まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

雲もなく青空ばかりに百日紅

2020年08月16日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は27.5度から今期最高の37.4度、湿度は92%から48%、風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の17日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 96/44/80% 36.4c-95% 61.8Kg 30.3c-71%-1008hPa 昨日は久々に生ビールを何杯も飲み、40度の焼酎や缶ビールなどを飲み続けに飲んだし、食べ続けに食べた。でも、いつも通りに寝て起きて歩いている。痛みやおなかの張りもない。

 

 弟二人や甥のけいご君も起きると早々に帰っていったが、ご婦人連中は日曜日だということでゆっくりとしていた。奥方はみんなの朝食の準備をすると、いつものように出勤して行った。

 

 さて、私のポータルサイトが更新されていないのだが、今度の二階の端末にはホームページを更新するアプリがない。アプリはすぐにどこからでもインストールできるのだが、肝心のサーバーへアクセスする設定用データがない。

 

 いろいろと端末を探し回っていると、この左端のノートPCにそれらしいデータがあったので、それを正面のメイン端末にコピーして運用ができるようにし、サーバーから更新用データをダウンロードして更新可能にするなど、雑多な作業をやっていた。

 

 どうでもいいといえばどうでもいい作業だが、人生なんてそんなものだ。これはお仕事で大切なのだと力説しても、他人さんが見れば、「そんなこと、どうでもいいことじゃないか・・・」と思えるものなのである。でも、当人は「俺がやらないと社会は回っていかないのだ!」と思い込んでいるだけのこと。

 

 女性のお客さんらが帰ってしまうと私一人だけになる。早速にお盆灯籠を片付け、お仏壇を通常のお荘厳に戻してしまう。お供えは、皆さんにお下げして配ってしまった。

 

 祖母や母たちは、こういうイベントが終わるとお仏壇の扉は閉めてしまうことにしていた。で、朝になるとお扉を開けてお仏飯をお供えし、おつとめしてまたお扉を閉めた。夜になると、お扉を開け、おつとめしてお仏飯をお下げした。それからお扉を閉じて寝た。でも、私はいつでもお仏壇は開けたまんまにしている。ご本山の須弥壇やお内陣にお扉なんてないのだから。

 

 リビングや台所も普通の我が家に戻してしまった。コップやお皿やお箸なども、みな片付けてしまって、私たち二人分の食器しか表には出してない。これからまた、ありふれた、当たり前の普通の日々が続くのだ。

 

 その後、銀行に行って年金の振り込みなどの記帳をやっておいてから、真ん中の弟、「よっくん」の建てたという登山道を示す案内板を見てきた。他人さんのやることに文句はつけないが、いささか、「・・・・・」という感じ。だからと言って、私がどうこうできる訳でもない。

 

 ついでに我が家のお墓にも寄ってきた。弟や娘たちがお花をお供えしてあった。私は、そういう人たちの都合を考えて、樒を少しばかり先に差しておいた。私は、この真石(心柱ともいう)を「南無阿弥陀仏」に替えたいと思いつつ、周囲の反対があって、とうとう、そのままになってきた。

 

 帰ると早速に会計帳簿に記載をしておく。先週末には年金の振り込みがあったからである。その年金分は振り込み詐欺用に、そのほとんどを「裏口座」に移し替える作業もやっておいた。「俺たちに明日はない。キャッシュカードにも残はない」状態にしておくのである。

 

 今日のお昼は、昨夜の残りの富山の氷見うどんである。それにそのあたりの野菜を適当に乗せてみた。でも、ぶどうは余分で邪魔になるだけだった。

 

 こうしてみるとなんでもないおうどんだが、実際はおそうめんみたいな細いおうどんなのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「教えてくれなきゃできないと言ってる人間には教えたってできない」という、一龍斎貞水さんの言葉から。「“貞水さんはあまり後輩にものを教えませんね”って言われるけど、僕らは教えるんじゃなくて伝える役なんです。伝えるということは、それを受け取ろう、自分の身に先人の技を刻み込もうとするから伝わっていくもの。教えてくれなきゃできないって言ってる人間には、教えたってできませんよ。」貞水さんも若い頃、師匠に言われたという。「おまえたちは、日頃いかにも弟子だという顔をして俺の身の回りの世話をしているくせに、俺が高座に上がっている時、それを聴こう、盗もうって気がちっともない。ホッとして遊んでる。俺が高座に上がっている時は、どんなに体がきつかろうと、お金を払って見に来てくださっているお客様のために命懸けでしゃべってるんだ。その一番肝心な時に、聴いて自分から習おう、盗もうって気がないからうまくならないんだ」

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


蝉の声怠惰な夢を打ち砕く

2020年08月15日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は28度から36.4度、湿度は88%から54%、風は2mから5mの西の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 93/54/38.0 35.2c-94% 60.2Kg 26c-78%-1008hPa 体調に変化はない。体重も思ったよりは減らなかった。

 

 お盆とかお正月になると、母や祖母は決まって「外を掃いておけ」と言ったものだ。来客用に外をきれいにしておくようにという配慮だったかと今になって思い出す言葉である。掃除の済んだ家の中で暴れられては困るという・・・配慮だったかも知れない。

 

 だから玄関周りから芝生広場からバーベキューコンロまで、きれいにお掃除をしておいた。

 

 8時を過ぎると暑くなってくるので室内に移動。例の闘病記の「あと書き」やら「はじめの言葉」やら参考文献やら奥書やらと、できることからコツコツと書き直していた。

 

 表紙もできた。そうそう、起承転結の「結」となる三月分の過去ログ整理もほぼできた。相当に分厚い論文集になる予定・・・。

 

 お内仏のお供えも終わったし、

 

 お仏花などのお荘厳もできている。

 

 午前11時を過ぎると酒屋さんが生ビールを配達してくれたし、お料理も次々と届けられた。

 

 気温はすでに35度を超えている。

 

 今回のメニューもいろいろとありすぎて、どこから食べていいのかわからないほど。

 

 私はダイエット中なんだが、思わずに食べ過ぎてしまうし、飲み過ぎてもしまう。休み休みながらの会食になった。

 

 メンバーは弟二人の家族連れと娘とまごとの十人ほど。

 

 ま、ひとしきり賑やかになったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。今日は敗戦忌。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。この前半は説明的。要は、「過去に目をつぶるものは 現在も盲目である」という一語に尽きる。広島、長崎の原爆忌が過ぎた。被爆体験を語る人が少なくなってきたと聞く。被爆の事実を知る人が減ってきたのも事実。だからと言って、過去に目をつぶるものもは、先の事実「フクシマ」や、近年の熊本地震や広島の土砂災害なんかに対しても目をつぶっているのではあるまいか。戦後75年の今年、先の大戦の風化が語られているが、過去に眼をつむり、現在も眼をつむっていてはいけないだとの強く思う今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


信心の祖母に従う盆灯籠

2020年08月14日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は27.5度から36.6度、湿度は88%から56%、風は1mから4mの西南西の風が一時は強かった。明日の15日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる予想である。

 

