まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

野の南天 今日の一歩は 暖かい

2018年02月07日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、太平洋側を中心に概ね晴れていた。気温は-0.8度から4.5度、湿度は70%から62%、風は5mから7mの西の風が少しばかり。明日の8日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 三日連続の雪の朝になった。奥方は「日勤」だと言いながら早めに我が家を出て行った。

 

 今日は「住宅(すみたく)顕信」の命日で、31回忌になる。「層雲」に権威主義的な疑念を感じ、「層雲」の元編集者である藤本一幸が主宰する自由律俳句誌「海市」に参加した。翌1986年、「海市」編集同人となる。病状が悪化し、この年の12月からは代筆によらなければ投書できなくなる。1987年2月7日23時23分、還浄。享年25。俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。法名は泉祥院釈顕信法師。

 

 父親の勤務先である岡山市役所に臨時職員で採用され、清掃の仕事に従事。仏教に傾倒し、1982年9月より、中央仏教学院の通信教育を受講。翌1983年4月、教育課程修了。7月、西本願寺にて得度。浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を「釋顕信」と名乗る。10月、同棲相手と結婚。両親の援助により自宅の一部を改造して仏間をつくり、浄土教の根本経典「無量寿経」にちなみ、「無量寿庵」と名付けていた。

 

 1984年2月、急性骨髄性白血症を発病し岡山市民病院に入院。6月、長男誕生。不治の病の夫に対して妻の実家の希望により離婚。長男は顕信が引き取り、病室にて育てる。10月、自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事。この頃より自由律俳句に傾倒し、句作に励むようになる。特に尾崎放裁に心酔していた。1988年、句友であった岡山大学教授・池畑秀一らの尽力により、句集『未完成』(弥生書房)を刊行した。

  

 この句は彼の死後、1993年に岡山市内を流れる旭川のほとりに建てられた「句碑」に彫られたものである。この句碑が建てられたとき、遺児である住宅春樹は僅か8歳──小学校二年生が健気にも挨拶したという。このように挨拶した息子の住宅春樹だが、今は「川崎医療福祉大学」を出て、「ニチイ学館」に所属するようである。

 

 昼からは、雪が溶けただろうと、いつもの大窪寺に行ってみた。

 

 先日にも書いたけれど、大窪寺の大師堂前にある手水場(ちょうずば)である。本来はこういう姿なのであるが、

 

 それが、こういう風に凍っていき、

 

 先日には、こういう姿になっていた。

 

 今日は完全に凍り付いて、もう、水は流れていなかった。

 

 帰りにふきのとうを見つけたが、これ一個だけだったので、そのままにして戻って来た。一個だけではどうしようもない。

 

 今日の掲示板はこれ。「欲しいものはたくさんあるけれど 必要なものはそう多くない」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。若い頃には「あれも欲しい」「これも欲しい」と思っていたが、年のせいかどうかは知らないが、あんまり欲しいものもなくなってきた。欲しいものと言えば、 新しいパソコンとかタブレット端末だとか、レーザープリンターとか・・・。でも量販店でながめていても、「必要かなぁ」と考えるとどうでもよくなってしま う。衣類でも図書でも似たようなもので・・・「欲しいものはたくさんあるけれど、必要なものはそう多くない」。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


日脚伸び 今日の散歩は 遠くなり

2018年02月05日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため概ね曇り、雪の降っている所があった。気温は0.4度から3.0度、湿度は75%から60%、風は6mから8mの西の風が強くて冷たかった。明日の6日は、引き続き冬型の気圧配置となるため概ね曇り、雪の降る所がある見込みらしい。

 

 さぬき市には雪などとっくにないのだが、高松市南部あたりに行くと道ばたに雪が残るようになった。香川県西部には雪が降ったようなニュースを聞いていたが。

 

 丸亀市南部の綾歌町に入ると、こんな雪景色になった。もっと西に進むと、もっと雪の量は多くなるのかしらん。ここまで来るのに2回のトイレ休憩が必要なのだが、途中の道の駅ではトイレの改修工事中。ここまで、ノンストップで来たから大変だった。

 

 今日の目的はここ。梵音山眞興院福成寺(ふくじょうじ)さんである。開基は、聖武天皇の頃、行基の開山と伝えられる。嘉承元年(848)真言宗に、応永28年(1421)、中興の祖、了圓により、真宗に改宗した。後小松天皇の応永元年(1394)、長尾大隅守の執権職であった幡多惣左衛門正家が68歳の時、出家し了圓と号し、この地に福成寺を再建した。了圓の後、長尾元高の第9子、高乗をその嗣とし、乗高と号し、当山第二世となった。以後、法灯連綿今日迄及ぶ・・・とある。諸堂宇も整い大いに盛んであったが、天正の兵火で焼失。以後再建され、天正14年には、羽柴秀吉から京都大仏殿供養に命ぜられている。

 

 ここは、「寒桜」が有名で、二月中旬になれば大勢のカメラマンや写生をする人たちが押し寄せる。もう、そろそろかなぁとやってきたのだけれど。

 

 ところが、今年は寒いのか、まだまだ、多くが蕾状態。来週でもまだまだかも知れない。

 

 去年の今頃は、すっかりと花が咲いていたのに・・と、引き返す。帰りもトイレ探しをしながらの帰途になった。

 

 今度は、東かがわ市の湊川沿いに植えられている川津桜を見に行った。昨年はこのような状態だったのだが、こちらは皆目の蕾状態・・・。来週でも無理かも知れない。

 

 家に戻ると、先日の勝覚寺へのお客さん、岡本智水さんの著書、「親鸞聖人の教えをいただいて」が届いていた。これも来週からの入院の時、じっくりと読ませていただこうと思う。おおきにです>智水さん。

 

 当面は、この論文を完成させておかねばと思う毎日である。今年が、英国士官レキ没後150周年。この夏には慰霊祭が行われる。そのときの配布用と保存版を用意しておかねばならないので大慌てである。

 

