回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

マーラーとキャプラン

2016年06月20日 10時33分14秒 | 日記

思いもかけないところで懐かしい名前に遭遇することがある。昨夜、NHK Eテレの「クラシック音楽館」を観て(聴いて)いたら、急に30年前に引き戻されたような気持になった。今回のクラシック音楽館は、レナード・バーンスタインとマーラーの関係に焦点を当て、バーンスタインとも交流があったという指揮者のレナード・スラットキンから臨場感のある話が次々にでてきて久しぶりに見ごたえのあるものとなっていた。そのスラットキンがマーラーの交響曲第4番の演奏を前に、「この番組の脈絡とは直接関係のないのだが」と前置きして、ある金融業界紙の創始者の話を始めた。それが、かつて国際金融業界で絶大な影響力を持っていた「Institutional Investor、略称I.I.(日本語で直訳すれば「機関投資家」)を創設したギルバート・キャプランの話だった。キャプランがスラットキンにマーラーの曲の指揮をさせてほしいと頼んできたこと、素人にもかかわらず熱心な練習の末についにはマーラーの曲(交響曲第2番復活)を指揮するに至ったこと、その後はマーラー(交響曲第2番のみであるが)指揮者、研究者の第一人者として高く評価されたこと、最後に、スラットキンがキャプランにマーラーについての講演を依頼したところ、医者から病気を理由にストップされその後間もなくキャプランが亡くなったこと(今年の元旦に死去)、の話をして、実業家として活躍したのみならず音楽の世界でも活躍したこの稀有な人物を紹介したものだった。

このI.I.という雑誌は、自分が1980年代にロンドンで金融業務に携わっていた時に、シンジケート・ローンやユーロ・ボンド業務上、欠かすことのできない情報誌だった。借り手の情報や、競争相手に出し抜かれたり、それらはこの情報誌によって入手できたものだ。インターネットやEメールはまだ登場しておらず、電話とテレックス、せいぜいファックスが情報交換の主流だったこの時代、I.I.は同様の業界紙「Euromoney」と並んで金融業界に働くものにとっての必携だった。その当時は、ロンドンの金融街でもマーラー人気は高かった。概して、ロンドンで金融業に関係する人間は自分こそが時代の先端を行っているという鼻持ちならない意識が高く、再評価されていたマーラーがそんな銀行家の話のアクセサリーとして格好なものになっていたのに対して、キャプランは全く違っていた。

スラットキンはあくまでマーラー音楽の魅力を述べる際の一つのエピソードとして、マーラーの「交響曲第2番」に魅せられたキャプランの話をしたのだろうが、35年ほど前に国際金融業界に身を置いた人は、キャプランもう一つの本業(?)であるI.I.のことを思い出して深い感慨にふけったのではないだろうか。あの時代がはるか遠い昔のように思えるのは、金融業がこの間に根本的に変質したからかもしれない。

スラットキンはキャプランについてのコメントの最後を「今頃はマーラー、バーンスタイン、キャプランの3人が天国でアスパラガスを一緒に食べているのではないか」と結んでいた。今、アスパラガスはそろそろ収穫の終わりの時期を迎えている。

ウイーンフィルを指揮するキャプラン。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ICU

2016年06月19日 16時29分47秒 | 日記

かつてはICU(集中治療室)などには縁がなかった。自分はもちろん、友人、知人でもICUに収容されていたりお見舞いに行くなどということがなかった。あるいは、仕事が忙しかったからかもしれない。それがここ数年、年を取ってきたせいなのだろう、ICUにお見舞いに行くことが頻繁だ。内臓からの大量出血で、脳溢血で、大動脈解離で、そして心疾患による呼吸不全で、と病因はさまざまだ。そのうち、最初の2名はそれから意識を回復することもなく間もなく亡くなってしまった。

昨日、友人が収容されているICUにお見舞いに行ってきた。入り口で入念に手洗いしてマスクをつける。厳重に隔離されたICUには入院患者が4-5名、一番奥に友人のベットがあった。友人の体にはさまざまな計測機器がつながれていて体の状態が刻々数字で表示されるようになっている。ICU内には数名の看護師が常駐しているから、何がか異変があれば警報がなってすぐに対応できるようになっているようだ。

呼吸不全の友人は、救急車で搬送された時の危機的な状態は脱したものの、まだ人工呼吸器を装着している。かつては気管切開もあったようだが、いまでは切開せず口から管を挿入するほうが一般的という。たしかに切開というようなことになれば回復にも時間がかかる。一週間ほど前の、入院直後の管よりは小型になっていて異物感は少なくなったということだったが話すことはできない。耳は聞こえているので、こちらの言うことは理解できるが、返事は何かに書いてもらうことになる。いわば片務的な筆談ということになる。横臥した状態で身動きができない中での手書き本当につらそうだった。それに、思ったことをすぐに文字にすることはなかなか難しい。友人にとってはフラストレーションの溜まる話。それでも20分程度、なんとか意思疎通ができた。

まだ読書ができるような状態ではなかった。一般病棟に移ってから、適当に本を見繕って差し入れしてみよう。

このところ庭をゆっくりと眺める余裕もなかったが、いつの間にかバラの咲く季節になっている。いくつか花瓶に挿したら一気に香り立った。

咲き始めのペティナ。

略150年前に作出されたハイブリットティーローズの第一号 ラ・フランス。ハイブリッドティーローズの第1号となった記念すべき品種

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スケッチ・ブック

2016年06月03日 15時37分09秒 | 日記

長編小説を読む醍醐味に比べるとエッセーや短編小説は物足りなく思うことがある。ところが最近手にした岩波文庫のエミール・ゾラ「水車小屋攻撃他7篇」とワシントン・アービング「スケッチ・ブック」は反対に短編小説の魅力があふれているように思われる。この2冊は、気の向いた時に、いわば読みきりで読み終えることができるので少しの時間ができたときには格好の書物になる。ゾラといえば「居酒屋」「ナナ」といった、重いテーマの長編小説を思い浮かべるが、「水車小屋攻撃他7篇」は彼の違った才能が発揮されていて読みごたえがある。ワシントン・アービングはスペインを舞台にした「アルハンブラ物語」が夙に有名だが、この「スケッチ・ブック」は、たまたま昨年末ロンドンに滞在したときに当時のイギリスのクリスマスの光景を描いた一連のエッセイーの部分を読んで、200年ほど前のイギリスが今でもほとんど変わっていないことに驚き、また感心もしたものだ。その後も細々と読み続けていたところ、週刊新潮5月26日号の「未読の名作」で、渡部昇一が「スケッチブック」を取り上げていた。このコラムには時折首をかしげざるを得ないような書評も載っているが、今回の渡部の書評は首肯できるものだったと思う。

スケッチ・ブックは上下2巻あり34話からなる結構な大著であるが、挿画もあって楽しく読める。気分の滅入った時に手に取っていて、やっと下巻の6話目「アンティークのあるロンドンの風景」を読み終えたところだ。ロンドンの地名は200年前と変わっていないのでどこか舞台になっているのかを思い浮かべることができる。読んでいる本に登場する場所に土地勘があるというのは何か得をしたような気分になれる。このところ余裕のない日々を過ごしてきたので普段よりもそういったことを感じるのかもしれない。なお、この文庫版の訳者は斉藤昇で、飄々として実に読みやすい。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする