回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

2021年03月25日 15時58分04秒 | 日記

4階建てのマンションの最上階の自分の部屋は、時折すぐ前の道を歩く人の話し声がとても鮮明に聞こえることがある。それはまるで、窓のすぐそばででも話をしているようだ。音響の専門家なら知っているのだろうが、多分歩いている時ひとは足元を気にして少しうつむき加減になるので、声が地面のアスファルトや石畳に反響して上の方に届くようになるのかもしれない。あるいはそれがバルコニーの天井に反射するからなのか。

ある時など、それは夜も相当遅くなった週末の夜、遠くの方からだんだんと近づいてくる風に一組の男女の話声が聞こえてきた。声自体は明瞭に聞こえるのだが、意味は判らない話し声。そのうちに女の方が涙声になってだんだんと小さくなってとうとう聞こえなくなってしまった。窓から見れば、街灯越しに二人のシルエットが見えて様子がわかるのだろうが、なんだか聞いてはいけないものを聞くようでとてもそんな気にならない。いや、むしろこちらこそ迷惑をしているのだと思う。聞きたくて聞いているわけではなく、いやおうなしに耳に入ってくるのだから。どうも男の声のほうは何かなだめているようだった。多分深刻な事情があったのだろう。

それに比べれば今日の話は微笑ましいというか、心休まるものがあった。部屋の外から小さな子供の声がする。やはり音ははっきりと聞こえる。子供特有のすこし甲高い声なので良く通ったのだろう。ただ、何を言っているのかは分からなかった。それで窓から覗いてみると父親に手を引かれている小さな男の子供。懸命に父親に話しかけている。父親の方も子供の方を見やりながらそれにこたえているのだが、やはり何を話しているのか判らない。手を離すまいと子供は精一杯上に手を伸ばして父親の親指を握っている。繋がった二人の手と手。そこを通って血液が二つの体を巡っているようにも思えた。

それを見ていると、こういう瞬間は自分にはもうないのだ、という気がしてきた。マンションの前の道が大きな道にぶつかってT字路になっていて、そこを二人が左に曲がってすぐに塀の陰に見えなくなった。誰にでもにもああいう時があったのだ、その時父親は何を考えていたのだろう、あの小さな男の子は何を話しかけていたのだろうか。

先日自分の頭を洗っていて、少し髪が少なくなってきたように思った。そして、不意に、かつて老いた父の頭を洗ってあげた時に触れた父の頭の感触がよみがえってきた。顔は似ていないと思っていたが、実は頭の形はどこか似ていたのだろうか。それとも、髪が薄くなって頭の形がよりよく判るようになったからか・・・。

100年ほど前のドイツの陶人形。

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今日の一言

2021年03月24日 19時18分50秒 | 日記

青春時代を特徴づける何か一つを挙げるとするならそれはバカ笑い。世の中と、そこで生きる自分たちの人生が不条理そのものだと言うことを、急に理解し発作のようにむせび笑いが起きやがて息もできないほどになるのだが二十年過ぎた後には、同じ考えがよぎってもただ達観したようなため息が出るばかりだ。

始まりの瞬間からすでに終わりが用意されている、それもとても近い未来に用意されているつかの間の恋もあるが、人はいつもその恋が終わる頃になって初めてそのこと(始まりの瞬間からすでに終わりが用意されていること)に思い至る。

人はどうしたら他人の人生からいとも簡単に姿を消すことが出来るのだろう。それは多分、他人の人生に入り込むことと同じくらいに簡単なことなのだ。偶然に交わされた言葉、それが関係の始まり。偶然に交わされた言葉、それが関係の終わり。

原則、慣例、礼儀という名のもとに、負担を感じながらも、流れを断ち切れずにいることが、人生においてどれほど多いことか?

 

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Das Beste oder nichts

2021年03月23日 18時13分14秒 | 日記

現実問題として何の妥協もせずに生きてゆくことは不可能だ。それに、最善か無か、というような極端な二元論は危険でもある。もし、自分の周りがそういう考えの人ばかりだと大変なことになる。お互いに少しづつ譲り合って、たとえそれがいささか筋の通らないものであっても、助け合ってゆかなければならない。そもそも人間生活に完璧なものではないのだからある程度の適当さは必要だと思う。

コロナ禍で、リモート(テレ)ワークが普及し、すっかり仕事のスタイルが変わってしまったこの頃だが、今日、かつての部下から引っ越しの連絡が来た。職場が港区で海外とのやり取りや期限の切られた仕事をしていて帰宅が真夜中になることも多く、そのため、これまで文京区に住んでいたのだがそこを引き払って緑が多く空気のきれいな国立に引っ越すという。一人暮らしで、どこかで息抜きの時間が必要なのだが、大人数の集まりはもちろんの事、少人数でも今では気楽に会うこともままならない。文京区の家は在宅勤務をするには少し手狭で、今では週に二日ほどしか出勤しない(多分、今後も働き方は元には戻らないだろうし)ので、脱出することに決めたらしい。