 まだ、15日の入院か、22日の入院かの連絡がない。今週8日が県立病院での予約診察日だ。この日に担当ドクターから連絡があるのかも。なんとなく落ち着かない毎日ではある。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の数だけ鬼はいます。いえ、それだけ仏さまもおられるのです」という塩見行雄さんのことばから。「渡る世間は鬼ばかり」は実感するけれど、そんなにたくさんの仏さまがいるとは思えないけれど、家族にとってみれば、やさしい仏様なのかなぁとは思ってもみたり。塩見さんは京都府福知山市出身。昭和48年福知山市役所に入庁。長く福知山市史に携わり、城の管理や美術館の管理、教育委員会で公民館長・図書館長を歴任し平成20年退職。前館長の退職に伴い平成21年4月から鬼の交流博物館館長に着任。

日本の鬼の交流博物館HPはこちら

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


年の瀬や 庭掃くほうきの 音がする

2017年12月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため、概ね曇っていた。気温は3.0度から8.6度、湿度は72%から59%、風は2mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の29日は、高気圧に覆われるため、概ね晴れる見込み。

 

 我が家の餅つきは、例年、12月30日ということになっていた。だが、奥方のけいこばぁの勤務の都合で、今年は28日に繰り上がってしまった。ま、別にそれで困ると言うことはないのだが。

 

 で、弟のたっくんが8時半過ぎにやってきてくれて、9時過ぎから餅つきが始まった。今年は私ら夫婦と弟の三人だけの餅つきになった。

 

 餅つきたって、臼や杵でぺったんぺったんと撞く訳ではなくて、機械でこね回して撞く機械式である。

 

 それでも、こういう具合にお餅になってくる。

 

 なにせ、おじさん二人が丸める訳だから、大きさもバラバラ、しわしわだらけになってしまう。

 

 三臼ばかりつきあげると10時半近くになった。弟はつきあがったお餅を持って帰って行った。

 

 私は早速にお餅をお内佛さまにお供えしておいた。

 

 その後、できあがったお餅を持って孫のなぎちゃんに届けるために屋島に向かった。その時、「わたし、あそこに行きたいの・・・」というので、屋島に復元された「屋嶋城(やしまのき)」に、孫のはやて君を連れて向かった。

 

 白村江(はくすきのえ)の戦いの後、中大兄皇子は、唐・新羅の連合軍の侵攻に備え、国を守るために、北部九州から瀬戸内海にかけて城を築かせた。その一つが「屋嶋城(やしまのき)」だった。日本書紀にも「讃吉國山田郡に屋嶋城、対馬國に金田城を築く」という記述がある。

 

  しかし、連合軍の侵攻はなく、城は見捨てられ忘れられ元の山野に戻ってしまった。「確かに屋嶋城はある筈・・」と、一人の郷土史家・平岡岩夫が屋島中を歩き回って、ついに、この石積みを見つけ出した。平成10年のことだった。

 

 かつて「幻の城」とされていた屋嶋城が復元されたのは平成28年だった。しかし、これは広大な屋嶋城のほんの一部に過ぎない。屋嶋城は「幻の城」から「謎の城」と呼ばれるようになった。

 

 屋島を歩き疲れた奥方が、「おいしいカフェに連れて行ってよ・・」というので、かつて、講演会をしたときにつれて行ってもらったお店に案内した。ここはお年寄りたちが集まるお店らしい。

 

 奥方が、「よくこんなお店を知ってるわね・・」と驚くほどの隠れ家的なお店で、常連さんが通うお店らしい。

 

 奥方はホットサンドとかなんとかとコーヒーを頼み、はやて君はホットケーキに紅茶を頼んだ。私はトイレに走るばかりでのどがカラカラなので、寒いのに、アイスコーヒーを頼んだ。

 

  今日の掲示板はこれ。「手を合わせ 今日もいのちをいただく」というもの。町内の下津先生のお寺にあったもの。私達は生きていくために、日常的に生き物の命を奪って食べている。切り分けられ、綺麗にならんだスーパーの鮮魚・精肉コーナーには、そこに命が宿っていたことを 忘れてしまいそうな程に、「命をいただく」というイメージから遠くなっている。そしてその結果、食べ物が粗末に扱われ、日本での1年間の食べ残し食品は、 発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといわれているそうだ。ご飯を食べる時、手を合わせて、『いただきます』と言いうけれど、これ は生き物達への『命をいただきます』ということ。感謝のこころを失いたくないものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


あでやかに 耕作放棄の 曼珠沙華

2017年09月25日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は18.8度から27.0度、湿度は94%から57%、風は0mから2mの北東の風が少しばかり。明日の26日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 当面の大きなお仕事は片付いたみたい。夏休みの自由研究の、「大窪寺観光ガイドブック」と、「寒川家俵札調査報告書」も片付いたし。その疲れが出た物か、妙に眠たくて仕方ないし、下の奥歯がひどく痛み出した。

 

 我が家のキンモクセイの色がはっきりとしてきた。香りの方は一向に感じない。

 

 生物の保全上、ひどく危険な臭い以外は感じなくても生きていく上で必要でなくなったのかも知れない。それだとしたら、青木まり子現象は危険な臭いを感じるのかも知れない。

 

 じっとしていると、痛みが増してくるばかりなので、少しばかりドライブをしてきた。最明寺と書いて「さいみょうじ」と読むらしい。真言宗のお寺らしい。香川県高松市塩江町安原下というところにある。

 

 大宝元年、僧行基が楽師如来を彫り安置したと言われる。シーズンになると境内一面に咲き誇る萩の花にちなみ萩寺とも呼ばれ、毎年9月には萩まつりが開催された。

 

  41世の明圓和尚が、一株のミヤギノハギの優美な姿に魅了されたことに始まり、今では約20品種1500株の萩が境内に咲き誇り、萩寺として知られる。

 

 萩といえば赤紫色の花で知られるが、この境内では白色の花が混ざり合い、コントラストを作り出していた。

 

 東かがわ市五名地区で見た曼珠沙華。昔は、田圃の畦が崩れるのを防ぐために植えたもの。根っこに毒があるためにもぐらが近寄らないのだとか。

 

 だから、田圃の畦には数百本の曼珠沙華。

 

