回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

春の嵐

2021年04月30日 16時49分02秒 | 日記

昨日満開を迎えた庭のオオヤマザクラは今日の雨と強風でその花の多くが散ってしまった。雨上がりの、やっと少し乾き始めた路肩には薄いピンクの花びらが吹溜っている。昨日まではさほど目立たなかったのに花を落とした梢にはもう若い葉が顔を覗かせている。咲き始めた梅の花も寒さに震えているようだ。

窓越しにその桜の木をながめていたら、その木のすぐ先のT字路で、ランドセルを背負った下校中の2年生くらいか小学生の女の子が落ちた桜の花を見つけて手に取っていた。それから、道路を渡ろうとしたところに大きなトラックが右折しようと近づいてきた。女の子に気付いたいかつい顔の運転手がその子に手振りで先に渡るよう合図する。と、その子は逆に、運転手に先に右折するようにとの手振り。

一瞬緊張する場面。ただ、その子は落ち着いて軽く頭をさげるようにして運転手に道を譲っていたから、それを確かめながら運転手はゆっくり車を進める。こういう時の意思疎通は、もちろん微笑ましいけれども、見ている方は何か行き違いでも、とやはり心配が先に立つ。

その子は普段からこういう場合には車がすっかり通りすぎるまで道をを譲るようにと躾けられているのだろうか。忖度、などというものではなく、散り始めた桜の木の下で礼儀正しさと譲り合いの気持ちが窺われた場面。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒電話

2021年04月29日 17時47分41秒 | 日記

携帯電話がこれだけ普及した今でも、自宅には固定電話を設置したままにしている。携帯電話に加えて固定電話を持っているのは不経済ではあるが、多くの友人・知人がこの固定電話番号を知っているので、万一の連絡のことを考えるとこれをやめてしまうのはどこか落ち着かない気がする。更に、数は少ないが特定の知り合いとファックスを送ったり送られたりするときに便利だ。特に最近の電話機には、迷惑電話撃退のための装置も各種ついているから、固定電話を狙ってくる詐欺商法に引っかかるということも無い(と油断してはいけないが)。先般、こちらが着信拒否の自動メッセージを流していたらかけてきた方も自動メッセージだったことがある。そのうちにAI同士で会話ができるようになったりしたらそれはそれでまた心配だ・・・

はじめて自宅に電話が引かれた時のはっきりした記憶はない。物心ついた時から電話があったわけではないから、何か記憶があってもよさそうなものだが、たぶん、初めの頃子供の自分が電話をかけたり受けたりするということがなかった(相手がいなかった?)からあまり強い印象が残らなかったのかもしれない。

1980年代まで、自宅では黒電話だけだったのだが、そのころから普及してきたファックスの機能が欲しかったのと、かけてきた人の名前や番号が表示される機能が便利だったので、黒電話は部屋の片隅に追いやられてしまい、新しい白い電話機に置き換えられてしまった。しかし、一度大地震で停電があった時、その電話機が停電で機能を停止してしまったのに、この黒電話機であればNTTが弱い電流を別のルートで電話線に流しているために通話ができるということを知り、急遽数十年ぶりにジャックにつないでみると確かに動いていた。あの、懐かしい発信音を聞いた時には少し心強い気持ちがしたものだ。しかし、引っ張り出されたのもそれ一度でまた、お役御免に。

そういえば4年ほど前の父の遺産相続の時に、遺産額を算定する国税庁の通達を見ていたら親から引き継いだ家にあったこの固定電話は電話加入権として相続の申告財産(1500円!)になっていることが判った。金額が僅少なので、相続税から見ればどうということはないが、この黒電話を眺めながら、世の中にこういった財産もあるということを知って何か感慨深いものがあった。

この電話機、底を見ると600A2と刻印されている。このタイプの電話機は1960年代に導入されたらしいから、この家に来てもう60年近くなる。今までこの電話機でどんな話をしたのかはあまり覚えてはいないが、一つだけはっきりと記憶しているのは、大学の合格発表で発表の直後に(自分がまだ知らないうちに)叔母の一人からお祝いの電話をもらったのがこの電話機だった、ということか。その叔母もとうに他界してしまった。

今は自宅のオブジェになっている黒電話。当時の部品のせいか、あるいは安定させるためか、ずっしりとくる重い電話機。受話器だけでも相当重たい。こんなに重たい受話器なら長話はできなかったと思う。

今日は昭和の日。勝手な思い込みだが、昭和には桜の花が似合うような気がする。今日満開になったオオヤマザクラ、またの名をエゾヤマザクラ。黒電話もまた昭和の名残。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

センターライン

2021年04月25日 15時39分00秒 | 日記

昨日午前、庭の落ち葉を掃除していたら生け垣越しに数人の男が雑談しているのが聞こえた。内容は分からないが時々笑い声も聞こえるという和やかな雰囲気で何か工事現場で現場監督の指示でも待っているような感じだった。しばらくするとその話声も遠ざかっていって静かになった。

