まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

悔いなしと 落ち葉楓の 日が暮れる

2013年12月02日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は7度から15度、湿度は77%から52%。風は1mから2mの北北西の風が少し。明日の3日も高気圧に覆われて晴れるらしいが、夜は気圧の谷が近づいてくるため雲が広がる見込みとか。

 

 昨日はへとへとになるまで歩いたので、今日はさぞや筋肉痛になったと思ったのだが、少しずつ歩いているせいか、なんともなかった。そこで、ここで休んでは何にもならん・・・とばかりに散歩に出た。

 

 少し上流にある、県営大川ダムを一周するコースに挑戦してみた。約6キロ、二時間コースだが、問題はここだけ・・・。

 

 ダムの底部から堰堤に昇るこの階段。これさえクリアーできたら、あとは平坦コースから下り坂コースになる。これを三回ほど休みながら昇っていく・・・。

 

 堰堤まで上ったら、あとはこういう平坦な保守用道路になる。ここは一応、コンクリート舗装してあるので安心して歩いていける。

 

 コースは先週と同じコースで、ダムを一周して、県道2号線を北上して鮎帰り橋で折り返して我が家に戻るコース。なんとか二時間ほどで戻って来られた。

 

 散歩から戻ると10時半。それからお出かけしてここに寄った。東かがわ市白鳥(しろとり)にある「讃州うどんほそかわ」というプチセルフのお店。

 

 例によって例の如くに・・・「しっぽくうどんの小」で380円。さっぱりとしたお味だった。

 

 でも、一般店だったころの活気がなくなったように思えたのはわたしだけなんだろうか。店のおばちゃんの元気な声が聞けなくなったのもなんか寂しい。

 

 午後からは本山へ提出するレポートの清書の一つに取り掛かったのだが、清書し始めてから大きなミスに気がついて、最初からやりなおすことになってしまった。明日からは、これ以外の清書を始めないと・・・。なんか、いきなりのポカだな・・・。

 

 へてから・・・。離島センターの斎藤さんという方から電話があって、来週の木曜日にお会いしたい・・というので、来週、またもやしわく広島に一泊で帰らないといけなくなった。翌日の金曜日には、またもファッションショーの上映会を頼まれているし・・。

 

 島の家の大掃除や障子の張り替えは来年に入ってからになりそう。この我が家の障子の張り替えも来年になってしまいそうだし・・・。とにかく、まずはレポート五本を清書して提出するのが12月の重要なお仕事。その後、法然さんの本の印刷・製本が待っているし。英国士官レキ研究会も12月20日。12月22日からは鹿児島・屋久島旅行が待っているし。

 

 予定していたことだとはいえ、なんか迫ってくると慌ただしく感じてきてしまう。とにかく今週いっぱいが勝負だなぁとは思っているのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。例の「赤松先生」のお寺にあったものだが、皆さんはご存じかな。有名な文字というか、文様だけれど・・・。

 

 実物はこれ。龍安寺の茶室蔵六庵の露地にある蹲踞(つくばい)の文様である。つくばいは茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のこと。ここのつくばいには「吾唯知足」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれているが、その意味合いから石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めでもあるといわれる。また水を溜めておくための中央の四角い穴が「吾唯知足」の4つの漢字の「へん」や「つくり」の「口」として共有されているのが見どころであり、そのため一見「五・隹・疋・矢」と読める。水戸光圀の寄進と伝承されているが、一般拝観者が見ることのできるものは複製であるとのこと。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


冬めいて まとめきれない 日記帳

2013年12月01日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は6度から14度、湿度は70%から50%。風は1Mから4mの西北西の風が少し。気持ちのいい小春日和の一日になった。明日の2日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 連日の疲れからか、起きたのは午前7時。迷犬ごんの散歩やらゴミの片付け、洗濯物を干して朝食を食べて・・・我が家を出たのが08時10分。さぬき市役所に着いたのが08時45分。集合時間が08時50分だった。

 

 今日は、「おへんろつかさ養成講座」の第五回目の講座で、今回はへんろみちを歩く実地講座。一昨日は、「島案内人養成講座」の講師だったが、今日は「おへんろつかさ養成講座」の受講生。

 

 ふだん、車で通りすぎていると目にも触れない場所に、幾多の道標や丁石・へんろ墓があった。昔のへんろみちを歩かないとわからない発見だった。だから、普段には歩くことのないへんろ道を歩くことになった。

 

 昔はお遍路さんのお墓があった場所も、新しいお墓が建てられて、へんろ墓は片隅に追いやられているお墓もあった。86番札所志度寺から87番札所長尾寺に至る間だけでも数十というお遍路さんのお墓があった。

 

 こういう石仏や磨崖仏などが旧道や遍路道には幾つも幾つも残されていて、それを今も付近の住民たちが守り続けているという「へんろみち文化遺産」である。

 

 長尾寺から88番札所に向かう山間部には、それこそ、多くの道標やら丁石やら遍路墓が点在する。ちなみに、「道標」というのは道しるべで、「大窪寺はこちら」という目印の石碑。「丁石」というのは、「大窪寺まで三十丁」という距離を知らせる石碑。ちなみに、「一丁(町)」は109m。

 

 今日のお昼はここになった。さぬき市長尾にある「おへんろ交流プラザ」前での香川県飲食業協会さんのお接待による「まつたけうどん」・・・。

 

 こういうおうどんをお接待でいただいた。おおきなまつたけが二枚も入っていた。

 

 しかしのかかし、そういうお接待を頂いた後はたいへんな行程が待ち受けていた。こういう、昔ながらのへんろみちを歩くことになった。こういう山道は、昔の人がしっかりと歩いているので、崩れもせず、壊れもせず、きれいに残っている。それを壊しているのは、近代化による道路工事や堤防工事や河川工事であった。

 

 江戸時代から明治・大正に至る時代。交通手段も発達しておらず、医療も食生活もままならぬ時代に、ここまで四国遍路にかけた情熱はどのようなものであったのか。まさに、いのちをかけた四国遍路であったと思い知らされた。

 

 これは、名もなく、金もなく、そこに埋められた遍路の墓である。だから石碑もない。ただ、付近の住民が竹筒にしきみの葉をさして弔っている墓である。こういうお墓が、お遍路道沿いに累々と並んでいる。

 

 運良く大枚のお金を持っていた人は立派な墓を建ててもらえた。または、通行手形から連絡を受けた家族が葬儀費用やらお墓の費用を出してくれた人はお墓が建てられた。何もない人は埋められて金剛杖が墓標になった。笠がお墓にかぶせられておしまいにもなった。

 

 まさに、あの世の沙汰も金次第であったような気がする。もっと、悲惨な話も多く聞いた。

 

 さぬきの国に住んで、子供の頃から見慣れた風景の中の、少し離れた場所に、こんなすさまじい場所があったのかと驚いたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「おかげさまといえる人生に孤独はない」というもの。「おかげさま」といえるきもちがあれば、「おかげさま」といえる人がいれば、全く、孤独な人生ではないではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>