浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

がんばれ玉子丼

2021-03-22 | B級グルメ

JR宍道駅前こわた食堂の玉子丼550円          

親(鶏肉)と子(卵)が揃っているのが親子丼で、そこから何らかの事情があって親が逃げ出したのが玉子丼だ。

何らかの事情というのは、やはり貧乏以外に考えられない。

親子丼650円、玉子丼550円。

100円さえ惜しむ生活に嫌気がさして、親は子を捨てて逃げたのだ。

親に逃げられ、子供たちだけで暖簾を守っている玉子丼。

よく考えてみれば、たった100円の価値しかない親たち。

両親揃って100円だから、片親たった50円の親たち。

ロクでもない親たちである。

実際に親子丼を食べていてロクでもない親たちに出会うことが多い。

親子丼の鶏肉に美味しいものが少ない。

味にコクがなく、パサパサしていて、親子丼界にはロクでもない親たちが多いのだ。

なんせ100円の親だし。

玉子丼は卵だけで勝負している。

親子丼のときは、たとえまずくても「なんせ親がグウタラなもんで」と責任転嫁できたが、玉子丼となるとそうはいかない。

具は玉ねぎとネギだけ、あとは卵ばっかのユルユルで黄色いシアワセに浸って丼を掻っ込む。

でも玉子丼は卵丼ではなく玉子丼でよかったと思う。

卵丼だと何だかパック入りの卵を思い出し、そんなもんでカネ取られたくないなぁ~。

と思うのだが、玉子丼だとカネ払ってもいいなぁ~、という気になるのであった。

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松竹梅

2021-03-21 | B級グルメ

ウチの近所に3月16日オープンした「ふくまる寿司」          

回転しないお寿司屋さんで、テイクアウトをいただきました。

家族分なので、それぞれ違う内容にして、好きなもの苦手なものを分け合う互助の精神でオーダー。

まずは「松」          

中トロ/寛八・真イカ・生海老・鰻・いくら・鯛・かに稲荷・厳選旬魚2種 1944円。

つづいて「竹」          

まぐろ・サーモン・かんぱち・玉子・甘海老・紋甲いか・鯛・ねぎとろ・かに稲荷の9種、1490円。

最後は「梅」          

まぐろ・紋甲いか・サーモン・たこ・海老・玉子・かんぱち・細巻3貫・錦糸巻、1058円。

注文はネットが楽々。

ということで、全てせがれにお願いしていただいたしだい。

でも支払いは、せがれではありません。

ご想像にお任せします。

松竹梅の上にまだ「極み」というテイクアウトもありますが、今回は遠慮したしだい。

とある夜のささやかな贅沢でした。

 

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続 マスクの利点

2021-03-21 | 日々是好日

マスクの利点はまだある          

自慢話をするとき人はどうしても鼻の穴が広がってピクピクすることがある。

マスクだとそれが隠せる。

鼻の下が長い人にはそれなりの評価がなされているが、マスクをしているとそれがわからない。

顔色を読む、という言い方があるが「顔で笑って心で泣いて」などという複雑な心情も、場合によっては「顔は笑っているが目は笑っていない」という表現もつくることができる。

