首相問責決議案が可決されてから日本の新聞のテーマは選挙一色になっている。野田首相はこれからも選挙の先延ばしに全力を傾けることになるが、すでに外堀は埋まっているというところ。その中で、橋下氏が国政への自らの出馬を言明した。もっとも、同人の場合、言葉としては「国政には出ない」というものであるが、それが単に今後さらに耳目を集めるための、一呼吸置く反語的表現であることはだれの目にも明らかである。新聞社の世論調査によれば、日本の有権者の最も多くがこの人物を次の首相として相応しいと考えている由。橋下氏にはまさに好機到来とういう状況が出来上がりつつある。それにしても毎年首相が交代するという癖がこの国から抜けるのは何時のことだろう。また、同人のような幼児性格の人物に国政をゆだねようとする国民の虚無的な傾向にはいささか慄然とする。報道されている橋下氏の発言を聞いていると今からちょうど50年前の1962年、小林秀雄が「考えるという事」のシリーズのなかで言っていたことが思い出される。
「言語が荒廃しているとは即ち精神が荒廃しているという事だ。」