まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

晴れだしてきた 山の春風

2015年03月16日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は四国の南海上に停滞する前線の影響で雲が広がり、夕方まで雨の降っている所があった。気温は7度から12度、湿度は96%から66%、風は0mから1mの北北西の風が少しばかり。明日の17日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 午前中は霧雨のような細い雨が降ったり止んだりを繰り返していた。

 

 これは桜なんだが、少し早く咲く桜。「小彼岸桜」と言うものだろうか。この時期、あちらこちらで咲いているが、花びらの色が白くて、梅の花かと見間違うような花である。

 

 さて、例の「塩飽小坂小誌」が一応出来上がったので、印刷・製本して、この研究をしている、広瀬先生(歯医者さん)と中西先生に贈ることにした。

 

 で、隣町にある歯医者さんまで出かけて納本してきた。先生は大層喜んでいた。先生のおじいさんの書いた本だから、それがこんな形の本になったのだから、驚いたり、喜んだり・・。中西先生と西山先生には郵送をしておいた。

 

 これで、この研究はひとまずおしまい。図書館への納本は12月中旬を予定している。その間に、中西先生や広瀬先生の声や修正事項の有無を聞いておきたいし。

 

 とにかく、こういう原本を、9日間でなんとか本にまとめられてほっとしながら、さて、次は何をしようかと思案している。

 

 ともかく、小坂小誌は一件落着して、封印した。

 

 山頭火の句碑集と、四国遍路研究も終わって、印刷待ち状態。今月はトナーを3個、印刷用紙を5,000枚も消費したので来月以降に持ち越しにした。そうそう印刷ばかりに費用をかけてはいられない。

 

 歯医者さんに行ったついでに、東かがわ市湊川の川津桜を覗いてきたら、満開状態を過ぎて、花びらが散り始めているし、葉っぱもどんどんと出てきている。

 

 明日は孫のなぎちゃんの小学校の卒業式。けいこばぁが卒業式を見たい・・・と言うてる。自分の娘の卒業式には参列できなかったからだろうか。

 

 わが家の梅の花も満開を少し過ぎてきたようだ。あさっての18日が「彼岸の入り」に当たるらしい。で、今週の土曜日の21日が「春分の日」であり、「お彼岸の中日」になるらしい。

 

 ともあれ、昨年の白内障の影響で停滞していた「夏休みの自由研究」の昨年度分は完了した。「山頭火句碑集」と「塩飽小坂小誌」は今年分。これも早々に片付いた。明日、図書館に行ってみて、今年の「夏休みの自由研究」を何にするか考えてみようと思っている。

 

 しばらくはパソコンを離れて、どこかで何かを探して歩きたいものだなぁと思う、今日、このごろである。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生はやりなおしはできないが、出なおしはいまからできます」という、久々の「荒 了寛」さんの言葉から。私も60数年間生きてきて、もう一度人生をやり直したいと思うことは多々あるけれど、時計の針を戻すことはできないし、パソコンのようにリセットしたり初期化したりもできないもの。人は失敗して、落ち込んだり、ときには心に傷を負うこともあるけれど、過去を後悔しても仕方ないことだ。だから、ほんの少しだけ勇気を持って、出直すことばかり。人生とは、やり直すことはできないけれど、出直すことは今からでもできるものなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ろうばいの 黄色に居場所を 教えられ

2015年03月15日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は四国の南海上に停滞する前線や気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨が降っている。気温は4度から11度、湿度は74%から94%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。「春雨じゃ、濡れて行こうか・・」というような雨だった。明日の16日は、四国の南海上に停滞する前線や気圧の谷の影響で雲が広がり、昼過ぎから夕方にかけて雨の降る所があるらしい。

 

 ということで、小さな霧雨のような細かな雨が降ったり、止んだりの一日になった。

 

 こういう雨では出かけても楽しくないし、出かける場所も思いつかない。そこで、今日もまた、「塩飽小坂小誌」の編集で、今回は「土佐海援隊」の特集と、「亀山社中」の記事を追加した。

 

 土佐の札所で見かけた「土佐柏」である。これが、後の岩崎弥太郎の「三菱財閥」の紋所の「スリーダイヤ」になるというお話。

 

 ま、岩崎弥太郎は、直接は塩飽島とは関係ないが、海援隊と関係あるということで「おまけ」みたいなお話として追加してある。

 

 これは、土佐の札所で、先達さんから教えられたこと。こういうことは忘れずに覚えているが、ご本尊さんや由来来歴なんぞは右から左の忘却の彼方・・・。

 

 中岡慎太郎も、讃岐とは関係ないが海援隊と関係があるので特別出演していただいている。

 

 土佐の藩士ら十三人を神とあがめておまつりしていた「重三(しげみつ)神社。「十三神社」と」書いたこともあった。ところが、実際には、名前のあがっている十三人の中には関係の無い人も含まれていたことから、「八木彦三郎」の「八」と、「島村要(土岐眞金)」の「島」を取って「八島神社」と名を改めたのだという。

 

 そうこうして、80ページ程になったので、印刷しなおして製本してみた。

 

 これが電熱製本機の「とじ太くん」。

 

 すると、こういう本が出来上がる。表紙だけはカラー印刷だが、中身はモノクロ印刷になっている。だから、印刷すると真っ黒な写真が幾つか見つかる。そうした写真は差し替えないと使えない。

 

 「帝国図書館」の刻印も再現してある。ま、65点くらいの出来映え。原本が原本だけに苦労した割に成果が上がらなかった。

 

 明日も天気がよくないし、月曜日は図書課や博物館などがお休みだから、今日の修正点を差し替える作業が続くに違いない。

 

 今日の掲示板はこれ。「なかなか芽を出さぬのは、最も重要な根を広げている時なのだと知る」と言う、瀧本 光静さんの言葉から。竹ってどんなイメージがあるだろうか。竹は、4年間は全然伸びていないのに、5年後に一気に伸びるのだと言う。では、最初の4年間は何も変わっていないのだろうか。そんなことはない。では、いったいどこが成長しているのだろうか。実は4年間は「根」が成長しているのである。まず、しっかりと根を張ることで、太く長い幹を支える基盤をつくっているのである。そして、しっかりとした基盤が出来たとたんに一気に伸びていく。根がしっかりしているから、あれだけ長くても大丈夫なのである。竹やぶがあるところの地盤がしっかりしているというのは、地中に張り巡らされた「根」によるものなのである。人はともすると目に見える部分だけで判断してしまいがち。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


落ち椿 かすかに明日が 見えてきた

2015年03月14日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、はじめは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前にかけて雨の降る所があった。気温は5度から11度、湿度は93%から46%、風は1mから4mの北北東の風が少し。明日の15日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方を中心に雨が降りやすい見込みらしい。

