まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

良いこともみんな忘れて散るもみじ

2020年11月15日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は8.5度から18.7度、湿度は94%から66%、風は1mの北東の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 98/53/80 35.7c-97% 62.0Kg 18.4c-52%-1024hPa 体調に変化はないが、妙に右肩が痛んで右腕が動かしにくいのに気がついた。朝方はかすかな頭痛も感じていた。だから、今日は休養日にしようと勝手に決めた。

 

 さて、来年の年賀状用の写真を探していると、こんな画像が見つかった。母が宅地用にと買ってくれた土地で、当時は水田だった。こうしてみれば当時の土地の様子がよくわかる。このときには、土地の上を電力線がまともに横断しているし、電力柱の横にはニレの木なんぞ生えてはいない。

 

 これは、農地から宅地への転用が許可されて、基礎工事が始まった頃の画像である。ここにもニレの木のかけらもない。いつごろから、あの楡の木は生えてきたのだろうか。この頃には、電力線の迂回が終わっている。向こうの方に見える緑色の草のようなものは「ミョウガ畑」だったところ。

 

 これが先日に弟が楡の木を切ったところである。電力線を迂回させている様子がよくわかる。その他の樹木、ヒノキだのビワだのケヤキだのというものは奥方が勝手に植えたもの。だが、楡の木は植えた記憶がないという。

 

 それが13年も経つと、こんなニレの木になっている。こんな変化には全く気がついていなかった。

 

 休養日なのだが、じっとしてはいられない性格なもので、市内の山手をドライブしてみた。秋の日の晴れ渡ったいい天気の日である。室内にいるのがもったいない気がして。これは県営門入ダムである。

 

 相変わらず、ここにはキャンプをする若者たちが多い。週末だろうと平日だろうと、テントの数は変わらない。ここは無料だし、トイレは近いし、温泉(お風呂)も近いのでキャンプをするにはいい場所らしい。

 

 さて・・である。11月も中旬を迎えたので年賀状の準備である。今年一年、何をやってきたのだろうかとブログの画像一覧を開いてみた。でも、なかなかに年賀状に使えるような画像は見つからない。

 

 で、年賀状サイズ(私の年賀状の画像張り込みサイズ)に加工してみたが、いまいち、これぞというものが見つからない。

 

 奥方のこういうものとか、

 

 二人のこういう画像くらいなものか・・・。

 

 私の年賀状にはこんなものもいいかなぁとは思ったが、なんだかピンボケしたみたいな画像になった。

 

 これは入院中の画像である。それを使ってみて、年賀状の文章を書いてみた。今年の報告みたいな年賀状である。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日もまた 人の死したること聞くも 驚きもせで 生きておる我」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。だんだんと喪中欠礼のはがきが届くようになってきた。そんなハガキが届いても、「あ・・・」と思う程度でさほど驚きもしなくなってくる。「今日もまた、人の死したること聞くも、驚きもせで 生きておる我」。最近、芸能人や歌手やら俳優さんあたりが相次いで無くなっているが・・・さほど驚きもしないし、涙なんぞも出てこない。昨年暮れから今年の二月あたりまでは死線をさまよった私だし、二月には「死の宣告」もされたが、それだからか、「死」というものが「当たり前」のような感覚になったものだろうか。今朝も歌舞伎役者さんが亡くなったとの「訃報」だったが、「ふ~ん」と聞き流している私がいた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山茶花に旅の疲れを愚痴てみる

2020年11月14日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.5度から18.3度、湿度は86%から56%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の15日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 116/66/78 36.2c-99% 62.2Kg 21.1c-54%-1024hPa 体調に変化はない。

 

 今朝も英文ガイドマニュアルを作っていたのだが、今日はなぜかやる気が出ない。旅の疲れが出たものか、ダイエットでパワーが落ちたものか、まるきりやる気が出て来ない。

 

 こういうものを見ているだけで疲れてくる・・・。般若心経を”Heart Sutra"と言うんかい・・。”般若”はどこかに行って、心のお経だけになっとるやないかい・・などと文句ばかりを言うようになった。飽きてきたのかも知れない。

 

 だから、散歩に出てみた。旧道部分や我が家の斜面もきれいになった。これでお正月が来てもへっちゃらだ。

 

 この斜面も草刈りをやっておけば良かったのになぁと思ったのだが、

 

 ここには、こんなニレの木があった。我が家を新築するときには、こんな木なんぞなかったように思うのだが、13年も経てば、こんなに大きくなるものだろうか。

 

 それを、旅行に行く前、10月末に、下の弟が枝を何本か切ってくれたのだったが・・・。それを、おとといだかに真ん中の「よっくん」がさっぱりと切り倒してくれたのだ。

 

 それはさておき、こういう道しるべを8月の中旬の暑い時に立てておいた。真ん中の弟「よっくん」が登山道の目印に立てたものだった。

 

 それが、先日、何者かが壊して捨ててあった。それを拾ってきた。

 

 きれいに巻き付けておいたビニールテープを無理矢理引っ張って剥がした跡がある。故意に壊したと思われるが、いやがらせなのか、こういう道しるべを立てて欲しくなかったのか・・・。

 

 でも、折角、弟が立てたものだからと、今度は背丈を低くしてみた。

 

 地上ぎりぐらいに見えるように、さりげなく見えるようにと低くしてみた。

 

 で、こういう具合に立て直してきた。これだと目立つこともなく、さりげなく、登山道だとわかるはず。これでまた壊されたら考え得ることにしよう。

 

 今日の掲示板はこれ。「朝の来ない夜はなく 乾かない涙もありません」という、やなせたかしさんのことばから。似たようなことばはいくらもある。「上がらぬ雨はなく、止まらぬ風もない」、山よりでっかい獅子は出ん・・。春の来ない冬もない・・・。でも、不幸の絶えない世界は続くし、悲しみの絶えない社会は止まらない。だからと言って打ちひしがれてもいられない。今が不幸のどん底だと思っても、やがてには、そんな悲しみや苦しさなんて忘れてしまえる日がやってくる。こんなに悲しくて仕方がないのにと泣き崩れていても、そんな日々があったことさえ忘れてしまえる日がやってくる。生きてさえいれば、やがてにはどうにかなってしまうもの。「この世で起きたことは、この世で片付いてしまう」。そう考えて、前を向いて歩いて行こう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山の葉を濡らして光る秋の雨

2020年11月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は11.5度から16.4度、湿度は86%から64%、風は0mから1mの西南西の風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 119/66/97 35.8c-97% 62.2Kg 23c-51%-1024hPa 体調に変化はない。おなかの重みも張りも全くない。朝から小雨が降ったりやんだりを繰り返している。「洗濯をしておいたから干しておいてね」と言われたけれど、外は雨なのになぁ・・と、思いながらも言われたとおりに干してみたけれど、乾いたようには感じられない。

