回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

囲む会

2023年08月28日 19時36分53秒 | 日記

コロナが収まって復活してきたものの一つが「・・・を囲む会」。酒席を設ける口実に便利なのがこの会だ。今日、しばらく見なかったアドレスからのメールが5年ぶりの「囲む会」の案内状だった。これまでほぼ2年おきに開かれてきた「O氏を囲む会」、ちょうどコロナの蔓延する初めのころに予定されていたものが延期になって気が付けばもう5年の間隔が開いていたことになる。

こういった囲む会への案内状は実に多い。多分世の中では毎晩、おびただしい数の囲む会が開かれているのだろう。それぞれに思惑があってこういう会に参加する。こういう会には必ず誰か幹事がいて、その会を仕切る。自分も一度大学時代の恩師が喜寿を迎えた時の「Y先生を囲む会」の幹事をした。自分は発案者ではなかったのだが、入学直後の何かの集まりで、その恩師の指名で取りまとめ役をしたことがあり(入学試験の成績が最も良かったから、という噂があったが、それは全くのフェイク!!)それを同期の何人かが覚えていて幹事に指名する理由に使われてしまったのだった。その会には12人ほどが集まり盛会となった。宴席の席順から始まり挨拶順など何かと気を遣った。どうもこういう時にはつい肩に力が入ってしまう。

そんなことはともかく、今回の囲む会はかつての勤務先でロシア・東欧地域専門家と言われた先輩を囲む会。声をかけられているのは、彼と一緒に仕事をしたことのある人達で、必ずしもその地域の専門家とは限らない。自分は金融関係の案件で40年ほど前何度か一緒に当時のソ連や東欧諸国に出張したことがある。出張の際に自宅に迎えに行くと、当時小学生だったお嬢さんが出てきて、奥様と一緒に彼を見送るのが常だった。これまで彼を囲む会は彼の自宅のある富ヶ谷から近くということで渋谷の東欧料理屋だった。今回はどういうわけか丸の内で、とある。この5年の間に引っ越しでもしたのだろうか。

今まで多くの「囲む会」に出席してきたが、終わってみるといつも徒労感の方が勝っていて、正直出席した意味が見い出せずにいた。今回の「O氏を囲む会」、招待されている顔ぶれを見て今更旧交を温めても、という気がするし、一方で彼の年齢を考えればいつまた会えるかわからない。今回が最後になるかもしれない。いろいろと思いが錯綜して9月下旬に予定されているこの囲む会、出席しようかどうか迷っている。

彼とはロンドンでしばらく一緒に勤務していた。自分が先に帰国することになりその挨拶に彼の部屋を訪ねたら、「気持ちばかりだが」と言ってスイス製の小さな置時計をくれた。簡素で堅牢で、乾電池を入れ替えながら今でも本棚の片隅で時を刻んでいる。

 

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残暑見舞い

2023年08月22日 17時59分13秒 | 日記

日本はいうにおよばず世界的に今年の夏は異常に暑い。NHKでは今日も全国的に「危険な暑さ」になる、と連呼している。学校の夏休みが終わるころになってもいっこうに暑さが弱まる気配が見えない。しかし、どんなに暑くても8月8日の立秋を過ぎると「残暑見舞い」となる。なんだか「暑中」より「残暑」の方に暑さの厳しさを感じるのはそれまでの暑さによる疲れが積み重なっているからか。

そんな「危険な暑さ」の中、今朝、知人から「残暑御見舞」が届いた。箱を開けると「廣尾 瓢月堂」のひと口菓子とサブレが一箱づつ。同封されているパンフレットによればこのひと口菓子は六揃いの六瓢箪(むびょうたん)、したがって「六瓢息災」と「無病息災」の語呂合わせになっている、と。

サブレは黒トリュフのブレンドされたパウダーで表面を仕上げた、とある。確かにこのサブレ、口に含むとあのトリュフの独特の香りがしてくる。トリュフになじみがなければそれは「ちょっと複雑な香り」という印象になるかも知れない。黒トリュフと言えばやはりフランス、フランスの街ではどこかにこの香りが漂っていたような(?)気もする。

この気の利いた贈り物の送り主は以前ロンドンで同じ町内に住んでいてそれ以来の付き合いのある人。日本の大手航空会社に勤務し確か最後はメキシコの子会社の責任者をしていた。筋金入りのオペラファンで、(本当かどうかは知らないが)好きなイタリアオペラを原語の楽しむためにイタリア語の家庭教師を雇ったという話を聞いたことがある。

残暑見舞いといういかにも日本の季節感を感じる習慣(それに日本語の語呂合わせの和菓子も)とフランスの香りのする黒トリュフ菓子の組み合わせはなかなか洒落ていていかにもこの人らしい。

六瓢息災(無病息災)、そして黒トリュフの香りの漂うこの菓子で今年の危険な暑さを乗り切る・・・。

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記憶がない

2023年08月19日 19時37分24秒 | 日記

遠くに住む学生時代の友人から、コロナが収まり4年ぶりに帰郷するので会いたいというメールが来た。ついては、彼とは大学時代からの共通の友人二人にも会いたいので、夕食のアレンジをしてくれないか、という。普通に考えればいささか図々しい申し出だが、大学の4年間、暇なときには声を掛け合って何度も飲み歩いた友人たちだからまあお互い様、という感じで引き受けた。本来ならもう一人、こういう席には必ず顔を出す、いわば5人目の友人がいたのだが4年ほど前に肺炎で他界してしまったので、今回は4人でということになる。

