まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

家中の 鉢を倒して 夏嵐

2019年08月16日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、やがてには、日本海を北上する台風第10号に向かって流れ込む湿った空気の影響で曇ってきた。気温は27度から33度、湿度は89%から64%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の17日の香川県は、高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 121/80/76 36.4c-93% 64.6Kg 997hPa,28c,38% 体調は台風一過という訳にはいかないが、ま、通常の生活はできている。朝のぽちの散歩にも行ってきた。しかし、ぽちの歩みはすこぶる遅くなった。

 

 昨日は台風の影響で、香川県下の公的施設はことごとく休館になったが、今朝は大丈夫だろうと、香川県立図書館に行ってきた。先日に借りた四冊の本を返却するためである。

 

 ただ、返却だけで帰る筈だったが、適当に五冊の本をつかんでしまった。今回は特にこれ!という本もなかったが、もののはずみだった。

 

 もうすでに何回も借りている本だけれど、視点が違えば見方、読み方も違うかなぁと思ったのだが、まるで参考になるものはなかった。

 

 昨日の、「白衣(びゃくえ)」であるが、調べてみたら、ぞろぞろと「びゃくえ」が出てきた。

 

 白衣観音【びゃくえかんのん】は、吉祥を表す観世音菩薩で、中世以降は三十三観音の一つとされた。息災延命や安産、育児などの祈願の本尊に用いる。尊形は一面二臂(ひ),肉身白黄色,白衣をまとう。本来白の蓮華上に座すが、禅宗では水辺の岩上に座した姿で水墨画の好画題となるのだという。

 

 白衣(しらぎぬ/びゃくえ) - 神官や巫女などが神事の際に着用する白装束。神官装束、巫女装束の白小袖を指す場合もある。

 

 白衣(びゃくえ)は、僧侶が普段着として着用し、法衣の下に着る浴衣のようなものもあり、帯がついている。出家して間もない小僧は袈裟衣が与えられていないので「白衣小僧」と呼ばれることもある。「はくい」と読むこともある。

 

 ほかにも、①白い衣服。はくい。②白小袖に指貫(さしぬき)・袴(はかま)などを着ただけの装束。③僧侶が墨染めの衣を脱いだり、武士が袴をつけていなかったりすること。非礼なこととされた。 「 -ながらみな様へ/評判記・古今役者物語」④〔墨染めの衣を着ていないのでいう〕 僧侶になっていない俗人。在家。 ↔ 緇衣(しえ) → はくい⑤(官位のある人は色のある衣をきたことから)古く中国で,無位無官の人。庶民。 → びゃくえ[句]白衣黒衣の天人・・・・。

 

 とどめはこれだ。①昔の衣装の呼び方では「びゃくえ」と読む。②いわゆる羽織や裃をつけない着流しのようなスタイルのこと。そうした歴史的概念では「びゃくえ」と読むのが一般的らしい。例えば、江戸時代に裃をつけないで出仕する格式の人間は「白衣(びゃくえ)勤め」と呼ばれていたともあった。

 

 つまり、「びゃくえ」と読むのが古いことばで、「はくい」は新しい言葉ということになる。とすれば、お遍路さんの白い服は、「びゃくえ」でも「はくえ」でも「はくい」でもいいことになる。単なる思いつきでは「論文」にはならないのだと悟った。

 

 昨日の台風で、収穫間際の稲が、倒伏してしまっていた。ま、最近のコンバインだと、これくらいだとものともせずに収穫はしてしまうのだろうが、品質の低下は免れますまい。

 

 昨日が年金支給日だったから、さっそくに通帳記帳してきた。しばらくは精神的にも余裕が生まれた。

 

 今日の掲示板はこれ。「教えてくれなきゃできないと言ってる人間には教えたってできない」という、一龍斎貞水さんの言葉から。「“貞水さんはあまり後輩にものを教えませんね”って言われるけど、僕らは教えるんじゃなくて伝える役なんです。伝えるということは、それを受け取ろう、自分の身に先人の技を刻み込もうとするから伝わっていくもの。教えてくれなきゃできないって言ってる人間には、教えたってできませんよ。」貞水さんも若い頃、師匠に言われたという。「おまえたちは、日頃いかにも弟子だという顔をして俺の身の回りの世話をしているくせに、俺が高座に上がっている時、それを聴こう、盗もうって気がちっともない。ホッとして遊んでる。俺が高座に上がっている時は、どんなに体がきつかろうと、お金を払って見に来てくださっているお客様のために命懸けでしゃべってるんだ。その一番肝心な時に、聴いて自分から習おう、盗もうって気がないからうまくならないんだ」

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


咲いて散る 盆の蓮華の 色の跡

2019年08月15日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、台風第10号の影響で雨となっていたが、夕方からは青空がのぞくようになり、風もすっかりとしずかになってきた。気温は26度から28度、湿度は90%から76%、風は12mから3mの東の風が一時は強かった。明日の16日の香川県は、台風第10号の影響で明け方まで雨や雷雨となり、未明まで激しく降る所がある見込みらしい。その後は、湿った空気の影響で概ね曇る見込み。

 

 123/81/72 36.3c-93% 63.8Kg 985hPa,28c,68% 体調に変化は無い。

 

 台風の被害はほとんどない。植木鉢が幾つか倒れたり、植え込みが倒れたり、野菜畑のネットが裂けて破れたり・・・くらいなものか。これの修理がまた面倒だ。

 

 降るぞ、降るぞ。吹くぞ、吹くぞと心配したが、さほどでもなく台風は過ぎてゆくみたい。アブラゼミの声も賑やかになってきた。

 

 今日は甲子園での高校野球はお休みらしい。台風が来たのでは仕方が無い。

 

 恒例の正午の黙とうは、今年はなくなった。

 

 それでは・・・ということで、久々にポータルサイトの更新をやってみたが、やはり、調子の悪いときには何をやっても駄目だ。日付を間違ったり、行を間違えたりとどんくさいことだ。

 

 で、まだ、九月分の予定表が作られていないことに気がついて、大慌てで作ったが、これがまた、昨年の九月分になったりと失敗ばかりだ。

 

 さて、いつだかの話題で、本来は「白夜:はくや(白夜とは、真夜中になっても薄明になっているか、または太陽が沈まない現象のこと。 主に、北極圏付近や南極圏付近で見られる現象で、北極圏付近では夏至前後に、南極圏付近では冬至前後に、白夜が多く見られる。ウィキペディア)」という現象が、

