回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

予感

2020年05月31日 09時15分01秒 | 日記

今朝起きて庭に出てみると梅の葉が縮れたようになっていた。また、本来なら青々としている葉が少し赤みを帯びている。よく見ると、小さなアブラムシのようなものが・・・こうなると黙っていられない性格なので、早速車庫から殺虫剤を取り出して散布した。一応、帽子、手袋それにマスクも装着して。あたりに殺虫剤のにおいが少し残ったが、今朝は風もなく、広く飛散する恐れもない。噴霧器からの霧が朝陽にキラキラと輝いていた。これで虫が退治されるといいのだが、今日も暑くなりそうなので、害虫の大量発生が懸念される。まるで小さなパンデミック発生のようだ。こんなに短い間にどうして、繁殖するのだろうと思うくらいの生命力。

そのうちに、朝陽が力を増してきた。早朝の心地よい冷気が消え去って、また暑い一日を予感させる。最近は気象予報の精度が上がってきて、あまりはずれることがない。従って、予感というほどのものではなく、ネットで気象情報を見れば一時間ごとの気温の変化がわかる。天気一つとっても予感といった、主観的なものが入り込む余地は無くなっている。予感というのは感覚の問題で理屈のつくものではない。たとえば、経済については予想とはいうが予感とはいわない。経済予感等と言ったら、なんとなく霊的なものが感じられて胡散臭い。予想の場合には何らかの根拠があるはずだ。あるいは理由があってそれ以外には考えられないだろうということ。だから予想と言っておきながらその根拠を示すことが出来なければ単なる無責任な言いっぱなし、ということになる。根拠を示さずに結果だけ言われても意味はない。

一方、本来、予想と言われているものに、実際は直観や、理屈のないひらめきに頼っているものもある。株式や為替といった相場予想はち密な理論や情報分析に基づいているように思われるが最終的にはひらめき、予感のようなもので、市場が作られているのではないかと思われ、一見もっともな理由が述べられているが、それも結果から理由を後付けしていることがよくある。だから、相場に深入りしてしまうととだんだん神がかりになったりする。かつてノルウェーの知人に、為替や金利操作を担当している人がいた。何度か彼のオフィスに行ったことがあるがいつも窓を閉め切って暗い中、わずかな光で仕事をしていた。こうして集中力を高めているんだ、と。最初はびっくり、一瞬ぞっとしたものだがその気持ちもわからないではない。しばらくその枢要な地位にあったから、そんな職場環境がそれなりに効果があったのかもしれない。なお、親しくなってから、冬に自宅の誕生日パーティによばれたことがある。自宅の玄関に通じる小道には、雪に埋もれそうにローソクが灯されていて、どんな家なのか、気味が悪い家だと嫌だな、などと思っていたが、予想(あるいは悪い予感)ははずれて、いたって普通の家だったので胸をなでおろした。仕事と私生活をきっちりと分けていたのか。また、昔、イランがタイムマシンを開発して、未来に旅することが出来ると発表したことがあった。もしそうなら、株式や為替、原油先物でいくらでも儲けることが出来るはずだったが、この話は当然ながらいつの間にか消えてしまった。本当にタイムマシンが出来たら予感や予想と言った言葉は死語になるのだろう。

何かいいことが起きそうな予感がする、悪い予感がする、嫌な予感がする、という。予感は、説明できないだけに神秘的だし、魅力的だ。だから誰も人の予感に反論しようとはしない。せいぜい、あまり気にするなよ、と言えるくらいだ。他人の目でものを見ることはできない。自分の目でしか物は見られないから。あたかも他人の目で見たかの如く言うのは傲慢である。他人の目から見たらどう見えるか言われても、その他人に成り代わることはできない。同じ花でも、見るひとの気持ち、たとえば得意の絶頂にあるのかあるいは失意のどん底にあるのか、によっていかようにも違って見えてくるのと同じだ。

 

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週末

2020年05月30日 08時55分12秒 | 日記

平日と週末の朝の違いを実感するのは音からだと思う。土曜日の朝は、第一に交通量が少なく車に関した音も少ない。ついで、生活音。平日なら、決まった時間の朝の食器の当たる音や通勤通学のための家を出る際のドアの開閉音が週末の朝には聞こえない。窓からに見える自然や建物には大きな変化はないから、専ら週末の朝は音が違う。