コロナの時代はいずれドラマ化される。

ドラマ化されないはずがない世紀の大事件である。

そのドラマの画面にはマスクをした人がいっぱい出てくる。

当然俳優もマスクをしている。

このとき、マスクをしたままで顔色をどう表現するのか。

今後の俳優たちの大きな課題になるのは間違いない。

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マスクの利点

2021-03-21 | 日々是好日

コロナ禍で人々はマスクをするようになった。

今やマスクをしていない人はいない。

周りを見渡すと百人が百人マスクをしている。

うっかりマスクをしないで歩いていると、向こうから来た親子連れの母親に、わざとらしく遠回りされることさえある。

もともとマスクは嫌いだった。

息苦しいし鬱陶しいし、それよりなにより人の顔面に何かが貼り付いているのが不自然だと思っていた。

これまでの人生の中で、マスクをつけてみて大発見をした。

マスクをしたとたん、世の中から遠ざかったような気持ちになる。

マスクをしたとたん何だかホッとする。

大げさに言うと世捨て人の心境。

特に最近のマスクはどんどん大きくなって、顔の半分以上が隠れる。

人間の顔面には眉と目と鼻と口が付いているのだが、出ているのは目だけで顔の輪郭さえ分からなくなっている。

これまではそれらの部品をひとつひとつ点検して、その人の内実を判断しながら生きてきたわけだが、マスクの時代はそれが出来なくなった。

目だけで判断しなければならなくなった。

逆に言うと、目だけで世の中を渡っていけることにもなる。

コロナ時代の誠実は、目だけであらわさなければならない。

同意の心は目だけで示さなければならない。

怒りも目だけ。

尊敬も目だけ。

ということは、いかなる心情も目だけで訴えればよい、ということになる。

人間の表情は主に目と口(口元)でつくられる。

マスクをしていると口は見えない。

ということは、口のほうはどうにでもなる、ということになる。

ということは、会社で上役に叱られている場合、目には恭順の意を精一杯込めているが、マスクの陰で「このバーカ」と笑っていてもいいことになる。

「死ね」なんてことを思っても一向に差し支えない、ということになるのである。

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おかあさんといっしょ

2021-03-20 | 定年波止場

そうだ、童心だ。

童心は貴重だ、童心は大切だ、ときどきは童心に返ろう、童心に浸ろう、急にそう思いたった。

人生を全部童心でやっていこうとすると大変だが、ときどきならいいのではないか。

某日、テレビで「おかあさんといっしょ」を見た。

2歳から4歳児を対象としたNHKの教育エンターテイメント番組である。

朝起きたばかりの幼児がこれから衣服を身につける、という躾のところをやっている。

幼児の目の前に、シャツとセーターとズボンが折りたたんで置いてある。

さあ、この子はうまくそれらを身につけることができるでしょうか。

幼児がシャツのボタンを上から順に止め始めるが難航している。

上から2番目のボタンを1番目の穴にはめている。

それを続けていくと最後に全部やり直さなくちゃならなくなるぞ。

見ていて気が気じゃない。

いつの間にか自分が幼児の気持ちになっている。

セーターを頭から被って首のところでひっかかってもがいている。

ひっかかると顔全体が覆われて急に周りが見えなくなるので焦る。

焦ってもがいて、前のめりになって…

幼児なんとか窮状を脱す。

よかったよかった、と還暦を過ぎたじいさんはいつの間にか幼児と同じ心境になっている。

心が純情になっていたのだろうか。

孫のような幼児と一心同体になっている。

最近歳のせいか、ふと気がつくとこんな風に童心に返っていることが多いような気がする。

ここで急に不安になる。

自分は今、危なくなっているのではないか。

認知という言葉が急に浮上してきた。

そっちのほうと童心は関係があるのではないか。

思いあたるフシばかりだったりして…

困った。

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変わっていく食の常識

2021-03-20 | 日々是好日

60年から生きていると、当然のようにいわれていたことが、ある時からころっとひっくり返って驚くことが多い。

栄養学も年々環境も人々の行動も変化していくなか、日々新たな研究の結果、まんべんなく30品目の食品を摂るようにとうるさく言われていたが、現在ではあまり言われなくなった。

健康診断で何かの異常がみつかると、普段の食生活を問われたものだった。

卵は一日一個、肉魚は極力少なめで野菜を多く摂取しなさいと厳しく指導された。

それこそ毎日病院食もどきを食べれば長生きしますよ、と言われているようなものであった。

それは現代の科学にも、かなっている部分もあるだろう。

だが現代ではそんなことを言わなくなった。

その分血液検査などのデータで、中性脂肪とか悪玉コレステロール、尿酸値などの健康限界値を下げた。

いつの間にか肥満度なんて、昔はなかったメタボ数値まで勝手に決めている。

確かに食生活の洋風化で、純和風の文化は肩身が狭い。

食の文化も時代とともに変わり行くものなのかと思う、前期高齢者の仲間入りしたジジなのであった。

 

 