 

 この歌から、「白夜(びゃくや)」になった・・・という話があった。

 

 いつも気になるのが、お遍路さんが来ているこの白い制服を、「白衣:びゃくえ」とか、「白衣:はくえ」とかと言う。ガイド講座でも「白衣:びゃくえ」と教えられた。しかしのかかし、私たち僧侶の「白衣:はくい」は下着である。医療関係者はピンクでも青でも赤でも「白衣:はくい」と言う。普通、「びゃくえ」なんぞとは言わないのだ。

 

 ふと、思い出したのが橋幸夫の「白い制服」という歌謡曲だった。

 

 ♪ さよなら僕の白衣(びゃくえ)の天使・・・という歌詞だった。これが、「笈摺:おいずる」を「びゃくえ」と呼ぶようになったのではあるまいか・・・という考察をやっていた。ま、「おいずる」は袖なしで、袖のあるものを「白衣」と呼ぶのだが、白装束で下着に「白衣:はくい」を着たら、上の袖ありの「おいずる」はなんと呼べばいいのだろうか。

 

 

 今日の掲示板はこれ。「 若者よ、君たちが生きる「今日」という日は死んだ戦友たちが生きたかった「未来」だ」という、戦艦大和語り部の八杉康夫さんの言葉である。

 「すると、すぐ後ろに川崎勝己高射長がいらっしゃいました。「軍人らしく黙って死ね」と怒られるのではないか。そう思って身構える私に、彼は優しい声で「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」と言って、自分がつかまっていた丸太を押し出しました。そして、なおもこう言ったのです。「もう大丈夫だ。おまえは若いんだから、頑張って生きろ」4時間に及ぶ地獄の漂流後、駆逐艦が救助を始めると、川崎高射長はそれに背を向けて、大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。高射長は大和を空から守る最高責任者でした。大和を守れなかったという思いから、死を以て責任を取られたのでしょう。高射長が私にくださったのは、浮きの丸太ではなく、彼の命そのものだったのです。」

https://www.chichi.co.jp/web/20180815yasugi-1/

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


盆の蝉 今日は安居で 啼かぬらし

2019年08月14日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、湿った空気や台風第10号が接近してくる影響で、昼過ぎから雨や雷雨となり、夜は激しく降る所があるらしい。気温は28.5度から30.5度、湿度は86%から79%、風は3mから7mの東の風が一時は強かった。県では、強風や高波、竜巻などの激しい突風、急な強い雨、落雷に注意するよう呼びかけている。明日の15日の香川県は、台風第10号の影響で雨や雷雨となり、昼過ぎから夕方は非常に激しく降る所があるらしい。

 

 115/77/61 36.4c-96% 63.8Kg 997hPa,29c,78% 湿気のせいか身体が重くて、なんだか眠たいばかりだ。奥方は家中の雨戸を閉めて、今夜は帰れないかも知れないから・・と言ってお仕事に出かけて行った。

 

 私らが子どもの頃の「盆礼」というものは、まだカラオケだのというものはなかったので、もっぱら、おとなたちは酒を酌み交わし、農作業のことだとか、だれがどうしたとかの世間話に夢中になった。こどもらはお給仕で、「熱燗を持って来いや~」とか、「おつゆのおかわりやでぇ」とかとこきつかわれたものだった。まだ、ビールなんてなかった時代だった。

 

 でも今は「生ビール」にカラオケでエアコン完備というのだから贅沢になったもんだ。

 

 で、私たちの「お盆」って何なんだ・・・というので、少し、お勉強をしてみた。「お盆には法要時の荘厳をし、季節のものを供え、先祖に報恩感謝のまことをささげます。真宗では精霊棚を作ったり、迎え火・送り火を焚くことはしませんので、その必要はありません。お彼岸と同様お墓を清掃して、家族一同お参りして亡き人を偲びます。また近くのお寺へ参詣するよう 心掛けたいものです。お盆の期日は、七月十五日や八月十五日など各地の慣習によって違います。」(門徒教本183p)

 

 「お盆」とは正しくは 「孟蘭盆(うらぼん)」という。梵語のウランバナの音訳で、中国では 「救倒懸」と訳している。「倒懸」とは 「さかさづり」の意で、餓鬼道の苦しみをあらわしている。その「さかさづり」の苦しみから救うという意味が「救倒懸」で、これが「孟蘭盆」 の意味である。それには次のような故事があった。

 

 お釈迦さまがまだこの世におられたころ、高足の弟子に目蓮という方がいた。目蓮はお釈迦さまの教えをよく守り、一心不乱に修行し、ついに尊者と崇められる聖者となった。ある日、その神通力をもって、亡くなられた母がどこへ生まれているかを調べてみると、母の宿業により餓鬼道に堕ちて骨と皮とにやせ衰え、しかも食物を食べることのできない、いわゆる餓鬼の苦しみを受けているのだった。孝行者の目蓮尊者はこれを悲しみ、母を救う方法をお釈迦さまに尋ねてみた。ちょうどそのころ、インドは雨期で、仏弟子たちは恒例の安居(一定期間外出しないで修行すること)に集まっていた。その安居があける七月十五日は衆僧自咨の日として、仏弟子たちの休息をとる日になっているという。お釈迦さまは、その七月十五日に衆僧に供養すればどうかと目蓮に教えられたのであった。目蓮尊者はよろこんでその教えに従い、衆僧を供養して、その母は「倒懸」の餓鬼道の苦悩から救われたというはなしである。

 

 これは『孟蘭盆経』に説かれている話であるが、これから「孟蘭盆」が先祖をまつる行事として、毎年七月十五日に行われるようになったという。私たち真宗門徒は、目蓮尊者が母を救ったその心根に注目しなければならない。その心根にならって、こうした年中行事には先祖を偲び、感謝の気持ちを新たにしたいものである。

 

 とは言うものの、十数年前ごろからは島の家に泊まり込みで集まり、マイボート「あかつきⅡ」で瀬戸内海を走り回り、

 

 ウエイクボードやビスケットという遊具で夏休みを謳歌していたもの。

 

 暇さえあれば釣りに出かけたり、おとなたちは昼間から酒盛りをやり、ごちそうを食べた。

 

 遊び疲れたら、室内で遊びほうけたりとしていたものだが、この子供たちが大学生になり、高校生になると、島の家には誰も集まらなくなった。みんな、忙しくなってしまったのだ。