 

 昨日の続きで、観光ガイド大窪寺の英文ガイドマニュアルの作成中である。塾で英語を教えているという岡田会員さんが作ってくれた単語帳を、一つ一つ確認しながら整理をしている。目を閉じればよく見えるようになるのか・・・。

 

 それをエクセルシートに整理をしている。”Reincarnation” は「輪廻転生」というとか、”Dharma name” は「戒名」という意味だとか、なかなかにむつかしいことまで。「諸行無常」をむつかしい単語で説明してくれているが、”Unusual”で済ませてみたがどうだろうか。

 

 とにかく、郵便局が開くまでは、そういう作業をやっていた。

 

 で、鹿児島で買った「薩摩切子」である。小樽切子を頼まれていたのだが、函館では見つけることができなかったので、薩摩切子で勘弁してもらうことにした。それを梱包して・・・、

 

 ガラス容器が割れないように厳重に梱包をして荷造りをした。

 

 それを郵便局からゆうパックで送っておいた。鹿児島からのお土産である。

 

 その後は、県立病院に出向いて、

 

 例の闘病記を、一昨年にお世話になった看護師さん「ショ-ボブやち姐さん」に渡すべくやってきたという訳だ。

 

 病院は感染症対策のためガードがきつい。そこで、このナースステーションに投げ込んでおこうと思ったら、

 

 あらあら・・・と、そのショーボブやち姐さんがいるではないか。つまり、「ショート・ボブヘアーカット」のやちよというお姉さん・・・というても、娘と同じ年だから50歳に近いのか。で、手渡してきた。この人にはさんざんにお世話になったのだ。ま、叱られるほうが多かったけれども。

 

 その後は、おうどん屋さんに行って・・・と言うても、ここではおうどんは食べられない。

 

 こういう製品の製造・販売店である。ここから、お世話になった方におうどんを発送しておいた。お歳暮ではない。御礼である。

 

 今日の掲示板はこれ。「秋の紅葉は美しいけれど 光があるから目に映える」というもの。雨の日や曇った日に、大窪寺の紅葉を見ても少しも美しくは見えない。同じものなのに晴れていれば美しいと感じ、曇っていれば少しも美しいとは感じられない。まさに光があるからこそ目に映えるのである。真っ暗な闇夜に紅葉を見ても紅葉は見えない。真っ白な濃霧の中や朝霧に立ちこめるあさぼらけの中でも紅葉は見られない。そこに闇夜を切り裂くような光が 差し込んできたとき、ものごとの姿が現れて輝き、秋の紅葉が浮かび上がる。それこそが真実であり、それこそがまことである。私たちの生きるという誠は美し いけれど、さらに、それを照らし出す「光」があるからこそ、輝いて見えるいのちなのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


もみじ葉を染めて山路は影もなし

2020年11月12日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.0度から15.8度、湿度は86%から62%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込み。

 

 98/49/78 36.2c-97% 62.6Kg 17.4c-50%-1018hPa 体調に変化はない。

 

 先日の観光ガイド・大窪寺の臨地研修の時、講師の岡田ガイドがこういう資料を作ってくれていた。英単語集である。

 

 それもB5判用紙にびっしりと三枚分・・・。これは・・・と圧倒されるばかり。

 

 それを一つずつ、google翻訳で確認しながら、エクセルシートに整理していくことにした。私も英語は中学校の時以来(高校でも英語は勉強したはず)だから、あやふやばっかり。

 

 テキスト、マニュアルだから間違いがあってはいけないと、慎重に日本語から英語に、英語から日本語にと整理してみた。

 

 左のPCで翻訳し、それを右のPCにコピペしていく作業。マウス一個で二台のPCを自由自在に操っていく作業の連続である。

 

 そしたら、公休日の奥方が、「おみやげを丸亀まで持って行って、おうどんを食べて帰るから・・」というので、運転手役を仰せつかった。丸亀市綾歌町の富士見坂団地まではおよそ1時間少し。

 

 そこから「セルフおかだうどん」までは15分ほど。行列のできる名店「おか泉」が、自社100%製造の土産・贈答用製麺工場の一角にセルフ店をオープンしたお店。注文口をあえてレジ横に設けたレイアウトからも、製造直後のおいしさを1秒でも早く味わってほしいという熱い思いと心遣いが感じられる。

 

 私は「おろしぶっかけの温いの小」と野菜のかきあげ。奥方と弟はかけうどんと天ぷらもの。

 

 目の前に雄大な讃岐富士を望むテラス席も用意されていて、そこでのお食事になった。屋根付きの屋外である。食後は、弟の家まで戻り、旅行の思い出なんぞを奥方が講釈した。

 

 帰りに、高松市東植田町にある「専福寺」さんのイチョウを拝観にお伺いした。真宗興正派のお寺さんである。

 

 先日にもお邪魔したが、その日は曇っていていい絵にならなかったので、今日、改めてリベンジと言うことでお邪魔した。

 

 私は本堂前で拝礼し「讃仏偈」でのお参りをさせていただいたのに、奥方は「ぎんなん」を懸命に拾い集めていた。申し訳ないことです。

 

 家に帰ると、真ん中の弟がチェーンソーを持参で、切り残した「ニレの木」を切ってくれることになった。この木の枝が、電線や電話線などに接触して困っていたのである。手の届くところは電力さんや森林組合の方が切ってくれたのだが、残りがまだまだあったのだ。

 

 さすが、機械の力はすごいもので、みるみるうちに枝が切り落とされていく。

 

 そして、10分後には、根元近くからさっぱりと切って片付けてくれた。これで、私の懸案の屋敷内の大きな木の枝は切り払ってしまうことができた。これで、心置きなく・・・である。

 

 今日の掲示板はこれ。「不幸なできごとを肥料として人生を深める」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。「人生を円相で考える」不幸なできごとを肥料として人生を深める。自分で自分を拝めるような生き方をする。いつお迎えにきていただいても結構。どんな状況も正念場として受けて立つ。おかれている場所はどこでもよい、そこでどう生きるか。よく生きるとは「今はよくない」と気づくことなどのお話が書かれている。青山 俊董(あおやま しゅんどう、昭和8年(1933年)1月15日[1] - )は現代日本の曹洞宗の尼僧。愛知専門尼僧堂堂長。その著書「泥があるから、花は咲く」は、幻冬舎単行本(幻冬舎plusでの読書にはインターネット通信(オンライン)環境が必要)。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


北風が吹いて日記の文字が増え

2020年11月11日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は7.5度から14.6度、湿度は72%から56%、風は1mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の12日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気の影響で夜は曇る見込み。

 

 96/54/78 36.3c-98% 63.0Kg 13c-50%-1018hPa 体調に変化はない。おなかの重みも張りもない。

 

