回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

静物画

2020年11月08日 18時18分06秒 | 日記

出張中に時間が空いた時には、ヨーロッパの場合の話だが、その街の教会か美術館に行くことにしていた。自分はキリスト教徒ではないが、教会はたいていの場合信者でなくても入れてくれるし、静かで、安全だ。ステンドグラスの綺麗なところも多いし、その教会の歴史を簡単に説明してる冊子を置いてあるところもある。こういうところで、気持ちを鎮めて次の予定(大概少し込み入った交渉になるのだが)にのぞむのは、仕事をやる上で有効だ。もし、この街のことについて相手に何か訊かれたら、訪れた教会の話をすることで間が持てることもある。教会の場合、運が良ければオルガンの演奏に遭遇することもある。音を立てないように椅子に腰かけ、天井や壁の装飾を楽しむ。こうして大体の大きな都市の教会は訪れたように思う。

もう少し余裕のある時は美術館。こちらは無料と言うわけにはいかないが、それでも極端に高額ということはない。大きさはそれぞれの都市によって違うから大きな美術館だととても全部見ることは出来ない。時間の許す限りで鑑賞する、ということになる。一般的にヨーロッパの美術館はどこでもまず宗教画が大きな割合を占めている。ある時、たまたま半日ほど空いてしまったので、ホテルに訊いて近くの美術館に行ったことがある。初めに期待したような展示物がなかったので、やむなく入り口に近いところの椅子に座って休んでいたら、日本人が一人、近寄ってきた。そして、ここには宗教画しかないのですか?あまりに、キリストの十字架などの絵が多くて、何だか疲れました、と。確かに中世の宗教画ばかリ見ていると圧倒されてしまう。ただ、この美術館でもいくつか風景画があったので、いや、別の階には風景画がいくつかありますよ、と言ったら安心したようだった。

美術館の展示品を見ると、神話や寓話を題材にとったものが多く、ついで宗教画も含めた人物画と風景画が中心だ。花や植物などの静物画はあまり多くはない。美術館によっては、静物画は興味がないとして収集していないところもある。それもそのはず、16世紀ころまでは静物画ではあまり有名なものはなく、16世紀に入ってから本格的に描かれるようになり、18世紀に入ってフランスのジャン・シメオン・シャルダン(Jean-Baptiste Siméon Chardin)の作品辺りから重要な位置を占めることになる。その後は、誰でも知っているとおりゴッホを始め静物画の著名な作品は数えきれないくらい。

シャルダンの描いたStill Life with Plums(スモモのある静物画)は、日常の風景、日常の対象物を描いたもので、後年のピカソにも大きな影響を与えた。そしてこれは単なる絵画ではなく、描かれたものの本質(人間にとって必要な栄養素を与えるもの)をついている。この絵を絶賛したプルーストが、失われた時を求めての第一部の最後で一杯のお茶から世界が見えたのと同じようにこの絵からは世界、自然と言ったものを感じることが出来る。

自分も一時期、人物の描かれていない絵には興味がなかった。しかし、コロナ禍が長引いてこうして家に引き籠るようになると、改めて静物画の魅力に惹かれるように思う。

 

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NY最新情報12

2020年11月07日 15時03分10秒 | 日記

大統領選挙でいまだに勝利宣言が出ない(出せない?)と言う異常事態の続くアメリカ。しかし、国民の日常は続いている。相変わらずコロナ感染者拡大の止まらないアメリカであるが、ニューヨークはいち早く、ほんとに少しづつ、平常に向かって進んでいるようだ。今回のニューヨークからのビデオは、イーストリバーを挟んでマンハッタンの対岸にあるクイーンズ区の高級住宅街フォレストヒルズ(Forest Hills)にある、ギリシャ系移民が経営するケーキ屋(Martha's Country Bakery)が舞台。