 93/38/80 36.4c-94% 62.4Kg 29.2c-68%-1012hPa 一昨日から身体が重くて足も重くて歩けなくなった。またもや泌尿器科のお世話になるのか・・と考えていた。

 

 朝食を食べた後、薬を飲もうとしてハッとした。12日、13日分の薬が残っているのだ。つまりは昨日、おとといと朝の薬を飲まなかったのだ。確かに12日は朝食を食べずにお墓へ行ったし、昨日も奥方と朝食抜きでお墓の掃除に行ったことを思い出した。あわてて朝食の薬を飲んだ。で、玄関周りの掃除や、

 

 芝生広場の掃除をしておいた。屋外の作業は8時過ぎまで。今日は特別に暑い日になった。

 

 あとは室内でお布団を干したり、

 

 二階部分の掃除をやっておいた。もう、この部屋はエアコンの冷房が入っている。

 

 一階部分は奥方の担当。先日までごちゃごちゃとしていたリビングも、このようにすっきりとしてお客様をお迎えすることができるようになった。この頃になると、トイレの回数も量も多かったが、体重が62.4Kgから60.2Kgまでに落ちて身体が楽になり、呼吸もすっかりと楽になった。やはり、薬の飲み忘れは致命傷的かなぁと思ったことだった。

 

 お仕事がほぼおしまいになると、今度は自由研究の続きで、一月分から二月分の過去ログを整理していた。二月の18日でブログは一旦中断する。病室で誰かが私の留守中に水をこぼしてパソコンを起動不能にしたのである。予備のノートPCを持ってきてもらったが、これまた起動不能でブログの更新はできなくなった。

 

 その間にカンファレンスが行われて治療不能、治療中止になってしまい、治らないのならばと退院を決意して強制退院をしてしまったのだ。それが2月の25日のことだった。その時にいただいた看護師からのお別れの言葉である。「もう、あなたに施すすべはありません。あなたらしい人生をおたのしみください」というドクターの言葉が耳に残っている。

 

 「もう、あなたがこの病院に来られても、私どもはお受けできません」という教授の声も冷酷に聞こえて耳の底に刻まれている。でも、この看護師さんは、明るく、私を送り出してくれたのである。もう、ふたたび、逢うことはないだろう人になってしまった。

 

 今日のお昼である。奥方作のなんだかさみしいおそうめんである。もう、この頃になると体重は60Kgを切って、59Kg台までに下がってきた。なんという薬の効き目だろうか。でも、「体重がオーバーするから」と、おそうめんだけを食べて済ませた。

 

 どなたが、奥方作のマスクをつけての自撮り写真をアップして欲しいと言うていたので、散髪をした記念にアップしておく。前回は6月12日に散髪をしたから二ヶ月ぶりの散髪になった。

 

 お昼からは、闘病日記を印刷していたら印刷途中で停止した。なんだろうと調べてみたら、トナー切れだった。いつもならエラーメッセージやら警告が出るはずなのに何もなくての中断だった。そこでトナーを交換して印刷再開。200ページほどが用紙の無駄になってしまった。

 

 お仏壇の準備もできた。明日のお客さんをお迎えするだけである。奥方は明日の料理の仕込みやら準備やらに余念がないだろうと下に行ってみると、エアコンをかけながらお昼寝の真っ最中・・・。たくましい奥方ではある。

 

 今日の掲示板はこれ。「どっちみち百年も経てば誰もいない。私も貴方もあの人も。」というもの。江國 香織さんの『すみれの花の砂糖づけ』に収録されている「無題」という言葉集から。江國 香織(えくに かおり、1964年3月21日 - )は、日本の小説家、児童文学作家、翻訳家で詩人。1987年の『草之丞の話』で童話作家として出発、『きらきらひかる』『落下する夕方』『神様のボート』などの小説作品で人気を得る。2004年、『号泣する準備はできていた』で直木賞受賞。詩作のほか、海外の絵本の翻訳も多数。父はエッセイストの江國滋。そうなんだ、悩んでも苦しんでも悲しんでも、どっちみち百年も経てば誰もいないのだ。そんなにたいしたできごとではないではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


盆支度破れた障子そのままに

2020年08月13日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で昼過ぎから夜のはじめ頃は雷雨となる所があるらしい。気温は27.5度から34.8度、湿度は86%から68%、風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みだから暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるよう呼びかけている。明日の14日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 105/59/80 36.1c-99% 60.1Kg 29.4c-59%-1018hPa 今日も真夏の空が広がっている。夏本番がやってきたという風景。

 

 今日は朝食抜きで奥方とお墓の掃除。奥方がお休みの時くらいはしっかりとお手伝いをして欲しいもの。

 

 私は弟作の高枝切りノコを持ってきた。これで高いところの枝を切ろうとするものである。

 

 昨日風景である。画面中央上に銀杏の枝がお墓の方に伸びている。これを切ってみた。こういう道具だから、なかなかに簡単には枝は切れない。

 

 それでも幾分かは上が開いてきた。これ以上はハシゴとかがないと無理。

 

 昨日のカタツムリはどこかに消えてしまった。

 

 奥方が一旦家に戻って、このブロアーを持ってきた。これで落葉や笹の葉などを吹き飛ばしてしまうのである。

 

 これでお墓もさっぱりとした。で、今日のお仕事はおしまい。午前8時を過ぎたところだった。

 

 その後はシャワーを浴びて着替えをして、着ているものは洗って干した。全くのルーティーンである。それから二人して、車に燃料を入れ、郵便局でお金を下ろしてうどん屋さんに向かった。朝昼兼用のおうどんになった。

 

 奥方は「かけうどん小」とてんぷら物など、私は「温玉ぶっかけ小の冷や」にいなり寿司一個にした。390円+90円なり。後はスーパーで食材を買ったりお仏壇のお花を買った。

 

 私は、こういうメモを頼りにブログの過去ログを修正したり追加したりの作業になった。10月分、11月分、12月分が終わり、今年の1月分になってきた。一番苦しい時期からどうにかして生存への道を模索する日々。体重が60Kg 以下になることもあれば、突然に70Kg近くになったりする不可思議な毎日。水分を減らせ、まだ減らせと責められた毎日。

 

 そういう時期のブログの過去ログを修正して 闘病記にまとめる作業をやっている訳だ。パソコンを持ち込んでもいいと言われ、カメラの持ち込みが許されたのも1月の中旬であったかと。それから過去のブログを思い出しながら書いたものだから、修正する箇所はいくらもあった。

 

 ふと奥方の車がいないことに気づいて、あちらこちらを探してみたら、このくそ暑い時間帯にお墓で玉砂利を敷き詰めている。それも除草剤を散布してから、この玉砂利を買いに行って、しかも足りなくなったからまたも買いに行ってきたのだとか。熱中症で倒れているのかと心配したけれど、怒るのに怒れず苦笑するばかり。「山は涼しいのよ~」などとのんきな奥方である。

 