 最近はあれもこれもになるが、例のフルムーン日本縦断新幹線旅行記をまとめていた。私のブログをベースに肉付けをしたものを本の形にまとめてみた。

 

 これは奥方用の記念版のファイル集である。ここには旅の記録や資料やパンフレットや落葉や箸袋やフルムーンパスなどの資料をまとめてみた。

 

 一冊は製本形式にもしてみた。

 

 表題は、旅行会社のネーミングをそのまま使ってみた。私だって暇ばかりをやっているわけじゃない。

 

 これはdocomoさんの通信アダプターである。病院などでパソコンを使う場合の通信用であるが、これの契約期間が終わったとの連絡があったので解約することにした。これだって、一年に1万円余りもの使用料が必要だった。

 

 これを解約すると、島の家や入院時には通信不能になるが、これからは「一日の休みなく」というのをやめることにした。タブレットや携帯電話でなんとかなるような気がしたからである。

 

 で、docomoさんで解約手続きを終えてきた。だから、少々、ブログが停まっても心配しないように。たまにはお休みの日もあってもよかろうわいと。

 

 それと、来年用の年賀状の受け取りである。郵便局で予約をすれば、チューリップの球根をプレゼントしてくれるというので、毎年、予約を続けてきた。

 

 で、今年は100枚の年賀状になった。母も居なくなったし、私の親戚もいなくなったし、「年賀状じまい」のお願いもしたし。球根が少しずつ減っていくような気がするのだけれど・・・。

 

 午後からは民児協の定例会。月に一度の民生委員・児童委員の月例会である。

 

 今年は感染症対策とかでほとんどの行事や講演会がなくなってしまったし、大きなお仕事は片付いてしまったみたい。

 

 今日は市の方から、フェースガードと携帯用アルコール液をいただいた。こういうものを使ってお年寄りの相談を受けると言うことらしい。難儀な時代になったものだ。帰ってからは空き缶を集積場にも運んでおいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「今今と 今という間に今ぞなく 今という間に 今ぞ過ぎ行く」というもの。いつぞやの谷上先生のコメント、「一休さんが蓮如さんに「あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ・・・・とかく人とは忙しきものなり」 みたいな歌だが、道歌というものらしい・・・。「今」と言った瞬間、考えた瞬間には、「今」という時間は「過去」のものとなってしまう。昨日、一昨日、一ヶ月前、一年前……どれだけ振り返ってみても、永遠に「今」という時間を経験しなかった「時」はない。「歴史」は、永遠につづく「今」の連続であり、それが「次の時代」を作りあげてきたとも言える。が、しかし、「歴史」は、一面その時その時、必死に生きた人たちの「歴史」であり、そこには膨大な失敗の積み重ねと、一握りの成功がある。そして、さまざまな人間の生きざまがある。そのことに思いを馳せると、「今」を生きている人、そして「これから」を生きる人の教訓は、すべて「歴史」から汲み取ることができるといっても過言ではないと思う。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


猿啼いてお寺帰りのすすきの穂

2020年11月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は7.5度から15.5度、湿度は68%から54%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市地方は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 血圧120/72 脈拍79 体温35.6c -酸素97% 体重63.4Kg 室温19.0c 湿度54% 気圧1018h  体調に変化はない。おなかの重みはなくなったし、体重も少しばかり下がってきた。

 

 朝の間、闘病記を二部印刷していた。県立病院の看護師さんにもお届けする必要があるなぁと、昨日の診断で思ったから。

 

 その後、今日の観光ガイド大窪寺班の英語ガイドマニュアルの用意もしておかねば・・・。まさに泥縄状態。

 

 朝ドラが終わると大窪寺に急行。山道を老人暴走族が疾走して8時半過ぎには大窪寺に着いた。こちらが、本坊(Life Hole)。バックの黄色が大イチョウ(Large ginkgo)で、左の赤が本坊境内(Temple garden)。

 

 今日は観光ガイド大窪寺班の「英語ガイド現場実習」の日である。連日の紅葉狩りや大窪寺観光で大混雑のニュースを聞いていたので、今日の現場実習は無理かなぁと思ったのだけれど、朝が早いからか、さほどでもなかった。

 

 現場実習のつもりだったが、日陰では寒くて寒くて(ここは5度ほど低いらしい)、陽だまりのある場所に集まっての勉強会になった。今日の講師は、岡田会員さん。塾で英語を教えているとかで先生役をお願いした。

 

 ”The 88th sacred place is Okuboji temple,whose principal image is Yakushi Nyorai.” 「八十八番札所は本尊を薬師如来とする大窪寺です。」などというお勉強である。

 

 でも、皆さん、すぐに飽きてしまって、1時間ほどでお勉強はおしまいに。続きは12月の室内での勉強会になった。で、あとは紅葉狩りとお寺に参拝して、女性陣はまつたけうどんを食べるらしい。男性陣は、早々に境内を後にした。

 

 大窪寺の大イチョウも落葉が始まって地面は黄色い絨毯を敷き詰めたみたいになっている。

 

 今年の紅葉は早いらしい。私も毎年、ここに来ていながら、そういうことにはうとくって。あ、黄色くなった、ああ、今が盛りだ、おお、もう、散った・・・ということくらいしか気にしていない。

 

 本堂(Main hole)にもお遍路(Pilgrimage)の姿はない。紅葉見物(Autumn leaves sightseeing)兼おうどん(Eat udon)、ついでにお参り(homage)・・・みたいな人が多いみたい。紅葉をカメラに収めて帰ってしまう人だっているにはいるが、ここまで来たらおうどんだろう・・・という人も多い。

 

 ダイエット中の私はそのまま帰宅して、ところてんに梅干しおかゆの昼食になった。栄養のないところてんでおなかを満腹にして、少量のおかゆで我慢する方法・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「飲んで食って寝て起きて あれしてこれして ただそれだけでいいのですか」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。私の著作の「前書き」にはこのような言葉が書いてある。

 (前略)そう考えると、私たちは経済行為や政治行為などにうつつを抜かしているばかりでなく、すぐれた文化を発掘し、あるいは創造し、育み、文化的な毎日を営むことが求められているのではないだろうか。ただ一度、この人間世界に生まれてきたのならば、食べて寝て起きて働いて食べて寝て・・・・の毎日の連続では空しく寂しくはないだろうか。文化を愛するには文化を知らなければならない。さいわいに私たちの周りにはすばらしい文化や文化財が多く残されてきた。先人たちの熱い想いが創造し、育み、継承してきた偉大なる財産である(後略)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


つわぶきを見飽きてまた見る旅帰り

2020年11月09日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は13.0度から17.4度、湿度は68%から54%、風は4mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の10日のさぬき市地方は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 115/61/78 35.9c-98% 64.2Kg 21.9c-58%-1018hPa 体調に変化はない。胃が重たい感じもなくなった。

