フランス・パリの市長がオリンピックに伴いエッフェル塔に設置された五輪マークを恒久的なものにする意向を示したことが物議をかもしている、という報道があった。
4年に一度(今回は3年ぶり)のオリンピックが盛り上がるのは、どこでもいつものことだ。いかにIOCの商業主義が批判されようと、あるいはその政治姿勢に疑問を持たれようと、ひとたび競技が始まれば、世界最高の競技者の極限まで磨き上げられたそのすがたを目にして感激しない者はいないだろう。このオリンピックが盛り上がったのは、そこがパリだったからではなく、競技者が現時点で最高の成績を披露したから。
開会式でのセリーヌ・ディオンの唄った「愛の賛歌」やマリーアントワネット処刑と「最後の晩餐」を暗示する、あの華やかな演出は今やだれも話題にしない。オリンピックはそのように消費され、過ぎてしまえばばすぐに忘れられるもの。
一方、パリはオリンピックのような一過性の祝祭を超越した文化の集積した都市であり、またエッフェル塔はこの135年パリを見続けてきた。パリの空にそびえるこの塔は現代パリの一部になっていると言ってもいいと思う。
エッフェル塔の五輪マークがこれからどうなるのかはパリ市民およびフランス国民の決めることである。どのような決定が下されるにせよ、そのことでパリの魅力が損なわれることはないだろう。永遠の都市とはいつも何かの試練に晒されそれを乗り越えてきた。特にパリのようにローマ帝国時代から営々と生き延びてきた都市は。