回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

酷寒

2020年12月31日 17時34分17秒 | 日記

数年ぶりの寒波が日本列島を覆っているようだ。寒い。今日着いた札幌は日中の最高気温が氷点下6度、ただしこれは明るい陽の差した時の気温で、乾いた風によって体感温度は多分氷点下10度以下になったと思う。夕方になって陽が沈んでからはから急速に気温が下がってきた。歩道には雪が積もっていてそれが凍っているから滑りやすい。歩行者は足元を確認しながら、慎重に歩を進めていた。

さすがに大晦日と言うことで交通量はそう多くはない。自分は勤務した場所と言うことでは東京とロンドン、ニューヨークしかないが、その中ではニューヨークが一番寒かった。ひと冬に何⽇か最高気温が氷点下16度くらい、最低気温は氷点下30度まで下がることがある。こういった時に高層ビルの立ち並ぶマンハッタンを歩くと風が文字通り肌を刺すようで、大袈裟でなく命の危険があるように思われた。札幌と同じく東西南北に碁盤の目になっているマンハッタンの街並みでは通りに沿って風が通りやすい。それにビルには冷たい風を凌げる身を隠すようなくぼみのようなものはない。多分凍死する人もいるのではないかと思うが、凍えて泣きそうになっている自分の横を大股で歩いてゆくのがニューヨーカーだ。多分、彼等の多くがそうであるが、大柄で良く太った人ならどうにか生きながらえることが出来るのだろう。こういった寒い日には、ニューヨークの名物ともいえる、道路から噴き上げる蒸気をそこかしこに見ることが出来る。この白い蒸気、ニューヨークは昔から地域暖房がすすんでいるが、配管の老朽化のため(管を傷めないため)蒸気を逃がさないといけないからだそうだ。

こういった寒さは嫌いではないが、どういう訳か、しばらく冷気の中にいるとそのうちいつも頭痛がしてくる。それでも新雪がつもった時など、あのどこか、まるで日本刀のような金属的な感じのする雪の匂いは感覚が研ぎ澄まされるようで昔から好きだ。

この時期、日本からロンドンに飛ぶ飛行機は、日本海を抜けるとシベリアの氷原の上をいつまでも飛んでゆくことになる。高度1万メートルから見下ろすシベリアの大地は白く固く凍っているのだろう。そこには、人を寄せ付けないような厳しさがある。道路のようなものは見えてもには人の営みの片鱗を見出すことは出来ない。ひょっとすると凍土の下には、太古からマンモスでも眠っているのではないか・・・

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コロナを超えて?

2020年12月30日 16時20分59秒 | 日記

昨夜はほぼ二月ぶりに、ロンドンの友人二人とSkypeでのビデオ会議。友人のひとり(彼は中近東出身)が音頭を取って南米出身のもう一人に声をかけ、3人での会話となった。たまたまこの二人はハーバードのMBAと言うことで共通している。昨日は一日で5万人を越える新規感染者が出たイギリス、ロックダウンも長引いているとから、まずどんな毎日を過ごしているのか聞いてみたが予想に反して、二人とも極めて意気軒高、楽観的な雰囲気だった。以下は彼等からの話の一部。

確かに日常の生活には不便があるし、特に普通であれば賑やかなクリスマス中は外出や友人との食事もままならないなど(文字通りSilent Night)決して楽しいものではなかったが、市民生活の中にロックダウンはすっかり定着しているし、マスクの着用やソーシャル・デイスタンシングもかなり身についてきたようでもはやそのことに不満を持つ向きも少なくなってきたようだ。それにもかかわらずまだ高水準の新規感染者が発生しているのは、(若年層には仮に感染しても重症化しないという意識のせいか)若年層を中心に感染が拡大しているという世界中共通の理由のようだ。なお、公式にはイギリスは死者の年齢別内訳を公表していないという。

