回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

下司の勘繰り

2016年02月12日 17時51分08秒 | 日記

塩野七生の「ギリシャ人の物語Ⅰ」を読んでいるのだが、ギリシャがペルシャとの2度にわたる戦役を勝ち抜いた後に訪れた平和について語るくだりにこの言葉が出てくる。塩野七生はこの言葉を引用するのに「下品な言い方を許してもらえれば」とわざわざ断っている。それほどにこの言葉は時と場面を選んで使わなければならないもので、軽々に口にするべきものではない。この本の中では、平和を保つための指導者の努力を、(十分な考慮もなしに)地位や権力にしがみつきたかったからであると断ずるのは「下司の勘繰り」にあたるとしている。そして、「下司の勘繰りくらい、歴史に親しむのにふさわしくない心の持ちようもないと思っている」とも。

しかしながら、先月の歌謡歌手と女性タレントとの密会を、歌謡グループ名から引用して、いまや「下司」が「ゲス」とカタカナとなって、連日新聞やマスコミに溢れかえっている。さらには国会議員と女性モデルとの密会についても件の国会議員に対してこの名が冠されている。

言葉に対して最も注意深くなければならない報道機関がこのような言葉を無責任に氾濫させているのは一体どういうわけなのか。そしていつか、「ゲス」とは不倫に走る人を指す言葉に変容するのかもしれない。「下司(ゲス)」すなわち、心の卑しい者、が不倫に走る、というのでは「失楽園」でひとつの不倫を描き切った(社会現象にまでなった)、泉下の渡辺淳一も嘆いているかも。

事実婚が広がっているフランスでは、ホランド大統領がパートナーとの同居中に女優と密会して話題になったことがある。しかしこのことをもって誰も大統領の辞職を求めたりはしなかった(もちろん、彼の政治家としての能力から辞職を求める声は大きかったが)。いつか日本でも事実婚が一般化したら、「ゲス」はいなくなるのだろうか?

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再会

2016年02月11日 14時01分45秒 | 日記

ほぼ1年ぶりにNYから一時帰国した知人と南青山のイタリア料理店で再会。昨年、潜血反応がでたことから遅まきながらの精密検査と、NYで展開している旅行業の顧客へのあいさつ回りが目的。NYへの観光客が一段落するこの時期に毎年ひと月ほど帰国している。まずは、気がかりだった大腸の検査に異常がなく一安心。診察した医者曰く、もし大腸がんだったらとっくに死んでいますよ、とのことで、このところ立て続けにがんで落命する友人がいたので本当にほっとした。

表参道駅から5分ほどにあるこのイタリア料理店はトスカーナ出身のシェフの手になる郷土料理が中心だが味、量ともに申し分ない。この知人も酒は飲まないから大ぶりのデザートをふくむコース料理をとって一人6000円。イタリア料理には事欠かないNYでもいくつかイタリア料理店で食事を共にしたことがあるがそれらに全く引けを取らない素晴らしい店だ。落ち着いた店内に、3組しか客がいなかったのも静かでよかった(店にとっては厳しいかもしれないが・・・)。

昨年暮れのパリでのISによるテロのあと、NYのタイムズスクエアにもテロ警報が出るなど、観光客の足は遠のいていてNYでの旅行業界は難しいらしい。そんな中で、日本から透析患者の旅行の話が持ち込まれたという。もちろん、費用の高いNYでは透析すること自体が目的ということではなく、あくまで観光が中心だという。団体旅行では透析中の患者は受け付けないということなので、富裕層の個人旅行という形態になる。透析している方で何とか旅行したいという人はいるのだろう。この話が現実性があるのか、再会した翌日も知り合いの病院で透析の様子を見学すると言っていた。

この知人は2000年に渡米したから既に15年経ち、その間に米国のグリーンカードを取得してすっかり彼の地に根を下ろしている。この間、弁護士の紹介など何度かささやかな手伝いをしたことがある。大切にしたい、古い知人のひとりだ。

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偶然

2016年02月10日 15時43分38秒 | 日記

落し物が意外な形で見つかるというのは不思議な感覚だ。ちょうど一週間前、近くのヨーカドー食品館で買い物をしていたらオーバーコートのボタンが一つ無くなっていたのに気が付いた。前日には異変に気付かなかったのできっと家から出た後に落ちたのだろうと帰る道すがら(いかにも挙動不審だが)目を凝らして探し、帰宅してからクローゼットも探してみたが見つからず、やむなく翌日、同じ大きさの、しかし色が微妙に違うボタンを駅ターミナルの百貨店で購入した。よほど注意しなければその違いは判らないし、そもそも他人のコートのボタンにそれほど注意を払う人もいるまいと思い、失くしたボタンのことは諦めていた。

ところが昨日、旅行に出るためにキャリーバッグを持ってマンションの玄関を出たところほんの数メートルの路上に落としたボタンが。何度も探したのにその時は見つからず、ましてや人通りのあるこんな場所にこのボタンがずっとあったとは俄かには信じられない。こんな些細な話だが、偶然というのは、不思議な感じだ。もちろん、7日後に戻ってきたこのボタン、かつてあったところに付け直すことにした。短期間の不在を埋めた新しいボタンは箪笥の片隅でいつか必要となるまで待つことになる。

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