まんが漫遊の旅 2015年10月14日 | Weblog 四コママンガの募集を見つける。 腕がなる。腕がなまってる。 練習、練習。 人数が集まらず、12月いっぱいの閉鎖を宣告される。 とりあえず今年はパス。 無料は気を付けろ。 格子戸は日本のふるさと。
チチロ鳴く 2015年10月13日 | Weblog チチロとはコオロギの異称である。 郵便の空のポストに昼チチロ という迷句もある。(zisaku) これが昔と今ではコオロギとキリギリスが逆だった。こういうこともあるそうだ。 言葉の意味が変わったり、発音の抑揚が変わったり・・・・・日本語もついていけない。 それも時代だ。平安時代の人々が現在にタイムスリップしたらマッタク日本語がわからないだろう。しゃべり方からして違うだろう。あーーあ
歩けば山頭火 2015年10月12日 | Weblog 一応、区切りをつけ後製本のみ。 残雪ひかる足あとたどる 昭和11年 ちょい残雪にしては雪が多いが・・・・・・ 朝の水のおもむろに筏ながれてくる 昭和14年 10月中旬は二本の絵本コンクールの審査結果が出る。吉か凶か。
いも名月 2015年10月10日 | Weblog 芋の季節になった。・・・・と言っても「イモ名月」のイモは「さと芋」のことらしい。 畑のサツマイモを掘る。種類は「紅東」と名札が残っていた。 まあまあの出来だ。 ブローチ講習会二日目で終了。 ま、色をつければ、それぞれ面白い。参加者に失敗したと思わせないくらいが一番。
あるけばかっこういそげばかっこう 2015年10月09日 | Weblog 山頭火が昭和11年信州にはいった頃は、春のかっこうがうるさく鳴く季節であった。 旅のこころのふんどしおもたく寝る 昭和14年 真ん中に卓袱台を配する。「ちゃぶだい」という漢字もなかなか出てこない。これはもともと 中国語の「チャフ」から来ている。日本は昔から食事は銘々膳で大勢かこむことはなかった。 これが鎖国時代に長崎に中国料理店がオープン。円卓で料理をつつきあうスタイルに「こりゃいいや」となって一気に日本中に広まった・・・・・・もちろん畳の上で使えるよう、足が短く、おりたたみ式。 山しづかなれば笠ぬいでいく 昭和9年 かけはしふめば旅のこころのゆるるとも 昭和14年
信濃路をゆく 2015年10月08日 | Weblog いつも寝てゐて遠い雲のゆきき 昭和9年 けふは街へ下る山は雨 昭和11年 月あかりして山が山がどつしり 昭和14年 ちょいちょい富士がのぞいてまつしろ 昭和11年 いずれも信州で詠んだ俳句。
山頭火信濃路をゆく 2015年10月07日 | Weblog 井月の墓参りに ♪ 明日私は旅に出ます あなたにあいに伊那の旅 いつかあなたとあいたかった 春まだ浅き信濃路へ ♪ さよならいつまでたっても とても言えそうもありません 私にとってあなたは まぶしいひとつのあこがれなです
作品研究 2015年10月06日 | Weblog 完全に疲れた。地区運動会。 日にあたるだけで疲れた。日頃、もやしみたいな生活なせいだ。 なおかつ市の運動会にも出ることになった。 そこで我が大判作品研究。 これは知ってる人は気が付くかもしれない。 ヒチコックの映画「北北西に進路をとれ」からいただいた。 女性はそこにはいない。男性だけだと色気がないので赤赤の女性を登場させた。 飛行機やトラックは場所はちがうが映画と同じ。 とうもろこし畑は、映画は獲りいれ時期でほとんど黄色だった。 そんなところだ。 原色でバリバリしめし、目立つように。・・・人目を引かないとね。
江戸いろは絵巻完了す! 2015年10月03日 | Weblog ついに終わりまで到達。 首が長くなるお話・・・・・・寛永の何年・・・と話始めると本当の話っぽくなる。きっと情報の少ないあの時代には、皆ゾ―――として聞いたのだろう。 切腹・・・はらきり・・・・うまく切れないと介錯人がバサリと首をはねる。これが武士の情けでもある。 生類憐みの令・・・・・犬だけがクローズアップされている。将軍が犬歳だったのだ。