それ以上に今後に彼らが楽観的なのは、イギリスでのワクチン接種が本格化してきているからのようだ。このあたり、まだワクチン接種が始まっていない日本では実感を持つことは出来ないだろう。イギリスでも一定数の人は副作用などを恐れてワクチン接種を拒否するだろうが、とにかくワクチン接種をした人にとってもはやコロナは脅威ではなくなるという心理的な効果は大きい。

更に、ここ4年ほど、黒い雲のようにイギリスを覆っていたEU 離脱(BREXIT)にまつわる不確実性がクリスマスイブのイギリスとEU との電撃的な合意によって払しょくされ、関税が復活する心配や数量制限の恐れがなくなったことが気分を明るくしているようだ。確かに人の移動については今後多少の変化はあるかもしれないが実際には既にイギリスへの他国からの労働力の流入は勢いが失われており今後も大きな変化はないだろう、と。

政治的には向こう4年ほどは下院選挙がなくおそらく保守党の安定した政権が続く。今のところ外交的にも大きな問題はない。さらに、バイデン政権誕生によって、トランプ時代に大きく損なわれたアメリカとヨーロッパとの関係も改善するのではないかとの期待がある。予測不能なトランプがコロナ禍によって再選が阻まれたというのは、世界にとって朗報であり、コロナがもたらした最大の利益(?)だ。トランプを駆逐することができた、ということにおいてまさにコロナは神からの贈り物だったのかもしれない。。もし、コロナがあれほどアメリカを席巻しなければ、多分トランプは再選されて、もう4年間世界は混沌の中に陥っていたかもしれないから。

彼等の話を聞いていると、日本でもワクチン接種が本格化してくれば、コロナ禍に対する人々の考えも変わって来るのではないかと思われる。年末が近いせいだろう、家の近くのガソリンスタンドのドライブスルー洗車場には長い列ができている。汚れを落として綺麗な車で新年を迎えたいというのは多くの日本人にとって自然な習慣であり、そう言ったものが日本でのコロナ感染が相対的に低いことの理由かもしれないと思った(かなり強引なこじつけ・・・)

例年であれば、クリスマスや新年のミサが行われ多くのコンサートも開かれるロンドントラファルガースクエアに面する教会St Martin-in-the‐Fields.今年はミサは行われるものの、コンサートはすべてオンラインで収録済みのクラシック音楽が流される予定。このパイプオルガンの音も聴くことはできないようだ。

 

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灰皿

2020年12月28日 16時13分12秒 | 日記

かつてはどこにでもあって、それが何の不思議でもなかったもので今やほとんど姿を消したもののひとつに灰皿がある。たばこ、あるいは喫煙そのものは違法ではないが(いまのところ)、健康上の問題から来る禁煙運動によって、今や喫煙できる場所を見つけるのは大変なことだ。さらに、喫煙者に向けられる目にも極めて厳しいものがある。

かつては嗜好品として社会的に認知されており、さらにファッションとしてももてはやされたことを考えるとここ2-30年の動きは実に劇的だ。禁煙運動は同時に灰皿の撤去につながっている。いまや、ホテルは全館禁煙が当たり前だし、したがって灰皿などは置かれていないところが多い。かつてはどこに行っても、灰皿があり、そこにはホテルやレストランの名前が誇らしげに彫り込まれていたことを考えると実に感慨深いものがある。ただ、今でも欧米の映画の中で喫煙のシーンが多くみられるのは不思議と言えば不思議だ。もっとも正義のヒーローなどは煙草を吸わない。むしろ悪役(として描かれているとき)は喫煙しているようだ。たとえば、(時代設定は古いが)テレビ映画「ダウントン・アビー」で、召使・従者のトーマス・バローと伯爵夫人付の侍女サラ・オブライエンのふたりが幾度となく謀議を巡らす時には二人が吸う煙草がその象徴的な仲立ちをしているように。

自分の学生時代、大多数の男子学生は煙草を吸っていた。学生たちが入りびたる近所の喫茶店はもうもうとした煙草の煙で充満していたし、そのころは「紫煙」などと言う洒落た言葉もそんな不健康な習慣を美化していたようだった。そんな光景は、今の学生にはたぶん信じがたいことだろう。なにしろ今ではたばこの煙は「毒煙」扱いだから。

