テート美術館の画集を見ていたら、ジョン・エヴァレット・ミレーと同じヴィクトリア期の画家アルバート・ムーアの「Blossoms(開花)」が目に入ってきた。ミレーよりは少し時代が下るが、色調は優しく、この絵にはギリシャ彫刻を思い起こさせる古典的なポーズと彼が影響を受けた日本の浮世絵の、ピンクと白の調和が読み取れて心が和む。庭の薔薇も開花。
テート美術館の画集を見ていたら、ジョン・エヴァレット・ミレーと同じヴィクトリア期の画家アルバート・ムーアの「Blossoms(開花)」が目に入ってきた。ミレーよりは少し時代が下るが、色調は優しく、この絵にはギリシャ彫刻を思い起こさせる古典的なポーズと彼が影響を受けた日本の浮世絵の、ピンクと白の調和が読み取れて心が和む。庭の薔薇も開花。
ロンドンの建物には正面に大きな階段を持ったものが多い。大英博物館やセントポール寺院など幅広くかつ長い階段を登りきったところから後ろを振り返れば広場が見渡せる。建物や人物を偉大に見せるための舞台装置として階段は重要な役割を果たす。マッカーサー元帥が東京に来てあのギリシャ風の列柱が印象的な明治生命館ではなく、第一生命館にしたのは階段が第一生命のほうがより彼の威厳を引き立てると判断したからだという話もある。多分、階段を下りてくる姿が占領軍あるいは勝者としての威圧感をより与えると考えたからだろう。それはともかく、それほど大きくはないが階段が印象的なのはテート美術館だろう。ここの階段は一見窮屈にも見えるが、後ろに控える古典的な美術館の建物とよく調和している。
テート美術館はイギリスロマン主義の巨匠ジョゼフ・マロード・ウイリアム・ターナーの膨大な数の作品が展示されていて、これが無料でそれも普通は閑散とした静かな環境の中で鑑賞できるというのが魅力だ。ロンドンにいる時にはしばしばこのテート美術館でターナーの作品をゆっくり鑑賞した。いくつかの小部屋と広間のような展示室がうまく配されている。目にも優しいターナーの風景画はイギリス絵画の一つの頂点ともいえるだろう。
テートで楽しみにしているのはもう一つ、もちろん名画はいくらでもあるが、引き付けられてしまう絵が、ヴィクトリア期のラファエル前期を代表し、この時期の最高傑作のひとつともいわれているジョン・エヴァレット・ミレーによる『オフィーリア( Ophelia)』。今から170年前に描かれたこの絵は、言わずと知れたウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の登場人物であるオフィーリアが、彼女がデンマークの川で狂って溺れてしまう時の、生死のいまだ定まらぬ中、歌を口ずさんでいる姿を描いている。モデルを実際に水槽の中に浮かべて描いた(その結果モデルが風邪をひいて賠償金を支払った)というこの絵は、オフィーリアの悲劇的な表情を余すところなく描いているのに加えて、自然の風景の正確な描写が絶賛されている。まるで水の中で暮らす妖精のよう、とハムレットの中の王妃ガートルードに言わせるオフィーリアの死の場面は、文学の中で最も詩的に書かれた死の場面の一つとして称賛されているが、それを描き切ったミレーの素晴らしい作品だ。彼は死の直前、ロイアルアカデミーの会長にまで上り詰める。
王妃ガートルードの台詞にあるオフィーリアの死の場面:
「その花かずらを垂れ下がった枝にかけようと柳の木の下によじ登れば、枝葉つれなくも折れて花環もろともに川になかにどーっと落ち、裳裾は大きく広がりました。それでしばらくは人魚のように水の上に浮いてその間、自分の溺れるのも知らぬげに水に住み、水の性と合っているもののように、しきりと端歌を口ずさんでいたとやら。でもそのうちに着物は水を飲んで重くなり、可哀そうに、美しいしらべの声が止んだと思うと、あの子も川底に沈んでしまい、無残な死を遂げました(岩波文庫ハムレット、市河三喜、松浦嘉一訳)」
