まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ベッドでは 一人で春を 待つところ

2018年01月16日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市地方は気圧の谷の影響で曇ったり晴れたり曇ったりを繰り返していた。気温は3度から12度、湿度は84%から68%、風は1mから4mの西北西の風が少しばかり。

 

 奥方がお休みだというのにつられて、8時過ぎまで寝ていたが、慌てて着替えて準備をして、8時半に我が家を出て、9時過ぎに病院に着いた。何人かの入院患者が待っていた。

 

 入院手続きは簡単に終わって三階の心臓病センターに向かった。毎年、ここには来るので平気の平左である。

 

 今回の部屋はここである。

 

 四人部屋で、奥の窓際に、もう一人のおじさんとで検査を受ける。午前中は着替えたり、テレビを見たりで過ごす。病院内の散歩は禁止。おりから流行している「インフルエンザ蔓延のおそれ」からである。面会も接見も制限付き。

 

 何気なく持ってきたこの本、最新版で、私のHDDにはない新しい情報が更新されている。家に戻れば、このデータを探さねば・・。今回の私のお仕事は、全くの不要だ。いつの間に、こんな本をまとめていたんだろうか・・・。

 

 今日のお昼はこんなもの。心臓病食だから塩分はほとんどない。

 

 お昼からは眼科で検査を受ける。一般的な視力の検査や眼圧の検査などを受けた後・・・。

 

 瞳孔を開く薬を三度も注入されて眼底検査。右目に眼底出血があるが古いもの・・という診断。

 

 その後はレントゲン室に出向いて、脳MRIの検査。脳内出血とか血栓の有無を調べるらしい。若い頃に脳血栓ができているらしいが、新しい物はない。

 

 耳栓をくれたけれど、こんなもの何の役にも立ちはしない。カッコだけ・・。

 

 こういう機械の中に押し込まれて、「ガンガラガンガラ」「ドンドンドンドン」「ピーピーピー」とうるさいのなんの・・・。逃げ出せもできず、やめてくれとも言えず、ただただ、じっと、我慢の子であった。

 

 若い頃に足場のない電柱に素登りして、偏頭痛みたいにものすごい痛みを感じて電柱から墜ちたことがある。そのときの傷かも知れなかった。

 

 頭の中はガンガン・・・、目の中は目薬でもうろう状態。テレビも読書も勉強もできずに、ただ・・・呆然としていた午後・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「寒いけど 梅も桜も 芽が出てる」というもの。これも、あちらこちらで見かけるけれど、どこの誰の言葉かわからない。でも、ものごとは一朝一夕にできあがるものではないし、ぽんとある日突然にできあがるものでもない。寒い中、厳しい中で準備を積み重ねてこそ、ものごとはきれいな花を咲かせることができるということらしい。今は寒さの始まったばかり。暦的には寒さの底かも知れないが、そんな中でも生き物は春に向かって着々と準備をしている。自然は偉大な先生だ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


霜の朝 論文整理の 手が重い

2018年01月15日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、昼過ぎから夕方は気圧の谷の影響で雲が広がってきた。気温は0.5度から11.3度、湿度は90%から56%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の16日は、高気圧に覆われて晴れるが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がる見込みらしい。

 

 今朝は大霜の冷たい朝になった。奥方は早出だというので、5時起きで6時半には出かけて行った。私も今朝は5時半には起きた。

 

 南国さぬき市でも雪も降れば氷も張る。霜柱も今朝は踏んでみたが、楽しいことはなかった。

 

 少しばかり話題になっていたので調べてみた。切手シートが4セットは珍しい。あとは数字が面倒だから調べなかった。いつも、上位は当たったことがない。

 

 で、暇つぶしで論文をいじくっていた。香川県丸亀市広島。瀬戸内海に浮かぶ小さな島には、一人の外国人のお墓があります。

 

 日本が明治維新を迎える直前の1866年。イギリスの軍艦シルビア号が、海底調査のため、瀬戸内海で測量を行っていました。しかし、「レキ」という名前の乗組員が病気のため、船内で亡くなってしまいました。

https://fmfukuoka.co.jp/human/2008/11/1130.html

 

 

 入院の案内所を眺めていたら、病室で携帯電話・タブレット端末は使用禁止と書いてある。心臓病の病室だからそういう機器は使用禁止である。それに、今回は一泊のみだから、ノートPCもタブレットも持って行かない。だから、この論文をしっかりと読み込んでみようと思う。そんな余裕があるかしらん。

 

 何年か前に書いたものだから、修正が必要なものもあるし、まるきりいらなくなった文章もある。それを整理できたらと考えている。

 

 食欲もないので、木村食堂のかけうどんである。心臓病食風に薄味にしたからまずかった。

 

 明日、検査入院するというので、明日の行事の担当者にショートメールでお休みしますと連絡しておいた。毎週火曜日は「前山出勤」だし、民児協のお仕事も入っていた。大げさな表示だが、心臓病センターの病室に入ることになる。ここへは一年に一回は入らせてもらっている。昨年は検査入院だけだったけど。

 

 明日持って行く物で、自分で用意できる物、各種書類や、印鑑、飲んでいる薬、お薬手帳、診察券に保険証、限度額適用認定証などは準備した。

 

 あとは生活用品だが、これは奥方にお任せ。一泊だけだから大げさな物はいらない。なぜか、バスタオルを強調してある。病院に風呂はないし、シャワーが必要な時期でもない。

 

 今日の掲示板はこれ。「財布を忘れたらびっくりするけど 自分を忘れてもびっくりしない」というもの。確かに財布や携帯電話を忘れたら身動きできないくらいになっている昨今、びっくりするだけじゃなくと、どうにもこうにも動きがとれなくなってしまっている現代。そんな中にあって、夢中になって自分を忘れる、ぼんやりしていてて自分を忘れる。ふっと、自分を忘れてしまっているときもあるが、そんなときにも、私たちはそんなにはびっくりしない。その差はなんなんだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蝋梅は 光透かして 弥陀の手に

