まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

初雪に顔赤くする風の中

2020年12月16日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、概ね晴れていた。気温は3.5度から6.9度、湿度は74%から62%、風は5mから9mの西の風が一時は強かったし、一時は粉雪まで舞っていた。明日の17日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置は次第に緩んで高気圧に覆われるため、晴れる見込み。

 

 102/50/78 36.3c-99% 62.8Kg 10.8c-47%-1022hPa 体調に変化はない。

 

 今回の広島帰りの目的は第一にこれ。剪定をした小枝なんぞを片付けること。最初は西風が強いので裏庭の片隅に盛り上げる積もりだったのだが、風が止んだ時間帯を見計らって焼却処分にした。この島では雑草や小枝なんぞは燃やしているので、少しずつ小分けをしながら燃やしてしまった。

 

 途中で水道水を掛けながら慎重に燃やしてしまった。

 

 第二の目的は、タイヤがぺっちゃんこになって動けなくなった軽トラの修理。そうそう乗り回る車ではないのだが、荷物があるときなんぞにはあると便利な乗り物である。

 

 で、私のタントの予備品のエアーコンプレッサーを使ってみたが、うんともすんとも言わない。そこで、シガーライター部分をいじっていると、接触不良だったのか動き出して、無事、四本のタイヤともにパンパンに戻った。これで一安心だ。

 

 で、弟が広島一周をしてきたが、なんともないという。あれだけ重くて回せなかったハンドルも、タイヤの空気圧を補充しただけで軽く回るようになった。

 

 その後は、弟が手作りの高枝切り払いノコを使ってのケヤキの枝切りをやってくれた。

 

 それも燃やしてみたが、さすがに生木は燃えずに残ってしまった。今度は来年の連休前の草刈りに帰る予定。それまでには乾いて量も少なくなっているはず。

 

 で、4時(16:00)から夕食を食べて、18時からはカラオケタイム。最近は本当にすることがないのだ。食べるか、飲むか、歌うか、寝るかしかない。昨夜は久々に自治会長さんがやってきて、島の情勢やら、天皇陛下にお会いした時のお話なんぞを聞いたものだった。

 

 で、今朝は6時起きの7時から朝食。火の後片付けやら確認を済ませ、室内の掃除やら片付けをして、8時半発のフェリーボート・しわく丸に乗って島を出た。丸亀港には9:10分着。弟んちに9時半に着いてお別れ。我が家には11時に着いた。

 

 で、島で残ったラーメンやら野菜やらを入れての野菜ラーメンで昼食。やれやれである。

 

 お昼からは銀行屋さんで、年金の振り込みを確認して、大半を引き出しておく。電子サギやら不正引き落としを防止するためにわずかしか銀行口座には置かない。

 

 その後、某所で引き落とした現金を別会計に入れて隠しておく。その後、郵便局で年賀状を投函しておいた。これで当面のお仕事は片付いたみたいなもの。

 

 今日の掲示板はこれ。 日本スポーツ用品工業会の民秋史也会長は10年前に72才で亡くなられたそうだが、カラオケとバラ作りを初めとした園芸を楽しんでいたようだった。また、60歳を過ぎてからピアノに懲り、広島ので教鞭をとっていたとのこと。氏は、時を惜しむように趣味に邁進する。理由は、”仕事は人の器をつくり、趣味は人の風格をつくる。両方やらなきゃ”だそうだ。私も来年は73歳。趣味はいくつもあるのだが風格は全くついてこない。酒ばかり飲んでいては、人間駄目になるなぁと思う今日このごろ。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


冬の朝立木は凜と立ち尽くす

2020年12月15日 | 時には日々是日

 丸亀市地方は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇っていた。気温は4.3度から6.3度、湿度は66%から54%、風は4mから7mの西の風が一日中強かった。明日の16日の丸亀市地方は、冬型の気圧配置が続くため、概ね曇るらしい。

 

 98/49/82 36.2c-95% 62.2Kg 8.6c-44%-1012hPa 体調に変化はない。今日も弟と二人で丸亀港にやってきた。9時前だった。

 

 で、9時25分発のフェリーボート・しわく丸でしわく広島の江ノ浦港に向かう。今週になって空気がぐんと冷え込んできた。

 

 「広島」というと、広島県の広島をすぐに思い浮かべるだろうが、この広島は丸亀市に属する「広島」で、単に「瀬戸内海の広い島」というだけの意味であるらしい。だから、「讃岐広島」という言い方をしていたのだが、それは、この島にある郵便局の名前が「讃岐広島」と混同されるからということで、最近は「しわく広島」という言い方をしている。

 

 では、なぜ、「塩飽広島」と呼ばないのかというと、お隣の島が「塩飽本島(しわくほんじま)という呼び方をしているので、これまた混同を避けるため。ま、どういう呼び方でもいいのだが、本当の「広島」は「ヒロシマ」と平坦な読み方をするが、この丸亀市沖の広島は、「ヒロシマ」と、シマを下げて弱く発音する。

 

 で、今回は、この剪定をした木の枝の処分をするために帰ってきたもの。当初は燃やしてしまう算段だったのだが、今日は西風が強くて燃やすには危険すぎる。それをどうするかが問題になった。

 

 で、家の北側の空き地に盛り上げておくことにした。やがて樹木は枯れて腐ってしまうに違いない。こういう風景だから、少しの火の粉でも大火事になってしまう可能性がある。

 

 それと持ってきた、このタイヤの交換やら、

 

 この空気圧の減ったタイヤの修理である。どうにも寒くなると空気圧が下がってしまって走れなくなる。たまに乗る車だから仕方がない。

 

 これも、持ってきたエアコンプレッサーで空気を補充しておいた。あとの残りのタイヤも全て点検して補充しておく。ま、いつまで持つかわからんのだろうけれど。

 

 で、今夜もおでんになった。寒いときにはこれと日本酒がよく似合う。

 

 その後はすることがない。だから、二人でカラオケ三昧になる。ここでは、飲むか、食べるか、歌うか、寝るかしかない。

 

 今日の掲示板はこれ。「この不思議ないのち それを今 生きさしてもらっている」という、東井義雄先生の言葉から。まったく、最近は「いのちの不思議さ」というものを噛みしめている。どこが不自由でも生きるのが辛くなる。辛くなっても生きねばならぬ。正座ができないということだけでも痛くて辛くて涙が出た。足を引きずりながら歩く辛さも噛みしめた。片眼で歩く不便さや呼吸困難にも陥った。それでも「生きねばならぬ」といういのちの強靱さ。まったく、そんないのちを、今、生かせてもらっている有り難さを噛みしめている。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


木枯らしが古家の屋根に突き刺さる

2020年12月14日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は8.5度から10.2度、湿度は78%から58%、風は4mから8mの西の風が強かった。明日の15日の丸亀市地方は、冬型の気圧配置が続くため、概ね晴れる見込み。

 

 114/62/78 36.4c-99% 62.8Kg 14.7c-47%-1015hPa 体調に変わりはない。

 

 きょう12月14日は旧暦の1702年(元禄15)、大石内蔵助(くらのすけ)率いる赤穂義士が吉良上野介(こうずけのすけ)邸に討ち入った日とされているが、昨今はあまり話題にならなくなった。

 

 そんなことよりも、今日は県立病院での予約診察日である。一時期は4週間ごととか、5週間ごとだったのだが、症状が落ち着いてきているので、8週間ごとになっている。約2ヶ月ごとの計算になる。

 

 昨年の今頃は体重が77Kgを超えるようになって、呼吸困難や足のむくみなどで動けなくなって緊急入院した時期である。それが今年は落ち着いた症状で安定している。単におしっこが出なかっただけだった。

 

 病院に着いたのは9時半過ぎ。いつもは30分近くも待たされる検体検査、つまり、採血や採尿検査も、すぐに呼ばれて採血が済んだ。ここは早く行くと混むみたいで、10時くらいに行くと誰もいなかったりする。

 

 採尿検査は数人ほどが並んでいたが、これもすぐに済んだ。今日は珍しく胸のレントゲン検査がなかった。心臓の方は安定しているとみたんだろうか。

 

 で、内科の受付を済ませると、10分ばかりで診察室に呼ばれた。この日浦ドクターが私の主治医である。もう13年間もお世話になっているドクターである。診察は三分診察。で、「年末年始にお酒を飲み過ぎないように」の一言でおしまい。次回は2月の8日になった。

 

 その後、泌尿器科の診察になるのだが、ここでずいぶんと待たされた。何分、お年寄りが多いために動作が遅い。そういう私もお年寄りの部類にはなるのだけれど。

 

 こういう器具で「残尿検査」というものを受ける。尿が体内にどれくらい残っているのかを調べるものだが、今日は少ないらしくてすぐにOKとなった。ここも内科に合せて、次回は2月8日になった。

 

 それでも我が家に戻った時には11時を回っていた。今日は奥方がお休みなもので、珍しくおうどんになった。奥方は12時から歯医者さんの予約診療だという。朝方は娘んちへ牡蠣や野菜を届けに行ってたらしい。

 

 お昼からは病院からファックスしておいた処方薬を受け取りに町内の調剤薬局に行ってきた。ここも10年来お世話になっているところである。

 

 ここだってポリ袋有料化だそうだから、マイバッグ持参で行く。そんなにケチケチしている訳ではないが、ポリ袋も溜ってきたら捨てるしかないのだから少しでもの節約になる。

 

 内科の薬が朝と夕食後、泌尿器科が朝昼夕と三回分の56日分だからどっさりとある。ときたま飲み忘れると、たちまちにしておしっこが出なくなって体重がぐんと増えるから恐ろしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「いいこと悪いこと 一切をひっくるめておかげさま」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。雨が降るのも晴れるのも雪が降るのも風が吹くのも単なる自然現象。雨はイヤだ、風は寒いの・・というのは人間様の都合の話。いいことも悪いこともみんながあって私が作られる。いっさいがっさいをひとくくりにして「おかげさま」だといただいて、今日の私があるのだと言うている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


黙々と年月の行く師走風

2020年12月13日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、寒気の影響で概ね曇りとなっていた。気温は8度から12度、湿度は68%から54%、風は4mから2mの西の風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇り、明け方まで雨の降る所がある見込み。

 

 108/54/84 36.7c-99% 62.4Kg 17.2c-48%-1016hPa 体調に変化はない。

 

 明日は県立病院での泌尿器科と内科の予約診察日になっている。そこで、毎日の診察のためにバイタルサインのデータを整理しておく。

 

 こちらは上のデータを見やすくした「日々管理表」。大事な所だけと、その日に何をしたのかを記録してある。最近は「おなかが張る」とか「呼吸困難」とかの記述はない。

 

 こちらは10年日記である。縦軸が西暦年で、横軸が月日になっているから、去年の今日は何をしていたかがわかる記録である。去年の今頃はおなかが張って呼吸困難になって、12月16日から緊急入院したことがわかる。

 

 で、今年も富山のお寺の奥様から氷見うどんが届いた。ぶんままからである。さぬきうどんのメッカにうどんを送り続ける大胆な奥様だと、うちの奥方もあきれながらも大喜びなのである。

 

 早速に「ののさま」にお供えをしておいた。

 

 お昼からは自治会長のお役目である。正確には何というのか知らないが、「郷社」というのか「氏神さん」というのか、町内の神社にお呼び出しがあった。毎年恒例の「おふだ」の頒布である。

 

 この神社の記念物らしい「大楠」である。香川の保存木にもなっている。

 

 その他にも、

 

 富田神社の大杉というものもある。しかしのかかし、秋祭りの時くらいしか、ここに来たことはないので詳しいことは知らない。でも、いつの頃からか、自治会長になれば必然的に、ここの神社の総代になるという決まりらしい。

 

 で、「神宮大麻」とか「八幡宮御璽」ほかを自治会内でとりまとめ、これを各戸に配布せよというお達しである。

 

 その他にも「饌米」とか各種の印刷物なんぞもセットにして配るようになっている。

 

 今年は自治会9戸の内、5戸への頒布になった。だんだんといらなくなるおうちが増えてきた。それだけ信仰心が薄れてきたと言うことかも知れない。で、これを配って回ってきた。

 

 ま、我が家にはご存じの通り神棚がないので、当然、おふだもいらないのでいただかない。神棚をお祭りしたら「庄松さん」に叱られる。

 

 今日の掲示板はこれ。「年は唯 黙々として行くのみぞ」という高浜虚子の俳句から。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。高浜虚子の擬人化表現を用いて、去る年を表現しているのが特色といえるだろう。太陽と月は宇宙の旅人で、太陽は日没とともに闇の世界にこもり、日の出とともに新たな生命を受ける。月も終わりの闇夜を「月隠(つごもり)」とか「晦日(みそか)」といい、新しい出発を「月立ち」とか「朔日(ついたち)」といった。太陽と月は「死」と「再生」をくり返して大晦日となる。年も古い生命を葬り、新たに生まれて新年となる。私たちもただ、黙々としてゆくばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


足早に枯れ葉が駆けて行くばかり

2020年12月12日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は10.5度から15度、湿度は78%から56%、風は2mから6mの西の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 110/46/82 36.7c-97% 62.4Kg 14.4c-47%-1014hPa 体調に変化はない。昨年の今日の数字は、117/66/64 36.4c-96% 68.8Kg 12c-36%-1016hPa ということで、体重が増加している時期だった。今年は体重に気を遣っている。

 

 さて、いつものように、「大窪寺の山門にはなぜ大きな草履がおいてあるのか」ということで調べていたら、こんなお寺が出てきた。徳島県の「愛染院」という四国霊場三番札所”金泉寺(こんせんじ)”の奥の院らしい。そんなことはどうでもいいのだが、

 

 ここに、こういうお堂があるらしい。阿波坂西(ばんせい)城主「赤澤信濃守」の墓所だというではないか。

 

 これは私の所属寺院「海暁山海暁閣勝覚寺」のご先祖にあたる方である。「坂西(徳島県)城主、赤澤信濃守、中富川の合戦において、討ち死にした後、赤澤信濃守の一子、正本法師菩提を弔うため、大坂天満興正寺で得度し、丹生に勝覚寺を開基する(天正年間)」というのが、勝覚寺の縁起である。それでは、”現地に行こう、現物に触ろう”ということで出掛けてみた。

 

 で、お遍路用の地図を片手に出掛けて行ったのだが、まるで土地勘がわからない。高校生の頃、ここを歩いて愛染院のご朱印をいただいたことがあるのに、60年も経ってしまえば全く風景が違う。

 

 行ったり来たり戻ったりを繰り返しながら、どうにか愛染院を見つけることができた。伝承によれば平安時代前期の弘仁7年(816年)四国を巡錫中の弘法大師(空海)がこの地に霊気を感じた。そこでみずから不動明王を刻み、ここに本尊として安置したのが始まりと言われている。 明治・大正時代までは「阿弥陀寺(あみだんじ)」と呼ばれていたが、大正10年に四国21番札所太龍寺の境内にあった「愛染院」と合併し、現在の寺名となった。

 

 これが山門である仁王門である。なんだかんだとあるのだが省略。

 

 これが本堂で本尊は不動明王。軽く一礼して参拝。

 

 これが、その、赤澤信濃守の廟所とされるところ。ここにも大ワラジが奉納されている。

 

 勝覚寺ではよくよく聞かされていた名前であるが、こんなところでお目に掛かるとは・・・。赤澤信濃守は天正10年(1582年)長宗我部元親の阿波進攻に際し、中富川の戦いにおいて討ち死にしたと伝えられている。信濃守が履いていた草鞋の紐が切れたために戦に負けてしまったという言い伝えのためか、治癒した信者は当院に草鞋を奉納する習わしがある。またこの赤澤信濃守廟と仁王門の前にはそれぞれ大わらじが奉納されている。

 

 それだし、お堂の中には、足腰が治ったと言う方が「願ほどき」に納めたというたくさんの草履が壁一面を覆い隠している。それほどの信者さんがいるということなのか。

 

 それにしても、このおびただしい草履の束は「すごい」の一語に尽きる。圧倒されるばかりである。

 

 ついでに大師堂にもご挨拶をしておく。

 

 で、四国唯一という超レアな御朱印をいただいてみた。この中央は「刷毛」で書いたという不動明王のご真言らしい。読めないけれど。左右の「奉納」と「愛染院」は普通の筆で書いていただいたもの。

 

 その少し東に「振袖地蔵」というものがあった。犬伏の撫養街道にそって南向きに地蔵堂が建っている。そこに「振袖地蔵」「カヨ地蔵」と呼ばれる美しい丸顔の地蔵がおさめられている。

 

 その名のおこりは、天正10年(1583)四国制覇をめざした土佐の長曽我部元親が2万2千の兵を率いて、中富川をはさんで勝瑞城の十川氏と対戦、板西城主の赤沢信濃守も一族、郎党を従えて元親の大軍と戦ったが、戦い利あらず討死、留守を守っていた奥方は逃げることの不能を悟り、姫をにがして自分は「松の木」という所で自害、姫は犬伏の諏訪神社近くで捕えられ殺害された。土地の人は姫をかわいそうに思い、地蔵を建ててその霊を弔った。姫の名を「カヨ」といったので「カヨ地蔵」、その時振袖を着ていたので「振袖地蔵」ともいう。

 

 地蔵の建立は、享保7年(1723)とあるからずっと後世に建てられたものである。

 

 ということで、今日は、こういうルートで走ってきた。約2時間、10Kmほどの旅だったらしい。

 

 帰る道筋にあった今日の掲示板。「思ふこと 今年も暮れて しまひけり」という正岡子規の俳句で、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。明治28年の大晦日、漱石と虚子が子規の家にやってきてにぎやかな大晦日になった。その時に、正岡子規が詠んだ句の一つがこれ。「いろんなことがあったけれど、今年もついに暮れてしまうんだなぁ」という気分だったのだろうか。子規の病はこの頃から深刻さを増してゆくのである。振り返ってみれば、私もこの一年にはさまざまなことがあった。死の淵をさまよったり、最期通告を受けたり、治療不能と言われたり・・。その後、なんだかんだの手術を受けて、かろうじて生き延びている。思うことはたくさんたくさんあるけれど、今年も間もなく暮れてしまうんだなぁと言う気持ちにはなる。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


師走とはいのちをぽとぽと落とすこと

2020年12月11日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で曇っていた。ときおり高気圧に覆われて晴れた時間帯もあった。気温は8.0度から16.0度、湿度は76%から56%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の12日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で午前中は曇り、午後は高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 118/64/79 36.3c-98% 63.2Kg 19.8c-49%-1020hPa いよいよと冬が来たのかなぁと思うような朝になった。

 

 今日は奥方がお休みで、早くからお歳暮用のカキを買うのだと7時過ぎから出掛けて行ったので、私は昨日の続きで、「あなたの知らない大窪寺編」の続きを書いていた。

  

 「なぜ、大窪寺に”原爆の火”があるの?」「なぜ、大窪寺の本尊は秘仏なの?」「大窪寺の”北辰妙見信仰”とはどういうもの?」「なぜ、大窪寺のトイレには「神様」ではなくて、「仏様」がいるの?」などなどなど。

 

