回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

木のぬくもり

2020年09月30日 17時24分13秒 | 日記

人間時間があれば何かが出来るというのは必ずしも正しくないように思う。振り返ってみると、むしろ仕事が忙しく、あるいは仕事に追われているときほど、他のこともやりたくなったような気がする。一つのことに神経を集中すると、それに対するバランスをとろうとするようなもので、無関係なことに手を出したいと思うようになる。例えば、時間に余裕のない出張なのに、空港の待ち時間に本を読みたくなるようなことだ。また、期限を切られた仕事が山積みになっているのに何か楽器に触れてみたい、と思うような。

読書と言うと、学生時代は知り合いや親戚に頼まれて週に数回の家庭教師のアルバイトをしていた程度で多忙と言うにはほど遠く時間には余裕があり、また、当時第二外国語としてフランス語を履修していたこともあったので、とりあえずフランスの小説を中心にして読み始めた。そうすると、子供の頃読んだ(児童文学全集などで)時にはよく理解が出来なかった話の筋や主人公の性格、社会背景などがだんだん理解できるようになり、読む楽しさをどんどん増えた。それは文学だけでなく絵画や音楽にも触れる機会が増えたからだろう、さまざまな角度からの読み方が出来るようになったからだと思う。

その時はいろんなジャンルの小説を片っ端から読んでゆく、と言う感じでいわば質より量と言ったぐあいだった。特に18世紀のフランス文学には、複雑怪奇な人間関係、微妙な心理描写や贅沢三昧の貴族社会の生活、よく考えれば決してありえないような(スーパーマンとしか思えないような)冒険譚など、とにかく読んで楽しいという印象があった。そして、こんなに派手な浪費をする王族や貴族階級がいるのだから、流血のフランス革命が起きたのもおかしくはなかったのだと得心した(それは特権階級が貴族から共産党員にかわった1990年代の東欧諸国にもいえる)。

その点、国王がフランスほどの絶対権力を持っていなかったイギリスは、華やかな宮廷を舞台にした小説よりも厳しい自然を背景にした小説が多かったように思う。フランスの豊かな大地と比べるとイギリスは耕作には適していない。陰鬱な、どちらかと言うと地味な小説になるのも無理はないのかと。

それでは、人間時間が有り余るようになったらどうなるのだろう。ちょうど張りつめていたゴム風船が、少しづつ空気が抜けて行って、しわが深く刻まれてくるような、枯れてゆくようなことになり、すべての物事に対して緊張感を失ってしまうのだろうか。まだそういうところに至ってはいないがいつか必ず老いがやって来る。

かつてスコットランドの南の地方を車で通った時、道路の端に小さな駐車スペースがあり、そこに後ろが木枠の小型の乗用車が止まっていてその横にあるベンチに赤いウールのコートを着た老婦人と灰色のツイードのジャケットにハンチングの老紳士のカップルが並んで座っていた。二人は話をする様子でもなくどこまでも見渡せるなだらかな丘陵からの少し肌寒い風に吹かれながら紅茶を飲みサンドイッチを食べていた。時間を行き来するこはできないが、その時は、自分もいつかはそうなるのだろう、と言う漠とした予感のようなものを感じたことがある。

自動車と言えば金属とガラスの塊、と言う非人間的な響きをもつが、あの時代にはまだ木のぬくもりが感じられる車が片田舎をゆっくりと走っていた。

Morris Minor 1000 Traveler(1971)

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2020年09月29日 14時54分30秒 | 日記

このところ天候が変わりやすい。秋特有なのだろうか、暑くなったり急に冷え込んだり。また、さっきまで青空が広がって晴れていたのに急に黒い雲が広がって雨が降り出す、と言うのも秋らしい。それでも東京は比較的安定している方だろう。

緯度の高いロンドンは、目まぐるしく天候が変わる。イギリス紳士のトレードマークには山高帽とこうもり傘と言う必須アイテムがあるがそれはいつ急変してもおかしくないイギリスの天候のせいでもある。日が差してきたときには帽子が必要だし、雨が降ってくれば傘の出番。もっとも、紳士にとってのこうもり傘は、いつも手に携えてはいるものの実際には雨が降っても開かないのだそうだ(かつての話ではあるが)。理由は雨に濡れてこうもり傘が傷むからだという。誠に本末転倒な話ではあるが、見栄えを身上とするイギリス人紳士(?)らしい話ではある。