 

 そして、今日は朝から雨・・・。昼からは晴れると言うていたが、今日もお出かけは「ダメよダメダメ。」と仰る奥方。奥方は午後からお仕事なんだとか。

 

 あたりはすっかりと春なのに。かと言って、格段、行きたい場所がある訳ではないし、出かけなければならない御用もない。温泉に行こうかと考えても、いつの間にか肩こりは気にならないし、前歯の痛みも消えている。

 

 それでは・・ということで、例の「小坂小誌」の校正を済ませ、いよいよ画像の張り込みに入った。このテキストボックスの挿入が面倒くさい。「線なし、色なし」を一回一回指定するのだが、これがひどく面倒に思えてならない。これだけやっているのだから、いい加減、学習してくれよ・・と言いたくもなる。

 

 テキストボックスで領域を設定し、そこに画像を挿入していく。

 

 雨はほぼ上がってきて、雲間から太陽が見え始めてきた。

 

 画像の張り込みも気分しだい。本文を眺めながら、「あ、このあたりに勤番所を入れようか」、「このあたりに長州征伐の画像を入れようか・・・」みたいな気分次第。別に売り物ではないし、展示会に出すような本でもないのだから、いつも気分は、行き当たりばったり。

 

 こういう配置は、バランス上、おかしいのだが、ちょうど、ここに段落があったから、画像を並べたら、こうなった。そうこうしていたら、またもやアラーム発生。「トナーが少なくなりました・・・」。

 

 この一ヶ月で3本目。少しばかり消耗が激しい。奥方がお仕事に行っている間に、気分転換にお出かけして、本屋さんや100円ショップやらをのぞいてから、この量販店にやってきた。

 

 トナーカートリッジとインクジェットのインクを買った。ここは、少しもおまけやサービスをしてくれない。極めて事務的に処理するだけ。

 

 で、出来上がった、試作品の「新・塩飽小坂小誌」。今晩、明日で全体の構想を取りまとめて、来週にはそれなりの形になりそう・・・。

 

 ちなみに、昨日の捕獲された親子のサルは、大勢の猟師さんがやって来て、どこかに連れて行ってしまった。そろそろ、おさるさんの捕獲作戦も終了するみたい。

 

 これはサンシュウユの花のつぼみ。すっかりと、春めいてきた今日このごろである。

 

 今日の掲示板はこれ。「思い通りにしようとする心が苦しみを生む」という町内の善楽寺さんにあったことばから。人間には自我というものがあるから、思い通りにしたいという心を抱いている。この思いが強ければ強いほど、思い通りにならなかったとき、腹が立ち、いらだって、時には怒りさえ覚えるもの。苦しみの原因は、自分の思い通りにならない自我が起こしたものである。気づいていたら、苦しみの原因が理解できたら対応できる。自我をなくすることはできないけれど、自我と仲良くすることはできる。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


侘び助が 明日の予定を のぞき込む

2015年03月13日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷の接近で雲が広がり、夜遅くには雨の降る所があるらしい。明日の14日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、明け方まで雨が降り、雷を伴う所がある見込みだとか。昼前からは高気圧に覆われて、次第に晴れるということだ。

  

 今日は天気がいいので、塩飽本島の小坂や泊地区を訪ねてみたいと考えていたのだが、奥方が「ダメよダメダメ。」と仰る。私が働いているのに、あなたが遊ぶのは不公平だと仰る。行くのならば一緒でないといけないと言うのだ。こういうことは最近になって言い出したこと。

 

 というので、仕方なく「塩飽小坂小誌」の続きで、今日は「丸亀市史」や、吉田先生の「塩飽史」をひもといてみた。丸亀市は通り一遍の史実らしいことを書いてある。

 

 吉田先生のは少し変わっている。土佐海援隊が塩飽人名の島を占領しようと、小坂の住民に働きかけた・・・というもので、目の付け所が違うなぁと思った。お話としては面白いかも知れないなぁと思ったが、史実としてはどうだろうか。

 

 これは、塩飽に残されている「塩飽検地之事」という朱印状で、「折り紙」という書状。田方屋敷方 のところで上下に折ってある。公的書類は、こうした「折り紙」であった。吉田先生の本の中には「切り紙を持たせ・・・」とか、「切り紙相違し・・」とある。今、切り紙や折り紙を検索しても紙で遊ぶ折り紙細工や切り紙細工しか出て来ない。切り紙とは普通の用紙に書かれた文書や手紙などである。

 

 ということで、「塩飽小坂小誌」の現代語訳が終わった。ま、誤字や下手な解釈はあるだろうが、それはこれからチェックするが、関係するものを印刷して並べてみた。

 

 そうすれば、このような本になる。一応、前書き、目次、現代語訳、原文、参考資料、あとがき、参考文書、奥書、裏表紙・・と、本らしい体裁は出来上がった。あとは、適宜に画像や資料、注釈なんぞを追加していく。

 

 これで大きな峠を越えた感触。表から眺めてみたり、裏から眺めてみたり・・・。

 

 今日も「木村食堂」のおうどん。外でもおうどん、家でもおうどんというのは少しうんざりするが、「働いていないんでしょ」と言われると・・・仕方が無い。

 

 今日は天気がいいものだから、わが家の前の畑には野猿が十数匹、悠々と歩いている。ジェット花火を発射すると一目散に山の中に逃げ込むが、花火くらいでは撃退はできない。すぐにまた、小猿などを引き連れて、ぞろぞろと、そのあたりを徘徊するのである。

 

 夕方の散歩に行くと、迷犬ごんが動かない。こんなところでどうしたんだろうかと、ふと目をやれば・・・。

 

 またしても、この捕獲器に親子(母子)のサルが入っている。この母親の首にはセンサーが取り付けられている。と、言うことは、一度はオリに入って捕まっているのだ。一度、学習したら身にしみたはずなのに、なんともはや、目の前のエサを見ると、食べ物が優先するのだろうか。この捕獲器は三月末日には撤去されることになっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「何千ものろうそくは一本のろうそくで灯すことができる。それでろうそくの命が短くなることはない。幸福も分かち合って減ることはない」という仏陀の言葉から。お釈迦様の時代にろうそくがあったんだろうかと素朴な疑問を感じたが、なにがしかの灯りははあった筈。そのあかりは一つの灯りで灯すことができたのだろう。ろうそくの命はだんだんと短くなるのだろうし、なたね油も少しずつは少なくなって行くようにも思えるのだけれど。それでも、幸福は分かち合っても減ることはないのだと思った。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


花寒の 畑に手を振る 人がいる

2015年03月12日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れてたが、寒気の影響で雲が広がり、雨や雪の降っている所があった。気温は4度から11度、湿度は60%から42%、風は2mから5mの西北西の風が一時は吹き荒れていたが寒くはなかった。明日の13日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、午後は気圧の谷の接近で次第に雲が広がり、夜遅くには雨や雷雨となる見込みらしい。

  

 春らしい陽気の日がやってきたと思うと、急に真冬のような寒さに戻ったりするような毎日で、関西では、12日の奈良のお水取りが終わらないと春がやって来ないと言い伝えられてきたように、暑さ寒さも彼岸までとか、「毎年よ彼岸の入りの寒いのは」などとも言われて、気温の不安定さを感じるこの月である。

 

 ふと、思いつきで始めたこの作業、カナ旧字体混じり文の入力は終わって、いよいよ、現代語訳の文章変換に入った。そして、今日はいよいよ目玉とも言うべき「小坂騒動」の部分の現代語訳に入った。

 

 カナ旧字体文書を、一文字ずつ、現代語のひらがな混じり文に変換していくのも面倒な作業。この画面だと、下は旧字体のカナ混じり文だが、上段はこれをひらがな混じり現代語訳になっている。

 

 この先生の原稿は、単にひらがな交じり文に書き直したもの。文体は昔のままだから、あまり参考にはならないが、旧字体の意味などを書いてくれているので利用させていただいている。

 

 こちらでは、関連画像の収集とか、参考資料の収集をやっている。ま、いろんなものが集まってきて、「ならば、こういう本にまとめたい」というような意識になってくる。今のところは、どんな本にまとまるかは未定。でも、今月の25日の県立病院予約診察日までには、一応の形にまとめたい。

 

 というのも、それ以降に歯医者さんに行って抜歯をしてもらうので、その時に、この現代語訳の本を製本して届けたいと考えているからである。この「小坂小誌」は、その歯医者さんの叔父さんが書いたものだからである。

 

 今日のお昼はここになった。今日は奥方が洋裁のお勉強に出かけたので、やむなくここにやって来た。さぬき市造田宮西にある「溜うどん」というプチセルフのお店である。

 

 内部は古民家というか、元醤油工場を改築したとかと聞いた。ここも常連さんの多いお店で、いつも駐車場はいっぱいになっている。

 

 これは「引き違い戸」の裏に書かれた絵らしい。

 

 ということで、相も変わらず、「溜うどん小」で350円。少しは違ったもの、変わったものを注文すればいいのに、面倒くさいもので、こればっかりを食べている。

 

 午後からも引き続いて「小坂小誌」の解読作業。小坂騒動で、この小坂集落は焼き討ちにあって、全ての家が燃えてしまったという。そして、非戦闘員の老人婦人子どもなど480人が捕縛され勤番所の軒先の柱やら庭木などに繋がれて、あわや全員毒殺・・・というところにやってきたのが宮地彦三郎ら海援隊の人たちだったというお話。

 

 明治元年正月の話だというから、間もなく150年も昔の話。さてさて、どんな形の本になるだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「自信とは自分を信じることじゃない。自分のしてきたことを信じることだ。」というもの。誰の言葉だかはわからないが、確かにそうだなぁと頷いたことば。仕事とか、研究とか、講演だとか、自分のやってきたことに頷けるときこそが「自信」だなぁと思ったことが何度もあった。「そうだよ、そうだよ。自信とは自分を信じることじゃない。自分のしてきたことを信じることだ。うん。」

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


うぐいすが よく啼く朝だ 伸びた爪

2015年03月11日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側の西部を中心に雲が広がり、雪や雨の降っている所があった。気温は0度から9度、湿度は66%から42%、風は4mから7mの西の風が一時強かった。明日の12日は、冬型の気圧配置が次第に弱まるため概ね晴れる見込みらしい。

 

 今朝は迷犬ごんの水桶が分厚い氷で固まっていた。久々の氷だなぁと思った。風は冷たいけれど、氷が張るのは珍しい・・・。

 

 さて、今日は風はあるもののいい天気だからと、久々に、瀬戸内海歴史民俗資料館に行って来た。ここは高松市西部の五色台という山の上にあって、高松市とは云うものの、もう、坂出市に近い所にある。

 

 こういう不思議な形の建物で、全面、石張りになっている。なんでも、このあたりの岩石を集めて貼り付けてあるのだとか。まるで、秘密基地のような建物である。

 

 ここでは、「仕掛け・・・魚と人の知恵比べ」展が行われている。これは「カワハギの皮」と、疑似餌針である。広い海のどこが魚のねぐらで、どこを通るのか。これを知らずに水と砂と岩だけの空地に釣糸を垂れても魚は釣れない。漁師は知恵をしぼり、仕掛けをこしらえる。例えば、魚の皮で疑似餌を作ったり、ブタの脂身をタコ釣り針に付けたりする。また、雄のダツを寄せるため雌の背に浮子を負わせたり、木で手作りした模型を流してサワラを集めることもする。そんな漁師さんの知恵を並べて展示してあった。

 

 これはアワビの貝殻の魔除けで、わが家には偉くて強い人がお泊まりだから、悪魔は近寄らないように・・・という意味である。

 

 ここには、瀬戸内海周辺の海や山やに生きる人びとの民俗資料がたくさん展示をされている。

 

 そこから山道を下っていると、ふと、懐かしい光景に出会った。

 

 これは、高松市西部にある「香西(こうざい)西町」と呼ばれる地区にある薬師山善光寺で、左の尾根上に点々と並ぶお墓のようなものが「二十四輩さん」である。数年前には、この反対側からミカン畑の中をエッチラオッチラと登ってきたのだが、ここからだと簡単に歩いて行ける。ここは「立石公園」とか「二十四輩遊園地」とか呼ばれている。

 

 この石碑が二十四輩さんで、親鸞聖人の教法を正しく受け継いだ二十四人の高僧と、その方が開いた寺院のことを「二十四輩さん」と呼んでいる。これらの石碑には「一番 報恩寺」などと、番号と寺院名が刻んである。

 

 明日は、公立中学校の卒業式があるらしい。明日からは暖かくなって春らしくなって来るらしい。

 

 白梅や紅梅が満開状態で咲いている。畑やあぜ道にはうっすらと緑の若芽が萌えだしている。

 

 明日には奈良東大寺の二月堂のお水取りだとか。これが終われば関西では春が来ると云うらしい。ま、なんだかんだと云いながら、春はそこまでやって来ているなぁと感じる今日この頃である。

 