 今日の掲示板はこれ。「私が私になるために 人生の失敗も必要でした。私がわたしになれたのは みんなあなたのおかげです 恩人たちに手を合わせ ありがとうございましたとひとろごと」というもの。中村久子さんならではのことばである。正確には、こういうことばらしい。「私が私になるために 人生の失敗も必要でした 無駄な苦心も骨折りも 悲しみもみんな必要でした わたしがわたしになれた今 すべてはあなたのおかげです 恩人たちに手を合わせ ありがとうございますと ひとりごと」というもの。ここでは「中村久子さん」の歌とされているが、一方では、「をさはるみ(本名・長田智龍(ながた・ちりゅう)。鯖江市本町の真宗誠照寺派本山・誠照寺の関係者。生年月日は1906年2月24日、没年は不明)」さんというお坊さんの詩ということになっていた。「私が私になるため」に、あの時の苦しみも、あの時の悲しみも、何もかも必要だったと詩の作者は言っているのだが、まさしくこれはお念仏の教えに出遭った人の詩だと思えるのである。こうして「私が私になる」ことによって、「私は私でよかったなぁ」と、心の底からうなづくことができるようになる。それはまた、他人と比較する必要がなくなったということを意味している。この他者と比較しないという人生ほど私たちの心に安らぎを与えるものはないだろう。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


生かされてアオイの花に安堵する

2020年08月12日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は25.5度から34.8度、湿度は92%から64%、風は1mから5mの西南西の風が一時は強かった。明日の13日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるが、午後は強い日射や湿った空気の影響で雷となる所がある見込みらしい。

 

 108/58/80 36.4c-94% 60.4Kg 30.0c-77%-1014hPa 今日も夏らしい一日になった。

 

 4時半起きで5時半には作業着に着替えて準備をしたら、奥方が「そんな格好でどこへ行くの」と言う。「お墓」と答えてお墓に向かった。墓場・・・というイメージではない。「昨日、草刈りしたのに、何しに行くの」と奥方は言いたかったんだろう。草を刈っておしまいという話ではなかろうに。

  

 お墓は草刈りだけではない。昨日、切り倒したのが画面中央から左側。どうにもお墓に覆い被さっているような枝が気に食わぬ。

 

 で、これまたバッサバッサと切り倒してみたが、一向にお墓の上空は開けない。山からの雑木が覆い被さってきているのだが、根元は太い・・・。下手したら、お墓の真上に倒れかかると一大事。さすがの私でも倒れたお墓は元通りにはできない。

 

 それでも幾分かは切り落としてみた。長い柄のついたノコがいるなぁと考え中。

 

 お墓の上に妙なものがある。じっと見ていれば動くのだ。虫が歩いているような・・・。何という虫なんだろうか、調べてみたがわからない。

 

 これはでんでん虫。そのままにしておいた。

 

 一応のお掃除は終わった。明日の13日には奥方がお休みになるというので、雑草取りは奥方にお任せ。切り倒した雑木は乾いて軽くなってから片付ける。生のままでは重たいばかり・・・。帰るとシャワーを浴びて着替えをし、洗濯して干しておいた。いつものルーティーン。

 

 真宗に「お盆提灯」は要らないというお作法もあれば、模様付きの盆灯籠は毎年出してもいいというお作法もある。母のお葬式に買ったお盆灯籠なので、もう少し飾っておこうかと出してみた。深い意味はない。あるから出してみた・・・という程度。あ、仏花は明日、奥方がお供えするそうな・・・。

 

 いつも食べ過ぎなようなので、今日は控えめに、これだけ。きつねうどんの小の冷やである。やっぱり物足りないが今日はこれで我慢する。

 

 午後からは夏休みの自由研究。ブログの過去ログから12月分の記事を抜き出して、降順(31,30,29,28・・・)の記事を昇順(1,2,3,4・・・)という日付に並べ替える作業と、12月16日から1月15日までの緊急入院の期間はブログ更新などできなかったので、その記事の追加作業。毎日の血圧などの記録や入院メモなどを頼りの復旧作業になった。

 

 12月下旬は、おなかが大きくなっているのに原因不明で対応できず、急遽、香川医大の救急救命センターのICUに運び込まれた記事である。今になってみれば、「なぁんだ・・・」と思うようなことなのだが、当時は大騒ぎになって命の危機が迫っていたような対応ぶりだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷惑をかけずには生きられない 『おかげさま』ってほんとうなんだ」というもの。「人様に迷惑をかけるな」などと、親が子に教えたものだが、人は誰も迷惑をかけずには生きられない。子供は親に迷惑をかけて大きくなり、親は子に迷惑をかけて亡くなる。「俺は誰にも迷惑はかけないで生きる」と言う人ほど、世の中に迷惑をかける人になるらしい。まだまだ、「おかげさま」とは言えないけれど、これからどうなっていくのかなぁと思いつつ、生かされている毎日ではある。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


睡蓮のまどろみに酔う午後三時

2020年08月11日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、空気の影響で曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて、雨や雷雨となる所がある見込み。気温は26度から33.4度、湿度は94%から66%、風は1mから4mの東北東の風が一時は強かった。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みという予報。暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとって欲しいと呼びかけている。明日の12日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夕方にかけて雨の降る所があるらしい。

 

 111/61/78 36.2c-96% 59.6Kg 28.5c-61%-1008hPa さすがにしんどいと言えばしんどい。体中が神経痛(私はかかったことがないが)になったかのようなしんどさ(どんなんじゃい)。

 

 私は真宗だからお墓など拝まないが、そのあたりをやかましくいう友人知人なんぞがいるものだから、お墓掃除も欠かせない。欠かせないが、一昨年あたりからの一連の「心不全騒動」で、お墓掃除もままならなかった。

 

 ま、「やいのやいの言うのが好きな連中」がおいでになるので、朝の6時からお墓の草刈りを始めた。お墓の周りだけではなく、隣の芋畑であった所も刈り飛ばしておいた。

 

 私が若い頃、30歳頃までは、ここにサツマイモを植えていた。でも、祖母がいなくなると芋作りもやまってしまい、その頃、みんなが一斉にお墓を建てるようになり、成り行きで母が親戚の紹介でお墓を建てた。その基礎工事はやった記憶がある。だからどこのお墓も一緒で「どこそこ家之墓」という風になっている。その頃の流行みたいだった。

 

 30分ほどで草刈りは終わった。お墓の掃除は13日に奥方が手伝ってくれるはず。お墓の掃除や草抜きなんぞは私の性分に合わない。

 

 で、お墓や畑に覆い被さってきている雑木を、これまた枝払い、枝落としで切り倒していく。だから上半身がけんびき(病気) 肩の凝(こ)り。「痃癖(けんぺき)」のなまり。「けんぺき」は、首筋から肩にかけて、筋肉がときどき引きつること。で痛いのである。

 

 で、バサバサと切った割には見栄えがしない。あたりの山がでかすぎるのだ。

 

 午前9時前には作業も終わり、シャワーを浴び、着ていたものを洗濯して干してから朝食になった。

 

 朝食後は野菜畑に水を流したり、切り落とした庭木の枝を片付けたりと雑用をこなしておく。

 

 あと、9月の行事の案内状を配りながら、

 

 ひとり暮らし老人の調査である。最近、目に付くのが「80-50問題」というもので、80歳以上のお年寄りが50歳代の息子を世話しているというご家庭。ま、50歳代の息子が80歳のお母さんの世話をしているという家庭もあるが、そういう家庭の線引きが難しい。

 

 今日もよく働いたので、「エビ天と温玉おろしぶっかけそば」と野菜サラダ付きである。それもおそばふた玉である。少しばかり食べ過ぎたかしらん。

 

 ちと豪勢に盛りすぎたかも。

 

 こんなに食べたら体重が・・・と思いつつ、毎日毎日よく食べる。食べるけれど、体重は60Kg前後を上がったり下がったりしながら・・・。

 

 午後からは、できあがった調査票を社協の事務所に届けてきた。お役所からの宿題は仕上げて届けたつもり。

 

 今日の掲示板はこれ。「不平不満で百まで生きるより、努力し学ぶ一日の命が尊い」というもの。これまた、どこの誰の言葉かわからない。不平不満を言って過ごすのも1日、自分が出来ることを一生懸命やって過ごすのも1日だとしたら、あなたは、どちらの方が 気持ちがいいだろうか。人は、言葉に出すと感情がうまれる。不安な事を口にすると、自分自身が不安になり、とっても自分が可哀想。逆に言えば、こうなりたい。ああなりたいと希望を込めた事を口にすると、「どうすれば 結果がそうなるか?」考えて頑張る。頑張った自分を褒めることができて、とても 気持ちのいい1日が過ごせる。「努力し学ぶ1日が尊い」これを見た時は、確かにとうなづいた。他人の機嫌をうかがうのではなく、自分自身の機嫌をうかがえと教えてくれた人がいる。自分の感情を作るのは、自分の言葉ならば私は、やはり マイナスの言葉よりプラスの言葉で、自分を明るく楽しく生きてゆきたいものだと知った。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


咲いて散る花は一途の蓮の花

2020年08月10日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて、おおむね晴れていたが、午後からは湿った空気の影響でおおむね曇り、雨や雷雨の所があるらしい。気温は26度から34.5度、湿度は94%から68%、風は1mから3mの南東の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市地方は、引き続き、湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨の所がある見込み。

 

 108/57/80 35.9c-98% 60.2Kg 26.6c-79%-1010hPa 午前中はまさしく夏が来た・・・という風景になっていたが、午後からは曇って蒸し暑くなってきてしまった。

 

 今日も夏休みの自由研究の一つである「病歴年表」の作成をやってみた。私の記録の残る平成21年(2009)からの記録やブログから病気に関する事柄を抜き出したものである。最初は風邪や肺炎が主だったのに、2010年からは心不全が発見されてカテーテル手術(アブレーション)が始まった。私の心臓病はここからスタートしている。

 

 私が苦しい苦しいといい、呼吸困難になるのは、心不全が原因だと言われてきた。それが今年までの10年間にも及ぶのである。ところが・・・である。確かに心不全の症状はあるのだけれど、実は前立腺肥大などからくる「尿道閉塞」と、それによる「腹水の滞留」ではなかったのか・・・という今年の結果である。

 

 そういうことをやっていたのだが、公休日の奥方が、「さぁ、行くわよ!」というので、運転手で徳島県阿波市まで車を走らせた。我が家からほぼ南に進み続けると、阿波市に入る。そこにあるJAさんの産直市場に野菜を買うために行くのだという。前にFBの友人・大道さんが教えてくれたお店である。

 

 今日は休日であり三連休であり、お盆休暇の一環であるためか、駐車場は一杯だし、お店の中もご婦人連中で押し合いへしあい・・・。「三密」などは全く関係ないという雰囲気。こりゃダメだ・・と、私は車で待機。

 

 で、奥方も「ここは高いわぁ・・・」と、それでも手押しカートいっぱいのお買い物。「やっぱり、土成(どなり)に寄って・・・」と、行き慣れた産直店に立ち寄って、「ああ、桃もぶどうも安かったわぁ・・」と満足げ。

 

 そこからは東に進んで四国遍路の6番さんから1番さんを過ぎて、大谷焼の里から北に向かって山中を走り、北灘町櫛木に出る。そこから国道11号を西に進んで高松方面に向かう。で、鳴門市北灘町宿毛谷にあるJF北灘漁協のお店に立ち寄った。

 

 こういう「とれたて食堂」という漁協のお店である。どうも奥方は戌年みたいに、ここと決めたらそこばっかりに行くみたい。こことマーキングをしたらそこばっかり。

 

 私はアナゴ丼定食で2200円。このアナゴ天は眼が点になった・・・。これだと多分、アレルギーは大丈夫だろうと思う。

 

 奥方は「とれたて定食」ということで普通の定食みたいだった。

 

 お盆の帰省は控えて・・・みたいな風潮にあるが、とんでもハップン。横浜・神戸・岡山・京都・・・・と県外ナンバーがずらずら・・・と。そういう私も香川ナンバーであった。

 

 そうそう、今日は担当の大窪寺さんでの「柴燈大護摩供」の日なんだけれど、今年はちと取材は勘弁してもらうことにした。「なんで、真宗のお坊さんがそんなとこへ行くんよ~」と大目玉をいただいてしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「千万(ちよろず)のいのちの上にさづかれし 平らけき世を生くる悲しさ」という、元本願寺お裏方大谷嬉子さまのお歌からである。

      「海をよごし
       川をよごし
      空をよごし
       あさましい人間 
      然し地球は
       このあさましい人間を抱いて
      悠悠自転している」

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


水注ぐ慰霊の手桶原爆忌

2020年08月09日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で昼過ぎから曇ってきた。気温は25.5度から32.8度、湿度は94%から64%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みと言われていた。暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるよう呼びかけている。明日の10日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で、概ね曇る見込みらしい。

 

 96/49/78 36.4c-93% 60.2Kg 27.5c-79%-1009hPa 体調に大きな変化はない。

  

 今朝の朝食である。特に話題もない。

 

 奥方が出掛ける前に、「野菜畑に水を流しておいてね」と言って出掛けた。そのくらい自分でやればいいのにと思いつつ、出掛けてしまったらしようがない。コンセントに電源プラグを差し込むだけだから偉そうにも言えない。すると、隣の津田川の水がホースを駆け上ってきて畑に流れ込む。

 

 私はとくにこれということをしないでもいい。勝手に水が登ってくるのである。

 

 そうして畑がみるみるうちに水田のようになってくる。これで3時間ほどおいておく。そうすればしっかりと地面に水がしみ通っていく。だから、たいそうな話でもないのだし、偉そうに言えることでもない。

 

 で、今年の夏休みの宿題である。昨日は入院期間中の血圧や脈拍・体温や酸素濃度・体重などの記録表を整備した。というのも、入院中の全記録はノートPCの中に入ったまんま、誰かが水をこぼしてPCを起動不能にしてしまったのだ。それを復活復旧させようとしているのである。

 

 ある日のブログには、このように入院中の記録がスクリーンショットで残ってはいるが、こういうものを参考にしたり、

 

 こういうメモ書きみたいなものから探し出して追加修正していくのである。ま、研究というのは、そういう手間暇のかかるものなのである。

 