今後、これまで通勤していた人たちの在宅勤務が定着したら、出勤に伴う生活音は聞こえなくなるのだろうか。そうなると朝の違いもなくなってしまうのだろうか。自宅にいたまま、いつの間にか仕事が始まり、いつの間にか終わるとしたら。出勤や職場での仕事、という行動自体がなくなてしまうと平日と週末の違いが見えなくなる。しかし、生活には一定のリズムと切り替えは必要だ。オンとオフの違いがないと、心身のリズムが狂ってしまうかもしれない。そしてそれがひいては社会の規範の弛緩につながるのでは・・・

最初にイギリスに転勤したとき、当時の日本はいわゆるモーレツ社員なることばがあり、今ならブラック企業の代名詞としか言えない「24時間戦えますか」という栄養剤「リゲイン(挽回!!)」のCMが堂々と流されていて、とにかく昼も夜も週末も平日もなく働くことが、皮肉を込めたとはいえ、一種のファッションになっていたという、今では考えられない時期があった。一方、イギリスに着任してみるとひどい不況にもかかわらず、深夜まで働いたり週末返上というモーレツなど全くなく、定時には退社し、当然週末は休む。考えてみれば、週休2日というのは労働運動の結果としても、日曜日はキリスト教では神という超越的な存在が決めた休息日なのだからそれに反することなど考えられない。ただ、その時は、日本と比較しての労働意欲の低さがイギリスの経済低迷の原因であり、日本風に働けば少しは良くなるのではと思ったのも事実で、随分な思い上がりである。その後の日本の、90年代からの低迷ぶりを考えればいかに的外れな感慨だったかがわかる。今どきあのような働き方はあり得ないし、犯罪である。

一度、イギリスの現地採用職員(日本人ではないが日本のメンタリテイをよく理解し、かつ会社に対して忠誠心の高い職員)に週末にかかる出張を命じようとしたことがあった。彼は一瞬躊躇したが、とくに異議は唱えなかった。しかし、しばらくしてから彼の奥方から電話があり、我が家では週末の予定があるので、出張させないようにしてもらえないか、と。週末に予定があり、そして家族が反対するのなら出張させるわけにはいかない。仕事の相手方もそれによってスケジュールが変更になっても理解してくれるだろうと思ったのでその場で彼の出張を取りやめた。結局問題は起きなかったが、ただ、この顛末が公になることにはためらいがあった。というのはえてしてこのような話は当時の日本人社員の間で、彼の奥方に「猛妻」というレッテルが貼り付けられ兼ねないし、それで彼が不快な思いをすることも避けたかったからだ(実際、彼の奥方は極めて淑やかな、温厚なひとだった)。

週末と言っても人間の生活は続くし、自然はそんなことにかかわり移ろってゆく。平日と週末の違いは無くなっていくのだろうか。それとも、これまでとは違った形でこの区切り、けじめがつけられてゆくようになるのだろうか。少なくともこれまでのような通勤風景は、在宅勤務によって変わっていくだろう。ロンドンでは週末になると街に音が無くなり静寂に包まれて平日の喧騒がうそのようだった。その違いに驚いたものだったが、しかしある週末、特に予定も決めずに、気ままなドライブをして、田舎の、農家が営むB&B(いわゆる民泊と言っていい)に泊まったときのこと、そのB&Bは農場に隣接した素朴な、しかし清潔で気持ちの良い民家で、部屋には朝早くから鶏や牛の鳴き声が聞こえてきた。B&Bの主人も朝から鶏や牛の世話をしている。動物たちには週末はなかった。

庭の片隅でひっそりと牡丹が(週末にもかかわらず?)花開いていた。

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2020年05月29日 07時57分44秒 | 日記

朝起きた時に鳥のさえずりを聴くのはなんともうれしい気分になる。まだまどろんでいるときに小鳥たちの少し騒がしいが生き生きとしたさえずりは、登校する小学生たちにの元気な声を聴くときのようで、さわやかさ、にぎやかさ、明るさからはこれからの一日に何か良いことでもありそうな予感で楽しい気分にしてくれる。鳥は(かならずしも全ての鳥がということではないが)、そのかわいらしい姿に加え、音、さえずりが人を魅了する。また、その強い警戒心で、簡単には触れることのできないことも魅力だ。魚が手からすり抜けていくように鳥たちは俊敏な動きで人を翻弄する。手に入れようとしてそれが出来ないものほど、人を引き付けるものはない。