 

 朝の間は、旅の資料の整理をやっていた。最近は6時前でないと起きられなくなったが、それでも病院が開く8:30分までは充分に時間がある。これは巨大蜘蛛ではなくてタラバガニらしい。こういうのが泳いでいたのが函館朝市である。

 

 添乗員さんが、「荷物は”しんせんぐみ”に預けて、そこでガイドをしてもらってから買い物に出掛けてください」と言い続けていたが、「ああ、函館といえば五稜郭。五稜郭と言えば土方歳三だなぁ・・」と考えていたが、お店の名前を見て驚いた。「新撰組」ではなくて、「新鮮喰味」と書いてあるではないか。

 

 で、お荷物の番をするのが、このおじさん・・・。あっけにとられて思わずに吹いた。

 

 こういうのだとお値段するんだろうなぁと、全くのスルーばかり。とっくに地域振興券は使い切っているし、カニは娘んちに送ってしまったし・・・。

 

 さて、9時を回ったので県立病院に行ってみた。今日はペースメーカーの四ヶ月点検日。それに内科のドクターの臨時健診が入っている。

 

 ペースメーカー外来の必須項目の胸部レントゲン検査は、位置が正しいか、方向が正しいか、リード線が正しく挿入されているかなどを確認するもの。

 

 次いで、心電図検査。ペースメーカーが正しく機能しているか、脈拍は正しく打てているかなどを確認するもの。これらはあっという間(でもないか、数分はかかる)に終わる。

 

 普通はこれで終わって家に帰るのだが、今回は内科の診察があるので内科に寄ってみた。胸の写真や心電図を見て、「日本縦断はどうでしたか」と言うので、「おしっこの心配ばかりをやっとったですよ。でも、まぁ、なんとか戻りましたよ」ということでOKになった。臨時用の利尿剤も不要になった。

 

 「ついでに、ペースメーカー外来もやっときましょうね」ということで、午後の予約を午前にしていただいた。

 

 脈が遅くなる不整脈(洞不全症候群、房室ブロック、徐脈性の心房細動など)の治療でペースメーカーを植え込んだ患者は、半年に1回程度のペースメーカーのチェックが必要になる。ペースメーカーチェックは、専用の機器を体の外からペースメーカー本体に置くか、かざすだけで、すぐに植え込まれているペースメーカーからいろいろな情報を読み取ることができる。痛みはもちろんない。

 

 ペースメーカーのチェックで確認することは、電池の残量やペースメーカーが設定通りに動いているか、ペースメーカーやリード線自体に問題がないか、危険な不整脈は出ていなかったかなどがあり、読み取った情報をもとに、必要に応じてペースメーカーの設定が最適なものになっているか判断し、必要であれば調整することがある。また、電池の残量が減ってきて交換が必要な場合やペースメーカー自体に問題が生じて処置が必要な場合は前回手術を行った病院に連絡する。

 

 受診の際には「ペースメーカー手帳」を忘れなく持っていかなければいけない。 ペースメーカー手帳には、チェックで読み取った内容を、その都度記録している。だから、この手帳はいつも肌身離さずに持っていなければならないが、運転免許証と同じで、ついつい、忘れてしまうことがある。

 

 帰りに文房具屋さんに寄ってみた。

 

 何かとお世話になる松浦さん。

 

 今日は和本の表紙にする和紙を買いに来たもの。これから寒くなると和本作りでもしてみようかと。

 

 今日の掲示板はこれ。「知らないことがあっても落ち込まない。知らないから調べてみる。できないからやってみる。行ったことがないから言ってみる。そういう選択もある」というもの。秋山裕美さんの「そっと心にささやく元気が出る50の言葉」から。そして、「名言コツコツ」さんからの言葉である。「知らないから調べてみる」「できないからやってみる」「行ったことがないから行って見る」・・・・。良い言葉だなぁと思う。そうでなくては面白くないではないか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


空晴れて凜と胸張る楓の木

2020年11月08日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16.5度から21度、湿度は80%から48%、風は2mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の9日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 109/56/78 36.5c-96% 64.8Kg 18.4c-59%-1015hPa 数字的には問題ないが、食べ過ぎたようでおなかが張るような感じ。でも、昨年からのような張りではなくて胃が重たい感じがするばかり。

 

 体重が戻るまでは朝食はやめようね・・・ということで朝食はなし。柿を剥いてくれてあったので、柔らかいところだけを食べてみた。それでもおなかは空くどころか重たい感じが残るばかり。

 

 明日は県立病院内科の予約診察日なので、データを整理しておいた。いや、正規の予約診察日は12月14日の義士祭の日なのだが、旅行前に尿が出ないし体重が増えるのだがと相談したことがあって、その後の様子見かな。

 

 今日は、出発前に書いたブログ(予約投稿)を修正して、本当の「フルムーン日本縦断新幹線旅行記」をまとめていた。ここには本物の私らが乗った「はやぶさ25号」や「あさま617号」、「ワイドビューひだ4号・ひかり637・さくら557号」などの画像が掲載されている。そうそう、新大阪着の「みずほ602号」が、折り返して「さくら557号」になるのには驚いた。

 

 だから、予約投稿では見られなかったお昼のお弁当やら奥方の画像などがふんだんに入っている。これを再投稿するのもおかしなものだし、修正しても奥方の記録に残るだけにしかならないのが残念だ。

 

 そうそう、朝食とか夕食の画像もここだけでしか見られない。これは「軽井沢ホテル1130」の朝食のバイキング方式と軽井沢駅での奥方の写真。

 

 指宿いわさきホテルの朝と出発前の記念写真とか。

 

 これは鹿児島市内の「仙巌園」での記念写真。時期的に「菊花展」が行われていた様子など。ま、雰囲気だけでもお届けできればと。

 

 今回のツアーで一番良かったのが下呂温泉だった。四泊したホテルだったが、いずれもがバイキング方式だった。ここだけは朝も夕食も「セットメニュー」で、こうした昔ながらのお座敷形式。「フィジカルディスタンス」を考えて、このように間隔を空けてあるから、アクリル板もビニールシートもないし、手袋もはかなくていいので楽だった。お酒もおいしかったし、お料理も大満足だった。

 

 ここでは、私がお肉が食べられないというと、マスのお料理に作り替えてくださったのが印象的だった。ここでは時間的余裕があったので、ゆったりと下呂のお湯につかってのんびりとしたものだった。

 

 下呂の駅前には、このようなものがあり、お湯が出ていた。皆さん、熱いぞといいながらお湯の感触を楽しんでいた。

 

 また、下呂から「ワイドビューひだ4号」で高山本線を岐阜駅に向かう路線は、渓谷あり田園風景あり、水力発電所ありの見所満載だった。

 

