回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

2022年02月17日 16時59分36秒 | 日記

当たり前だと思っていても、それが突然そうでなくなったら大変なことになるものがある。その一つが窓ガラスではないか?窓ガラス一枚がどれだけ雨風を凌いでいてくれているか、その有り難さは普段はなかなか気づかない。

今朝、一階の食堂の窓から見える雪の中にガラスの破片を発見。一瞬、この部屋の窓ガラスが割れたのかと思って確かめてみるとどこにも異常がない。とすれば、二階の窓ガラスが何らかの理由で割れてそれが屋根を伝って落ちてきたに違いない。はたして、西向きのその部屋の窓を見るとガラスが一枚、大きく割れている。張り出した雪庇に押し込まれたのか。内窓があるので、すぐに風が吹き込んだりはしないだろうが、もし天候が荒れたりしたら大事だ。庭仕事用の厚手の手袋をはめて注意深くガラスの破片を取り除いて、枠だけにしてからゆっくり外してみた。

以前、書棚のガラス戸が割れたので、寸法を測って近くのガラス屋に行って同じガラスを買ったことがあった。それと食器棚のガラスにひびが入ったので取り換えた時も同じガラス屋に代わりのガラスを頼んだことがあったのを思い出してそこへ電話をしてみると、窓枠を持って来れるのならすぐに修理する、という返事。すでに枠だけになっているので、1キロほど離れたガラス屋へ。車に窓枠を載せてガラス屋に着くと主人が店の前で待っている。夕方でもあり冷えてきたが作業場は火の気がないから車の中で待っていてくれと。

20分ほどしたら、作業場から主人が出てきて、修理完了した、枠のゴムが劣化していたので新しいものに交換しておいた。この部分はサービスする。料金はいくらかと尋ねると現金で8,000円と。こういう修理の相場は判らないが、これで雨風がしのげると思うと高くないような気がして、領収書ももらわずに支払った。やはりある程度の現金を手許に持っておくことは必要。

ガラス窓は縁が脆いから気を付けてくれと主人に言われた通りそろそろと車を動かして、無事家に持ち帰って何とか入れることに成功した。これで夜に雨や雪が降りだしても安心。思いもかけずに災難に遭って辛うじて乗り切った感じになった。

5年ほど前に台風の後に雨漏りがしたので、近くのトタン屋に修理を頼んだことがあった。トタン屋の助言で傷んだところだけではなく屋根全部を張り替えたたらその後は雨漏りは一切しなくなった。丁寧な仕事だったのだろう。今回のガラス屋も、70歳は越えていると思われる主人が手際の良い修理。近くにこういった、職人のような店があるのは頼もしい限りだ。普段はホームセンター辺りで用が済んでいるが、こういう応急の仕事には小さな店のような融通がきかない。もっともこういった職人とのやり取りや人間関係を煩わしく思うことも無いではないが・・・。

しかし、彼らのような熟練の技を持つ職人がいつまでいるのか。イギリスでは疾うにこういった腕のいい、職人のような人種は途絶えているように思う。実際、素人とほとんど変わりないような水準の修理を平気でする。その技術の低さたるや推して知るべし、何か故障があって修理を頼むといつも失望ばかりさせられていた。日本もいずれはそうなるのかと思うと少し気分が落ち込んでしまいそうだ。

30年前にノルウェイの取引先から贈られたホッキョクグマのガラス像。これは頑丈でガラス窓くらいは突き破ってしまいそうだ。

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2022年02月15日 15時09分52秒 | 日記

13日放送のNHK Eテレ日曜美術館「オルセー美術館 Ⅱ 夜の肌触り」をNHK プラスの見逃し配信で見た。子供の頃、夜は暗いもの、怖いものでもあり、また眠るための時間だったが、大きくなるにつれて街灯や建物の灯りがそんな先入観を取り除いてくれて、夜は一日の終わりというよりも楽しみのはじまり、日中とは違った世界の扉が開くような気がしてきた。

この番組で紹介されていたゴッホの「ローヌ川の星月夜(星降る夜)」では、アルルの街のガス灯がローヌ川のきらきら輝く川面に映っていて、その河岸を二人の恋人がそぞろ歩いている。たしかにこんな感じで夜が身近になった。

もう一つ、この番組で記憶に残ったのがギュスターヴ・モローの「ガラテイア」。

彼の言葉という、「自分は目に見えるもの、触れるものは信じない。ただ心に感じるものを信じる」というのも夜にふさわしい。

オルセー美術館が開館してから間もない90年、何度かパリに出張した。その時に手に入れたのがこの画集。この美術館には今ではもっと多くの作品が納められているのだろう。当時まだユーロになっておらず、130フラン、という値札が付けられている。

