近くの園芸店で、一旦は花を全部落としていたせいか見切り品としてただ同然で売っていたのを、鉢を代え、玄関横の半日蔭の角に置いていたらまた見事な花をつけた。少し分厚い花弁はまるで陶器でできた造花のようにも見える。客をもてなすにも十分な存在感。Love at first sight?
久しぶりにビリー・ジョエルのHonestyを聴いた。ビリー・ジョエルは同年代のアメリカのミュージシャンの中では、最も聴いたうちの一人。そして、彼の、Piano Man ほどには評価されていないかもしれないが、このHonestyの歌詞は時に心に沁みるものがある。
中でも、
Honesty is such a lonely word
Everyone is so untrue
Honesty is hardly ever heard
And mostly what I need from you
のあたり。
今の時代、Honesty は手の届かないところにいった?
庭の浜菊が満開。去年もこの時期に咲いていた。
かつて家の修繕をしたとき、屋根の塗り替えを頼んだ個人経営の塗装店の社長が、工事が終わった時にお礼として置いて行ったのがこの浜菊。初めは鉢の中で育てていたが段々と大きくなったので地植えにしたら急に元気がよくなって、今では玄関前の一番日当たりの良いところで大きな顔をして咲いている。
塗り替え工事の合間にこの社長とは園芸のことで話が弾み、工事が終わって請求書を持って家に来た時に彼は、きっと気に入ると思う、と言って小振りな鉢に入った浜菊を持ってきた。この花、昨日のマリーゴールドとは対照的に清楚だが、花言葉は「逆境に立ち向かう」というから強い意思の持ち主か。
逆境に立ち向かう、という表現が適当かどうかは判らないが、先日ロンドンの友人たちとスカイプで話をしたとき、そのうちの一人が肝臓に問題を抱えていて手術すべきか迷っている、と漏らしていた。彼はすでに肝臓の半分をなくしておりもう一つにも病気の兆候が表れているという。彼は敬虔なクリスチャンでしっかりした死生観の持ち主だから何があってもそう動揺しないだろうが、それにしても気の毒な話。もしこれが自分の身に起きたらとても冷静ではいられないだろう。
ごく身近で弔事が二つ重なってこの一月ほど自分の時間が全く取れなかった。少し落ち着いてその間放置されたようになっていた家庭菜園を覗いてみたらマリーゴールドが満開になっていた。鋤き込めば害虫予防になるということで少し空いたところに植えている。そんな実用面が強調されるが、夕方の弱くなった日差しの中で咲いているこの花はその辺りを明るくするほどに華やかだ。鋤き込むのが惜しくなる。
先月、身内の不幸があって上京中に一人暮らしの叔父の危篤の報が飛び込んできてあわただしく飛び乗った飛行機からの風景。こうした高い空を飛んでいると、どこか今は天国に近いところにいる、というような気がしてくる。
雲海の中に入ったところで翼を包むように虹がかかった。鮮やかになったと思ったらすぐに淡くなって消えてしまった。こういった虹を見たのは初めてのように思う。
雨の羽田空港。こういう時には雨が似合うようだ。