回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

摩周湖Ⅱ

2020年07月31日 16時59分58秒 | 日記

昨日は久しぶりにかなりの長距離を運転した。摩周湖をはじめとする北海道の東部はのどかな畑と牧場がどこまでも続いていてやって来る自動車はほとんど見かけない。また、森の中に入ると白い蝶がひらひら飛んでいるだけでどこにも人家は見当たらない。時たま、鹿飛び出し注意の看板がある程度。そのためか、長時間の運転でもそれほど疲れることはなかった。

晴れていて視界を遮るものもないから、むしろ単調すぎて時間の感覚が狂ってしまうほど。大袈裟な言い方をすれば、北海道ではどこまで走っても目的地までまだ遠い、と言う感じになる。ゆるやかな起伏を繰り返す直線道路を走っていると、東京で運転していたことが別世界の出来事のように思えてきた。

ただ、車が見当たらないのは、観光客のいなくなったせいかと思うと複雑な気持ちになる。これが「コロナ後」の普通の風景になるのか、今はまだ誰にもわからない。

昨日に続いて摩周湖と野草の写真をいくつか。

湖に垂直に落ち込む絶壁

湖に浮かぶ小島

小島を拡大してみると

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摩周湖

2020年07月30日 20時37分17秒 | 日記

ちょっとした用事のついでに、多分、30年ぶりに摩周湖を訪れてみた。長い長い一本道を上り詰めると不意に、と言う感じで湖が姿を現わす。今日は霧もなく、あまりにも強い日光のせいか、少し靄のかかった摩周湖を見ることが出来た。写真ではよくわからないかもしれないが、今日のように晴れた日の湖面は「摩周ブルー」と呼ばれる吸い込まれるよなコバルトブルーが美しい。去年までは殺到していた外国人観光客が皆無となり、国内ももはや緊急事態同然の状況下で、人影は実にまばら。がらんとした駐車場の管理人もこんな時に来る酔狂な人、と言う感じで歓待してくれた。静かな湖だけではなく、展望台に通じる道のそばでヤマアジサイや野草が見る人もなくひっそりと控え目に咲いていた。どこまでもまっすぐ続く道路には車の姿もない。

 

 

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NY最新事情2

2020年07月29日 18時35分57秒 | 日記

NYの知人から紹介のあったYoutube.

先日のNY最新事情の続編で今回はNY市5区の一つスタッテン島をフェリーで巡る旅。肩の凝らない観光案内として、自由の女神像のこともよくわかる。苦境にある旅行業界をわずかでも支援しようと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=5hnt11fibyY

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2020年07月28日 18時39分28秒 | 日記

今住んでいる家では朝6時少し前の人々がようやく動き出そうとする頃、近くの寺から鐘の音が聞こえてくる。風向きによってははっきりと聞こえる時もあるし、ほんのかすかにしか聞こえない時もある。いずれにせよ、何か気ぜわしくしていると聞き逃すしてしまうほどの音だ。自分が檀家になっているこの寺の鐘楼に下がっている鐘の音は、低く長く余韻を残す。

たまたま、この寺のすぐ近くにカソリック系の大学のキャンパスがあって付属の教会があり、そこからも鐘の音が聞こえてくることがある。お寺の鐘は、鐘を鐘木で撞くもので余韻が長いのに対し、カソリック教会の鐘は、鐘の中にぶら下げた舌と言う分銅を揺らして鳴らすが、鐘の形状のために余韻は短い。時折、僅かな差でこの両方を聴くことが出来る。宗教が違っても鐘の果たす役割は同じようにあるものだ。

鐘の音と言えば、平家物語の冒頭の「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」をだれもが連想する。また、趣は違うが、「安珍・清姫伝説」とその後日譚の「娘道成寺」でも鐘が大きな役割を果している。いずれも仏教の、一つはひたすら人の世の無常を、一つはすさまじい執着の果てに救われて最後には成仏するという物語が目の前で展開する。

この寺の鐘楼のそばには藤の木と紫陽花が植えてあって今は紫陽花が見頃。朝、まだはっきりとは覚醒していない頭でこの寺の鐘をきいているとふと紫陽花の花が目に浮かんできた。寺の境内に紫陽花が多いのは、昔、流行病に倒れた人へ弔いの意味を込めて、人々は梅雨に咲く紫陽花の花をお寺の境内に植えたという。また、時間とともにその色を淡く変化させる移ろいが、老いて弱ってゆく姿を連想させるともいう。花には様々な言い伝え迷信の類があるが、色鮮やかな、しかし、それでいて派手ではなく、涼しげな淡色の小花たちは雨の多いこの時期にこそその美しさ際立つように思う。

庭にはふさわしくないということも言われるが、親が植えた紫陽花も今が花盛りだ。

 

 