 今日の掲示板はこれ。「あなたを待つ時間の長いこと あなたといる時間の短いこと 計れば同じ時間なのに」と言う、相田みつをさんの言葉から。 無駄なく、充実した日々を過ごしていても、ぼんやりと過ごしていても、時間は平等に過ぎていくもの。よく、加齢とともに時間は早く過ぎていくとか言われるけれど、その感覚は多くの人たちに共通したものかも知れない。でも、時には立ち止まってじっくり考えることも、のんびりすることも必要なのだから、考え方一つで感覚も変わってくるものである。『時間が過ぎ去って行くのではない。 われわれが過ぎ去っていくのだ。』という西洋のことわざを思い出した。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


すぐそこに 梅の花あり 野の佛

2015年03月10日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置の影響で、瀬戸内側や山間部では雲が広がり雪や雨の降っている所があった。気温は7度から4度ほどに下がってきた。湿度は65%から51%、風は4mから8mの西北西の風が吹き荒れている。明日の11日は、冬型の気圧配置が続くため、雲が広がりやすい見込みで、寒い一日になるらしい。

 

 朝方は晴れていたが、昼前あたりからは曇ってきて雨や雪になった。向こうの山も雪で真っ白になるかと思ったけれど、あの吹雪がウソのように晴れてきたりした。風が強いので、今日もデスクワークになった。

 

 今日はいよいよ、本になる様式にデーターを落とし込んで配列を考える所まで来た。まだ、この段階では画像は入らない。

 

 とにかく、旧漢字が多いので、なんと読むのか分からない字が多い。そこで、手書き文字入力で漢字を探し出して、その読み方を調べるという方法を取るので時間がやたら掛かってしまうが、今更、大漢和辞典を開く元気はない。手書き文字入力で漢字が出たら、電子国語辞典とかで検索するほうが早いものだし・・・。

 

 ということで、この「塩飽小坂小誌」という冊子、B5版33ページの小冊子は読み込みを終えて、データの形式変更作業中。

 

 あれ、今日は火曜日ではないか・・・と言うので、香川県立図書館にやって来た。先週に借りた本を返却するためである。来週の火曜日でもいいのだが、読んでしまった本をいつまでも置いておくのもムダだからと、早めに早めに返却しておくことにしている。

 

 ここに来ると読みたい本はいくらでもあるのだが、当面、読まなければならない本はほとんどない。

 

 ということで、今回も法然上人に関する本を5冊借りたが、どれもこれも、目を通したことのある本ばかりだった。

 

 今日は一斉に高校入試が行われる日らしい。夢と不安とが入り交じる頃なんだろう。私の頃のことはすっかりと忘れてしまっているし、娘の高校受験の頃もあんまり記憶がない。ただ、発表の当日、合格だったら福島に行く・・・という危なっかしい旅をしたことは少しだけ記憶にある。ま、100%、合格することを考えていなければ、家族で旅になんぞ出かけられる筈はない。

 

 さて、「小坂小誌」に戻るのだが、小坂に大石家というのがあって、石工の頭領をしていたらしいのだが、この人が「華表(トリキ)」建立の時にも石工頭領を務めたとあるが、「トリキ」とか「カヒョウ」という石材工作物を見たことがない。これは中国の「華表」だというのだが、国内でこんなものを見かけたことがあるだろうか。

 

 この小誌には鉛筆書きで、「トリキ(華表)、墓やお堂の入り口の柱、鳥居に当てた語」と書いてあるが、「トリキ」と「トリイ」を混同するのもおかしな話。これは韓国の鳥居の原形とされるものだが、こんなものは国内で見たことがない。ましてや塩飽本島にはない。大石の先祖、山谷九郎兵衛は、何を小坂に建てたのだろうか・・・。

 

 「膂力(りょりき)」という字もあった。筋肉の力。また、腕力のことであるらしい。見たこともなく、聞いたことのない言葉である。こういうのが昭和10年代に使われていたというのだから、昭和は遠くなったものだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「おもしろきこともなき世をおもしろく」という、幕末の志士、高杉晋作の辞世の言葉として、「面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」というもので、「心の持ち方、心の有り様でいかようにも世界を捉えられる」ということが、ここで語られているのではあるまいか。「面白いことのない世の中も、心持ち一つで面白くすることができる」ということで、これがもし本当であるとするならば、身の回りのあらゆる事どもを、自分にとって「楽しい、面白い、役に立つ、勉強になる」そんな出来事に変えてしまうように心がけてみてはどうだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


行く今日を 追いかけもせず やぶ椿

2015年03月09日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は、四国の南海上を進む低気圧の影響で、一日中雨が降っていた。気温は5度から9度、湿度は89%から90%、風は1mから2mの北西の風が少し。明日の10日は、強い寒気が流れ込み冬型の気圧配置が強まるため雲が広がりやすく、雪や雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨日は春のような陽気だったのに、今日は一転して寒くて冷たい一日になった。

  

 雨では出かけても楽しくないので、今日はデスクワーク三昧になった。例の「塩飽小坂小誌」の解読作業である。この本は昭和10年の発行になるものだが、旧漢字字体だし、前編カタカナ書きになっているので、「読んde!ココ」というOCRで読むと半分以上が文字化けしてしまう。

  

 それを丹念に解読しながらワード文書に直していく。一気にかな漢字交じり文にすればいいのだが、なるだけ原本通りに写して行く「𦾔」とか「仝」とか、滅多に使わない漢字に悪戦苦闘中。

 

 どうにか、「小坂騒動」や「大山神社」という部分を処理することができた。維新前後の、無くなってしまった「人名権」を守ろうとする権力側と、その「人名権」を返せ・・という漁師たちの戦いだった。480人が捕虜となり、18人が犠牲となった歴史の間の悲惨な争いだった。

  

 これは、塩飽史談会の中西先生が現代文に書き写したものだが、これを電子化してくれていると有り難いのだが、この現代語訳を参照しながら、旧字体で打ち込んで、そこから、この現代語訳に落としていく予定である。なんとも面倒なことをするものだが、この手書きの原稿ではOCRが読み取ってはくれないからである。

 

 これが大山神社という小坂の氏神さんである。ここに、小坂騒動を鎮撫した「宮地彦三郎」をまつる「八島神社」がある。

 

 雨は降ったり止んだりを繰り返しながら、まるで梅雨時の雨のように降っている。

 

 ここには、法然上人が塩飽島(塩飽本島)に宿泊した時の様子も記載されている。今日はここまでを読み込んだ。ここには、まず、小坂に着いて上陸して休憩してから、笠島の地頭高階保遠西忍の所に向かったとあるが、それは少し違う気がする。西忍の館から子松庄に向かう途中に小坂に寄ってから丸亀に向かったとする説が圧倒的に多いのだ。

 

 これが小坂の阿弥陀寺で、ここに、上人船繋ぎの名号石が保存されている。

 