館内の美術品を堪能した後玄関に出ると時間によっては豊かに水をたたえた、また、時には引き潮によって水位が下がって干上がったテームズ川が望める。そしてその斜め右の方向には007ジェームズ・ボンドが所属している(はず?)英国秘密情報部MI6の緑のガラスが印象的な建物テムズハウスが望める。因みに、英国政府は1994年まで、このMI6の存在を公式には認めてこなかった。
美術館内部で撮った「オフィーリア」
テート美術館正面
MI6に入る夕闇迫るテムズハウス
ニューヨークのセントラルパークと5番街を挟んだ東70丁目にあるフリック・コレクション はアッパー・イースト・サイドにある美術館で、自分の住んでいたアパートからは散歩にちょうどよい距離にあり、ニューヨーク駐在中に何度か足を運んだ。実業家のヘンリー・フリックの個人的なコレクションを、彼の邸宅だった館で展示している、小規模だがヨハネス・フェルメールの作品を3つ所蔵するなど非常に充実した美術館で、絵画だけでなく彫刻・家具・陶磁器なども所蔵している。
コロナウイルスの蔓延によってこの美術館も閉鎖を余儀なくされているが、今ここの学芸員による、カクテルを呑みながら名画鑑賞をネットで、という企画が行われている。それぞれに専門分野をもつ学芸員が、解説するテーマにちなむカクテルを呑みながら、絵あるいは絵に描かれた人物の紹介をするのだが、昨日公開された企画は、イギリス東インド会社からキャリアを積んでついにはフランスを打ち破ってインドでのイギリスの覇権を確立した政治家で生涯多くの肖像画を残したウオーレン・ヘイステイングス(Warren Hastings )の話だった。なお、今回スクリーン越しに供されたのは東インド会社に勤務していた彼がボンベイに住んでいたことにちなんでジントニックにボンベイライムを加えたカクテル(もちろん、美術館がカクテルを提供するのではなく、視聴者は自分で用意しなければならない・・・)。
彼は、イギリスの植民地経営の先兵としての東インド会社で頭角を現した後、インドでのイギリス行政官としての栄達を駆け上がってその職を辞したのち、政争ともいえる東インド会社をめぐる不正疑惑に巻き込まれてその嫌疑をかけられ、10年にわたる英国史上最長と言われる裁判に戦い抜いて(その裁判費用のために彼は破産に追い込まれた)最後には無罪を勝ち取る。しかしもはや復帰は叶わず引退してグロスターシャー州の彼のカントリーハウスで生涯を閉じるという波乱に満ちた人物だけに、その肖像画もそれぞれの彼の年齢を反映したものになっている。
今回の学芸員はウオーレン・ヘイステイングスに対して同情的だった。確かに、本国から遠く離れ不自由で危険な生活をしながら植民地経営にあたってイギリスの国益の拡大に多大な貢献をしながら、本国の政治抗争に巻き込まれてしまったというのは同情に値するだろう。ただ、最後には名誉を回復し、一般的に言えば豪奢なカントリーハウスで余生を過ごして生涯を閉じるというのは成功物語と言えなくもない。なお、彼はインドで行政官として実績を上げただけではなく、常に読書を欠かさず、余暇を利用してウルドゥー語やペルシャ語も習得したという、インド文化に対する深い理解者だったことは事実だ。
東インド会社は歴史上初めての株式会社として、また、イギリスのインド大陸における覇権確立に絶大な貢献をした会社として歴史に名を残しているが、同時に多くの歴史に名を残すような人物も輩出している。かつて、シンガポールでラッフルズ・ホテルに泊まったことがあった。このホテル自体は100年ほどの歴史しかないが、同じく東インド会社から身を起こしたトーマス・ラッフルズにちなんでつけられたものだ。コロニアル風のこのホテルはが、そこかしこにいかにも植民地経営とはかくあるべきと言うような傲岸不遜、あるいは、上流階級の生活を思い起こさせる。宗主国のイギリス人から見れば、望郷の念に駆られるようなところもあるだろう。もちろん、その苛烈さを思い起こせば、植民地経営を正当化することはできないが、ここは歴史としてのイギリスの植民地経営の名残を感じるには適当な空間なのかもしれない。