 で、こうして、入院期間中のデータの複製はほぼできたと思うのだが、確認や検証はこれからである。

 

 まだまだ、データの欠けた部分も幾つかあるし・・・。

 

 今日はおうどんにしてみた。どなたかがスイカ入りの冷麺だかを紹介してはったので、今日はスイカ入りのチーズカレーうどんと野菜サラダ付きである。カレーうどんにスイカは、やや強引すぎたかも知れない。

 

 スイカの下にある白いものは大根おろしである。

 

 これを食べ終わった11時過ぎからテレビで長崎の平和記念式典を見ていた。この式典は、長崎市なんぞは、「平和祈念式典」としてあるが、ニュースなんぞでは、「平和記念式典」とある。どちらでもいいんだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷信は無知からではない欲が生むのである ありのままに受けとる人は迷わない」というもの。これまた、どこの誰のものかもわからない。よく友引の日に葬儀をすると、親しい人を引っ張るとか仲間を連れて行くとかいうのだが、本当に引っ張って連れていくのだろうか。そもそも日に良し悪しなんぞはない。仏滅でも赤ちゃんは生まれるし、大安でも人は亡くなっていく。大安に挙式をしても翌日には離婚したという話も聞いたことがある。しかし人間というもの、心は弱いから日の吉凶は気になるもの。気にするなといっても気にしなければしないほど心配になってくる。なぜ気になるのか。それは私に欲の心があるからで、少しでも良いことがありますように、少しでも自分中心で物事が回りますように。少しでも都合よくいきますように・・と願うのである。そんなことを気にすることなく、ありのままに受け取って歩いて行けば、決して迷うことなどなくして行き着けるものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


露草もうなだれている午後である

2020年08月08日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は25.0度から32.8度、湿度は96%から72%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。夕方から夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。明日の9日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 102/58/78 36.3c-98% 60.2Kg 29.9c-59%-1009hPa 立秋を迎えたというのに、まだ、梅雨時期みたいに湿度が高くてむぅ~とした感じが残って、どうにもやる気が出てこない。

 

 8月8日は何の日だろうかと調べてみたが、取り立てての記念日でもなんでもない。7月7日や9月9日がなんだかんだといわれのある日になっているのに、8月8日は何もない。いや、パパの日だ、パチパチでそろばんの日だ、たこの足が8本だからタコの日だとかと寒ぅーぃダジャレ記念日は並んでいるのだけれど。そこで正真正銘88である「四国霊場88番札所」へ行ってきた。土曜日だというのに閑静な境内である。

 

 ここはまさしく「ソーシャル・ディスタンス」にふさわしい場所だなぁと感じた。社会的にも人間的にもさっぱりと距離を置くようなところである。

 

 これは「原爆の火」。75年前の8月6日、アメリカ軍が原爆を投下した広島の焦土でくすぶっていた火が、全国各地に伝えられたうちの一つである。火は静かに非核平和を訴えている。高さ約2メートルほどの塔に、小さな火がともっている。これが灯されたのは1988年という。今も福岡県八女市星野村で灯り続ける火から移された。村出身の山本さんという男性が45年夏、広島の焦土を親族を捜して歩き、くすぶっていた火を形見として懐炉にうつして持ち帰り、戦後ずっと守り続けたものだという。その山本達夫さんの原爆の火を、大窪寺の檀家さんである真部さんが懐炉の灰に火を移して持ち帰ったものが、この原爆の火である。明日が長崎の原爆忌。静かに合掌してきた。

 

 大師堂では、「ここが初めてのお寺なんです・・」という若者が慣れない手つきでろうそくを灯し、線香に火を付けていたので、やさしくお作法なんぞを話してあげた。

 

 お参りのついでに、8月8日発売の88番大窪寺マスクを受けてきた。当然、ここだけにしかないマスクである。

 

 今日は冷麺である。いつものイワシの味噌煮・野菜冷麺と野菜サラダ付きである。肉や魚はアレルギーがあるので、このイワシの味噌煮ならば安心だと、最近はこればっかりになってきた。

 

 ま、見てくれはよくないが、私一人だけの食卓だからかまわない。

 

 食後には、この紫蘇ジュースをいただいた。奥方自作のジュースである。原液1に対して水が2という割合いで薄めて飲んでいる。

 

 食後は、昨日に引き続いてブログの過去ログからワードに落としたものを整理する作業である。私の今年の闘病記の素材である。

 

 こういうワード文書を、文字をMS-Pゴシックの12ポイントに変換しながら、画像を5分の1に縮小していくという根気の要る作業である。

 

 こうして、闘病日記の10月分から今年の3月分までは整理が終わった。今度は、この日記の日付を降順(31,30,29・・・)から昇順(1,2,3・・・)に並べ替える作業が待っている。ところがである。2月18日にノートPCが壊れてから自宅に戻って落ち着くまでの2月27日までのログがない。更新できなかったのである。さて、これをどうするのか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「あるがままに生きる ないがままに生きる」という荒了寛さんのカレンダーの中のことばから。全てのものは、ああしよう、こうしようという主体性をもって生まれて来たわけではなく、「自然に」生まれて来たのである。全ての対象は自分も含めて観察するべき対象というよりも観察されるべき対象と言えるかもしれない。観察できる主体はどこにもない。あると思っているだけである。日本人は自然にまかせて、 あるいは自然と同化してあるがままに生きるということを脈々と実行してきたのではないだろうか。また日本文化に大きな影響を与えた仏教の縁起説では(物事の発生と展開)において、全てのモノに「自性がない」ということがある。そんな難しいことを言わなくても、あるだけの食材で生きる。なければないで、なんとか食べて生きるのである。今の現代に於いては、なかなかに、こういう生き方は難しいのだが、要するに「財布の中身と生き方」とは関係するように思う。財布の中に余裕があれば、「あるがままに生きられる」し、財布の中身がさみしくなれば、「ないがままに生きる」しかない。わが家の今月もまた、「ないがままに生きて行くしかない」のである。

 

 じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


うたた寝の金曜午後のあきあかね

2020年08月07日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇っていた。昼過ぎから夜のはじめ頃は雨や雷雨となる所がある予想。気温は26.0度から33.0度、湿度は92%から66%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意するよう呼びかけている。明日の8日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みだとか。

 

 101/59/79 36.0c-95% 59.6Kg 25.1c-84%-1006hPa 体調に問題はない。

 

 身体が動くようになれば、あれもしたい、これもしたいと考えていたが、あれもしたし、これもしたし・・・概ね、やりたいことはやって済んだ。あとは涼しくなってからの作業となっている。

 

 さて、今年の夏休みの自由研究は何をしようかと考えていたのだが、先日から、この論文の続きというか、改変論を考えている。私の身体の不調は、心不全による胸水が肺に貯まることに起因しているので、その対策をどうするか・・・というものだった。

 

 ところが、今年の入退院の結果から、実は胸水のせいではなくて、尿道閉塞による腹水の滞留が原因であった・・・ということが推測されるのである。そこで、前回の論文を大幅に修正して書き直すことにしたのである。

 

 そこで、私のブログの昨年10月分から今年の3月分までの全ログをワードに落として、病気に関係しない宴会や観光ガイドの内容は削り落としていた。

 

