CD プレイヤーが故障して買い換えたのは先日このブログにも書いた(今頃になってCDを聞こうとするのは時代遅れかと思ったこと)。その時、レコードプレイヤーも引っ張り出したのだが、長く使わなかったせいかうまく動かない。止む無くレコードプレイヤーも買い換えようかと思っていた矢先、そういえば一度ソニー製の安いプレイヤーを買ったことがあったのを思い出して物置の中をさがしてみたところ、ほとんど手つかずに箱の中にしまってあったのが見つかった。モーターが頑丈なのか、電源を入れてみるときちんと動くようだ。回転にもムラがない。片づけた時に入れておいた箱のなかに交換用のレコード針が未使用のまま残っていたので、多少苦労したがらも何とか取り換えることが出来た。少なくとも10年ほど一度も使われていなかったはずだ。
何かを聞いてみようと思い、本棚の片隅にあるLPレコードの中に、ウィルへルム・ケンプのモーツアルトのピアノソナタ11番トルコ行進曲が納められたレコードがあったので恐る恐るかけてみたら、ほとんど雑音もなく、少しくぐもったような優しい響き。このピアノソナタは演奏者によってずいぶんと違う曲に聞こえるが、ケンプの演奏は淡々としていながらロマンチックで、親しみやすい。もっともそういった親しみやすさゆえに、ほかの巨匠と呼ばれるようなピアニストの演奏のような、圧倒されるところがないので物足りないと感じる向きがあるかもしれない。
この曲を聴いていたら、8年ほど前に早世した大学時代の友人のことが思い出された。子供のころからピアノを弾いていたということで、恩師を囲む夕食会の席で宴会場に設置されていたピアノで彼がこの曲を弾いたことがあった。その夕食の後、二次会ということで小さなバーで飲んだのだがその時に偶々カウンターの席が隣になった。彼とはそれほど親しかったわけではないが、いつの間にか音楽の話になり、彼が人工知能の研究をしていることからなのか、天才とはどういうものかという話題に移り、さっき彼が弾いたモーツァルトのような天才がなぜ突然生まれてくるのか、というなことに話が拡がった。
彼は学生時代から世間の垢にまみれるようなところのない、ある意味浮世離れしたようなところがあった。そのせいなのか、あるいはその整った顔立ちのせいか(もちろん頭は良かった)、女子学生には人気があったように思う。同じ高校からこの大学に進学してきた、少しけだるいような雰囲気を漂わせていた一人の女子学生がいて、どうも二人は付き合っているらしいという話が聞こえてきていた。時折大学の構内を歩いている二人をみかけたのだが、彼女の身振りや少し彼の方に寄りかかるようにして楽しそうに歩いている様子からはどう見ても、これはきっと彼女の方が彼にご執心なのに違いない、というのが自分の印象だった。
ところが酒が進んで、そういえば、たしか学生時代に付き合っていた人がいたようだが、という話をしたら彼の口から、自分はその女子学生に大変な好意を持っていたのだが、彼女からはどうしてもいい返事がもらえなかった、苦い失恋の思い出、という話を聞いて、びっくり、いかに自分が誤解をしていたかを思い知らされた。二人の関係を全く逆に理解していたわけだ。彼女はその後官僚となり、女性初の、ということでたびたび新聞記事になるくらい相当に出世をしたという。
彼は某女子大で長く教鞭を執ったあと、T工業大学に移ってそこで教授を務めていた。しかし、その恩師を囲む会の後まもなく癌に罹ってしまい治療の甲斐もなくあっけなく亡くなった。身内だけで、ということで友人の誰も彼の葬儀に参列できなかったが、しばらくしてから奥様から丁重な挨拶状が来たことを覚えている。還暦近くなっても色白で、白髪交じりの長髪で細身の彼はすこし背中を丸めるようにしてこの曲を弾いていた。その2年後、再度恩師を囲む会があり、その時の司会者は彼のために献杯しようと。