好きなカクテルグラスを片手に、肖像画に描かれた人物のたどった数奇な運命に思いを馳せる、というのはとても良く練られた企画だ。
ウオーレン・ヘイステイングス の肖像画をいくつか。
若き日 Tilly Kettle画
インドで妻と 1784
国会での裁判風景 1788
晩年 Johan Zoffany画
先週に引き続き、BBCのドキュメンタリー番組、「Art of Persia」第二回をYoutubeで観た。今回はペルシャのイスラム教徒による征服から、その後の500年ほどを対象にしたもの。イスラム教がアラブ世界を先ず席捲し、ついにそれがペルシャにまで及んで、イスラム軍によりペルシャ王朝が滅ぼされ、それまで信仰されてきた土着のゾロアスター教(拝火教)からにイスラム教国家が成立する。
https://www.youtube.com/watch?v=ej6rrlx15Uo&t=5s
しかし、イスラム教の名のもとに侵入してきたアラブ人たちは、ペルシャ人の宗教を、それまで信仰されてきたゾロアスター教(拝火教)からコーランのイスラム教に変えることはできたが、ペルシャの文化、言葉、美術工芸、文学、習慣までを変えることはできなかった。確かにアラブ人はアラビア文字をペルシャに持ってきて、アラビア語の28のアルファベットをペルシャ語に組み入れたけれども、ペルシャ人はこれに純粋のペルシャ文字である4文字を加えて(英語で表現をするならp, ch, jおよび gの4文字)、32文字のあらたなのペルシャ文字とした。そうして、言葉としてのペルシャ語は以前のまま残ることになった。結局、アラブ人はペルシャの文化や言葉にそれを代替するようなものを提供することができなかったことになる。
そして、アラブ人の支配から再びペルシャ人の統治にとりもどすことになる。その時期に活躍した人の中には、数学、天文学、医学、語学、歴史、哲学などを究めた学者であり、ペルシアを代表する大詩人の一人オマル・ハイヤームがいる。彼は学問に秀でていながら詩的才能にも恵まれるという稀有な、いわば万能の天才であり、無常観に満ちたペルシャ語の4行詩「ルバイヤート」で今も世界的に知られている(岩波文庫他にその邦訳があり)。
文化というものはその地に住む民族に脈々と引き継がれて簡単には滅びない、政治や宗教に翻弄されても生き続ける。こういう例は世界にいくらでも見出すことができるだろう。例えば、日本については、漢字を導入してきてもそれを日本語としてとりこみ日本語として独自に発展させた、というようなことが言えるだろう。
前回のこの番組が、古代の歴史の靄のかなたからギリシャとの戦争やアレキサンダー大王の出現、ローマ帝国との激闘といった、中東の巨人ペルシャがゆっくりと姿を表してくるようなロマンあふれるものだったのに対して今回のプログラムは、そのペルシャがイスラムと言う未曽有の強大な宗教的影響力に翻弄されながらも独自の文化を守り抜いていった姿をとらえていて一層興味深い。
ターコイス・ブルー。妖しいまでに明るい緑みの青に輝くトルコ石で飾られた装飾品や工芸品の美しさには息をのむ。この美しさは、ペルシャの文化の輝きを象徴しているように思える。次回は最終回で、近代化からイスラム革命までをカバーするというから楽しみだ。