こんな気候と見栄のせいで、イギリスでは傘の需要が多く、そのために傘の長い歴史があるのだが、傘を売っているところですぐに名前が浮かんでくるのは、ロンドンの金融街に近いロンドンウォールにあるFOX。ロンドンで働いていた時分毎日のようにその店の前を通った。1868年創業と言うから150年ほど前、ちょうど日本の明治維新の年に当たる。細巻傘手作りの伝統を受け継ぐFOXの傘は、「実用性はもちろんのこと、開いたとき、閉じた時、それぞれのシーンでいかにエレガントに見えるか」をとことん追求しているのだという。

確かに長身の山高帽の紳士には、この長い細巻傘は良く似合う。飾り物のように言ったが、もちろん実用的で良く水を弾くし、手入れをきちんとすれば綺麗な色で長持ちもする、質実剛健な傘。このところイギリスにも強風が吹き荒れることが増えたがそれでも頻繁に台風に襲われる日本とは違ってあまり風のことは考えなくても良かったせいもあるだろう。

誰でもそうするように自分もFOXの傘も買ったのだが、日本で差しているうちに強い風に吹かれて骨が折れてしまいそのうちにどこかに消えてしまった。その時に傘と一緒にこのシティにある店で買ったのが二つ折りの革の長財布。少し大きすぎてあまり使っていないが30年以上経ってもそれほど傷んでいない。当時はまだイギリス製品の特長だった頑丈さが残っていたからかもしれない。

雨が降るのを見ると、当時は古い黒い木枠で出来た窓の奥に並べた細身の傘を売っていたFOXの店が懐かしく思い出される。

ロンドンウォール(ローマ人が築いた城壁、と言われる)のFOXの店

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職人

2020年09月28日 15時33分14秒 | 日記

光を通すためにはガラスが一番。それも単に見えるというだけでなく、時にはゆがんだガラス越しに見る風景も趣がある。ガラスを通すことによってまるで風景に味付けがされるように。飾り棚は3段になっているがそのうちの一枚、ガラスにひびがはいってしまった。しばらく倉庫に置いていた家具を引っ張り出してみたら、ガラスが割れていたのだ。止む無く、近くのガラス屋を調べると、家の近くに数年前、書棚の扉のガラスの交換を頼んだところがあったのを思いだした。

ガラスの寸法を測って、行ってみると店は開いているのに人影がない。作業中の仕事もそのままに忽然と人だけが消えてしまったような、何だか昭和の時代にでも舞い戻ったような風景だ。引き戸を開けても誰もいない。と、横に表札のようなものがぶら下げてあり、そこには「急ぎのお客様はこちらに電話ください」と電話番号が書いてある。不用心と言うのか、工作機械もそのままに置いてある。この番号に電話するとすぐにこのガラス屋の店主が出てきた。ガラスを買いたいので来たのだが、と言うと近くの現場(仕事を請け負っているところの意味か)にいるので、すぐ行くから待っててくれと。5分もしないうちに店主が軽トラックで現れた。

こちらの欲しいものをいうと早速台帳のようなものをひっぱりだし、それなら一万円で、と。この値段なら妥当だろうとおもったので、注文ということになった。この店主、愛想は良くもなく悪くもない。必要なことしか言わないが仕事には自信がありそうだ。ついでに、ガラスの角を削って安全なものにしてくれる、と言う。職人とはこういう人物を言うのだろう。自分の仕事に愛着と誇りを持っている。客に媚びることもなく、かといって、かたくなさや狭量なところを感じさせない。

職人気質ということでは先日ピアノの調律に来た、70歳を超えたかもしれない調律師に同じ感じを持った。自分はピアノとは昔から縁があったほうだと思う。日本にいた時もイギリスにいた時も家にはピアノがあった。ニューヨークに勤務していた時、ピアノを弾きたくなってはじめはレンタルでも、と思って知り合いに聞いてみるとニューヨークの中心から小一時間のところにピアノの大きな専門店があるので、そこへいってみたらどうかと言われ、休日に行ってみると広い体育館のようなところにピアノがずらりと並んでいた。