2018年01月14日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは曇ってきた。気温は1.2度から6.4度、湿度は82%から64%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の15日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は集落の「山の神さん」の春の例祭の日。現地に8時集合・・・ということだったが、7時半過ぎから自治会のメンバーが集まってきた。この時、お茶の入った段ボール箱を運んだら、わずか数キロの重さなのに息が弾んで呼吸困難になってうずくまってしまった。寒さの為だったんだろうか。しばらくは動けなくなってしゃがんでいた。

 

 落ち葉を掃き清め、しめ縄を張り替え、のぼりを立ててお祭りらしくする。この頃には落ち着いて、なんでもできるようになった。自治会のメンバーは10人だが、今回は服忌とか歩行困難とかで6名しか参加しなかった。だんだんと寂しくなっていく。

 

 掃除が終われば、本殿前に集合して、二礼二拍手一礼して御神酒をいただいておしまい。これまでは、夕方から集会場で「直来(なおらい)」をやったものだが、今年からはなくなるのだという。時代の流れだろうか。

 

 昔は、ここに拝殿があり、おこもりもした・・・というのだが、今は昔になってしまった。礎石が残るばかりである。

 

 私が子供の頃には、こうした囲炉裏が近所にあって、暖房と照明と煮炊きの必需品だったし、

 

 おくどさん(かまど)で煮炊きをし、お米を炊いたし、味噌汁も煮たし、お湯も沸かした。おくどさんは、昭和の50年代まで使って煮炊きをした。

 

 お風呂も五右衛門風呂で、風呂を沸かすのは子供たちの役目だった。こうした生活の中で、山からの木の枝や木の幹や落ち葉やらが必要だった。これも昭和の50年代まで使っていた。

 

 冬になると山に入って、こうした雑木を切り出してきて、枝は枝、幹は幹に切り分けて燃料にした。焚き付け用には落ち葉や小枝が必要だった。台所にガスが入っても風呂はやっぱり薪や割木が必要だった。

 

 冬の休みには、こうした燃料となる山の木を切ることが大事な仕事だった。だから、チェーンソーを使っての作業にもなった。

 

 だから、どこの家にも、こうした「木小屋」とか「木納屋」という建物があって、ここに一年間の燃料を積み込んでおかねばならなかった。電気もない、ガスもない、灯油もない時代、山に自生する植物は大事な資源だった。そんなところから、「山の神さん」は大事にされたのだろう。それに、炭焼きとか植林とかの山で働く人たちには守り神にもなったに違いない。

 

 昨年は、こうした直来(なおらい)があったものだが、今年からは、それもなくなった。電気やガス、石油、灯油などで、山の資源はいらなくなった。山の神さんに対する信仰心もかすんでしまっているような昨今である。

 

 家に戻ると、こんなハガキが届いていた。高齢者講習か・・。眼科の診察も受けておかねば・・・。

 

 「宅配便でぇぇす・・・」と、ケーキが届いた。先日に送った「小坂小誌」のお礼らしい。奥方といただきます。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日は私に残された人生の最初の日である」というアメリカの格言から。映画「アメリカン・ビューティー」でも使われた言葉で、米国の薬物中毒患者救済機関の設立者、チャールズ・ディードリッヒの言葉だという。人は常に死に向かって生きていて、人生の残りは減っていく一方で増えることは決してない。それでも、その残りいくばくか、自分自身には知る術のない残りの時間だったとしても、今日という日がそのスタートなのだ。どれくらいあるのかわからないと嘆くよりも、今日からすべてが新しい始まるんだと思える言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


生ききると 自信もないが 寒椿

2018年01月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、寒気の影響で時々曇ってきた。気温は-1.3度から5.9度、湿度は74%から60%、風は4mから7mの西の風が一時は強かった。明日の14日は、引き続き寒気の影響で昼前まで曇る見込みらしい。

 今朝は厳しい冷え込みだった。若い頃には、「暑いのは苦手だが寒いのはへっちゃらだ・・・」とかと言っていたのだが、70歳が近くなると暑いのも寒いのもあかんようになった。

 そろそろ・・・ということで、検査入院の準備を始めた。ここには年に一度は入院するので、そんなに困ることではない。

 準備するものは、バスタオル一枚、現在飲んでいる薬、認め印、同意書2部とある。そんだけでいいのか。

 へ・・・。いつから「心臓弁膜症」になったんだい。そんなことは一度も聞いていないぞ。先天性心筋症、慢性拡張症、不整脈、慢性心不全・・・などとは言われてきたが、ついに「心臓弁膜症」になったのか。

 今日も少しばかり外出をしたが、あれほど並んでいた自衛隊の車両は跡形もなく消えていた。農村改善センターにも飛翔の館にも迷彩服姿の人は一人もいなかった。

 報道によれば、さぬき市の養鶏場で高病原性鳥インフルエンザウイルスが確認された問題で、県は12日19時半過ぎ、ニワトリ計約9万1000羽余の殺処分を完了したと発表した。また国の検査により、感染したウイルスがH5N6型だったことも判明した。

 

 午後からは相変わらず、英国士官レキの資料の確認作業。当面する論文や資料はできたのだが、総合的な読み物的なものをまとめたいと思いながら。

 

 論文には文章ばかりで写真や画像が入っていない。せっかく集めた航海日誌やらムスターブック、古文書なども有効活用しておきたいし。気楽に読めて、全貌がわかる読み物に出来ないかと・・・。

 

 今年の夏、英国士官レキ慰霊祭をやってしまうと、レキ研究会も解散し、もう、レキ研究に携わることもない。この春が最後のチャンスとなってしまう。

 

 万延元年(1860)、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行がアメリカ軍艦ポーハタン号にて太平洋を横断。咸臨丸はポーハタン号の別船として、旧暦1月13日に品川を出帆、旧暦1月19日に浦賀を出港、旧暦2月26日(太陽暦3月17日)にサンフランシスコに入港した。

 

 艦長は勝麟太郎(正確には勝は「軍艦操練所教授方頭取」、木村摂津守は「軍艦奉行」であったが、通訳の中浜万次郎は勝が艦長、木村が提督との説明で押し通した。福沢諭吉らも乗船していた。咸臨丸の一行は、現地の造船所などを視察した後、再び太平洋を横断し、同年5月5日に浦賀に帰着している。この咸臨丸に乗り組んだ水夫50名中35名が塩飽の水夫だったことは余りにも有名な話であった。

 

 そこで書き上げたのが、この、「咸臨丸と塩飽諸島」という本であって、ここから私の塩飽研究が始まった・・・という訳である。

 

 今日の掲示板はこれ。「一年前の悩み事、言える人、いますか?」というもの。あぁ、そうだなぁ~。悩みのど真ん中にいるときは、不幸のどん底にいるような気分になるけれど、いつのまにか忘れてしまっているよなぁって思うことがあるもの。私も、三年前、左目の白内障という大きな山を抱えていて、不安の渦中にいた。でも、山を乗り越えてしまうと、悩みという者が杞憂だったことに気づかさる。そんな当たり前のことを、身をもって感じらたとき、悩みの内容というか深さが変わるのではないのだろうか。時間の経過が悩みを薄めてくれるとは言わないけれど、悩みの種というものは、いつまでも悩みの種として残ってはいるけれど、でも、あるときふと過去を振り返ったとき、「あれ?あんなに悩んでいたけど、いつのまにか気持ちが落ち着いていたなぁ」ってこともあるものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

さぬき市の農場で鳥インフルエンザの鶏が見つかった問題で、県は12日夜、関連農場と合わせて計約9万1000羽の殺処分を終えた。11日深夜から県職員や自衛隊員ら延べ約700人が作業し、鶏を容器に入れて殺処分した。死骸は15日以降に県内の焼却施設で5日程度かけて燃やす。
さぬき市の農場で鳥インフルエンザの鶏が見つかった問題で、県は12日夜、関連農場と合わせて計約9万1000羽の殺処分を終えた。11日深夜から県職員や自衛隊員ら延べ約700人が作業し、鶏を容器に入れて殺処分した。死骸は15日以降に県内の焼却施設で5日程度かけて燃やす。

初雪に 驚いている 花である

2018年01月12日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は概ね晴れていたが、冬型の気圧配置となっているため、西部や山地では曇っていた。気温は-1.4度から4.5度、湿度は70%から62%、風は4mから7mの西の風が冷たかった。明日の13日は、冬型の気圧配置は次第に緩むため概ね晴れるらしい。

 

 今朝、目覚めると雪景色がそのまま残っていた。幸いなことに奥方はお休みだったのでゆっくりと寝ていた。

 

 芝生広場もウッドデッキも真っ白になった朝だった。

 

 空には朝からヘリの音が大きく響き渡っていた。例の「鳥インフルエンザ」取材のヘリらしい。我が家は、その養鶏場からは何十キロも離れているのに音がひどく聞こえている。

 

 論文の修正はほぼ完了した。これは後世に残すレキ研究会の公式資料となる。

 

 今度は、当日の参加者に配布するA4版両面印刷1枚にまとめた、「英国士官レキ研究のダイジェスト版」作りになった。

 

 今まで語られていたお話とはまるで違うお話になっている。

 

 昼食後、奥方が洋裁のお稽古に行ってくる・・・と家を出たので、私も気分転換に外に出た。そこからおよそ1キロほど北に下がった所の県道周辺には雪などかけらもない。まるで別世界。我が家の雪がウソみたい・・・。

 

 農協さんの施設には、こういう消毒ポイントが設置されているし、

 

 さぬき市民病院の駐車場には自衛隊の車両がずらりと並んでいる。

 

 で、そこから中央に見える「飛翔の館」という武道場に入る自衛隊の隊員たち。殺処分に向かう人たちだろう。この飛翔の館が、自衛隊の前線基地の司令部らしい。

 

 この農村改善センターが自衛隊の方々の休憩場所らしい。

 

 ここは私もよく通る農道で、いつもは気にも留めず走っていた。ま、早い収束を念ずるばかりである。

 

 家に戻ってみると、あっという間に雪は消えてしまっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「欠陥の多い人間は、特徴も多い人間だ。」という本田宗一郎さんのことばから。小学生の頃から、「短所を裏返せば長所になる」と言われてきた。でも、短所は治らないのでそのまんま生きて来た。「欠点をひっくり返したら特徴になる」とも言われてきたが、欠点をひっくり返しても欠点は欠点だった。今頃に成ってきて、「あ、そのまんまで良かったのか・・・」と思うようになった。欠陥を直すのではなく、それを特徴だと売り込めばいいのか。なすびをキュウリにしようとするから難しい。茄子がママならキュウリがパパだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


初雪に 今日の予定を 差し替える

2018年01月11日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため、夕方まで雪の降る所があるらしい。気温は今期最低の-1.4度から4.2度、湿度は79%から62%、風は2mから3mの西の風が少しばかり。明日の12日は、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 朝、目覚めるとあたり一帯はうっすらと積雪が・・。今季初の雪である。奥方は通勤経路が心配だからと早めに出掛けていった。

 

 さぬき市でニワトリが死んでいる・・・とかとニュースになっていた。郵便局でお友達に本を郵送しておいてから、その農道を走っていたら、やはり、道路は封鎖されて白い防護服の人が迂回をせよと合図をしていた。

 

 その足で県立病院に向かった。11時予約だったので10時に病院に入った。今回は採血もレントゲンの検査もない。先週にまとめて検査をやっておいたからだ。今日は、その検査結果が出る日。

 

 渡されたのはこれ・・・。私が心臓の手術をためらっているので、ぼちぼちと外堀を埋めに掛かってきた。

 