 画像は小さくし、文字も間隔も小さくして読みやすい文章にしてみた。こういうと簡単な作業に思えるが、実際はなかなかの手間の居る作業になった。一ヶ月分260ページにもなるログを20ページほどに削るのだ。だから・・・というわけでもないが、10月分と11月分の整理がやっとの状態だった。

 

 今日のお昼はおうどんにした。イワシの味噌煮と温玉エビ天ぶっかけうどんの冷や・・・で、野菜サラダ付きである。

 

 ぶっかけ出汁とイワシの味噌煮のお出汁が絡んでマイルドな味になった。それを一層大根おろしが柔らかくしてくれた。

 

 元気だ元気だと口では言うものの、私の病気が治った訳ではない。私の心臓は、この右の「拡張型心筋症」という病気に「心臓弁膜症」が絡んでいる。そのことから「心不全」が発生して胸水を滞留させているのには変化がない。だからあながち、間違いだという訳でもない。それだし正座ができないことや長時間の座居は無理だというこにも変わりはない。

 

 だから、心不全の末期で治療のできない状態には変わりがない。あと一回、心臓発作が起きれば、それでおしまいという状況はどうしようもない。あとは日々のコントロール以外には手はない。そのためにも、今年の夏の自由研究は、その余生をいかに過ごすか・・・というテーマになろうか。

 

 これは、昨夜、奥方がああだこうだと作り上げたマスクである。だからどうだと・・・言う話でもない。

 

 今日の掲示板はこれ。「大切なことは 何年生きてきたかではなく 何をして生きてきたかということです」という荒了寛さんのことばからである。人生に意味があるかどうかを考えればさまざまな考えに出会うのだけれど、その意味も考えることなく、ただ、漫然と年齢を重ねるだけの人生ではなく、この私が何を成し、何を発言し、どのように生きたのかが大切であるよ、と、言うている。先日の「余生」という言葉にも関連するけれど、「静かな余生」も、それは それなりの生き方だから尊いのだけれども、「私が生まれてこなければ、この世に生まれなかったものもある」という生き方もまた、尊いだと思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


原爆忌今年は蝉も黙祷し

2020年08月06日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は24.2度から31.4度、湿度は98%から68%、風は0mから2mの北東の風が少しばかり。明日の7日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 106/41/80 35.8c-96% 59.8Kg 24.2c-84%-1008hPa 体調に全く問題はない。

 

 今日は奥方のお休みの日。だから起きるのは7時前で朝食は7時半過ぎになった。もっとも、私は4時半にはすでに起きているのだが、一階には降りないでいた。

 

 だから、自分の書斎でテレワーク。お役所からはさまざまな調査表などが送られてくるので、できることからコツコツと・・・。早くも来月9月21日は敬老の日である。現在の敬老の日の由来は、1947年兵庫県多可郡野間谷村(現在の八千代町)の門脇政夫村長が提唱した「としよりの日」が始まりとされている。当時、村では「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という主旨のもと、1947年から農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開くようになっていた。

 

 これが1950年からは兵庫県全体で行われるようになり、1954年には国民の祝日として制定され、全国で祝うようになった。しかし、「としより」という呼び方はどうにかならないか、ということで各方面から異議が起こり、「老人の日」にいったん改名されることになった。 やがて「国民の祝日法」が改正されることとなった1966年、「建国記念の日」「体育の日」と共に国民の祝日と制定された際に、現在の「敬老の日」と名称が改められ、その後、2001年(平成13年)にハッピーマンデー制度の施行に伴い、日程の変更が生じ、それまで定着していた「9月15日」から、「9月の第3月曜日」への移行されている。

 

 さて、今日は広島の原爆忌。広島では恒例の「平和記念式典」が行われ、松井一実市長は日本政府に対し、被爆者の思いを誠実に受け止めて核兵器禁止条約に参加するように求めた。広島市の平和公園で午前8時から行われた平和記念式典には、被爆者や遺族の代表をはじめ、安倍総理大臣のほか、83の国の代表などが参列。

 

 式典ではこの1年に亡くなった人や新たに死亡が確認された人、合わせて4943人の名前が書き加えられた32万4129人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められた。そして原爆が投下された午前8時15分に参列者全員で黙とうをささげ、全国でも多くの人々が黙祷をささげた。

 

 私は、9月頭に行われる「ひとりぐらし老人の調査」や85歳以上の高齢者世帯の調査票の確認などをやっていた。これを元にしてひとりぐらしの高齢者宅を訪問して安否確認や相談事などをお聞きするのである。

 

 奥方は歯医者に行くとか食材を仕入れるためとかでお出かけしてしまった。「お昼はおそうめんよ」と言い残して出て行ったので、いつものような野菜たっぷりさわやかそうめんと野菜サラダ付きである。

 

 テレビなどでは高温に注意とか35度越えとかにぎやかだが、我が家は静かで平穏そのもの。蝉の声すら聞こえない。風はやさしくそよそよと、木陰では半袖では肌寒いくらい。でも朝方にはヒグラシが騒がしく啼いて起こされたし、夕方にはツクツクボウシやヒグラシの声でにぎやかになる。まだ、虫の声は聞こえない。

 

 さて、夏休みの自由研究というほどでもないが、私の身体はいつ頃からおかしくなったのか・・・という調査をやっている。これは、私の10年日記というもので、ここには何年の何月何日には何をした・・・ということがメモしてある。これで検索して、私のブログの何年の何月何日のページを開くと詳細がわかる仕組みになっている。ちなみに、上の表の黄色い部分は入院期間である。

 

 それから抜粋して、病歴年表を作成している。これを元にして私の闘病記録を考える論文にまとめようとしている訳である。

 

 これが昨年版の闘病生活から考えた「胸水貯留による心不全症候群に関する対策と社会民俗学的考察」という論文集である。今年はこれの続編版を考えていたのだが、「実は・・・胸水の問題ではなくて、尿の問題だった・・・」というどんでん返しがあって、この論文集は全くの「ゆめまぼろし物語」であることがわかったのだ。だから、今年はこれを大幅に修正する作業になっているという訳である。

 

 今日の掲示板はこれ。「一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く 一本の鉛筆があれば 人間のいのちと私は書く」というもの。松本善三作詞 佐藤勝作曲 美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」という歌からである。朝日新聞の投書欄「声」にたびたびこの曲についての投稿が載っているという。時々、この歌は聞くことがあるが、改めて歌詞を読んでみて感激した。昭和49年8月9日の第一回広島平和音楽祭で実行委員長の古賀政男さんの プロデュースで書き下ろされたものという。 その後、昭和63年の第15回広島平和音楽祭でも歌っている。62年に福岡で倒れて緊急入院。63年4月の東京ドーム公演で不死鳥のように復活し(白いフェニックスのような衣装が印象的だった)、翌年2月からツアーを再開したものの、2月7日の小倉公演の終了後に倒れて、6月24日に帰らぬ人となった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


夏水仙ぬっと出て咲く勇気かな

2020年08月05日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は25.0度から33.4度、湿度は96%から70%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の6日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 82/48/80 36.5c-95% 59.6Kg 28.9c-78%-1015hPa 体調に変化はない。

