身の下総皖一(1898~1962)と出会ったことで、詩人・作詞家として活動を開始した。彼の詩は、子どもの頃の学習教材の表紙に、しばしば掲載されており、当時からとても身近に感じていた。今、改めて読み直してみると、新たな新鮮さがある。最近はもう、こういう言葉を聞かなくなって久しいが、今もなお、語り継いでいかねばならないことばだと私はおもう。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


コスモスの香を運ぶ風乱す風

2020年10月06日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14.5度から24.1度、湿度は76%から54%、風は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の7日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れているが、前線や湿った空気の影響で夕方から次第に曇り、夜遅くは雨が降る見込み。

 

 98/48/79 36.3c-98% 61.8Kg 22.4c-52%-1015hPa やっと秋晴れらしくなってきた。しかし、これもつかの間、すぐに雨や曇になってしまいそう。

 

 昨夜は定時の20:58分に寝て、今朝は4:45分に起きられた。で、奥方が早出だというので、6時前の朝食になった。最近はおなかが空くのだから身体は好調な様子。

  

 今日は月初めの火曜日と言うことで、さぬき市前山の「地区活性化センター」への出勤日。ここで、観光ガイド大窪寺班の例会がある。

 

 ここには「へんろ資料室」というのがあるのだが、今は「リニューアル中」である。私たちの仲間も応援部隊として活動中だが、私たちの大窪寺班は参加していない。そこまでもは手が回らないというのが実情なのだ。

 

 最近は、志度寺班や長尾寺班が、どんな活動をしているのか見えてこないのでよく分からないが、我が大窪寺班は毎月の勉強会を続けている。今日は、主に英語版のガイドマニュアルの話題と、八十八カ所道開き和讃についてであった。

 

 メンバーの中に、英語塾の先生がいるので、このマニュアルの案文を見てもらったら、概ねよろしかろう・・ということになった。本堂にある木の看板を私が「wooden tag」としたのだが、「ウッドン・タグ」とはあんまりにも安直ではないかという意見も出たが、先生が、「じゃぁ、”ki-huda" を付け加えたらどうですか?」などという声も出て、大笑いになったことだった。

 

 じゃぁ、ポケット翻訳機の導入はどうか?と言う提案があったが、誰も買ってやる・・と言う人は一人も居ないし、スマホすら持っていない人ばっかりだから要領がわからない。次回までの検討課題になった。本体価格は一万円でも、通信費がどれくらい必要なのかという点が問題になった。

 

 この、「八十八カ所道開和讃」についても、一通りは説明したが、文字や言葉が難しいので、あんまり興味はないみたい。

 

 で、この中に、「そも巡拝の御姿は 麻の衣に網代笠 背なに荷俵三衣の袋 足半草履をめし給い・・・」という部分があるが、この「足半(あしなか)草履」についての説明をしておいた。

 「かかと部のない,足の半ばぐらいの短い草履。芯縄(しんなわ)を前緒とするため,わらじと同様、足指が地面に付くので踏んばりが利き、田畑や河川での労働や歩行に用いた。鎌倉時代に草履とわらじからつくり出された。《蒙古襲来絵詞》には,足半を履く武士の姿が描かれており,新しい戦法で押しよせた蒙古軍との戦いに,すべりやすい合戦場で威力を発揮したものと思われる。当時は半物草(はんものぐさ)といった。室町時代の《今川大双紙》(応永年間刊)には〈足なが〉の文字が初見されるが,当時はもっぱら武士が軍陣や戦場で履いた。出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について
 
 江戸時代の遍路も、この足半草履を履いていた・・という話である。当時は便所も汚く手洗いもないので、わらじだと汚れると困るので、このあしなか草履を履いていたという。
 
 
 で、次回(11月10日)の勉強会は、紅葉の大窪寺を歩きながら、英語でのガイド実習を行うことになった。もう、その頃になると境内の大銀杏の木も葉っぱを散らしてしまっているだろうし、本坊前の紅葉も真っ盛りとなっている頃らしい。
 
 やっぱり、「現地に行こう」「現物にさわろう」というのが一番の勉強になると思う。で、お昼は門前のお店でおうどんを食べての反省会にもしたい。
 
 今日の掲示板はこれ。「自分は自分の主人公。世界でただひとりの自分を創っていく責任者」という東井義雄先生の言葉から。これは、“教育界の国宝”と称えられた伝説の教師・東井義雄先生の遺した言葉。東井先生は、子どもたちに素晴らしい人生を送ってほしい、自分で自分の人生を粗末にするようなバカな生き方をしてほしくない、という祈りのような願いを持ち続けていた。結局、道にいい道、悪い道というのがあるのではない。その道をどんなふうに生きるかという、その生きざまによって、良く見える道も悪くなったり、悪く見える道も良くなったりするのである。五千通りの可能性の中から、どんな自分を取り出していくか、それぞれみんなの一人ひとりがその責任者なのである。世界でただ一人の私を、どんな私に仕上げていくか。その責任者が私であり、それぞれみんなの一人ひとりなのである。
 
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

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