コロナの呪縛から解放されてこのところ飲食を伴う会合に出席することが多くなった。つい先日出席した某ビールメーカーが主宰した例会は普段以上に盛会だった。やはり人は膝附併せて酒を飲むことが好きなのだろう。
大学同期の友人から久しぶりに飲まないかと誘われたのもそのころ。結局、一昨日、大学でアメリカ文化学を教えていた教授と元商社マンだった、今は一線を退いている3人で地酒がうまいという料理屋で会うことになった。近況などとりとめのない話が続いた(この3人の会では年金や病気、孫の話はしないことが不文律)あと、件の大学教授が口火を切って近頃読んだ小説とは、という話になった。こちらから、最近の小説は難解というのかあまり楽しめないと話をしたところ、両人も同様な意見だったが、元商社マンの友人からは、今になって19世紀のフランスの小説を読むのが楽しくなってきた、と言い出した。そのなかでも特にバルザックの「ゴリオ爺さん」のような喜劇とも悲劇ともいえるもの。これがあくなき出世欲の話なのか、あるいは社会派の小説なのか意見は分かれるだろうが、パリの当時の実相が良く描かれていているのが特に良かった、と。
この時期のフランス小説では同じくバルザックの「谷間の百合」(これは一種の不倫小説?)のような悲劇もあれば、スタンダールの小説群など何度読んでも飽きないものがある。
この両氏の話、問題は前置きと後講釈が長すぎることだ。長すぎる前奏と後奏を聴いているようで、古い話ながらイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」思い出した・・・
長い講釈語りを寡黙で知的なharborside様が静かに耳を傾けるの図が見えました☺️最高級のワイングラスを傾けながら🍷✨
周囲からはとてもそんなふうには見えなかったでしょう。
前置きや講釈、これは自戒をこめてのことです。
残念ながら高級ワインなどではなくもっぱらビールでした。
このメンバーであと何回飲めるか?などとつい考えてしまいますね。
時を越えて語り合えるご友人がいらっしゃるというのはとても素敵ですね。
バルザックのゴリオ爺さん、場面の描写が細かくて、まるで映画を見ているみたいだな、と思いました。わたしもいつかharborside さまと文学談義ができたらうれしいです!
「ゴリオ爺さん」の読みどころの一つはその時代のパリの、地区ごとの住民の階層や生活の実相が詳細に描かれているところでしょうか。大きく変わっていることでしょうが約200年前のパリの面影は今でもかすかに残っているのでは?
パリを熟知されておられるmichiさまからいつかそういったお話をうかがうことが出来ればと思っています。