コロナが収まって復活してきたものの一つが「・・・を囲む会」。酒席を設ける口実に便利なのがこの会だ。今日、しばらく見なかったアドレスからのメールが5年ぶりの「囲む会」の案内状だった。これまでほぼ2年おきに開かれてきた「O氏を囲む会」、ちょうどコロナの蔓延する初めのころに予定されていたものが延期になって気が付けばもう5年の間隔が開いていたことになる。
こういった囲む会への案内状は実に多い。多分世の中では毎晩、おびただしい数の囲む会が開かれているのだろう。それぞれに思惑があってこういう会に参加する。こういう会には必ず誰か幹事がいて、その会を仕切る。自分も一度大学時代の恩師が喜寿を迎えた時の「Y先生を囲む会」の幹事をした。自分は発案者ではなかったのだが、入学直後の何かの集まりで、その恩師の指名で取りまとめ役をしたことがあり(入学試験の成績が最も良かったから、という噂があったが、それは全くのフェイク!!)それを同期の何人かが覚えていて幹事に指名する理由に使われてしまったのだった。その会には12人ほどが集まり盛会となった。宴席の席順から始まり挨拶順など何かと気を遣った。どうもこういう時にはつい肩に力が入ってしまう。
そんなことはともかく、今回の囲む会はかつての勤務先でロシア・東欧地域専門家と言われた先輩を囲む会。声をかけられているのは、彼と一緒に仕事をしたことのある人達で、必ずしもその地域の専門家とは限らない。自分は金融関係の案件で40年ほど前何度か一緒に当時のソ連や東欧諸国に出張したことがある。出張の際に自宅に迎えに行くと、当時小学生だったお嬢さんが出てきて、奥様と一緒に彼を見送るのが常だった。これまで彼を囲む会は彼の自宅のある富ヶ谷から近くということで渋谷の東欧料理屋だった。今回はどういうわけか丸の内で、とある。この5年の間に引っ越しでもしたのだろうか。
今まで多くの「囲む会」に出席してきたが、終わってみるといつも徒労感の方が勝っていて、正直出席した意味が見い出せずにいた。今回の「O氏を囲む会」、招待されている顔ぶれを見て今更旧交を温めても、という気がするし、一方で彼の年齢を考えればいつまた会えるかわからない。今回が最後になるかもしれない。いろいろと思いが錯綜して9月下旬に予定されているこの囲む会、出席しようかどうか迷っている。
彼とはロンドンでしばらく一緒に勤務していた。自分が先に帰国することになりその挨拶に彼の部屋を訪ねたら、「気持ちばかりだが」と言ってスイス製の小さな置時計をくれた。簡素で堅牢で、乾電池を入れ替えながら今でも本棚の片隅で時を刻んでいる。