昨日9月28日は48年前に他界した母の祥月命日。長い闘病生活の末、ついに力尽きたこの日はとても暑かったことを覚えている。危篤の報を受けて病院に駆け付けたのだが、事情を知ったタクシーの運転手が(いまなら考えられないことだが)いくつか信号無視してまで大急ぎで送り届けてくれた。臨終の宣告を受けた時、覚悟していたせいなのか、あるいは、人の死を受け入れることが出来ない未熟者だったせいなのか、実感もわかず涙も出なかった。そのとき母に縋り付いて号泣していた姉と妹が、昨日はお参りに来てくれた。病院での記憶は共通していないが、その日とにかく暑かった、ということでは一致した。あれからほぼ半世紀、その後再婚しなかった父は昨年、母のもとへ旅立った。ずいぶん遅かったですね、という母の声が聞こえてくるような気がする。姉も妹も疾うに母の年齢を超えているのに、まだ母を追い越しているようには思えない。どこまで行ってもそうなのだろう。そのときも咲き誇っていた、母の好きだった百合の花を仏壇にお供えした。来年は50回忌になるのできちんとした法要を執り行おうと思っている。
いつも散歩する公園の遊歩道は一周700メートルほど。昨年他界した父が亡くなる数か月前まで毎朝夕一周していた散歩道。父がここ一帯に土地を購入して住み始めたのが50年前、公園の整備が完了したのが20年前。大正生まれの人に共通するように思うのだが、外出時にはいつも上着を着て帽子(ハンチング)を被っていた。そしていつも相当額の現金の入った財布を懐中に。かつておやじ狩り、などという言葉があった時分、そんな現金を持って散歩していると心配だと思って持ち歩かぬよう忠告したことがある。当時は一人暮らしをしていて、本人はすでに傘寿を超えていたから、「もし転んだりしてひとに助けてもらう時にお金をもっていなければ困るだろう」と言う。そんなことはない、親切にしてくれるひとにお金を渡すことはない(親切なひとがお金を要求することはない)し、緊急の場合にもその場でお金が必要になることはない、何かあればこちらできちんと礼儀は尽くすから、と説得して、ここ数年は財布を持ち歩かなくなった。若くして中国東北部(旧満州国)で勤務し、終戦後は抑留生活を送って、帰国後は戦後の物のない時代を生き抜いてきた体験がそういった考えを持たせたのだろう。同じような境遇をたどった多くの人と同じようにその時期のことについて話をするようなことはついぞなかったが。
杖を頼りに、ベンチで休み休みゆっくりと散歩していた姿を思い出す。同じ散歩道を辿っていると今でもどこかのベンチに座って静かに遠くを見ているような気がする。そしてお金を持ち歩かぬように説得した自分の行為が、父から大事なものを取り上げてしまったようにも思えて、チクリと心に痛みを感じる。
ここ4年ほど、意識的に歩くことにしている。といっても一日平均2時間程度、距離にすると7~8キロメートル位。自宅の前の公園の散歩道を早朝、夕方そして夕食後に。早朝と夕食後(午後9時前後)は歩いている人は殆どいない。家族づれ若者のグループでにぎわう昼間とは対照的に静かで、時折犬を散歩に連れてくる人に出会う位だ。
この公園は公園灯が整備されていて夜でも煌々と照明がともっているから身の危険を感じることはない。あるいは木立の向こうにコンビニエンス・ストアとガソリンスタンドの明かりが見えるほか、交通量の多い道路にも面しているせいかもしれない。いつでもこの散歩道には歩行者しかいないから、安心して思索にふけることが出来る。前を見ているようで、見ていないような感じだ。こうして歩いていると、不思議に気が鎮まって来て、考えがまとまることがある。あるいは、新しい観点に気が付くこともある。たとえば思いがけないメールを受領した時など、すぐに返事を出すのではなくて、歩きながら幾つかの文章を考えてみる。送ってきた人の真意が実はほかのところにあったのだと気が付くこともある。さらには、散歩道から望める山並みを眺めているうちに、最初に沸き起こった感情が的を得ていなかったのでは、と思いつくこともあるし、書き出しの文章がすらすらと出てきたりすることもある。
散歩の習慣はロンドンの家に滞在しているときも続けている。ただ、家の前には小さな公園しかないので、テニスコートの横を通ってウインブルドン・ビレッジまで1時間程度歩くことにしている。ただ、この道には交差点がいくつかあるので車に気を付けなければならない。歩くことは自分にとっては時差ぼけを解消する一番効果的な方法だと思っている。
トム・ハンクス「変わったタイプ」を購入する際に、新潮クレスト・ブックスのベスト・セラーとして挙げられていたのがベルンハルト・シュリンク著「朗読者」だった。ここから出版されて3年後の2003年に新潮文庫からも出版され、手軽・かつ廉価で入手できるようになったもの。文庫本の値段が高騰してきている中で550円というのは妥当だ。
何気なく読み始めたのだが、これほどの小説に巡り合ったのは本当に久しぶり。松永美穂の翻訳も素晴らしい。日本ではいまでも戦争責任や歴史の清算、といったことが話題になるが、この本を読むと日本におけるそれらの議論が如何に浅薄なものかがよく分る。そして、この本が日本でも多くの読者を惹きつけたということには一種の安心感を覚える。この本はこれからも読み継がれなければならないと思うが、今回購入した文庫は平成24年6月の21刷であり、もし6年間、増刷されていない(その前の9年間には20刷されている)とすれば、それはこの間の日本における活字文化の衰退を示しているのかもしれない。
こんな名著を読んでいなかったとは改めておのれの不明を恥じるばかりだ。言い訳になるがこの本がドイツで出版されたのが1995年、邦訳が出版されたのが2000年で、ちょうどロンドンー東京―ニューヨークと目まぐるしく転勤が続いていた時期で精神的にも時間的にも余裕がなかった。だから、今、この本を読むことは、
「それとも「遅すぎる」ということはなくて、単に「遅い」というだけであり、遅くてもやらないよりはまし、ということなのか?ぼくにはわからない。」(P213)
新潮社クレスト・ブックスのトム・ハンクス、「変わったタイプ」を今日、読了。原文で読むのはもう大変になってきたところ、アマゾンで、この本の翻訳が出たということで先週購入した。丁寧な描写、洗練されたユーモアと奥深いヒューマニズムが底に流れている17編の短編小説だがいずれも秀作揃いではずれがない。2400円(税別)という定価はこの内容からすれば決して高くない。何より、タイプライター時代を経てきた自分には、バタバタというキーの打音や行替えの際のチーンという音が頭に中に蘇ってきて、それから打ち出され書類や手紙には、現代のインターネットやPCでは味わえない、この世に一つしかないということを実感させられ、さらにはその紙のしっとりとした手触りさえ感じられた。また、極めて個人的なこじつけだが、1980年代初め、ロンドンでビジネスレターを女性秘書にタイプさせていた時分(まだワードプロセッサーの登場以前)、書き換えがあるたびにもう一度初めから打ち直させていてだんだんすまないという気持ちが嵩じてタイプを頼むのが何とも気が重くなったことを思い出した。その秘書(たぶん40代)はアフリカ出身の苦労人で嫌な顔一つせずに何度も打ち直してくれたのだが。
この短編集、ニューヨークが舞台のものが多く、まるでそこに立っているように感じられる表現力が素晴らしい。俳優トム・ハンクスを好きな人も嫌いな人もいるだろうが、そういうことは忘れて、小説家トム・ハンクスを楽しめる一冊だと思う。