 

 島で遊び疲れて、この我が家に戻ってきて、みろく夏まつりの花火を楽しんだものだが・・・、

 

 今年は台風10号の大接近中ということで、

 

 早々と中止が決定してしまった。

 

 嵐の前の静けさか、雨も風も気配すらない。

 

 先にお話しした目蓮尊者の話。8月の雨季に入ると目連は国々の僧侶たちに施しをされ、そのお陰で母親が餓鬼道から救われたと言う話だった。のちにこの話を聞いた人たちは、これを逆さづり供養祭と呼び、雨季になると先祖を偲び、施しの料理をもてなすようになったそうで、この逆さ吊りの事をインドでは「ウランバンナ」と言った。そしてこの物語は中国へ渡り、「ウランバンナ」に漢字をあてて盂蘭盆(うらぼん)となった。それがさらに日本に伝えられて もともとの先祖崇拝と結びついて今のお盆参りになったそうな。お盆にはご先祖を偲び、心静かに手を合わせ 、今ここに生かされていることを感じてみたいもの。そして、喜ぶ心、相手を思いやる心、許す心を施しとしていただければとてもありがたい『盂蘭盆会(うらぼんえ)法要』になるかと想うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


嵐過ぎ 洗濯物が よく乾く

2019年08月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、朝方、高気圧に覆われて晴れていたが、昼過ぎからは湿った空気の影響で曇ってきた。気温は27.5度から33度、湿度は86%から75%、風は1mから6mの東の風が少しばかり。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みだから、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるよう呼びかけている。明日の14日の香川県は、台風第10号の影響で昼前から雨が降り、雷を伴う所があるらしい。

 

 125/54/63 36.4c-96% 1005hPa,26c,45% 朝方はさわやかな朝になった。昨日は11時過ぎから飲み始め、夜の22時過ぎまで飲んで食べたけれど、おなかの調子も悪くなかったし頭痛もしなかった。

 

 昨夜も恒例の、飲んで食べて歌っての三連重。

 

 おじさんたちが歌うのはこういう歌だ。

 

 キムラ三兄弟の音痴三兄弟。

 

 でも、一夜明けたら、弟たちはそそくさと帰ってしまい、8時過ぎには娘家族も帰ってしまった。祭りの後の後片付け・・・。燃えるゴミや空き缶類の片付けなどから残飯処理。

 

 生ビールのサーバーも解体して玄関先まで出しておく。あとは酒屋さんが回収に来る。

 

 テーブルや座布団も片付けて、掃除機をかけておく。

 

 昨夜の痕跡が少しでも残らぬように片付けてしまう。明日には雨が降るというので、洗濯物も洗濯して干しておく。

 

 お仏壇も通常バージョンに戻しておく。我が家のお盆は終わったのだ。

 

 掃除機もかけて、普通の我が家に戻してしまうのだ。

 

 昼からは台風の影響なのか雲が低く垂れ込めて蒸し暑くなってきた。

 

 毎年、この時期になると、このように足がむくんでくる。水分の取り過ぎらしいが、この時期に水分の調整が難しい。少なければ熱中症になるし、多くなれば足がむくんでくる。病院に行っても「自己責任だから」と叱られる。

 

 今日の掲示板はこれ。「子を持って知る親の心 子を持って忘れる子の心」というもの。この標題の『子を持って忘れる子の心』というのは、明らかに先の『子を持って知る…』を踏まえた逆説的な箴言(しんげん)=「比喩」あるいは「格言」の意 である。解説するまでもないが,「自分が親になるまでは子どものように自由な心を持ってのひのびと生きてきたのが、子どもを持ってしまうと、ついつい、そのような心を忘れて、子どもを厳しく叱りつけてしまう」という反省や自戒の表現なのだろう。 子どもは直観的に『子の心』を忘れてしまった『大人』を見ぬいている。これは上辺の言葉や態度で飾ることのできないほど人間の本質なのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


ようやくだ つくつく法師の お説教

2019年08月12日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は27度から33.6度、湿度は86%から72%、風は1mから5mの東北東の風が少しばかり。明日の13日は、湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから雨の降る所があるらしい。

 

 119/79/85 36.4c-94% 64.8Kg 1004hPa,24c,79% 体調に変化は無いが、気分的には身体がだるい。

 

 我が家では、お盆だからと言って特別なことはしない。よそさまは「お盆勤め」とか「棚経」とかがあるらしいが、我が家にお寺さんがお参りに来たりはしない。ただ、毎年、親戚の者が「ほとけさん・まいり」とか「ぼんれい(盆礼)」と言って飲み物や食べ物を持って集まってくる。それが今日だ。今日は奥方と二人で会場準備。お仏壇とリビングでの「盆パーティー」の用意である。

 

 町内の酒屋さんに予約をしてあった生ビールとサーバーが届いた。いつも通りの生ビール19リットルである。

 

 今年は、おとな・・というかビールが飲める人が6人ほどになったので、19リットルは無理かなぁと思いつつの準備だったが。

 

 真ん中のオードブルはいつも御世話になっている仕出し屋さんのもの。左は奥方が作ったもの。こういうのが二席用意してある。

 

 今年はこういう感じで、私ら兄弟家族と、その息子家族らで11人ほど。だんだんと数が減っていく。昨年は、この倍ほどいたのだけれど。

 

 主役は、私の弟、たっくんの長男家族である。話題を独り占めである。

 

 午前11時ごろから宴会は始まって、15時過ぎにひとまず休憩。

 

 一歳半ほどのこどもが話題を独り占め。

 

 やがてのことには、カラオケパーティーが始まって二次会のスタートである。

 

 ほとんど、お盆とは関係ない「サマー・パーティー」である。

 

  今日の掲示板はこれ。「何が起こるかわからないのが世の中、何をしでかすかわからないのが自分」というもの。妙好人の源左さんの、こんな話を聞いたことがある。ある人が、「村の者がお爺さんを妙好人伝に載せるというがのう」と言うと、源左さんは、「いやいや待ってつかんせい、死ぬるまでは何をするか分からんでのう」と応えた。「何が起こるか分からないのが世の中。何をしでかすか分からないのが自分」。「さるべき業縁の催せば、いかなる振舞いもすべし」(『歎異抄』)何かが起こったときに、どうするかは、実は、そのときまで分からないもの。そのときに頂いている、気づきの深まり具合に応じて、自ずとすることが決まるもの。人生にシミュレーションなどない。人生は、つねに本番である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蝉止んで 嵐の前の 一眠り