そして今朝、家の前の道路の真ん中に真新しい白線がまっすぐに引かれているのに気が付いた。それまでところどころひび割れたりくすんでくたびれたように見えた道路が、一本の鮮やかな新しい白いセンターライン(中央線)が引かれただけでまるで生き返ったようにはっきりとした輪郭を取り戻している。それまでは歪んで見えていた道路が背筋を伸ばしてまっすぐになったようだ。そのせいだろうか、両側の塀や生け垣までがくっきりと見えて生気を取り戻している。わずか一本の白線で街の雰囲気までが少し変わるというのは面白い。多分昨日家の前に集まっていた男たちはここでセンターラインの塗り替え工事をしていたのに違いない。

これと同じようなことは、家の壁や屋根の塗り替えをした時にも言える。新しい塗料で塗られたら古びた家でもかつての栄光を取り戻すかのように思われる。時にはそれまでよりも一回り大きく見えることもある。自分の家も前回塗り直しをしてから8年ほど経ったのでそろそろ次回のことを考えなければならない時期になってきた。家も手入れ次第では人間以上に長生きさせることが出来るように思う。古いものを何とか長く使う、あるいはモノを捨てられない症候群、というものがあるとすれば、自分も少し罹患しているのかもしれない。モノのあまりない時代を少し知っているから、ということもあるが。

しかし一方では今一番先端的なものに対する興味がないわけではない。便利だからというだけではなく、技術やデザインがどこまで進歩しているのかを知りたいという好奇心だろうか。先日買い換えた車を運転していたら、運転支援機能というものが働いて、曲がりくねった道でもセンターラインや車線をはずれないようにハンドルが自動的に制御された。自分の握っているハンドルに誰かが手を伸ばしてきたような不思議な感覚。こういったのが今の機械と人とのかかわり方なのだろう。きれいになったセンターラインではこの機能が一層発揮されるのでは・・・

古いものにも愛着を持ってしまい捨てきれない、といいうところと、古くなったら新しいものを買って、なんの未練も感じないで直ぐに捨てることが出来ればそれはすっきりとするのだろうと思うところ、の二つがまだ共存しているようだ。

40年ほど前に購入したステレオセット。リモートコントロールなどはなく、一つ一つ手動で操作しなければならない。ケースの中に入っているレコードプレイヤーが不調で、上に載せてあるのがソニー製の(エントリーレベル、といわれる)レコードプレイヤー。最小限の機能しかないがたまにLPレコードを鑑賞するには十分。音楽の始まりや音量を自分の手に感じながら操作するのも悪くない。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トルコ行進曲

2021年04月24日 18時10分22秒 | 日記

CD プレイヤーが故障して買い換えたのは先日このブログにも書いた(今頃になってCDを聞こうとするのは時代遅れかと思ったこと)。その時、レコードプレイヤーも引っ張り出したのだが、長く使わなかったせいかうまく動かない。止む無くレコードプレイヤーも買い換えようかと思っていた矢先、そういえば一度ソニー製の安いプレイヤーを買ったことがあったのを思い出して物置の中をさがしてみたところ、ほとんど手つかずに箱の中にしまってあったのが見つかった。モーターが頑丈なのか、電源を入れてみるときちんと動くようだ。回転にもムラがない。片づけた時に入れておいた箱のなかに交換用のレコード針が未使用のまま残っていたので、多少苦労したがらも何とか取り換えることが出来た。少なくとも10年ほど一度も使われていなかったはずだ。

何かを聞いてみようと思い、本棚の片隅にあるLPレコードの中に、ウィルへルム・ケンプのモーツアルトのピアノソナタ11番トルコ行進曲が納められたレコードがあったので恐る恐るかけてみたら、ほとんど雑音もなく、少しくぐもったような優しい響き。このピアノソナタは演奏者によってずいぶんと違う曲に聞こえるが、ケンプの演奏は淡々としていながらロマンチックで、親しみやすい。もっともそういった親しみやすさゆえに、ほかの巨匠と呼ばれるようなピアニストの演奏のような、圧倒されるところがないので物足りないと感じる向きがあるかもしれない。

この曲を聴いていたら、8年ほど前に早世した大学時代の友人のことが思い出された。子供のころからピアノを弾いていたということで、恩師を囲む夕食会の席で宴会場に設置されていたピアノで彼がこの曲を弾いたことがあった。その夕食の後、二次会ということで小さなバーで飲んだのだがその時に偶々カウンターの席が隣になった。彼とはそれほど親しかったわけではないが、いつの間にか音楽の話になり、彼が人工知能の研究をしていることからなのか、天才とはどういうものかという話題に移り、さっき彼が弾いたモーツァルトのような天才がなぜ突然生まれてくるのか、というなことに話が拡がった。