 などという、ありきたりの観光ガイドではなくて、ガイドブックやウエブサイトにはない情報をまとめている。

 

 9時過ぎに奥方が買い物から戻って来て、「これからお歳暮を配達に行くからお願いね」と言いつつ、野菜畑から大根や蕪、白菜なんぞを抜き始めた。

 

 今年はサルやイノシシの侵入もなくて、野菜はよくできたらしい。私は全くのノータッチ。たまには水やりくらいは手伝ったけれど。

 

 それにメインの殻付き生ガキやら、

 

 生牡蠣やらとどっさりと二軒分。それらを積み込んで丸亀市へ向かって走る。

 

 途中の綾歌郡綾川町羽床(はゆか)にある「本格手打ちうどん はゆか」で朝昼兼用のおうどんにした。ここもセルフうどんのお店である。ちょうど11時だったので、最初は私ら二人だけだったのに、すぐさまにお店はいっぱいになった。

 

 私は「わかめうどんの温いんの小」にちくわ天(340+90)、奥方はかけうどん小の温いんにちくわ天(240+90)だった。

 

 ふと見ると、おとなりさんはしっぽくうどんを食べている。しまった、しまった、島崎藤村。もう、そんな時期なんだなぁと気がついても、もう遅い。

 

 で、丸亀市の弟んちと、宇多津町の叔父さんちに牡蠣や野菜を届けてとんぼ返り。ラジオでは善通寺さんのご本尊の「お身ぬぐい」のニュースを聞いた。いよいよと年末が近くなったなぁと感じたことだった。

 

 帰りに、さぬき市民児協大川の事務所に寄って、先日の「歳末たすけあい募金」の配分金の受領書を届けてきた。できることからコツコツと、忘れる前にきっちりと。

 

 今日の掲示板はこれ。「熊はもう眠りました 栗鼠(りす)もうつらうつら 土も樹木も大きな休息に入りました ふっと思い出したように 声のない 子守唄 それは粉雪 ぼたん雪 師も走るなどと言って 人間だけが息つくひまなく動きまわり 忙しさとひきかえに 大切なものを ぽとぽとと落としてゆきます」という茨木のり子さんの「十二月のうた」という詩からである。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。私も大切なものを、ぽとぽとと落としているのだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


あきらめもほどほどが良い冬の暮れ

2020年12月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で次第に曇ってきた。気温は6.0度から14.4度、湿度は94%から66%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて、概ね晴れる見込み。

 

 99/44/78 36.5c-95% 63.2Kg 20.0c-47%-1026hPa 体調に変化はないが体重が微増しているのが気に掛かる。朝食を抜いているのがよくないのか、尿の出方が悪いのか。

 

 やりかけで残っている「あなたの知らない大窪寺編:そうだったんな、お大師さん」の続編を書いていた。「大窪寺には山門が二つあるのはなぜなのか」「二天門をなぜ”楼門”と呼ぶのか」などのお話である。

 

 一月、二月はガイド活動はお休みになるので、その間に、こういうお話をまとめておきたいものだと少しずつ書きためている。

 

 九時過ぎからは集落内一周の散歩に出た。そろそろと足の筋肉が悲鳴をあげるころ。足の神経がピリピリとするし、痛めたかかとが痛み出す。でも、痛くても歩かないと我が家にはたどり着けない。誰も助けてくれる人はいない。

 

 なんだかんだと言うている間に空は薄曇りになってきて冬空に進んでいる。風も冷たい北風になってきた。12月もはや10日。来週あたりからは寒さが厳しくなりそうだとの天気予報があった。

 

 今日のラジオで「凧の元の名前は何というか」というお話があったけれど、私の子どものころには、「イカを揚げようで~」と言うていたなぁと思い出した。凧に新聞紙を細長く切って貼り付けて尻尾をつけて、それがイカのように見えたものだった。だから、小学校なんかで「タコを揚げようでぇ」と言うているのを聞いて、「あいつら、何を言うとるんやろ・・」と思ったものだった。

 

 で、10時を過ぎたので、昨日、お預かりした「歳末助け合い募金」の配分金をひとり暮らし老人宅に配りに行ってきた。

 

 私の担当地区には12人ほどいたのが、今年は7人になってしまった。私の担当あと2年の内に仲間入りする人はいない。だんだんと寂しくなってゆくばかりだ。

 

 だから、お昼までに7人分を配って済んだ。やはり、野菜作りやお花作りをしているお年寄りは元気だ。そういう趣味のない人は家の中に籠もりきりでつまらなさそうにしているばかり。

 

 これで今年の私のお仕事は一区切り。民児協の会計帳簿を整理して会計報告の準備をしておかねば。今年は感染症対策のために歓送迎会もなかったし、忘年会も新年会もない。研修旅行も自粛だったしで支出がほとんどなかったことだった。

 

 そういえば、我が家も親父の祥月命日(8/1)の飲み会をして以来、BBQパーティーもカラオケパーティーもない。孫の大学合格パーティーも忘年会も自粛になってしまったんだろうか。時節柄、仕方がないと言えば仕方がないのだけれど。

 

 だんだんと、家族という縦糸と連携連帯という横糸が交わらなくなって、個人・個人とばらばらになっていくような気がする。さらに母が亡くなって以降、親戚というつながりがばたっと切れた。来年のお正月はぐんとさみしいものになりそうだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当のものがわからないと 本当でないものを本当にする」という安田理深先生の言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。自分がどこまで知ってるかを識別していないと、自分では知ってる範囲が全てで本当と思うと自認してしまうもの。大切なことは知っていることと、知らない事を分別する力、つまり知識だと思うのだ。本当のこと、これは「真実」とか「真理」ということを指すのではないだろうか。それが探索できないと、当然、自らが下す判断は誤りとなることが多くなり、自ずと良い結果は出ないくなる。問題とすべきことは、「本当でないものを本当にする」ということではないだろうか。私たちは、仕事や生活の中で、常に真実とは何か、真理とは何かということをしっかり学ぶ必要があると言うことだ。最近のフェイクニュースやネットに氾濫する情報が、果たして本当のものなのかどうか、そういうことを思い出しながら、ふと、振り返ってみたことであった。それが人権問題になるとしたら、もっともっと、慎重にならざるを得ないことなと思ったことでもあった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冷えてきた今日は牡蠣鍋食べようか

2020年12月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていたが、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は7.0度から14.1度、湿度は76%から60%、風は1mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の10日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 113/56/78 36.3c-95% 62.8Kg 16.4c-49%-1024hPa 体調に変化はない。

 