2019年08月11日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26度から32度、湿度は80%から60%、風は1mから5mの東北東の風が少しばかり。明日の12日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 123/82/64 36.4c-96% 64.2Kg 1006hPa,26c,56% 今日は湿度が低い分、気分的には楽だった。

 

 朝一番に、この芝生広場の草刈りをやっておいた。こうした所にも遠慮なく雑草の種は舞い落ちてきて、そこいらじゅうで雑草が生える。だから定期的に草刈りとか芝生狩りとかをやらねばならない。

 

 ところが、刈り始めたらバッテリー切れとか、湿気が多くて動けないとかで、延び延びになっていたのだが、もう、明日にはお客さんがやって来る・・というので重い腰を上げて刈り払った。今日は湿気がなくて、難なくお仕事は済んだ。

 

 気分の悪くなるような空気の熱さと蒼い空だ。

 

 明日のためのお仏壇の最終チェックとか・・・、

 

 お墓周りの最終確認とかをやっておく。ビールは生ビールを予約してある。日本酒や焼酎やウィスキーも確認済み。お料理は、明日が奥方の定休日で奥方に一任。

 

 もう、里では稲刈りが始まっている。サラリーマンや農家では、この三連休は貴重なお休み。最近は、お盆だからと休ませてくれる会社は少ない。それに、最近では、「お盆休み」なんてものはなくなったし、そういう感覚もない。13日から16日まではカレンダー通りに働くところが多くなった。

 

 一人で家に居ると、ついつい、こういうものを食べてしまう。

 

 食べたから涼しくなる・・というものでもないのだが、なぜだか、ついついと食べてしまうのだ。

 

 毎年、山の日は大窪寺さんの「柴燈大護摩供養」の見学に行くのだけれど、今年は体調不良で、自宅での静養となった。ま、皆さん、お仕事だとは言え、この暑いさなかに大きな衣装をつけてのご修行、ご苦労様としか言い様がない。

 

 朝の芝生刈りと、お布団干し、洗濯物干しが精一杯。そろそろ、お布団や洗濯物を取り込む時間だ。今年は全くパワーがなくて、ぐったりとしているばかりだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「千万(ちよろず)のいのちの上にさづかれし 平らけき世を生くる悲しさ」という、元本願寺お裏方大谷嬉子さまのお歌からである。

      「海をよごし
       川をよごし
      空をよごし
       あさましい人間 
      然し地球は
       このあさましい人間を抱いて
      悠悠自転している」

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


空蝉に 今日の怠惰を 嗤われる

2019年08月10日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は薄雲が広がっていたが、高気圧に覆われて概ね晴れている。気温は25.5度から30.5度、湿度は96%から62%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の11日は高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 117/78/91 36.4c-96% 63.6Kg 1010hPa,25c,56% 体調に変化は無い。

 

 奥方が「早出勤務」だというので、5時起きで旧宅のお墓に行ってきた。周囲の草は弟が刈り払ってくれていたので、簡単にお掃除をして、お花だけをお供えしてきた。

 

 今日もさぬき市地方は「真夏日」状態。それはいいのだが、まだまだ湿気が高くて、呼吸困難になる私であった。

 

 朝方の涼しいうちにお買い物に行ってきた。奥方はビールがなくなっても何も言わないし、自分では買おうともしないし酒屋さんに近寄ろうともしない。毎晩、「いただきます!」と言って3本は軽く開けてしまう。

 

 それから佛華である。我が家のお盆は「12日」である。だから、明後日である。お内佛の準備もできた。我が家では、お盆だからと言って特別なことは何もしない。12日の「盆礼」という、「サマーパーティー」だけである。お寺さんが来て拝むわけでもなく、お盆だからとおつとめもない。

 

 今年の夏休みの自由研究である。「お遍路さんは、なぜ白衣を着るのか」という、民俗学的な考察である。赤や青でもいいじゃないか。縞模様でもタータンチェックでもいいじゃないか。

 

 昔は道も宿屋もなく、食堂も便所もない過酷な旅だったから、「いつ、死んでも良いように」との「死出の旅」「死に装束」だったかも知れない。けれど、江戸時代の人は、そういう白い着物は着ていなかったのだ。

 

 まして、交通の便もよくなり、ホテルも民宿もできたし、食堂もコンビニもある。そんな時代に「死に装束」で歩くのか。だから、白装束のお遍路さんはいなかったのだ。

 

 それなのに、「おへんろさん」と言えば「白装束」ということになっている。この意味は何なのか。私たちがガイドをする時に、「ねぇ~ねぇ~ガイドさん。お遍路さんはどうして白い服を着ているの?」と尋ねられたら・・・。「は、なんで・・・」では、「ぼーとして生きてんじゃねぇよ~」と叱られる。

 

 最近の若いお遍路さんは、「お遍路をやっています」というサインだから・・・とか、「お遍路をやっている」という自覚を持って、途中で逃げ出せないように・・・とかという人も居るには居る。白い服を着ていないと「お接待が受けられない」という声も聞く。そういう問題なんだろうか。

 

 宗教家の方は、「一度、死出の旅に出る覚悟で白衣を着る。結願したら、白衣を脱いで現世に戻る」という難しいお話をされる。そんなに簡単に、あの世とこの世を超えていける魔法の白衣なんだろうか。

 

 疑問の芽が出たら、やがてには背を伸ばし、葉を付け、蕾みになるが、はてさて、どういう花が咲くのだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「口が濁れば愚痴になり 徳が濁れば毒になる」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。意思が濁れば意地になり、口が濁れば愚痴になり 徳が濁れば毒になる。ああ、意地になってたな。意地にとらわれて、ちっとも子ども達のことを考えていなかった。子ども達のためのつもりの言葉が、いつの間にか愚痴ばかりになっていた。知らぬうちに心が濁ってしまっていたんだ。徳のつもりが独りよがりになっていた。独りよがりの人生観・教育観なんて、子ども達にとってみればはき出すしかない毒にすぎないじゃないか。でも、「ダメ」も濁りがとれれば「タメ」になる。子供を思っての「ダメ」も、濁りがとれれば「タメ」になる。親だって父親だって、もちろん先生だって、ダメ、ダメと言わずに、こどもの「タメ」になるような言葉を用意したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蒼い空 なお熱くする 長崎忌