 来週の16日に入院して、翌17日にカテーテル検査をして、心臓の状況を調査するらしい。その結果で、外科手術が可能かどうかを判定するらしい。ドクターは外科手術を前提に考えている。心臓外科手術だと高松とか岡山の病院に紹介するとのこと。

 

 自宅に戻っても茫然自失・・・。しかしのかかし、来週の検査は逃げられない。すると、雪が猛烈に降り出してきた。

 

 大雪にならぬ間に薬をもらってこようと1キロ北にある県道まで降りてみると、雪などどこにもない。晴れ渡っていて青空が見える。

 

 28日分のお薬を受け取った。これで4週間は安泰だ。

 

 今日の医療費は3万円以下で納まった。

 

 帰ると、29年分の医療費控除の準備をしておく。いつ、心臓が止まっても奥方が困らないように準備をしておくのである。

 

 会計ソフトで医療費の集計もやっておく。奥方の医療費は23,300円。私の医療費が452,500円。合計475,800円。昨年と似たり寄ったり。戻って来るのは30,000円程度。

 

 あとは各種の証明書を集めて整理しておくこと。

 

 あたりはみるみる内に真っ白になった。県道や市道には雪はないが、車の台数は大幅に少なくなった。ただ、明日の朝は凍結なんぞで大騒ぎになるのかも。

 

  今日の掲示板はこれ。「踏まれても 根強くしのべ 福寿草 やがて花咲く 春は来るなり」というもの。誰の歌かは不詳。他人の無礼や侮辱に対して、直ちに怒りを発し、為めに己を忘れるのは、小丈夫(しょうじょうぶ)の所為である。小丈夫の前途には、決して花咲く春はない。短慮一刻のひととなりを以てして、よく大事業を成し得た者は、古今東西、一人としてありはしない。また、歌自体にも様々なバリエーションが見受けられる。
(例)踏まれても根強く生きよ道芝のやがて花咲く春も来るらん
   踏まれても根強くしのべ道芝のやがて花咲く春もくるらん
   踏まれても根強く生きよ道芝のやがて花咲く春もくるらん
   踏まるとも根強く生きる道草のやがて花咲く春も来るらん
   踏まれても根強く忍べ道芝のやがて花咲く春は来ぬべし     etc

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


一つずつ 答えの見える 冬の雨

2018年01月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側を中心に曇り、昼過ぎから雨や雪の降ってきた。気温は6.4度から1.7度、湿度は62%から82%、風は5mから3mの西の風が強く寒かった。明日の11日は、引き続き冬型の気圧配置となるため曇り、朝まで雪の降る所があるらしい。

 

 いよいよと冬らしくなってきた山あいの里である。朝方は小雨が降ったり止んだりしていた。

 

 玄関に汚い段ボール箱が置いてあって、これを郵便局から送れ・・・ということらしい。住所を見れば、施設に入っている義兄の荷物を友人に送るらしい。持てばずしりと重い。どうやら音楽CDらしい。

 

 それを郵便局まで持って行って送ってもらった。

 

 帰ってみれば、台所はゴミの山・・・。昨日はお休みだったのにそのまんまでお仕事に行ったみたい。燃えるゴミは焼却し、生ゴミは畠に埋めた。

 

 そそ、一昨日あたりから、お風呂の追い炊きができなくなった。新規にお湯張りはちゃんとできる。

 

 何がどうなったのか。ガス屋さんに連絡して、追い炊きの実験をしてみたが、時間が経つ割にお湯の温度が上がらない。お湯が循環していないのだ。

 

 今日のお昼は「家うどん」にしたが、お出汁が薄くて物足りなかった。

 

 お昼からは民児協の定例会。第二水曜日だった。今日は当番ということで、机の配置や名札を置いたり、湯茶の準備ということで早めに出掛けた。相棒の珠ちゃんはすっかりと忘れていたようだった。

 

 今回は特にこれといった話もなくて、月末に行われる研修会の日程や内容やくらいのもので30分ほどで終わってくれた。今度は名札を回収したり、湯茶の片付けをして、早々に引き上げた。

 

 というのも、お風呂の修理に15時過ぎに来てくれることになっている。

 

 帰ってみれば、まだ14時過ぎ・・・。それでは・・と、空き缶を回収場へ運んでおいた。この空き缶、我が家だけの空き缶である。今月はお正月があった分、多かった。

 

 まだ、時間があるぞ・・ということで、雨に吹き付けられていた洗濯物を乾燥機に入れて乾燥しておいた。お風呂は、お湯を吸い込む部分に奥方の髪の毛が大量に詰まっていたので、お湯が循環しないのでお湯が沸かなかったものと判明。修理完了。

 

 今日の掲示板はこれ。「見えている空は大きいけれど、もっと大きいのは見えていない空」というもの。野田さんという方の言葉だと思っているが、私たちの見ている物はほんのわずかな世界のこと。苦しいときや悩んでいるとき、自分の見える世界はものすごく不幸でいっぱいのような気がする。世界中の苦しみや悲しみを、総て私一人が背負っているような気がする。でも、そこを乗り越えてみたら、もっとゆたかで明るい世界が広がっている。まるで、雨の日に飛行機に乗って飛び出したときのように。雨雲の上には蒼くて広い世界がどこまでも広がっているように・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


お念仏 蝋梅の黄に 安堵する

2018年01月09日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇っていたは、午後からは少しばかり晴れ間が出てきた。気温は10.8度から5.0度、湿度は80%から60%、風は5mから11mの西風がきつかった。明日の10日は、気圧の谷や寒気の影響で曇り、夕方は雨や雪が降る見込みらしい。午後は雷を伴う所がある予想。

 

 今日からは新学期が始まったらしい。郵便局も三連休が終わって動き出した。

 

 だから、頼まれていた研究資料を発送しておいた。

 

