まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

たんぽぽは山辺に一人座禅する

2021年03月16日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇っていた。夕方からは雨の降る所があるらしい。気温は9度から17.2度、湿度は94%から62%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の17日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 112/65/82 36.4c-97% 64.4Kg 17.9c-46%-1015hPa 数字的には問題ないが、なぜだかおなかが張るような感じが続く。

 

 で、朝方には集落一周の散歩をやってきた。歩かないと歩けなくなってしまいそうだし、ますます運動不足が深刻になるようで。でも、何も変化がない集落だから気分転換にもならないような。

 

 このあたりの水田も稲作は行われて居らず、年に何回かトラクターが走り回って雑草を生やさない程度の管理になっている。やがてには耕作放棄地になるおそればかりだ。

 

 我が家のアジサイに若芽が吹き出してきている。世話もしないし水もやらないのに元気なことだ。

 

 これは何かと言えば・・・ペースメーカーである。四年前の今日、私の左胸に、このペースメーカーの植え込み手術が行われた日、つまりはペースメーカー植え込み記念日ということになる。別にそんな記念日を作らなくてもいいのだけれど。

 

 でも、私にしてみれば、これは重大な決心、決意が必要だった日。本当のことを言えば、こんなものは入れて欲しくはなかったのだ。けれども、二度にわたって、私の心臓が突然に止まってしまって大騒ぎになって、やむなく、本当にやむなく、同意するしかなかったのだ。そういう悔しい記念日。

 

 さて、お次は何をしようかと考えたとき、原点に戻って考えようと、観光ガイド自体のお勉強をやりなおそうではないか・・・ということで、「ガイド手習い帳」なるものを作ってしまおうということにした。

 

 なんでもやってみるものである。失敗したらやりなおせばいいだけのこと。やらないで後悔するよりかはずっといい。

 

 私たちは「養成講座」ということで13コマの講義を受けてガイドになったけれど、ガイド講座というのは1コマだけ。あとは歴史やおへんろ学みたいなことばかりだった。だから、基本の基本が理解できていないのだ。

 

 今日のお昼もおうどん。一見してラーメンに見えるけれど富山の氷見うどんである。卵とじ風になっている。朝食抜き、お昼は軽くおうどん、夜もご飯を少しばかりと小食なのに体重がぐんぐんと増える。食べないのがいけないというのだが、食べたくないので困っている。

 

 最近、巣箱にこういう鳥が遊びに来るのだが、鳥に関しても詳しくない。スズメやカラスくらいはわかるのだが、こういう小鳥は全く記憶の引き出しに入っていない。

 

 ということで調べてみたら、「ヤマガラ」という鳥らしい。 全長14cm。背・翼の上面は灰色、腹は褐色。頭は黒色と白っぽい淡い褐色の模様。体の大きさに比較し頭でっかちで、尾は短め。主に日本に生息し、中国の一部、朝鮮半島、済州島、台湾などでも繁殖しているらしい。日本では小笠原諸島を除き、ほぼ全国に分布するということだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「一輪の美しい花には誰もが足を止めるでしょう。しかし、それを咲かせた春風には誰も気づきません。私はそんな被災地の春風でありたい」というもの。現地で移動式喫茶店「カフェ・デ・モンク」を営み、人々の心に寄り添った通大寺住職・金田諦應さんの言葉からである。

 「息子さんを亡くしたという、あるご年配の方のご自宅に伺った際のことは忘れられません。仏壇の遺影に手を合わせると、その横に〝お父さんへ〟と書かれた手紙が置かれているのに気づいたのです。事情を尋ねると、息子さんの幼い娘さんが亡き父親の誕生日に送った手紙だといいます。そこにはこう書かれてありました。「生きていれば45歳だよ。3月10日の日にお父さんにお帰りって言ったのがうちらの最後の会話でした。最後にありがとうって言いたかった。……お父さん、いまどこにいますか。家に帰って来ているなら、たまに何か合図を出してね」この後、私は手紙を書いた女の子と避難所で会うことができました。屈託のない笑顔で遊んでいるところでしたが、私がそっと近づき、「大変な思いをしたね」と声を掛けると、みるみるうちに表情が強張り、外に駆け出して行ってしまったのです。もう夜も遅い時間でしたが、闇の中にすっと消えていく彼女の寂しい後ろ姿は、いまでも眼に焼きついて離れません。被災地では、そのような深い悲しみの現場に幾度となく立ち会います。その度に私は、もしかすると人の悲しみというのは、他人が支えてあげることなどできないのではないかという、暗澹たる思いに駆られるのです。しかし、それでも目の前に苦しんでいる人々がいる限り、私は宗教家としてその悲しみに黙々と向き合い続けていきたい。『一輪の美しい花には誰もが足を止めるでしょう。しかし、それを咲かせた春風には誰も気づきません。私はそんな被災地の春風でありたいと思うのです。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


ひたひたと寒さしのいで咲く桜

2021年03月15日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は7.5度から17.1度、湿度は88%から42%、風は3mから1mの西の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、夕方からは雨が降る見込みらしい。

 

 110/73/85 36.3c-96% 64.2Kg 14.1c-46%-1019hPa 体調に変化はないが、体重が微増しているし、おなかまわりが大きくなってきたように思う。

 

 娘も奥方も、「そのおなかは変よ。病院に行きなさいよ」というので、いつもの県立病院に行って来た。去年の今頃のように尿道が詰まって、おなかに水が溜っているのではないかということからだった。

 

 で、泌尿器科の診断を待つことにした。確かに尿が出ないように思うし、おなかが大きく膨れているように思うし、足もむくんでいるようにも思えたからだった。

 

 ドクターは平然として、「じゃぁ、エコーで調べますね・・」と、チョンチョンと器具を当てて、「どうもありませんね。これは水分じゃないです」という。「じゃぁ、これは何ですか」と言うと、「さぁ、内科で聞いて下さいな」ということでチョン。診察終了・・・。1,210円。

 

 そんな簡単に言われて終わったので、念願でもあった「耳鼻咽喉科」の診察を受けることにして、今度は「さぬき市民病院」に向かった。というのも、テレビの音声がほとんど聞こえないし、奥方の言葉の聞こえない。何度も聞き返して叱られる。それだし、県立病院には耳鼻咽喉科がないからだった。それに、眼科で白内障の手術を受けたとき、耳鼻咽喉科は誰も来ないでひっそりとしていたからだった。

 

 ところがだ、今日は月曜日で外来診察の日だから、耳鼻咽喉科だって大勢の患者さん。そうか、私たちは「予約診察」で火曜日の午後からだった。ここは火曜日は休診日だったのだ。

 

 耳鼻咽喉科では耳掃除と耳の点検をしただけで、今度は「生理機能検査室」へ回された。さすが月曜日。廊下には大勢の患者さんが待っている。

 

 検査室では聴力検査が行われてピーピー、ピコピコという電子音を聞かされて聞こえたら手でスイッチを押して合図する。

 

 結果、「お歳ですねぇ・・」「これ以上聞こえなくなって、補聴器が欲しくなったら、その前においでてくださいね」ということでチョン。診察終了。850円。

 

 「今日はカレーを食べておいてね」と言われていたので、お惣菜の野菜サラダを買ってきて、それをうどんの上に載せて、「カレーうどんサラダ風」。

 

 この前から、「タブレットは不要でしょ、使いこなせていないんだから」と、奥方にやかましく言われていたので、今度はスマホにしようと、WEBで「来店予約」をしようとしたら、今月一杯は無理・・と出たので、そんなことはあるまいと、ドコモショップにやってきた。でも、あえなく門前で、「今月は無理です。来月にするかよそのお店にいってください」と冷ややかな対応。なんでもかんでも新型コロナのせいにして入店予約などせんでもええでしょ。

 

 仕方なく、WEB上から来店予約をせざるを得なかった。今日は「撃沈」「撃沈」「撃沈」の連続三撃沈。ま、そんな日もあるさ。

 

 帰りに近くの県立大川ダム公園に寄ってみた。今日の暖かさで、数輪の桜の花が開花していた。でも、本格的な開花はしばらく先みたい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「なかなか芽を出さぬのは、最も重要な根を広げている時なのだと知る」と言う、瀧本 光静さんの言葉から。竹ってどんなイメージがあるだろうか。竹は、4年間は全然伸びていないのに、5年後に一気に伸びるのだと言う。では、最初の4年間は何も変わっていないのだろうか。そんなことはない。では、いったいどこが成長しているのだろうか。実は4年間は「根」が成長しているのである。まず、しっかりと根を張ることで、太く長い幹を支える基盤をつくっているのである。そして、しっかりとした基盤が出来たとたんに一気に伸びていく。根がしっかりしているから、あれだけ長くても大丈夫なのである。竹やぶがあるところの地盤がしっかりしているというのは、地中に張り巡らされた「根」によるものなのである。人はともすると目に見える部分だけで判断してしまいがち。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


沈丁花浮かぬ顔する郵便夫

2021年03月14日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は6.5度から15.4度、湿度は80%から56%、風は5mから1mの西の風が一時は強かった。明日の14日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 114/79/80 36.5c-98% 63.6Kg 18.8c-45%-1018hpa 思い出して利尿剤の頓服薬を飲んでみた。それで幾分かはおなかが楽になり、身体も楽になった。やはり、泌尿器科に行くべきか行かざるべきかを思案中。

 

 今日はホワイトデーらしいが、今年はホントに何もない春。バレンタインデーもなければひなまつりもない。おそらくお花見もこどもの日も、6月20日の誕生日にも何もない筈。お年寄りだからと言ってしまえば身も蓋もない。

 

 朝の間、風が強かったもので散歩に行こうか大窪寺へ行こうかと思案しながら、ついつい、いつもの「知られざる大窪寺マニュアル」の追加記事をまとめていた。もう、大窪寺だけでなく、その前後のへんろ路にまで及んできた。

 

 これは、四国霊場の総奥の院だとされている與田寺である。そこまでガイドしなくてもよさそうなものだが、教養科目みたいなもので追加しておいた。

 

 我が家のジャスミンの花である。一時期は伸びすぎて切ってしまおうとしたのだけれど、奥方の猛反発にあってそのまんま・・・。

 

 さて、私はPC派、パソコン主流派でスマホなんぞは持っていない。それなのに、インスタグラムからお誘いがどんどんと来る。パソコンからは皆さんの投稿を見ることはできるのだが、こちらからの投稿はできない仕組みになっている。

 

 でも、なんとかしないとまずいぞ・・ということで、あれこれと調べてみた。右上の「設定」から、「その他のツール」を選び、「デベロッパーツール」を起動する。すると、スマホ画面が現れる。

 

 次に上のマークを選び、再度、ログインしなおす。

 

 すると、スマホと同じ画面になるので、ここから「プラスマーク」を選ぶと投稿画面になる。

 

 で、投稿してシェアすると投稿完了となるらしい。

 

 うむ。まずは試験送信はOKのようだ。なるほどなるほど。実は「iPad」のタブレットがあって、ここからはインスタに投稿できるのだが、重くて面倒だからとほとんど使っていないのが事実。外出時にはこれを持って出掛けるのだけれど。

 

 で、お天気もいいので、集落内散歩をやってきた。少しずつだが足慣らし、身体慣らしをやっておかねばと。

 

 今日のお昼もお寿司で、四食続けてのお寿司ばかり・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「思い通りにしようとする心が苦しみを生む」というもので、町内の善楽寺さんにあったものから。私たちは自我があるので皆、思い通りにしたいという心を抱いている。この思いが強ければ強いほど、思い通りにいかなかったとき、腹が立ち、怒りがわき起こる。苦しみもわき起こる。苦しみの原因は、自分の思い通りにならない自我が起こしているのである。そのことに気づいていたら、苦しみの原因がわかれば対応できるのである。自分が正しい、お前は間違っていると強 く言えば、相手は傷つく。そういうときは控えめに話した方がいい。少しでも相手を思いやる心があった方がいい。「正しいことをいうときは少しひかえめにするほうがいい、正しいことをいうときは相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい。」吉野弘「祝婚歌」より

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


雨垂れにそっぽ向いてる沈丁花

2021年03月13日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇り、昼前は雨の降る所があったが、午後は高気圧に覆われてくるため次第に晴れてきた。気温は11度から14.9度、湿度は90%から60%、風は1mから6mの西北西の風が一時は強かった。明日の14日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 111/61/78 36.3c-96% 63.8Kg 16.2c-46%-1012hPa 数字的には問題ないが、最近はすこしばかりおなかが張るような印象。またぞろ、尿が溜り始めたんだろうか。

 

 今日は朝からひどい雨だった。こう言うのを「促花雨(さいかう)」というのだとテレビのアナウンサーがしきりに言っていた。開花を誘う春の雨を「促花雨」というのだそうだ。そうそう、昨日、広島では桜の開花宣言があったらしい。だから、桜の開花宣言が各地から聞こえてきそうな時期になった。

 

 その雨も10時前には静かになったので、燃えるゴミや不燃ゴミの片付けをやっておいた。

 

 で、10時になったので隣町にあるさぬき市図書館に行って来た。この前に借りた長尾町史を返却するためだった。

 

 で、なんとなく、こういう本を借りてきたが、少しも参考になるところはなかった。ありふれた、通り一遍の紹介記事しか書いてなかったのだ。

 

 その後、スーパーで食材や飲み物を買ったり、銀行で通帳記載なんぞをやってから、近くのダム公園に行ってみた。ようやくに桜の蕾に赤みが差してきた。

 

 これくらいになると開花が近いかなぁと期待を抱かせる。

 

 今日のお昼である。奥方は料理を考えるのが面倒になると、こういうお寿司を作ることになる。だと、お弁当にもなるし、同僚へのお土産にもなるし、旦那の昼食、夕食にもなるし。昨夜はにぎり寿司になっていた。

 

 お昼を過ぎると晴れ間が出てきたが、依然として風は強い。集落内散歩にでも行こうかと考えたが、今になって肺炎にでもなれば、これまたおおごとだと諦めた。

 

 この記録もそろそろと更新だなぁと思っているのだが、この書類の入ったフォルダーが見つからない。このマシン室だけでもパソコンが6台あって、それぞれに固定ディスクが付いている。パソコンが壊れた時用に、パソコン本体にはデータは置かないようにして、外付けディスクに保管している。

 

 だから、どのパソコンの、どのディスクに保管したのかが分からない。それをあれこれと探し回って、ようやくにフォルダーを見つけ出した。見つけ出したのだけれども、去年の4月に更新した書類だから修正するところがない。何をやってるんだろうかと、自分ながらにあきれ顔・・・。

 

 うーむ。これらのデータをいかように調理しようかと考えるばかり。いまさら自分史をまとめるというのも面白くないし、自分史をまとめるほどの内容があったわけではない。飲んで騒いで・・ばかりの人生であったような、ないような。

 

 さてさて、今年の夏休みの自由研究は何をしようかと考えていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は楽ではない そこが面白いとしておく」という武者小路実篤さんの言葉らしい。いつもお世話になっている、町内の善楽寺さんの掲示板から。

 

 こういう、画文集のタイトルである。器の中で寄り添うカボチャ、トマト、タマネギ、ニンジン、ピーマンの絵に「仲よき事は美しき哉」と書いてあった記憶が残る。カボチャとトウガンを並べて書いて、「君は君 我は我也 されど仲よき」なんていう言葉もあった。変な画家だなぁと思ったものだが、武者小路 実篤(1885~1976)が高齢になって描いた絵と文には何だかホッとさせられたもの。80を過ぎてからは作品に年齢も記載するようになった。「もっと働きたい」(88歳)、「桃栗三年 柿八年 達磨は九年 俺は一生」(89歳誕生日)・・・。人生そう簡単にはいかない。だからこそ面白い。なにもかもが思い通りだったとしら、どれほどつまらないだろう。私ならば、「桃栗三年 柿八年 暁光大馬鹿七十三」う~む。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


覚えたてうまくは歌えぬホーホケキョ

2021年03月12日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていたが、昼過ぎからは雨になった。夜は雷を伴う所がある見込みなのだとか。気温は7.5度から13.9度、湿度は94%から64%、風は1mから5mの東北東の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市地方は、低気圧の影響で未明は雨が降り、明け方まで雷を伴う所がある見込み。その後は、寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 110/50/79 36.2c-97% 63.2Kg 19.0c-41%-1028hPa 体調に変わりはない。

 

 昨夜のことである。Facebookの友人の「にころこ」さんから娘の家に電話があったらしい。というのも、Facebookを些細なことからお休みをしている。もちろん、こうこうかくかくしかしかだからと理由を書いてお休みしますと書いたのだけれど、それを見ずに、「入院でもしたのでしょうか」と娘に連絡してきた。それを娘が奥方に「どうしたのよ!」とお叱りの電話があったらしい。だからすぐさま、メッセンジャーでお詫びしておいた。

 

 3月10日は語呂合わせで「砂糖の日」だったらしい。3月11日はパンダ発見の日だったらしい。で、今日3月12日は語呂合わせで「さいふの日」らしい。で、明日の3月13日は、その形から「サンドイッチの日」らしい。ま、どうでもいいことだけれど。

 

 朝の晴れている間に集落内を散歩してきた。たまには動かないと歩かないと歩けなくなってしまいそう。足の筋肉がずいぶんと弱ってきているみたい。寒いからと室内ばかりだったし車の移動ばかりだったし。

 

 これはお隣さんちの「侘び助」である。ここもご主人が数年前に亡くなり、奥さんも介護施設に入ってしまったので、ここも空き家になってしまっている。

 

 歩いていたら、こんな光景を目にした。イノシシが掘って掘って荒らしたまんまになっている。ま、イノシシは後片付けまではしないのだけれど。

 

 するとこれだ。タケノコを掘って食べているのである。昨年は裏作だったのか、こんな光景は目にしなかったのだが、敵もさるもの。すばやく見つけて掘ったらしい。

 

 こういう具合に数カ所でタケノコを掘って食べている。イノシシ用の仕掛け網はあるのだが、それには見向きもせずにタケノコだけを食べている。

 

 今年は早いのか遅いのか、ようやくにつくしの姿をみることができた。

 

 で、今日もお昼はおうどんである。黒いものは椎茸である。たまごも入っている。

 

 これは普通のさぬきうどんである。特にどうということもないおうどんである。

 

 昼からは、しつこくもまた、「知られざる大窪寺」シリーズの続編に取り掛かった。探せば話題は幾らでも出てくるというものだ。昔のお遍路は、こんな草履で歩いたらしい。草履は半分しかなくて、かかとは地面についたまんまだ。「半中」とか「足半(あしなか)」という草履である。最近はダイエット用にも流行っているらしい。

 

 大窪寺前のうどん屋さんがやっている「アジサイ園」や「しゃくなげ園」の話題も追加しておいた。その他にも「龍」にまつわる話題や、「袖もぎ峠」の妖怪の話なども含めて。

 

 今日の掲示板はこれ。「頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかです」という石川真理子さんのことばから。

 頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかである。
 目の前の一歩をとにかく大切に
 「遥かな山の頂上を眺めて、とてもじゃないけれど、これは登れないと言っているわけである。てっぺんばっかり見て踏み出したら、転ぶかもしれない。大事なのは、その頂上に続く目の前の一歩を、どんなふうに踏み出すか。できる限りの最良な一歩を踏み出すことに心を砕きなされ。その日その時々により良い一歩を重ねることが、いつしか高みへとおのれを導いていくのですから」 話題になった書籍「女子の武士道」である。著者の石川真理子さんのおばあさんは、武士の娘であり、そのおばあさんが真理子さんに教えた言葉五十五が紹介されている。その中の引用からである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ぼったりと落ちてなお咲く藪椿

2021年03月11日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷の影響で曇る見込み。気温は3度から13.6度、湿度は84%から48%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の12日のさぬき市地方は、気圧の谷や低気圧の影響で曇り、午後は雨が降る見込み。夜は雷を伴う所があるらしい。