2019年08月09日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は25.5度から30.5度、湿度は94%から68%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の10日の香川県は、引き続き高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 118/79/65 36.4c-96% 65.0Kg 1010hPa,26c,64% 体調に変化は無いが体重が微妙に増え続けている。

 

 さて、昨日の夕方、16時過ぎに三男の「たっくん」がやってきて、我が家の周辺の草刈りをやってくれた。およそ1時間ほどで、我が家の西側部分の水路脇の草を刈ってくれた。

 

 私は野菜畑の水路に水を流したりしていて、ふっと。

 

 ああ、そうそう、洗濯物を取り込まないと・・と、洗濯物を片付けていると、その竿の先に、私のメガネがぶら下がっていた。洗濯物を干すのに、メガネがじゃまだからと、そのあたりにひょいと掛けて忘れていたらしい・・・。

 

 で、昨夜はまたしても宴会になった。で、今朝は早朝から家の東側の旧道部分を刈り払っておいてくれた。

 

 これが明治・大正・昭和と、先人たちが歩いた旧道部分だが、我が家がここに引っ越してきたときから、我が家のものになったらしい。そんなもの、少しも嬉しくなんぞはない。これだって、固定資産税の対象になっているのだから。

 

 その後、弟は、お墓の周辺や、旧宅の周辺も刈り払っておいてくれたらしい。

 

 こういうときに限って、私は全く動けなくなってしまうのだ。どうにも湿度が関係するみたいだ。

 

 弟が帰ってしまうと、今度は奥方が食材を仕入れに行くという。まぁ、車だとエアコンを動作させていれば問題は無い。

 

 長崎は今日9日、米国による原爆の投下から74年となる「原爆の日」を迎え、長崎市の平和公園で平和祈念式典があった。田上(たうえ)富久市長は平和宣言で、冒頭、生々しい被爆当時の詩を読み上げ、米露の中距離核戦力(INF)全廃条約失効などに触れ「核兵器が使われる可能性が高まっている」と危機感を表明。核廃絶を訴えてきた市民社会の役割を強調して連帯を呼びかけ、日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を迫った。

 

 午後からは、相変わらず、お遍路さんの服装についての調べものをやっていた。松山の伊予鉄バスが遍路バスを運行し、昭和33年にはバスの乗客全員が白装束になったのに、巷では依然として、普通の和装姿に下駄履きでの参拝だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「生涯 初体験の連続である」というもので、町内の善楽寺さんの掲示板にあったもの。これまた、どこの誰の言葉かはわからないが、確かに確かにそうだと思う。毎日毎日が初体験であるし、一時間一時間もまた初体験である。だから毎日がどきどきするし、新鮮であたらしいわけだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ひまわりも うなだれている 午後である

2019年08月08日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は25度から31.5度、湿度は88%から70%、風は0mから2mの東北東の風が少しばかり。昨夜も熱帯夜でドライモードで寝ていた。明日の9日の香川県は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが、大気の状態が不安定となるため、夕方は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 118/58/64 36.4c-96% 64.6Kg 1005hPa,25c,86% 体調に変化は無い。

 

 さて、昨日の観光ガイドの大窪寺班が秋に行うイベントのPR広告がまだ届いていないと叱られた一件。会長からさらに、私の所にはチラシ用の原稿しか届いていないが、どうする気かと追い打ちのメールが来た。会長に原稿を送ったのだから会長がやるべしと返事をしたが・・・。どうにも朝方の夢見が怖い・・・。

 

 そこで5時起きで、パワーポイントを開いてカタカタと原稿を打った。ものの30分もは必要ない。それを、そのままメールに添付したが、どうにもこうにも送れない。そこで、pdfファイルに変換して、さぬき市観光課と会長宛に送信しておいた。今度は間違いなく送信しておいた。

 

 朝方はけだるかったが、今日は第二木曜日。空き缶の回収日である。これを忘れると大変なことになる。一回では運びきれなくて二回になった。

 

 迷犬ごんは、「遊んでよ~」「散歩に行こうよ~」と喉をくんくんと言わせるが、それどころではない。

 

 最近、私の皮膚が弱くなったのと、血液サラサラ錠を飲んでいるせいもあって、そのあたりが真っ赤に染まる。腕や足や顔から血液がにじみ出るらしく、枕からシーツからパジャマから・・と。それらを早くに洗わないと取れなくなってしまう。そういうわけでお天気のいい日はお洗濯。

 

 それに、昨日、バタバタとしたせいか、メガネがない。たくさんあっても、これらは老眼鏡。車の運転にはまだまだ近視用のメガネが必要。そのメガネが見えない。昨日、民児協の定例会では外したのを記憶しているし、写真にも写っている。その後がわからない。

 

 メガネがないと車には乗れない。そこで午前中はお勉強することにした。

 

 こういう本ならば老眼鏡で読めるし、「ハズキルーペ」でも読める。読むと行っても、「笈摺・白衣」に関することがらだけ。今はそれだけ。

 

 こういう人たちが、室町時代からいたらしいという。でも、江戸時代後半の「真念」さんや「澄禅」さんらは、こういう衣装には全く触れていない。ということは、それまでに廃れてしまったということなのか。江戸時代から明治大正に至るまでのお遍路さんの姿に、こういう「笈摺」は見られない。

 

 これは、はてさて?四国八十八ヵ所としながら、「四国二十一度」とは、これいかに。

 

 「今日のお昼はおそうめんよ~」と言うていたので、冷やし中華風のそうめんにしてみた。いつもは、ダイエット風に、半分だけにして、あとは「迷犬ごん」用に残すのだが、今日はおいしかったのか、完食してしまって「ごん用」のご飯はない。

 

 今日の掲示板はこれ。「あるがままに生きる ないがままに生きる」という荒了寛さんのカレンダーの中のことばから。全てのものは、ああしよう、こうしようという主体性をもって生まれて来たわけではなく、「自然に」生まれて来たのである。全ての対象は自分も含めて観察するべき対象というよりも観察されるべき対象と言えるかもしれない。観察できる主体はどこにもない。あると思っているだけである。日本人は自然にまかせて、 あるいは自然と同化してあるがままに生きるということを脈々と実行してきたのではないだろうか。また日本文化に大きな影響を与えた仏教の縁起説では(物事の発生と展開)において、全てのモノに「自性がない」ということがある。そんな難しいことを言わなくても、あるだけの食材で生きる。なければないで、なんとか食べて生きるのである。今の現代に於いては、なかなかに、こういう生き方は難しいのだが、要するに「財布の中身と生き方」とは関係するように思う。財布の中に余裕があれば、「あるがままに生きられる」し、財布の中身がさみしくなれば、「ないがままに生きる」しかない。わが家の今月もまた、「ないがままに生きて行くしかない」のである。