 我が家のそばでも曼珠沙華。これを見ると秋だなぁとは思うのだが、日中はなかなかに暑かった。

 

 これは、東かがわ市入野山という地区にある「三宝寺(さんぼうじ)」さんの「菩提樹」である。

 

 ここの菩提樹が香川県下では最大の物とされているそうな。

 

 ここの山門脇にあるイチョウもきれいだが、まだまだ紅葉にはほど遠い感じだった。

  

 今日の掲示板はこれ。「人間必ず死ぬ 病気にもなる この身の事実から目をそむける事 それを迷いという」というもの。生まれたものは必ず死ぬことになっている。しかし、死ぬために生まれてきたのではなく、死ぬために生きているのでもない。 未来のために現在があるのではないし、現在のために過去があったのではない。その時の「今」こそかけがえのない「いのちの時」である。 過去に縛られることなく、未来を追うことなく、過去によって成り、未来を生む「今」を大切にしたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

「萩の寺」とも呼ばれ、宮城野萩を中心に約300株のハギが植えられている。例年は9月中旬に見ごろを迎えるが、今年は少し早めに咲き始…
「萩の寺」とも呼ばれ、宮城野萩を中心に約300株のハギが植えられている。例年は9月中旬に見ごろを迎えるが、今年は少し早めに咲き始…

漫然と 晴れ間見ている あまがえる

2017年06月05日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は15.1度から25.4度、湿度は88%から45%。風は0mから1mの東の風がすこしばかり。明日の6日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気の影響で夕方から曇る見込みらしい。

 

 昨日、こんなばかでかいお荷物が届いた。なんだろうと持ち上げると、案外と軽い。

 

 中身は・・「危険物在中」・・・。危険物なんぞ注文した記憶はないぞ。

 

 おそるおそる開いてみたらば・・・講演会やご法話に使う「遊撃手Ⅱ」用のノートPC。普段、使っている事務用のマシンには重要なデータが一杯。うかつに持ち歩いて壊しても悔しいし、個人情報が漏れてもまずい。だから、パワポだけ使えるようなマシンを用意した。

 

 で、今日はここに出かけてみた。かわつ花菖蒲園である。ここに「川津浄水場」という坂出市の浄水施設があった。その使わなくなった浄水池に花ショウブが植えられていて、「かわつ花菖蒲園」になっている。

 

  これが坂出市水道局の「川津浄水場」跡。今は「浄水場」としては使われていないらしい。その、四つの浄水池に、92種13,000株、約4万本の花菖蒲が植え付けられているのだと。今日は平日だというのに多くの車が押し寄せていて、近くの池の周辺にも路上駐車がいっぱい・・・。

 

  一般開放は9~16時。期間中、6月4日(日)には、かわつ花菖蒲祭、6月11日(日)には、かわつ花菖蒲茶会が開催されるそうだ。駐車場(約30台)が狭いのと道が狭いのが難点。

 

  この地図にある「鎌田池」や、坂出中学校も元は池で、坂出市の重要な水源だったようで、あの、久米通賢が築造したとも聞いた。現在の坂出市あたりは元は塩田地帯の跡で、昔は非常に水に困ったところだったらしい。で、この鎌田池から大きな木の桶に水を汲んで荷車で水を売る「水売りさん」がいたという。だから、現在の川津浄水場や、その東にある「貯水池」も、坂出市の水を確保する大切な場所だったに違いない。

 

  今はどうやって水を確保しているのかは知らないが、讃岐は昔から水との闘いの連続だった。その記念碑が、ここの浄水場跡なんだろうなぁと感じたことだった。

 

 こういうハンドルなんかも残されていて、浄水池の面影があちらこちらに。

 

  人々は、すっかりと、そんなことを忘れてしまって無邪気に花の写真を撮ってばかりいるけれど、こうして、浄水場の跡地に花しょうぶを植えて世話している人々の苦労を少しは考えてみたいものである。

 

  また,かわつ花菖蒲園では毎年,早生(わせ)・晩生(おくて)など,開花時期の違う品種を混生させていることにより、開放期間中,咲き具合が移り変わっていく様子を楽しむことができるが、今はまだ、始まったばかりの序盤というところ。

 

 どうにも、アヤメと花ショウブとカキツバタの区別がよくわからない。この時期がくれば、またしてもわからなくなってしまう。

 

  毎年、言うてるのかも知れないけれど、「ショウブ」の花はこれ。「菖蒲湯」の「菖蒲」は「サトイモ科」で、「花菖蒲」の「菖蒲」は、「アヤメ科」なんだそうである。で、アヤメと、花菖蒲は、これまた、微妙に違うというのだからややこしいや、ややこしや~。

 

  今日の掲示板はこれ。町内の善楽寺さんにあったもの。「その人の都合でよい雨 わるい雨」というもの。昔、「泣きばばあ」という話があった。そのおばあさんには、二人の子供がいた。一方は、傘の職人になった。もう一方は、帽子の職人になった。そのおばあさんは、晴れると、「ああ、傘職人の息子の商売が悪い、、、」と嘆き、雨が降ると、「ああ、帽子職人の息子の商売がだめに、、、」と、嘆くのだった。真逆に考えれば、人生は楽しいのに。しかも、悪い環境からは、改良や改善が生まれるのに。物事には、良い悪いどちらもない。起こったことに、「良し悪し」や「幸不幸」といった感情をつけるのは、いつもその人自身なのだ。という話だった。人生、「笑いばばあ」、「笑いじじい」でいきたいものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


桐の花 時の流れを 突きつける

2017年05月17日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇っていた。気温は15.3度から22.2度、湿度は87%から62%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の18日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は恒例の水曜日だからと、香川県立図書館に行ってみた。アキニレの若葉が萌え出ていて、すっかりと夏の気分。

 

 最近、高校や中学校の記念誌が切り取られる事件が多発しているそうで、ここでも、何冊かの記念誌が十数頁にわたって切り取られたと報道されていたが、そういう関連の記念誌がテーブル上に積み上げられていた。

 

 創立100周年記念とか閉校記念とかの記念誌は、あとで買おうと思っても手に入らない。どうしても欲しい写真があったので切り取ったのかも知れないが、すごく残念なこと。みんなが、もう、見られなくなってしまうのだから。こういうものの再発行はあり得ない。

 

 で、五冊の本を返却して、新しく五冊の本を借りたけれど、そう、たいした本でもなかった。衝動的に手にとってしまったけれど、積ん読だけで、来週にも返却することになってしまう。私の人生も、そんなものなんだろう。

 

 で、久々に、仏生山法然寺にやってきた。今年になっては初めてかも知れない。

 

 我が家はお墓を作る習慣がなくて、父の代まで、ここに納骨した。ここに納骨された遺骨は、やがて、こうした「骨仏」になる。父の遺骨も、これら、どれかのほとけさまの中に収められているのだろう。

 

 ここは「三仏堂」。三仏堂には内陣奥の須弥壇上に、本尊の三仏(香川県指定有形文化財)すなわち、中央に阿弥陀如来座像(現在)・左に釈迦如来座像(過去)・右に弥勒菩薩座像(未来)を安置し、その前に釈迦涅槃の群像が配され、特殊な尊像構成で配置されている。

 

  「讃岐の寝釈迦」だけあって立派なものだ。さまざまな動物たちも集まってきて嘆き悲しんでいる様子が面白いが、笑ってはいけないところ。静かに合掌、お念仏。

 

  天上から、お母さんの「マーヤ夫人」が薬を投げたが、木の枝に引っかかって、お釈迦様のところには届かなかったのだという。このことから「投薬」という言葉が生まれた・・・とか聞いた。

 

 五月も半ばが過ぎた。少しずつ、少しずつ、予定も消化できている感じ。

 

 お昼から、またも「淡竹(はちく)」を刈ってきた。先日、道の駅の産直市を眺めたら、この「ハチク」を根本から掘って売っていた。私らは、「ハチクは鎌で刈って、荒縄で束ねて持って帰る」と教えられてきた。孟宗みたいに根っこまで売っているのにはたまげたぞ。

 

 半分に切ってみれば、中身はわずか・・。

 

 大きな鍋を用意したのに、これだけになってしまった。今日もまた、タケノコ料理だな。

 

 今日の掲示板はこれ。「近くして 見えがたきもの 我が心なり」というもの。写っている車は私の物だが、見慣れない掲示板である。どこで見た物か記憶にない。『近うして見難きは我が心 細にして空に遍ずるは我が仏なり 我が仏は思議し難く わが心は広にしてまた大なり』 (秘蔵宝鑰)空海さんの言葉らしい。もっとも近くにある自分の心の姿が、実はもっとも見えにくいのだと解釈しているが、もっとも近くにあっても自分の耳も目も、口も頭も背中も見えていない。大事な物なのに自分には見えていない。そもそも、この「心」とは何を指しているのか。心はどこにあるのかと聞かれると、ほとんどの人は胸に手をあてる。本当にそうなのか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


若葉切る はさみの音の 鈍い朝

2017年05月11日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は17.6度から26.6度、湿度は88%から58%、風は3mkら5mの西の風が少しばかり強かった。明日の12日は高気圧に覆われて晴れるけれど、前線や湿った空気の影響で次第に曇りとなり、夜は雨が降る見込みらしい。

 

 この時期恒例の展示会が行われている・・というので、「多度津町立資料館」まで行って来た。ここが多度津町立資料館である。この敷地などは江戸時代の旧多度津藩士浅見家から寄贈されたもの。8時半にわが家を出て、ココに着いたのが10時。予定通りだった。

 

 こういう「ソフビ人形」から・・・

 

 寛政6年に作られた甲冑とか

 

 高松藩松平頼重公お抱え工人・加賀守藤原包高銘の脇差とか・・。

 

 私が注目したのがこれ。納め札の版木である。半紙のような和紙を乗せて印刷し、四等分にして「遍路札」にしたもの。

 

 これは「護符」などに使われた梵字の版木である。

 

 これが、我が家の「お宝」だというのはすごい。「正信念仏偈」の経本である。時代が特定できれば、もっと、ありがたいのだけれど。

 

 これは、「護摩供養法具」だが、こういうものをお宝に持っているのはお寺さんかお坊さんだと思うのだが・・・。

 

 こういう、古典カメラ5台も重みのある展示だった。

 

 こちらのほうが古いのかな。ま、いろんなお宝があるもんだなぁと感心するばかりだった。

 

 午後からは入院しているおばあさんを訪ねて行った。

 

 昨日の、「ひとり暮らしのつどい」のご案内だった。それまでには退院したい・・と言うていたが、はてさて、どうなることやら。それだし、最近、お姿が見えないなぁと思っていた方が入院しているのを偶然にも目にした。もう、おうちには戻れないらしい・・・とか。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生この先 何が起こるか分かりません。だからこそ1日1日を大切に、感謝の心で生きたいです」という西端春枝さんの言葉から。西端春枝(にしばた-/1922年-/女性)は、ニチイの創業者の一人として知られる元実業家、大谷派浄信寺副住職。 戦後、夫婦で行商などを行い、大阪で衣料品店「セルフハトヤ」を開店。その後、衣料品店「赤のれん」、卸問屋「エルピス」、「ヤマト小林商店」の4社が合併し株式会社ニチイ(後のマイカル)を設立。社長には夫の西端行雄が就任し、自身は人事部長や研修部長などを務めた。大谷派浄信寺副住職として講話活動なども行っているほか、大谷学園理事、商業界全国女性同友会名誉会長、商業界近畿女性同友会会長、日韓女性親善協会関西支部会長、雑巾を縫う会会長、自立人間をめざす会大阪名誉会長などを歴任。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+致知)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山高く 若葉きらめく へんろ道

2017年05月08日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたけれど、広い範囲で黄砂を観測していた。気温は16.5度から28.2度、湿度は76%から46%、風は3mから4mの西の風が少しばかり。明日の9日は、気圧の谷や前線の影響で曇り、昼過ぎから雨が降る見込みらしい。

 

 東かがわ市五名にある「五名トンネル」。ここで、香川県道2号線と国道377号線が接続する。これから先は377号線。

 

 このトンネルの上を山越えで越せる坂道があった。それが「八丁坂」だった。

 

 これが降りてきたところ。このあたりはきれいな道になっているが、今は登れなくなっているという。

 

 そのすぐ前にあるのが「境目(さかいめ)」のバス停。この右上の葉っぱが「いちょうさん」。香川県と徳島県の境目である。

 

 「境目バス停」から少し歩くと、この「両国橋」がある。この橋の左手側が徳島県。右手が「香川県東かがわ市」で、平成の大合併前は「白鳥町(しろとりちょう)だった。だから、白鳥というらしいが、徳島県阿波市も「白鳥」が飛来する町らしい。

 

 風化で字が読みにくいのだが、どうも「遍路墓」らしい。地元の住所ではないみたい。

 

 こういう石碑がいくつかある。これは「大く本・・」と書いてある。「本」は「ほ」という意味で、「大くほ寺」で「おおくぼじ」という意味らしい。

 

 指差しの下に「大く本し」「白鳥」の文字が読める。「本」は「ほ」だから、「大窪寺」-「白鳥」の道ということらしい。ただ、よく見ると、指は大窪寺の方向を指している。

 

 下ってくると、「黒川温泉」があった。お仕事でよく利用したが、今は閉館となっている。障子は破れ放題の廃墟となっている。この右手には市営の「白鳥温泉」がある。

 

 山の新緑や深緑が美しい。

 

 どんどんと下って行くと、山がかすんで見える。これが「黄砂」というものか。

 

 ぐんぐんと気温が上がってきたので、コンビニでこれを買った。

 

 今日の掲示板はこれ。「こんなすばらしいことを みんなはなぜ よろこばないのでしょう 当たり前であることを」というガンのため、32歳で亡くなった医師、井村和清さんの言葉から。

あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、 そして又朝が来る
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ

井村和清 1947年富山県生まれ。
     岸和田徳洲会病院の内科医として勤務。
     1977年、右膝の悪性腫瘍の転移を防ぐため、右足を切断。
     しかし、腫瘍は両肺に転移。
     1979年1月、32歳の若さで亡くなる。
     死の直前まで綴った手記が、本人の死後「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」というタイトルとなって出版され、ベストセラーとなる。
上掲の詩「あたりまえ」は亡くなる直前に作られたものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あれこれと 花を巡って 夏の汗

2017年05月03日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、気圧の谷の影響で概ね曇りとなっている。気温は14.4度から22.3度、湿度は86%から63%、風は1mから5mの東南東の風が一時は強かった。明日の4日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 世の中は大型連休だ、ゴールデンウィークだと賑やかだけれど、毎日がシルバーウィークな私にとってはまるで別世界。で、今日はここに行って来た。四国霊場88番札所前にある「八十八庵(やそばあん)」のシャクナゲ園である。

 

 ここに入るには、整理券のような「入園券」が必要。これは、この八十八庵で無料で頂ける。でも、マナーの悪い人はいるもので、券も持たずに大きなカメラや三脚をかついで数人が入っていったりする。

 

 で、ここに入れるだけ。この右手の茶店のおねえさんが見るともなくチェックしている。ま、よそさまのお花畑に入らせていただくのだからマナーだけは守りたいもの。でも、入っていった人よりカードははるかに少ないなぁと思う・・・。

 

 ようやく、シャクナゲ園かと思えば、これからずっと上の斜面上にシャクナゲは咲いている。

 

 私は心臓が悪いから上り坂は皆目弱い・・・。息を弾ませながら、這いつくばりながら昇っていく。

 

 で、いい加減なところから降りてくる。

 

 とてもじゃないが、一千本ものシャクナゲを見ることなんぞできない。雰囲気だけで十分。

 

 若い頃、福島県の「アルペンローズ」という電子掲示板(BBS)の仲間と知り合って、何回か、福島を訪問したことがある。そのときに、「石楠花(しゃくなげ)」という言葉を覚えた。

 

 その後、大窪寺境内、大師堂脇にある藤棚を訪ねた。

 

 ここにはツートーンの藤が見られる。スマホを構えるお遍路さんも多い。

 

 お大師堂の正面にはボタンの花が咲いている。

 

 色も大きさも違うボタンの花が満開状態。

 

 あたりは新緑に包まれた大窪寺だった。

 

  今日の内容とは全く関係ないが、今日の掲示板はこれ。「他人の不幸は小さく見えて 自分の不幸は大きく見える」というもの。誰の言葉だったか忘れたけれど、「人間って、双眼鏡みたいなのを持っていて、他人の幸せは、大きく見えるけれど、他人の不幸は、小さく見えるんです。逆に自分の幸せは、小さく見えて、自分の不幸は、大きく見える。そこが解ってないと、一生、幸せになれない」という言葉があった。また、「いつだって、自分に足りないモノばかり数えてしまう。そんなことより自分が持っているモノを数えるべき。」という言葉も、思い出した。「本当の幸せって、それを感じ取れるチカラかも知れないな~」と思ってしまった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


藤の花 洗濯物が よく乾く

2017年05月02日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.4度から21.5度、湿度は88%から48%。風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の3日は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 「びでおちゃん、タケノコがもうないから、木村株式会社でタケノコ掘って来てね」というメモを残して奥方は会社に出かけた。山の旧宅に行くと、サルがタケノコを食べ散らかしている。

 

 それでも、10本ばかりのタケノコを掘って来た。

 

 早速に皮をむいて、お鍋二つで湯がいておいた。

 

 昨日の今日で、amazonさんが、これを買え買え・・と言うのだが、決してお安くない大人のおもちゃ。今更、これを買ってもねぇ・・・。

 

 そうそう、昨日の5月1日で、私のブログ開設から4,400日目になった。要するに、10年と一ヶ月・・・といったところ。さほど重要な記念日でもない。

 

 9時半からは、ここに出かけてみた。高松市西植田町にある「藤尾神社」である。むろん、お参りや腹水が治りますように・・というお願いではない。

 

 「藤尾神社」というくらいだから、ここにはたくさんの藤の木がある。「飯田の岩田、西植田の藤尾」というくらいに、このあたりでは有名な藤棚のあるところ。

 