日本でのケーキの常識から見れば、そのボリュームと強烈な甘さに圧倒されるかもしれない。しかし、そこがニューヨーク、でもある。そこにはアメリカ人の肥満の理由を垣間見ることもできる。自分もニューヨークに駐在するまでは、ここの食べ物が繊細さを欠いた、質より量の勝負をしているのではないかと思っていたが、驚いたことに、質(味)も決して他の国と比べても遜色ない。惜しむらくは、その商品の見せ方、に今一つ工夫が欠けていることだろう。それに、酷な言い方ではあるが、この味の良さを客が本当に理解しているのか、と疑問を抱かざるを得ないような光景を目にすることも事実である。

そういった粗削りなところもあるが、郷に入りては、のたとえどおり、虚心坦懐?にここのケーキを楽しむのもいいだろうと思う。ただ、ついつい食べ過ぎてその結果、(アメリカ人の多くに見られるような)肥満になっても責任はとれないので悪しからず・・・

https://www.youtube.com/watch?v=ZJSym7uns0E

(同社HP)

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公園の思い出

2020年11月06日 18時15分24秒 | 日記

この季節にしては穏やかで気持ちの良い午後に散歩に出てみた。そろそろ公園燈が点くころで、子供たちがまだサッカーに興じている。駐車場はこの時間比較的空いているいるので、中学生か高校生か、けたたましい音を立てながらスケートボードの練習に余念がない。硬い木とコンクリートか石がぶつかり合う甲高い音は人によってはかなり不快に感じるだろう。スポーツとも言えないあの遊びが子供たちを引きつけるのは、そこに何かファッションのようなものを嗅ぎつけるからか。もっとも、東京オリンピックの種目に追加されてスポーツとしての市民権を得たようだが・・・、

そういえば、野球帽のような帽子を前後逆にかぶり、時にはラップ音楽を流しながら数人がたむろしてるのは、都会の退廃の一端をうかがわせるようで万国共通だと言える。ニューヨーク駐在中、家の傍にノーベル平和賞を受賞したダグ・ハマーショルド国連事務総長の名を冠した小さな公園(Dag Hammarskjöld Plaza)があったのだが、そこでも階段の手すりを滑り落ちる練習をするスケートボードを持った、まさに同じような格好の少年がいたことを思い出した。もう20年ほど前のことだ。と言うことはこの遊びは息の長いものなのだろう。

この公園の南端に、キャサリーン・ヘップバーンの庭がある。アカデミー賞主演女優賞を4回受賞(史上最多)した彼女が生前この近くに住んでいたらしい。ときどきここにあるカフェで暑い夏の日をよけながらぼんやりと人が行き来するのを見ていた。国連本部に近いこの公園は様々なデモの出発点となっていて騒がしいこともあったが、今はコロナのせいで静かになっているに違いない。

奥に見えるのがカフェ

キャサリーン・ヘップバーンの庭

秋の雨の日

(ニューヨーク市HPから)

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記念硬貨

2020年11月05日 15時14分38秒 | 日記

いつも利用している銀行に寄ったら、「オリンピック、パラリンピック記念貨幣(硬貨)引き換え」の張り紙があった。昨日11月4日から開始、とある。全く費用のかからない引き換え(500円記念硬貨を普通の500円と引き換え)だから、瞬間蒸発で終了しているはずだが、と思ってなじみの行員に聞いてみたら、いえ、まだ残っております。今日からは引き換えの枚数に制限はございません、と言う予想外の返事。記念硬貨を収集するという趣味(あるいは実益?)はそれ程ではないが、聞いてみた手前もあり、それでは全種類(500円が2種類、100円が7種類)2セットを、と頼んでみると、住所・氏名を書く伝票を渡され、締めて3,400円で引き換えとなった。

この記念硬貨、そもそもオリンピック・パラリンピック自体が開催されるかいまだ不透明な中、収集家の心をくすぐるようなものではなかったようだ。それぞれ400万枚発行するということで希少価値にも乏しいのだろう。いや、それ以上に、コロナのこともあり、銀行窓口に来て交換することを躊躇する人も多いのかもしれない。