 

 じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


乗り越える 壁がないのか 赤トンボ

2019年08月07日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇り、夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所がある見込みらしい。気温は27度から31.6度、湿度は88%から78%、風は2mから5mの東南東の風が少しばかり。明日の8日は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、午後は大気の状態が不安定となるため雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 116/78/59 36.4c-96% 64.8Kg 1009hPa,24c,82% 少しばかり身体が重たいが重症ではない。

 

 朝の間の涼しいうちにと、香川県立図書館にやってきた。ここもずいぶんと久しぶりのような気がする。ここのクマゼミは元気に「シャカシャカ・・・」と啼いている。

 

 ここにつくと、まずはトイレに駆け込む。ここまでは約40分だから、30分ごとのトイレでは厳しいものがあった。

 

 とりあえず、これを借りた。前にも借りたはずなのだが複製もコピーもない。これは、明治の20年代に華岡大仙という興正派篤学のお坊さんが書いたものを版木にして印刷を重ねたが、その版木を子供の土居さんという方に保管をされていたものを、故安本一正師らが発見して謄写し、それを写真製版したものである。

 

 こういうものであるが、後半には活字の現代語訳や安本師の解読なんぞが付録として付いている。

 

 これが、初期の「庄松ありのまま記」である。つまり、庄松同行が明治四年に亡くなり、その十七回忌に発行されたものらしいが、最初は活版印刷だったが、あっという間に在庫がなくなり、この本が発行されたらしい。この版のものは幾つか見かける事が出来る。

 

 こういう形式の版であった。

 

 表紙裏には、このような写真が付いているところが昭和の44年版らしい。

 

 おお、懐かしい先生である。この人のお説教を聞いて育ったみたいものである。

 

 そうこうしていると、観光ガイドの事務局から、「さぬき市の広報の原稿がまだ届いていません」とのショートメールが入った。そういう原稿の依頼は届いていないので、「会長に送信したので確認願う」と返事をしながら、昨年の原稿を探すが、どこにもない。

 

 なにせ、PCが八台もあって、HDDやらメモリースティックやらが乱雑な事務所だから、焦れば焦るほどわからない。今度は、そこへ、「何しよんな!。今日は定例会で。すぐ来ぃまい!」と、これまた、お叱りの電話。

 

 今日は第二水曜日ではないのになぁと考えながら準備をすると、来週はお盆だから、今月だけは繰り上げになっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「大切なことは 何年生きてきたかではなく 何をして生きてきたかということです」という荒了寛さんのことばからである。人生に意味があるかどうかを考えればさまざまな考えに出会うのだけれど、その意味も考えることなく、ただ、漫然と年齢を重ねるだけの人生ではなく、この私が何を成し、何を発言し、どのように生きたのかが大切であるよ、と、言うている。先日の「余生」という言葉にも関連するけれど、「静かな余生」も、それは それなりの生き方だから尊いのだけれども、「私が生まれてこなければ、この世に生まれなかったものもある」という生き方もまた、尊いだと思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


とめどなく 八月六日は 蝉時雨

2019年08月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は台風第8号の影響により雨となり、雷を伴う所があった。気温は28度から29度どまり、湿度は86%から78%、風は5mから2mの東の風が一時は強かった。明日の7日は、湿った空気の影響で概ね曇り、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 115/77/59 36.4c-92% 64.8Kg 1009hPa,24c,66% 体調に変化はないが、湿気がある分息苦しかった。

 

 久しぶりに香川県立図書館で調べ物をしようと考えていたのだが、朝から雨ではおっくうになった。「こんな嵐の日に出かけなくとも・・・」と、面倒くさがり屋の私がささやく。

 

 それにだ、今日は広島原爆忌。

 

 まずは、黙祷をしておかねばならぬ。

 

 それに、台風八号・フランシスコの動きも目が離せない。

 

 そうかと思うと不気味な「飛翔体」発射のニュース。

 

 朝ドラをはさんで、今度は甲子園。

 

 第101回全国高等学校野球選手権大会の開会式がある。まことに忙しい8月6日の朝である。

 

 外は雨。何をする勇気も湧いては来ない。

 

 そうそう、昨年は「英国士官レイク没後150周年記念イベント」が行われたなぁと、過ぎ去った過去を思い出すが、それ以上のことは何も覚えていない。

 

 ということで、先月からやっている「お遍路はなぜ白い衣装を着るのか」という問題を整理していた。

 

 というのも、このへんろ資料展示室の、このコーナーで、「おへんろさんはなぜ白い着物を着るのか」ということでお話をするとき、「死に装束です」とか、「いつ死んでもいいように白い衣装をするのです」とかと説明してきた。お杖は墓標になり、菅笠は天蓋になる・・という話にも通ずるからである。

 

 しかしのかかし、古い絵や古い写真を調べてみても、そんな死に装束なんかでお参りはしていないのだ。

 

 戦前まであった「娘遍路」だってきれいな着物姿でのお遍路だったし、

 

 若者遍路だって「死出の旅」の服装ではない。つまり、お遍路さんは、白い着物や白衣なんぞは着ていなかったことになる。そういうお話をまとめようとしているのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く 一本の鉛筆があれば 人間のいのちと私は書く」というもの。松本善三作詞 佐藤勝作曲 美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」という歌からである。朝日新聞の投書欄「声」にたびたびこの曲についての投稿が載っているという。時々、この歌は聞くことがあるが、改めて歌詞を読んでみて感激した。昭和49年8月9日の第一回広島平和音楽祭で実行委員長の古賀政男さんの プロデュースで書き下ろされたものという。 その後、昭和63年の第15回広島平和音楽祭でも歌っている。62年に福岡で倒れて緊急入院。63年4月の東京ドーム公演で不死鳥のように復活し(白いフェニックスのような衣装が印象的だった)、翌年2月からツアーを再開したものの、2月7日の小倉公演の終了後に倒れて、6月24日に帰らぬ人となった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