値段は安いものは数千ドルから高いものは数万ドルまで、日本製もあれば、ドイツ製、フランス製、アメリカ製と多種多様。自由に弾いてみてくれ、と言われてあたりを見回すと、お客と思しき老若男女が様々に試弾している。もとより、趣味に毛の生えた程度なのでそんなに高いものは最初から検討の対象外だったし、それに部屋の広さから言ってグランドピアノも対象からはずした。いくつか弾いているうちに少し背の低い中古のアップライトピアノが、他のピアノと違って深い音が長く残る、タッチはすこし重た目だが、一番自分の好みに合ったものだった。

同じようなピアノと比べるとかなり高い。未練がましく見ていたのを察知したのか店員が近づいてきて、2年後にはあらかじめ約束した値段で引き取る。実質リースと同じだから気楽に考えてくれ、と。確かに2年後に返すのであればリースとおなじだ。少し迷ったが結局それに決めた。

2年経ってしまうと愛着も湧いてくるし、費用のこともあまり気にならなくなってしまい、このまま引き取るということにした(店側としてはこうなることをひそかに予想していたのではないかと思う)。そして日本に帰国となり、このピアノも一緒に戻ってきた。ピアノの輸送は特定の業者がやるということだったが、思ったほどの費用はかからなかった。

それからしばらく経ったのでネットで調べて調律を頼んだ。調律師は、このピアノは製造番号から1967年製だが、一体にこのピアノであればきちんと調律すればまだまだ大丈夫だと。多少割り引いても、自分の生きている間は音を出してくれそうだと思った。この調律師は国産の大型の乗用車に乗ってさっそうと現れた。白い髭がすこし気難しいところがあるように思えたのだが、むしろ、久しぶりに古いピアノに巡り合ったと言って張り切って調律してくれ、話がはずんだ。彼はこのピアノの調律一筋で、このピアノメーカーから公認されたのだといい、時にはコンサートピアノの調律もしていると少しだけ自慢げだった。

今は家具となっているこのピアノ、それでも調律だけはこれからもしておこうと思う。自分が弾かなくてもいつか誰かが弾いてくれるかもしれない。そうしなければ丹精込めて調律してくれたあの老調律師にも悪いではないか。

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秀才の面影

2020年09月27日 14時50分23秒 | 日記

子供のころ、近所で秀才と言われる、地域の有名高校に進学するような子は少し神経質そうなすらりとしたやせた体形の子供か、あるいは色白でぽっちゃりした、運動とは縁のないような子供のどちらか、と思い込んでいた。腕白ですばしこく、また、力持ちで外で遊んで真っ黒に日焼けしたような毬栗頭の子はどちらかというと勉強よりも体育の授業で存在感を示している、という感じだった。

これが実際に高校に行ってみると実は日焼けしたスポーツマンでも成績の良いのがいる。また、音楽バンドを組んだりしていつも遊んでいるようなのでもかなり成績の良いのがいる。これは男女を問わない。しかし、飛びぬけて優秀な成績を収めていたのはやはり小さい頃からいかにも秀才然とした、隙のない人間だった。やはり、文武両道と言うのはむつかしいものだ。もちろん、少年少女時代に如何に優秀であっても、そのまま人生の成功者になれるとは限らない。優秀でなければ多分成功できないがかといって優秀であればだれもが成功するというわけではないというのは、ごく当たり前のことだ。

小説家では、例えば三島由紀夫などは若い頃はいかにも繊細な秀才と言う感じだったが、意図的(人工的?)に肉体改造を行い後年は筋肉の鎧をまとったようになり、それに連れて作品もそんな肉体を象徴するものになっていったが、彼のようなケースはあまり多くない。やはり、体を削って文章を紡ぎだす、そのために川端康成が典型のような鶴のように痩せているのが小説家、と言ったことろがまだある。偉丈夫でかつ秀才、と言うのはあまり聞かない。なお、いわゆる秀才は時に人を見下すようなところが表情に出たりするので損をすることもあると思う。

小説の主人公で、スパイものや刑事ものをのぞけば、いわゆる筋骨たくましいのが主人公になるのは少ないように思う。例外と思われるのは「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャン、「モンテ・クリスト伯」のエドモン・ダンテス辺りか。それに加えられるのが、「チャタレイ夫人の恋人」のオリバー・メラーズではないか。

伊藤整の翻訳によるこの小説は文学における(さらには、翻訳における)猥褻とは何か、が問われた裁判で大きな議論を呼んだものだったが、そういったスキャンダラスな話題とは離れてイギリスの(秀才)上流階級を痛烈に批判した小説として記憶に残っている。