彼は学生時代から世間の垢にまみれるようなところのない、ある意味浮世離れしたようなところがあった。そのせいなのか、あるいはその整った顔立ちのせいか(もちろん頭は良かった)、女子学生には人気があったように思う。同じ高校からこの大学に進学してきた、少しけだるいような雰囲気を漂わせていた一人の女子学生がいて、どうも二人は付き合っているらしいという話が聞こえてきていた。時折大学の構内を歩いている二人をみかけたのだが、彼女の身振りや少し彼の方に寄りかかるようにして楽しそうに歩いている様子からはどう見ても、これはきっと彼女の方が彼にご執心なのに違いない、というのが自分の印象だった。

ところが酒が進んで、そういえば、たしか学生時代に付き合っていた人がいたようだが、という話をしたら彼の口から、自分はその女子学生に大変な好意を持っていたのだが、彼女からはどうしてもいい返事がもらえなかった、苦い失恋の思い出、という話を聞いて、びっくり、いかに自分が誤解をしていたかを思い知らされた。二人の関係を全く逆に理解していたわけだ。彼女はその後官僚となり、女性初の、ということでたびたび新聞記事になるくらい相当に出世をしたという。

彼は某女子大で長く教鞭を執ったあと、T工業大学に移ってそこで教授を務めていた。しかし、その恩師を囲む会の後まもなく癌に罹ってしまい治療の甲斐もなくあっけなく亡くなった。身内だけで、ということで友人の誰も彼の葬儀に参列できなかったが、しばらくしてから奥様から丁重な挨拶状が来たことを覚えている。還暦近くなっても色白で、白髪交じりの長髪で細身の彼はすこし背中を丸めるようにしてこの曲を弾いていた。その2年後、再度恩師を囲む会があり、その時の司会者は彼のために献杯しようと。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

燭台

2021年04月20日 17時40分03秒 | 日記

ヴィクトル・ユーゴ―の小説、「レ・ミゼラブル」には心を打つ名場面がいくつもあるが、この長編小説の底に流れているヒューマニズムを具現しているのは、冒頭から登場する無私の精神の権化ともいうべきディーニュの司教ミリエル氏だろう。そのことの象徴が、ジャン・バルジャンが銀の食器を盗んで憲兵に逮捕され前夜泊まった司教館に引き連れられてきたときに、司教が間髪を入れず「どうして一対の銀の燭台も持って行かなかったのですか?」と言ってジャン・バルジャンに燭台を渡し、銀の食器を彼に与えたのだということにして彼の無罪を証明するというくだりだ。銀の燭台を渡しながらミリエル司教はジャン・バルジャンに小声で「N'oubliez pas, n'oubliez jamais que vous m'avez promis d'employer cet argent à devenir honnête homme. 忘れてはいけません、この銀の器は正直な人間になるために使うのだとあなたが私に約束したことは」と諭す。そして彼はその後この戒めを忘れないために終生燭台を肌身離さず持って歩くことになる。

子供の頃にこの場面を読んだ時には、本当にとっさにこんなことを言える人がいるのだろうかと思った。すべてを見透かしているような人でなければ、一瞬にしろ隙が生まれるのではないかと。しかし、何度かこのくだりを読み返してみると、ミリエル司教にとってはそもそも銀の食器や燭台は貧しい人のものであり、自分のものではないというはっきりした自覚を持っていたことが判って合点がいくようになった。

今から40年ほど前イギリスに赴任して間もなく、誰か食事に招待したときにはその食卓に燭台は欠かせない、といわれて一対の銀メッキの燭台を買った。それほど頻繁ではないが、今でも自宅に夕食に招待したときには必ずこの燭台を灯すことにしている。レ・ミゼラブルで司教がジャン・バルジャンのために食事を供したときにも銀の燭台を灯したことを真似ているわけではないが、燭台に灯がともると少しは改まった気分になるから。

ある時、姉の孫の男の子(自分から見れば姪孫、大甥)がまだ小さいころ自宅に来て客間の食卓においてあるこの燭台を見て心配そうに、「泥棒が来たら持っていってしまうのでは?」と真顔で聞いてきたことがある。その時にはこのレ・ミゼラブルの一節が頭に浮かんだが、そのことを話すにはこの少年は若すぎると思った。それにそもそも、自分にこの司教のように無私の精神を持ち合わせているかと聞かれれば答えはNoだろうし。

時間が経って文字通りメッキが剥げてきたところもある。大甥も高校生になってもう子供っぽい心配もしなくなっただろう。一方、煩悩の塊のような自分もいつかはこの燭台と別れる時が来るはずだ。そのころにはひょっとして骨董品にでもなっているかもしれない。

ジャン・バルジャンに一対の銀の燭台を渡すミリエル司教。入り口にはジャン・バルジャンを連行してきた憲兵たち。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする