今朝からすごい雨になっていた・・・。梅雨とは思えない雨で、東側の川(津田川)もごうごうと音をたてて流れているし、西側の水路にも思わぬほどの水位で水が流れている・・・。まるで台風のような雨だった・・・。
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しかしのかかし・・・八時過ぎからは雨も上がり、陽が差してくるようになり、母を歯医者に連れて行ったり、山の旧宅にあるお墓の周辺の草刈りや、我が家の入り口周辺の草刈りをやっておいた・・。でも、蒸し暑いのは蒸し暑くて・・・たちまちにして汗まみれになって、まるで水をかぶったようなありさまに・・。
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家に戻って・・シャワーを浴びて・・それから我が家でおうどんを食べて・・。
今日は沖縄県の「慰霊の日」。昭和20(1945)年のこの日、牛島満大将らが自決し、第二次大戦の沖縄における組織的戦闘が終結した。ほぼ80日にもおよぶ地上戦で、住民を中心におよそ20万人もの犠牲者を出した。
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1961年、アメリカ施政下の沖縄で、日本の国民の祝日に相当する「住民の祝祭日」の一つとして定められたが、1972年の沖縄復帰後は休日としての法的根拠がなくなった。しかし、その後も、1991年に沖縄県の条例で休日と定められた。なお、沖縄戦終結の日は6月22日とする説もあり、制定当初から1965年までは6月22日が「慰霊の日」とされていた。
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1945年4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官牛島満大将(当時は中将)をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされている。この自決がいつあったのかについては、6月22日説と6月23日説があり、現在、沖縄県では6月23日説を採用している。どちらが本当に自決があった日であるかについては議論があり、1961年に当時の琉球政府が慰霊の日を定めた際にも、当初は6月22日としていたものを、1965年に6月23日に改めた経緯もある。現在は1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。
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一方で、司令部が壊滅してもそれを知らされなかった兵士たちが抵抗を続けたため、散発的な戦闘は司令部自決の日以降も続いた。このため、慰霊の日を司令官自決の日と定めることに対して疑問を投げかける立場もある。たとえば沖縄市では、慰霊の日を休日とする一方で、同年9月7日に降伏文書への調印が行なわれたことから、同日を「市民平和の日」と定めている。
1962年から、この日には沖縄県が主催する沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、沖縄戦犠牲者の遺族やその子孫などが集まり、式典中の正午には黙祷が捧げられる。また、この日は沖縄県平和祈念資料館が入場無料となる。
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仲井真弘多知事は式典で読み上げた平和宣言で「基地負担の軽減、普天間飛行場の危険性の除去を早急に実現することは、沖縄だけの問題ではなく、国民全体が等しく取り組むべき課題だ」と呼びかけた。また、現在の日米安保条約と日米地位協定が23日で発効から50年を迎えることに触れ、「大きな節目の年を契機として、沖縄の過重な基地負担が県民の目に見える形で軽減されることを願ってやみません」とも訴えた。
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あいさつに立った菅首相は「いまだに沖縄に米軍基地で大きな負担をお願いし続けている。全国民を代表しおわび申し上げます。他方で沖縄の負担がアジア太平洋地域の平和につながってきたことにお礼も申し上げます。今後、負担軽減と危険性の除去に一層真剣に取り組むことをお約束致します」と述べた。
式典では、普天間高校3年の名嘉司央里(なか・しおり)さん(17)による平和の詩の朗読もあった。
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さて、ここの書斎のノートパソコンの周囲に、小さなアリが集まってきている・・。まごのなぎちゃんが教えてくれたのたが、よく観察していれば、二階のベランダからサッシの隙間を伝わって入り込んでいるみたい・・。
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そこで、「アリ・コンバット」というものを買ってきて置いてみた。少しはマシになるものだろうか・・。それと・・寝室に・・蚊避けのための「アース・ノーマット」というものも買ってきた。昨夜も手足をさされて・・かゆくてかゆくて寝られなかったせいもあって。今夜は・・ゆっくりと寝られるんだろうか・・。夏やねぇ・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
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しかしのかかし・・・八時過ぎからは雨も上がり、陽が差してくるようになり、母を歯医者に連れて行ったり、山の旧宅にあるお墓の周辺の草刈りや、我が家の入り口周辺の草刈りをやっておいた・・。でも、蒸し暑いのは蒸し暑くて・・・たちまちにして汗まみれになって、まるで水をかぶったようなありさまに・・。
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家に戻って・・シャワーを浴びて・・それから我が家でおうどんを食べて・・。
今日は沖縄県の「慰霊の日」。昭和20(1945)年のこの日、牛島満大将らが自決し、第二次大戦の沖縄における組織的戦闘が終結した。ほぼ80日にもおよぶ地上戦で、住民を中心におよそ20万人もの犠牲者を出した。
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1945年4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官牛島満大将(当時は中将)をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされている。この自決がいつあったのかについては、6月22日説と6月23日説があり、現在、沖縄県では6月23日説を採用している。どちらが本当に自決があった日であるかについては議論があり、1961年に当時の琉球政府が慰霊の日を定めた際にも、当初は6月22日としていたものを、1965年に6月23日に改めた経緯もある。現在は1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。
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一方で、司令部が壊滅してもそれを知らされなかった兵士たちが抵抗を続けたため、散発的な戦闘は司令部自決の日以降も続いた。このため、慰霊の日を司令官自決の日と定めることに対して疑問を投げかける立場もある。たとえば沖縄市では、慰霊の日を休日とする一方で、同年9月7日に降伏文書への調印が行なわれたことから、同日を「市民平和の日」と定めている。
1962年から、この日には沖縄県が主催する沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、沖縄戦犠牲者の遺族やその子孫などが集まり、式典中の正午には黙祷が捧げられる。また、この日は沖縄県平和祈念資料館が入場無料となる。
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仲井真弘多知事は式典で読み上げた平和宣言で「基地負担の軽減、普天間飛行場の危険性の除去を早急に実現することは、沖縄だけの問題ではなく、国民全体が等しく取り組むべき課題だ」と呼びかけた。また、現在の日米安保条約と日米地位協定が23日で発効から50年を迎えることに触れ、「大きな節目の年を契機として、沖縄の過重な基地負担が県民の目に見える形で軽減されることを願ってやみません」とも訴えた。
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あいさつに立った菅首相は「いまだに沖縄に米軍基地で大きな負担をお願いし続けている。全国民を代表しおわび申し上げます。他方で沖縄の負担がアジア太平洋地域の平和につながってきたことにお礼も申し上げます。今後、負担軽減と危険性の除去に一層真剣に取り組むことをお約束致します」と述べた。
式典では、普天間高校3年の名嘉司央里(なか・しおり)さん(17)による平和の詩の朗読もあった。
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さて、ここの書斎のノートパソコンの周囲に、小さなアリが集まってきている・・。まごのなぎちゃんが教えてくれたのたが、よく観察していれば、二階のベランダからサッシの隙間を伝わって入り込んでいるみたい・・。
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そこで、「アリ・コンバット」というものを買ってきて置いてみた。少しはマシになるものだろうか・・。それと・・寝室に・・蚊避けのための「アース・ノーマット」というものも買ってきた。昨夜も手足をさされて・・かゆくてかゆくて寝られなかったせいもあって。今夜は・・ゆっくりと寝られるんだろうか・・。夏やねぇ・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。