こちらから声をかける二人、一人は大学で英米文化の講座を受け持っていて3年ほど前に退職し今は趣味のテニスと家庭菜園を楽しんでいる元教授、もう一人は都心に事務所を構えている弁護士。こちらの方は依然現役で民事・刑事の多くの事案をかかえ、自分も個人的な用件で(相続の際やいくつかの契約書のことなど)付き合いがある。ただ、彼のところは昔から、自由気ままが一番、ということで、事務員一人だけを雇っている小さな事務所だ。

この二人に声をかけた(というか、メールを送ってみた)ところ、コロナ禍からの反動か、弁護士の方は多忙を極めており、申し出のあった日は先約があり残念ながら参加できない、という返事。

元大学教授からは早速に参加の回答。その返事の中に最近凝っている家庭菜園の話があり、次いで、本棚で学生時代に出版された詩集が出てきて懐かしく読み返した、とあった。その詩集は、今度来る友人が中心になって出版したいわば同人誌だ。かすかな記憶だが、どうしても分量が足りないので詩でも随筆でも書いてくれないかと頼まれ「何か」書いたことがある。この同人誌、どこかにあるかもしれないと思い本棚をひっくり返してみたが見つからない。そのうえ一体自分は何を書いたか、全く思い出せない。そして、元教授から「君の詩も面白かった記憶があるよ」と一言。

ところで件の大学教授は、英文学を専攻することにしたのは、大学の教養課程(学部を決める前の一年半ほどを過ごす課程)の時代に西脇順三郎が好きになって、それで文学部に進学することにしたと。彼の高校時代の知人が、彼は高校時代英語の成績が抜群に良かったという話を聞いていたので、英文学を専攻するのはその時から決めていたのだと思っていたので意外だった。

詩の才能などは全くなく、したがって自分の書いたものが人の目に触れることなどありえないはずだったが、その時は断り切れずに何か書いたらしい。もっともこの元教授の友人は博覧強記ではあるものそれを鼻にかけることはなく、また、どちらかと言えば繊細な神経の持ち主だから次回の夕食の席でこちらが困惑するような、この詩の話をするほど無粋な男とも思えないのが救いだが・・・。

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スズメ

2023年08月16日 22時39分22秒 | 日記

昼過ぎ玄関先の鉢植えに水遣りをしようとしたらドアのすぐ近くの床にスズメが一羽倒れているのを発見。わずかに動いているのだがすっかり弱ってしまいとても飛べそうにない瀕死の様子。この暑さの中で熱中症にでもなったのか、あるいは玄関のガラスにでも激突したのか、とまずはひさしの下の陽の当らないところに動かしてみた。

それから急いで台所に戻り、そこに偶々空のネスカフェのインスタントコーヒー瓶の蓋があったのでそれに水を入れて引き返してみると(その間に元気を取り戻してどこかに飛び立っていてくれたら、という淡い期待もあったのだが)まだそこに横たわっている。

(おい、頑張れよ、と心の中で呼びかけながら)水で満たしたその浅い蓋を頭の下に置いたら大きく口を開けて2-3口水を飲んだ。しかしその後はもう水を飲むこともできず足を力なく伸ばしたままで動かなくなってしまった。目は、閉じているのかはわからないが光を失っていた。

多分ここで息絶えたのだろう。しかし何かの拍子に息を吹き返すかもしれないと思いしばらくそのままにしておいた。それから一時間ほどたったころまた見に行ったら脚をのばしたままの全く同じ姿勢で横たわっている。

小さいとは言っても一つの命、ましてや今はお盆の最中。最後の瞬間に立ち会ったのも何かの縁のように感じ、庭の片隅の桜の木の下に小さな穴を掘ってそこに埋めた。

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8月15日

2023年08月15日 22時20分05秒 | 日記

たまたま所用で車を運転していたら普段はそれほど混まない右折車線に長蛇の列でが出来ていた。直進するので左の車線を走っていたらしばらく先の交差点が大きな公営墓地の入り口に続くことが判り納得。やはりお盆の中日の今日も墓参りをする人が多いのだろう。

また今日は終戦の日でもある。台風のせいでトップニュースにはならないが、新聞では終戦あるいは戦争にかかわる記事があふれている。「終戦から78年、戦争の記憶の風化を嘆く(どうしたら次代に引き継ぐか・・・)」と言った論調が多い。更に一部では「終戦から78年、日本が平和だったのは憲法のおかげ」と言ったものも。

たしかに、日本はこの78年間、直接戦争に巻き込まれたことはない。しかし、個人的には、最初にイギリスに赴任した1980年代はじめにイギリスはフォークランドに侵略してきたアルゼンチンと戦争をしていたし、2度目のイギリス赴任中の1990年代はじめにはクウエートに侵攻したイラクとの戦争の多国籍軍にイギリスは出兵していた。2001年の同時多発テロの時にはニューヨークに勤務していてその後アメリカとアルカイダとの間のアフガン戦争が勃発。連日生々しいい戦況や戦死者の報道がなされる国にいると外国人ではあっても戦争は他人事ではない。事実、部下の中には親族が落命した者が何人かいた。

自分は何故か赴任時期と戦争が重なっていた。戦争を知っている、と声高に言うつもりはないが、自分と同じように戦争の当事国にいれば戦争の恐怖を直接感じることになる。その時の国の指導者の(例えばサッチャーやブレア、ブッシュなどの)一言一句、軍隊トップの戦争の指揮などは今でもかなり鮮明に記憶している。

この78年間、戦争がなくて平和に過ぎてきたこと、「戦争の記憶をいかにして残すか」というだけの論調にささやかな違和感を感じるのは、自分が皮肉屋だからなのだろうか・・・。

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