 これがその、船繋ぎ石で、上人は紙に六字の名号を書いて与え、それを土地の人びとが、この船繋ぎ石に六字の名号をノミで掘ったというもの。

 

 わが家のサンシュウユの花もきれいに咲きだしているし、

 

 梅の花も遅まきながらきれいに咲きだしている。花壇のチューリップもすくすくと成長してきている。

 

 今日の掲示板はこれ。「たとえどんなに辛くても 春を迎えぬ冬はない」というもの。同じような言葉に、「止まぬ風はない」、「あがらぬ雨はない」、「山よりでっかい獅子は出ぬ」、「明けない夜はない」、「来ない朝はない」などが思い出される。「秋が来ない夏はない」、「春が来ない冬はない」シリーズみたいなことだ。明日からは荒れた冬の天候になるらしいが、どんなに寒くても辛くても悲しくても・・・春を迎えぬ冬はないと信じて今日に感謝したい。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春めいて 五百羅漢の 手に念珠

2015年03月08日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は7度から13度、湿度は86%から56%、風は1m前後の北西の風が少しばかり。今日はすっかりと春の一日になった。明日の9日は、四国の南海上を東北東に進む低気圧の影響で雲が広がり、昼前から昼過ぎにかけて雨が降る見込みなんだとか。

  

 わが家近くの防災工事も概ね完成が近くなってきている。今日は日曜日なのか物音一つしない・・・。

 

 「こんないい天気の日曜日なんだから、どこかに連れて行って欲しい・・」と言うので、善通寺さんの「涅槃桜」を見に行くことにした。そしたら、近所のおばちゃんまで誘って行くことになった。その、善通寺に向かう途中で、ここにも寄ってみた。

 

 丸亀市綾歌町栗熊にある福成寺さんの寒桜だが、すっかりと花びらを落として若葉が出始めている。さすがに見物の人も少なくなってきた。

 

 でも、幾らかの花びらを見ることができた。

 

 で、主目的の善通寺さん。ここは真言宗善通寺派の総本山で、四国霊場75番札所。駐車場には高知だの徳島だの神戸だの山口だのという県外ナンバーの車が目立った。

 

 涅槃桜は、植物学者の八木繁一氏が1965(昭和40)年に、愛媛県新居浜市の明正寺で発見した新種の桜でミョウショウジサクラ(明正寺桜)と命名された。お釈迦様が入滅した旧暦の2月15日ごろ咲くことから「涅槃桜」と呼ばれて、親しまれている。善通寺の涅槃桜は、1973(昭和48)年の弘法大師生誕1200年祭を記念して明正寺から贈られ、宝物館周辺や駐車場周辺に約20本植えられている。

 

 今日は旧暦でいえば正月の18日だから、ようやく花が咲き始めたところ。満開までにはしばらく時間がかかりそう。

 

 先月に、ここを勉強したばかりだったので、境内の説明をしようとすると、「トイレに行きたい・・・」とか、「おなかが空いた・・・」というのだからたまらない。これだから、連れてくるのはイヤなんだ。

 

 「おうどんばかりじゃなくて、レストランとか開店寿司とかに連れて行ってよ・・」というので探したが、焼き肉屋だったり、品のない昼飯屋だったりで、結局の薬局、善通寺から多度津町まで30分も走り回って、たどり着いたのは、やっぱり、普通のうどん屋さんだった。

 

 こういうセルフのうどん屋さんに入るしかない讃岐なのである。

 

 で、温玉ぶっかけ小の温いん・・を注文した。310円だった。

 

 ついで・・というか、予定通りというかで、ここに着いた。多度津町立資料館。ここで、「わが家のお宝展」というものをやっていると、地元テレビが放送していたからだった。

 

 こういう懐かしい映画のポスターとか、

 

 こういうブリキのおもちゃとか、

 

 業務用の電子計算機、120万もしたそうだ。ま、パーソナルコンピュータでも周辺機器から揃えたら、そのくらいにはなっていたように思う。

 

 ということで、懐かしい昭和時代の思い出に浸ってきたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生この先 何が起こるか分かりません。だからこそ 一日一日を大切に 感謝のこころで生きたいです。」という、西端春枝さんの言葉から。93年も生きて来て、更に、「人生この先何が起こるか分かりません」と仰る力強さには驚かされる。テレビやラジオ、新聞などを見ると、まさに「人生この先、何が起こるか分からない時代」である。だからこそ、一日一日を真剣に、大切に、感謝のこころで生きていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春の雨 笠を濡らして 行く遍路

2015年03月07日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所が多くなっている。気温は5度から7度、湿度は93%から85%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の8日は、高気圧に覆われて日中は概ね晴れる見込みだが、気圧の谷や湿った空気の影響で朝晩を中心に雲が広がり、未明は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日は朝から雨・・・。雨だからという訳でもないのだが、右の前歯が痛い・・。ここのところ、編集や製本作業で眼や腕を使ったせいもあってか肩こりがするし、水やお湯やお茶などを飲むと鋭い痛みが走る。たまりかねて、けいこばぁに歯医者さんに電話をしてもらった。

 

 で、隣町にある、けいこばぁが永らく勤めていた歯医者さんにしぶしぶと出かけた。歯医者さんは治療が長引くのでどうにも行く気が出ずに、我慢に我慢をしていたのだが、とうとうギブアップで歯医者にお願いすることにした。

 

 相当に歯槽膿漏が進んでいて、抜歯をしないといけないのだが、身体が身体だから、内科のドクターの許可をもらわないと麻酔も打てないし抜歯もできないと仰る。麻酔などで血管が集縮すると困るとかで・・・。

 

 だから、今日は義歯の調整とか食べ物の指導、痛み止めなどを頂いて応急処置。今度、県立病院に行くのは25日である。それ以降に抜歯して義歯を入れて・・・ということになるので、当分は痛み止めとかで我慢するしかない。

 

  牛乳や牛肉はやめよう。塩分を多く取ろう、朝食は絶食、野菜中心の食事をしよう。爪マッサージをしよう・・・などと、どっさりと資料やら薬やらを頂いた・・・。うがいも「にがり」を使うようにという、少し変わった歯医者さんだ。

 

 で、この先生のお父さんが塩飽本島(ほんじま)の小坂の出身だというので、先祖捜しをしている。で、この冊子を国立国会図書館でコピーしてきたのだという。そのコピーをしてきたのが、塩飽史談会の中西さんだという。

 

 で、それを、その中西さんが現代語訳しているらしいのだが、苦労している様子。ま、それはいいことだと傍観していたのだが、その中程に「法然上人」のことが書いてある。「あれれ・・・」ということで読み返してみた。

 