 

 さて、昨日の続きであるが、紫蘇の葉をたくさん奥方が取ってきている。梅干し用の紫蘇かと思ってザルに三杯ほど千切ったが、紫蘇ジュースにするから全部を千切っておいてちょうだい・・・とおっしゃる。

 

 昨日のザル三つ分は、これだけにしかならなかったらしい。

 

 あれだけでこれだけか・・・。じゃぁ、全部・・・ということで、しぶしぶとハサミで一枚ずつ切り取っていくが、これは容易なことではない。

 

 でも、なんとか、全部の紫蘇の葉を枝から切り離した・・・。

 

 やはり、昨日の二倍くらいにしかならなかった。ということで、今日は庭木の剪定ならぬ「紫蘇の葉」の剪定になった。

 

 ミョウガも、これだけにしかならなかったのか・・と、よくよく見れば、冷凍庫の中にはたんまりと残っていた。これは酢漬けなんだろうか。

 

 これは、「うきうき家計簿」というフリーソフトであるが、パソコンを入れ替えたり並べ替えたりしていると、そのソフトが行方不明になってしまった。そこで古いノートPCやらHDDやらUSBメモリーやらを探して探して、ようやくに当面の三台にインストールし直した。

 

 7月中旬までのデータは残っていたので、それに追加して、7月末から8月4日までのレシート分を入力しておいた。

 

 我が家の会計帳簿は銀行口座を管理する会計帳簿がメインなのだが、「カード」引き出しになってしまうと、それはブラックボックスに入ってしまう。カードで15万ほど引き出しがあっても、それで何をしたのか、何に使ったのかがわからない。そこで、それを管理するのが、この家計簿なのである。我が家の場合は医療費が圧倒的に多く、食費、交際費と続いている。

 

 午後からは民児協の定例会である。通常は「第二水曜日」なのだが、今月はお盆がからむので一週間前倒しになっている。

 

 今月は会場当番ということで、会場の設営から片付けまでを担当した。みんなの前にあるお茶を配るのも当番の役目である。冬場はコーヒーだ、お茶だ、ブラックコーヒーだと手間取るが、夏場はこうしたお茶を配るだけで済む。

 

 当面は一人暮らし老人の調査や高齢者についての調査なんぞがある。災害時の避難行動やら、その支援策なんぞ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「一ぱいの水も 仏の涙かな」という山口県防府市出身の種田山頭火の句からである。どこにいても水は大切なものだが、山においては特に水はとても貴重な存在である。沢や谷には豊富に水があっても、稜線に出ると、水を得るのは難しい。稜線部にある山小屋では、雨水を蓄えて飲料水にしているが、雨が降らなければ水がなくなってしまうのだ。同じようにエジプトの砂漠地帯でも水が貴重なものだった。ふだん、私たちは水があるのが当たり前に思ってしまっているが、災害や異常事態の時、水がいかに大切なものかを教えられる。水に限らず、ガスや電気や食料資源は仏さまからの授かり物と心得て、大切に使っていきたいものである。

 

kじゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蝉一つベランダで啼く空の蒼

2020年08月04日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は24.5度から32.4度、湿度は96%から76%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の5日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 血圧92/59/脈拍78 体温36.1c-酸素濃度96% 体重59.6Kg 室温26.7c-湿度81%-気圧1012hPa 体調に問題はないが、なぜか足がしびれるような神経痛のような、使い痛みのような、それでいて重たい感じ。むくんでいるとかではない。

 

 今朝の朝食であるが、特段の話題性もない。

 

 これは我が家で採れた紫蘇の葉である。これを葉っぱと軸とに分けておいてね・・と、奥方は出勤していった。これだけの紫蘇をどうやって分けるというのかえ。

 

 なんでも、梅干し用の紫蘇らしいが、梅干しなんてわずかしかないのに、どれだけの紫蘇を摘めばいいというのか。このあたりで指が痛くなってやめてしまった。

 

 今日は久々に「市民病院」の眼科の診察日。術後二ヶ月目の検診である。右目の白内障の手術を受けたのが5月の27日のことだった。それから二ヶ月ちょっと。

 

 入り口にはこのようないかめしい看板が・・・。最近、また、香川県内でも患者さんが増えたとかで慎重な病院側ではある。

 

 9時前には眼科の受付をすませたが、予約時間の9時30分にならないと診察にはならない。

 

 その間に、こういう「オートレフラクトメーター」検査(近視や遠視、乱視がどの程度あるのかを他覚的に測定したり、PDといって目と目の間の距離を測定したり、角膜曲率半径(角膜の曲がり具合)が分かったり、調節機能がどの程度あるかも測定出来る優れもの)や、

 

 おなじみの視力表検査(ランドルト環表)があったりする。視力は右眼で1.2だった。これで充分らしい。ドクターの診察でも「順調で眼はきれい」らしい。次は一ヶ月後の9月3日である。この三ヶ月検診が終われば無罪放免になるらしい。

 

 で、今日のお昼はこれ。さんまの大根おろし煮冷麺と野菜サラダ付きである。ミョウガは裏庭のミョウガ畑から採ってきたもの。

 

 一人用だと一個でも良かったかなぁと思うことだった。

 

 お昼からは所属寺院へ行ってきた。毎年恒例の、今時のお願いである。病院の担当ドクターからの診断書を添えての本山宛ての文書である。

 

 本堂前にあった松の木が枯れてしまったので、なんとなくさみしくなった所属寺院である。

 

 ということで、私はこのお寺の衆徒(僧侶)として登録されている。

  

 こうして見ると立派なお寺である。この右のほうに、

 

 この庄松(しょうま)同行の銅像がある。(同寺HPより)https://shokakuji-kagawa.com/

 

 今日の掲示板はこれ。「夏たけて 掘の蓮(はちす)の花見つつ 仏のおしえ 思う朝かな」という昭和天皇の御製のお歌である。夏の訪れと共に、毎年思い出して胸を詰まらせる、昭和天皇の辞世のお歌として知られている。不治の病に苦しまれた晩年のある日、静かに詠まれたこの一首が 最後の辞世の歌となった。遠い昔には尊いお方様(天皇)の力によって、神社とお寺が建てられ、家庭では神様と仏様をそれぞれお祀りしてきた。歴代天皇は国家精神の中心として、国家統一と平和の確立のために外来の儒教や仏教とのおおらかな融合の努力を続け、すべての異文化を日本文化として同化する風土を生み出した。皇室の宗教は「神道」であるが、仏教にも深い関心を寄せておられたことがうかがえてほほえましい。ご存じの通り、天皇家は皇宮神道の宗家本元。その家元さんが蓮の花を愛でて、お釈迦様の教えを改めて知った・・・というお歌を詠まれている。キリストさんがお釈迦さんの説法に感激した・・・みたいなことだ。実に謙虚で誠実な人柄が偲ばれるではないか・・・。私たちにもそんな謙虚さや誠実さがあるだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