鳥とのかかわりで連想したのが藤の花。庭に植えてある藤はそろそろ満開を迎える。いつ、この藤が植えられたのかはわからないが、たぶん30年ほど前。この木の手入れをすることがむつかしい時期があって、枝が四方に方向性もなく伸び切ってしまい、そのせいかわからないが花をつけることもしなくなってしまった。8年ほど前から、それまでは伸びるに任せて秋に大きく刈り込んだり、また、根元から数本に枝分かれしたものを放置してあったものを、こまめに剪定を繰り返し、枝もすこしづつ整理して1本にした。そして藤棚を作ってその上を這わせるようにしたら5年ほど前から少しづつ花をつけるようになってきた。

蕾がだんだん大きくなってくるのを楽しみにしていた数年前のある春の朝、ふと見るとカラスが数羽、藤棚に乗って何やら忙しそうにしている。藤棚の下を見るとそこには食いちぎられたつぼみが散乱している。食べることが出来ると思ったのか、あるいは遊びのつもりだったのか。その時以来、藤棚の上に細い透明な糸を巡らせて鳥除けにしている。足を絡めることを警戒してカラスはもちろんそのほかの鳥も寄り付かない。この方式はカラスなど鳥に襲われそうな果樹や果物のにも適用できる。ブドウなども甘くなってくるとカラスや鳥たちの格好の標的になるから、この釣り糸のような透明な糸は効果抜群。

庭の藤の花はうすい紫色で、藤色の色名がこれに由来することがよくわかる。他のマメ科植物と同じく、夜には葉をすぼめる。房状に長く垂れ下がって咲く花は繊細で少し触れただけでも散ってしまう。

英語ではWisteria、やわらかい語感をもつ。日本の藤は固有種なので全く同じ花は見かけないがイギリス南部にある庭にはWisteria が植えてあった。

 

 

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強行突破

2020年05月28日 08時28分51秒 | 日記

イギリスの政界が騒がしい。EU離脱運動の戦略を練って国民投票に勝利し、ジョンソン首相の最側近として権勢の限りを尽くしている首相上級顧問(なんとなくいかがわしい肩書!!)である、ドミニク・カミングスが、外出禁止令の出ているさなか、自分の家族を疎開させるためにロンドンから400キロほど離れたダーラムまで車で移動しさらに近くの観光地にも多分息抜きのために足を伸ばしたということで、厳しい都市封鎖の中で、場合によっては罰金などの刑罰も課されている国民の間にあまりにも不公平だという不満が募っている。この非難に対してジョンソン首相および地元警察は特殊な事情だったとして擁護し、また、首相官邸で記者会見したカミングスも一切謝罪などの言葉を述べず強硬な態度に終始している。

各有力新聞は、この国には一般の市民に適用される法律と保守党幹部に適用される法律の二つがあるのか、と攻勢をかけていて国民、世論調査では、過半数がカミングス氏の行った行為は不適切であり辞任すべきだとしているし、保守党の中にも、このようなことがまかり通るのでは国民にコロナ対策での外出禁止順守を求めることはできない、多くの国民が子供に会うこともできず、最後の別れを告げる葬式(コロナに関係なく)にすら出席できずにいるという厳しい現実からは到底受け入れられないとし、さらに、内閣の中でも。地元の選挙民に言い訳が出来ないとして抗議の辞職をする者がでているくらいだ。

なぜジョンソン首相はカミングスをかばうのか。それは、特に弱みでも握られて(イギリス政界では陰謀やスキャンダルをネタにした恫喝は日常茶飯事なのでこの可能性は否定できない)いないとしたら、もし少しでもカミングスのやり方を否定してしまうとそれは自分の権威の否定にもつながると思っている、いわば一心同体とでも考えているからではないか。