 ということで、スキャナーで読み込みを開始することになった。とんでもい「ワナ」を踏んでしまったものである。歯の痛みが、またしても新たな歯の痛みを引き起こすことになってしまったのだ。

 

 というのも、昨日。こういう通知が京都の本山から届いている。来る六月頭に、「興正学会」が開かれるのだが、ここで私の研究を発表することになったらしい。若い方が大勢いるのだから、まさか、私が選ばれることはないだろうという思いだったのだが。

 

 こういう論文なのだが、ま、簡潔に論文らしく発表しなければならない。全部を読んだら三日はかかる長文である。

 

 それが、この冊子に収まっている。これも先日に完成している。

 

 でも、古い本をコピーしてあるので、なかなかにうまくは読み込んでくれない。またしても肩こりがひどくなるような気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「何かをしたい者は手段を見つけ、したくない者は言い訳を見つける」というもの。アラビアのことわざらしい。子供の頃には何ででも遊んだ。空き缶でも石ころでも木の枝でも。落ち葉でも草の葉っぱでも。最近は、あれがないと遊べない、これがないと遊べないと言い訳をするようになった。トナーが切れた、用紙がなくなった、肩こりがするとか言い訳ばかりが多くなった。本当にやりたいことが見つかっていないのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅の花 あれこれ夢を 組み立てる

2015年03月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっている肌寒い一日になった。気温は2度から8度、湿度は72%から50%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。あすの7日は、気圧の谷の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 昨年は白内障のおかげで細かな作業やデスクワークができなくて、「英国士官レキ研究」や、宿題であった「古川庄八と古川阪次郎研究」、それに「しわく広島お大師まいりガイドブック」などの製本や納本ができていなかった。

 

 眼もよく見えるようになったし、当面の作業がないということで、これらの再編集やら製本作業を進めてきたが、ようやくに完成したので、今日はこれを「納本」することにした。これは背表紙を貼り付けているところ。図書館の書架に並べるとタイトルが見えないので、こういう作業もやっておく。

 

 で、今日はこの三種類の本を納本することにした。図書館側では「贈呈」とか「寄贈」とかと呼んでいた。

 

 これもきれいに整列するように貼るといいのだが、おじいさんのやることだから、多少のずれは愛嬌ものだ。

 

 今日のお昼はここになった。高松市六条町にある「和希」というプチセルフのお店。かけうどんなんかでは、セルフ形式で、自分でテボを使って麺を温め、自分で出汁を注ぐ方式になっているが、少し手の混むものは、テーブルまでおうどんを運んできてくれる。

 

 今日は寒いから・・・ということで「しっぽくうどん」を注文した。こういう場合、お会計は先払い。席で待っていると、できあがった麺を運んできてくれる。

 

 私が行く11時前後だと、どこともお客さんは多くはない。だから、ゆったりとおうどんを食べることができる。

 

 まずは、香川県立図書館に、書庫用、郷土資料閲覧用、郷土資料貸し出し用の三冊ずつの九冊を贈呈、納本した。

 

 次は丸亀市中央図書館に一冊ずつ三種類三冊を贈呈。二部ずつ贈呈しましょうかと言うと、「貴重な物ですから一冊ずつでけっこうです」と言われた。なんか、うれしいようなさみしいような・・・。

 

 ここでは女子高校生があちらこちらでお勉強をしていた。県立図書館は静かで荘厳な感じがするが、ここはリラックスした喫茶店のような雰囲気だった。もちろん、飲食やおしゃべりはできないのだろうけれど。

 

 ここは、「丸亀市猪熊源一郎現代美術館」。この西側に中央図書館がある。

 

 その次に向かったのが「丸亀市立飯山図書館」。ここにも一冊ずつ三種類三冊を贈呈した。ここにも何冊かの私の本が置いてある。

 

 これで、昨年の宿題はおおむね片付いた。「まほろば自然博物館」のホームページもピカラに移転は完了したし、メールの移転も完了した。「さぬき市を歩いた山頭火」も完成したし、「四国遍路の闇と影」も、増刷を残すのみとなった。

 

 今日の掲示板はこれ。「災難が来ぬように祈るのが信心ではない どんな災難が来ても引き受けてゆける力を得るのが信心です」というもの。誰しも災難には遭いたくない。災難に遭いたくないから宗教を信じている人が多いのも事実。普通に、宗教とは「除災招福」といわれるように、災いを除き福を招く ものだと思っている人も多い。しかし本来の仏教は除災招福を説かない。災難がこないように祈る宗教ではない。『仏説無量寿経』に「身自ら之(これ)を当 (う)くるに、代者あることなし」とあるように、与えられたものは引き受けるしかない。誰も代わってくれる者なしなのである。仏教で説く「すくい」とは、苦しみがな くなることではない。苦しみを乗り越えていくことである。今まで苦と思っていたことが苦でなくなっていくことである。また苦しみの現実が変わることではない。 苦しみの現実を引き受け、苦を乗り越えて力強く生きる身となることなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


生き死には ひとり一人だ 梅の花

2015年03月05日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は寒気の影響で雲が広がっている一日だった。気温は3度から10度、湿度は69%から49%、風は2mから4mの北北西の風が少しばかり。肌寒い一日になった。明日の6日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がる見込みなのだとか。

 

 朝方は少しばかり日が差していたが、奥方が家庭菜園で草引きをしているので出かけられない。草引きが終わればジャガイモを植えるので畑を耕して欲しいと言うのである。

 

 仕方がないので、昨日の続きで、しわく広島のミニ四国、お大師まいりのガイドブック作成。昨夜の夢の中で、案内用地図は最後に着けるほうがいいと言われたので、校正を変更したら、ページ数が全体的に変わってしまうので、まるきりの「第二版」になってしまった。

 

 これが現在作業中の本の状態。「四国遍路の闇と影」、「さぬき市を歩いた山頭火」、「讃岐における法然上人の足跡」、「英国士官レキ研究会報告書」、「古川庄八と古川阪次郎そして山口嘉次郎」、そして「しわく広島お大師まいり完全ガイド」の六作品。それぞれに6部ずつ作成中。

 

 天気がいいからお猿さんものんびりとしたもの。最近はカメラを向けても平気な顔をしている。

 

 今日はさぬき市造田宮西にある「溜(たまり)」うどんに寄ってみた。ここはプチ・セルフのお店。こちらから、天ぷらやご飯物をチョイスしながら進んで、赤いマットのところで注文して麺を受け取ってレジで会計をすませる。

 

 私はいつもの「溜まりうどん」とろろと大きな梅干しが載っている。これに醤油を掛けて食べるもの。

 

 古民家を改装してのうどん屋さんで、レトロな雰囲気がそこかしこに残されている。

 

