岩波文庫、中條屋進訳の「サラムボー」上下巻を読み終えた。このところ、親戚に不幸があったりして落ち着かない日を過ごしていたところ、アマゾンで予約してあった下巻が到着したので、この週末久しぶりに読書に専念してみた。誰でもそうだろうが、フローベールではこれまで「ボヴァリー夫人」や「感情教育」から、「聖アントワヌの誘惑」までを一応読んできたが、カルタゴの傭兵戦争を舞台とした古代に題材をとった小説には新しい側面を観たような気がした。延々と続く残虐な場面描写にはいささかたじろぐところはあったけれども、後味は必ずしも悪くない。それは、はるか古代の出来事として設定されたもの、と割り切ることが出来るからだろう。もしこれが近現代を舞台にしているものなら到底受け入れられるはずもない。考古学的価値はゼロ、というこの作品、まさに真実とは考古学的あるいは学問的なものと、文学的あるいは芸術的なものと二つ存在するということを端的に表しているように思われる。それにしても、作家の言う、「「サラムボー」では。「ボヴァリー夫人」でよりも、人類(人間)に対して過酷ではなかったと私は思っているのです」とはどういうことなのか、改めてこの作家の作品を読み直してみなければならないのかもしれない。
フランスの作家では、最近、モーパッサンの「わたしたちの心」を読んだが、同じ恋愛小説ではあるものの、「サラムボー」のようなまったく趣の違う作品に出合うのは読書の楽しみの極み、といえるだろう。