 で、朝の散歩に出てみた。相変わらず猫の子一匹、犬の子の一匹にも出会わない。最近はサルやイノシシの姿も見えなくなった。

 

 ゴーストタウンならぬ眠った村みたいだ。

 

 午後からは毎月の第二水曜日ということで民児協の定例会。民生委員の毎月の会議である。

 

 ま、恒例の会議でいつものように幕が開き、いつものような話題に終始する。でも、講演会だのなんたら会議だのというのが感染症対策のために大幅に少なくなった。

 

 で、今日は「人権学習」といものが一時間ほどあった。最近はLGBTだの感染症差別、SNS差別なんぞが大きな話題となっていて、そういうものへのお勉強会。ハラスメントやいじめなどの、「されたらいやなことはしない」という考え方がまだまだ浸透していない中で、男尊女卑とか家制度なんぞや風習や六曜の考え方などが根強く残っている現実。そういう多岐にわたるお話。

 

 おまけに今日は空き缶回収の日でもあって、帰宅がすっかりと遅くなってしまった。

 

 そういうこともあって、秋の日はあっという間に暮れてしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「どう もがいてもダメなときがある 手を合わせるしかないときがある 本当の目が開くのは そのときである」という相田みつをさんの言葉からである。相田みつをさん(1924~1991・栃木県) 詩人。書家。若いころは陽の目を見なかったが、60歳の時に出版した詩集「にんげんだもの」で世間に知られるようになる。その後、同詩集はミリオンセラー になり、1996年には相田みつお美術館が開館したが、本人はすでに亡くなった後のことであった。シンプルな詩を、独特の書体で書きとめた作品が人々の心を掴んだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


枯れ葉舞う産直市の焼き芋屋

2020年12月08日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇っていたが、その後は高気圧に覆われて晴れてきた。気温は9.0度から13.8度、湿度は76%から58%、風は4mから1mの西の風が少しばかり。明日の9日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 110/71/78 36.2c-99% 62.8Kg 20.2c-49%-1024hPa 体調に変化はない。昨年のようなおなかの張りや足のむくみも全くない。

 

 今年もまた、小合さんからAnカレンダーが届いた。今年はどうしたものかなぁと思案しとったのだが、ようやくに届いてほっとしている。台所にはガス屋さんのもの、洗面所にはAnカレンダー、私の部屋には所属寺院のカレンダーと、毎年おなじものがあると、なんだかほっとしてしまう。

 

 本当に今年は地獄の一丁目まで行ってきたので、なおさら、この温かさが身にしみる。そして、今年もまた、このカレンダーに出会って、来年一年をともに生かされるのだと思うと尊いことだと手を合わさざるを得ない。

 

 12月8日は恒例の事ながら、針供養・納めの薬師・成道会などがある。成道会とは、お釈迦さまの成道(おさとり)を記念して行われる法要のことである。日本では、釈迦は臘月の8日に成道したと伝承されているので、成道会を臘八会とも称し、この日に法要が行われる。南伝仏教では、ウェーサク祭として、5月の満月の日に仏誕会、涅槃会と共に行われている。ウィキペディアより。

 

 日本時間の1941年12月2日、日本海軍連合艦隊司令部は北太平洋上を航行中の機動部隊に対し「新高山登レ1208(ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ)」という暗号電文を送信した。この暗号は同12月8日に米国ハワイの米軍艦艇、施設、基地を攻撃せよとの命令で、航空母艦(空母)6隻を含む機動部隊は攻撃準備を開始した。

 

 続いて、「リメンバー パールハーバー」である。真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、英: Attack on Pearl Harbor、日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、第二次世界大戦において日本海軍が、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して行った、航空機および潜航艇による攻撃である。当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)であった。今年が79年目になるとのことだった。

 

 そして、今日はわが娘の誕生日でもある。その娘も48歳になる。私も72歳になった。まさに、「遠き昭和の灯がともる・・・」である。

 

 プラモデル作りは小学生時代から始めたような気がする。子どもの頃から竹や木の枝で模型を作ったのが最初で、中学生時代にはプラモデルを組み立てていたように思う。その後、ガンダムの登場で社会人になって火が付いて、ガンプラ作りが加速した。

 

 今でもパソコンの全画面にガンダムが立っている。いくら機械が変わろうと、パソコンの壁紙はガンダムになっている。

 

 午後からは明るくなってきて初冬という景色になってきた。いよいよと12月が過ぎてゆく。

 

 お昼からはお仏壇のお掃除をやってみた。昔の仏壇のように灯心とか油を使わないので「おみがき」という作業はなくなった。下手に触ると金箔が傷むので、触らぬようにホコリだけを払っておく。

 

 これが我が家のご本尊、阿弥陀如来立像である。傷つけぬようにそっとそっと「お身拭い」しておく。

 

 今日の掲示板はこれ。「時の流れに心せよ 「まだ」は忽ち 「もう」となる」というもの。誰の言葉かはわからない。だが、この時期になるとついつい思い出す言葉。今年のお正月を迎えたのがつい先日のような気がするが、気がついてみれば、早くも 12月の上旬が終わる。あっという間の一年ではないか。先のことだ、先のことだと考えていたことが、もう、すぐそこにやってきたぞ・・・というのが、今日 の私の正直な気持ちだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


物音の一つもなくて散る落葉

2020年12月07日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は6.0度から14.8度、湿度は84%から58%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の8日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 114/67/79 36.4c-93% 62.6Kg 13.8c-49%-1024hPa 体調に変化はない。毎日の体重チェックが最重要というところ。身体本体は61Kgくらいで、後は水分、とりもなおさず尿の出方次第というところ。その水分管理が重要課題。

 

 今朝は奥方がお休みだから午前7時まで寝てしまっていた。それから起きて朝ドラが終わるまでは、私のポータルサイトの更新作業をやっていた。

 

 で、早くも来年のスケジュール帳やダイアリーに年間行事の記入などをやっておく。それを元にして来年の年間スケジュール表も作っておいた。明日の命がわからんというのに。でも、明日の予定が決められないことには、今日の方向が決められないではないか。

 

 で、当面の12月分、一月分の予定表を組んでみた。

 

 来年の一月分のスケジュール表も作っておいた。

 

 その後は集落内一周の散歩をしてきた。昨年がどうだったのか覚えてはいないのだが、今年は風もなくて寒くもないし手袋やマフラーがいるほどでもない。

 

 今日は月曜日だから、住民の多くは働きに出ているようで人の気配は全くない。近年は犬を飼う人も居なくなったのか犬の鳴き声すらもない。

 