そして、森番という日本ではあまり聞かない職業にも興味をひかれた。森番は確かに肉体労働を伴うものではあるが、木や森の生態系に関する知識も必要とする専門的な職業であり、かつ、メラーズの場合には陸軍で相応の地位にまで昇進した知性と教養それに揺るがない人生観を確固として持った人物だったからそれは新鮮な驚きだった。この小説、最初に裁判で問題となった部分が削除された版を読んだが、24年前に完訳が出版され、それを読むと今の時代では特に問題となるようなものではなく、むしろ全体のストーリーが正確にわかるものになっている。

天は二物を与えず、と言うことが正しければ、人間どちらかを選ばなければいけないが小説の中であれば二物を備えることも可能だ。尤も自分のように秀才とも、体育系とも縁のない凡庸な人間がこの世のほとんどなのだろうが。

 

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2020年09月26日 14時16分08秒 | 日記

先日、山道を車では走っていたら急に霧が出てきて視界が10メートルほどまで低下した。前の車のテールランプはすぐそこになるまで見えない。と言うことは自分の後ろを走っている車も同じような状況だろうから、追突されるのではないかと心配になる。こういう時は後ろが安全運転のドライバーだということを祈るしかない。後ろを気にしている余裕はないから、とにかく前方に神経を集中するしかなかった。

対向車はというといきなり霧に中から飛び出してくるようでこれまた怖い。すれ違うとすぐに霧の中に消え去ってしまう、まるで亡霊のようだ。そんな山道を30分ほど走って、峠を越えたら間もなく霧が文字通り霧消してほっとしたことがあった。その時は昼間だったからまだ良かったものの、夜だったらどうなったことかと思うと背筋に冷たいものを感じる。

最近の飛行機はもはや有視界飛行ではなく、計器に頼って飛行するが、着陸となるとやはり視界がどれだけあるかが問題なようだ。これまでに何度か霧による欠航や目的地変更を経験したことがある。その一つが、ロンドンからルクセンブルグへ移動しようとしたとき、ルクセンブルグ空港が霧のために着陸できず、近くと言うことでベルギーのリエージュに夜遅く到着したこと。ホテルはルクセンブルグに予約してあるし、翌日の仕事もあるので、車で移動しなければならない。いったんベルギーに入国してからだったので陸路の場合には特に国境での手続きはなかったように思う。

国が違うと言っても実際には人の往来はこの地域は自由だったので、1時間ほどでルクセンブルグまで到着した。ルクセンブルグは峡谷の間にあるような起伏に富んだ地形なので、気候の具合によっては良く霧が発生するらしい。しかし、近くに多くの空港があるので、仮に到着地変更となっても余り不便は感じない。例えてみれば成田空港と羽田空港の距離感のようなものだ、それに、東京などと違ってそれぞれ人口の少ない街なので交通渋滞もない。

ひとけのない、両側が森のようになっている夜の高速道路を走るのはどこかに趣がある。黄色い照明灯が霧の中に消えていく景色の中では、何か考え事をするのにも最適だ。その時は、かねてからの知り合いのドイツの銀行家R氏と会うためだった。ドイツ人銀行家と言うと長身のエリート風、そして傲岸と言う先入観を持つが彼は中背のいたって庶民的な、むしろ実直なイギリス人と言う雰囲気の人物だった。

R氏は自分とほぼ同年代だったが既に2回離婚の経験があり、その時は単身(独身?)でルクセンブルグの子会社の社長をしていた。彼とは10年来の知己だったので、遅い到着にもかかわらず夕食を共にし、その後すこしホテルのバーで酒を飲んだ。とりとめのない話に終始したのだが、彼の整った顔立ちを見ているとどうしてそんなに結婚、離婚を繰り返すのか理解できなかった。しかし、一般的に私生活のスキャンダルを嫌うドイツの銀行界で彼が順調に昇進しているところを見ると、おそらくは円満(?)に事が進んだのだろう。彼との仕事では馬が合うというのか、いつもお互いにフォローしあうような関係だった。会議に席などで、こちらの意見には、彼はどうしても反対と言うのでなければ最初に賛成の声を上げてくれたし、こちらも同様だった。無理なくそういうことができたのは不思議でもある。

温和な銀行家の顔と離婚を繰り返す私生活がどうにも結び付かない。彼はどことなく穏やかな霧でもかかっているような男だった。

(Wikipedia)

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