回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

長すぎる前奏

2024年08月31日 17時28分11秒 | 日記

コロナの呪縛から解放されてこのところ飲食を伴う会合に出席することが多くなった。つい先日出席した某ビールメーカーが主宰した例会は普段以上に盛会だった。やはり人は膝附併せて酒を飲むことが好きなのだろう。

大学同期の友人から久しぶりに飲まないかと誘われたのもそのころ。結局、一昨日、大学でアメリカ文化学を教えていた教授と元商社マンだった、今は一線を退いている3人で地酒がうまいという料理屋で会うことになった。近況などとりとめのない話が続いた(この3人の会では年金や病気、孫の話はしないことが不文律)あと、件の大学教授が口火を切って近頃読んだ小説とは、という話になった。こちらから、最近の小説は難解というのかあまり楽しめないと話をしたところ、両人も同様な意見だったが、元商社マンの友人からは、今になって19世紀のフランスの小説を読むのが楽しくなってきた、と言い出した。そのなかでも特にバルザックの「ゴリオ爺さん」のような喜劇とも悲劇ともいえるもの。これがあくなき出世欲の話なのか、あるいは社会派の小説なのか意見は分かれるだろうが、パリの当時の実相が良く描かれていているのが特に良かった、と。

この時期のフランス小説では同じくバルザックの「谷間の百合」(これは一種の不倫小説?)のような悲劇もあれば、スタンダールの小説群など何度読んでも飽きないものがある。

この両氏の話、問題は前置きと後講釈が長すぎることだ。長すぎる前奏と後奏を聴いているようで、古い話ながらイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」思い出した・・・

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古いものを大切に

2024年08月30日 14時29分38秒 | 日記

家の外壁塗り替え工事が完了した。

前回の工事はこの家に父親が一人で暮らしていた12年ほど前。ベージュ色のモルタル、一部木壁のこの家は、出入りの工務店によってほぼ10年毎に塗り替えをしていたから今回は少し間が開いてしまった。それほど傷んでいるとは思わなかったが、さすがに木壁のところはよくみると色が褪せていてわびしさを隠し切れない。いつまでも見て見ぬふりをするわけにもいかず、まず知り合いの塗装業者に相談したところ、コロナ明けということで注文が殺到していて今年は無理、というつれない返事だったので、前回頼んだK社に話を持って行ったところ意外にも二つ返事で引き受けてくれた。更に前回の担当者が今も同じ部署にいてその時の資料も残っていてすぐに見積もりを持ってきた。ただ、見積もり額はこの12年の物価や人件費の上昇によりほぼ2倍になっていた。ここ数年の建築費の値上がりを考えればやむを得ないし、また、作業員の安全にかかわる法律の変化などもある。それでも最大限の値引きをしてくれたので5月末に契約。ロンドンから戻って間もなく足場工事が始まり、この家は黒っぽい四角い網かごに閉じ込められたようになった。幸い、それほどの悪天候にも見舞われずに、工事は順調に進んで、当初予定より2週間ほど遅れたが満足のいく仕上がりとなった。足場が外されると、外壁を一度削り落として幾重にも塗り替えられた家は息を吹き返したようになった。

この家は建てられてから半世紀を経た今も特に歪みもなく暮らすのに不満はない。確かこの家は父親の知り合いの、少し気難しい一人の初老の大工が半年かけてゆっくりと建てたはずだ。同じ敷地にあった仮住まいの家から出来上がってゆくのを毎日見ていた記憶がある。その家が今でも住むに堪えるということはきっとあの大工の腕が良かったのだと思う。さすがにモミジ模様の窓ガラスや玄関の両開きの扉などには昭和の香りがする。客用の食堂が二つあったり、ほとんど使われたことのない和室が二間あったり、ヒーターの効きが悪く冬には底冷えのする広すぎる玄関など、ときには我慢を強いられることはあるが両親や兄弟姉妹の思い出の詰まったこの家を建て替える気にはしばらくはなれないだろう。

そういえば、ロンドンの家も1930年代に建てられたものだった。古いものを大切に使い続けるのは悪くないと思う。

コメント (2)
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