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ネギの位置

2021-03-19 | 日々是好日

ネギは日本人の食生活に独特の位置を占めている。

主役になることは滅多にないが、陰に日向にあちらこちらに驚くほどの頻度で出没している。

毎日ネギをおなかいっぱい食べている、という人はいないだろう。

味噌汁にネギは欠かせないから、具が寂しくなる。

納豆はどうか。

かなり困ると思う。

ネギあってこその納豆、なのでネギの入っていない納豆は虚しい。

炒飯はどうか。

炒飯はネギがないと成立しない          

ネギが入っていないのはただの炒めご飯だ。

チャーシューが入っていても、卵が入っていても、ネギが入っていないと家庭の味になってしまう。

ネギが入ったとたん、プロの味になるから不思議だ。

ラーメンのスープも、ネギの果たす役割は大きい          

焼き鳥もネギがないと寂しい。

ネギはナナメ切りと筒切りとでは味が変わるのが不思議。

鴨南蛮のネギが、一番いい味を出しているような気がする。

ネギは、いつもその位置に気を使って生きている。

日本人は、こういうネギをとても愛しているような気がする。

 

 

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さよなら空の時刻表

2021-03-19 | 日々是好日

紙の時刻表だった日本航空の時刻表が          

ネット予約が主流ということで、この世から消え去るそうです。

全日空は既に紙の時刻表は数か月前に無くなってるらしい。

日本航空も廃止にすることが決定したということに。

首都圏の非常事態宣言は21日で解除されるようですが、Go-Toトラベルはいつ再開されることやら。

やっぱり普通の暮らしほど、ありがたいことはないとつくづく思うのであります。

 

画は5年前の紙の時刻表、雑誌類の底から発掘されたモノであります。

意外なとこから、掘り出しモノが出てくることがある。

といっても、ただのゴミなのですが…

情報化社会の過去遺産としての、空の時刻表でした。

 

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500㎖缶ビール

2021-03-18 | 日々是好日

缶ビールを買うとき、大抵の人は350㎖缶を基準にして考える。

家で呑むときも、旅行の列車の中で呑むときも350㎖缶を買う。

一本じゃ足りないな、と思うときは350㎖缶を二本買う。

缶ビールに関しては350㎖を基本とする、十進法ならぬ350㎖進法が人々の中に定着している。

500㎖缶というものがあることは誰もが知っているが、普段はそっちに目が向かない。

500㎖缶を呑む人はどうか?          

普通の人より酒が好きな人、350㎖缶では足りない人、呑むぞという意欲が盛んな人、呑み意地が張ってる人。

などといい印象が一つもない。

500㎖缶であったばっかりに、これだけのマイナス評価を並びたてられてしまう。

350㎖缶を呑んでる人は、ごく自然に呑んでる、という感じを人に与えるが、500㎖缶はどうしてもまずい空気になる。

500㎖缶の人は、みんなと吞んでいても無口で人の話に加わらないのだが、あるとき急にみんなの話に反応し、「するとなにか…」と、からんできそうな気配がある。

つまらなさそうに呑み、「ウメー」とかを顔に出さないタイプのひとが多いのではないか。

と自分勝手に解釈しているのであった。

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終活

2021-03-18 | 定年波止場

終活は無視できない問題である。

いちおう考えておかなくてはならないのだが面倒くさい。

だいたい自分の寿命がわからないのが困る。

わかったら、どれくらい生活費がいるかがわかり、その分だけお金を残せばいいのだが、手持ちのお金をどれくらい使っていいのかわからないのが厄介なのだ。

そのためにまず貯金という人もいるけれど、老後のために貯金をするなんて、まるで人生が老後のためだけにあるようで、つまらない。

確かに全然ないのは辛いけど、それよりも分相応に楽しく生活したほうが、人生は充実するような気がする。

無理しない生活を心がけているが、それでも老化は訪れる。

生老病死は自然の摂理なのである。

入院しなければならなくなったら、延命治療は不要にしてもらいたい。

痛みがあればとってもらいたいが、それ以外は必要ない。

素直に状態を受け入れて、悪あがきはしたくない。

人生の終わりはなるべく簡単に済ませてもらいたいと、残った方々にお願いする次第である。

 

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