もう少ししたら、来年のオリンピック・パラリンピックが開催されるかどうか、決まるのだろう。それによっては幻のオリンピック・パラリンピックの記念硬貨になるかもしれない。そういえば、つい先日、組織委員会から、チケットの払い戻しの連絡が来ていた。いくつか当たっていて、出来ることなら観戦したいと思っているのだが、観戦して感染したら(不謹慎な駄洒落かもしれない・・・)元も子もないので、悩ましいところだ。

以前世界的に有名なメダルコレクターであるScher Collectionに関係するビデオを見たことがある。コインは貨幣であるから一応それなりに貨幣価値があるがメダルは記念の物であり貨幣価値ではなく骨董品としての価値になる、しかし、いずれも表と裏がありこの点は絵画等と違う。そして展示することを考えると(裏返しにして見るということも可能ではあるが)、表と裏を同時に展示するために少なくとも2枚ずつ収集しなければならない、と言う話を聞いた。そうすれば表と裏を同時に鑑賞できる、というわけである。メダルと違って、コインには物語はない。

オリンピック・パラリンピック記念500円硬貨、上が表面で下が裏面

 

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木靴

2020年11月04日 17時43分30秒 | 日記

冬支度もかねて家の中を整理しようとしていたら、買ったりもらったりした土産物の箱の底からオランダ製の木靴が出てきた。サイズを見ると自分の足の大きさと同じ。土産物と言っても実際に使うことが出来そうだ。少なくとも自分の足の大きさに合うからこの木靴を買ったのだろうと思う。

オランダはイギリスから見ると驚くほど近い。普通、イギリスの隣国と言うと何と言ってもまずはフランスが思い当たるし、次いでベルギー、南の方を向けばスペインあたりが頭に浮かんでくる。しかし、特に東京からのシベリア経由直行便でロンドンに向かうときにはフィンランド、デンマークを越えるとオランダの西側上空を過ぎる。そして北の方からロンドンに向かうのが一般的な飛行ルートなので、この意味でもオランダの近さが実感できる。

実際、イギリスからオランダへのフェリーもいくつも出ている。それに、ヨーロッパ大陸の国の中で、最も英語が通じるし、また、英語が上手いと言われているのはオランダだから、この意味でも違和感が少ない。また、日本から見れば、江戸時代の鎖国の時にもオランダとの交易がおこなわれてきていわばヨーロッパの窓口のようなものだったから関係も強いものがある。ただ、太平洋戦争の際、日本がオランダ領インドネシアを占領したので、このことを恨みに思っているオランダ人も少なくないのは事実。仕事で知り合ったオランダのビジネスマンとははじめこの歴史で衝突したが、まさに雨降って地固まる、のたとえどうりにその後は大の親友になったのはかつてこのブログにも書いた。

オランダへはチューリップの綺麗な時にキューケンホフ公園に行ったり、デルフトの陶器を買いに行ったり、ゴッホやレンブラントなどの絵画を鑑賞しようとして何度も訪れた。何度も訪れたが嫌な思いをしたことはない。あるいは、仕事でオランダに行ったことがないから嫌な思いをしなくて済んだのかもしれない。

この木靴はそんな旅行の時に買ったのだろう。せっかく出てきたのだから今回試しに履いてみようと思った。が、どうしても窮屈で、痛くて痛くて足が入らない。木靴だから柔軟性は全くない。靴に足をあわせるしかないのだが、どうしても入らない。まるで、誰も履くことの出来なかったシンデレラのガラスの靴のようだった(ちょっと大袈裟だ)。きっと、シンデレラの靴を履こうとした姉たちもこんな痛みを感じたのだろうと同情を禁じえなかった。

やはり木靴は見て楽しむものなのだろう・・・

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