 これぞ「鉄道旅」という旅。行き違いの列車待ちというのどかな風景も楽しめた。私たちは先頭車両の一列目だったもので、見習い運転手の実習風景とか、運転士交代の様子とかもおまけで見られたし、岐阜駅では、列車の増設連結作業が目の前で見ることができた。岐阜駅から名古屋までは逆向きになって走り出したのにも驚いた。

 

 今日の掲示板はこれ。「ふみはずし 迷いとまどいきた道も ふりかえみれば佛になる道」というもの。お釈迦さまは心と体の関係を「琴」にたとえて考えられた。「琴の弦は、緩んでいては良い音色を奏でることは出来ない。これは欲望に自らをまかせた生活である。ここに本当の安らぎはない。しかし、弦は張り過ぎると切れてしまう。それは自らの命を失うような苦行の生活だ。ここにも、本当の安らぎは存在しない。」欲望に任せた自堕落な生活でも、命を失いかねない苦行でもない「ちょうどいい張り具合」にこそ、本当の安らぎがあるのだと感じたお釈迦さまは、苦行を離れ、身体を癒し、菩提樹の木のもとで坐禅に入られた。そして一週間の後、ついにお悟りを開かれたのであった。私たちの五悪も五逆もみんなみな、私たちたちが生きていく上で必要な善玉の悪。私たちの迷いもとまどいも、それは私が生きて行く上で大切なことだった。そのことこそが、私が私なりに・・・佛になるための要素であったと思われるのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


立冬やにわか仕込みの梱包士

2020年11月07日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、夕方から夜のはじめ頃までは雨の降る所がある見込み。気温は15.5度から19.5度、湿度は94%から86%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の8日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 121/64/79 35.8c-98% 64.8Kg 22.4c-60%-1021hPa 体調に変化はない。ただ、体重がぐんと増えているのはご馳走を食べ過ぎたかも。

 

 今日は暦の上では「立冬」らしいが、そういう気配はまだまだないのが毎年のことだ。

 

 昨夜は1時間ほどは遅く寝たけれど、起きたのはいつも通りの5時前のことだった。ゆっくりと寝て居られない性分なのかも知れない。今回の旅では、コンデジ(コンパクト・デジタルカメラ)が二台(予備も含めて)と携帯電話、それにタブレット端末を持参したが、それらの画像を一カ所に集める作業から始めてみた。面倒だったのが携帯電話の画像をメール転送すること。

 

 タブレット端末の画像はそのままクラウドに送れば良かったし、デジカメの画像はパソコン端末からクラウドに流し込んだ。それだし、主な資料はスキャナーで読み込んで電子化してみた。

 

 それを元にして、旅の記録をエクセルシートで整理していた。覚えている間に片付けておかねば・・・。

 

 朝の間、晴れ間がのぞいたので、旅の衣装なんぞを洗って干してみたが、曇り空では洗濯物は乾かない。しまったしまった島原半島。

 

 二台のパソコン、左右の画面を見ながら、今回の旅の記録を整理しているのだ。細かなことなんぞはすぐに忘れてしまうからだ。そういう記録やパンフレットや写真集なんぞを整理しておいてねと、奥方は早速に「早出」だと暗い内から出掛けてしまった。

 

 10時過ぎに、三日目の下呂温泉から送った荷物が届いた。地域振興券で買ったお土産などが入っているという。

 

 地域振興券は旅行代金の15%分だということで、今回は24,000円分の振興券をプレゼントされた。これは、その指定された地域で指定された期間内に使い切らないと無効になる。だから、皆さんスマホ片手に計算しながらのお買い物になった。普通の旅で24,000円ものお土産を買うことはないので、皆さん、大喜びで使い切っていた様子。

 

 奥方は、函館ではカニを買って使い切り、軽井沢ではワインを買って使い切り、下呂ではこういうお土産やら着替えやらを送る料金まで振興券で支払っていた。もちろん夕食のお飲み物代も振興券で支払うことができた。

 

 鹿児島では「薩摩切り子」で振興券を使い切った。

 

 そうそう、富山の「ますのすし」も振興券で買ったらしい。これも娘んちへ持って行くらしい。

 

 これは旅先で前田さんにいただいた絵である。これも宅配便で送ってもらった。

 

 そんなこんなを、こういうシートに記録しておくのだそうだ。

 

 旅には、こういうセットも持参していった。朝と昼にはこれで測定して、タブレット端末からクラウド上のシートを更新していた。私には数字管理が欠かせない。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷惑をかけるなと教えるのは倫理道徳 迷惑かけて生きていると教えるのが宗教」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。人間は、親のもとにオギャーと生まれ、母乳をもらい、おむつを替えてもらうなどの世話を受けながら育ってきた。自分では何もできず、夜泣きで親は眠れないなど、それこそ迷惑をかけてばかりだった。やがて立って歩き、言葉を覚え、大きくなってきたが、親にとっては、夜泣きで眠れなかった夜までもが大切な思い出となった筈。大きくなる過程で、時には親に反発したり、親とケンカしたこともあっただろう。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいことなど、その人の生きてきた人生は、親や兄弟、親戚と培ってきた何ものにも代えがたい年月であり、たくさんの人びとの思い出が詰まっている宝箱だったはず。人間は、広いつながりの世界で支え合って生きている。そうである限りは、家族という小さな社会においてさえ、誰にも迷惑をかけずに生きていくことは根本的に不可能なのだ。もし、心から周囲に迷惑をかけて申し訳なかったと思うのであれば、その気持ちを率直に表現すればよいだけのこと。家族の世話にならないといけないとしたら、「ありがとう」と素直に言って世話になる。感謝の気持ちを表すことで、周りの方と新たな何かが生まれてくるに違いない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


フルムーン旅の終わりに赤とんぼ

2020年11月06日 | GoTo フルムーン・新幹線で北海道から九州まで!