国立の新居の近くの写真を送ってきた。これまでのような高層ビル群の代わりに広い道に面した比較的低い建物が多いようだ。そのせいか空が明るく大きく見える。

都心に住んで、かつ緑が多いというのは理想かもしれないが、東京では(多分、大都市なら世界どこでも)無理な話で、結局便利さか自然かの二者択一となり、どちらかを取り、どちらかを捨てなければならない。出勤という制約が小さくなった最近では、都心に住む理由が以前より少なくなってきたことは事実。多分、文京区も国立も最善というわけではないだろう。しかし、最善ということにあまりにこだわっていては、むしろ得られる幸福も手に入れられないかもしれない。

 

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ミサ・ソレムニス

2021年03月22日 17時37分17秒 | 日記

昨日のNHK Eテレのクラシック音楽館で、ベートーベン作曲の「ミサ・ソレムニス」の全曲が放送されていた。ドレスデン国立歌劇場合唱団、管弦楽:ドレスデン国立管弦楽団、指揮:ファビオ・ルイージ。なかなかこの大作を全曲聴く機会はないのでこういう企画をNHK にはどんどんやってもらいたい、と思う。第二次世界大戦の空襲で灰燼に帰したドレスデンの聖母教会での演奏会。この教会は戦後60年かけて2005年にようやく再建されたということで教会の内部はまだ真新しく、金色の装飾は輝くばかりだった。

ドレスデンに限らずドイツの多くの街は第二次大戦の空襲で破壊され、その後営々と再建の取り組みがなされてきた。フランクフルトもほぼ全市が破壊され、いまだ再建の途上にある。フランクフルトには出張でそれこそ数えきれないくらい訪れた。ここに本店のあるドイツ銀行での会議の出席のためである。

今でこそ、生き残りのために苦戦しているドイツ銀行だが30年ほど前は欧州最強の銀行としてドイツ金融資本の頂点に君臨していた。そして軍隊組織にも似たこの銀行には多くの優秀な人材がいた。ドイツでの銀行離れが進んで、更に経営上の失敗もあって今やこの銀行に昔日の面影はないのだが、あのいかにも頭の切れそうだった幹部たちは多分今頃は悠々自適の生活を楽しんでいることだろう。

アウトバーンに象徴されるようにドイツは車社会である。ドイツ人の車に対する思い入れは格別だ。当時(1990年代)ドイツ銀行の知人と話をしていたら、車にもはっきりとした序列があるのだという。ドイツ銀行の場合、新入行員はフォルクスワーゲン、役職者になったらアウディ、幹部職員になったらBMW、そして役員になって初めてベンツ、という決まりなのだと。本当か冗談かわからないがこの序列を間違うと大変なことになるという。もっとも、スピード狂ならポルシェという選択肢もあったようだったが・・・スリルとストレスを求めて?このスポーツカーに乗って長生きした人はそれほど多くない、とも。

フランクフルト市の紋章が彫られたピューターのゴブレット。

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ギネス

2021年03月21日 17時15分07秒 | 日記

昨日は春分の日。祝日には玄関口に国旗を掲揚することにしている。時折珍しそうにその日の丸を眺める人がいる。ほとんどの家では国旗を掲揚していない。ときどき走りすぎるバスやタクシーがに日の丸の小旗をつけているくらい。それもこのところ少なくなっているような気がする。

高校野球にはあまり興味がないが、それでも必ず校歌と校旗の紹介がある。さらに優勝旗、準優勝旗と、日本でもいくらでも旗を見ることはできる。漁港に行けば大漁旗のような色鮮やかなものがある。にもかかわらず、どういう訳か国旗については複雑な思いを持つ向きがあるようだ。国旗がその国の最も基本的な旗だと思うのだが・・・

国旗を掲揚する際には、国際的な慣習が成立している。たとえば、日本では外国旗に敬意を示し、外国旗を上位に掲揚するのが一般的(自国旗優先の国もある)、しかし自国の国旗を掲げる事なく外国旗だけを掲げない、というように。

ところで3月17日はアイルランドにキリスト教を広めた聖人パトリックの命日。アイルランド系の移民の多いニューヨークではその日をセントパトリックデーとして街中を緑一色にして盛大に祝う。例年であれば、大規模なパレードが行われ、アイルランドを象徴する緑色の衣装・防止に身を包み、数多くあるアイリッシュバーはアイルランド系の住民であふれかえる。そこで飲まれるのはギネスビールであり、アイリッシュウイスキーの代表であるジェイムソン。さらにそれらを一緒にした物騒な名前のカクテル「Irish Car Bomb(ギネスビールのパイントグラスの中にアイリッシュウイスキーとアイリッシュクリームを入れた小さなカップを沈める)」も。これは強すぎてとても2杯とは飲めない。

しかし今年はコロナ禍によりニューヨークでは大規模集会は禁止、それでも緑の服に身を包んだ数人のグループが楽器を鳴らしながら行進したようだ。こういうときも、アイルランドの三色旗と星条旗の両方が掲揚されるのは言うまでもない。

そんなアイリッシュバーで飲んだ時のビール用のコースター。ギネスの黒とイギリスのバスの褐色。黒と褐色なんて怖くない、と言って飲んでいるとそこには「責任ある飲み方を」という警告。ということはそうでない人が多いということか。たしかに、この日のアイルランド人の(それ以外の人も含め)飲み方は半端ない。

 

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