 このようにして、次から次へとやってきてはスマホで写真を撮ってから帰って行く。神社などには足を向けない。

 

 「どうや・・・」と、ドヤ顔している藤の木である。藤の名所として知られる藤尾神社だが、標高136mの山全体が自然環境保護特別地域に指定され、藤や樫の木・もみじのほか古木がたくさん残されて、讃岐百景にも指定されている。また、神社会館の横からの展望は讃岐平野が見わたせ絶景である。

 

 藤尾八幡神社の境内案内板によれば、この社名は、昔藤尾八幡宮と称し、一般には「藤尾さん」とも呼ばれており、応神天皇をお祭りしている。ここ植田は、早くから開田したことからお宮の創立も古く、天保の宮記録には「養老」とあり、また「天平」と書いた本もあるが、讃岐の先賢故松岡調氏は「神代の創立であろう」と語ってる。藤尾山は標高約136メートルあり、お山のことを「神奈備山」(神社の意)と申し、お山がご神体のため拝殿はあるが本殿はなく、お山に登るときは神職でも水を浴びて身体を清めなければならないとされてきたらしい。

 

 境内の若葉がきれいだなぁと眺めたことだった。

 

 ランクは違うが、我が町にある「南川のふじ」を見てきた。すっかり樹勢をなくし、枯死寸前。

 

 それでも、かろうじて花を咲かせていた。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生いい時もあれば悪い時もある 悪い時にはもうこれ以上悪くならないし、辛い時にはちょっと我慢していれば大丈夫」というもの。岡崎朋美(本名:安武朋美【旧姓:岡崎】1971年9月7日 )は元スピードスケート選手。都留文科大学特任教授長野オリンピック・スピードスケート女子500メートル銅メダリスト。所属は富士急行。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


水仙に まぶしい風が ついてくる

2017年03月03日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5.5度から11.2度、湿度は80%から64%、風は4mから1mの西北西の風が少しばかり。明日の4日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 こんなに暖かな冬は初めてのような気がする。なにせ、雪が降らなかったし、霜柱も見なかった。水たまりの氷だって薄いものを何回か見ただけ・・・。地球温暖化って本当なのかなぁと思うことだった。

 

 天気もいいことだし・・ということで、香川県立図書館にやってきた。借りていた本の返却のためである。

 

 アセビの花も開いてきた。これも昨年よりも少しばかり早い・・・。

 

 昨年は、まだ、こんな状態だった。

 

 いつもは郷土資料ばかりを探していたが、今日は少しばかり目先を変えて、専門書のコーナーを回ってみた。

 

 今日も五冊の本を返却して、新たに五冊の本を借りた。例の「両墓制」についての研究資料である。両墓制というのは、瀬戸内海の塩飽諸島あたりのものかと思っていたのだが、ほぼ全国的にあるらしい。

 

 昔は、人が亡くなると山や谷に捨てたらしい。姥捨て山のように生きたまま捨てた地方もあったらしい。やがて土葬するようになり、お墓を作るようになった。

 

 今日は担当のドクターの講演会があるということだったが、その案内文書をなくしてしまっていた。私の場合は、「左心不全」の「猿型」。もう、開胸手術しかないと仰る。でも、まだ、その度胸と勇気がない。もう少し、症状が進むまで我慢することにした。

 

 ついでに、東かがわ市の湊川沿いに植えられた「河津桜」をのぞいてみた。ほぼ、満開に近い状態。ここには、250本ほどの河津桜が植えられているとか。

 

 あれ、少し、葉っぱが出てきているのだろうか。春は、すぐそこまで来ているような雰囲気。

 

 最近、「うれしいひなまつり」の歌詞が間違っている・・という話を見聞きする。「お内裏さまとおひなさま」という部分である。「お内裏さま」というのは、「内裏におられる方」ということで、このお二人が「お内裏さま」で、正確には「男雛(おびな)」「女雛(めびな)」と呼ぶのだそうだ。

 

 また、「お嫁にいらしたねえさまに よく似た官女の白い顔」という官女の中に「既婚者」がいるという話もよく聞く話。この場合だと、真ん中の方である。

 

 我が家のチューリップもぐんぐんと葉っぱを伸ばしてきた。これも、昨年よりもずっと早い。雪も霜も知らないのだから早い筈だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きている この何でもないことに躓かねば 幸せなんてわからないんだ」という浅田正作さんの言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。私たちは、朝、目が覚めて、顔を洗って、食事をして、その体が消化してくれて、トイレに行けて、歩けて、笑って、生きている。このなんでもないことには感謝もしなければ喜びもしない。「当たり前じゃないか・・・」と平然としている。なんで、この幸せに気づかないのだろうか。その幸せを知っているのは、「生きていることに、つまづいた人」、「あたりまえでない」と知った人。「今がある」ということを自覚するのが下手な私たちだけれど、「今あるものの大切さ」に気づいて、これからを生きていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春ひなた 一期一会の うどんかな

2017年02月26日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で概ね曇っていた。気温は1.7度から11.1度、湿度は85%から57%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の27日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 全く、穏やかな春らしい朝になった。

 

 朝、ブラウザを立ち上げて、「あれ・・」と思った。よく使うHP一覧だが、「おへんろつかさの会公式HP」のトップページが何か変・・・。

 

 で、そのページを開いてみたら・・・。これでは、トップページだけで、どこにも行けない。

 

 普通は、こういう画面で、「ご案内」とか「スケジュール」とかのバナーがないといけないのに、夜の間にバナーが消えた。バックファイルを開いても、複製ファイルを開いても同じ状態。仕方がないので、同じように最初から作り直すはめになってしまった。(泣)

 

 さて、FBFの福田さんという方が長尾寺においでになるというので、毎度おなじみの「長尾寺」にやってきた。今日はこういうイベントが行われるらしい。

 

 「NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク」さんの開催する「一日一斉おもてなし遍路道ウォーク」というものらしい。遍路道が安全か、不備なところはないか、トイレはあるか・・などを調べるウォークらしい。それに道ばたのゴミも拾いながら・・・。

 