 その足で、初詣に行って来た。東かがわ市小砂(こざれ)にある、「庄松同行墓所」である。風が強かったけれど、風の陰になる場所もあって、寒くて仕方がない・・・というほどでもない。

 庄松が臨終の床についた時、生涯独身であったため、一人で寝ていた。そこへ同行の市蔵が見舞いにやってきて、市蔵は庄松に「同行らと相談したんだが、お前 が死んだら、墓を建ててやるから、あとのことは心配するなよ」と言った。すると庄松は、「おらは石の下にはおらんぞ」と答えたと言う。既に阿弥陀仏の本願 に救われている身なので、墓石の中ではなく、浄土に生まれることを確信する中から発せられた言葉だと言えよう。

 

 しかし、現実にはこんなお墓が建っている。これは「報恩感謝」のお墓なのである。御恩報謝の念仏と同じである。供養のためではない。石碑には「庄松同行の墓」とあり、「釈正真信士墓」と刻まれている。 没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。

 

 これが、小砂説教所の内部である。正面には本尊阿弥陀如来立像。ここで、皆さん、合掌礼拝・読経される。あと、左三間は庄松さん関連の品物が展示をされている。詳しくはここにお参りしてご覧あれ。

 

 こういうものもある。ご勧章「聖人一流章」を上下逆にして、文字の読めない庄松さんが読んでいる図である。庄松さんは文字や本を読むのではなく、こころで「ほとけさまの願い」を頂くのである。

 

 一人静かにお念仏してきた。

 

 昼からは、英国士官レキ氏の論文の修正や見直しをやっていた。

 

 論文らしくはなってきたが、面白くない表題である。

 

 読み物的にはなってきたが、面白味に欠ける。センスのない証拠だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「あらたまの年のはじめは祝うとも 南無阿弥陀仏のこころわするな」という蓮如上人のお言葉。時期が少し遅くなったけれど、お正月でうかれる気持ちをひきしめるように、蓮如上人は仰せになったのかもしれない。そしてまた、新年こそ、お念仏の始まりだよと云うとるのかも知れない・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬の雨 誰にも会わず 声聞かず

2018年01月08日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、前線を伴った低気圧が山陰沖を北東に進むため雨が降っていた。気温は6.0度から14.6度、湿度は92%から84%、風は1mから5mの東南東の風が少しばかり。明日の9日は、気圧の谷の影響で未明まで雨が降る見込みで、その後、次第に冬型の気圧配置となるため、曇るらしい。

 

 相変わらず、鼻水と鼻血が思い出したように出る。何かを拾おうとして下を向くと鼻血が垂れる。だからいつも、ティッシュを手に持っていないといけない。

 

 おお、屋嶋の城か・・・と、いそいそと高松市香南町の「香南歴史民俗郷土館」に行って来た。

 

 雨の降る日は天気が悪い。小雨の中を走ってきたがはてさて・・・。

 

 屋嶋城はわかるが、「相作馬塚古墳」とはなんじゃらほい。どうやら、「あいさこ・うまづか」と読むらしい。

 

 最近まで中世の塚(墓)とみられていた高松市鶴市町の相作馬塚古墳(5世紀後半)を市教育委員会が調査し、未盗掘の石室を確認した。副葬品の武器や武具が埋葬時のまま良好な状態で残され、埋葬儀礼を復元できる貴重な資料になるらしい。

 

 墳丘は中世以降、塚に転用されて大きく壊されていたが、石室(長さ3・2メートル、幅0・6~0・8メートル、高さ0・6メートル)が残されていた。直径16メートルの円墳か帆立て貝形古墳だったとみられており、石室内には、よろいの「短甲」、「眉庇付冑」、槍2点、鉄製矢尻約60点、大刀1点、管玉10点などが副葬されていた。また、木棺に使った鉄製のかすがい11点も出土したという。

 

 宅地開発に伴って6~8月に発掘、古墳はすでになくなっている。市教委は「当初は古墳とは考えておらず、石室が残っていたのは奇跡的。副葬品の分析で今後、多くの情報が得られるだろう」と話している。

 

 663年8月、白村江の戦いで両国連合軍に大敗した。これを契機として、唐・新羅の連合軍侵攻に備えて対馬から太宰府周辺・瀬戸内海沿岸に作られた朝鮮式山城の一つが屋嶋城。日本書紀の天智天皇6(667)年11月の条に「倭國高安城(やまとのくにたかやすのき)、讃吉國山田郡屋嶋城(さぬきのくにやまだのこおりやしまのき)、對馬國金田城(つしまのくにかなたのき)を築(つ)く」 とある。

 

 こんなものから、ここに屋嶋城があった・・と言い出したんだからすごい。誰もが見過ごすばかりだ。

 

 で、ここから、狼煙をあげて連絡したというのだが、煙だけでどういう情報が送れたんだろうか。

 

 数々ある論文の中から、左から二番目の「英国士官レキの墓に関する総括的考察」を最終論文とし、幾分かの修正や追加を行ってみた。論文を書いた時点での視点の相違や事実確認の立ち位置が違っている。

 

 添付する画像も確認する。

 

 最終更新日が近いのは、パワーポイントによる講演会資料だから、これを参照しながらの論文修正になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「「寒いね」と話しかければ「寒いね」とこたえる人のいるあたたかさ」という俵万智さんの短歌である。人生、それなりに長い年月を生きていると、どうでもいいことに有り難さを感じたり、当たり前のことに優しさを感じたり、求めてもいなかったことに恋焦がれたりするものである。寒い時に、「寒いね。」って同意してくれる人がいることって、とても素敵なことだし、有り難いことだとおもう。どんなささいなことでも、同意して、共感して、肯定してくれる人がそばにいるっていうのは、ありがたいことなぁと思う今日、このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


先行きが おぼろで見えない 霜の朝

2018年01月07日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方から曇ってきた。気温は3.7度から8.7度、湿度は84%から65%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の8日は、気圧の谷や日本海を通過する低気圧の影響で、概ね雨となる見込みらしい。