この強行突破作戦がうまくいくかどうかはコロナが終息するかということも絡んで不透明だ。しかし、この問題がカミングス個人の利害(家族のため)によるものであり、他に何らかの利益をもたらしたものでない以上、どこにも大義はなく、権力を濫用しただけ(なんら公共の利益もない)だ。これを権力をかさに着て力で押し切るろうとしているように見える。自らコロナから生還し、体重もかなり減量して若干ぜい肉を落としたジョンソンが、コロナ後の復興の先頭に立とうとしていた矢先の、こんな低水準のスキャンダルにどう対応してゆくのか、イギリス政界の動揺はしばらく続くだろう。イギリスは死者数でアメリカに次いで4万人に迫る世界第二位という深刻な事態だ。それもジョンソン首相自らが当初事態を軽く見て、初動対応が他国に比べても遅れ、しまいには自身も罹患してしまったのだが、それが今の惨状の原因ということも言える。自らまいた種に、問題にさらに火に油を注ぐようなカミングスの行動、それを擁護するジョンソンに未来はあるのか。

今年のウインブルドンは早々と中止が決まった。無人のテニスコートの、その向かいにあるゴルフ場の今はただ青々とした芝生や池には鳥たちが何の気兼ねもなく遊びまわっているに違いない。

去年撮りためた写真をいくつか。

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遣らずの雨

2020年05月27日 09時07分23秒 | 日記

今住んでいる家の玄関に上る階段には春から秋まで季節の花を植えた鉢植えを置いている。階段は6段だがその3段目に屋根からの雨が当たる。強い雨が降った時には3段目に置いてある鉢に雨がたまってしまうため、緊急避難することがある。今朝3時過ぎ、大きな雷鳴とともに強い雨が地面にたたきつけるように降ったので急いで階段の上の方へ移動。こんな強い雨がふりだすと家の中に籠っているしかない。

目が冴えて、この雨を眺めていたら、なぜかハンガリーでの出来事を思い出した。1990年代、年に一度の日本からハンガリーへの経済ミッション(使節団?)は恒例行事になっていた。会社としては参加するが、東京から参加したのでは時間的にも費用的にも負担が大きいということで、ロンドンにいた自分にお鉢が回ってきたことがある。当時は経済交流の一環として、各分野の企業が参加したミッションを結成し、団体旅行よろしく各地を視察して現状調査のかたわら、買い付けや投資の話をしたものだった。

この時は、ハンガリー各地を一週間ほどかけ、工場や観光施設などをめぐるものだった、ハンガリーでの行事がすべて終わり、ブダペスト郊外の一軒家のレストランでハンガリー側の手配に対するお礼のため、ハンガリー商工大臣を迎えての当方主催の答礼の夕食会が開催された。食事後のコーヒーも終わっていよいよお開きになり、参加者が帰ろうとすると、急に強い雨が降りだしてきた。ブダペスト郊外のガラス張りの一軒家のレストランの周りは水しぶきが飛ぶくらいで、先方も一瞬外へ出ることを躊躇するほど。それに気づいた団長が、これが日本で言う 遣らずの雨、です。皆さんには雨が小やみになるまでしばらくここでお過ごしください。と。それまで、日本語に堪能な同時通訳がハンガリー語に通訳していたのだが、さすがにこの言葉には一瞬口ごもり、団長に聞き返した。通訳が言葉の意味をとれないときには念のため発言者に聞き返すことはよくあることだ。そこで団長が「お客を帰さないかのように降りだす雨」と伝えると少し戸惑いながらも翻訳していた。日本側の参加者の中にも怪訝な顔をする者もいたが、その意味を聞いて先方の大臣が大きくうなずいて団長と一緒にしばらく歓談していた。

遣らずの雨、というのはどこか秘めやかな感じのする言葉で、ビジネスの場ではしっくりくるものではないし、すぐに思いつくものでもないと思うのだが、自然にこういう言葉が出るというあたり、団長には言葉に対する鋭い感覚があったのだろう。

この時、日本側一行が宿泊したのは、ドナウ川に面し、対岸にブダの王宮を望む、そして右手にはドナウ川にかかる「くさり橋」のライトアップされた姿が望める「ホテルフォーラム・インターコンチネンタル」だった。ブダとペストを結ぶ橋の明りがドナウ川の川面に映って流れに揺れていた。

秘書も伴わずひとり、小柄な体を紺色の背広に身を包んで薄暗いホテルフォーラムのロビーを遠ざかっていった団長は当時世界の主要ホテルチェーンであるインターコンチネンタルホテルズのオーナーだったセゾングループの総帥、堤清二氏だった。まだ若々しく、しなやかな身のこなしの彼の姿は今でも鮮明に覚えている。

小雨になって、姫林檎の花が満開に。

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