 コースは、87番長尾寺から88番大窪寺までの約16キロ。10時前に長尾寺を出て、おへんろ交流サロンでお接待のおうどんを食べて12時出発、15時に大窪寺到着。

 

 参加者は約50人とかお昼のニュースでは言うていた。

 

 NHKの記者さんのインタビューを受けながらのウォークである。

 

 いやいや、私はそのNPOさんとは関係ないので、そのウォークに参加しとる訳でもなく、また、歩いている訳でもない。ま、よそさまは、どういう活動をしとるんじゃろうか・・という「野次馬」の一人なのである。しかも、マイカーで伴走しとるようなもの。

 

 先回りして、いつもの「おへんろ交流サロン」に着いたら、事務員さんやら、顔見知りの方々から勧められて「お接待」を頂くことになった。こういうお接待は断ってはいけないことになっているそうで。

 

 いつもの高松の大学生によるお接待である。彼女らはお遍路の勉強をしていて、年に何回かは、ここでお接待実習をやっている。

 

 かわいいランチョンマットの上におうどんのお接待。歩きもしないのに、お接待を頂いて感謝感謝。

 

  今日の掲示板はこれ。「何ものも「自分のもの」ではないと知るのが智恵である」というダンマパダからのことばである。「降れば濡れ 濡るれば乾く袖の上を 雨とて厭う人ぞはかなき」と一遍上人は言った。煩悩にまみれた自分でいいのだと腹をくくると光が見えてくる。「煩悩 を断ぜずして 涅槃を得るなり」と親鸞聖人も言った。人生さえも借りものである。清々しく生きられるコツがそこかしこにある。「何ものも“自分のもの”で はない、と知るのが知恵であり、苦しみからはなれ、清らかになる道である」と、『ダンマパダ』に書いてある。考えても仕方のないことを、あれこれ思い悩む のは愚かなことだ。「眠れぬ者に夜は長く、疲れた者に一里は長い。真実を知らぬ愚者に生死の道は長い」とも『ダンマパダ』に書いてあった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


うすごおり 踏む毎日の いとおしく

2017年02月15日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は2.2度から12.2度、湿度は88%から60%、風は2mから3mの西の風が少しばかり。明日の16日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 よい天気の日には布団を干しておく。でも、これが大仕事。おなかに水がたまるものだから、うつむいたり、重い物を持つと心臓を圧迫して苦しくなる。布団を持ち上げるということが苦しいのである。

 

 その後は部屋を片づけて掃除機をかけておく。

 

 今日は年金支給日ということで、銀行とJAさんと郵便局とで一斉記帳したり、週末の母の五回忌用に現金を引き出したりするが、皆さん、同じようなことで、どことも大混雑。その合間に、87番札所の長尾寺さんに今日もやってきた。

 

 今日のターゲットはここ。自在天堂という建物である。自在天というと、ヒンドゥー教のシヴァ神を思い浮かべがちだが、ここはちと違う。ここは、「天満大自在天神」ということで、菅原道真公の御霊を神格化した神様のことである。

 

 長尾寺の鎮護神として、境内の西側に、こういう建物がある。

 

 で、紛らわしいのだが、「自在天」と表記されている。だから、祭神は、「天満大自在天神」ということになる。なんで、ここに菅原道真をおまつりしているのかと言うと・・・。

 

 こういう看板が立っている。平安時代、当長尾寺に明印という名僧がいた。讃岐国司であった菅原道真公と親交厚く、延喜2(902)年、道真公が九州へ左遷のときに志度浦に出て「不期天上一円月、忽入西方万里雲」の詩を贈って心を慰めた。公もまた詩と自画像を明印に与え別れを惜しんだが、後にこの古事により、宝永7(1710)年、天満自在天神宮として建立、当山鎮守として祀られている。

  

 祭事としては、1月25日の初天神祭で、併せて筆供養お焚きあげが厳修される。これが「筆塚」である。

 

 元慶( 877- 885)年中、菅原道真公の知識と言われた明印法師もこの寺に往持した。師、はなはだ博学多通にして、そのほまれは帝都にも達した。

  

 菅公筑紫左遷の砌、志度房崎の沖に、小舟でこぎ寄せて「不期天上一円月。忽入海西万里雲」という詩を贈り、公は幼時の自画像を呈せられ自在天堂に祠る。さらに屋島寺の覚遍法師等々名匠・硯徳相次いで往持した。

 

 ということで、丸瓦には「梅」の紋所、四隅の角には牛の焼き物が載っている。

 

 普段には何気なく通り過ぎる風景の中に、思いもよらぬ歴史が横たわっているものである。今度のガイドの時の話題に追加したいものである。

 

  今日の掲示板はこれ。「老病死は自然である その老病死する事実に向き合わず逃げ回っている我々の姿を無明という」という、赤松先生のお寺にあったことばから。生まれたいのちは、その瞬間から「老病死」を抱いて生まれている。それが全てのいのちに共通する自然である。その事実に向き合わずに、自分だけは死にたくない、老いたくない、病になりたくない・・と、逃げ回っている姿を「無明」というのである。無明とは仏教語で、邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知のことを言う。最も根本的な煩悩で、十二因縁の第一、三惑の一とされている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


寒桜 カメラマンの手に 念珠あり

2017年02月13日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は2.6度から9.2度、湿度は86%から60%、風は3mから5mの西の風が一時は強かった。明日の14日は、気圧の谷や寒気の影響で、概ね曇りで、朝は雨や雪が降る見込みらしい。

 

 月曜日は資料館も図書館も博物館もお休みなもので、ぽっかりと空いた日をどこですごそうかと考えて、久々にここに来てみた。

 

  丸亀市綾歌町栗熊西にある「梵音山真興院福成寺」という浄土真宗本願寺派のお寺さんである。

 

 ここには、このように、住職さんが植えたとされる「寒桜」があって、今を盛りと咲いている。通りかかったおじいさんが、「一ヶ月も咲いたら、散り出したのぉ~」と、独り言を言いながら歩いて行った。一ヶ月前いうたら、1月の13日やないかい・・。そんなに早くから咲いておったんかいな・・・。

 