夏草を 踏んで荷物が 重くなり

2019年08月05日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、はじめ高気圧に覆われて晴れていたが、台風第8号の接近により夕方から曇り、昼過ぎから雨や雷雨となる所があるらしい。気温は25.5度から32.2度、湿度は94%から70%、風は1mから5mの東の風が少しばかり。香川県では、5日夕方から強風や高波に、5日昼過ぎから急な強い雨や落雷に注意するよう呼びかけている。明日の6日は、台風第8号の影響で曇り、昼過ぎまで時々雨となるらしく、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 117/78/62 36.4c-96% 64.4Kg 1010hPa,28c,70% 今日は湿度が下がったせいか呼吸が楽になった。少しは夏らしくなったかも知れない。

 

 夏はやはり、「ミンミンゼミ」だ。ジージーと油を揚げるようなアブラゼミや、みんなでせかし続けるようなクマゼミはどうにも苦手だ。

 

 この、ミンミンゼミが啼くと夏らしく感じて夏休みらしくなる。夕方には「カナカナカナ・・・」というヒグラシが似合う。

 

 お昼からは天気が悪くなると言うので、今日もまた布団を干した。別にお漏らしをしたわけでも汗まみれになったからでもない。単に気分転換である。

 

 私がお仕事をできないことを知って、わざわざ、お仲間のお坊さんが、こうした書類を届けてくださった。昨年も、こうした手続きをさせてもらった。その手続きには、病院のドクターの診断書が必要とのことである。

 

 先週の月曜日の予約診察日にお願いをしてあった「診断書ができました」と、先週の金曜日に連絡があった。で、今朝、病院まで受け取りに行ってきた。

 

 この診断書を受け取るには「保険証」が必要とのこと。代金は2000+160円だった。ただ、会計番号が出るまで待たされたり、代金を支払っても、領収書の発行があるので座って待って・・・とかと、ずいぶんと時間がかかった。

 

 こうした診断書の場合は簡単なもの。保険屋さんとか裁判所に出すとか障害者手帳発行とかの面倒なものと違い、単に会社の本社に出すようなものだから、あっさりとしている。単に「お仕事に支障がある」という証明だけである。

 

 これを持って、私の勤務事務所に出向いた。ここの住職さんのハンコがまず必要。でも、私が一昨年かに入院をしている間に何事かがあったみたいで、ここには誰もいない。昨年も留守番のおじさんに頼んだが相手にもされなかったが、今年はぶつぶついいながらも預かってくれた。無事、届くのかしらん・・。

 

 それが郵送されて戻って来たら、今度は地区の班長さんの印鑑がいる。それが戻って来たら、高松支店長のハンコが必要になる。それが戻って来たら、本社への申請になる。気の遠くなるお話だ。

 

 うん?少しは曇ってきたのかな。もう、お布団は取り込んである。

 

 今日の掲示板はこれ。「走ることに疲れたら休んだらいい 休むことに疲れたら また走りたくなるから」というもの。作詞 中山真理/作曲 中山真理 「Message」からの言葉。

1.人生の中で こうでなきゃいけないことなんて 何一つないよ
走ることに疲れたら 休んだらいい
休むことに疲れたら また走りたくなるから
きみのこと 遠くから 見てるだけしか
できやしない 頼りない ぼくだけど
それでも いつの日か君が 心から笑う日がくると信じてる
それでも いつの日か君が 心から笑う日がくると信じてる

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蝉鳴いて 山の民家に 蜘蛛の糸

2019年08月04日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は27度から33.2度、湿度は92%から62%、風は1mから5mの東の風が少しばかり。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みなので、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるよう呼びかけている。明日の5日の香川県は、午前中は高気圧に覆われて晴れるが、台風第8号の影響で昼過ぎからは曇り、夜は雨の降る所があるらしい。

 

 116/78/65 36.4c-96% 64.8Kg 1010hPa,28c,45% 昨夜も熱帯夜で蒸し暑くドライモードで寝たが、朝方も湿度が高くて息苦しかった。

 

 今日はさぬき市の「観光ガイド養成講座」の開講式だったが、奥方から外出禁止令が出たためにお休みをした。

 

 ま、私たちは「駐車場案内係」くらいなもので、私が行かなくても問題は無いだろうということになった。

 

 今日も讃岐地方は「真夏日」ばかりだ。

 

 さて、お遍路さんの「白衣」であるが、これは昭和33年ごろのバス遍路になってから流行した・・・という結論に達したのだが、大正年間に四国遍路をした「高村逸枝」は白い衣装を身につけている。だから、江戸時代から昭和に至るまで、何人かの人たちは、こうした白い衣装をしていたことになる。

 

 つまり、こうした人たちが四国にもやってきていたということになる。

 

 それが、この、「笈摺(おいずる)」というものである。

 

 昔の山伏や修験の行者たちは、こういう「笈(おい)」というものを背負っていた。このつるや紐が肩に食い込んで摺れるので、ベストのようなものを羽織ったことに由来するという。

 

 それが転じて、袖なしの白衣を「おいずる」と呼んでいる。これは、本来は、西国三十三ヶ所参りの衣装だったが、その姿のままでお四国を回ったという例はたくさんある。納め札調査でたくさんの納め札が残されていた。

 

 今日のお昼は冷やし中華にした。錦糸卵などは別売りのものを買った。

 

 さて・・である。昨日、苦心して返送用の封筒印刷をしたのだが、ふと、気がつけば、データーが古いまんまである。ま、これでも届くのだろうが、相手さまには失礼である。今は「大川郡」などない。

 

 仕方がないから、全部、やりかえになった。なんたるこっちゃ、サンタルチア。

 

 今日の掲示板はこれ。「出発は足下からなのに ひとはすぐ頭で歩こうとする」という平野修先生のことば。私達はものごとを起こすとき、ああだこうだと理由やら事実を並べ上げてからでないと行動を起こしたがらない。よく言えば堅実型というか理論武装型というか。悪く言えば、単なる「あたまでっかち」なのかも知れない。本当に歩き出すのは足の筋肉からなのだが、そのことには気づいていなくて・・・頭が先に行動してしまう。平野先生は、1943年(昭和18年)石川県に生まれる。大谷大学大学院博士課程修了。九州大谷短期大学教授。石川県松任市(現白山市) 真宗大谷派明証寺住職。1995年9月27日示寂。著書に 『浄土の問題ー世界と聚りー』(金沢教区教化委員会)、 『鬼神からの解放ー化身土巻ー』(上・下)(難波別院)、 『浄土論註講義ー論註の基礎ー』(一・二)(六道会)、 『民衆の中の親鸞』(東本願寺)『教行信証に学ぶ』(東本願寺)など多数がある。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