11月の2日から奥方のわがままで、GoToキャンペーンに相乗りしての「フルムーン旅行」が終わろうとしている。

 だから、この五日間は、いつものパターンと違う形式のブログになっている。そのフルムーン旅行も最終日五日目に入る。

 

 指宿温泉の朝。指宿いわさきホテルを8:30分過ぎに出発。ここからはバス移動になる。

 

 指宿から海岸沿いにバスで進み、鹿児島市内へ入り、児島市吉野町にある「仙巌園」に向かう。

 

 バスが着いたのは、雄大な景観が美しい島津家の別邸「仙巌園」である。万治元年(1658)に島津家19代光久によって築かれた島津家の別邸であった。28代斉彬もこよなく愛し、篤姫など多くの人を魅了した。桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な景観を楽しむことができる。およそ1万5千坪の広大な庭園には、四季折々の花々が咲き誇り、島津家の歴史を伝える史跡が数多く残されている。

 

 また、平成27年(2015)には、「明治日本の産業革命遺産」として園の大部分が世界文化遺産に登録された。 園内には、鹿児島の郷土料理が味わえるレストランやカフェ、特産品を取り揃えたショップがあり、幅広い年代の方々に楽しめる。

 

 尚古集成館(本館)は、慶応元年(1865)に建てられ、金属加工や蒸気機関の修理などを行っていた、現存する最古の洋式工場建築物。現在は、島津家の歴史や集成館事業を紹介する博物館として、江戸時代につくられた 薩摩切子や、工場として稼働していた当時の機械 など、島津家伝来の資料を中心に収蔵・展示している。

 

 午前中はここでゆったりとした時間を過ごす。

 

 JR鹿児島中央駅に13時過ぎに着き、13:34分発のさくら558号に乗る。いよいよ、最後の新幹線である。

 

 できたら、この「みずほ」に乗ってみたかったのだけれど。

 

 「さくら558号」には、およそ3時間半の乗車になる。一気に九州を縦断して、この旅も終わりに近づいてくる。

 

 本音を言えば、すっかりと飽きてきた時期。もう、当分は新幹線や列車には乗りたくないという気分かも。

 

 私たちは岡山駅で下車する。岡山駅には16:52分到着予定。

 

 岡山駅からは一階に降りて在来線乗り場に移動する。

 

 岡山駅からは「マリンライナー49号」に乗車。こういう所でもグリーン車指定席になっているが、そこまでしなくても・・・と思う。17:12分発。

 

 JR高松駅には18:06分着。ここからは娘のお迎えで、自宅までは娘に送ってもらって帰宅する。

 

 こうして、五日間の日本縦断の旅行は終わることになる。

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


指宿に我が人生の陽が落ちる

2020年11月05日 | GoTo フルムーン・新幹線で北海道から九州まで!

 11月の2日から奥方のわがままで、GoToキャンペーンに相乗りしての「フルムーン旅行」が始まることになった。

 だから、この五日間は、いつものパターンと違う形式のブログになっている。そのフルムーン旅行も四日目に入る。

 

 令和2年11月5日(木)、下呂温泉水明館を午前8時過ぎに出発。送迎バスでJR下呂駅に向かう。

 

 1930年(昭和5年)11月2日 - 高山線(1934年に高山本線へ改称)が焼石駅から延伸した際に、その終着駅として開業。旅客及び貨物の取扱を開始。1931年(昭和6年)5月9日 - 高山線が飛騨萩原駅まで延伸。途中駅となり、1953年(昭和28年)5月1日 - 貨物の取扱を廃止。1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となった。

 

 JR下呂駅発8:46分発の「ワイドビューひだ4号」に乗り込む。ここでも普通車の禁煙席。約1時間20分でJR名古屋駅に着く。

 

 下呂駅からは昨日の「JR高山本線」で名古屋駅に向かう。

 

 名古屋駅は、愛知県名古屋市中村区名駅にある、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)・名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)の駅である。

 

 名古屋駅で乗り換えになり、新幹線ホームへ移動。そこから、「ひかり637号」に乗り換える。10:34着の11:19分発である。

 

 名古屋駅からは一気に新大阪駅に向かい、そこから九州へと走り込むことになる。

 

 「ひかり637号」は新大阪行きのN700系の新幹線である。これのグリーン車禁煙席で、名古屋を11:19発で、新大阪には12:27分着。

 

 ここで、またも乗り換えして、「さくら557号」に乗り込む。普通車禁煙席である。

 

 新大阪駅は、大阪府大阪市淀川区西中島五丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の駅であって、大阪府内では唯一の新幹線駅である。

 

 山陽新幹線・九州新幹線直通の「みずほ」「さくら」は全てN700系(8両編成)で運転されている。

 

 さくらは、西日本旅客鉄道(JR西日本)および九州旅客鉄道(JR九州)が山陽新幹線・九州新幹線の新大阪駅 - 鹿児島中央駅間で運行している特急列車の愛称である。案内表示ではピンク色が用いられる。

 

  「さくら557号」は、新大阪を13:06分発の17:10分に鹿児島中央駅に着く。およそ4時間の旅になる。

 

 鹿児島中央駅は、鹿児島県鹿児島市中央町にある、九州旅客鉄道(JR九州)の駅である。鹿児島県の県庁所在地である鹿児島市の代表駅。地元での通称は「中央駅」。鹿児島における都市間移動の拠点駅であり、新大阪駅より当駅に至る山陽・九州新幹線の終着駅である。福岡・熊本両都市圏、本州方面とを結ぶ新幹線の発着駅である他、宮崎・霧島・指宿方面へ向かう新幹線に接続する特急列車や観光列車など在来線においても多数の列車が当駅を始発・終着とするターミナル駅である。

 

 鹿児島駅からは、「快速なのはな」に17:50分に乗り換え、約70分の乗車でJR指宿駅に18:59分到着。鹿児島中央駅 - 指宿駅間に特急「指宿のたまて箱」が3往復、鹿児島中央駅 - 山川駅間に快速「なのはな」が下り4本・上り3本運転されている。指宿枕崎線の快速はキハ200系気動車が投入される1992年7月15日のダイヤ改正まで「いぶすき」の愛称で運行されていた。使用されるキハ200系気動車のうち、キハ200-9および1009は「なのはなDX」専用塗装であったが、現在はほかの車両と同じ側面に大きく「NANOHANA」と書かれた塗装に戻されている。

 

 JR指宿駅には18:59分着。指宿駅(いぶすきえき)は、鹿児島県指宿市湊一丁目にある九州旅客鉄道(JR九州)指宿枕崎線の駅である。ホームの駅名標が独自デザインのものに更新され、菜の花と駅前広場の足湯があしらわれている。

 

 指宿駅からはタクシーで指宿温泉「指宿いわさきホテル」に向かう。距離は12Kmで、約10分。ホテルには17時20分頃に到着。

 

 ここは薩摩半島の南に位置し、広大な庭園にはプライベートビーチや美術館があり、天然砂むし温泉、充実したアミューズメント施設を持つ、3世代で楽しめるくつろぎのリゾートホテル。

 

 夕食は、和食・焼肉・洋食などがある。建物の柔らかい曲線に沿って配置された客室は全室が海の見えるバルコニー付きのオージャンビュー。(写真はスタンダードツイン30㎡)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


下呂の湯に七十年の憂さ流す

2020年11月04日 | GoTo フルムーン・新幹線で北海道から九州まで!