 

 正月七日も過ぎたら、早くも町では「恵方巻」だの「バレンタインデー」の広告や案内が始まっている。私にすれば、正月2日だけがお正月だったように思えてくる。

 

 借りていた本の返却期日が近くなっていたので、香川県立図書館にやってきた。お隣の「サンメッセ香川」の大駐車場でが、高松市消防出初め式が行われており、沢山の消防自動車や特殊作業車などが勢揃いをしていた。

 

 だから、県立図書館の駐車場入り口にも消防職員が立っていて、出初め式のために駐車場に入らないように警備しているありさま。

 

 館内も駐車場もゆったりとしていた。

 

 で、恒例のように五冊の本を返却して、五冊の本を借りてきた。

 

 さて、今年は明治元年から150周年ということになるらしい。そこで、「英国士官レキ研究会」では、明治元年12月20日に亡くなった「英国士官レキ氏」の150年祭を行うことになった。

 

 これが、英国軍艦シルビア号艦長のH.C.S.John氏からの感謝状である。ここの、1866 という数字が一人歩きして、英国士官レキは慶応2年(1866)に亡くなったとされてきた。しかし、石碑には、「明治元年12月20日」と刻まれている。

 

 式典は墓地ほかでセレモニーを行う予定で、レキ氏の母方の子孫が来日する予定。それとイギリスの研究者、グラハムさんも来日予定。ぜひとも、講演会も実施したいところ。

 

 私は、これまでに書きためてきた、フランク・ツーベイ・レイク氏に関する資料や論文を整理し、これが「英国士官レイク氏」の真相だ・・みたいな本を作れと言われている。そろそろと準備を始めたいものだ。

 

 ま、数年間にわたって調べたものだから、玉石混同状態。どれを残し、どれを整理すべきか・・・が大問題。

 

 英国士官レキ(Lake)は明治元年11月7日死亡 同8日長谷川三郎兵衛より届け出あり。同11日に倉敷県に報告、外務省には11月30日に届け出て受理。新暦では明治元年12月20日。現存するレキの墓は明治四年に建立された。長谷川三郎兵衛は、京の会計官権(ごん)判事に任命された。準判事、仮の判事という意味である。長谷川三郎兵衛は灯台寮の会計官で大坂以西の灯台建設に関わる全会計を担当していた。明治元年、灯明台設置に関する調査中、マニラ艦の19歳の士官が死亡して広島に埋葬された。というのが当時の状況だった。

 

  今日の掲示板はこれ。。「先のことは誰にも分からない でも、今できることを即実行・継続 これが将来を開く」というもの。先のことは誰にも分からないもの。だから、今できることを即実行し、継続する。それはそれでいいことなんだけれども、それが将来を開くかどうかは・・・「先のことは誰にも分からない」のだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬曇り 出会ってみたい ひとがいる

2018年01月06日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、寒気の影響で瀬戸内側を中心に曇っている所があったが、概ね晴れていた。気温は4.8度から9.9度、湿度は80%から58%、風は2mから7mの西の風が一時は強かった。明日の7日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 天気はいいのだが、西の風が強いので外出はヤメにした。それだし、不要不急の用事もないし。

 

 年末だったか、お正月だったかに、横浜市にお住まいの方から、私の作った本を持っている人がいたが、私にもいただけないか・・とかというお言葉を頂いたような記憶が残る。で、原稿を探し出してきた。

 

 原本は、国立国会図書館にある「塩飽小坂小誌」という本である。

 

 平成26年(2014)の11月に、私のかかりつけの歯医者さんに行った時のことである。「私のお祖父さんの書いた本が見つかったよ」と、歯医者の先生が言った。それが前述の「小坂小誌」である。

 

 それを、丸亀市本島町小坂の中西さんという人が国会図書館からコピーをしてきたのだという。後で聞けば、塩飽史談会の中西さんらしい。人はどこで繋がっているか知れない。が、私は、それをコピーしたまま(原本は返却)になっていた。

 

 本の内容は、塩飽本島町の小坂集落全体の記録であって、いわゆる「小坂騒動」の顛末が中心になってはいたが、漢字カナ交じりの文語体のために、ひどく読みづらい。

 

 それから半年が過ぎた平成27年(2015)3月に、また、歯が欠けて歯医者さんに行ったところ、今度は、その中西さんが現代文に書き直した原稿を頂いた。しかしのかかし、文語体のままだった。これではどうにもならない。

 

 そこで原本のコピーをスキャナーで読み込んで電子化し、それを現代語の口語体に翻訳していく作業になった。これは気の遠くなる作業だった。古い漢字もあったし、変換できない漢字もあった。

 

 さらには画像や資料も取り入れて、同年3月16日に完成し、歯医者さん、中西さん、それに西山さんに限定発行して、この件は「封印」した。

 

 ところがである。2016年6月末になって、広島系の大学教授を名乗る方からメールが飛び込んできて、私の「新・塩飽小坂小誌」がどうしても欲しい・・と仰る。「非売品だからダメだ」とことわったのだが、どうしても欲しいというのでやむなく一冊を送った。お礼に、もみじまんじゅうが送られてきた。

 

 その本が、横浜の人の目に止まったのかも知れない。

 

 さて、郵送しようとして・・・困った。今日から三連休。郵便局は来週の火曜日にならないと動かない・・・。しまった、しまった、島倉千代子。

 

 87番札所の長尾寺では、明日の「大会陽」の準備がされていた。五穀豊穣と国土安穏などを祈念する大法要が営まれ、福餅などが本堂上部から投下される。その後、1月2日につきあげた大鏡餅上下と台の三宝を合わせた約150kgを持ち上げ、歩いた距離を競い合う、力餅運搬競技大会も行われる。この競技は、昔、黒岩という力士がおり、長尾寺の仁王様に祈念して境内の大きな石を持ち上げ、金剛力を授かったことで始められたとされ、百年あまり続いているという。

 