 奥方は歯医者さんだ、調剤薬局だ、食材の調達だと出掛けて行った。

 

 そうそう、今年の流行語大賞が発表されたのかノミネートされたのかがニュースになったようだが、悲しいことにこの30語のうち11語しかわからなかった。新しい生活様式/アベノマスク/アマビエ/クラスター/GoToキャンペーン/3密/自粛警察/ソーシャル・ディスタンス/ソロキャンプ/テレワ-ク/PCR検査くらいなものだった。

 

 ちなみに、私の今年の流行語大賞は、ビーバーみずほ/復活の女神/死亡宣告/血液透析/地獄からの生還/尿道開削/闘病記/フルムーン日本縦断新幹線旅行/大窪寺班/活動自粛の10語になる。私にとっても大変な一年であったような気がする。

 

 ついでに来年の自治会の行事予定表まで作っておいた。

 

 そろそろと、我が家の迎春準備も始めないとと思う今日この頃。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分のこころが一番しまつに困る 承知せぬのは自分の心である」という曽我量深先生の言葉からである。本当にあわれみ、かなしみ、はぐくむということは計画しても出来るものではない。自分の心が一番始末に困る。承知せぬのは自分の心である。故に「おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。」思うが如くなるということは世の中は一つもない。世の中は一から十まで思わざる如くに動くのだそうである。(曽我量深『歎異抄聴記』より)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ひらはらと枯れ葉落として急ぐ風

2020年12月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は5.5度から14.0度、湿度は82%から56%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 112/71/79 36.4c-97% 62.8Kg 14.7c-47%-1024hPa 体調に変化はない。

 

 奥方が、「なんでカーテンを半分、開けて寝るの」と言うもので、「お月さんを見ながら寝るもんだから」と答えると、「まぁ、なんとぜいたくな病人だこと」と言われたが、そんなにぜいたくなことだとは思っていない。

 

 窓からはきれいな十三夜あたりが見られたのだが、コンデジで眠りながら撮ったのでは何が何だかわからない。でも、まぁ、毎夜、お月様を見ながら寝ているのは幸せなことなのかも知れない。

 

 年賀状の引き受けは12月の15日からだと聞いているので、通信欄の最下段に一言メッセージを書いていた。全部が全部印刷だと味気ないし、人間味が薄れるので、毎年、一言メッセージを書き加えている。

 

 で、その後、集落内一周の散歩に出てみた。少しばかり空気が冷たくなった。そうそう、昨日、12月5日が高松地方台で「初霜」「初氷」の観測日だったと聞いた。我が家も霜で白くなっていた。

 

 お昼前にスーパーへお茶やアイスクリームなんぞを買いに出たが、戻るとまたしても財布というか小銭入れがない。

 

 でもまぁ、忘れた場所はスーパーの中だからと、昼食を食べてからにした。相変わらず、ところてんと梅がゆである。

 

 昼食を食べてからスーパーへ行ってみた。この「サッカー台」で、マイバッグに食材を入れ替えたときに、いつも財布を置き忘れてしまうのだ。いつも注意はしていたはずなんだが、今日もうっかりと忘れてしまったようだった。

 

 で、無事に財布が戻ってきた。でも、いかんなぁ・・と思った。少しずつ、少しずつ、認知が進んできたように思う。こうしたうっかりポカが増えてきているように思うのだ。人に会うことも少なったし、会話がめっきりと減ってしまったこともあるのだし。

 

 今年も北海道から「新巻鮭」が届いた。20年前くらいには、こうした鮭一匹がそのままの姿で送られてきていた。これでは冷蔵庫にも冷凍庫にも入らないので、近くの小川まで持って行って、そこで小切りにしたもの。台所では鱗や塩が飛び散って悲惨なことになったものだから。

 

 でも、近年は、こうした小切りされて、しかも真空パックされて来るので、簡単に冷凍庫の隙間に押し込んでおくことができるようになった。

 

 それを必要な分だけ取り出して調理できるので便利になったものだった。

 

  今日の掲示板は、本文に関係なくこれ。「人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ でも その考えを無理やり 他の人に押しつけてはいけないな」というスナフキンの言葉から。後に「その人にはその人なりの考えがあるからね。」という言葉が続く。トーヴェ・ヤンソン原作の「ムーミンシリーズ」に登場するキャラクター『スナフキン』は、自由と孤独を愛し、束縛されるのを嫌う。その一方で、他人にとても優しい。でも決して他に媚びることなく、自分の色を持ち続けるスナフキンだからこその言葉。感染症対策でギスギスとした世の中になりつつあって、「自宅待機だ」「ゴーツートラベルは危険だ」「不要不急の外出禁止」などと騒がしいけれど、自分なりにしっかりと対策をしながら、自分なりの色を持ち続けたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


紅葉の赤さに元気をもらった日

2020年12月05日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は5.0度から14.8度、湿度は84%から52%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の6日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 118/69/79 36.2c-97% 62.3Kg 16.4c-49%-1024hPa 体調に変化はない。全く安定していて、昨年の今頃とは大違いの毎日である。

  

 ご案内の通り、今日は民児協大川の年末一日訪問の日である。平たく言えば、80歳以上の一人暮らし老人を民生委員が訪問して安否確認や健康状態をお聞きして回る日である。

 

 民生委員というのは、合併前の旧町ごとに活動をしていて、私たちの大川町には17人の民生委員がいる。これを「民児協大川」と呼んでいる。ま、正確に言えば、「民生委員・児童委員協議会」というらしいのだが。

 

 で、今回は、このトイレットペーパー1パック12ロールを1軒に配るもの。それに、こうしたあいさつ文を張り付けてゆく作業をやっているわけ。少し前までは、おはぎだとか押しずしとかを配っていたが、今年は感染症対策のためにトイレットペーパーになっている。

 

 これが案外と評判が良くて、スーパーなどでも、このトイレットペーパーはかさばるので敬遠されがち。しかし、とっても必要なものらしい。

 

 作業は午前8時から始まって、9時前には終わり、9時からは出発式である。民生・児童委員の会長、婦人会の会長、食改の会長さんあたりが挨拶をして出発する。で、自分の担当地域の対象家庭に向かって行くわけだ。

 

 黄色い服が民生委員、白の「赤十字協力員」のエプロンが婦人会、緑のエプロンが食改の方々である。私の担当は7家庭だから、1時間ほどで終わる。

 

 婦人会からは、こうした品物がプレゼントされる。ま、おまけみたいなものだ。

 