自分も学生時代は何度か煙草を吸ったことがある。しかし、体が受け付けないというのか、いつの間にかすっかりやめてしまった。むしろ、煙が苦手なほうで、立て続けに何本も吸うような友人にとって時々苦情を言う自分は「煙たい存在だった」ように思う。思い出したのだが、そのころ、刑事訴訟法の教授が小部屋での講義中(ゼミ、と言われた少人数の授業)の最中いつもパイプをくゆらせていて、その匂いと煙でこちらの思考が中断されるどころか、脳細胞が破壊されるのではないかと心配になったことがあった。しかしその教授はまさに博覧強記、記憶力・理解力・文章力どれをとっても並外れたものを持っていたから煙草の煙が脳細胞を破壊するということはなかったのだろう、あるいは彼の脳細胞が煙なんかにはびくともしない強靭なものだったに違いない。さほど大きくもない部屋で、その教授の顔が煙の向こうでぼやけてしまっていたのを覚えている。今こんな教授がいたら間違いなく健康被害で訴えられているだろう。

もともと煙草は吸わないので自分の部屋に喫煙用の灰皿は置いていないのだが、記念品や贈り物として受け取った灰皿のいくつかは本棚の中にある。そのひとつが、自分が最初に働いていた、明治時代に建てられた厳めしいビルが建て替えになり、そのビルの床に使われていた、多分どこか外国から輸入したものであろう大理石を、ただ捨ててしてしまうのは忍びない、と言うことで花瓶台と灰皿にして希望者に安く頒布したもの。

もう40年以上も前のことで、この大理石の灰皿は一度も使われたことはない(自分の部屋にずっとあったのだから間違いない)。滑り止めに裏に張られた緑色のフェルト地もきれいなままだ。ここだけは時間が止まっているようにも思う。この灰皿も当時は沢山の吸い殻の受け皿となることが運命づけられていたはずだが。そしてこの灰皿があの建物のどこの部分だったのかは知る由もない。ただ、この灰皿、煙草を置くための溝が切られていない。と言うことは初めから実用的ではなかったのかもしれない~。

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食事会

2020年12月27日 18時00分34秒 | 日記

普段の年だと年末にかけて様々な口実で食事会の機会が増えるものだが、今年はとてもそういった雰囲気ではない。4人まで、と言われて、それでは、と少人数に限っての会食というのも、そのそもその制限人数に感染拡大防止の確固とした根拠があるわけではないから、何だかいじましい気がしていっそ今年はすっぱりと取り止め、ということにした。そういうことでここのところ、知り合いなどから声をかけられたときには、人数に関わらず今の時期に不要不急の食事会(すなわち忘年会、新年会の類)は遠慮している、と答えることにしている。

今年は断ってもどこへも行かないので何の問題もないのだが、かつて、知り合いに忘年会に誘われて、ちょっと都合が付かないので、と言って断って後、別の人と食事に行ったら、そのレストランで、誘ってきた人と鉢合わせになってしまったことがあった。そのレストランの名前はロンドン、ピムリコ通りにあった「L'incontro」。このイタリア料理店を選んだのは、長いこと会うことの無かった昔の友人がロンドンに旅行で来ていて電話をもらったから。どこにしようかと思案していたらその少し前にこのレストランに行って、味も雰囲気も良かった記憶があった。ワインの種類も豊富だった。そして何より、このレストランの名前の意味が「邂逅」というではないか。久しぶりにあう友人との会食にこれほどふさわしい名前はない。さらに言えば自分の職場から相当離れているのでどう考えても知り合いが来ることはないだろうということも。

