38年ほど前にロンドンで知り合ったオーストリア人の友人がいる。家が近く通勤電車が同じで、やはり同じような仕事をしていたし同じような年齢だったのでいつの間にか親しくなった。彼に誘われて年末から正月にかけをウィーンで過ごしたことがある。シェーンブルン宮殿の近くのレストランで大晦日からカウントダウンをして新年を祝い、痛飲したことが懐かしい。内陸部特有の刺すように冷たい風の吹く中、転げるようにしてホテルに戻ったのを思い出す。
彼は家柄が良く、大学を出た後、若手有力政治家の秘書官になったが、その政治家がその後泥沼の政争に敗れて失脚、それでも彼に相応の仕事を斡旋してくれ、ほとぼりの冷めるまでということでロンドンに駐在していた、という経歴の持ち主だった。目から鼻へ抜ける、という表現が当たると思うが、それでいてユーモアのセンスに富んでいて憎めない人柄だった。その後、コンサルタントに転身し今では悠々自適な生活をしている。その政治家は結局復権することができず、そのために彼も、必ずしも思い描いたキャリアではなかっただろうが、それを受け入れて恨みがましいことを口にすることはなかった。彼には1984年のザルツブルグ音楽祭の切符を手配してもらったこともある。その時すでにかなり高齢でカーテンにつかまりながら舞台に出てきたカラヤン、彼の指揮した「ばらの騎士Der Rosenkavalier」は圧巻だった。
オーストリアは人口は880万人ほどでありながらこれまでのコロナの感染者は日本とほぼ同じ45万人余り、死者数は8500人を超えている。人口が日本の14分の一ということから考えると極めて深刻な状況だ。最近ではクリスマスカードのやり取りくらいしかないが、いつかメールでも打ってみよう。
音楽祭のプログラムと、オーストリア製のアンテークな花瓶。1886年とあるがどうだろう。台のあたりが擦り切れてところどころ色が落ちてしまっている。