 今日は早くも三月五日、あたりはすっかりと春めいている。今年は雪らしい雪が降らずにすんでしまうのだろうか。今夜はふきのとうの天ぷらとフキ味噌になるのだそうだ。

 

 今年は梅の開花が遅いなぁと思っていたが、時期が来ればきれいに花を咲かせるものだ。

 

 今年も梅がたくさんなるといいのだけれど・・・。

 

 で、これで「けいこばぁ農園」を耕して、ジャガイモの植え付けをするのだそうだ。私は畑を耕すだけ。

 

 ものの10分ばかり耕しておしまい。これまでダイコンと白菜をしっかりと食べさせられたけれど、当分は大根も白菜も出て来ないと思うのだけれど。

 

 ふと、眼を下にやれば、しっかりと草の芽が伸びて緑色が戻って来ている。明日が啓蟄らしい。間もなくお彼岸がやってくるので、春はもう、そこまで。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しいのは自分を中心にしているからだ」というもの。平野修先生(真宗大谷派明証寺住職)の言葉から。平野先生は、1943年(昭和18年)石川県に生まれる。大谷大学大学院博士課程修了。九州大谷短期大学教授。石川県松任市(現白山市) 真宗大谷派明証寺住職。1995年9月27日示寂。著書に 『浄土の問題ー世界と聚りー』(金沢教区教化委員会)、 『鬼神からの解放ー化身土巻ー』(上・下)(難波別院)、 『浄土論註講義ー論註の基礎ー』(一・二)(六道会)、 『民衆の中の親鸞』(東本願寺)『教行信証に学ぶ』(東本願寺)など多数がある。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


日陰から 明日を見上げる ふきのとう

2015年03月04日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は晴れている所もありますが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっているところもあった。気温は6度から13度、ようやく暖房を入れなくてすむようになった。湿度は86%から48%、風は1mから6mの西北西の風が強かった。明日の5日は、冬型の気圧配置や寒気の影響で広がりやすい見込みらしい。

  

 朝の散歩に行ったら、迷犬ごんが動かない。なんでかなぁ・・と、よくよく見てみれば、またしても捕獲オリの中に小猿が捕まっている。子猫みたいに小さいのに、犬のごんはおびえてすくんで動けない。なんと情けない犬であることか。でも、この小猿は動物園ででも大きくなってほしいもの。

 

 わが家の花壇のチューリップが大きくなってきている。どこかに出かけようとすると、「ダメよだめだめ。私が帰ってきてから・・・」と奥方が言う。仕方がないから午前中はデスクワークになった。

 

 これは三年前に作った「しわく広島お大師まいり開創100周年記念号」の原稿だが、先日に香川県立図書館に行くと、おとなりの「手島八十八ヶ所霊場巡り」の冊子があった。「こんなものなら、うちにもあるぞ」と、第二版を作成することにして修正作業をやることにした。

 

 その100周年の時には山の中で見つけられなかった石仏(札所)が何カ所かあったのだが、その後、幾つかを見つけたので、それを追加したり修正したりしていた。

 

 平成24年が、しわく広島に「島四国」が開かれて100周年になるというので、こういう資料を作って参拝者に配ったり、各戸配布したりしたもの。これは島だけに通用するものだからと、図書館への「納本」はやめたのだが、お隣の島がやっているのならば・・と、再版を決めたのだ。

 

 で、11時半にピアノのレッスンから戻って来たけいこばぁが、「おうどんに行こう!」というのでしぶしぶ出かけた。今の時間帯にうどん屋に行けば行列しないといけない。「並んだって回転が速いから大丈夫!」というので、先月に開店した、この、「マルタツうどん」に言ってみた。お客は多かったが、運良く二席空いていて座ることができた。

 

 ここは、この看板で有名だった「権平(ごんぺい)うどん」の後、「居抜き」でうどん屋を始めたもの。この看板も復活した。

 

 ここはセルフではなくて「一般店」。席で待っていると注文を取りに来る。男性は若い店長さん一人、ご婦人が三人で応対している。

 

 私は「肉肉うどん」、けいこばぁはいつもの「かけうどん」。見栄えは普通の肉うどんだが、お値段が800円とは少し高い気がする。噂では、牛肉と豚肉が入っているので「肉肉うどん」と言うらしいが、普通の「肉うどん」のような気がした。麺はやや細目でなめらかだった、お肉はやわらかくてマイルドだった。

 

 おうどんを食べ終わると、「ふきのとうを探しに行こう」というのでしぶしぶ山に向かった。ふきのとうも最近はすっかりと姿を消した。だから、おそらく、見つからないだろうと思ったのだが、あそこならば・・・ということでハンドルを切った。

 

 十数年も前に見かけたところで、半信半疑で行ったのだけれど、あるわあるわ・・・。

 

 そこいらじゅうが蕗の薹だらけ・・・。

 

 どっさりとレジ袋二つにいっぱい取ったのだけれど、お掃除をしたら、これだけになった。これでフキ味噌を造るのだそうだ。そうすればさらに少なくなってしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「お金より大事なものがない不幸」というもので、いつもの赤松先生のお寺にあったもの。「お金で買えないモノはない」と、よく言われるし、、「よく、お金より大事なものはたくさんあるねという人がいますが、あれって正気で言ってるんですか?ただの綺麗事ですよね?」という人もいるのは事実。この言葉の是非は別にして、お金を自分の価値基準のどこに置くかは、人生でとても重要なことである。五木寛之さんは、「人間は誰でも自分がいちばん大切なのです。そして、そのことをほんとうに自覚した人間だけが、自然なかたちで他人を大切に思うことができる」と述べている。あなたにとって、お金よりだいじなものがあるだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


たんぽぽに 明日の予定を 問いかける

2015年03月03日 | 自然ありのままに

  さぬき市地方は東シナ海の低気圧が前線を伴い、四国の南海上を北東に進むため、昼過ぎから雨が降り出してきた。気温は1度から12度、湿度は90%から62%、風は1mから8mの南東の風が一時強かった。明日の4日は、寒気や気圧の谷の影響で雲が広がりやすく、未明は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝の散歩の時にニホンザルがオリに入っているのを見つけた。先日、わが家の迷犬ごんが脱走した事件があったのだが、なんと、このオリの中に閉じ込められていたらしい。猟師さんが気がついて釈放してくれたらしいが、まかり間違えば殺処分されていたかも知れないということだった。

 

 その近くの、小型の捕獲器にも小猿が入っていた。この捕獲作戦は3月31日まで続けられるそうだ。

 

 今日は天気がよくないということなので、香川県立図書館に行ってきた。ま、毎度の火曜日は図書館通いになっている。

 

 先週に借りた編集関係の本、五冊を返却して、今度は讃岐の句碑巡りとか俳句や歌碑についての本を五冊借りてきた。

 