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タクシー

2020年07月27日 11時46分11秒 | 日記

子供のころ、タクシーに乗るというのは特別な事のように思えた。親の車かバス、汽車が交通手段であり、運転手がいて後ろの座席に座る、と言うのは特に子供には贅沢と言うか、分不相応と言う風に感じられた。そのうちに、タクシーの位置づけは自分の中で変わってきて(大人になるのだから当たり前だが)、だんだんと身近なものになってきた。いささか派手な色には抵抗もあるが、今のように庶民の足になってきたところではそれがむしろふさわしいのかもしれない。最近は大手食品スーパーにタクシーで乗り付ける年配の人も良く見かけるくらいだから、今や特別な乗り物ではなく、だれでも利用できる交通手段になってきたのだろう。タクシーと言う乗り物も成熟した、と言えるかもしれない。

タクシーの社会的地位(仮にそういうものがあっての話)で言えば、自分の知る限り最も高いのはロンドンのタクシー(ブラックキャブ)だろうか。色と車体がほぼ統一され、大体いつもきれいに磨き上げられている。そのせいなのか、フラッシュを浴びながらこのタクシーから降りてくる大物政治家や芸能人の姿をTVなどでよく見かける。むしろ、場合によっては、この黒いタクシーで乗り付けるというのがファッショナブルなことで、決して引け目を感じることはない。日本の政治家や財界人がタクシーで乗り付けるというのはあまり見かけない、やはり黒塗りのハイヤーか社用車のほうが見栄を張れるということなのだろう。ロンドンの場合、あの、黒いタクシーは台数も限られかつその重厚な外見がなんとなく品格を感じさせるのか。一般的にいうタクシーとしての役割はミニキャブという、普通の車による運送業者が担っていて、ブラックキャブはいわばその中でも選ばれた存在と言うこともできる。もちろん、普段は町中を流しているから、空車なら誰でも、いつでもつ乗ることが出来るのだが、何かあればこのブラックキャブでどこへでも堂々とのりつけることができるのが大変便利なところだ。

ロンドンに勤務していた時分、特に最初にロンドンンに赴任した80年代にはよく遅くまで残業していたから頻繁にタクシーで帰宅した。運転手同士の情報網によるのか、夜遅くなると事務所の前に何台か黒のブラックキャブが待ち構えて、こちらの顔を覚えているのだろう、乗り込むと行き先を告げるまでもなく家まで連れて行ってくれた。夜間だから割り増しだしチップも少し弾む気前のいい客だということが知れ渡っていたのかもしれない。幸いなことにブラックキャブで嫌な思いをしたことがなかった。しかし、その後、ロンドンのタクシー運転手もだんだん変わってきて、法外な運賃を請求されたという話を聞くようになったのは残念だ。ただ、今でもほとんどのタクシー運転手はプロ意識とプライドが高く、実直だからあまり心配しなくてよいと思う。そうは言っても、今はコロナの外出規制で商売は上がったりなはずだから、これからどんな変化が起きるかはわからない。

イギリス以外で記憶に残るタクシー運転手に遭遇したのはパリに出張した時、空港からホテルまで乗った時だった。灰色のベレー帽を目深にかぶり、かなり着古した茶色の皮のジャケットを肩にかけ(袖は通さず)、まるで寝そべるように浅くドライバーシートに座った運転手が、ふわふわした乗り心地の、宇宙船のように曲線を生かした、ライトがガラスに覆われていたシトロエンDSで待っていた。低いフランス語で行き先を繰り返しただけで後は無言。その時は凱旋門から放射状に延びる大通の一つにあったホテルに泊まったのだが、途中、この車が軽い接触事故を起こしてしまった。

結構な音がしたが車が大きかったのと速度がそれほどでもなかったので体への衝撃はなかった。路肩に止めて運転手は自分を残してゆっくり車から降り、相手の運転手と二言三言言葉を交わし、相変わらずの無表情な様子で、握手をして車に戻ってくると何もなかったように走り出し、ホテルに届けてくれた。料金を払おうとすると、手を振って受け取らない。事故で遅れてしまったから、とフランス語なまりの英語で言うと、こちらが降りるやいなやすぐに走り去って行った。妙な運転手で、この時起きたことは何か現実離れをしているように思えた。

こういう時、多分イギリスならどちらが悪い、とか、保険がどうとか言う長い話になるのだろうが、お互い興奮することもなく淡々と話をしていた。古い大きなシロエンだったので頑丈にできていたのだろうか。走り去る後姿を見てもへこんだりしたところは見えなかった。多分バンパーの一部が損傷したくらいだったに違いない。この運転手が大人だったのか、あるいは何かあった時の解決の仕方がフランス風なのか、不思議な経験だった。

シトロエンはその近未来的なデザインや先端技術は魅力だったが、故障が多くて大変、と言う話も聞いた。現在では、こういった点は多分改善されたのだろうが、同時にあの個性的な味が失われてしまったようにも思える。それでも静かな、しかし熱狂的なシトロエンファンがいることも事実だ。

 

 

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