アメリカ、ミネアポリスで発生した白人警官による黒人男性の殺害事件ー膝で首を圧迫して窒息死させたーに関連して、イギリス、野党労働党の有力議員で影の内閣の教育相レベッカ・ロング=ベイリーがイギリス人女優のインタビュー記事を称賛(後で、釈明している)しリツイートして大きな波紋を呼び、影の内閣から25日、罷免されるという事件が起きた。
イギリスの有名女優で筋金入りの左翼活動家(若い頃は共産主義組織で、今はフェミニスト、社会主義者として)でもあるマキシン・ピーク(Maxine Peake)がイギリスの新聞インデペンデントのインタビューの中で、白人警官の行った膝による首の押さえつけは、イスラエルの秘密警察のセミナーで教授されたやり方だ、と発言した(インデペンデント紙は、首を膝で押さえつけるというのがイスラエル秘密警察から教授されたというのは根拠がない、と注記している。また、ピーク自身も後でこれが不正確だった、と認めている)。その記事を先の労働党議員がリツイートし、この女優を「ダイヤモンド!」とまで絶賛した。
これに対し、SNSやユダヤ系の団体からは、ピークの発言が「antisemitism 反ユダヤ主義」者による陰謀論だと非難の声が上がった。事態を重く見た労働党党首キア・スターマーは、本人の弁明を聞くまでもなく影の内閣から罷免した。ピークが何故、反ユダヤ主義者のよく使うような陰謀論を安易にインタビューで口走ったのかはわからない。彼女の日頃からの反資本主義、反グローバリズム、反保守党政権の延長線から不用意に出てきたものかもしれないし、あるいは、実は・・・。また、同じくコロナ対策をはじめとして与党保守党攻撃に躍起になっている労働党議員レベッカ・ロング=ベイリーがなぜ内容を確認しないままリツイートしたのだろうか、政治家としてそんな軽はずみな失敗は許されない。実際、労働党内でも、この行動は不適切と言う意見が大勢で、党内左派で普段は彼女を擁護する議員でも、保守党攻撃での勇み足だ、あるいは罷免は過剰反応だ、という程度の同情の声が聞こえるくらいだ。ただ、本人自身もこれからも現在の党首を支えてゆくと言っているから、事態は収束してゆくのだろう。
この、反ユダヤ主義の取り扱いの問題は労働党にとって長年の宿痾だった。特に、前党首だった、ジェレミー・コービンは党内の左派として反資本主義や反グローバリズムをかかげ、そのせいなのか、反ユダヤ主義に対しても曖昧ともいえる言動をくりかえしてきた。そのような下地があったからこそ、ピークの発言も飛び出してきたのだろうし、ロング=ベイリーのリツイートも生まれた。たしかに、反資本主義を強調するあまり、そこに付け込まれるというのも事実である。
イギリスの女優の政治活動は、厳しく非難されることも覚悟したうえでの一貫した信条に裏打ちされたものだ。同時に、反ユダヤ主義に対してあいまいな立場をとることはヨーロッパの政治家には許されない、ということを改めて示すものだと言える。コービン前党首はその点、社会主義的政策をさけぶあまり曖昧になり、それが党内分裂と支持者離れを招いた。これに対して、現在の党首であるキア・スターマーは今回、反ユダヤ主義に毅然とした態度をとったということ、それにピーク自身もこれからもスターマーを支持すると言っていることからも、妥当な判断と迅速な行動をとったことは評価されるだろう。いかに保守党政権の政策を批判しようとも、ナチスによるユダヤ人大虐殺をもたらした反ユダヤ主義には、一切付け入る余地のないことをはっきりと宣言しなければならないという、イギリス政治の現実を見る気がする。
なお、イギリスではコロナウイルスの死者が5万人を超え、世界第三位という悲惨な状況だが、どうしてこういうことになったのか、政府の対応の遅れも含め原因と責任の追及がそろそろ始まりそうだ。
少し靄のかかったイギリス国会議事堂を下に見て