昨年に引き続き、新野の雪祭に行けなかった。同じような日記は、1年前の1月15日にも書いている。最近、ボヤキが多い
ああ~今頃、何やってるかな?神楽殿での舞は終わったかな?松明立てかな?などと、いてもたってもいられない…。
新野はわたくしにとっては記念すべきまつりなのだ。はじめて訪ねたのが平成元年の1月14日の晩。今年は平成20年だから成人式だ(笑)。毎年行けたわけではないのだが、それでも15回は行ったのに…。それが今年もダメだ~。
ちなみに平成元年の雪祭は…そう1月7日に昭和天皇崩御され、その直後のまつりだった。平成になったばかりのその頃は「歌舞音曲を慎む」「自粛」というムードであった。
印象的だったのは、雪祭の中盤で「乱声」といい、消防団の人たちが面形の神様のお出ましを促し、庁屋を棒などで打ち付けることが行われる。
ところが、この平成元年のまつりでは「自粛」されたのであった。その年、わたくしは初めてであったので「乱声」がどういうものであったかも知らなかったのであるが、この「乱声」がどんなものかが分かったのは翌年であった。これによって「庭開き」が行われ、最初の「オトッサマ」=サイホウが飛び出してくる。わたくしがもっとも好きなシーン!
それにしても低温注意報が出ている長野県地方。今年の雪祭は格別寒そうだに!(笑)
ああ~今頃、何やってるかな?神楽殿での舞は終わったかな?松明立てかな?などと、いてもたってもいられない…。
新野はわたくしにとっては記念すべきまつりなのだ。はじめて訪ねたのが平成元年の1月14日の晩。今年は平成20年だから成人式だ(笑)。毎年行けたわけではないのだが、それでも15回は行ったのに…。それが今年もダメだ~。
ちなみに平成元年の雪祭は…そう1月7日に昭和天皇崩御され、その直後のまつりだった。平成になったばかりのその頃は「歌舞音曲を慎む」「自粛」というムードであった。
印象的だったのは、雪祭の中盤で「乱声」といい、消防団の人たちが面形の神様のお出ましを促し、庁屋を棒などで打ち付けることが行われる。
ところが、この平成元年のまつりでは「自粛」されたのであった。その年、わたくしは初めてであったので「乱声」がどういうものであったかも知らなかったのであるが、この「乱声」がどんなものかが分かったのは翌年であった。これによって「庭開き」が行われ、最初の「オトッサマ」=サイホウが飛び出してくる。わたくしがもっとも好きなシーン!
それにしても低温注意報が出ている長野県地方。今年の雪祭は格別寒そうだに!(笑)