 その後、ここにやってきた。高松市香南町にある「高松市香南歴史民俗郷土館」である。

 

 由佐城は、由佐氏の居城で、東は香東川、西に沼地の多い自然を巧みに利用した要塞で、天正11年(1583)長宗我部元親軍が攻め入ったが容易に落城しなかったと伝えられる堅城であった。由佐家に残る由佐家文書のなかに「由佐城絵図」があり、それによると、香東川の西岸に柳並木があり、それに接して「下之城」があり、その西に内堀を隔てて「上之城」が設けられていた。上之城を中心に周囲16町ばかりの中を外堀、内掘によって仕切り、各地区は橋で結ばれ、外との連絡も南、北、西に設けられた橋によって行われていたことがわかったらしい。城内には土塁が築かれ、櫓もあったそうだ。由佐家の居宅とした屋敷内には内堀、土塁跡を見ることができたそうで、今でも香南歴史民俗郷土館の敷地内、庭園西側には土塁の跡が残されている。周囲には南門という地名も伝えられている。

 

 ここで、山頭火などの句碑や歌碑の拓本展が行われているのだが、なかなかに碑文を読むのが難しいらしい。幾つか、誤って読んでいるものもあったので、おせっかいながら、私の調べた句碑集をプレゼントするためにやってきた。

 

 拓本を取ったものの、何が書いてあるのかわからない・・・という声を聞いたもので、さぬき市内の句碑や歌碑を調べたものを参考にしていただこうという訳である。副会長さんらが驚いて、こんな資料があったんですか・・と眼を丸くしていた。いや、そんな資料がないから、私が作ったんですよ・・・と言いかけたがやめた。

 

 今日のお昼はどこにしようかと、あちらこちらを走ったのだけれど、定休日であったり、開店前であったりして・・・、結局の薬局でここになった。高松市西植田町にある「麺通堂西植田店」。

 

 今日も気分的に「肉うどんの小」になった。これで420円だった。可もなく不可もなく・・・。

 

 その後も、春を探して走り回ってきたが大きな成果はない。途中の電気店で、印刷用紙(表紙用の厚めのマット紙)を買ってきたので、宿題の印刷を再開した。

 

 英国士官レキ研究を7冊、古川庄八研究を6冊完了した。これらは県立図書館と丸亀市図書館に恵贈するもの。「山頭火の句碑集」の増刷は少し後でもいい。「四国遍路の闇と影」 の原稿ができたので、試作版を明日にでもやっておきたいもの。

 

 今日の掲示板はこれ。「同じことでも 「なんだこれしかできない」と不満に思う人 「これだけできた」と喜ぶ人 喜ぶ人が幸せへ」というもの。。「3歩しか歩けない」と嘆くのか、「3歩も歩けた」と喜ぶかの違い。それが人生には大きなことで、1,000Kmしか歩けないのか、1,000Kmも歩けたと喜ぶのかみたいな差になって来る。人生は、そんな少しの差が大きな喜びに実って来るものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


水仙に 今日の日記を せかされる

2015年03月02日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5度から11度、湿度は66%から49%、風は2mから5mの北西の風が少しばかり。春のような天気なんだが、幾分か底冷えのするような午前中だった。明日の3日は、気圧の谷や四国沖に進む低気圧の影響で雲が広がり、夕方から雨が降る見込みらしい。

 

 さて、今日も良い天気だからお出かけをしたいのだけれど、奥方が洋裁なんぞをやっているものだから出かけられない。「お昼も一緒に食べるから・・・」と言われると、出かけたくても出かけられない。番犬が見張っているみたいなものだ。

 

 で、仕方がないから「四国遍路の闇と影」の編集作業。今日は明治から大正・昭和に至るまでの復興と新局面についての記述。神仏分離から仏教廃棄、それから立ち直る仏教界。そんな内容の整理だった。

  

 ところがだ。またしても、「トナーが少なくなりました」のメッセージが。先月の25日に交換して、わずか、5日でトナー切れとは・・・。そんなに多くは印刷してはいないのに・・・。でも、これを「錦の御旗」にして、堂々とお出かけをすることにした。「黄門さまの三つ葉葵の印籠」である。

 

 「仕方がないから」という名目で量販店にやってきた。ここに来て、「欲しいものはいくらもあるが、必要なものは多くはない」ということである。

 

 トナー・カートリッジとインクジェット用のインクを購入した。でも、最近のトナーの消費量は異常だ。5日ごとにカートリッジを交換するとは・・・。それだけ、不要な紙を排出しているということだ。

 

 ま、表向きは、「プリンターのインク切れ」なのではあるが、実は・・・。

 

 この町屋風の建物。実はこれ、「ドコモショップ・三本松店」という、モバイル・グッズの販売店である。

 

 外観とは違って、店内は明るくて近代的なお店。

 

 私のタブレット端末が、二年間という時期を終えたので、これを解約することにした。なんとなく、新しい機種にすれば便利かなぁと考えたからである。深い意味はなかった。

 

 で、今度のタブレットは軽くて動作の速い、「Arrows Tab F-03G」というものにした。店員さんに勧められただけで即決したが、いくら説明を聞いても、どれがよくて、どれが悪いのかも分からない。ただ、軽さだけで選んだのが理由の一つ。でも、メーカーが違うからか、操作方法がまるきり違う。しばらくは操作に慣れることが肝要かなぁと思ったことだった。

 

 でも、一回り小さなサイズにしたら、文字が見にくくなった。だから、便利になったのか不便になったのか・・・。新しいものにはついて行けなくなったなぁと感じたことだった。

 

  と言うことで、予定外の、想定外の一日が過ぎた。人生は予定していたようには進まない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生が行き詰まるのではない 自分の思いが行き詰まるのだ」という安田理深先生の言葉から。昔々一匹のウサギがいた。ウサギは秋の間中、ずっと木の実を集めては山の中に隠しておき、隠し場所を忘れないように何か目印はないかと探した。ふと見上げると雲が見える、この雲を目印にしようと考えた。そして冬、雲が動くことを知らなかったウサギは目印を見失い、そして蓄えを全て失った。ウサギは我々の鏡である。変わりやすく不確かなものを人生の目印にしてしか生きられないのが我々ではないか。家族、お金、健康、仕事…。自分を輝かせるために、それにしがみつき、生きがいを見出そうとする。人生が上手くいっているときは、自分が目印にしているものが不確かなどと思いもしない。しかし、どうすることもできない状況に出会ったとき、自分が人生の目印にしていたものは、何とはかないものだったかを思い知らされ、絶望と空しさで、どう生きていいか分からず迷う。そして、人間はそれを繰り返すのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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