郷土玩具 2013年04月11日 | Weblog 郷土玩具と言う言葉は大正時代に生まれたらしい。それ以前は単に「おもちゃ」とか「土俗玩具」と呼ばれたらしい。玩具と言うと、子どものおもちゃかーーーとなってしまうがこれは大人のおもちゃかもしれない。ながめるだけで、その土地の風習、風俗、信仰など想像され楽しい。昔は交流も少なく、その土地で特異なものがたくさんあったのだろう。人間の生活様式が同じになってしまった現在では、ずいぶんすたれたものも多いのだろうか。 写真は「ふぐ笛」「はと笛」いずれも土だ。 そして「土鈴」だ。もちろ土だ。
ジャガイモの原産はインカ・・・ 2013年04月09日 | Weblog 横長もいいなと蝉を彫り込んだ。モデルは以前集めたセミガラだ。しかし、数年たち持つとパラパラと落ちる。 最近これも手に入りにくくなった。 いよいよ春もいい感じだが、風はいただけない。昨年の記録を見ると9日にジャガイモを植えていた。そういう時期だ。種イモを三種類買ってきた。そのうち一つはインカなんとかと言うので、南米インカの・・・・と思ったら北海道産と書いてあった。ま、どうでもイインカ。
奈良は奈良で・・・・ 2013年04月07日 | Weblog ちょい4㎝4㎝の豆本を一気に作った。 玩具と名づけたが、民芸品の方がいいかも・・・・・・青い鬼は奈良・興隆寺の土鈴である。龍頭鬼と言うのかな。今朝の新聞には興隆寺の記事が載っていた。南円堂創建1200年の公開だそうだ。そういえば去年奈良に行って南円堂をいれた版画未完成だ。 もういちどやってみるか。
なぜ童話作家をめざしたか? 2013年04月05日 | Weblog 冗談でしょ。・・・冗談です。 「安曇野文芸27号」が届けられた。 特集は十返舎一九の特集だ。このベストセラー作家は穂高に来た時、彫師が同行させている。一九が書いたものを即彫ったのかもしれない。 一九の書いたものが満願寺と言うお寺に残っており、それを現代訳したものだ。大変な作業だ。 タイトルに私の版画をつかってもらった。 いよいよ、わたしくしめの童話の登場だ。快心の作・・・・とも言えない。 あんまり反応がないのもシャクだから、知り合いに電話かけ宣伝した。なんか売れてるかなと、店をのぞくとズ―――――と同じ状態で店頭のあるのもさびしいことだ。 ・・・・どういう評をうけるか。合評会が楽しみだ。
安曇野穂高八景のうち拾ヶセギ 2013年04月02日 | Weblog 安曇野には大きなセギがある。江戸時代後期に十の村が参加し15キロの水路を作った。その工事3ヶ月と言う。これによって安曇野は豊穣の土地となった。 機械のない時代に、この工事のすごさがわかる。 水もとは奈良井川からひきこんである。田んぼの稲刈りが終わると水量も減り・・・・・・・発砲スチロールやペットボトルやごみがやたらと浮いていて空しい風景だ。
安曇野八景・・・・有明山 2013年04月01日 | Weblog 遠くに見えるは有明山と言う。別名安曇富士とも。・・・・ま、たしかに富士山に似てる。霊験豊かな信仰の山である。前に80歳の方がスイスイ登ったと聞いたが・・・・そういう元気はもっておらない。 ・・・・・位置的おかしいと、知ってる人は言うだろう。たしかにかなり構図はいじってある。 この赤い鉄橋は「穂高橋」と言い、北からいよいよ穂高の町がみえる町村の堺の橋だ。正面に有明があるはずないのだ。 この横に緑の大糸線の鉄橋があって本当は赤と緑を並び描きたかったが・・・・・・・ もともとここらに住む人たちの祖先・安曇族は海洋の民族で、ここに移り住んだという。その名残に「お船まつり」と言うのがあって。大きな船をつくりぶつけ合う祭りがある。もちろん船には車をつけてある。>