11月2日から奥方のわがままで、GoToキャンペーンに相乗りしての「フルムーン旅行」が始まっている。

 だから、この五日間は、いつものパターンと違う形式のブログになっている。

 

 11月4日(水)の朝は北軽井沢の新鮮な空気の中でのお目覚め。ここの出発は遅めの午前9時過ぎ。ここからはホテルの送迎バスで20分。JR軽井沢駅に着く。

 

 軽井沢駅は、長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・しなの鉄道の駅である。長野県内の鉄道駅では最東端に位置する。乗り入れ路線は1997年(平成9年)10月1日にJR東日本の北陸新幹線と、しなの鉄道のしなの鉄道線が乗り入れ、接続駅となっている。

 

 今日は、軽井沢駅から北陸新幹線で富山に向かう。

 

 JR軽井沢駅からは10:35分発の「はくたか557号」に乗車する。ここでも普通車の禁煙席で、約1時間30分の旅である。E7系は2015年3月14日の北陸新幹線金沢開業に向けて開発された新幹線車両であり、2014年3月15日から「あさま」として東京~長野間に先行投入された(営業最高速度260km/h)。北陸新幹線は、30‰勾配区間や電源周波数の変化など、車両には条件の厳しい線区となっており、それに対応するべくブレーキ性能を向上させたり50/60Hzの両方に対応したシステム構成となっている。また車体上部色は「空色」、車体色を「アイボリーホワイト」、車体中央の帯色を「銅色(カッパー)」および「空色」としているのが特徴。

 

 JR富山駅には12:06分着。富山駅は、富山県富山市明輪町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・あいの風とやま鉄道の駅である。

 

 富山駅からはJR高山本線で下呂駅に向かう。

 

 富山駅からは「ワイドビューひだ14号」に乗り換える。これも普通車禁煙席。約2時間20分の旅になる。

 

 JR下呂駅には15:25分到着予定。下呂駅は、岐阜県下呂市幸田(こうでん)字下小瀬にある、東海旅客鉄道(JR東海)高山本線の駅である。「日本三名泉」の一つである下呂温泉の最寄り駅であり、特急「ワイドビューひだ」の全列車が停車する。「日本三名泉」と呼ばれているのは、「有馬温泉(兵庫)」「草津温泉(群馬)」「下呂温泉(岐阜)」の3つの温泉。そう呼ばれるようになった由来は室町時代に遡るという。

 

 下呂駅からは送迎バスで12Km、約5分で下呂温泉水明館に到着する。今日の工程は短く、時間も早い。16時到着予定。

 

 古い古い昔より、下呂には豊かに沸き出でる温泉があり、村の人たちに親しまれていた。 ところがある日、大地震がおこり、下呂のお湯がぱったりと止まってしまったのだ。 村の人たちはたいそう悲しんだという。そんなある日、一羽の白鷺が益田川の河原に降り立った。 あくる日も、その次の日も、その白鷺はやってきて、同じ場所でじっとしているのである。 不思議に思った村人がそこを訪れると、温泉がこんこんと沸き出ているではないか。 そして、白鷺が飛び去ったあとには、一体の薬師如来像が残されていた。そう、白鷺は村の人たちを哀れんだ薬師如来の化身だったというお話である。

 

 下呂温泉は毎分2,300㍑の噴出があり、事業組合が管理供給している。泉質はアルカリ性単純温泉で摂氏55度と高温であり、浴槽温度42度を保つため(温度調整)に水道水にて加水している。源泉掛け流しで一部循環濾過方式。

 

 草津・有馬と並び、日本三名泉の一つ下呂温泉。歴史を紐解くと、延喜年間(西暦901~923年)に発見され、万病を治す名湯として、江戸時代には年間3万人もの湯治客に利用されたと伝えられている。また古くからすぐれた泉質が評価され、 応仁の乱を逃れて全国を行脚した京都五山の詩僧万里集九は、 下呂温泉が名湯であることを初めて天下に紹介し、さらに 江戸時代の儒学者林羅山の書では、「我国の諸州に多くの温泉有り。其の最も著る者は草津、有馬、下呂」として称えられている。

 

 下呂温泉の泉質は『アルカリ性単純泉』で、適度な濃度とアルカリ性のため自然の石鹸効果があり、ツルツルしたなめらかな肌触りが特徴で、湯上りの爽快感は格別。無色透明でほんのり硫黄を含んだ湯の香りである。下呂温泉は、地中深くにある熱源が断層に伝わって上昇する途中で地下水と混ざり、様々な物質の恵みを受け、温泉となって地表に出てきたもの。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


秋さなか北軽井沢フルムーン

2020年11月03日 | GoTo フルムーン・新幹線で北海道から九州まで!

昨日から奥方のわがままで、GoToキャンペーンに相乗りしての「フルムーン旅行」が始まっている。

 だから、この五日間は、いつものパターンと違う形式のブログになっている。

 

 11月3日(火)、文化の日。二日目の朝が来た。ホテルを8時半に出発してタクシーで函館駅近くの「函館朝市」に向かう。

 

 こういうお店で野菜やカニを買ってもどうしようもない。ただ、見学するばかり。別に野菜が安かろうが、お魚が新鮮だろうと、それを買って提げて歩くわけにもいかないではないか。まだ、旅は始まったばかりだ。

 

 JR函館駅からは、10:21分発の「はこだてライナー133M号」で、JR新函館北斗駅に10:43分に着く。

 

 JR新函館北斗駅は2016年(平成28年)3月26日の北海道新幹線開業に伴い渡島大野駅(おしまおおのえき)から新函館北斗駅に改称され、函館駅方面へのアクセス駅となり、特急「北斗」・快速「はこだてライナー」を含めた全ての旅客列車が停車して新幹線と接続する。

 

 新函館北斗駅を10:53分発の「はやぶさ22号」に乗る。この時は普通車である。搭乗時間は4時間30分の予定。

 

 函館北斗駅からは昨日のルートを打ち戻る。そしてJR大宮駅で「はやぶさ22号」を降りる。

 

 JR大宮駅で乗り換えのため下車。大宮駅は、埼玉県さいたま市大宮区錦町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東武鉄道・埼玉新都市交通の駅である。東京と北関東・東北地方・信越地方・北陸地方を結ぶ多数の新幹線・在来線が乗り入れ、埼玉県最大のターミナルを形成している。駅および駅周辺は埼玉県における最大の鉄道交通・商業の拠点である。ここからは北陸新幹線に乗り換える。

 

 大宮からは北陸新幹線に乗り換え、「あさま617号」に乗って、軽井沢駅に向かう。

 

 北陸新幹線「あさま617号」に乗り込む。列車名は群馬・長野の県境に位置する浅間山(あさまやま)に由来する。在来線の特急列車および新幹線ではいずれも公募によって決定された。ここでは普通車の指定席である。

 

 JR軽井沢駅へは16:17分着。軽井沢駅は、長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・しなの鉄道の駅である。ここからは、ホテルの送迎用バスに乗り込んでホテルに向かう。

 

 送迎バスで約16Km、20分で今夜の宿舎の、「軽井沢倶楽部 ホテル軽井沢1130」という長い名前のホテルである。群馬県吾妻郡嬬恋村という場所にある。

 

 室内温水プール『comoriパーク』は、時節柄、使用中止のものも多い。

 

 室内温水プール『comoriパーク』やエステテイック&リラクゼーション、ホテルショップや 卓球コーナー、テニスコート、レンタサイクル、パノラマテラスなどがあるが、そういうものを楽しむお年頃でもない。

 

 ホテルではお食事をして、

 

 お風呂に入るくらいしかない。時節柄、歩き回ることもどうかと思うし。

 

 あとは寝るしかない。お土産を買ってもどうしようもないし、買って帰るほどの人も居ないし。全く、どうしようもないというものだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えると、いいね。


フルムーン秋の夜長は潮騒と

2020年11月02日 | GoTo フルムーン・新幹線で北海道から九州まで!

