どこに住んでいても新しい年は来る。ロンドン南西部の何の変哲もない住宅街の暮れ。空の色が群青なのが高緯度だということを教えてくれる。地下鉄の入り口が灯りが温かい。ロンドン居住者は62歳を超えたら市内の地下鉄・バスの無料パス(Freedom Pass)を申請できる。静かな老後は英国で、というのはわかるような気がする。
「世界は悪意と敵意に満ちていた。みずから悪意と敵意をもつ者だけが、この世界を生きのびる」というのはホロコーストを経験し、最後には自殺してしまったオーストリアのユダヤ人思想家ジャン・アメリーの言葉。この通りだとするとあまりに殺伐とした世界になってしまうが、最近の政治家を見るとここかしこにこのような事象が現れている。その身近な一例は、大阪市長橋下徹だし、習近平や朴 槿惠も悪意と敵意に満ちているという点では同類。
インド映画といえば昔見た「インドへの道」が今でも強烈な印象を残している。しかしそれ以外でインド映画を観る機会はなかった。ところが、たまたま先月、ロンドン行のJAL便で見た「めぐり逢わせのお弁当」は久しぶりに見たインド映画、そしてとにかく名作だった。一握りの登場人物だけで想像力が広がりどんどんと引き込まれてしまった。ありえないような偶然なのだが、それを許したくなるようなストーリー展開。主人公の男女が物語が進むにつれてますます魅力的に見えてくるところにこの映画の秀逸さがあるのだろう。
しかしながら、この映画で最も印象に残ったのは、主人公の男、サージャンがイラにレストランで実際に会うことを止めてしまう理由だ。彼が朝、ひげをそっていたら父親のと同じ匂いを感じてしまった。そして自分の老いを確信してまだ若いイラには似つかわしくない、として盛り上がってきた逢瀬を諦める場面。
誰でもいつかは老いを感じてしまう瞬間がある。それがサージャンの場合には髭剃りのにおいだったわけだ。自分の場合、いつ、何で、どのように感じるのだろうか。
今日午前、インドネシア近海でAirasia機が消息を絶った。どこかに不時着しているのならよいが、年末にまた大きな事故になりそうだ。今年はマレーシア航空機の遭難があり近年にない航空機事故の年として記憶されることになりそうだ。自分は過去40年以上、公用、私用でずいぶん飛行機を利用してきたがこういうことがあるとこれからの飛行機の利用にいささか躊躇してしまう。ただ、これまで航空機事故に遭遇した友人、知人は全くいないのは幸運だと言えるだろう。
航空機事故で思い出すのは、1999年、米国勤務が始まって間もないころにケネディ元大統領の長男、JFKジュニアがケネデイ家の別荘に行く途中に自分の操縦する小型飛行機が墜落した事件だ。当時のクリントン大統領が米国空軍まで動員して大捜索を行った。ニュージャージーの飛行場から夕刻飛び立ったのだが、視界が不良で操縦を誤って海に激突したのだろう。かれの飛行機操縦経験はまだ極めて浅かったからだ。
あの時は米国全体が喪に服していた。そしてケネデイ家の悲劇がいまだに終わっていないのだと米国民は知らされたような気がしていた。しかしながら今思えば、あの時は米国もまだ輝いていた。その後の911テロ、アフガン・イラク戦争、ロシア・中国の跋扈と、ここ15年、何もよいことはなかったように思う。
NHK総合テレビで今日午後放送されたドキュメンタリー番組。米ソによる東西冷戦、その終結とユーゴ紛争、同時多発テロとその直後の米国のナショナリズムのうねりにまさに翻弄される天才チェスプレイヤーの姿が実に痛々しい。63歳という決して長いとは言えない生涯をひたすら疾走したフィッシャー。自分も幾度か訪れたことのあるアイスランド、ベオグラードや旧ユーゴスラビア諸国(そして日本)が彼の人生の主要な舞台となっていて懐かしさがこみ上げてきた。
思えば、NY市庁舎前での凱旋式典が彼の人生の絶頂だったのだろう。そして対ユーゴ制裁に基づく米国政府からの命令書に唾する天才フィッシャーの姿は第二の絶頂だったといえるかもしれない。
冷戦時代に敵対国ソ連に打ち勝って米国の名を挙げたということでは、フィッシャーは第一回チャイコフスキー国際コンクールで優勝したクライバーンとも重なるが、その後の人生はまさに対照的だ。これもチェスという勝負の世界の持つ破滅的な魔力によるのかもしれない。
キッシンジャーからの電話で立ち直るフィッシャーとその後の米国政府の冷淡な対応は、国際政治の非情を余すところなくあらわしている。米国に送還せず、アイスランドに出国させた日本がフィッシャーにはどのように映ったのだろうか。