今日は、先日亡くなられた三味線の芸を伝えていた方の葬儀にうかがうべく、新潟へ出かけた。自分が憧れていた三味線を弾く「師匠」であっただけに、今回は残念であったが、ご高齢でもあり、これもやむを得ないところ。
寺泊までは、それほど近くはないので、6:40a.m.頃上田を出たが、遅くなってしまい、非礼にも着いたときは出棺であった。
親族でもないのに、斎場まであつかましくうかがい、最後のお別れは辛うじてできたので、よかった。
この日は、ネットを通じ、そして「師匠」つながりで知り合えた方々と合流できた。お互いに親族ではないのだが、心の師匠を送るべく、参加させていただいた。
自分などは、足元にもおよばないのだが、あこがれの三味線をお習いできただけで、満足。お送りしなければならない今日という日は残念ではあったが、この「あこがれ」は永遠だと思う。
しかし、こんなすてきな芸が廃れてしまうのかな?という心配もないわけではない。これから、どう伝承されていくのか、見守りたい。そして「余所者」である自分にとっては、いつまでも「あこがれ」であり、「心の師匠」と勝手に思っている。
ご冥福をお祈りします。
合掌
寺泊までは、それほど近くはないので、6:40a.m.頃上田を出たが、遅くなってしまい、非礼にも着いたときは出棺であった。
親族でもないのに、斎場まであつかましくうかがい、最後のお別れは辛うじてできたので、よかった。
この日は、ネットを通じ、そして「師匠」つながりで知り合えた方々と合流できた。お互いに親族ではないのだが、心の師匠を送るべく、参加させていただいた。
自分などは、足元にもおよばないのだが、あこがれの三味線をお習いできただけで、満足。お送りしなければならない今日という日は残念ではあったが、この「あこがれ」は永遠だと思う。
しかし、こんなすてきな芸が廃れてしまうのかな?という心配もないわけではない。これから、どう伝承されていくのか、見守りたい。そして「余所者」である自分にとっては、いつまでも「あこがれ」であり、「心の師匠」と勝手に思っている。
ご冥福をお祈りします。
合掌