あくまで一般論だと思うが、日本人は指先が器用だという。さらに、指先の繊細な動きは一朝一夕には代えられないとも。かつて、日本製のコピー機を海外に輸出していたあるメーカーの知人が、欧米諸国では操作ボタンの故障が多く、苦情が来ることがあると言っていた。日本国内であれば、そういったボタンには触れる、あるいは軽く押す、ということが何の問題もなくできるのだが、欧米ではそのボタンを指先で強く長く押す、あるいはピアノの鍵盤にでもするように強くたたく。そのためにその箇所が故障するのだ、と。要するに優しく触れる、あるいは軽く押す、という力加減が出来ず、衝撃を与えるような使い方になっていると。
たしかに欧米人が慣れ親しんでいるタイプライターなどでは、中途半端なたたき方ではキチンと作動しない。また、ピアノにしても、鍵盤に加わる力や衝撃は半端ないから、さもありなんと納得して聞いていた。。
ところが最近はスマホにしてもタブレットにしても、これまでのキーボードのように、たたく、という動作ではなく、触れるあるいは滑らせるという動作が中心になってきた。これは日本人の得意とするところではないか、と思っていたら、世界中の人たちが今やタッチスクリーンを使いこなしている(ように見える)。今では多分例のコピーメーカーの知人も悩まなくて済むようになったのではないか。
翻って自分のことを考えてみると、確かにかつては指先が普通の器用さを持っていたように思うが、最近どうもタッチスクリーンをうまく使いこなせなくなったように思う。実際、車に乗れば今はいろいろな操作をタッチスクリーンでやらなければならない。タッチすべき場所が時にはそれほど大きくない時もある。そういう場合には間違いなく押そうと思うところに触れているか自信がなくなってきた。しなやかで細い指先なら確実にその場所に触れることが出来るのだろうが。
それに、触れても反応を感じることが出来ない。あくまでスクリーンの表面は滑らかで、こちらの意図が伝わっているのか、ミスタッチではないのかの判断は、触覚ではなくその結果が表示されるスクリーンを見ることによる、つまり視覚によることになる。
正直なところ、タッチスクリーンよりもキーボードの方が自分の意思を伝えられるようにも感じる。スマホもタブレットも持ってはいるが今のように何か文章を書こうとするときにはやはりキーボードでなければならない。一区切り終わったところで、ピリオドキーを少し強めに押す、ということが出来るのはキーボードだ。
かつては自分も器用で繊細な日本人、と思い込んでいたが今となっては逆に後れを取ってしまっているようにも思う。つい最近見た夢のなかで、大切な連絡をしなければと思いスマホを操作しようと思ったが画面が全く反応せずに時間が過ぎて行ってパニックに陥る、ということがあった。何度触れても強く触れてもあるいは指に息を吹きかけても画面が凍り付いて反応しない、というのは現代のホラーだ。深層心理にある、そういったタッチパネルへの苦手意識が夢の中で姿を現したのかもしれない。タイプライターが今や骨董品あるいは過去の遺物になったように機械的に作動する数字や文字、記号のキー配列を持つキーボードもいずれそういう運命をたどるのか・・・・
最近、健康食品としても注目を浴びてきたアロニア。自分はその味が苦手、と言って姉が持ってきて植えていった苗木に花が咲いた。この花は梨の花にも似て小さく愛らしい。これまでにもカシスやジューンベリーの木を持ってきては植えている。この庭はいつか、姉の第二果樹園でもなってしまいそうだ。