咲ききって沼は浄土と蝉の声

2020年08月03日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は25.5度から32.3度、湿度は96%から72%、風は0mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の4日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 113/59/80 36.3c-94% 60.4Kg 25.3c-75%-1010hPa 体調は変化ないが、なんだか寝不足みたいで身体がだるい。21時に寝て4時半に起きるのだから7時間半も寝ているし、寝不足になるはずもないのだが、なんだか 眠たいという感じ。今朝も「カナカナカナカナ・・・・」というヒグラシの声で起こされた。

 

 今日は奥方の公休日。だから、起きたと言っても歩き回ったりはできない。7時過ぎに「朝食ができたよ~」と言う声で台所に降りていった。特にこれという食材もない。

 

 今日も植木屋さんはお休みすることにして、二階の事務所の整理作業。こういう風に電源コードをつないでは延ばし、つないでは伸ばししてきたが、少しばかり整理もしなくては・・・と、整理を始めた。

 

 ところがプリンター6台の内の4台が動かないというか電源が入らない。電源コードの先をたどっていくと、確かにコンセントには刺さっている。だのに電源が入らない。さらに先に進むと、自分のコンセントにその先端が刺さっている。これでは電流が流れるはずもない。こういうことがたまにある。

 

 この右手の白い三台もプリンターである。それぞれに用途が違い、印刷用紙が違っている。中央の黒いものがパソコンである。

 

 正面から見ると、こういう感じになる。みんなが「One-Drive」に接続しているから同じ画面になる。つまり「マイ・クラウド」である。

 

 梅雨明けはしたのだけれど、今日のさぬき市地方は曇っていて蒸し暑い感じ。湿度計はいずれも70%前後を示しているが、80%以上はありそうな蒸し暑さ。私だけの感想なのかもしれないけれど。

 

 香川医大付属病院を退院するときに、看護師さんからいただいたメッセージを忘れていて、ようやくに今日、額に入れて飾ってみた。

 

 このときは、「あなたの命は風前のともしびです。どうぞ、あなたらしい人生をお過ごしください」と教授に言われていた時期。看護師さんも、そういう感じのメッセージになっている。「最後まで、木村さんらしい人生を楽しんでください」という言葉が書かれている。つまりは「弔辞」みたいなものである。

 

 今日はテレビではなくて、ラジオをパソコンで流しながらの作業になった。プリンターをつないだものの印刷ができない・・というものを一つずつ確認しながらの作業で、ようやく、4台のPCに6台のプリンターを接続するのに半日以上もかかってしまった。

 

 これで、一応の書斎兼事務所兼マシン室の完成となった。ところが、今年は「夏休みの自由研究」のテーマが見つからない。死期が迫っていると思って、やりたいことはみな、やってしまったような気がする。思い残すことのないようにと、あれもこれもとやってしまったのに、まだ、お浄土からのお迎えが来ないもので、なんだか手持ち無沙汰・・・みたい。

 

 今日の掲示板はこれ。「生まれたときも手ぶら 死ぬときも手ぶら」というもの。どこのだれの言葉かはわからなかった。

 死んだ男の残したものは
 一人の妻と
 一人の子ども
 ほかにはなにも
 残さなかった
 墓石一つ
 残さなかった

 頭のなかで繰り返し繰り返し流れてくる。確か、森山良子の歌だっただろうか。いつだったかラジオで聞いた高山右近の研究家の話は、眠気の中でも少しだけ記憶の端に残っている。クリスチャンであり茶道も嗜んでいた彼は、徳川家康に「お前などいらぬ」と言われて、潔く家財や自分の城を手放した。「人間は死ぬときは手ぶら」そう言って日本を去ってルソン島で死んだ。

 人間は、生まれてきた時もひとりだったし手ぶらだった。死ぬ時も、ひとりだし、それこそ、何も持たせてはくれない。人生も、あっという間。地球の歴史から見れば、人間の一生なんて一瞬のまたたきのようなもの。これを「無常」というのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


和やかにミンミンゼミののど自慢

2020年08月02日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は25.5度から31.3度、湿度は96%から70%、風は0mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の3日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 102/54/78 36.1c-96% 59.8Kg 26.5c-74%-1014hPa ずいぶんと眠たいが体調に変化はない。変化はないが、両手足が使い痛みのようにギシギシとする感じ。神経痛(なったことはないが)のような痛みが走る。

 

 朝食は普段と変わりない。次男のよっくんも三男のたっくんも、起きるとすぐに帰って行った。奥方が四人分の朝食を前にして憮然とした表情。私が昼も夜も、これを食べないといけないらしい・・・。

 

 今日は日曜日ともいうこともあって(毎日が日曜のくせに)、今日は植木屋さんはお休みすることにして、今日は二階に移った書斎兼事務所兼マシン室の整理と設定作業をやっておくことにした。

 

 お天気もいいことだしと、私の布団と奥方の布団をベランダの手すりに掛けて干しておいた。昨日はとりあえず三台のマシンを動かしたが、今日は全端末を結びつけようと意気込んでいた。これで見るとおり、これだと、その向こうにあるテレビが全く見えなくなった。大きなディスプレーが正面にきたせいである。

 

 そこで、壁面のTV端子から分配器で二系統に分岐をして、一系統は今までのテレビに接続し、もう一方を正面のデスクトップPCに接続した。

 

 これで、正面のPCでテレビを見ることができるようにした。当然、BS4Kにも接続できる。

 

 これで、正面のテレビがみえなくともパソコンからテレビ画像が見えるようになった。

 

 これで、4台のパソコンを接続できたことになる。主な業務は正面の二台の端末で、補助用(グーグル検索)やらメール確認などで左右の二台のパソコンでおこなうことにした。四台とも、「ワンドライブ」というマイ・クラウドでデーター共有している。また、正面の二台はマウス一個で二台のPCを操作できるようにした。

 

 しかしのかかし、接続はごらんのように何が何やらわからんようになった。これもきちんと整理しておきたいものである。

  

 今日のお昼はこれ。イワシの蒲焼き野菜冷麺と野菜サラダ付きである。朝食の野菜サラダをお昼も食べている。で、夕食もこれを食べることになっている。

 

 最近は野菜、それも生野菜がおいしいと思うし、食べたいと思う。煮た野菜は無理。

 

 これで一応、置くものは置くべきところに置いてみたし、接続するものは接続完了した。奥方の寝るためのスペースも確保した。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当は「わからない」で悩んでいるのに「わかったこと」にしている。私は永遠の「わからなさ」を抱えて生きてやる」という田口ランディさんのことばから。本当は「わからない」で悩んでいるのに「わかったこと」にしている。私は「わからない」を生きてやる。永遠の「わからなさ」を抱えて生きてやる。もし「わかって」しまったら、私は閉じてしまうから。 田口ランディ(『できればムカつかずに生きたい』より抜粋)田口ランディ:作家・2000年に長編小説「コンセント」で小説家デビュー。「アンテナ」「モザイク」「ゾーンにて」「パピヨン」など著書多数。最新刊は「逆さに吊るされた男」(河出書房新社)地下鉄サリン事件の実行犯との1交流を元に執筆した私小説。noteマガジン「ヌー!」を発行中。(月額500円)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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