回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

席を代わる

2024年03月27日 18時31分33秒 | 日記

飛行機や新幹線の座席を指定する際、基本的には窓側の席とするようにしている。国内の移動であれば長くても2時間程度だから特に席を立つこともないし、何よりも一方が窓なので気を遣うのが片方だけで済む。通路側は自分が席を立つときには都合がいいが、逆に窓側の乗客が席を立つときには場所を明けなくてはならないし、通路を人が歩くとそれなりに気になるからだ。

先日、急な用事で羽田から千歳へJALで旅行した時、空港のカウンターで通路側の席しかないが、と言われた。わずか1時間ほどの飛行時間であり、特に気にもならないので通路側C席とした。JALの搭乗は、介助が必要な人や2歳以下の乳幼児を連れた家族などが事前改札で最初に飛行機に乗ることが出来る。その次に優先搭乗グループ1,2と言う、座席のクラスやステータスなどが航空券に記載されていてその順番で搭乗することになっている。指定のC席に辿り着いたら、窓側からの2席に若い夫婦と膝の上に1歳ほどの赤ん坊、という家族が既に着席していた。そのままC席に座ろうとしたら、その夫婦から窓側の席と代わってくれないか、という申し出。理由は、その赤ん坊が泣きだしたりして時には通路を歩いてあやしたいから、ということ。その便はほぼ満席で他に移動する席もないので申し出通り席を代わることにした。赤ん坊は気圧の変化に敏感なのだろう。案の定離陸する前から泣き止まないのでシートベルト着用サインが消えるとその夫婦は交代で抱っこして通路を歩いたりしながらあやしていた。

到着後、雪の降りしきる中で自分が駐車場行のバスを待っていたら、その一家が通り過ぎてこちらに挨拶をしてきた。もう泣き止んではいたがその赤ん坊の頬にはまだ大きな涙粒がひとつ残っていた。

飛行機で席を代わったというのはこれまであまりない。一度、羽田からロンドンに向かった際、窓側の席を予約したのに乗ってみたら若い女性が自分の席に座っていたことがあった。よほど忙しいのか、もう書類をいくつか広げていている。搭乗券を確かめて見ると通路側が予約してある。彼女は、窓側を予約したはずなのに何か手違いがあったに違いない。ついては席を代わってくれないか、という。一瞬躊躇したが、こちらも一人旅で差し迫った仕事もないので、CAに伝えて席を代わることにした。出発してしばらくして、彼女から自分はPR会社で働いていて今はスロベニア観光庁の依頼で旅行客誘致のCDを作成をしており、仕上げのために現地に向かうところだとお礼かたがた話しかけてきた。この仕事が終わったらCDを送ります、とほとんど忘れたころになってからCDが送られてきた。

「袖すり合うも他生の縁」というから、いつかまたどこかで彼らと巡り合うことがあるかもしれない。

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「ローマ帝国の誕生」

2024年03月22日 21時17分08秒 | 日記

初めてローマを訪れたのは40年ほど前、ロンドンに赴任して最初のクリスマス休暇直前になってどうやって休暇を過ごそうかと迷い当時セントポール寺院の隣にあった日系の旅行会社をたずねたところ、わずかに残っていたのがローマ行のパッケージツアーだった。一人でもOKということで気ままに旅行できると思い、費用はやや高目だったがほかに選択肢もないのでその場で決めた。

このツアーはローマ中心部の、スペイン階段の近くのホテルに泊まり、あらかじめ用意されていた観光バスに乗って、観光名所をガイドに引率されるという今思えば典型的な観光旅行。日本人にうける、主だったローマ時代の遺跡、コロッセオ、パンテオンやフォロ・ロマーノ、アッピア街道と言った古代ローマの名所を駆け足で巡るものだった。その当時は今ほどは観光客は多くなく、12月のローマはロンドンよりは明るく暖かいとはいえ、どこか底冷えのする街だった、という記憶がある。

それはともかく、古代ローマ時代の遺跡を見ていると2000年以上も前にこんなに豪壮な文化があったということにはやはり圧倒される思いだった。その後、何度か仕事でローマを訪れる機会はあったがいつも観光する時間はなく、したがって古代ローマ帝国に対する印象はそのままだったと言っていい。たとえ古代ローマが属州と呼ばれた植民地からの収奪や奴隷によって支えられていたにしてもその印象は必ずしも否定的なものではなかった。

今回、新聞の書評欄で目に留まった「ローマ帝国の誕生」を、700年のローマ共和制の歴史が一気にわかる決定版という見出しにひかれて読んでみた。この新書は、はじめは小さな都市国家だったローマが周囲の国々を次々と滅ぼして最後には空前絶後とも言うような広大な「ローマ帝国」になるまでを簡潔にまとめたものだがそこに描かれているローマ(帝国)は実に獰猛かつ狡猾、攻撃的で版図を拡大せずにはいられない、まるで憑かれたように地中海世界を征服してゆく姿だった。この本の中ではあれだけの遺跡が属州という名の植民地の搾取によって成り立っていることが繰り返し強調されている。その姿はまるで領土拡大に憑りつかれてクリミア半島を強奪しさらにウクライナ全土を手中にするためにキーウにミサイル攻撃を続けるプーチンロシアの姿の生き写しのように見える。2000年経っても人間とは少しも進歩していないものなのだ。

 

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丸の内を行く

2024年03月16日 15時04分32秒 | 日記

風は強いものの春の日差しが暖かかった一昨日、かつての同僚二人と丸の内の三菱ビルにあるガストロパブ・クーパーズへ。薄暗い店内にはイギリスの国旗が掲げられていて本場とは少し違ってはいるもののたしかにパブの雰囲気がある。イギリスのパブではまだ見かけなかった、最近のレストランではすっかりおなじみとなったタッチパネルでの注文。フィッシュアンドチップスと、アンガスビーフのステーキと、やはりここでは本家の例に倣ってぬるめのギネスを飲んでみた。

丸の内で働いていたのは15年ほど前になる。あの頃は時間に追いまくられて全く余裕がなかった。古びた中央郵便局のビルや、復元途上だった東京駅の、いつもどこかで工事が行われていた落ち着きのなさは今では想像もできない。

かつては丸ビルの隣でそれなりに存在感のあった、三菱グループの総本山ともいえる三菱ビルは新しく建てられた高層ビル群にかこまれてなんだか背が縮まってしまったようにみえる。そして、肩で風を切るようにさっそうと歩く丸の内のOL(古い表現だ!)たちを見ていると時代の変遷を目の当たりにしたように感じる。ふと、あと30年も経ったらこのビル群も色あせて(今歩いている彼女たちが年を重ねていくのと同じように)しまうのだろうか、とも。

気ぜわしく歩いていた自分を、過ぎた時代を感傷的な目で眺めていただろう誰かがきっといたに違いない、と思うと一寸幻想的。

家の植込みに咲いている甘い、というよりは今はまださっぱりした香りのする沈丁花と、真っ白なこぶし。

 

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