 

 108/61/79 36.4c-98% 63.8Kg 18.2c-42%-1034hPa 体調に変わりはないが、足がしびれるようで歩きにくい。

 

 今日は3.11東日本大震災から10年の節目の年。半旗掲揚、黙祷。

 

 朝、私の布団を干そうとしたら布団はさみが壊れてしまった。10年も使えばプラスチックはもろくなって簡単に折れてしまう。

 

 風が強いと毛布や布団がふっとん(ふとん)でしまう。そのために、こうしたふとんはさみが必要になる。

 

 こちらのお店ではデスクマットを買った。先のお店では事務用品がすくないのだった。

 

 こういうものを置くとお仕事をやっている雰囲気になるからと、あえて使わずにカレンダーの裏側なんぞを使ってきたのだが、紙だとどうしても汚れたり傷んだりしてきたなくなってしまう。

 

 今まではこういうことで、カレンダーの裏側を敷き詰めていたのだが、どうにも、あちらこちらで傷みが目立ってくるようになった。

 

 そこでデスクマットに敷き替えたのである。これだと少々お茶をこぼしても汚れたりはしないだろうと。

 

 今日はまたまた、富山の氷見うどんの細麺を湯がいてみた。そうめんのようだがおうどんである。氷見(ひみ)うどんは、富山県氷見市周辺の郷土料理で、作り方は稲庭うどんと同じで竹によりながらかける手縫いで、油を塗らない。ルーツは輪島のそうめんで、1751年(宝暦元年)に「高岡屋」が輪島から技法を取り入れて作り始めたとされる。

 

 昼からは、お布団を干したので、介護用ベッドを持ち上げて、その下の掃除をやっておく。

 

 どうしてもベッド下側にホコリがたまり、大きな綿ぼこりになっていることがたまにある。

 

 そこで、掃除機を差し込んでホコリを吸い取るのだが、これがなかなかに簡単にはいかない。あちらに当たり、こちらの金物に当たりと、きれいにはならない。

 

 今日の掲示板はこれ。「こころみち足りたとき いつ死んでもいいと思う こころみち足りたとき いつまでも生きていいと思う」という木村無相さんの言葉から。時々、このあたたかいベッドの中にくるまれて、「もうこのままコトッて死んでもいいかな~」って思うときがある。奥方は「意地でも長生きしてちょうだい」とは言うけれど、心が満たされていて、穏やかな状態、幸せだと思える瞬間ていうのは、命がこのまま終わったとしても、続いたとしても、どちらでも受け入れられる心境になれるような気がする。でも、そんなふうに思えるようになったのも最近になってから。一昨年の秋から今年の二月にかけて、香川医大付属病院で治療を受けていた頃は、精神的にも一番辛くて、あまり振り返りたくないなぁと思うのだけれど。そこを乗り越えたから、今があるのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


春風に揺れる花有り芽吹く葉も

2021年03月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は7.5度から16.4度、湿度は84%から52%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 106/71/81 36.4c-97% 63.8Kg 20.1c-42%-1028hPa 体調に変わりはない。

 

 ようやくに我が家のハクモクレンも開花した。咲くとなると一斉に花が開くものだ。朝の間、自治会長変更のための書類作りをやっていた。一時期、全国のハンコ屋さんが潰れそうな話だったのだが、押印、氏名押印と相変わらず役所はハンコ行政をやっている。その合間に洗濯ものを干しておく。奥方の布団も干しておく。

 

 10時過ぎになって、市のパッカー車がプラスチック屑なんぞを回収して帰ったのを確認してから、空き缶を回収場へ運んでおいた。緑の袋がアルミ缶で、黒色が雑缶である。我が家のビール(ノン・アルコール)缶を潰すようになってからは、これだけになった。

 

 一昨年あたりは、このコンテナ三個分に、我が家の空き缶が盛り上がったもの。それがぐんと減ってしまった。だから、集落内の方がたが、「どしたんなら、飲むのをやめたんな」とか、「身体の調子がよくないんかいな」などと心配してくれている。単に空き缶を潰しているだけなのだ。

 

 実は、こういう器具に空き缶を挟んで、足でこれを踏み込んで潰す。

 

 だと、一発で、こんなにぺっちゃんこになる。

 

 だから、体積はぐんと減るという寸法である。

 

 それが終わると、今度は歯医者さんである。下の入れ歯が合わなくなっているので、入れ歯を作り直すというのだが、これがなかなかに進まない。そうそう、ここまで来て、財布がないことに気がついてユーターンして我が家に戻り、財布を探してまたここまでやってきて・・・と、情けない話である。

 

 肩こりがひどいときには歯茎が腫れていたものか、どうにもしっくりと来ない。で、型を取るのが二度や三度ではない。もう、うんざりとするほどだ。

 

 で、今日も型を取り直して、今度はまた二週間後に高さ調整をするというのである。その間に、ほかの歯の調子が悪くなったりして・・・。

 

 歯医者が終われば、近くにある大川公民館に向かって民児協の定例会。今日は昼食時間がない。

 

 民生委員・児童委員の定例会ということで、毎月の第二水曜日の午後からの集会になっている。これはどういうわけだか、コロナ禍になってからも一度も休んだことがない。

 

 で、役所からのお願いごとやら連絡事項の伝達がおもな内容。これが13時半から15時まで。

 

 それが終わると、お布団のかたづけやら洗濯物の取り込みやらを済ませておく。窓という窓は全て開放してあったのを全部閉めて回る。

 

 今日の掲示板はこれ。「砂をしぼっても水は出ぬ わたしをしぼっても信は出ぬ 真実信心 むこうから」という放浪の真宗詩人『念佛詩抄』木村無相著よりの言葉である。木村無相さんは、熊本県出身で複雑な家庭環境の中、少年時代を朝鮮半島や中国大陸で送ったが、17歳で単身帰国。このころから宗教に対する関心を深め、京都の一燈園で過ごしたこともあったという。その後、職業を転々とし、流浪の身になった。仏道を歩もうと決めたのは、2度の自殺未遂を経て、26歳からの4年間を過ごしたフィリピンの開拓地だったという。その後、四国などのお寺に世話になりながら放浪の生活を続けた。種田山頭火と親交を結んだのは30歳過ぎのころ。山頭火の俳句が好きで文通を続けていたところ、山頭火から「あなたをお訪ねします」との返信があった。二人は1週間ほど、愛媛のお寺で寝起きを共にして、杯を傾けながら俳句や旅について語り合ったという。その後、二人が出会うことはなかったが、放浪の旅に救いを求め続けた二人の詩人が触れ合った一瞬だった。救われがたい我が身の心境が信仰に向かわせたのか、70歳前に出版した詩集『念仏詩抄』(永田文昌堂)には「砂をしぼっても水は出ぬ わたしをしぼっても信は出ぬ 真実信心むこうから」など、凡夫の自覚に満ちた詩がつづられている。無相さんの心の闇が何であったかは分からなままだが、無相さんは亡くなる前、親しい友人に「結論はなんにもいらんのや、凡夫なりに信心も安心もなにもないまま、凡夫のままで死んでいけばよい」と語っている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