蝉の声 けだるさばかりが 残る朝

2019年08月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は27度から32.5度、湿度は94%から73%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みで、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるよう呼びかけている。明日の4日の香川県は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 118/58/64 36.4c-96% 64.6Kg 1011hPa,26c,46% 湿度が高いせいか呼吸するのが苦しくなる。今日はお出かけの予定だったがキャンセルした。こんな日に出かけるのは危険だと感じたからだ。

 

 暑中見舞いのハガキが届いているが、今の端末4台には住所録アプリが搭載できていない。これに新規にインストールしてデータを追加するのは時期的に無理だと思う。だから、そのまんまに捨ててあった。

 

 ところが、本山に提出する書類には封筒が必要になった。それで、仕方なく、別室で使っている古い端末を持ってきて接続した。

 

 これには3種類の住所録アプリが搭載されていて、今年の年賀状印刷に使ったデ-タが残っていた。

 

 それで、暑中見舞いのハガキは印刷できた。必要な封筒も印刷するにはそれも済んだ。

 

 「釋 暁光」の「光」という印鑑も見つかって押した。

 

 でも、封筒の印刷は難しくて紙くずばかりの印刷になった。全く、ドジになったもんだ。

 

 とにかく、あたまがぼっ~っとしているし、目が白内障で霞んできたし、手はしびれるし、足はむくむし、いいところなんぞ、どこにもない。自分が何をやっているのとわからんようになる熱さだ。

 

 だから、昼食はあっさりとそうめんにした。ご飯ものは無理だが、麺類ならば食べられる。

 

 昨日から今朝までに、この2リットルのお茶を飲み干してしまった。水分は控えめに・・と言われているが、30分おきごとにトイレに行くものだから、水分補給は必要だろう。

 

 今日の香川は「真夏日」。明日は「猛暑日」になるらしい。

 

 明日のお出かけも「中止」にしよう。無理だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるということは 思い通りにならないということが はっきりとわかることです」というもの。真宗大谷派の「祖父江文宏」先生のことばである。この言葉を残された祖父江文宏さんは、長年、児童養護施設「暁学園」の園長を勤められた方だという。祖父江さんは子供を尊重し、「子供」と言わず、「小さい人」と呼んでおられたそうで、体を張って虐待をうける子供を保護してこられた、その姿勢は子供たちに伝わり、子供たちから親しみをこめて「園長すけ」と呼ばれていたとも聞いている。この掲示板の言葉は、その祖父江さんの姿勢をつらぬく芯のようなものではないかと思っている。この思い通りにならないからこそ、人は苦しみ、悩み、怒り、泣き、わめいて、暮らすのだ。それが「生きること」だからである。そのことをはっきりとわかれば、悩みも怒りも悲しみもそねみもやわらかくなるというのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


なごやかに ミンミン蝉の コンクール

2019年08月02日 | 時にはぼぉっ~とする時

 

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みらしい。気温は26.5度から32.8度、湿度は92%から73%、風は0mから2mの北東の風が少しばかり。暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるよう呼び掛けている。明日の3日の香川県は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、午後は強い日射や湿った空気の影響で雨や雷雨となる所がある見込みなのだとか。

 

 118/79/65 36.4c-96% 64.5Kg 1012hPa,26c,55% 昨夜はドライモードで寝たからぐっすりと寝られたが、早朝から蝉の声がにぎやかで、やはり午前5時には起きてしまった。

 

 今日は天気もいいからと、久々に布団を干して、二階部分に掃除機をかけた。だが、それだけでヘロヘロになった。やはり、全くパワーがない。この布団を取り込む元気が溜まってくるだろうか。

 

 さて、思い出したように「庄松ありのままの記」である。

 

 これが、明治22年の西村九郎右衛門版である。そして、昨日の明治25年の顕道書院版が続く。

 

 これが明治25年の顕道書院版である。本文は同じなのだが、挿絵が違う。

 

 この表題も全く同じである。「岸崩れて花逆に開き 石圧して筍斜めに生づ」という禅語が引用されている。石に抑えつけられた笋(筍)は、斜めになってでも伸びる。断崖絶壁の花はさかしまに咲いている。困難に耐えてでも生き続けようとする笋や可憐な花に、自然の生命力を見せつけられる。いにしえの聖人たちもこのような苦難の末に、ようやく徳の花を咲かせたのであろう。

 

 これは平成の永田文昌堂版である。この挿絵は明治の挿絵をそのまま流用して、文字は現代文になっている。

 

 また、こういうものもあるが、最近はめっきりと姿を見せなくなった。現代人は庄松同行には見向きもしなくなったのだろうか。

 

 それに、こういうお話を聞く場もなくなったし、語る人もいなくなった。

 

 さぬきの人でも、庄松さんのことなど全く知らないという。話す人がいなくなったし、そういう場もなくなったし・・。

 

 今日は全国的に「真夏日」や「猛暑日」になっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当は「わからない」で悩んでいるのに「わかったこと」にしている。私は永遠の「わからなさ」を抱えて生きてやる」という田口ランディさんのことばから。本当は「わからない」で悩んでいるのに「わかったこと」にしている。私は「わからない」を生きてやる。永遠の「わからなさ」を抱えて生きてやる。もし「わかって」しまったら、私は閉じてしまうから。 田口ランディ(『できればムカつかずに生きたい』より抜粋)

 

 田口ランディさんは、東京都に生まれ、日本の女性小説家でエッセイスト。本名、けい子。OL生活を経てフリーライターに。1996年、エッセイ『忘れないよ!ヴェトナム』を発表、その後インターネット上でメールマガジンを発行する。長編小説『コンセント』を上梓して小説家としてデビューした。複数の著作に盗作が発覚し、『アンテナ』『モザイク』は絶版。その後、該当部分を修正した文庫改訂版が出された。2001年には『できればムカつかずに生きたい』で第1回婦人公論文芸賞を受賞したが、私の好みではない。向こうさんもきっと、そういうだろうけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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