 今日の掲示板はこれ。「生かさるる いのち尊し けさの春」という、町内の善楽寺にあったもので「中村久子」さんの句である。中村久子さんは、1897年、飛騨の高山で誕生し、三歳のとき突発性脱疽に罹り、両手両足を無くされた。中村さんは、その障がいの事実を真正面に引き受けて、人権意識が未成熟で障がい者への差別の厳しい、生きていくのも非常に困難な時代を、女性として、母として、そして何よりも一人の人間として72年の生涯を生き抜かれた。晩年詠まれた「手足なき身にしあれども生かさるる今のいのちはたふとかりけり」に、自己の「身の事実」を機縁として、真実の世界に目覚 めていくという、中村さんの心の軌跡が窺える。 春は、全ての「いのち」をはぐくみ、育てる自然の営みの尊さをひとしお輝かせて見せてくれる。中村さんは、その中に生をうけ、生かされている自らに気づか され、その事実によろこばれたことと思われた。目覚めるたびに今朝も生きているとの確認は、生かされていることの体感であり、実感であったのであろう。そ の体感が苦難の中を精一杯生きる力となったものと思われる。 「今日のことば(句)」は、新しい春を迎え、あらためて人間の存在の真実を考えさせてくれる ものであろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


小寒は 亀さえ首を 引っ込める

2018年01月05日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨や雪の降っている所があった。気温は2.7度から6.6度、湿度は90%から80%、風は0mから1mの北北西の風が少しばかり。明日の6日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

  今日は小寒。小寒は二十四節気のひとつ。冬至から十五日目で、陽暦1月6日ごろ。寒気がようやく強くなる。寒の入りでもある。昨日までは暖かいお正月だったけれど、今日は少しばかり風が冷たくなってきた。

 

 今日は奥方がお休みだからと、香川県立ミュージアムに誘った。一人で来ると、「勝手に好きな事をして・・・」と叱られるので誘ってみた。

 

 この時期恒例の「日本伝統工芸展」である。

 

 「うわ・・、610円も要るの??」と仰る奥方に、免許証を見せなさい・・・というと、無料で入場させていただける。65歳以上は無料となる。私は、この「長寿手帳」を見せて入る。

 

 私は、アートや芸術はわからない。でも、こういうものは、「すごい・・・」と思う。日本伝統工芸展は、歴史・芸術上特に価値の高い工芸技術を保護し育成するとともに、先人から受け継いできた優れた技を磨き、現代生活に即した新しいかたちを築き上げることを目的として、昭和29年(1954)から毎年開催され、今回で64回を数える。

 

 流動感あふれる非対称形の器体は、絶えず形を変えて走り流れる水の姿を体現し、黒漆面の条線がその勢いを強調する・・・というのだが、何がなんだかさっぱりとわからん・・・。

  

 今回の高松展では、重要無形文化財保持者(人間国宝)の作品46点をはじめ、受賞作品及び四国在住作家の入選作品など計300点を展示している。このうち、香川在住作家の作品が17点、香川県ゆかり作家の作品が13点ある。

 

 ただただ、うなってしまうばかりの作品が並んでいる。

 

 人間ってすごいなぁ・・・という言葉ばかりが出てしまう。

 

 こういう素朴な作品が馴染みやすい。風の中を家路につくおばあさんの姿である。

 

 さっぱりとした作品だが、手足がまるで生きているようにすらりとして美しい。

 

 奥方が、「今日のお昼は、ここからだとこがねね・・・」と言うので、こがね製麺所志度店に寄った。ずいぶんと久しぶりだ。

 

 奥方はいつもの「かけうどん」におでんである。私は、「七宝具(しっぽく)うどん小」である。トッピングはフリー。

 

 話は一転するが、今年の香川県の「三が日の人出」数である。香川県東部の東かがわ市の「与田寺」96,000人はすごい。「田の口薬師」や「白鳥神社」も定位置にいる。さぬき市の「大窪寺」も大健闘。

 

 今日の掲示板はこれ。「耐えてこそ つぼみふくらむ 梅の花」というもの。昨年末にはこの冬は暖冬だなんて気象予報士が自信ありげに口を揃えていたが、ようやくに”寒の入り”に恥じない気温になってきている。ネットで調べると万葉集で萩についで多く出てくるのが梅で、合計すると119首もあるそうだ。この「耐えてこそ 蕾ふくらむ 梅の花」は、「梅ちゃん先生」の梅子の名前の由来であったが、梅の花は辛い時期に耐えて幸せを迎える象徴的な花なのかも知れない。ふと見ると他の木々も春の準備を始めているようだし、梅の花も紅梅も、少しずつだが花びらが開いているように見える。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


お正月 過ぎてしまえば ただの朝

2018年01月04日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は今期最低の1.8度から7.7度、湿度は82%から60%、風は2mから3mの西の風が少しばかり。明日の5日は、四国の南海上を東に進む低気圧の影響で、曇りで昼前から昼過ぎにかけて雨や雪が降る見込みらしい。

 

 ほぼ一ヶ月ぶりの県立病院であるが、今回は検査だけ。ドクターの診察は、この検査結果が出そろう来週である。

 

 まずは恒例の一般胸部X線検査である。胸やおなかに水がたまっていないかを調べている。

 

 その後、引き続いてCT予約検査で、胸部と腹部の検査だった。これらはすぐに終わった。

 

 続いて、生理検査室での検査が2つ。

 

 まずは心電図検査の筈が、このおねえさんによる「心臓超音波検査」で、「おっきょいいきをしぃまい・・・そのまま・・・ええで~」と讃岐弁がおかしくて・・。「あら、おらんよになったが」とか「あら、どなんなったんかのぉ~」と笑いをこらえるのが精一杯。公的な所での讃岐弁はおかしく聞こえる。

 

 心電図はこともなく終了・・。

 

 最後に「中央処理室」で採血のみ。今日はこれでおしまい。これだけの検査で、10,980円。来週の診察がどうなることやら。

 