ニューヨーク在住の知人が「We Love NY」というYoutubeを始めた、と連絡が来た。これまで、「ニューヨーク最新事情」として何度か紹介してきたが今回、自身の新たなチャンネルを開設したと。長く演劇界や旅行業界で活躍してきた彼女がニューヨーク愛に満ちた、どんな動画を紹介してくれるか期待したい。

We Love NY - YouTube

 

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30年前

2022年02月08日 15時36分47秒 | 日記

今年はイギリス・エリザベス女王の在位70周年ということで祝賀行事が行われているが、30年前の1992年には在位40周年の記念行事が行われていた。自分が2回目のロンドン駐在で、その時に出版された記念誌。9ポンド99ペンス。表紙は戴冠式での25歳の女王。本文中の、前年に撮影された女王。

女王在位40周年の公式写真。64歳。

記念誌の表紙。1952年の戴冠式、女王25歳。

 

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結婚写真

2022年02月07日 14時35分34秒 | 日記

イギリスのエリザベス二世女王は昨日2月6日、在位70年を迎えた。今年はその「プラチナジュビリー」を祝う式典がいくつも予定されている。英国王室史上最長となる在位70周年の日に女王が国民に向けて発表したステートメントの中で、一際注目を浴びたのが「チャールズ皇太子の国王即位の暁には、皇太子夫人であるカミラ(現在はコーンウォール公爵夫人)が、王妃(Queen Consortクイーンコンソート)と呼ばれることを切に希望する」と述べているくだりだ。

チャールズ皇太子と故ダイアナ妃の結婚生活の破綻が、チャールズとカミラの(いわゆるダブル)不倫にある、ということから、これまでカミラは、ダイアナ崇拝者からの厳しい批判・視線に晒されてきた(そして、カミラ自身もそのことを熟知していて、皇太子妃の称号を名乗ることなく、また、チャールズ即位後は王妃ではなく、国王夫人(Princess Consort )と名乗るつもり、と報じられていた)だけに、場合によっては大きな議論を巻き起こすことにもなるかもしれない今回の女王の決断は少なからぬ驚きを持って迎えられた。

女王としてはこのおめでたい機会を逃せば、今なお国民の中に残っているある種の確執に終止符を打てず、カミラが最後まで日陰の身のままとなると、不憫に思ったのかもしれない。あるいはカミラのこれまでの分別ある行動が女王にこのような冒険に踏み切らせたたのかもしれない。

いずれにしても今後イギリス国民がこの女王発言にどのような反応を示すか・・・

1981年7月29日は、チャールズとダイアナの結婚式の日。セントポール寺院での結婚式は、世界中の注目を浴びた。その時はロンドンに駐在していたので、結婚式の一部始終をテレビで見ていた。バッキンガム宮殿に続くマルまで結婚式の後のパレードを見に行ったイギリス人もいたが、こういう国民的な行事には、外国人は控えめにすべきだろうと思っていたので、ほとんどのイギリス人と同様、テレビで見ることにしていた。ただ、その日の夕方、もうどこにも見物人の姿は見えない、しかしまだ少し熱狂の残っていたマルまで出かけてみたが。

この結婚式の様子をBBCが後にThe Royal Wedding レコードアルバムとして売り出した。一度だけ聴いたことがあるがその後はお蔵入り。今回の女王の発言を聞いて引っ張り出してみるとそこには41年前のチャールズと、20歳になったばかりのダイアナが写っている。この時、ダイアナはやがて彼女を襲う苛烈な運命の予感をどれほど持っていたのだろうか。

 

The Royal Wedding 表紙(公式結婚写真)

裏表紙

見開きのページ

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ポンペイ

2022年02月05日 16時16分12秒 | 日記

今日のNHK BSで「古代ローマ・ポンペイ遺跡が日本にやってきた」を。東京国立博物館で開催中の「特別展ポンペイ」を紹介するもの。

27年前にイタリアを旅行した際、ポンペイを訪れたことがあったので懐かしく見た。まだ寒い時期で観光シーズンではなく、ほかには観光客の姿はほとんど見えなかった。冷たい風の吹く中、廃墟そのもののポンペイの通りを彷徨った。もうポンペイをこの目で見ることはないだろう。かといって、特別展を見に行くという気にはどうも・・・

本棚を探ってみたらその時に買ったポンペイのガイドブックが出てきた。この本、15,000リラ。今見ると何とも素朴な感じがする。本の中に入っていた入場券をみると入場料が12,000リラ。当時リラの価値がどのくらいだったか思い出せないが、その時に買った複製画のようなものが、20,000リラあるいは13ドルとなっていたから、1,500リラが1ドルくらいだったと思われる。

入場券。10,000リラと印刷されているのに、インフレのせいか、12,000リラに値上げされていて、スタンプで修正されている。いい加減というか融通無碍だ。多分この入場券は他の遺跡や美術館などと共通のもののようだった。

ガイドブック。著作権のところに1991年版とある。

裏表紙

ポンペイ、ヴェッテイ家(Casa del Vettii)の壁画の複製版?。

 

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