晴れて良し曇っても良し山茱萸

2021年03月09日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は3.1度から12.6度、湿度は88%から62%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の10日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 113/72/79 36.3c-98% 63.6Kg 17.4c-43%-1028hPa 体調に変わりはない。

 

 今朝は久々の霜の朝になった。でも、あっという間に霜は消えてしまった。

 

 今日は奥方がお休みの日なのだが、朝からずっと畑に入って草引きに余念がない。静岡や神戸でアパート暮らしをやっていたので、結婚するなら土地付きの人と・・ということでこちらにやってので、時間さえあれば畑仕事をやっている。

 

 私は近くのダム公園まで歩いてやってきた。寒い間は散歩は禁止ということで、今年初めてのウォーキングでのダム公園である。

 

 よくよく見れば、蕾の先がピンク色になっている。いつの間にか開花の準備をやっているではないか。これでは来週あたりが楽しみだ。

 

 で、慌ただしく準備したのがこれ。奥方のお休みの日はおうどんかラーメンかお好み焼きかになる。で、これを食べ終わると、片付けもそこそこにして畑にもぐり込んでしまった。

 

 さて、昨年2月には治療不能と言われ、最後通告を受けたもので、大急ぎでこのエンディングノートを書き上げた。

 

 私がいなくなれば、この税金はどこのものなのかが分からなくなるので、我が家の固定資産台帳も整理した。

 

 このように、農地や畑や山林や宅地などがすぐ分かるように整理しておいた。そして、田んぼ一枚ごとに、場所と写真と税金の金額なども一目でわかるようにした。

  

 これは、私の闘病日記兼バイタルサインの一覧表でもある。これで、私の病歴なんぞもよくわかるようにしておいた。そうこうしていたら一年が過ぎた。

 

 余力で、観光ガイドのマニュアルも作ってしまった。

 

 そうそう、先にはこういう論文集もまとめておいた。で、はたと困った。当面のやること、やらねばならないことを片付けてしまった気がしてならない。これから先、私は何をすべきなんだろうと・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「老いることは怖いことではありません。それよりも目標を失うことが怖いこと」という、村上和雄さんの言葉からである。同じように、「老いは怖くない、目標を失うのが怖い」と言ったのが、80歳でエベレストに登頂に成功した登山家の三浦雄一郎さん。「自分はもう年だから」という人がいる。そこで全てを諦めてしまい、目標や生きる目的すら失ってしまう人。結果、脳は弛緩し続け鬱状態にまでなってしまうらしい。よくある高齢性の脳疾患はこの目標や生きる目的を失う事で発生確率は高まるらしい。常に高い目標と明確な生きる目的を持って生きる事。目標設定のポイントは高過ぎず、努力すれば可能なラインにする事。「不可能感」は逆効果だからである。他人の人生を生きているわけではなく、他人がどうあれ、あくまでも自分の人生。自分に合った目標を設定する事だと三浦さんは言う。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


春雨の若芽を濡らす音静か

2021年03月08日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は6.9度から13.0度、湿度は88%から58%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の9日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。9日朝は霜に対する農作物の管理に注意するよう呼びかけている。

 

 114/60/79 36.4c-97% 63.2Kg 20.9c-44%-1028hPa 体調に変わりはない。

 

 なんだかんだのと言うている間に、チューリップの葉っぱがこんなにも伸びてきた。伸びてきたが、まだ花芽は全く見えない。

 

 これが奥方の植えたジャスミンの木である。いや、奥方がそういうのだからジャスミンかなぁと思っているが、これが先月の西風で反対側に倒れてしまって玄関に入れなくなってしまったことがある。

 

 その時には、「叩き切ってやるぞ!」と思ったものだが、こういう花が咲くと可愛いなぁと思ってしまう。香りもいいらしいのだが、私の鼻は「花音痴」なので、何も香ってはこない。

 

 朝の散歩の時、橋の欄干の基礎台に、こんなものを見つけた。

 

 そう、つくしである。私はどうしても「土筆」という表現が受け入れられない。つくしは「つくし」で、漢字のつくしは似合わないと思う。

 

 我が家のハクモクレンがようやくに開花の準備を始めている。我が家は山の中だから気温が低く、開花が遅いのやも知れぬ。

 

 食後に、東かがわ市にある湊川沿いの土手に行ってみた。昨日は、ここが通行止めになって歩行者天国になっていたらしい。このあたりでは有名な観光スポットになっているらしい。昨年には露天や模擬店も出て、さくらまつりみたいなことをやったらしいが、今年は感染症対策でやめになったらしい。※ドライブレコーダの画像のコピー

 

 ここ何年かは病院暮らしになったために、そういうイベントがあったことすらも知らないでいた。今年も「ボーっと生きていた」のかも知れない。もう、緑の葉っぱが見えるようになってきた。

 

 しかしのかかし、日本人は桜の花が大好きみたいで、今日も平日だというのに駐車場はほぼいっぱい。多くの方がスマホやカメラを片手に集まっていた。

 

 今年はソメイヨシノの開花も早いと天気予報では言うていたが、我が家の近くのダム公園の桜はまだまだ蕾。開花の気配は全くなかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生この先 何が起こるか分かりません。だからこそ1日1日を大切に、感謝の心で生きたいです」という西端春枝さんの言葉から。西端春枝(にしばた-/1922年-/女性)は、ニチイの創業者の一人として知られる元実業家、大谷派浄信寺副住職。 戦後、夫婦で行商などを行い、大阪で衣料品店「セルフハトヤ」を開店。その後、衣料品店「赤のれん」、卸問屋「エルピス」、「ヤマト小林商店」の4社が合併し株式会社ニチイ(後のマイカル)を設立。社長には夫の西端行雄が就任し、自身は人事部長や研修部長などを務めた。大谷派浄信寺副住職として講話活動なども行っているほか、大谷学園理事、商業界全国女性同友会名誉会長、商業界近畿女性同友会会長、日韓女性親善協会関西支部会長、雑巾を縫う会会長、自立人間をめざす会大阪名誉会長などを歴任。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+致知)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


蕗の薹とぼけた味のお茶である

2021年03月07日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。気温は6.5度から11.7度、湿度は78%から60%、風は3mから1mの東北東の風が少しばかり。明日の8日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇るらしいが、次第に高気圧に覆われてくるため、昼前から晴れてくる見込み。

