4年前、盲目かつ初めてのアジア出身のピアニストとして辻井伸行が金賞を受賞した国際音楽祭を創設したファン・クライバーンが死去した。東西冷戦の真っただ中、対立するアメリカ人がモスクワで、第一回チャイコフスキー国際コンクールで優勝するとは、何とも歴史のいたずらのようなものを感じる。
スプートニクの打ち上げにより宇宙開発競争においてソ連に後れを取ったアメリカが、音楽によってかろうじてそのプライドを保ったということ、そしてあのフルシチョフが、国籍に関係なく、最高のピアニストに第一回のチャイコフスキー国際コンクール優勝者の栄誉を与えることを指示した(もし、最高のピアニストがクライバーンなら、優勝は彼に与えるべきだ、と)。毀誉褒貶の著しいフルシチョフがそのような政治決断をしたというのであれば、往時の政治家の度量を感じる。人気絶頂のところで母親の介護のために以降演奏ツアーをやめたとはいえ、ロックスターもしのぐ国民的人気を博したクライバーンはアメリカ人にとっては忘れられないピアニストだろう(そして、最初のチャイコフスキー国際コンクールの優勝者としてロシア人にとっても)。ブッシュ前大統領が2003年にアメリカ最高位の勲章を授与したこともうなずける。