ところが天網恢恢疎にして漏らさず、食事を始めて間もなく、その断った相手がこのレストランの入ってきた!。星の数ほどあるロンドンのイタリアレストランの中で、よりによって誘いを断った相手と鉢合わせするとは、別に悪いことをしたわけではないが、どうしようもなくばつの悪いものだ。幸い、予約していなかったのか、満席と断られて残念そうに店の中を見回したのち、姿を消していった。たまたま取った席が隅の方だったので、多分こちらに気づかなかったと思うのだが。まさに危機一髪。その後その人とは何故か疎遠になってしまった。ひょっとしたらその時に自分が他の人と食事をしていたのを見たのかもしれない、としばらく小骨がのどに刺さったような気がしたものだった。

このl'incontro, 今は同じ場所に別のイタリアレストランが開業していて、もうない。もういちど巡り合う、と言うわけにはいかないようだ。

ところで、去年までは12月いっぱいは毎年ロンドンで過ごす事にしていた。クリスマスの前日から当日にかけては、若い人はともかく、多くのイギリス人は家で静かに食事をしてその後教会のミサに足を運んでいたようだ。ヨーロッパ大陸、例えばドイツなどに比べ普段でもキリスト教の占める重さがイギリスは軽いように思う。ドイツでは真剣な宗教行事としてクリスマスを祝い、かつ楽しんでいるようだったがイギリスではもう少し気楽なところがあった。そういえば、街の飾り付け(ショーウインドウの人形なども含め)やクリスマス定番のデコレーションもドイツのほうがずっと凝っていたように思う。

そんなイギリスだが、それでもクリスマス前夜から当日にかけて教会には明々と灯りが灯される。いつもは暗くて奥の方が見えないような地元の教会もこの時ばかりは明るくて遠くからでも人の出入りが見える。そういうところは、クリスチャンでないと少し敷居が高く感じられる。雰囲気に少し気圧されるところもあってクリスマス当日は家の中でシャンパンなど買い込んで静かに過ごしていたものだ。

全く無関係な話だが、さっき近所を歩いていたら、少し大柄な野良猫が大きな家の塀の内側に聳える木の上の方を見ている。目が合ってこちらに気づくと、睨むようにしながらさっと塀を乗り越えてどこかに姿を消した。丁度その時知り合いのご婦人が出てきて、今朝から狐と猫とが何か争っているようですよ、と教えてくれた。ということは、さっきの猫の漂わせていたのは殺気だったのか?

さて、猫と狐、どちらが強いのだろう。そのあたりには全く知識がない(こういう知識は普通誰でも持っているのだろうか?)。ただ、ライオンが百獣の王と言われるので一番強そうなのは何となくわかる。それに一度南アフリカのサファリパークでランドローバーの中から至近距離で雄のライオンを見たことがあった。ほとんど胴体と同じ位太い首とそこからつながる頭の巨大さに驚嘆、こんなに逞しい口で噛まれたらどんな動物でもひとたまりもないだろう、と。

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クリスマススピーチ

2020年12月26日 16時27分19秒 | 日記

今日、東京都のコロナ新規感染者が949人と過去最高を更新した。いつまでも止まらない感染者の増加。ワクチンの接種開始が来年2月と言うのだからそれまでにどうなるのか、不安は尽きない。先ほど久しぶりに大手スーパーマーケットを覗いてみた。いつと変わらぬ年末の風景。棚には歳末用品を始め商品が山積みになっているし、買い物客の数もいつもの週末と変わりない(ように見えた)。しかし、どこか、盛り上がりに欠けるような気がしてならない。底冷えでもするようにコロナ禍の影響が忍び寄っているのだろうか。物理的、と言うよりも心理的、とでも言うように。

しかし、イギリスの新規感染者数は昨日1日で32,725人と、日本とはまだ一桁違う。そしてスーパーマーケットの陳列棚からは商品が姿を消している。そんな中で流されたエリザベス女王の恒例のクリスマススピーチ。今年のキーワードは、このコロナ禍のなかで「あなたは一人ではない」。

一日遅れとなったがBBC国際放送の録画を。クイーンズ・イングリッシュをじっくり聞くことの出来る限られた機会でもある。(画面の再生ボタンを押してください)

Queen's Christmas speech: 'You are not alone' - BBC News

 

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