今日から奥方のわがままで、GoToキャンペーンに相乗りしての「フルムーン旅行」が始まることになった。

 だから、この五日間は、いつものパターンと違う形式のブログになっている。

 

 令和2年11月2日(月曜日)、午前4時起きで、我が家を5時に出て、娘の送迎で午前6時過ぎにJR高松駅に到着。ここから途方もない旅が始まることになっている。まるで魔女の気まぐれ旅みたいなもんだ。

 

 JR高松駅発 06:46発の快速マリンラーナー8号に乗車して、JR岡山駅に向かう。

 

 JR岡山駅には、07:46分着。在来線乗り場から二階へ上がり、フルムーンパスで有人窓口から新幹線ホームへと入っていく。自動改札機は通れない。そういうチケットを持っていないからだ。

 

 岡山駅から東海道新幹線で、新大阪・名古屋を経由して東京へ。東京からは東北・北海道新幹線で福島・盛岡・八戸・新青森へ。そこからは北海道へ入り、新函館北斗駅に向かって突っ走るという一日。

 

 岡山駅からは東京行きの新幹線「ひかり502号」に乗車して8:25分に出発する。列車はグリーン席の指定席である。

 

 途中、新大阪駅から添乗員が乗り込んでくる。以下は添乗員の指示通りに動くことになる。ここで健康チェックや体温測定などが行われる。

 

 JR東京駅には12:42分着。途中でお弁当タイム。

 

 東京駅からは東北・北海道新幹線「はやぶさ25号」に乗り換える。E5系は、最先端の技術を集結し、走行性能と信頼性、環境性能、快適性のすべてを高いレベルで融合させた新世代の新幹線車両。2011年3月5日より、「はやぶさ」として当時の国内営業最高速度300km/hで運転を開始し、2013年3月16日からは、320km/hで運転している。

 

 JR新函館北斗駅には、17:47分着。そこからは、はこだてライナー1350号に乗り換えてJR函館駅に向かう。「はこだてライナー」は、北海道旅客鉄道(JR北海道)が、函館本線の函館駅 - 新函館北斗駅間で運行している普通列車及び快速列車の名称である。2016年(平成28年)3月26日に北海道新幹線の新青森駅 - 新函館北斗駅間が開業するのに伴い、函館駅 - 新函館北斗駅間を結ぶ新幹線アクセス列車として運行を開始した。

 

 JR函館駅には18:20分到着予定。ここからはタクシーで湯の川温泉、平成館しおさい亭に向かう。函館駅は、北海道函館市若松町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。北海道新幹線開業により、本州方面のターミナル駅の役割は、新函館北斗駅に移った。

 

 ここが今日の宿舎の「平成館しおさい亭」である。

 

 夕食のお料理はズワイガニ足の食べ放題(60分間)だとか。でも、そうそう、カニばかりも食べられないと思うのだが。

 

 こういうお風呂とか・・。

 

 函館湾の風景とか・・・。

 

 で、今夜のお泊まりはこういうお部屋。

 だから、いつもの、「今日の掲示板」はお休みである。

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


紅葉の梵天帝釈生きている

2020年11月01日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼過ぎから次第に曇ってきた。気温は11.0度から21.0度、湿度は88%から66%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。明日の2日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降る見込み。

 

 110/56/79 36.3c-98% 62.2Kg 20.7c-54%-1022hPa 体調に変化はない。

 

 今日から11月の霜月。暦の上での「霜降」は先月の23日だったが、今年は温かいのか、そういう気配すらない。そして、この7日には「立冬」となっているが、なかなかに冬の足音も聞こえない。

 

 昨日は時間帯が悪かったからだと、今日は8時過ぎから出掛けてみた。これは東かがわ市五名地区の旧五名小学校跡地に残るイチョウである。

 

 午前8時過ぎだというのに、三脚やら大きなカメラを提げた人たちが続々とやってくる。若い人たちはスマホで紅葉を写している。これが大窪寺の大イチョウである。手前は「本坊」。紅葉は本坊境内にある庭園である。

 

 本坊庭園の紅葉はまだまだこれからという所か。今日は一眼レフを持たずに行ったのできれいな色が出ていない。

 

 これが大窪寺の大イチョウである。樹高は26m、胸高幹周りは7.23m、枝張りは東西が22.3m、南北が15.9m。樹齢については定かではない。江戸時代の古絵図にはイチョウの木らしきものは描かれて居らず、明治時代に植えられたとしても150年少々。500年説、700年説などもあるが詳細は不明。

 

 もう、足下には黄色い落葉がいっぱい舞い落ちている。

 

 この時期ならではのお遊びである。

 

 二天門前の紅葉はまだまだ、これからである。この二天門が大窪寺の山門で、梵天帝釈天の二天がいることから二天門と呼ばれている。

 

 で、明日からの旅行の準備。たった五日間なのに、この薬の多さはどうだ。

 

 この袋はサンフランシスコに行ったときにも薬袋として使われたもの。薬と、デジカメとタブレット端末と携帯。それに着替えが少々。そうそう、それらの充電器が大事。

 

 私愛用のリュックザックである。これもサンフランシスコに行ってきた。私の荷物はこれだけ。杖がいるかなぁと思ったけれど、新幹線とホテルだけだから、忘れる方が確実そうなので持って行かないことにした。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に確かなことなんてない。それだけが確かなことなんだ」という「ビューティフル・マインド」という映画の中の台詞から。「ビューティフル・マインド」は、統合失調症を発症した後、苦しい生活を送りながらもノーベル経済学賞を受賞した、実在する天才数学者、ジョン・ナッシュさんの半生を描く物語である。2001年度アカデミー賞では、作品賞、監督賞、助演女優賞、脚色賞の計4部門を受賞した傑作だという。全く、人生に確かな事はひとつもない。そのことだけが確かなことなんだ・・・。全く、それを思い知らされたこの一年であった。

 

じゃぁ、明日からは、「予約投稿」になる筈。私の投稿は11月の7日からになる予定。じゃぁ、また、その時に。


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