 

 113/63/79 36.5c-98% 63.4Kg 20.3c-45%-1028hPa 体調に変化はない。肩こりは気にならなくなった。

 

 今日は久しぶりに、何年かぶりに香川県立図書館にやってきた。正面に見えるのは香川県立文書館である。公文書なんぞが保管されている建物である。

 

 その手前側にあるのが香川県立図書館である。ここも静かで人影は数えるほど。この左側は新聞閲覧室や雑誌、文庫本などが置いてある区域である。

 

 で、今日、借りた本はこういう本であるとか、

 

 とか・・・、

 

 こういう本である。こういう本を書く人も書く人だし、こういう本を作る人も作る人だし、こういう本を借りる人も借りる人だと思うばかり。

 

 それはそれとして、今度は大窪寺周辺に残る伝説や伝承、昔話などを集めていた。それを集めてスキャナーで読み込んで電子化する。

 

 それを、「One Drive」というクラウドに投げ込んでおけば、いつ、いかようにも調理できる。

 

 でも、よくよく調べてみたら、同じ事を何回もやっているのである。同じ本を何回も借りて忘れてしまってまた借りるのである。だから、似たような話が幾つもクラウドの中に溜っているのである。そんな無駄足を踏みながら、人は歩き続けていくのである。

 

 そうそう、先の年表で分かったこと。お寺の縁起に書かれているような年代よりも遅くに大窪寺は建立されているし、長宗我部元親軍が讃岐に侵攻する前に、大窪寺は兵火に遭って焼失しているのもわかった。やっぱりなぁと思うのだが、これは見て見ない振りをする。お寺の歴史を代えてはいけないのだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に「余生」などない 「与生」である」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。「定年まで勤め上げたので、余生はノンビリ過ごしたいものです」などという言葉を聞くことがある。 ところで、余生ってなんだろうか。人生の余った生ということなんだろうか。道元禅師は、「正法眼蔵」生死(しょうじ)の巻の中で、「生を明らめ、死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」と書かれている。一生をかけて求めていくテーマ「生」に余るところなどないなずなのだ。徳川光圀も「人生に余生などないぞ!」、こう言い放った一人である。一方、「与生」とは、与えられた生命(いのち)という意味である。私たちは、自分ひとりの力で生きているのではなくて、両親から生を享(う)けて、多くの人たちの愛情と善意によって生かされている存在なのである。水も空気も太陽も、自然の恵みにより与えられている。「与生を生きる」とは、そのことに感謝して生きるということ。感謝をして生きる上で最も大切なことは、今まで与えられてきたのだから、これからは「与えて生きていこう」という考え方でもある。「与生」とは、与えられた生命であるということに感謝して生きるだけではなく、与えることに喜びを見出していこうとする考え方でもある。

 

じゃぁ、また、明日、遭えたら、いいね。


迷い道春の日暮れの速いこと

2021年03月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は12度から16.5度、湿度は92%から66%、風は0mから3mの北の風が冷たかった。明日の7日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、夜遅くには雨の降る所があるらしい。

 

 109/61/78 36.5c-96% 63.6Kg 22.0c-45%-1022hPa 異常はない。ただ、眠たいばかりだ。

  

 私の当面の目標だった「あなたの知らない大窪寺」ガイドマニュアルが一応の完成をみたからか、目標が見えなくなったからか、とんと力が入らない。

 

 だから、小雨の中を大窪寺経由で長尾寺まで行って来たのだけれど、見る気がなければ何も見えないようで、何の収穫もなく戻って来た。

 

 で、昨日の続きで長尾町史から「大窪寺年表」を作っているのだが、眠たくて眠たくて作業にならない。夜中に何度もトイレに行くからかどうなのか。

 

 年表も鎌倉時代、室町時代を経て江戸時代までやってきた。日本史の復習である。そういう時代の流れの中で、長尾町の仏教や神道はどのような動きをしてきたのかをまとめているのだ。

 

 だから、こうした目薬で目を刺激しながら、休ませながらの作業になっている。

 

 例のガイドブックを読んだ人からの感想や意見が寄せられた。これを「追加版」にまとめたいと思ったものだった。こうした意見はありがたいと思うばかりだ。

 

 目薬と言えば、子どもの頃には、こんな目薬だった。上側(向かって左)の蓋を外すとゴムのボタンのようなものがあって、そこをペコペコと雄と、下側から液が出た。

 

 こういうものだった。目薬がなくなると、こどもらの玩具になったが、これをどうやって遊んだかは記憶にない。

 

 さらに、おばあちゃんは、このような貝に入った薬で目を洗っていた。この貝の中に少量の水を注いで、しみ出した液体で目を洗っていたようなおぼろな記憶である。

 

 確かに、目薬をさすときには口まであけている。口には目薬はいらないのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「災難が来ぬように祈るのが信心ではない どんな災難が来ても引き受けてゆける力を得るのが信心です。」というもの。この世は無常である。常なるものは何もない。「ゆく川の流れは絶えずして、もとの水にあらず」と言われるように常に変化している。「時間よとまれ」ということはありえない。無常なるがゆえに、一寸先は何が起こるかわからないもの。一寸先は闇。いくら一生懸命努力しても、勉強しても、頑張っても、結果はどうなるかわからない。どっちに転ぶかもわからない。どっちに転んでも大丈夫といえるものを身につけていなかったら、結果が悪かった時、とても苦しいし、辛い。仏法を聞くとは、どっちに転んでも、災難がきても、思い通りにいかなくても大丈夫というものを得ることである。災難が来ないように祈るのが信心ではない。この世は必ず、生老病死の苦しみに会うところ。祈って無くなるものでは決してない。生きていれば必ず別れや死がある。与えられたことを引き受け、それを乗り越えていくしかないのである。その乗り越えていく力を得ることが信心だというているのだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


春の雨見えぬ諸仏を濡らすまま

2021年03月05日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、低気圧や湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降っている所があった。気温は10.9度から14.2度、湿度は86%から90%、風は6mから1mの東北東の風が一時は強かった。明日の6日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇るけれど、夜は晴れるらしい。

 

 101/57/77 36.2c-96% 62.6Kg 20.5c-44%-1023hPa 体調に変わりはない。

 

 朝から雨なので、図書館で借りてきた「長尾町史」から年表を参考にしながら「大窪寺年表」というものを作ってみようと思い立った。

 

 いろんなできごとがあるのだけれど、それがこんがらがってしまうので、できごとを整理する意味での年表作りである。

 

 凝り性ではないのだけれど、こうでもしないと、物事がこんがらがって、何が何やらわからなくなってしまうからなのだ。

 

 すると、奥方が、「蕗味噌ができたけど・・」というので味見をさせてもらったが、なかなかにいい味になっている。でも、そのあとがいけない。

 