 今日は検査のために朝食抜きだったので、病院近くにある「陣内うどん」で早めの昼食。

 

 おなかにやさしそうな「野菜うどん」をお願いした。490円だった。

 

 ものはついでと、近くにあった「田の口薬師」に寄ってみた。三が日が終われば、車も人もまばら・・・。露店も撤収中。昨年はもっと賑やかだったのに・・・。

 

 ものはついでと、与田寺にも寄ってみた。ここも厄除けの寺として有名だが、ぐんと人出は少ない。建築関係の人たちやら銀行員さんたちが会社ぐるみでお参りに来ているのが印象的だった。

 

 ものはついでだからと、例の大窪寺にも足を運んでみた。やはり、ここも大勢の人だった。今日は境内の様子を眺めて来た程度で失礼した。やはり、ここの空気は冷たかった・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「衆生の一切の苦しみのもとは欲と怒りにある」という「蓬茨 祖運(ほうし そうん)」さんの言葉。私たちの苦しみの根源は、「どうにかしたい」と言う欲望と、「どうにもならなかった」という怒りであった。私たちはそれを止めることができない。だから、私たちは苦しみ続けねばならないのである。私たちは生きている以上、欲と怒りをこの胸に抱きながら、苦しみ続けて行く生き物なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


三日目に 独楽が止まって 酒が尽き

2018年01月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5.8度から7.6度、湿度は70%から62%、風は2mから6mの西の風が一時は強かった。明日の4日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 昨日のお客さんの大半は夕方には帰ってしまったけれど、三男の「たっくん」と、娘家族はお泊まりの宴会を楽しんだが、それも今朝の七時過ぎには帰ってしまった。

 

 嵐に灰を撒いたような部屋になっていたが、奥方と二人で、これまた大掃除。

 

 リビングから和室から二階の和室と私の洋間も、みんな、布団を干して、掃除機を掛けての大掃除。正月気分を一掃してしまう。缶ビール60本やワインや日本酒の瓶が6本・・・燃えるゴミに不燃ゴミも燃やしたり埋めたりして片付けてしまう。

 

 さっぱりとしたら、昨日のお料理のお皿なんぞを返却に来た。ここは東かがわ市馬篠(うましの)にある「プレッソ古川」という料理屋さん。

 

 その後、奥方が「初詣に行きたい・・・」というので、東かがわ市松原にある「白鳥(しろとり)神社」に寄ってみた。中三と高三の孫の合格祈願のおまいりをしたいというのだ。

 

 ここには、こんな大きな絵馬があって、若者がさまざまなお願いを書いている。

 

 で、お参りが終わったので、私が案内したのはこれ。

 

 神社の裏手にある弓道場での奉納弓道大会である。県内外の高校生、大学生、一般の方が参加しての毎年恒例の弓道大会である。奥方は本物の弓道を見るのは初めて。

 

 私も10年ほど、島の広島神社でも「百々手(ももて)神事」に参加していたが、過疎と高齢化によって、「射手」がいなくなりやまって久しい。こういうのをみると、島に帰って弓を引きたくなってしまう。

 

 甲矢(はや)・乙矢(とや)の2本ずつ2回打って交代して二度射場に立つ、8射2立である。的は28m先にある「六寸(約18Cm)」である。

 

 今日のお昼も紅白の入った、「年明けうどん」である。今日はエビ天入りである。

 

 帰りにコンビニで年賀はがきを買ってきて、頂いたのに出していない人7人に追加の年賀状を書いて・・・。

 

 投函して来た頃にはみぞれ交じりの雨になった。

 

  今日の掲示板はこれ。「自分が今どこに向かっているのか わかれば 何をどうすればいいのかがもっと良くわかる」というリンカーンの言葉らしい。船でも自動車でも登山でもそうなのだが、まず、自分の位置を掴むことが先決問題。自分がどこにいるのかがわからなければ方向も方法も決められないのと同じ。物事を始めるにも、イベントを起こすにも、どこにむかって進むのかも、まずは自分の位置を見極めることが大切になる。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


正月は 銘酒談義の 花が咲く

2018年01月02日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて、概ね晴れていた。気温は4.2度から9.8度、湿度は68%から58%、風は4mから6mの西の風が少しばかり。明日の3日は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 穏やかなお正月になった。風もなく静かな正月2日の朝を迎えた。

 

 わが家のお正月の朝はこのお雑煮。あん入り丸餅白味噌仕立て。これが讃岐のお正月・・・らしい。

 

 で、正月2日は恒例の新年会。このあたりでは「正月礼」と言う。親族一同が一堂に会しての食事会。私が子どもの頃は40人、50人と集まったものだが、叔父さんや叔母さんたちもいなくなり、親戚の数も減って、最近は15人程度。

 

 奥方の作ったおせち料理と、

 

 こういうお料理でお正月を過ごす。

 

 今年は、この和室部分でのお食事会になった。弟「よっくん」の初孫が主役になっている。

 

 これがその、よっくんと孫ちゃん。ようやくにおじいちゃんになって目が細くなる。

 

 酒飲み親父たちはこちら。食べることより飲んで歌う方が楽しみ。いろんなお酒を持ち寄っての酒談義。

 

 若者たちはゲームをいろいろ楽しんでいる。

 

 今年は赤ちゃんを入れて16人とやや少なめ。お正月からお仕事が入った家族もあったため。

 

 夕食後には、本格的にカラオケ大会になる。

 

 これが今回の参加者の記念撮影。

 

 まだまだ、カラオケ大会は続くのであった。

 

  今日の掲示板はこれ。「一日を大切にする人は一年を大切にする 一年を大切にする人は一生を大切にする」というもの。年の初めに、こころしておきたい言葉である。「一秒を大切にする人は一分を大切にする 一分を大切にする人は一時間を大切にする 一時間を大切にする人は一日を大切にする」ということばが、この言葉の前についている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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