 で、昨日、大塚先生からお話のあった、東かがわ市五名地区の「五名ふるさとの家」に行ってみた。鹿の肉とかイノシシの肉とか自然薯とかを販売しているだろうかということでのぞきに行ったわけだ。

 

 ちょうど、お昼時間ということで、駐車場はいっぱい、お店の中もお客さんでいっぱい。それもシカ肉のカレーとかなんたらを食べている。だが、イノシシの肉とか鹿の肉とかは別場所保管なのか、店頭には並んでいなかった。自然薯の姿も見えなかった。

 

 あるのは普通の産直市みたいなもの。「密」はいやだなぁということですぐさまに店を出た。このあたりに飲食店がないためか、全席がいっぱいで行列ができていたほど。みんな、自粛生活から逃げ出して山の中に食べ物を探してやってきたんだろうか。

 

 私はシカ肉やイノシシ肉などのお肉は食べられないので、一人わびしくお茶漬けを食べた。

 

 今日の掲示板はこれ。「どのような道を どのように歩くとも いのちいっぱいに生きればいいぞ」という相田みつをさんの言葉から。「いのち」の尊さを見つめ続けて、その生き方を、自分の書と自分の言葉で、あたたかく、そしてやさしく語りかけたみつをさんの「子供へ一首」と題したことばである。私たちは、面子(めんつ)や体裁(ていさい)、常識や慣習など、みんな、まわりを気にして、そんなことにとらわれて生きている。しかし、みつをさんは、そんなことにとらわれて生きる生き方よりも、体裁が悪くても、カッコよくなくても「充実感のある生き方」をしたらいいんだよと、語りかけているのである。それが「いのちいっぱい 生きる」ということだと・・・。「いのち」を受け継ぎ、その尊い「いのち」に生かされて生きる私たち、その「いのち」をせいいっぱい生きているだろうか?

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


赤南天鏡の前に行くまでは

2020年12月04日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5.5度から11.9度、湿度は78%から68%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の5日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 117/51/79 36.3c-99% 62.4Kg 15.4c-51%-1022hPa 体調に変化はない。今日は奥方がお休みだから午前7時まで寝ていた。

 

 で、今朝も空気の冷たくなった中、集落内一周の散歩に行ってきた。約2Km,30分ほどの散歩である。防災無線柱に架線(がせん)、信号線が接続されている。この集落も地域的には土砂災害が予想されるがさほどのものではない。津波ははるか遠くで無関係。防災意識は高くないから、あんまり、この装置に期待もしていない。

 

 で、先日の観光ガイド大窪寺班の勉強会の資料を、欠席されていた方に郵送しておくことにした。別にそこまでしなくてもいいのだが、余った資料をほかす(捨てる)のもしゃくだし、私も暇だから送っておくことにしている。

 

 若いころから集めてきた切手の束である。珍しいからと集めてきたのだけれど、残り少ない人生には無駄なものになってきた。だから、使えるうちにとせっせと手紙やはがきで送り続けている。

 

 資料を送るとなると定形外郵便物になる。そこで重さを計れば83g。だとすると140円になる。それを、あれやこれやと足し算をしながら140円になるように貼ってみた。

 

 で、郵便局に持っていって計ってもらったら、4通ともOKになった。こういうものも、事務局に正式に届け出たら、費用は支払ってもらえるのだが、そういう七面倒くさいことはしたくないので、自分の道楽としてやっているだけである。

 

 さぬき市の広報に、こんな記事があった。この六車恵一先生は、中学校時代に数学か社会の先生だったように思うが教えてもらったことはない。だから、詳しいことはほとんど知らない。

 

 そこで町内にある「さぬき市歴史民俗資料館」に行ってみた。ここは合併前には、「大川町歴史民俗資料館」だったところ。平成の大合併後、「さぬき市~」になったものらしい。

 

 いうては悪いが、私は考古学は大の苦手分野で、私の得意分野は「民俗学」だから、どうにも理解のできない分野である。

 

 こういう土器のかけらや石器なんぞは、どうにも好きになれないものばかり。

 

 こういうテレビ画面の写真なんぞは、奥さんがカメラを構えて撮影したものだろうか。私が中学生時代から高校生時代だろうから、テレビに映るとなると家族総出でテレビの前に並んだんだろうなぁと想像した。

 

 私が唯一覚えているのは、町内にある「古枝(ふるえだ)古墳」という前方後円墳の発掘調査だった。近くでゴルフ場ができるというので、緊急的に発掘調査が行われたもので、昭和37年だというのだから、中学二年生の時だった。その時に木棺が出た・・というので見学に行ったことがある。

 

 これは、発掘に際しての神事が行われた時の様子らしい。あんまり、興味がなかったからか、「ふん、こんなもので大騒ぎするんか・・・」と思った程度だった。それよりも、その時に自転車のタイヤがパンクして、歩いて自転車屋まで30分もかかって歩いたことの方がよく覚えている。

 

 今日の掲示板はこれ。「浄土の鏡に映る私には角がはえていた」というもの。どこの誰のことばかはわからなかった。お浄土に、こんな鏡があるのかどうかは知らないが、そこに「角の生えた私が映っている」というのである。そんな人はお浄土には行けそうにもないと思ったのだが。それはともかくとして、正しく生きてきたと思ったのに、ふと鏡を見ると、私の頭には角が生えていたという驚き。それはとりもなおさず、欲望の角であり、恨みや妬みや嫉妬の角であったに違いない。

 

 地獄には「浄玻璃の鏡」というものがあるらしい。浄玻璃鏡とは、閻魔が亡者を裁くとき、善悪の見きわめに使用する地獄に存在するとされる鏡である。ここには、生前の亡者が犯した罪状がそのまま映し出されるという。ここで、いくら亡者が生前の功績や善行を主張してみても、この鏡に映し出されたわが身を見ては白状せざるを得なくなる。

 

 今日のおまけの掲示板。「浄玻璃の鏡のまえに立つまでは ひめておきたしあのこともこのことも」浄玻璃の鏡というのは、閻魔さまのところにある鏡である。人間がこの世で犯した罪業の数々を、みんな写し出すという、なんともおそろしい鏡である。人には言えないうしろめたさをかかえたまま、やがて浄玻璃の鏡の前に立たされる。誰にでも、墓場まで持って行きたい秘密のひとつやふたつある。人には見せたくない黒歴史の一つや二つはある...。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