 「ねぇねぇ~ビデオちゃん。甘納豆のお店に連れて行ってよ~」というのである。そのお店というのが、高松市香川町の東谷(ひがしたに)という、香川県指定無形民俗文化財の農村歌舞伎が江戸時代から残る山間集落で、そんな農村の美しい田んぼの風景を縫うように道を進むと、煙突のでた小さな小屋がぽつんと建っており、ほのかに甘い香りが漂っている。

 

 『村瀬食品』さんは、自家栽培の豆類や鳴門金時からつくる甘納豆の専門店で、添加剤や防腐剤を使わずに、昔ながらの製法でつくられており、昔からのファンも多く、初秋から営業がはじまると遠方から車で購入しにお客さんがやって来るという。

 

 私らの前後にも、何台か車が出たり入ったりしているが、駐車場は狭いし、お店の中も狭くて二三人でいっぱいになる。

 

 東谷から塩江街道に出て、「道の駅しおのえ」でトイレ休憩。奥方は産直市場に急行。何やら野菜を買ったらしい。

 

 その後、「あんた一人で行ってはあかんでしょ」ということで、再び、樺川ダムを案内することになった。もう、だいぶ、水がたまっている。

 

 このあたりは深い谷であったように思うが、こんなものか。流木やゴミがたまらないようにお掃除をやっている。

 

 「こんな山奥へ行っても食べるとこはないわよ」というので、ここに連れて行った。ここも知る人ぞ知るお店なのだが、初めての人は戸惑うお店。あんまりきれいなお店ではない。

 

 奥方は「かやくうどん」を注文した。いまどき、「かやくうどん」というのも珍しい。私はわかめうどんにした。どちらも400円だった。奥方はおいしいおいしいを連発。私はそんなにも感じないのだけれど。

 

 今日の走ったコース。高松市香川町東谷の村瀬食品から塩江町の道の駅、樺川ダム、阿讃亭のうどん屋から大窪寺経由で我が家に戻ってきた。我が家を10時に出て、戻ったのが13時だった。奥方は大満足で高いびきでお昼寝中。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しいのは自分を中心にしているからだ」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。平野修先生(真宗大谷派明証寺住職)の言葉である。平野先生は、1943年(昭和18年)石川県に生まれる。大谷大学大学院博士課程修了。九州大谷短期大学教授。石川県松任市(現白山市) 真宗大谷派明証寺住職。1995年9月27日示寂。著書に 『浄土の問題ー世界と聚りー』(金沢教区教化委員会)、 『鬼神からの解放ー化身土巻ー』(上・下)(難波別院)、 『浄土論註講義ー論註の基礎ー』(一・二)(六道会)、 『民衆の中の親鸞』(東本願寺)『教行信証に学ぶ』(東本願寺)など多数がある。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


春の日はとぼけ上手な人になる

2021年03月04日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、午後からは湿った空気や気圧の谷の影響で、次第に曇ってきた。気温は3.5度から13.8度、湿度は90%から58%、風は1mから5mの南東の風が少しばかり。明日の5日のさぬき市地方は、低気圧の影響で曇り、午前中は雨が降る見込みらしい。

 

 111/64/79 36.3c-97% 62.6Kg 19.8c-40%-1030hPa 体調に変化はない。

 

 奥方が、「500円貯金を農協の口座に入れておいて」「それに、この前の車検の修理費、立替えておいたから払って頂戴」「家の浄化槽の点検費用も払っておいて頂戴」と矢継ぎ早に言い残して出掛けて行った。

 

 郵便局で浄化槽の点検費を払おうと振込用紙を入れるが何回やっても入らない。そこで窓口で支払ってきた。スムーズにはいかないもんだ。で、私の口座から車検の追加費用5万円を引き出しておいた。なんだか計算が違うようだが。

 

 JA(旧農業協同組合)で、奥方の500円貯金を通帳記載してもらった。あれだけでも16,004円もあった。4月には我が家の建物保険が12万円もいるので、その足しにして頂戴というのだが、まるきり足しにはならんのだが。

 

 ま、そういう事務作業をやっておいて、今日は87番札所の長尾寺さんにやってきた。類に漏れず、ここにも人影がまるきりない。お遍路さんはどこに消えたのだ・・・。

 

 で、今日もお参りに来たのではない。こんなものができているというので調査にやってきた。

 

 これが「厄除け玉」というもので、納経所で授与している。1個200円、3個500円、6個1,500円。これに願い事や名前なんぞを書き込んで、

 

 この「開運石」にぶつけて壊して厄除けや悪縁を絶つし、悩みやストレスを打ち消すのだそうだ。うまく考えるものだ。で、こわれた玉は粘土製なので、しばらくすると土に帰っていくのだそうだ。

 

 このお宮さんは菅原道真公にゆかりのある建物なので、昨年に牛の奉納がおこなわれている。

 

 久々に来てみれば、トイレもきれいになって広々としている。お寺さんもなかなかに苦労している様子。

 

 そうそう、大師堂に、こんな張り紙がしてあった。ちなみに、四国霊場の各札所(お寺)には必ず、本堂と大師堂がある。ここは天台宗の寺院なので、中央には弘法大師、向かって右に天台大師、左に智証大師の三体の大師像が納められている。

 

 その大師堂の上の防鳥ネットの中に、何かのヒナがいて、しきりに鳴いているが、何の鳥かわわからない。時期的にツバメではないし、スズメにしては大きいし・・。

 

 その後、南の山道を走っていると、ふきのとうがあった。

 

 もう、すっかりとトウがたってしまっている。これをあちらで一つ、こちらで二つと拾ってきた。道ばたである。

 

 それを掃除しておいた。前回はワカメとの佃煮になったが、これだけあれば蕗味噌になるだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きている この何でもないことに躓(つまず)かねば 幸せなんてわからないんだ」という浅田正作さんの言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。私たちは、朝、目が覚めて、顔を洗って、食事をして、その体が消化してくれて、トイレに行けて、歩けて、笑って、生きている。このなんでもないことには感謝もしなければ喜びもしない。「当たり前じゃないか・・・」と平然としている。でも、私のように、便が出ない、尿も出ないとなると大変だ。おなかがパンパンに張ってきて、呼吸ができない、動けない・・・などということになってしまう。なんで、この幸せに気づかないのだろうか。この幸せを知っているのは、「生きていることに、つまづいた人」、「あたりまえでない」と知った人・・・。「今がある」ということを自覚するのが下手な私たちだけれど、「今あるものの大切さ」に気づいて、これからを生きていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


春風の流れる音や梅の紅

2021年03月03日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.5度から10.5度、湿度は68%から56%、風は3mから1mの西北西の風が少しばかり。明日の4日のさぬき市地方は、はじめ高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼過ぎからは次第に雲が広がる見込みらしい。