 「寒の桜は強いのぉ~。染井吉野は一週間から十日で散るけんのぉ~」と、もう一人のカメラマンにも話しかけて通り過ぎた。そっかぁ・・、もう、終わりなのか、道理で人が少ない筈だ。

 

 この、福成寺の開基は、聖武天皇の頃、行基の開山と伝えられる。嘉承元年(848)真言宗に、応永28年(1421)、中興の祖、了圓により、真宗に改宗した。後小松天皇の応永元年(1394)、長尾大隅守の執権職であった幡多惣左衛門正家が68歳の時、出家し了圓と号し、この地に福成寺を再建した。

 

 了圓の後、 長尾元高の第9子、高乗をその嗣とし、乗高と号し、当山第二世となった。以後、法灯連綿今日迄及ぶ・・・とある。諸堂宇も整い大いに盛んであったが、天正の兵火で焼失。以後再建され、天正14年には、羽柴秀吉から京都大仏殿供養に命ぜられている。

 

 そんなことを、本堂の上の額に詳細に書いてある。ご本尊様に合掌お念仏。

 

 風が吹くと、ハラリ、ハラハラ・・・と花びらが散っていく。

 

 香川のNHKのテレビもラジオも、この話題ばかり。さぬき市沖のなまこ猟の網に、この「白いナマコ」がかかったというている。で、さぬき市大川町にある「雨滝自然科学館」という所に移されて展示されている。数年前にも、同じようなことで、そこで展示されていて、そのときの画像である。突然変異で白くなったものだが、非常に珍しいものだというていた。

 

 昼から、担当区域内を歩いてパトロールしてきたが、今年は梅の花が少ないなぁと思う。菜の花はあちらこちらで見かけるけれど、ふきのとうは全く見かけなくなった。

 

 人影は見かけないが、サルの姿だけはあちらこちらのひだまりで遊んでいる。

 

 もう、そのあたりは排泄物だらけ。気をつけて歩かないと・・・。

 

 東かがわ市の「湊川」沿いに行ってみたのだけれど、そこに植えられた「河津桜」はほんの数輪が花開いた程度。ここの見所はまだ先のことのよう・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「よく自分に問うてください。一度きりの人生をどのようにいきていくのかを・・・・」というもので、今日、お邪魔した「福成寺」さんの入り口にあったもの。「よく自分に問うてください。一度きりの人生を、どのように生きるかを。善人になるより、悪人と気づくことのほうが難しい。」というのが元の言葉らしい。山本有三さんの言葉に「たった一人しかない自分を たった一度しかない一生を ほんとうに生かさなかったら 人間に生まれてきた甲斐がないじゃないか」とある。私たちは一度きりの人生をどう生きるかを、よく自分に問うてみなければならない。人生は何が起こるかわからないもの。時にまさかということも起こってくる。いつ人生が終わるかもわからないのだから、まさに、いまが大事なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


風となり 枯れ野飛び去る 鴨数羽

2017年01月27日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で曇り、夕方は雨の降る所があるらしい。気温は2.6度から13.5度、湿度は86%から52%、風は1mから6mの西北西から西の風が強くなってきた。明日の28日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 さぬき市前山にある「前山ダム」に、年がら年じゅう回らない100万円の水車があるという話を小耳にはさんだ。一度、見てみたいものだというので、寒いけれど行ってみた。

 

 上のダムカードの向かって右側の植え込みの中あたりである。突き当たると広い駐車場になっており、その下に、こういうダム公園が作られていたらしい。今は管理もされておらず、荒れ放題になっている。この正面に水車らしきものが見えてきた。

 

 ほんに、水が流れておらず、水車は回っていない。これが、噂の「100万円の水車」なのか・・。上の水路とか、水の流れる流路なんぞも含めての100万円なのだと思う。昔は、このあたりに十数軒の製粉農家があって、水車を使って小麦粉を作っていたという。それを荷車に積んで行商をしていたのだとか。戦後、安い外国産が入ってきたので、水車小屋は一軒も残らず廃業したのだとか。それを再現したのだろう。

 

 いろいろと調べていたら、完成当時は水も流されていて、水車も回っていたようである。

 

 完成当時は、こうした水の豊かな公園になっていたのか・・・。ダムの放水路の反対側は、キャンプ場になっていたのだが、そちらもクサリで閉鎖されてしまっていた。どんな事情で閉鎖されてしまったのか。

 

 さて、奥方が、明日、神戸に行くので、「お土産に生牡蠣を買っておいて・・」と頼まれていた。そこのお店は11時開店だというので、トイレ休憩と時間待ちのために、この、道の駅に寄った。

 

 「源平の里むれ」は、源平屋島合戦の古戦場として有名な場所に位置しており、海を望む風光明媚な土地柄である。利用者の憩いの場所として道の駅の隣に公園を設けるなど、家族で楽しんでいただける場所となっている。また、最高級石材庵治石で造られた石のモニュメントなども展示してある。

 

 で、うどん県民バッチと・・・、

 

 おへんろくん缶バッチを買った。前にも買ったのだが、いつの間にやらなくなってしまった。

 

 海鮮食堂じゃこやは、セルフ方式の食堂で、瀬戸内海の新鮮な魚貝類を中心に旬な魚を提供している。また、穴子のちらし寿司・焼鯖の棒寿司・旬な魚の一夜干しなどの、こだわりの商品もいっぱい並んでいる。

 

 で、近くにある「はまかわ」という「牡蠣焼き」のお店で、生ガキのむき身を買った。

 

 中サイズ、1Kgで1,100円を二個買った。

 

 今日の掲示板はこれ。「鬼という おそろしきものはどこにある 邪見の人の 胸に住むなり」という、いつもの赤松先生のお寺にあったもの。一休禅師のことばからである。鬼は地獄に住むものと子供の頃から教えられてきたが、その地獄なり鬼なりはどこにあるかといえば、みんなこの身や、この心の中にあるというのである。「邪見」はまちがった人生観や世界観である。身びいきや身勝手なエゴイスティックな人生観や世界観が地獄の世界であり、鬼の住むところ なのであるというているのである。(松原泰道『一休さんの幸福論』より)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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