家の外壁塗り替え工事が完了した。
前回の工事はこの家に父親が一人で暮らしていた12年ほど前。ベージュ色のモルタル、一部木壁のこの家は、出入りの工務店によってほぼ10年毎に塗り替えをしていたから今回は少し間が開いてしまった。それほど傷んでいるとは思わなかったが、さすがに木壁のところはよくみると色が褪せていてわびしさを隠し切れない。いつまでも見て見ぬふりをするわけにもいかず、まず知り合いの塗装業者に相談したところ、コロナ明けということで注文が殺到していて今年は無理、というつれない返事だったので、前回頼んだK社に話を持って行ったところ意外にも二つ返事で引き受けてくれた。更に前回の担当者が今も同じ部署にいてその時の資料も残っていてすぐに見積もりを持ってきた。ただ、見積もり額はこの12年の物価や人件費の上昇によりほぼ2倍になっていた。ここ数年の建築費の値上がりを考えればやむを得ないし、また、作業員の安全にかかわる法律の変化などもある。それでも最大限の値引きをしてくれたので5月末に契約。ロンドンから戻って間もなく足場工事が始まり、この家は黒っぽい四角い網かごに閉じ込められたようになった。幸い、それほどの悪天候にも見舞われずに、工事は順調に進んで、当初予定より2週間ほど遅れたが満足のいく仕上がりとなった。足場が外されると、外壁を一度削り落として幾重にも塗り替えられた家は息を吹き返したようになった。
この家は建てられてから半世紀を経た今も特に歪みもなく暮らすのに不満はない。確かこの家は父親の知り合いの、少し気難しい一人の初老の大工が半年かけてゆっくりと建てたはずだ。同じ敷地にあった仮住まいの家から出来上がってゆくのを毎日見ていた記憶がある。その家が今でも住むに堪えるということはきっとあの大工の腕が良かったのだと思う。さすがにモミジ模様の窓ガラスや玄関の両開きの扉などには昭和の香りがする。客用の食堂が二つあったり、ほとんど使われたことのない和室が二間あったり、ヒーターの効きが悪く冬には底冷えのする広すぎる玄関など、ときには我慢を強いられることはあるが両親や兄弟姉妹の思い出の詰まったこの家を建て替える気にはしばらくはなれないだろう。
そういえば、ロンドンの家も1930年代に建てられたものだった。古いものを大切に使い続けるのは悪くないと思う。
うちの現状は引き継ぐ人がいないかもしれなくて、いつまでここが「私の家」なんだろうと憂鬱です😓
駅でバスに乗り込むときも、いつまでここは「私の町」なんだろうと考えると気持ちが塞ぎます😔
どんなものでも手入れしながら長く持ち続けることが出来るのは有難いことです。
「私の家」があって「私の町」と思えるというのはその通りです。形のあるものが無くなるかもしれないと考えると気が重たくなりますね。しかし、そういう感傷も時には必要ではないでしょうか?
私は赴任地から帰国するときなどに、その国や町から永遠に(少し大げさですが)切り離されてしまうようで、まるで何か取り返しのつかないことをした時のような感傷に浸ったことがあります。ただ、しばらくするといつの間にかその思いも癒えるようで、また前向きになれたように思います。