冬ざれてひとの言葉も硬くなる

2020年12月03日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は7.0度から14.0度、湿度は80%から62%、風は1mから5mの北西の風が少しばかり。明日の4日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 118/70/78 36.1c-98% 62.4Kg 21.4c-50%-1024hPa 体調に変わりはない。昨夜も1時間ごとにトイレに起きたものだから眠たくてたまらないのに、奥方が早出だというので、5時半には起こされてしまって眠たいばかりだ。

 

 で、今朝も集落内一周の散歩に出てみた。これは樹皮が朝日に透かされて赤く見える現象・・・。一瞬、木の皮が燃えているのかと思ったほど。

 

 私たちの集落の防災無線用のスピーカー柱。今日中に架線(がせん)が終わり、明日には放送用機材が取り付けられる予定だとか。

 

 こちらが、100mほど東にある防災無線の受信用柱。本来は1本でいいのだが、この地区では、ここしか電波が受信できないので、2本の柱が必要になった。電波試験は来週になるとのこと。

 

 私たちの集落のすぐ西隣の谷に「南川地区」というのがある。昔は「南川村」だったのかも知れない。ここに「南川小学校跡」というものがある。まだ、二宮金次郎の石像が残されている。ここで「自然薯」の即売会が行われているというので行ってみた。

 

 私たちは単に「山芋」という自然の山芋を冬の間に掘って食べる習慣があったが、これが実に掘りにくい。木の根や岩や石があって、1本を掘るのに半日もかかることがあった。それを、畑で簡単に栽培する方法が考えられて、この地区の特産品になっている。こうしたパイプの中で育てるのである。

 

 これが自然薯の栽培地である。この葉っぱが黄色くなると、これを一本一本掘りだすのである。

 

 そうして、白く見えるパイプを掘りだせば、その中に自然薯が育っているというわけである。

 

 旧の南川小学校の講堂後で販売会が行われている。

 

 だから、いいものだと数千円もするものまであるが、通常は2,000程度の物がよく売れるそうだ。

 

 大勢の人が品定めをしたり、贈答用として宛先を書いたりとにぎわいを見せていた。販売開始の11月27日には駐車場が満杯になり、この部屋に入りきれない人も出たほどだったという。今年は感染症対策のために「じねんじょ祭り」というイベントは中止になったのだとか。

 

 私は自家用なもので、お正月用として等外の1400円のものを買ってみた。

 

 これは、私のお友達からいただいたもの。売り物にはならないものらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「庄松いわく また生えにゃよいがのう。角があるまんまと聞こえなんだか」という、小砂説教所跡にあったお皿の言葉から。京都から名僧と評判の御使僧が来られたので、庄松さんもお参りしていた。すると、お説教を聞いていた隣の人が、涙を流して「いやぁ、今日のお説教はありがたかった。おかげで日頃の邪見の角が折れたわいなぁ・・」とつぶやきながらお念仏するのを、そばで聞いていた庄松さんの一言。「また、生えにゃよいがのぉ。わしは角があるままのお助けと聞いたがのぁ」と・・。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」という他力の大悲におまかせしてみると、悪業煩悩の角があるままお助けに預かっている悦びがある。凡夫のままに救われていく世界を庄松さんは感得されていたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山里の誰も通らぬ落葉みち

2020年12月02日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は5.0度から15.4度、湿度は92%から66%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の3日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 血圧110/67 脈拍78 体温36.3度、酸素96%、体重61.6Kg、室温16.8度、湿度50%、気圧1028hPa 体調に変化はない。ただ、夜中に何度もトイレに起きるので寝不足かでねむたいし、肩こりの痛みは消えない。

 

 で、ケアマネさんからは寒い時期の散歩は禁止されているのだが、今日は暖かそうなので集落内散歩をやってきた。約2Kmの30分ほど。全く人にも車にも犬にも猫にも出会わない。

 

 で、今日は県立病院の泌尿科の予約診察日。一ヶ月前の「フルムーン日本縦断新幹線旅行」の前に、おしっこが出ない・・ということで診察を受けて、その一ヶ月後検診ということだった。

 

 ま、旅行も無事に終えたし、旅行では少しばかり体重も増えたけれど、今は正常に落ち着いている。

 

 旅行中に何事かあるといけないというので「頓服」なるものを処方されていたが、それを使うこともなく旅は終わった・・・ということを報告しておいた。で、泌尿器の診察はおしまい。

 

 最近は、サルの姿を見かけないと思ったのだが群れ外れだろうか、ご近所の田んぼの柵で遊んでいた。そろそろ、山の食べ物がなくなってきたので、下界へおりてきたのだろうか。

 

 防災無線の工事である。これも、旅行前には電柱は立てられていたのだが、工事はストップしたままだったのだが、昨日からようやくぶりにスピーカー設備の工事が始まった。

 

介護用のベッドである。その点検が何ヶ月かごとにある。ボルトの緩みや可動状況なんぞをチェックするのである。表向きには私は元気そうにはしているが、その実は「要介護2」というランクなのである。

 

 歩いたり走ったりはできない身体なのである。だからケアマネさんも散歩は禁止だというのだが、じっとしていれば歩けなくなってしまいそうなのだ。寝たきりにでもなれば、それこそ動けなくなってしまいそうな気がする。

 

 で、ボルトの締め直しやチェックをしていただいて点検終了。早くも「どうぞ、良いお年を・・」と言って帰られた。ふむ、そういう時期になってしまったのか。

 

 これは今日のおやつである。寒くなったと言いながら、エアコンをつけてアイスクリームを食べるのだ。今日は「白くまくん・いちごがおいしい」である。

 

 真宗興正寺派、東讃第1組・正行寺(しょうぎょうじ)さんである。

 

 今日の掲示板はこれ。「なんでもない今日に感謝できる人は本当の幸せを知っている」というもの。いつもお世話になっている正行寺さんの掲示板からである。小澤竹俊さんというホスピス医の書いた「今日が人生最後だと思っていきなさい」という書物からの言葉である。何でもない今日に感謝するというは、簡単そうだが非常に難しいことだ。人間はじっとしているとすぐ傲慢になる。すると「当たり前」という意識が自分の中にはびこってしまい、ついつい「感謝の念」を忘れがちになってしまう。だから、毎日当たり前のように感謝ができるようになるまで、ひたすら繰り返すことが大切だというのである。なかなかに「今日が人生最後の日だ」とは思いにくいが、ある日突然、その日が来ても後悔しないように、自分にとって何が一番大切なのか、時間があるときに考えてみることは大切だと思う。突然その日がきてしまったら、もう遅いのだから。

 

じゃぁ、また、あした、逢えたら、いいね。


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