そんなに遠い所ではないのですが初めて行った「懐古園」
「懐古園に初めて行ったの。」と言うと「えっ!初めてだったの。」と言われる位
この辺では皆が訪れた事がある場所らしい・・・
最近、やっとあちこちに出かけるようになりましたが今までほとんど出かけなかった我家。
どこに行っても初めてで新鮮です。
小諸城の始まりは平安時代から鎌倉時代にかけて。
現在は小諸公園として小諸市が管理運営しています。
歴史は・・・
二の丸にあった白鶴城は武田信玄の攻略により落城しましたが、この地が重要と家臣に命じてもう一度築城し「酔月城」ともいわれていました。
その後は織田信長の将、徳川家康の将、と城主は変わり、その後仙石秀久が城主の時に二の丸、黒門、大手門を建て、その子忠政が三の門、足柄門を建て現在の小諸城が完成しました。
その後城主は徳川、松平氏など六氏に変り1702年に牧野氏が入り十代続きました。
明治4年(1871年)の廃藩置県で役割を終え、明治13年(1880年)に神社を祀り懐古園と呼ぶようになりました。
どこのお城に行っても思うことは、今の様なクレーンのない時代にどうやってこの石積みをしたのか
と言う事です。
面も角も揃っていてすごいですよね。
本丸跡にも登ってみました。
見下ろすと柵も手すりもないのでこわいです。
反対側に下りてきたら看板がありました。下りてからでは遅かった。
バスツアーでバスの中で飲みながら来た酔っ払いさんは登らない方がいいですね。
ここには三層の天守閣がありましたが寛永3年(1626年)落雷で消失しその後は
再建されなかったそうです。
古木の大木の桜並木。
紅葉の木もたくさんあります。
春の桜、秋の紅葉はきっと素晴らしく綺麗だと思います。
入場券を買うときに共通券¥500を買うと中にある4ヶ所の資料館に入れます。
そなかの小山敬三美術館と藤村記念館に入ってみました。
洋画家 小山敬三画伯
小諸市出身で文化勲章受賞、小諸市名誉市民。
1975年美術館を建設し作品と共に小諸市に寄贈しました。
17歳から晩年までの作品が展示されています。
島崎藤村
明治32年(1899年)に小諸義塾に国語と英語の教師として赴任。
教師をしながら色々な作品を発表し7年間を小諸で過ごしました。
集められた愛用品、直筆の原稿、手紙、写真などが展示されています。
何故昔の人って達筆なんでしょう?
筆で書かれた細かい字の原稿や手紙類見入ってしまいます。
寅さん会館は別料金です。
時間もなかったので今回はパスしました。
富士見展望台から見た千曲川。
昔の人たちもここからこの川の景色を眺めていたのでしょうね。
藤村の愛した小諸、「千曲川旅情のうた」の直筆の詩碑もありました。
一周歩くとかなりあります。携帯の万歩計で約5000歩くらいでした。
ちょっと面白い光景に出会いました。
散歩に来て散歩しないワンちゃんです。
もう少し先、紅葉の時行ったら綺麗だと思いますよ~~
帰りは高速を使わずにR254で佐久のコスモス街道、そして内山峠を通り帰りました。
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