思いもかけないところで懐かしい名前に遭遇することがある。昨夜、NHK Eテレの「クラシック音楽館」を観て(聴いて)いたら、急に30年前に引き戻されたような気持になった。今回のクラシック音楽館は、レナード・バーンスタインとマーラーの関係に焦点を当て、バーンスタインとも交流があったという指揮者のレナード・スラットキンから臨場感のある話が次々にでてきて久しぶりに見ごたえのあるものとなっていた。そのスラットキンがマーラーの交響曲第4番の演奏を前に、「この番組の脈絡とは直接関係のないのだが」と前置きして、ある金融業界紙の創始者の話を始めた。それが、かつて国際金融業界で絶大な影響力を持っていた「Institutional Investor、略称I.I.(日本語で直訳すれば「機関投資家」)を創設したギルバート・キャプランの話だった。キャプランがスラットキンにマーラーの曲の指揮をさせてほしいと頼んできたこと、素人にもかかわらず熱心な練習の末についにはマーラーの曲(交響曲第2番復活)を指揮するに至ったこと、その後はマーラー(交響曲第2番のみであるが)指揮者、研究者の第一人者として高く評価されたこと、最後に、スラットキンがキャプランにマーラーについての講演を依頼したところ、医者から病気を理由にストップされその後間もなくキャプランが亡くなったこと(今年の元旦に死去)、の話をして、実業家として活躍したのみならず音楽の世界でも活躍したこの稀有な人物を紹介したものだった。
このI.I.という雑誌は、自分が1980年代にロンドンで金融業務に携わっていた時に、シンジケート・ローンやユーロ・ボンド業務上、欠かすことのできない情報誌だった。借り手の情報や、競争相手に出し抜かれたり、それらはこの情報誌によって入手できたものだ。インターネットやEメールはまだ登場しておらず、電話とテレックス、せいぜいファックスが情報交換の主流だったこの時代、I.I.は同様の業界紙「Euromoney」と並んで金融業界に働くものにとっての必携だった。その当時は、ロンドンの金融街でもマーラー人気は高かった。概して、ロンドンで金融業に関係する人間は自分こそが時代の先端を行っているという鼻持ちならない意識が高く、再評価されていたマーラーがそんな銀行家の話のアクセサリーとして格好なものになっていたのに対して、キャプランは全く違っていた。
スラットキンはあくまでマーラー音楽の魅力を述べる際の一つのエピソードとして、マーラーの「交響曲第2番」に魅せられたキャプランの話をしたのだろうが、35年ほど前に国際金融業界に身を置いた人は、キャプランもう一つの本業(?)であるI.I.のことを思い出して深い感慨にふけったのではないだろうか。あの時代がはるか遠い昔のように思えるのは、金融業がこの間に根本的に変質したからかもしれない。
スラットキンはキャプランについてのコメントの最後を「今頃はマーラー、バーンスタイン、キャプランの3人が天国でアスパラガスを一緒に食べているのではないか」と結んでいた。今、アスパラガスはそろそろ収穫の終わりの時期を迎えている。
ウイーンフィルを指揮するキャプラン。