回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

エッフェル塔

2024年09月03日 21時42分25秒 | 日記

フランス・パリの市長がオリンピックに伴いエッフェル塔に設置された五輪マークを恒久的なものにする意向を示したことが物議をかもしている、という報道があった。

4年に一度(今回は3年ぶり)のオリンピックが盛り上がるのは、どこでもいつものことだ。いかにIOCの商業主義が批判されようと、あるいはその政治姿勢に疑問を持たれようと、ひとたび競技が始まれば、世界最高の競技者の極限まで磨き上げられたそのすがたを目にして感激しない者はいないだろう。このオリンピックが盛り上がったのは、そこがパリだったからではなく、競技者が現時点で最高の成績を披露したから。

開会式でのセリーヌ・ディオンの唄った「愛の賛歌」やマリーアントワネット処刑と「最後の晩餐」を暗示する、あの華やかな演出は今やだれも話題にしない。オリンピックはそのように消費され、過ぎてしまえばばすぐに忘れられるもの。

一方、パリはオリンピックのような一過性の祝祭を超越した文化の集積した都市であり、またエッフェル塔はこの135年パリを見続けてきた。パリの空にそびえるこの塔は現代パリの一部になっていると言ってもいいと思う。

エッフェル塔の五輪マークがこれからどうなるのかはパリ市民およびフランス国民の決めることである。どのような決定が下されるにせよ、そのことでパリの魅力が損なわれることはないだろう。永遠の都市とはいつも何かの試練に晒されそれを乗り越えてきた。特にパリのようにローマ帝国時代から営々と生き延びてきた都市は。

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花火中継

2024年09月01日 19時29分04秒 | 日記

昨日、NHK BSで秋田大曲の花火大会が放送されていた。

「創作花火」のタイトルと、打ち上げと一緒に流される音楽が微妙・・・勝手だが、音楽は時には耳障りだった。風がなかったせいか、何時までも煙が残っていてそれが視界を時々遮っていたのも残念。

途中、何かのトラブルで打ち上げがしばらく中断、そのためか結局最後までは見られずに放送終了。トラブルの当事者の花火師はいろいろと大変だったろう。こういうことが起きるのが中継番組のリスクかもしれない。

いくらテレビの画面が良くなったと言っても実際に見る迫力には遠く及ばない。いつかまた花火見物に行ってみようか。

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長すぎる前奏

2024年08月31日 17時28分11秒 | 日記

コロナの呪縛から解放されてこのところ飲食を伴う会合に出席することが多くなった。つい先日出席した某ビールメーカーが主宰した例会は普段以上に盛会だった。やはり人は膝附併せて酒を飲むことが好きなのだろう。

大学同期の友人から久しぶりに飲まないかと誘われたのもそのころ。結局、一昨日、大学でアメリカ文化学を教えていた教授と元商社マンだった、今は一線を退いている3人で地酒がうまいという料理屋で会うことになった。近況などとりとめのない話が続いた(この3人の会では年金や病気、孫の話はしないことが不文律)あと、件の大学教授が口火を切って近頃読んだ小説とは、という話になった。こちらから、最近の小説は難解というのかあまり楽しめないと話をしたところ、両人も同様な意見だったが、元商社マンの友人からは、今になって19世紀のフランスの小説を読むのが楽しくなってきた、と言い出した。そのなかでも特にバルザックの「ゴリオ爺さん」のような喜劇とも悲劇ともいえるもの。これがあくなき出世欲の話なのか、あるいは社会派の小説なのか意見は分かれるだろうが、パリの当時の実相が良く描かれていているのが特に良かった、と。

この時期のフランス小説では同じくバルザックの「谷間の百合」(これは一種の不倫小説?)のような悲劇もあれば、スタンダールの小説群など何度読んでも飽きないものがある。

この両氏の話、問題は前置きと後講釈が長すぎることだ。長すぎる前奏と後奏を聴いているようで、古い話ながらイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」思い出した・・・

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古いものを大切に

2024年08月30日 14時29分38秒 | 日記

家の外壁塗り替え工事が完了した。

前回の工事はこの家に父親が一人で暮らしていた12年ほど前。ベージュ色のモルタル、一部木壁のこの家は、出入りの工務店によってほぼ10年毎に塗り替えをしていたから今回は少し間が開いてしまった。それほど傷んでいるとは思わなかったが、さすがに木壁のところはよくみると色が褪せていてわびしさを隠し切れない。いつまでも見て見ぬふりをするわけにもいかず、まず知り合いの塗装業者に相談したところ、コロナ明けということで注文が殺到していて今年は無理、というつれない返事だったので、前回頼んだK社に話を持って行ったところ意外にも二つ返事で引き受けてくれた。更に前回の担当者が今も同じ部署にいてその時の資料も残っていてすぐに見積もりを持ってきた。ただ、見積もり額はこの12年の物価や人件費の上昇によりほぼ2倍になっていた。ここ数年の建築費の値上がりを考えればやむを得ないし、また、作業員の安全にかかわる法律の変化などもある。それでも最大限の値引きをしてくれたので5月末に契約。ロンドンから戻って間もなく足場工事が始まり、この家は黒っぽい四角い網かごに閉じ込められたようになった。幸い、それほどの悪天候にも見舞われずに、工事は順調に進んで、当初予定より2週間ほど遅れたが満足のいく仕上がりとなった。足場が外されると、外壁を一度削り落として幾重にも塗り替えられた家は息を吹き返したようになった。

この家は建てられてから半世紀を経た今も特に歪みもなく暮らすのに不満はない。確かこの家は父親の知り合いの、少し気難しい一人の初老の大工が半年かけてゆっくりと建てたはずだ。同じ敷地にあった仮住まいの家から出来上がってゆくのを毎日見ていた記憶がある。その家が今でも住むに堪えるということはきっとあの大工の腕が良かったのだと思う。さすがにモミジ模様の窓ガラスや玄関の両開きの扉などには昭和の香りがする。客用の食堂が二つあったり、ほとんど使われたことのない和室が二間あったり、ヒーターの効きが悪く冬には底冷えのする広すぎる玄関など、ときには我慢を強いられることはあるが両親や兄弟姉妹の思い出の詰まったこの家を建て替える気にはしばらくはなれないだろう。

そういえば、ロンドンの家も1930年代に建てられたものだった。古いものを大切に使い続けるのは悪くないと思う。

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mission accomplished

2024年07月17日 14時32分19秒 | 日記

子供もおらず、奥方にも先立たれた叔父から後事を託されたのが3年ほど前。父のすぐ下の弟で父が生前特に親しくしていたことから、たっての頼みということで断ることもできなかった。2年半前に94歳で亡くなり、仏事全般は父が総代を務めていたR寺の理解と支援もあって恙なく進めることが出来た一方、大きな課題となったのが叔父が残した相当額の遺産の処理。

もう少し後でも、と思ったのだろうか、最後まで元気だった叔父は遺言を残すということをしなかった。そのため法律にそった遺産分割となり、調べてみると相続人は総計で24人、かつ、遺産は預金や有価証券、自宅および賃貸物件という多数の不動産と多岐にわたることが判り、大学の同期の友人が代表を務める民事に強い弁護士事務所に頼んで手続きを始めたのが2年前。

勿論弁護士は法律上の助言はしてくれるものの、不動産売却となると自分が主導しなければならない。幸い、S不動産販売とは以前から付き合いがあったので査定をしてもらうと一番の高値を出してきたのでそこに売却を依頼。途中紆余曲折はあったものの、最終的には路線価の倍以上の価格で売却することが出来た。

ロンドンにいる間にすべての処理が終わり、このほど相続人への遺産配分が予定通り終了した。多数の相続人との交渉や遺産分割の手続きを事務所を挙げて滞りなく進めてくれた友人には感謝しかない。

殆どの相続人は叔父とは交流がなかった。そこへ突然相当額の遺産が、あたかも天から降ってくるように転がり込んできたことになる。ディケンズの「大いなる遺産 Great Expectations」を地で行くような、というのは少し大げさか・・・。

6月15日、イギリス国王の公式誕生日を祝うThe trooping of the colourでのチャールズ国王。

 

何度見ても新しい発見のあるレ・ミゼラブル

選手権を控えたウインブルドン、センターコート

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