 

 110/63/82 36.5c-97% 63.2Kg 19.8c-44%-1030hPa 体調も気分もいい。肩こりは気にならなくなった。

 

 我が家の梅である。昨年の夏に体調がよくなったからと、バサバサと剪定をしたために花が咲くのが遅くなった。先のサンシュユも同じ事。

 

 大窪寺の仕事が一段落したので、今日は86番札所の志度寺さんにやってきた。でも、ここのお寺を調べようとするのではない。

 

 小耳に挟んだのだが、ここは「志度寺植物園」になっているとのニュースだった。もっとも、早くから植物だらけのお寺ではあったのだけれど。

 

 ふむふむ。昨年よりかはすっきりとした感じにはなっている。ここもお遍路さんの姿は一人も居なくて、退屈そうなお兄ちゃんがうろついていて、「掃除ができとらんなぁ」「ここは300年も木材のお寺がよくもっているもんやな」とかと訳の分からんことを言うている。

 

 これは桜の花に似ているが、桜の枝によく似ているが、植物のことは皆目わからない。

 

 沈丁花も何種類か植わっているし、水仙は、もう、おしまい気味。

 

 ボケや紅梅も色合いがにぎやかだ。それにしても人影が見えない。

 

 本堂の屋根に乗っているのは・・、養成講座で習ったけれど、忘れてしまった。弁天様かな。

 

 地元の方のお参りもないというのは不思議なことだ。先のお兄ちゃんが、「なぁなぁ、300年も建替えもせんで、ようもっとるなぁ。建替えしたんかなぁ」としつこい。「さぁ、私、ここのお寺の者と違いますから分かりませんよ」というと、どこかに消えたけど、しつこく、お寺の中を歩き回っていた。

 

 お昼からは高松市塩江町の「椛川」という地区に行って来た。すると道路が行き止まりになっていて、目の前には大きなダムが通せんぼ・・・。「これが、うわさの「かばかわダムか・・・」。昔、樺河という郷があって、その「樺の古木」の香りがよくて、そのあたりを「香川郡」と言うたらしい。その水が流れ出たのが「香東川」だという。

 

 それでは・・というので、工事現場に向かったのだが、くねくねとしている間に過ぎてしまっていたが、あちらこちらで大規模な掘削や土留めやら伐採やらと工事ばかり・・・。

 

 これで、高松砂漠になるのを防ぐらしいが、これは大きなダムだこと。香川最大やろうね。四国一・・というと早明浦ダムにはかなわないか。それにしても道路が迷路のようになっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「往き先がわかれば 生き方がわかる」というもの。いつもの、町内にある善楽寺さんの掲示板にあったもの。

行き先が分かれば 行き方が分かる
 往き先が分かれば 生き方が分かる (仏光寺)

 「いきさきがわかれば、いきかたがわかる」上段、下段、どちらも読み方は同じだが、使われる漢字が違うために表現されていることが少々違う。「行く」という「行」の字は、十字路をかたどった象形文字で、道の事を表現している。「行き先が分かれば、行き方が分かる」という事は、例えれば、体の調子が悪かったら、病院へ行こうと決める。病院という行き先が決まれば、いつ行こうか、どの道を行こうか、歩いて行こうか、車で行こうか等々、日々の生活の中で考えながら決断し、行動に移している。今月の言葉の通り、行き先(目的地)が分かれば、行き方(どの道路を行くか)が分かるというもの。次の往く先の「往」の字は、「むかし」「いにしえ」「いま」「むかう」「のち」「それからあと」という様々な意味がある。これは、過去・未来・現在の三世の歩みを表す言葉である。私達がどこから来て、どこにいて、どこに向かうのかという、人生の往く道を表現しているのだという。

 

じゃぁ、また、明日、会えれば、いいね。


春嵐雨で明日が見えぬまま

2021年03月02日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で雨が降っていた。午後からは、寒気の影響で概ね曇る見込み。気温は15.5度から4.5度、湿度は90%から68%、風は1mから7mの北西の風が一時は強かった。明日の3日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 116/68/79 36.2c-97% 62.8Kg 22c-48%-1014hpa 体調に変わりはない。昨年の今頃、風前のともしびだと言われて病院を追い出されたけれど、どうにか1年は生き延びてきた。

 

 今日は嵐のような風と雨になった。豆台風かと思うような風雨の中、お約束だからと出掛けることにした。

 

 さぬき市前山にある「前山地区活性化センター」である。略称は「おへんろ交流サロン」というが、この時期、この時節、さすがに歩き遍路の姿は見えなかった。

 

 ここで、毎月第一火曜日に私たち観光ガイド大窪寺班は勉強会をやっている。専門的な話から井戸端会議みたいな月もあるが、親睦と情報交換が主な目的。今はコーヒータイム。

 

 昨年の活動報告やら、讃岐に糖業を持ち込んだお遍路さんのお話とか、香川の音百選のお話とか、整備されたへんろ道のお話やらなにやら・・・。

 

 私の数ヶ月に及ぶ調査研究もさほどには驚かない様子。少しばかり物足りず。ま、おうちで読み込んでみての感想を待ちたいところ。

 

 本日、勉強会に参加できなかった方三名には、残った資料を郵送することにしている。そこまでしなくてもいいのだが、折角の資料を捨ててしまうのももったいない。

 

 切手は、奥方が趣味で集めた雑多な切手があるので、それを計算しながら貼ってみた。重さを量っては郵便料金表との対比をしながらの作業である。これも一種のぼけ防止みたいなものだ。

 

 しかしのかかし、これで大きな目標が一つ終わった・・・ということの空虚感。明日からは何をしようか・・・という絶望感みたいなものが残っている。達成感はまるでない。

 

 そういうものもひっくるめて、郵便局から送り出してきた。ケ・セラ・セラ、なるようになるさ。

 

 今日の掲示板はこれ。「『生まれ変わったらこうしたい・・・』とか言う人がおるけどはないよ。」という辰吉丈一郎のことばから。辰吉丈一郎(たつよし じょういちろう/1970年5月15日-/男性)は、岡山県倉敷市出身のプロボクサー。「浪速のジョー」の愛称で親しまれた人物であり、50代日本バンタム級や第18代・第24代WBC世界バンタム級王者に輝いた。ボクシングファンであった父に幼少の頃からボクシングを仕込まれ、中学卒業後に「大阪帝拳ジム」に入門。1987年(当時17歳)で全日本社会人選手権バンタム級で優勝を果たす。アマチュア通算成績は19戦18勝(18KO・RSC)1敗。1989年にプロデビュー。1990年に4戦目で日本王座を獲得し、1991年に国内最短新記録(当時)となる8戦目で世界王座奪取に成功した。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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